笹の葉   pulittu  2月  top old 笹の葉













2月19日 日曜日


再びの名残り雪と思ひけり       高木晴子



名残り雪とは、その年の最後に降る雪をいう。
それが再びということで、再会の驚きと喜びを詠っている。
最後のお別れをしてもうこれっきりと思っていたのに、どうしたことか。
長い人生のなかで一度ぐらいはこうした事態に遭遇するものだ。
しかしながら、今度こそほんとうの名残り雪となり、いっそう切なさがつのる。























2月18日 土曜日


半眼に見すかす春のまだ寒き       中川宋淵



半眼に見るというのは、寒さに身が震えるためまぶたをぎゅっと閉じるところを、
全部閉じきるということはなく、春の兆しを感じて少し開けていられる状態である。
まぶたの開き具合に焦点を当て、冬と春の寒暖を示唆するとは面白い発想だ。
立春ののちは、冬のまっただ中に春をひとつずつ見つけていく楽しみがある。
春の息吹を敏感に察知する習性によって繊細な日本人の感性が培われてきた。

























2月17日 金曜日


いつの世の修羅とも知れず春霙       佐藤鬼房



春になると良くも悪くもすべてが目覚め、うごめいてくる。
賢治の春と修羅の組み合わせのように春の気配に焦点をあてている。
そこで、なぜ霙なのかという問いが頭をもたげてくる。
雪や霰や雹のような結晶ではなく、溶けかかっているというところがミソだろう。
雨のようでもなく雪のようでもない。得体のつかめない流動体である。
























2月16日 木曜日


樫の葉に神が配りし春の雪       高井北杜



葉にふわりと雪が舞い降りてきた。なんと神々しいのであろう。
神が宿ったような樫の木の姿である。
触れるとすべてが金に変わるという童話のように神の采配は神聖である。
なぜを追求すると、神秘としか言いようのない神の存在に行き着く。
冬を象徴する雪が春に降るとは、神の祝福であるにちがいない。
























2月15日 水曜日


菜の花に色うしなひし仏哉       鳳朗



ちらほら咲きはじめていた菜の花が、このところの陽気で咲き誇ってきたので、
華やかな菜の花に埋もれるように地蔵さまがかすんでしまった。
存在感を失われても地蔵さまは平気で、かえってそれを喜んでいるかのようだ。
仏さまの柔和な顔が、菜の花の咲く景色にとけこみ、のどかな田園を演出している。
























2月14日 火曜日


春めくやつりあげられて溝越す児       西垣 脩



幼子にはまだ跳躍するだけの筋力が備わっていないから、
小さな溝なのだけれど飛び越えられそうにない。
そこで両手で脇の下を抱え、ゆっくり溝を飛び越えさせる。
それほど特別なことでもないささいな日常の出来事なのだけれど、
何をするにも初めての経験となる幼子にとっては、
上空を移動しながら覗く溝は、川ほどにも大きく感じられる。
めざましく成長する生き物たちのように幼児も日に日に活動的になる。






















2月13日 月曜日


春雨や土あらはれし北の山       蘭更



いままで雪で覆われていた山が、春雨に溶けて土があらわれた。
雪解けの喜びが、土の発見によって導かれている。
大地を覆う雪によって、土のなかの微生物は豊かに滋養を育み、
生長のエネルギーを貯めている。いよいよそのときがきたようだ。
土のなかの生き物たちがうごめきはじめ、土から顔を出そうとしている。



























2月12日 日曜日


しら梅に明る夜ばかりとなりにけり       蕪村



夜が明けたら、梅のことばかりが気になってくるという春の情緒を詠んでいる。
寒さの中に少しずつ紛れ込んでくる春の気配を敏感に察知する。
それを楽しみながら愛でる日本人の繊細な感受性が、いかんなく発揮されている。
日本人ならではの花鳥風月の興趣は、このころからはっきり意識され培われてきた。
蕪村の美意識が現代人にもよく理解される由縁である。
























2月11日 土曜日(建国記念の日)


大風やはふれん草が落ちてゐる      千葉皓史



キャベツや白菜だったら落としたままにはしない。
ほうれん草の外葉が風にあおられて、籠から落ちてしまったのだろう。
拾いきれなかったほうれん草がそのままになってしまった。
おりしも強い風が吹き荒れている。唐突に落ちているほうれん草から、
苦い思いをしただろう農民の姿に思いを馳せている。
























