笹の葉   pulittu  1月  top new 笹の葉 old 笹の葉













1月31日 火曜日


寒肥や戦中戦後を生きし母       大橋愛子



もっとも厳しい寒中に、肥料を撒く。ほんのわずかでもその効果は大きい。
肥料をまくと、土の中の微生物が活性化して肥料を分解し、
植物が根から栄養として吸収しやすいようなかたちにする。
木の芽が動きだすころにその栄養を糧に力強くいのちを吹き返す。
戦争を耐えた母の逞しさは、戦後のめざましい復興の原動力になっていた。


























1月30日 月曜日


をとめいまたべし蜜柑の香をまとひ       日野草城



蜜柑の香りは強烈である。ひと皮剥けば、部屋中にひろがる。
皮から弾け飛ぶ揮発成分が、またたくまに爪先をはじめとして衣類にまとわり着く。
目には見えない香り成分を、透明な薄いベールとして可視化する。
蜜柑を食べたばかりの乙女のまわりに、ふんわりとした絹のような空気が漂っている。
甘く溌剌とした清涼感と蜜柑の香りがよく調和している。
























1月29日 日曜日


寒月に洗あげたる根深哉         冬文



寒々とした光景である。皓々と照る月の下、冷たい水で根深を洗う。
しかし、寒さを乗り越え至福の境地に辿り着いている。
冬野菜は、凍みるほどの寒さに甘くなる。
糖分を作ることによって水分濃度を高め、凍結するのを防いでいるのだ。
自らを根深に同化させ、寒月に照らしだされた葱に円熟の極みを見ている。























1月28日 土曜日


シャガールの青に逢ひけり雪降る夜       千田佳代



夢のような現実を見ている。
恋人たちはうきうきわくわくして心が躍り、躍動感に満ち浮遊する。
人生でもっとも輝き、暗闇さえも青くほのかに明るくみえる。
そのなかで、この世を祝福するように光を集め雪が舞っている。























1月27日 金曜日


風花やあまくなりたるボタン穴       丹羽玄子



あまくなるというのは、ゆるくなるという意味である。
ゆるくなったコートのボタン穴の隙間から北風が入り込む。
寒さに身を縮めていると、風花が風に吹かれて天から舞い降りてくる。
その舞姿にうっとりみていると、寒さには不感応になり、あまやかな気分になる。

























1月26日 木曜日


一汁と一菜と寒卵かな       清水基吉



今の人が読めば、もっと栄養を摂らないとと思うのではないか。
貧しい時代を象徴しているような食卓風景である。
当時としては、これでじゅうぶん満ち足りているという認識である。
よく噛み、感謝して食べれば、腹八分に足りない部分を補充してくれる。





















1月25日 水曜日


寒林の出口と見ればひかりけり       佐藤麻績



真っ暗闇にトンネルの出口を見いだしたときのような喜びである。
ところどころにこぼれる光ではなく、出口と認識したときの光であり、
寒林からようやく抜け出られる希望の在り処は、明るく眩しい。
嬉しいから笑うのではなく、笑うから嬉しくなるという逆説的な指摘である。




















1月24日 火曜日


あたたかき雪がふるふる兎の目       上田五千石



兎の目には雪があたたかくみえるという発想は、赤い目からであろう。
白い雪が、あたたかい炎を連想させる。
確かにあたたかい毛に覆われた兎にとっては、雪の寒さとは無縁であろう。
あたたかき雪という奇抜な上五が新鮮である。






















1月23日 月曜日


今思へば雪に二度咲梢哉        西鶴



頓知を利かせている。降り積もった雪を花に見立てた。
言われてみればああなるほどと納得する。
そのちょっとした見方の違いが、大きく世界を変えてみせる。
ひとつが万事を表していて、西鶴の生きている現実は面白おかしく愉快だった。























1月22日 日曜日


大寒や転びて諸手つく悲しさ        西東三鬼



下五に破綻があり、やりきれない悲しさが波紋のように胸にひろがる。
思わぬところで自分の弱さが露見して、こんなはずじゃなかったと苦々しい思いである。
大寒だからということで心身ともに気をつけていたのにこのざまである。
自分を叱咤し奮起する気にもなれず、情けなさに意気消沈している。






















1月21日 土曜日


聞くたびに積雪量が増えてゆく        pulittu



遠方に行く予定があり、雪の降りようが気になっている。
夜明け前には数cmだったので、昼には消えるだろうと楽観していたら、
テレビのニュースは、降りしきる画像を映し出し、大雪警報を発信している。
明後日まで降りつづき、70cmほどまで積もるという。
車を出すつもりでいたが、積雪量から判断すると電車を利用したほうが良さそうだ。

























