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五龍城(ごりゅうじょう)

 五龍城跡は、甲立盆地の西南端の丘陵先端部山城で、南北朝期以後、毛利氏の防長移封までの約二百五十年間、宍戸氏の本拠として用いられた。
 宍戸氏は、常陸国宍戸(茨城県西茨城郡友部町)にいた宍戸朝家が、元弘三年(1,333)、足利尊氏と共に六波羅攻略に功があり、翌建武元年(1,334)に安芸守に任ぜられて甲立荘を領し、当初菊山中腹の柳ヶ城に入ったが、ここは城として不適当と考え元木山に城を移した。しかし、用水がないので、五龍王を勧請して祈願したところ、直ちに井水が湧出したので大変喜び山名を五龍山と称した。
 城の遺構は、本村川と江の川に挟まれて半島状に延びる丘陵尾根上に、先端部を空堀で区画した約七〇〇mの範囲に広がっている。尾根上の郭は尾根を横切る三本の空堀によって三郡に分かれ、毛利氏も幾度かこの城を攻めたが遂に落城させることができなかった。のち、天文二年(1,533)には八代城主隆家と毛利元就の娘との婚姻により両氏は和睦した。所領は約十五万石にも及んだという。
 九代元続は、慶長五年(1,600)毛利氏が防長二州に移封の際に、これに従い周防三丘(約1万2千石)に移った。
                                                                        
                                                          上現地説明板より 
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広島県安芸高田市甲田町上甲立、下小原に残る中世の山城        散歩年月 2007.03

                       城主   宍戸氏

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本丸

江の川対岸から見た五龍城

姫の丸

二の丸

三の丸

釣井の段

井戸跡

櫓の段

登山口

尾崎丸

一位の段と
トンネルからでた54号線

宍戸隆家の墓

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