■「ゴジラ対ヘドラ」という映画


1971年、大阪万国博覧会の開催された次の年に1本の映画が封切られました。東宝チャンピオン祭の1本として上映されたこの映画の名は「ゴジラ対ヘドラ」。この映画は一部のファンの人から熱狂的な支持のある映画なのですが、この映画の持っている極めて象徴的な側面、幻想映画的側面からの考察をされた論評をまだ目にした事がありません。そこで本書内にてその考察をまとめてみようかと思います。まだ未見の方で興味のありました方や、あるいは記憶定かでない方はぜひ一度ご鑑賞の上、お読みいただければ幸いです。

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「ゴジラ対ヘドラ」は、ゴジラシリ−ズ唯一、ゴジラの出なかった映画である。(「オ−ル怪獣大進撃」という少年の夢落ちの映画もあったがあんなものは映画ではない)
「そんな事はない。ほとんど最初から最後までずっとゴジラは出っぱなしだったではないか」と反論される方がほとんどだろうが、この映画では実は、ゴジラは一度も出ていないのである。私論であるが、私はそういう映画だととらえている。以下、その視点において、この映画を語ってみようと思う。

この映画はその構造からして奇妙な映画である。
ゴジラはこの映画では、第1カットから登場する。主人公の少年、研が、すべり台のところで遊んでいるソフトビニ−ル人形としてである。あの人形はゴジラが虚構として存在する場所である我々の世界、言い換えれば、こちらの世界にのみ存在が許される物体である。つまり少年、研のいる世界は絵空事の映画の中の夢の世界ではない。その時この映画を観ていた子どもや大人の現実にいた世界と同じ側にある世界なのだ。その世界では怪獣が出たからといってそれを人間の代わりにやっつけてくれる神のごとき存在、ゴジラはいない。だからこそ少年のヒ−ロ−としてソフビ人形が存在する。ところがその少年を取り囲む現実、すなわちちょうどその頃「ゴジラ対ヘドラ」を観ていた少年や大人を取り囲む現実はどうであろうか。それは、まさにSFで読んだ終末の世界、人類の終わりのごとき厭世的な気分が濃厚にあった。

公害問題はやっと表面化してきたが対策はまったく打てていない(イタイイタイ病、水俣病などの公害病はこの頃ようやく認定される)。
静岡県田子の浦はヘドロで埋まり、都市圏では光化学スモッグ被害が続出。チクロなどの食品添加物問題、汚染された魚の大量発見などで、基本となる食さえも信頼が持てなくなってきている。
70年安保闘争は、69年の東大安田講堂落城の後、四分五裂。内ゲバの内部闘争で自滅していく。
冷戦は続いている。ベトナムでは米軍による北爆が続く。当時アメリカ施政下にあった沖縄の嘉手納基地からは、爆弾を積んだB52機が直接飛び立ち、ベトナムへ爆弾の雨を降らせていた。

人類が死滅するなんていう事は、絵空事でも何でもない現実として少年、研、つまり我々の足元まで忍び寄ろうとしていた。キングギドラが導き出す破滅よりも恐ろしい破滅が、音もなくひたひたと、だが確実に迫りつつあったのだ。
虚構と現実はまさにその時点で入れ替わっていた。

この映画はそんな符号で満ち満ちている。以下、それを列挙してみたい。

主人公の少年はヘドラの第一発見者である。少年が公害研究家の父と共に駿河湾の汚れたヘドロの海のところまで来ていたときに海から飛んで出てくるのと遭遇する。ここがまずおかしい。今まで主人公それも少年がのっけから敵型の怪獣と1対1で対峙するような映画が他にあったであろうか。この時、少年の父は顔や身体をヘドラに蝕まれるが、父をそのような目に会わせた公害の存在は少年にとって怪獣そのものであったと考えられる。ここで、少年にとって公害の象徴としての怪獣ヘドラが産まれる。

そして、このヘドラの名付け親に少年がなる。人々や新聞はこの少年の名付けたヘドラという名称を当然の事のように使い始める。このことはおかしくも何ともない(しかし冷静に考えればおかしいのである。つまり、この映画の中の閉じた世界の中ではおかしくないということ)。このときから世界がそっくり、少年の内面世界にはいってしまったのだから。

次にゴジラである。ゴジラは少年にその出現を予感させる。1回目はへドラ上陸の時、2回目はジェットコースターに乗っていたとき、少年は視線の片隅に動く映像でゴジラの来てくれた事を知る。ここがまた極めて暗示的。少年はちらりとゴジラのシルエットを見るのであるが、それはシルエットにすぎない。でも、少年はそれをビルの影だとか何とか思わずにすぐゴジラだと思う。少年にはわかっているのだ。あの恐ろしきヘドラをやっつけてくれるのはゴジラしかいないという事を。

そしてゴジラは本当に現れる。ヘドラをやっつけるために。ここがまた異様である。ヘドラが街を襲い、少年の兄や恋人が危機に陥る。ここでゴジラが現れるのだが、街はしんと静まり返っている。怪獣が出たのである。そしてゴジラがやってきたにもかかわらず街に人のいる気配がない。自衛隊も現れない。その中でゴジラはヘドラと一戦をやらかしてそして帰っていく。