1月20日 金曜日


大寒の石ともならず生きてをる        岡村夕虹



短い言葉で言いたいことを伝えるために象徴する。
石になるとは、死んで墓石になることを表している。
死がもっとも近づく大寒にこそ、生きる実感が力強く湧いてくる。
この寒さを乗り切ろうとしている今ここに生きる喜びの発露がある。























1月19日 木曜日


枯園に何か心を置きに来し        中村汀女



心を置きに来たというのは、心を落ち着かせに来たということである。
なんだかわけがわからないけれど来てしまったという。
自分でははっきりとこれといってさし示すことはできないけれど何かのせいである。
作者は無自覚の行動を自覚するのであるが、
ほんらい人間の行動はすべてが理屈どおりではない。
そのあたりを解き明かそうとするところが詩人の研ぎ澄まされた感性である。





















1月18日 水曜日


寒の百合硝子を声の出でゆかぬ        野澤節子



寒に百合が咲くだろうか、という疑問がまず湧く。
その疑問に支えられて、中七下五へとつづく。
寒に百合が咲いているから、思わずあっと驚きの声が漏れたのである。
百合に向かって発せられた声が、硝子によってすぐに跳ね返って自らの耳に届く。
ぷりぴりと張り詰めた澄んだ空気に、研ぎ澄まされた感覚が鋭く反応した。





























1月17日 火曜日


さんざんな目にあってをる冬田かな        管家瑞正



田んぼが生きいきと息づくのは田んぼの主がお目見えになるころだろう。
それまで田んぼは、主がいない廃屋のような状態になる。
だれもいないことをいいことに、知らない輩が勝手に入り込みやりたい放題をやらかしている。
それを田んぼの側に味方する視点から詠み、斬新な発見がある。
好ましからざる状況を格を落とさずに表現されており、俳句らしさが息づいている。
























1月16日 月曜日


井戸にさへ錠のかかりし寒さ哉        一茶



一茶の人格を彷彿とさせる一句である。
井戸にまで錠をかけるとは、なんと情けない世の中になってしまったものかと嘆く。
寒いときには心だけでも温かくなるように冬至祭やクリスマスや年末年始や節分がある。
その視点があるから、井戸の錠に冷え冷えとした感情を抱くのである。
心やさしい人情家の一茶に引っかかった棘に刺さったような痛みが感じられる。





















1月15日 日曜日


二三日よく晴れて山眠りけり        細川加賀



言葉には、目に力があるようにそれぞれの際立った力がある。
それは、ある状況におかれたときにめざましく発揮する。
俳句の状況設定がよいと、読み手にしっかり伝わるのはそのせいである。
ほどよい暖かさに気持ちが安らぐと眠りにつく。
山の気分と作者の気分が調和して、穏やかな雰囲気と抒情を醸しだしている。
























1月14日 土曜日


ぴしぴしと星生れつづく毛帽子かな        岡本 眸


生(あ)れつづく星の擬態語が、ぴしぴしとあり、冬の寒さとよく呼応して、
防寒の帽子が句の最後として気持ちよく納まる。
冬の夜空に輝く星の誕生に思いを馳せ、その美しさと神秘に恍惚としている。
そうしたなかで、自らの生まれに思いをいたし、生きている実感として帽子のぬくもりを感じる。
俳句の詠み方として素直であり、模範的である。























1月13日 金曜日


情報を駆使するために初仕事        pulittu



あらゆる情報を手に入れて、その情報のどれが正しいかを判断する。
偏った情報だけではバランス感覚が培われない。
ディベートという思考方法があるが、日本人はこれまでそれを学んでこなかったが、
私の場合幸か不幸か、あらゆる事象に疑問を抱く性癖と古今東西の読書のおかげで、
これまで痛い目に遭いながらもそれらの習慣によっていつのまにか結果的に培われてきている。
常識を疑うということをしないし、なぜという問いを発しないことが、私にはずっと不思議だった。

























1月12日 木曜日


天皇に始まる系図冬木の芽        小川杜子




日本が世界に誇れるのは、有史以来つづく天皇の存在である。
天皇は国民の象徴として、いついかなるときも国民の幸せを願ってきた。
植物が地球の歴史を創ってきたように、天皇は日本人のアイデンティティーを担っている。
日本の根幹を成す天皇は、日本人の精神をたおやかに支えている。


























1月11日 水曜日


柚子ポンに肉の良し悪しほうれん草        pulittu



しゃぶしゃぶをポン酢につけて食す。
ポン酢はさっぱりとしているので素材の旨みが生きる。
年末年始は高級牛肉がずらりと棚に並ぶ。庶民はなかなか手が出ない。
おもてなしには向かないが、家庭用なら切り落としでじゅうぶんである。
目玉が飛び出るような上等な肉が安く手に入れられる。しめしめ。
寒さに甘みの乗ったほうれん草がこれまたぴったり、食が進む。























