神辺城(かんなべじょう)

 神辺城は「道上ノ城」とも呼ばれ、元弘の乱(南北朝争乱)で戦功をあげた朝山景連が備後国守護職に任じられ、建武二(一三三五)年築造したと伝えられています。以来神辺城は備後国の守護職の居城として使われ、仁木義長・細川頼春・高師泰・上杉顕能・渋川義兼・山名時義が守護となり一時期を除いて山名氏の備後支配がつづきそれぞれ守護代が居城しています。        

 戦国時代には杉原理興・平賀隆宗・杉原盛重・藤井皓玄・毛利元康が、江戸時代には福島正澄(丹波)・水野勝成が入城し、この間幾度も改築が行われ福島時代に完成をみています。                              

 元和五(一六一九)年の水野氏が福山城築城の際には、神辺城の櫓楼や門などが取り壊され移築されたといわれています。実に二百八十数年もの間、神辺城は備後国の中心的役割を果たしてきた城です。                            

 

左現地案内板より

二之丸跡

本丸跡

神辺城跡説明板

井戸跡

本丸跡下の郭跡と旧山陽道の眺め

旧山陽道の眺め

掘切跡

隣峰の神辺歴史民俗資料館から見た城跡

広島県福山市神辺町大字川南、川北に残る中世から近世の山城          散歩年月  2007.03

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街には、神辺本陣などが残ってます。