2月10日 金曜日


鳥影の重なりあつて春の色      永 六輔



春は名のみといわれるけれど、光だけはまごうことなき春である。
ふりそそぐ光の強さに、心の奥から歓迎の情感があふれだす。
これまでとはちがう光線が、しばらく眠っていた動物的本能を刺激するのである。
光は色の個性を強くする。
影が濃くなり、春の訪れに睦みあう鳥影が重なり合う。
活発に動く鳥の情感が漂い、とりまく景色が春めいてくる。





















2月9日 木曜日


吹き返す開墾の畑種選び       pulittu



寒さも必要で、寒さの積算時間量が睡眠を打破してくれる。
うっすらかかる霜が溶け、それが適度な水分となり、種をふやかし芽生えを促す。
梅が一輪咲きはじめるころ、大地に託す種をまく。
今年はどんな種をまこうか。送られてくる雑誌をめくりながら夢をみる。
命を宿す種の驚異的なエネルギーに火をつける神聖な試みである。

























2月8日 水曜日


寒明けの魚籠に命のきらめけり       佐藤瑛子



やっと寒が明け、生き物たちが目覚め、活動をはじめる。
それまで川底にじっと冬を耐えていた魚たちも、きらめく空の光に驚く。
躍動する水の流れにそそのかされて、体が勝手に動きだす。
待ち望んでいた春が来た喜びに泳ぎ回っていると、うっかり魚籠にかかってしまった。
突然に襲う恐怖に驚天動地の叫びをあげる。
























2月7日 火曜日


作らねど句は妻もすきほうれん草       富安風生



句は17文字しかないため、文法的に正しく修飾する単語は決まっているが、
それを超越して、単語同士が響きあうという性質を帯びる。
実質は独奏であるけれども、いつのまにかちがう音色のひびく協奏となる。
それが言葉のマジックであり、詩情の在り処である。






















2月6日 月曜日


庭木々の泥洗ひけり冴え返る       大須賀乙字



冴え返るのは、寒さであり、春の気配である。
春の凡庸とした生ぬるさがきりりと引き締まり、春のエキスが絞りだされる。
隠れた春の尻尾である。
庭木の幹を洗えば、ひっそり耐えてきた細胞がみるみる目覚め息を吹き返す。
雪がもたらした粉塵が洗い流されて、瑞々しい幹が姿をあらわす。
























2月5日 日曜日


鷹の巣のひとり高しや芽立ち前       石田波郷



鳥たちは季節の訪れに敏感に反応する。
科学ではまだ解明されていないが、星の位置や光の量で春を感知しているらしい。
体内時計が紛れもなく春を感知して、せっせと巣作りをはじめる。
植物が目覚める前である。それに気づかされた。
どうやら春を感じるのが一番遅いのは、人間のようである。























2月4日 土曜日(立春)


立春の色も五しきのはじめ哉         如水



寒さの極地である立春は、天文学的に区別される重要な分かれ目である。
険しい寒さの天辺であるけれども、昨日とは違う今日の明確な分岐点である。
それどころか、古きにさかのぼれば、
日出づる国の大和民族は、この日を起点として1年をはじめた重要な日である。
生気みなぎる神聖な立春の気分がよく表されている。


























2月3日 金曜日(節分)


福を呼ぶ海鮮ざっくり恵方巻       pulittu



節分に恵方巻がすっかり定着した。
年々豪華になって1本1000円となり、庶民にはなかなか手が出ない。
ならば自分で作ってみようという消費者の心理の先を読み、
寿司ネタをセットにしてあとは巻くだけというのまで売り出される。
安ければいいが、このときとばかりに数字は跳ね上がる。


























2月2日 木曜日


日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに       廣瀬直人



日脚が伸びるとその分お日様が当たる時間が長くなって活動的になる。
畳一目分ずつのわずかな変化でも、積み重なれば大きくちがってくる。
からだの筋肉が衰え、バランス感覚が鈍くなってきた母のことが気がかりである。
春の気分に気持ちはついていっても、からだのほうはついていかない。
そのちょっとしたタイミングのずれに躓き、あっけなく転んでしまう。
転べば、骨が脆くなっているので簡単に折れてしまう。
躓かせないようにやさしく手や言葉を添える。

























2月1日 水曜日


たましひの繭となるまで吹雪けり       斎藤 玄



吹雪の中を走ると、雪が車に向かってスクランブルに立ち向かってくる。
風洞の中を雪がくるくると舞い、取り囲むように降りつづき、
激しくなるにしたがって視界が閉じられ狭くなってくる。
みるみる雪の中に閉じ込められて、ついに立ち往生する。
車のなかに閉じ込められてしまった人々は、繭のなかで過ごすことになる。