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島根県益田市七尾町に残る中世山城                  散歩年月 2007.04
                    益田氏歴代の居城

現地説明板

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住吉神社参道登り口にある七尾城跡石柱

ここから登城します。

石柱上部の城跡平面図を拡大

鳥居をくぐり左に折れ登ると、太鼓の壇

左 尾崎丸・千畳敷
右 本丸跡

   なな お じょうあと にし お ね くる わ ぐん
   七尾城跡 西尾根曲輪群

 中世の豪族益田氏が築いた七尾城は、主に三つの細長い尾根
を利用して築かれています。  このうち住吉神社の背後から北に
伸びる西尾根には大小二十以上曲輪 ( 平坦地 )が残っていま
す。
 大手の谷を登りきった位置には厩の段があり、堀切を隔てた
北側には、宝暦三年(一七五三)に太鼓の胴が発見されたとい
う太鼓の段があります。
 西尾根の中で最も高く、かつ最大の広さを持つ千畳敷は防護
上重要な曲輪で、建物もあったと推定されます。
 西尾根の北端には尾崎丸と呼ばれる出丸があり、山裾にあった
大手口の北尾崎木戸は南北朝時代の延元元年(一三三六)に三
隅氏に襲撃され、益田方の武将が戦死しましたが、これが七尾城
における唯一の戦いです。
 七尾城は改修を重ねて現存する規模に発展し、関ヶ原の戦いの
後に廃城になりましたが、西尾根の曲輪群は城の中でも古くから
築かれていた部分と考えられています。
            平成 十五年三月 益田市教育委員会

                        (現地説明板から転記)

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太鼓の壇(段)

千畳敷の切岸

千畳敷内部

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堀切

千畳敷から先は道が悪く
(雨の翌日)訪問を断念

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厩の段から本丸を見上げる

厩の段となりの釣井の段(壇)
に残る井戸跡

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帯曲輪の現状

左が大手道

   なな お じょうあと 
   七尾城跡 本丸

 中世の豪族益田氏が築いた七尾城は、全長が六百mに及ぶ大
規模な山城です。
 城の最高部に位置し、 城下を一望できる本丸は、標高約百二
十 mで、 南側は堀切と土塁で守られています。 本丸に接して、
約一 m低い二の段があり、 北側に堀切があります。 この本丸と
二の段が七尾城の主郭部でした。
  平成四年度からの発掘調査によって、 本丸北端では瓦葺きの
櫓門、二の段北端では二棟の建物の礎石列と庭園跡、二の段西
斜面の帯曲輪では五m×二十二m の長大な建物跡が発見されま
した。
 さらに、中国や朝鮮からの輸入陶磁器や土師質土器(かわらけ)
など、十六世紀中頃から後半にかけての遺物が多量に出土しまし
た。 
 この成果は、益田氏十九代藤兼が七尾城を改修し、自らも城内
に隠居したという益田家文書の記述を裏付け、戦国時代末期の七
尾城は、合戦時の砦から領主の居城へと大きく変貌していたことが
明らかになりました。

            平成 十五年三月 益田市教育委員会

                        (現地説明板から転記)

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二の段北の堀切

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二の段北の堀切

二の段北の堀切

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二の段から本丸を望む

奥の一段高いところが本丸

二の段内部

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本丸から見た城下町と日本海

本丸南側の堀切

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医光寺総門

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  医光寺は七尾城跡の北、益田川を渡り少し行くと道路左側にあります。

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