この映画では人々の行動は非常に象徴的でカリカチャイズされたものになっている。少年の兄は極めて厭世的、その頃の言葉で言うと何事にもシラケている。むしろ父の方が真っ向から問題に立ち向かおうとしているが手痛い反撃にあってしまう。兄はヘドラ騒ぎの中、大人たち(旧世代)がそれに文句を言いながらも(政府に対して)何もできずふりまわされる状態、絶望的な状況に嫌気がさして、同世代の若者たちと富士のすそ野での一万人ゴ−ゴ−大会を企画する。しかし、実際、集まった若者たちは百人足らず。それでも精一杯盛り上がろうとするが、そこにもへドラはやって来る。彼らは他の大人のように自衛隊まかせ、国まかせにするのではなく、自ら松明を取り、立ち向かっていくが、しかし、皆がばらばらに投げた松明はへドラの足下を照らすだけ。彼らはヘドラの吐くガスにほとんど全滅してしまう。アリが象に立ち向かうような風景である。この、巨大な怪獣に小さな松明を投げてなんとかしようとする若者たちの姿は、悲しくも滑稽である。
70年安保闘争が終わり、揺るがない体制とそれに対しての若い世代の脱力感は、この時代の多くの終末思想を支える。
この映画における上記のような大人と若者、そしてどちらに対しても驚異的な存在となっている公害(社会体制)との関係。この映画は、その頃の大人達と青年達との社会とのかかわりかたを象徴的に書き表していて過不足ない。少年はそれらを等距離で見ている。少年にはまだ力はない。しかし、公害を産み出した世代である大人世代とそれに対して何もできない青年たちの世代は少年にとっての現時点での未来の姿である。そしてどの世代に対しても公害は分け隔てなく襲いかかってくる。であるから、これは未来を失いかけている無力な存在である少年からの悲鳴の物語でもある。まさに袋小路。少年にできる事と言えばゴジラを呼ぶ事だけなのだ。

この映画は、少年の幻想の中の世界を映像として描き、時代の気分に肉迫したという点で、日本映画史において極めて珍しい映画である。また、その完成度においても群を抜いている。おそらく「ゴジラ(昭和29年初代)」を含めて一連のゴジラ映画の中でも最も完成度の高い作品であろう。

最後に

この映画でゴジラは空を飛ぶ。この映画の評価を下げる汚点として語られることの多い同シーンであるが、これまでの論評を読んでいただいて、このシーンの意味をご推察していただけるのではないかと思う。そう、少年の最後の希望としてのヒーローは、そのままではもう立ち向かえないのである。飛べないゴジラが飛ばなければいけないほど、少年を取り巻く状況は重く暗い。だからこそ、ゴジラは飛び、また飛んだからこそ、ゴジラの虚構性が明示されたのである。見事に計算され尽くした構成であると言えよう。 (文責 向日 葵)



■2004年



イワえもんを偲んで

 前回のコミティアの直前に、岩田次夫さんという方を偲ぶ会が催されました。岩田次夫さんは、イワえもんと呼ばれ、3万冊以上の同人誌を保有しながらも、決してコレクターではなく、「買って・読んで・評価する」ことをもっとも大切にされ、年2回、自分が購入した同人誌の読書会を行われていたそうです。いわば、同人誌のご意見番のような存在だったのだと思います。その方が肺がんがもとで亡くなられたということでした。
 このことを、ティアズマガジンで知ったとき、まっさきに考えたのが、そういう人にぜひ自分たちの作った本を読んで欲しかった、そして、感想をもらいたかったということでした。でも、それはもう叶わないことです。 私はかつて『季刊・幻想文学』という雑誌を愛読してました。そこで、新人賞の募集がされたとき、応募することもなく、ただ時を過ごしてしまいました。そのときの選者である、澁澤龍彦・中井英夫の両氏に見せられるような作品を書ける自信など、とうていなかったからです。
 しかし、そののち、先に澁澤が、そして、そのあとを追うように中井もこの世を去り、私の作品を読んでもらう機会は永遠に失われてしまったのです。
 
 なんど、同じことを繰り返せば気がすむのでしょうか。

 でも、イワえもんはもういませんが、コミティアでパルス編集部の本を買ってくださる方はまだいらっしゃいます。限られた予算のなかから、自分たちの本を選んでくださる方がいらっしゃるのです。とてもありがたいことだと思います。そして、新刊があることを期待して、ブースまでお越しいただいている方もいらっしゃいます。そんな方々の期待を裏切らないためにも、これからも作品を描き本を出し続けていきたいと考えております。
 私も向日葵も岩田次夫さんと直接の面識はありませんでしたが、今回の訃報をきっかけにして、さきに進んでいきたいと考えているのです。とにかく、描くことを続けていきたい。これが両名の共通した思いなのです。  
                          (文責 石川彦士)




■2004/5/23


『私の愛は小さいけれど』 

   岡崎律子さんを偲んで




 岡崎律子さんが亡くなられました。5月5日のことです。でもおそらく、ほとんどの方が岡崎さんのことをご存知ないと思います。しかし、ぼくのようなアニメ・ファンにとっては、大切な人でした。
 彼女は歌で物語ることのできる人でした。ささやくように奏でるように、ひそやかに響くその歌声は、すぐにも消えてなくなりそうなとてもはかなげなものだったけれど、だからこそ心の奥にまで染みこんでくるような優しさと強さを持っていました。
 でももう、岡崎律子さんの新曲を聴くことはできないのです。それはとても悲しいことです。

 『フルーツバスケット』というコミックスがあります。アニメにもなりました。そして、ぼくはこのアニメで初めて、岡崎律子さんの歌を聴きました。主題歌を担当されていたのです。まさしく、その物語のために作られた歌『For フルーツバスケット』を聴いた瞬間、ぼくはその世界に魅せられてしまいました。アニメは全話見ましたし、今でもコミックスを買いつづけています。
 岡崎さんのほうは、それからもいくつかのアニメの主題歌を担当されました。そのどれもが曲として魅力的でしたが、そのアニメの物語世界そのものにまで踏みこんで作られているという点で素晴らしいアニメソングにもなっていました。マーケティングの都合により、アーティストの既存の曲を当てはめただけで、アニメそのものと世界が合致しないものが氾濫するなかで、岡崎さんの歌はとても貴重なものでした。