1月10日 火曜日


大書庫のゲーテ万葉冬眠す        稲田歌子



冬眠するものといったら生き物と即座に考えるところを
もう誰も読まないような古い書籍を挙げたところが面白い。
冬といわずいまやいったい誰が紐解くだろうか。
大きな書庫の奥深く、しんと静まり返ったところで寝息をたてている。
かろうじてまだ死んでいないところがブラックユーモアである。


























1月9日 月曜日(成人の日)


待針は花の如しや春着縫ふ        多田菜花



冬籠もりしている間、春になってから着る服を縫う。
布を選び、型紙から布を切り、縫い合わせて服を作る作業は心が躍る。
自分の気にいった布で思い通りのスタイルが出来上がる。
手作りの服は、愛着が湧く。丁寧に待針を置き、ひと針づつ丹精を込める。























1月8日 日曜日


毛糸編む妻のかなしみ知れど触れず        成瀬櫻桃子



この句を読んでそうだったのかと気づいたことがある。
編むという単純作業をよく飽きずにつづけられるものだと常々感心していたのだが、
悲しみから逃れるためには編むという作業がもってこいなのだ。
それほど頭を使うというほどでもなく、といってほどほどには集中力が要求される。
編むという作業に没頭している間は悲しみを忘れられる。
だからこそ、悲しみに触れないでそっとしておこうと思うのである。






















1月7日 土曜日


足袋底のうすき汚れや松の内        三橋鷹女



着物姿を見かけることがめっきり減った。
鷹女の時代はまだ、正月には晴れ着を着て1日を過ごしていたのだろう。
真っ白な足袋の裏底が、薄く汚れているというのである。
どんなにしっかり掃除をしたつもりでも、廊下や畳を歩くことによって足袋が汚れる。
真新しい下ろしたてであればあるほど少しの汚れが目立ってしまうものである。





















1月6日 金曜日


ははそはの母にすすむる寝正月        高野素十



寝正月とは、早起きをするということもなく、
また年始や初詣にも行かず家に籠もって正月を過ごすことをいう。
年老いた母に、この寒いなか無理をしないようにという心遣いである。
年が改まり、何かをしなければならないと心が急くものであるが、
それをやんわりと戒め、今までと変わらずのんびり過ごすように勧める。

























1月5日 木曜日


初電話いたはり合ひておない年        今井つる女



年賀状が届き、懐かしさにふと声が聞きたくなったのであろう。
思い立って電話をしてみると、お互いに年齢を重ね、
元気にしているかどうかという話題から会話が始まるものである。
同級生ということもあって同じようなところが弱っており、話が弾む。






















1月4日 水曜日


雀らに四日の布団干しにけり        吉田鴻司



日本人には恥の概念があり、それが行動規範を緩いながらも縛っている。
庶民の暮らしに幸せな恵みをもたらす布団を干すという行為が、
ハレの日には憚られる。
しかし、四日めになると、そろそろもういいではないかという気持ちにさせる。
雀たちがこぞって日なたぼこをしているところへ布団をひろげ、
正月三日が過ぎてふつうの暮らしがもどってきたことを示している。






















1月3日 火曜日


古家に雑巾かけつ松の春        存義



暮れに隅々まできれいに大掃除したその清潔感を維持しようとする気持ちである。
毎日掃除すれば、年の暮れに大掃除をすることもなくきれいなはずだが、
それもせいぜい松の内の手の空いている間のことである。
いつもの生活が戻ってくれば、そうとわかっていても疎かになっていく。






















1月2日 月曜日


ありありと硝子の指紋初むかし        林 翔



新年を迎え、未来に意識が向かっているなかで、ふと去年のことが脳裡をよぎる。
心に引っかかる古傷のように甘酸っぱい感覚が胸にひろがる。
裏があるから表が引き立つように複雑な起伏が表面に影を落とし生きてくる。
ぴかぴかに磨いたつもりでもどこかに汚れが残り、そういう自己を丸ごと呑み込む。
生々しい指紋は、ほかのだれでもない世界にひとりだけの自己認証である。


























1月1日 日曜日


年あけぬネオンサインのなきがらに        篠原鳳作



年が明け、新しい年を迎えた清々しさで胸がいっぱいである。
良いことも悪いこともひっくるめて過ぎ去った年のことは潔く忘れ、
新しい気持ちではじめからやり直すことを誓っている。
ネオンから華々しい1年であったことがうかがえる。
しかし、驕らず、初心にかえり、待ち受ける荒波に立ち向かおうと思いを新たにする。