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伊勢が坪城   広島市安佐北区大林に残る中世鎌倉〜室町時代の山城

 承久の変(1221年)で討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められその子直時は安芸国三入荘の地頭
 に任ぜられた武蔵国熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)からこの地に赴任した直時は三入荘北部の比高30m
 ばかりのこの小高い山に伊勢が坪城を築いた。この城は東側の山との連なりを空堀で断ち切り
 一応独立した山城の性格を持っている。また東端の山頂を削平して本丸とし、更に西に
 向かって四つの曲輪を配置していたことが、今日の遺構から判断できる。
 三入荘での地歩を固めた熊谷氏は、勢力の拡大をはかって戦略的により優れた高松山にやがて
 本拠を移すことになる。その時期は、室町時代に入ってからと思われる。
 なお高松山へ遷城後の伊勢が坪城はしばらくの間は隠居所として利用されていたといわれる。
 
      昭和53年3月1日                      広島市教育委員会                      

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第十二回 伊勢が坪城・高松城

両城共に熊谷氏の居城             散歩年月 2006.12&2007.01

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(上写真 現地説明文より)

 上の壇(本丸)

中の壇

登城路から仰ぎ見る上の壇

堀切

東側から見た上の壇

上の壇から南西方向(可部の町)の眺め

高松山がかすかに望める

現地案内図

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西から見た霧中の伊勢が坪城     (電線が・・・)   

  
高松城へ
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