 岡崎さんの歌には一貫した特徴がありました。
 生まれる前からかけられていた呪いに打ちのめされながらも、なんとかそれに向かいあおうとする少年少女たち。叶えられないと気づきながらも兄への思いを抑えきれない妹たち。思いを告げれば泡となって消えてしまうと知りながらも好きな人のために力になりたいと願う小さな踊り子。
 弱くてちっぽけな存在だけれども、一途な思いを抱いてひたむきに生きている愛すべきキャラクターたち。そんな彼らを見守り包みこむような優しいまなざしに満ちあふれていたのです。それらの歌を聴くとき、ぼくはとても温かな気持ちになり、その物語はおおきく豊かにふくらんでいきました。そして、岡崎さんの歌とともに過ごした時間は、ぼくにとってかけがえのない財産になっていったのです。

 Let's stay together いつも
『For フルーツバスケット』の最後はそう締めくくられています。

 確かに、岡崎さんの新曲を聴くことはもうできないのかもしれないけれど、たくさんの素晴らしい歌に出会えたことは、やはり喜ぶべきことなのだと思います。
 それらの歌は、いつもこれからも、ずっとぼくたちのそばにいてくれるのですから。

                     (文責 るとるとる)





■2004/1/30




地獄


我々がそこに見たのは地獄だった
中沢啓治の「はだしのゲン」
物語と絵によってストーリーを活写する漫画という技法は
ゲンという少年と共に 
原爆を追体験するという体験を 
我々にもたらしてくれた

追体験は それそのものの体験ではない
フィクションは現実ではない
しかし現実の体験を元に紡がれた物語は
数十年後に生まれた私達に
体験し得ない地獄を追体験させてくれたのだ
それは地獄
この世の中に人為的に作り出された地獄
特定の人に味わせるためではない
無差別に
そのキノコ雲の下に
地獄を作り出すための兵器によって
人々が体験した地獄

「はだしのゲン」は多くの国の人に紹介されている
それは
この漫画を多くの人に読んでほしいという思いの元に
人々が積み重ねた努力の賜物

『しかし』と
そこで疑問符
日本は
その地獄を本当に
日本以外の国の人々に伝えているのだろうか
特に 
映画という
リアルな映像によって世界を作り上げることのできるメディアに関わる
多くの日本人は

原爆を扱った映画は少なからず ある
しかし その多くは
原爆が作り出す地獄を
直接に体験させてはくれない
子供の時の我々が「はだしのゲン」で体験したような地獄は
そこには ない
地獄を体験した人の その後の地獄
地獄を体験する前に 人々がどのような日常を営んでいたか
それを語ることは大事なこと
我々は
たとえ日本に生まれても
まだ ほとんど 何も知らない
人々がどんな思いで生きてきたかを
でも
日本では
日本人は
原爆が投下されたその直後に
どのような地獄があったかを
いろいろなことで 
少しずつであっても 
断片的であっても
学んでいる
知っている
修学旅行の時に行った広島 長崎での体験者の言葉で
原爆資料館での 写真で
人々が その地獄を何としても残さねばと
描いた絵で
語り継いだ文章で

しかし 日本以外のほとんどの国の人は
その地獄がどのようなものであったかを知らない

この文章は 
これまで映画に携わってきた多くの映画人に 語っている
そして 映画の周辺にいる人
スポンサーと成り得る企業も含めて
そう ほとんどすべての日本人
我々は まだ 世界に地獄を見せていない
そこで何があったかを形にしていない
極東のある一国の黄色人種の国民が体験したというだけの地獄と思うだろうか
そうは思わないと 
私は 思う
そこで 何があったかを
そのまま映像化にすることができれば

まだ何もやっていない
何もやっていないということで 
世界のほとんどの人は 地獄がどういうものか知らない
唯一知った国の人間が それを知らせようとしていない

何を傲慢な と 言われるかもしれない
お前は何をやったのかと言われたら返す言葉はない
しかし あえて問いたい
世界は 地獄を知っているのか
日本は それを世界に知らしめているのか

いつか 再び使われるかもしれない
明日 それは使われるかもしれない

その時から 日本人は烙印を背負う
語るべき言葉を語らなかったもの
世界にそれを伝えようとしなかった忌まれる民族として

追体験でもいい
それを直接体験しなかった者は それしかできないのだから
59年間 
日本人は
世界の人々に
地獄を追体験するということを
映画というメディアで
作り出せなかった

まだ 3発目が使われていない現在
2004年1月30日
まだ 間に合うかもしれない
世界は 地獄が何かを知らなければならない
それは 同じ人類がこの世に作り出した地獄なのだから

自戒を込めて


                 (文責 向日 葵)



■2004/1/24

超人(鳥人)伝説



 『宮崎駿の息子が、ジブリ美術館(正式名称「三鷹市立アニメーション美術館」)の館長に就任』
 このニュース(2001年)に驚いたり怒りを覚えた人も、少なくなかったのではないかと思う。
 世襲である。
 宮崎駿のこれまでの創作者としての生き方や主張と明らかに反すると思ったため、転向と感じた人も多い。しかし、果たして、それは本当に転向であったのだろうか。

 問いかけてみよう。
「なぜ、宮崎駿は、自分の息子をジブリ美術館の館長にしたのか?」

 以下、宮崎駿の作品の歩みを見ながら、どのような流れで現在に至ったかを、考察してみたい。

 宮崎駿、高畑勲、そして二人が頭角を現すこととなり後の作品群の原点となった「太陽の王子ホルスの大冒険」の作画監督である大塚康生(まだこの頃演出助手であった高畑勲は、大塚康生から異例の人事で本作品の演出へと推薦される)が出会うのは、東映動画における労働組合運動においてであった。のちのそれぞれの作品の中に現れているある作風、共同体への思い、一人がみんなのためにという志向性は、その頃に熟成される。健全な意味での左翼思想として。
 生活者としてそれを体現し自らもそういう中で戦う人であったのは大塚康生であり、理論的にそれを作品世界へと抽象化できる能力を持っていた人が高畑勲であった。そして、そこに直感的に正しさを感じ映像として具現化できる能力を最も持っていたのが宮崎駿。
 しかし、宮崎駿の本質的な部分には、共同体への懐疑が常に存在し、それは作品の設定と、時に乖離し、作品世界の統一性を失わせていった。
 彼がずっと描いてきたもの。それは、『超人』である。
 『超人』は『鳥人』でもあった。

 「太陽の王子ホルスの大冒険」におけるホルスは、共同体の中におけるアウトローであった。彼は、一人、危機を叫び、そして、それ故、孤立する。しかし、彼が主張していた危機は本当であり、その危機に立ち向かう力は、共同体の中で唯一彼のみが持っているものである。当作品においての宮崎駿の貢献部分をどの程度までと考えるかはむずかしい。しかし、少なくとも映像世界構築においては作画監督の大塚康生を遙かに凌駕しており、その作品世界の方向性の選択においては、少なからぬ位置を占めていたであろう。

 「ルパン三世」が超人であるのは、言うまでもない。ただし、これは元々、宮崎駿の企画ではないので、出会い自体は偶然のものである。ただし、後の、映画監督としての初作品、「ルパン三世カリオストロの城」におけるクラリスの位置、つまり、超人と王族のふれあいを最初に選択したということで、後の作品の原点ともなっている。

 「未来少年コナン」は、超人伝説である。彼の存在が特に面白い位置になるのは、ラナと共に、初めてハイハーバーに行き、そこでしばらく生活をするようになった時である。
 彼は、ハイハーバーという共同体の中では極めて浮いた存在となる。まるで、ホルスのように。彼は、その共同体の、基盤における危うさを知る数少ない人間であり、また、共同体の中で、自分の位置を見出せない人間である。彼は、漁師のガルの元に自分の安住できる位置を見つける。しかし、農村共同体としてのハイハーバーの中で、単独漁労を生業とする漁師は、やはりアウトロー的な気分を有している。船は、外の世界とつながるものであり、土地に縛られない翼でもある。インダストリアという都市に縛られない生き方をしていたダイスとコナンが惹かれ合うのは、共に、共同体に相容れない何かを持っていたからであり、そして、船を自由に扱うことのできる二人は、共に翼を持つものとして共感できる部分を持つ。ダイスが結婚直前にコナンに自分の不安を打ち明けるのも、それ故だと考えると、興味深い。

 「風の谷のナウシカ」に関しては、後述する。

 「天空の城ラピュタ」での主人公パズーは、炭坑町で働く少年であるが、彼は自家製の飛行機を作り、いつかラピュタへ行くことを夢見ている。パズー自体は超人でも何でもない。しかし、鳥人ではありたいと思っている。この物語の延長上に、炭坑町で働く成長したパズーの姿を想像する人は少ないと思う。この物語は、構造的に、パズーの炭坑町からの脱出劇でもある。

 「となりのトトロ」は、超人とは遠い物語である。作風には好感が持てるし、素晴らしいシーンも多い。また、後の作品に比べれば、演出も抑制が利いていて、バランスがいい。しかし、これは、後の「千と千尋の神隠し」にも言えることであるが、作品自体の構造が弱いように思う。さつきとメイの物語と、トトロの存在が、遊離しているように感じるのである。本来、この作品は、宮崎駿は自分の作風と思想のズレに気づくべき作品であった。しかし、なまじ評価されたため、再検討されぬまま、今日に至る。

 「魔女の宅急便」は、鳥人であるキキを出すことにより、日常性と鳥人との物語としての融合を試みる。しかし、キキの自分探しは、平板な物語しか作れず、本来越えるべき壁を、その鳥人としての能力によって越えるという、感動のないラストを描いてしまう。

 「紅の豚」は、その物語の完成度の低さでは、単に宮崎駿作品というにとどまらず、一般アニメ作品としてもワーストレベルの作品であり、ファシズムを御し易い砂糖菓子のようなものとして描いたという点では、悪しきメッセージ性を持った作品でもあった。鳥人であり超人であるポルコの行動には、作者の描こうとしていた格好良さも美意識も自由さもノスタルジーもなく、全てが裏目に出る。宮崎駿の志向性と作品世界の乖離、混乱が、ここに極まる。

 「もののけ姫」は、惜しい作品であった。宮崎駿の原点回帰であり、超人としての主人公を物語の中に溶け込ませ得るチャンスが随所にあった作品である。しかし、本来、白土三平の「カムイ伝」の中における被差別部落と近似したニュアンスを持つタタラ場の集落においては、公権力との関係、差別、搾取、理想と現実のズレなどを、もっとリアルに描くべきであった。タタラ場が、ある意味、理想的な共同体のように描かれていたため、支える基盤が脆弱になってしまった。故に、森と人との関係も、切迫したものがなくなり、終わり方も中途半端であった。

 「千と千尋の神隠し」は、超人の物語ではない。そして、それ故であろうか、物語の構造の弱さは他に類を見ないもので、部分的なシーンのイメージの豊かさ以外は、感動も何もない作品となってしまった。

 そして、順番が前後してしまうが、「風の谷のナウシカ」に関して、語る。
 アニメ版ではなく、漫画版に関して。
 この作品は、異世界物語として世界屈指のものである。SFとしても、ファンタジーとしても、これだけ豊かで重層的な世界を構築した作品は、数少ない。
 この作品の中で、作者論的に面白いと思うのは、その王族の多さである。異世界ものであれば一般的なことではあるが、主人公も含め、その周囲には、これでもかとばかりに王族、貴種の血が散りばめられる。全体が、王族の物語であり、後に伝説として語られるであろう王の世界再構築の物語でもある。
 高貴な血を持つ者は、ある世界では、王である。
 王は、世界を救うもの、共同体の長として、時に人を従え、時に人を導き、時に危機を叫ぶ。
 共同体のくびきから一人自由で、その存在は、超人であり、鳥人である。
 ナウシカは、鳥の人、鳥人であり、翼を持ち、超人であり、そして、王族の出で、そして物語の終末では、未来の礎としての王族となるであろうことをも、暗示している。
 この漫画は、B5サイズ200ページ弱で7巻という少ないページ数ながら情報量は膨大で、その作品世界も複雑である。本来、宮崎駿の真骨頂は、重層的に世界を構築するところにあり、その点では、ここ十数年の映画はそのほとんどが、映画という短い尺の媒体を選んだその時点で、失敗を決定づけられていたと、私は考える。しかし、本稿ではこれ以上、そのことには触れない。
 ともかくも、漫画「風の谷のナウシカ」は、TVアニメ「未来少年コナン」と並んで、宮崎駿の頂点に位置する作品であり、また、これまで世界で構築された物語の中でも有数の作品である。そう成り得たのは、宮崎駿が、その作家性として持っていた超人への羨望をダイレクトに示せたからであり、また、それを世界へ溶け込ませ得るだけの厚みのある世界構築ができる余地が多かったからである。

 以上、宮崎駿の作品を、その『超人』志向から論じたのであるが、『超人』と、『王』『高貴な血』というものが結びついてくると、いろいろなパーツが結びついてくる。
 つまり、『共同体の中での超人は、王であり、高貴な血であり、世襲する』のである。『超人』は『英雄』でもある。金日成という英雄の血は、金正日に受け継がれなければならないのである。左翼思想は、歪んでしまうと、とんでもないところにつながってしまうわけである。

 さて、最初の問いかけに戻ろう。
「なぜ、宮崎駿は、自分の息子をジブリ美術館の館長にしたのか?」

              (文責とイラスト・向日 葵)



■2003/1/13

キチガイの国


 昨年末の話。

 臨時国会が始まる前日、議事進行係となった小渕元総理の娘自民党衆院議員小渕優子が、先輩議員たちの指導の元、1時間近く、「ぎちょお・・・・」と素っ頓狂な大声を上げて動議を発議する練習風景を見せていた。気違い沙汰だった。

 人は社会的動物であるが、特に日本人は戦前だろうが戦後だろうが、一般的に社会に属すると、その社会への盲目的追随の度合いが激しい国民であるのは、周知の事実である。

 私は、ずっと、自分がキチガイの国にいると思っていた。漠然と思ったのは、小学生の時だったが、さすがに自分がキチガイの国にいるとは思ってもみず、自分の方がおかしいのかとも思っていた。キチガイというのは、何も個々人がキチガイなのではない。個人が集団化した時、気が狂ってしまいやすいということである。自分がどうやらキチガイの国にいるらしいという潜在化していた意識が顕在化したのは随分あとのことで、そう認識したのちは、すべてのことが得心できた。もっと、早くわかっていたら、随分楽だったろうにと思う。

 議員は、個々の人は人格的にも性格的にも立派な人も多くいるに違いない(その割合は平均的な社会より多い可能性は高い。一応、多数の賛同を得たものが代表となるシステムなのだから)。しかし、集団化すると、気違い沙汰を次々に積み重ねる。

 戦前、大日本帝国陸海軍は巨大なキチガイ集団であった。その中での、非人間的な陰湿ないじめと暴力、上官というだけで下級兵士に対して行われたあらゆる蛮行は、集団をキチガイの温床と化した。もちろん軍隊がそうなるのは日本だけに限ったことではないが、あの時代の大日本帝国軍人であった一般兵士の多くの記録を読むと、日本のそれは他の軍隊と比べて、突出している。その異常性が極めて日常的なものであったこと、どれほどキチガイ集団であったのかが、多くの記録において、生々しくそして淡々と語られている。そして、そのキチガイ集団を作戦的に導いた統帥部、陸軍参謀本部と海軍軍令部が、これまたキチガイ集団であったので(それは「失敗の本質」などの本や数々のドキュメンタリーで一般的にも語られていることですが)繰り出す作戦もその多くが狂っていて、その狂った作戦の元で、キチガイ集団とされてしまった兵士達が命を散らせていったのが、先の十五年戦争(満州事変以降の日中戦争及び太平洋戦争)であった。そんな抑圧されたキチガイ集団を、さらに弱いものの中に放り込んだら、一体どんなことが起こるかは、南京大虐殺やその他多くの戦場での日本軍の蛮行を見ても、明かである。もし、そんな集団を野に放ってきちんと秩序が保たれる、南京大虐殺はなかったなんて真面目に信じている人がいたら、その人は、気が狂っているにちがいない。

 多くの宗教者は、個々人には、話していて共感の持てる人、指針をもたらしてくれる人が多い。例えば、仏法の僧侶。おそらく多くの個々人は、信仰厚く、その教えが人々のためになると心底思っている人も多かろう。しかし、そういう個人が、組織の中に入ると、その信仰に対しての考え方は盲従的になり、信仰者として真にどうあるべきかという疑問を持ち、またそのなんらかの自分なりの解決策を講じようという人がほとんどいないように思われる。
 葬式、告別式のあとの戒名のことで苦い思いを体験している人も多い。それに疑問を呈さない大多数の僧侶の存在。また、僧侶が、そのヒエラルキーを昇進していく上での形骸化した儀式の数々。それらに対して、慣習だということで盲従するとしたら、その時点で、もうその人は求道者ではなく、もちろん仏教徒でもない。

 学校はキチガイ集団養成システムである。これは言うまでもない。

 もちろん、システムはシステムの重要性があり、社会が作り上げてきた慣習はその社会が成り立つ上での基盤をなしている。しかし、そのシステムが狂ってきたり、慣習が歪んできたりした時に、その構成員が、自分の意志をきちんと提示することなく盲従していった時、それは狂ったままで暴走する。
 道は人の前にあるのではなく、人の歩いたあとにできる。最初一人の人が歩いているだけの道も、多くの人が歩くことによって一般化する。
 一人一人が、「否や」を言い、疑問を呈す。ノイズを発することにより、それは始まる。

 この文章を読んでくださっている方で、自分がキチガイ集団の中にいるという認識がない方がいるとしたら、それは気づいていないという点で危険なことかもしれない。もしかしたら、集団の中にいる時に、気づかずキチガイになっている可能性がある。

 以上に述べているのは、集団の狂気のことで、個人のことでは決して、ない。

                       (文責 向日 葵)


■2003/12/29
思い

(『NHK小学生ドミノ倒し全国大会』を見た小学生と先生の会話)

・・・・先生(女性)、小学生A、B・・・・


A 「先生、昨日さぁ、NHKで『小学生ドミノ倒し』ってやってたんだけど、あれ、見た?」
先生「いや、見なかった」
B 「うちの学校でも出ようよ」
先生「でも、ドミノの牌がないでしょう」
B 「牌って、何?」
先生「ああ、ドミノの・・・・そう、駒・・・・随分たくさん必要なんじゃないの」
A 「それがさぁ、ドミノ、いらないって」
先生「えっ、なんで?」
A 「ビデオテープ、使ってるから」
先生「でも、たくさんビデオテープ集まるかなぁ。先生んちにも、空いてるテープ、そんなにないよ」
B 「テープはさ、ほら、レンタルの」
先生「レンタルの?借りた奴、使えないでしょ」
B 「レンタル落ちってわかる?」
先生「わからないけど」
A 「ほら、大下通りのところのコンビニのとこにビデオを売ってる店、あるでしょ。あんなとこで売ってるビデオテープって、みんなレンタルでいらなくなった奴。だから、ゴミみたいなものだって。すごく人気ないのって、一本百円ぐらいで売ってるし、もっと安いとこもあるみたい」
B 「テレビで言ってたけど、そういうのをまとめて安く買ってきたり、もらってきたりするんだって。ねぇ、そしたら、たくさんドミノの駒、集まるでしょ」
先生「・・・・」
A 「ねえ、出ようよ、先生」
先生「出るのはいいけど、でも、ドミノの牌・・・・駒は、別なのを探しましょう」
A 「えっ、何で?」
先生「いい・・・・ビデオは単にモノじゃないの。ちゃんと映画とか録画されているの」
B 「でも、ゴミだよ」
先生「ゴミじゃない。もし、それをね、そんな風にドミノの駒に使うんじゃなく、売っていたら、それを見て、感動したり、喜んだり、涙を流したりする人がいるかもしれない。そういうものが入っているものなの」
B 「でも、みんながいらないってことだったから、そんな風に安く売られてるんでしょ。ゴミじゃん」
先生「ほとんどの人がいらないって言ってても、誰か一人の人は、それを宝物のように思っているかもしれないでしょ」
A 「変なの」
先生「変じゃないの。そうね・・・・例えば、本と同じかな。君たちはどうか知らないけど、私は、本は踏めない」
B 「(手に持っていた本を地面に置き、踏みながら)踏めるよ」
先生「(それを制し、本のほこりを払い、Bに手渡す)踏まないようにしてるの。そこにはね、書いた人の『思い』『魂』がこめられてるの。だから、踏めない」
A 「だってさ・・・・本って、たくさん印刷されるんでしょ。コピーじゃん。そんなとこに『魂』なんて入らないでしょ。魂のコピーって、何か、変」
先生「そうね・・・・今は、魂がたくさんコピーされる時代かもしれないけど・・・・でも、やっぱり、そこには何か魂がこもっている・・・・そんな思いは大事にした方がいいんじゃないかと、先生は、思う。映画の『ビデオテープ』なんか、確かにコピーされてたくさんいくらでも作られる物でしょうね。でもね、その中には、やはり、それに関わった人のたくさんの『思い』がこめられているの。それを、ドミノの駒には、やはりしちゃいけないんじゃないかと思う。何で、そんなことみんなしてるんでしょうね」
B 「みんながしてるんだから、いいじゃん」
先生「みんながしてるから、いいの?」
B 「・・・・」
先生「君たちは、これからいろんな人の思いを学んでいく。君たちのまわりにはたくさんの人の思いが集まっていること。込められていることを。だからね・・・・そういうものを大事にすることを、君たちは学んでいかなくちゃならないの。大事にしてね。お願いだから・・・・」
A 「でも、ビデオテープ、使えなかったら、むずかしいよぉ」
先生「それは、一緒にね・・・・考えましょう」



■2003/12/22
変わる世界


世界がもしあなたにとって棲みにくい世界だったとしたら
それは
あなたの心の中に作り出している世界が棲みにくい世界になっているのです
世界はあなたの外にはない
世界はあなたの内にある
デカルトからカント 
ヘーゲルへと連なる哲学の変遷を辿るまでもなく
世界はあなたの認識が変わることにより相転移をするように変化する
心の中だけの世界が変化するのでなく
すべての世界が変化する
なぜなら世界はあなたの内側にしかないから
簡単なことです
意識を変える
意識の持ち方の変化だけで世界が変わらないのであれば
あなたの日々の習慣を変える
あなたという個体が他の個体と触れあっているあり方を変える
簡単なことです
言葉にする必要はない
宣言は必要ない
約束もいらない
外に向かってのそれはすべて必要ない
なぜなら外を変えることができるのはあなたの内なる変化だけなのだから
外を変えようと思うのはあなたが内側に向かって働きかけていないからです
外が変われば自分が変われると思ってしまう
でも実は 
そうやっても外は変わらない
なぜなら世界は内側にしかないのだから
あなたの心の内側にあるもの
それが世界
世界を変えるために唯一できること
自分を変えること
それに気づき
変えるための何かを積み重ねていったとき
世界はいつの間にか変わっている
変わっていることに自分でも気がつかないうちに
今日からできる
今からできる
世界は変わる

                       (文責 向日 葵)



■2003/12/15
架空演説
(小泉純一郎総理大臣が、自衛隊派遣前に
イラクに単身赴き、イラク国民へと演説を)


 イラク国民の皆さん。私は、日本の総理大臣、小泉純一郎です。
 私の国、日本は、今から58年前、米国や英国などの連合国との戦争に負け、ポツダム宣言を無条件で受諾しました。苦渋の選択でした。その頃、私達は、天皇を国家元首とあおいでいました。国のために戦うということは、天皇を中心とする国体を守るために戦うということでした。連合国の突きつけたポツダム宣言を受諾するということは、その国体を維持できなくなるということにつながることであったのです。しかし、最後に天皇陛下のご聖断をあおぎ、我々は、ポツダム宣言受諾を連合国に打電しました。
 日本は、どのような状況であったか、皆さんご存じでしょうか?(スライド映写・空襲後の東京、大阪、広島、長崎など)これが、今から58年前の日本の首都、東京です。そして、こちらが大阪。そして、こちらが広島、長崎です。この二つの都市には、人類史上唯一、原子爆弾が、人の住む都市に対して使われました。戦後、米国を中心とする連合国軍総司令部が日本に置かれました。日本は連合国の占領下に置かれたのです。(スライド映写・戦後の人々)これが戦後の日本の風景です。私達は、食べるものがなにもありませんでした。農村では多くの人が軍隊に取られていました。国のすべての生産力を戦争遂行のために費やしていたため、農村は疲弊してしまっていたのです。たくさんの孤児達が、飢餓のために死んでいきました。
 米国が、東京を始め、多くの都市を焼け野原にした。その恨み、憎しみ、傷みは一生、人々の心から消えることはないでしょう。何世代にも渡って。それは、私達が、朝鮮半島や中国やアジアの多くの人々に対して行った残虐な行為に対して、その恨みがずっと残り続けるであろうことと同様にです。私達は、かつての戦争中、多くのアジアや世界の諸国の人々に対して、人道上、行ってはならないことを行ってきました。そのことを、この場で、全世界の人々に向かって、改めて深く謝罪したいと思います。
 そう・・・私達は米国を中心とする連合国と戦い、そして敗れ、その占領下に置かれました。しかし、同時に、私達の未来には、希望も生まれたのです。私達は、その時、本当の意味での自由、平等を手に入れたのです。戦前は信教の自由はありませんでした。戦争中、日本では、他の宗教と同じく、多くのイスラム教徒の人々が迫害を受けました。しかし、戦後、日本人は、信教の自由、言論の自由、思想の自由など多くの自由を手にしました。そして、何より、私達は、人を殺すこと、戦争へとつながる全ての軍事力を放棄し、平和のためのみに生きることができるようになったのです。今、私達の国には、軍隊があります。しかし、これは、自衛隊(Japan Self-Defense Forces)という名前でもわかりますように、それは、決して他国への侵略をしない軍隊であります。自国が危機になった時のみに働く軍隊、それが自衛隊なのです。しかし、それさえも、私達の国では、存在自体が常に論議の的になります。それは、なぜか?そう・・・私達は、過去の悲惨な戦争を体験し、もう二度とそのようなことは起こしてはならない、他の国を攻めることも攻められることも体験したくないと、心の底から実感したのです。私達の国の憲法の第9条には、こうあります。『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』私達の国は、他の国を侵略する行為としての戦争を完全に放棄しました。そして、その代わりに、国日を豊かにすることへと、すべての努力を費やしたのです。
 もう一度、見てもらいましょう。(スライド映写)これが、58年前の日本です。そして、こちらが現在の日本です。そして、こちらを見ていただけますか?これが、戦争が終わって15年後の日本です。この短い年月で、日本はここまで回復し、そして今の繁栄を迎えることができました。私達日本人は、米国の占領下で、一人一人が、新たな道を歩み出しました。国土が荒廃し焼け野原となり飢えに苦しむ状態の中、でも、私達日本国民は、未来へと希望を持ち、一人一人が歯を食いしばって努力をし、自分たちよりも自分たちの子孫のため、子供や孫の世代のために、豊かな国を残そうと頑張ったのです。
 フセイン元大統領は捕らえられました。今、イラクは、米国を中心とする連合国の占領下にあります。しかし、私は、かつて同じような体験をした日本の総理大臣としてあなた方に伝えたい。フセイン大統領による圧制は終わりました。あなた方は、今、本当の意味での自由を手にしたのです。30年の圧制は、イラク国民の皆さんの中に、富むもの貧しいもの、奪うもの奪われるものの格差を生みだして来たかもしれません。しかし、今こそ、イラクの皆さん、あなた方には、自分たちの手でイラクの国を再建するための努力をしていただきたいのです。フセイン政権の圧制の下で憎みあっていた隣人とも、今は、手を取り合って・・・私達は、あなた方が国を再建するためのお手伝いをして、そしてこの国を去ります。それまで、共に手を携えて戦っていきましょう。人々が自由にモノを言えない国家に君臨する独裁者を生まない、自由で、平等で、そして豊かな国とするために・・・。
 日本国が、そのために何をすればいいのか、私は日本の代表として、あなた方にそれを改めてお聞きしたい。そして、私達はそのあなた方の声に対して、できる限り答えるように努力する。イラクの国が、真に子供たちの希望の声に満ちた国となるよう一緒に頑張っていきたい。日本国民みんなが、そう、思っています。それを、最後にお伝えして、私の挨拶を終えようと思います。ご静聴、ありがとうございました。


                        (文責 向日 葵)


■2003年12月14
NHK大河ドラマの真実(笑)


その日、若手の脚本家Mは、NHK編成局長の元に呼ばれた。
彼は、来々期の大河ドラマの脚本家に選ばれたのだった。
まだ、そんなに実績のない彼であったが、大いに意気込み、企画案などをまとめ、NHKの方に提出していた。
そして今回は、その企画書を元にしての打ち合わせがあるということになっていた。

Mは、局長室のドアをノックした。
大河ドラマの草創期から関わり、実質的に大河ドラマの最終方針を決めると言われる男、Kがそこにはいた。
応接椅子に座り、Mを待っていた。
簡単な挨拶のあと、MはKの前に座った。
局との打ち合わせなど、何十回も重ねてきたMであったが、さすがに今回は、少し緊張していた。

K「おめでとう。NHK大河ドラマの脚本を手掛けると言うことは、君も一流の脚本家の仲間入りというわけだ。まずはおめでとうと言わせてもらうよ」
M「ありがとうございます」
K「もう、プロットとか書き始めているのかね?」
M「はい」
K「どのようなものになりそうかね。企画書を元に書いた君の意見書は読ませてもらったが・・・・」
M「はい。提出しました書面でも私が書いておりましたように、これまでも大河ドラマでは戦場の残酷さ、死の恐怖、非情さというものがあまり描かれていなかったように思うのです・・・・あっ、失礼ながら・・・・」
K「いいよ。私もその通りだと思う」
M「それで、今回はまた、信長が主人公と言うことですので、その残酷なまでの性格の偏狭さ。そして、戦国という時代のリアルさを描ければと思うのですが・・・・」
K「・・・・」
M「・・・・いかがでしょうか?」
K「君の意図はよくわかる。私も確かに大河ドラマがマンネリになってきているというのは感じている。だから、思う存分、面白い斬新なドラマを書いて欲しい。・・・・ただ、一つだけ、心に留めておいて欲しいことがあるんだ。これは、極秘事項として君の胸の内にだけ止めておいてもらいたいんだが・・・・」
M「極秘事項?」
K「何をどのように書いてもいい。場合によってはどこぞの映画や何やらから盗作をしてもいい。ただ、これだけは大事なこと。よく肝に銘じておきたまえ。・・・・主人公は『平和主義者』なのだ」
M「平和主義者?」
K「そう・・・・平和主義者だ」
M「あっ、あの・・・・それはどういうことでしょうか?」
K「主人公はあくまでも平和を目指すんだ。いくさは悪いこと。人を殺すのは悪いことだ。まわりはさておき、主人公は平和な世の中という理想を目指している。そのように描く。これは、長年、大河ドラマに極秘事項として伝わる縛り、枷、なのだ」
M「えっ、あの、しかし今回は信長が・・・・あの信長が主人公なのですが」
K「彼は、天下布武という理想を描いていた。史実にもあるとおりだ。彼は一刻も早く天下を統一して全ての民がいくさのない平和な世を迎えられるよう、そう思ってあえて、残酷な戦いも行ってきたわけだ」
M「あの・・・・しかし、彼の言動や行動を見ていますと、到底そのような・・・・それにそもそもあの頃の武将たちがそのような平和な世という理想を描いていたとは歴史的なメンタリティとして思えないのですが・・・・そもそもそのような発想がないでしょうし・・・・むしろ、自分や領民などを守り本領を安堵するということが精一杯で」
K「そこだよ。そこ。その民を守りたいという気持ちが拡大して天下統一への原動力となったわけだね。世の中を平和にする。信長は志半ばに倒れたが、その志は、秀吉が継いでくれた」
M「しかし、その秀吉は、朝鮮半島に対して、しなくてもいいいくさを仕掛けに行くわけですよ」
K「それは、世界の恒久的な平和のためだ」
M「朝鮮の人が聞いたらまじで怒りますよ」
K「あるいは秀吉は平和を願っていたが、石田三成などの側近たちが秀吉に黙って無理矢理に起こしたのだろうな」
M「三成が主人公でドラマを作った時はどうするんです?」
K「もちろん、秀吉が朝鮮へと出兵するのを必死に止めるという三成を描かなければいけない」
M「そんな無茶な」
K「ええい・・・・そんなことは、どうでもいいんだ。とにかく、主人公は戦争はいけないという高い理想を持った平和主義者。わかったな」
M「ひょっとして、今、やっている『武蔵』も、まさかそんな展開になるんじゃないでしょうね」
K「もちろんそうだとも。戦うことのむなしさを悟った武蔵は、そのあと、書画などの文化の面、美しいものに惹かれていく。巌流島の戦いの後にな」
M「でも、のちに晩年近く、武蔵は島原の乱にも参戦していますよ」
K「それは、一族子孫の行く末の安泰のために、心ならずもいやいや参戦するわけだよ」
M「そんなバカな。・・・・あっ!それで、ここのとこ大河ドラマが無茶苦茶な展開してたんですか?文化を後世に残すためと言って平泉を無血開城する藤原泰衛とか、モンゴル兵が嵐にあったら助ける元寇の時の鎌倉武士たちとか」
K「無茶苦茶とは何だ。無茶苦茶とは。えーい、君はもう首だ。今度の大河ドラマの脚本は降りてもらう。二度と天下のNHKでは仕事ができないからそう思え!」
M「わかりました。そんなもの、こちらから降ろさせてもらいます。ところで、最後にお聞きしたいんですが、あなたはばりばりの平和主義者。あるいは左翼主義者で、その理想からこのような方針を押し進めているのですか?」
K「平和主義?左翼?ははははは・・・・バカな。私はばりばりの国粋主義者で、軍を増強し一刻も早く米英や支那に対抗できるだけの自前の軍隊を持つべきだと思っているよ。もちろん米帝の作った国辱的な自虐的憲法も改正してね」
M「それじゃあ、なぜ・・・・」
K「なぜって、君も物書きのくせに頭がまわらんなぁ。わからんかね?・・・・平和主義ってものがどんなに絵空事か、国民ドラマの大河ドラマを見ていて、よーくわかるだろう。現実と遊離するほどね。それが、私の狙いなのだよ。そしてそれは、やっとここのところ、実を結んできたがね。もう今や、国民は平和主義がいかに空論かよくわかってきている。そのような流れを産み出す一翼を担えたのは、マスメディアに携わる人間として、私は、うれしい限りだよ」

M「・・・・」

それから30年・・・・MにはNHKからの仕事の依頼は一度もなかった。


                          (文責 向日 葵)


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