「」で引用されているのは実際の映画の脚本、および字幕、および吹き替え版の台詞であり、()内は英字脚本を基本的に直訳したものです。強調部分は特に注目すべきと思われる箇所です。
「脚本を訳する段階で問題がある」という基本スタンスを明確にするため、原作に話が及ぶ場合は注をつけ、項目外に書く方法をとりました。
文章は随時改稿しています。

文責ar:argil@sings.jp


■作品を誤解させる致命的誤訳

この「The Lord of the Rings: The Fellowship Of The Ring」という映画は、独自言語まで作り出したほどの、広大な原作背景を秘めています。それを監督ピーター・ジャクソンは三時間という尺に押し込めるため、大胆な台詞の刈り込み、物語別箇所からの台詞の借用などを行い脚本を制作しました。結果として、それはしばしば重要な情報をたった一文に押し込めたり、またいくつもの台詞が場面を変えて複雑に絡み合う原因となったのです。

以上のような理由から、この物語の翻訳は原作をすでに読んだ人間がなお注意深くあたるべきであったと思われます。しかし字幕を制作した戸田奈津子氏は原作を読むこともなく、通り一遍ラッシュを見、そこで自分が得られた表層的な情報で字幕を作成し、結果としてこのように多くの論議をかもす訳を付けることとなりました。

誤訳と考えられる部分は数多くありますが、以下では特に実脚本(注)をねじまげ、作品制作側が予期もしていない結果に導いていると思われる、ストーリーに直接関連する重要な誤訳箇所を提示・解説します。

なお、『』「」で引用されているのは実際の映画の脚本、および字幕、および吹き替え版の台詞であり、()内は英字脚本を基本的に直訳したものです。『』で強調したのは特に注目すべきと思われる箇所です。


注:ねじまげられているのは脚本であって、原作ではありません。そのため、話が原作にまで及ぶ場合は注をつけ、項目外に書く方法をとりました。


1. エルロンドの御前会議

まずこのボロミアの台詞に注目してください。
ここは膨大な原作背景を持つアラゴルンとボロミア、すなわち野に下っているゴンドール王の子孫と、王位が空位の間ゴンドールを護り続けてきた執政家の長男という、ふたりの位置関係を現す重要な台詞です。

指輪を前にしたボロミアが、『Long has my father, the Steward of Gondor, has kept the forces of Mordor at bay.』(ゴンドールの執政である我が父は、長きに渡りモルドールの軍を寄せつけなかった)と、自らが冒頭で描かれたゴンドール王国の執政の息子であり、国を代表している立場を表現します。
ところが、字幕は『ゴンドールの執政だった俺の父は』と表示されました。この文章において、「my father」とカンマで区切られた「the Steward of Gondor」は後者が前者に説明を加える[同格]の形です。普通に訳せば(ゴンドールの執政である私の父)です。また事実執政デネソール侯は存命で、二部のキャストとして公式サイトにも写真が出ているにも関わらず、この字幕により[あれ。ボロミアの父はすでに亡いのか?]と勘違いをした観客は多いようです。(注1)


さらに「The one ring answers to Sauron alone.」(一つの指輪はサウロンにしか応じない)と言葉をはさむアラゴルンに、ボロミアは「And would a ranger know of this matter?」(それでレンジャーがこの事について何を知っておられるのか?)とくってかかります。するとエルフの王子であるレゴラスが立ち上がり、「This is no mere ranger.This is Aragorn, son of Arathorn. You owe him your allegiance.」(ただのレンジャーではない。彼はアラソルンの息子アラゴルンだ。あなたは彼に臣従の義務を負っている)と宣言します。ボロミアは「This is Isildur's heir?」(イシルドゥアの末裔か)と不信と驚きの目でアラゴルンを眺め、さらに「And heir to the throne of Gondor.」(そしてゴンドールの王位を継ぐ者だ)とレゴラスに畳みかけられて、[与えられた情報が事実]と認めざるを得なくなるのです。

ここで重要なのは、情報を事実と認めたところで、ボロミアがアラゴルンを王として受け入れたわけではないという点です。(注2)
なんと監督は、その表現をわずか二行、
『Gondor has no king, Gondor needs no king.』
(ゴンドールに王はいない、ゴンドールに王は必要ない)これだけで行っています。

しかし、この非常に重要な台詞を字幕は
『ゴンドールの王だと? 王など必要ない』
こんな風に訳してしまったのです。原作を知らない観客はこの字幕を見て、[ボロミアが代表しているらしいゴンドールという国には、王は必要ないのか]と単純に思うでしょう。後半部分は間違いではありません。が、たった二文しかない台詞の前半、もっとも重要たるべき[ゴンドールに現在王はいない][ゴンドールの王位は現在空である]が丸ごと欠落しています。

この時点でボロミアは、アラゴルンの王位継承権自体は認めながらも、[今更そんな男を自国の王として受け入れられるものか]という、しごくもっともな感情を表現しています。しかし、字幕にだけ注目している観客はその二重に仕込まれた情報を受け取りそこね、[何だか知らないがこの男は王様は必要ないと思っているらしい]とだけ認識することになります。
そのため、この伏線が表面化するロリアンの場面で、観客の内部に混乱が起こることになります。


注1:原作既読者でさえ、映画設定ではデネソール侯は故人なのだと思いこんだ人もいるとか。
注2:原作において、彼の執政家は王の不在中全権を代行し、実質的な王としての責務を果たしながらも、なお王位にはつけなかったという複雑な背景があります。


2. ロリアン

御前会議で敷かれた伏線は、モリアでガンダルフを失い、打ちのめされて一行がたどりついたエルフの王国、ロリアンで観客の前に現れます。

ここでエルフの魔女ともいうべきガラドリエルが一同の前に登場し、疲れた一行にやさしく今宵は休めと語りかけます。しかしその優しい語りかけの上に、彼女のもう一つの声がかぶさり、一行を動揺させるのです。ガラドリエルはアラゴルンの顔からガンダルフの墜落と辛い旅路を読み取り、旅の仲間の顔を順に見渡します。ボロミアはその中で一人だけ、奥方の視線を受け止めきれずに身を震わせます。奥方はそれを見て視線をそらし、「Yet hope remains while company is true.」(仲間に信ある限り、まだ望みは残っています)とつぶやきます。


そして場面はガンダルフを悼む歌を謳うロリアンのエルフ達の声を背景に、アラゴルンとボロミアの会話に移ります。「少し休め」「ここは守られている」というアラゴルンに、ボロミアは作中はじめて心情を吐露する長い台詞を返しました。
『My father is a noble man, but his rule is failing. And then our... our people lose faith.』(我が父は高潔な人物だ、しかし彼の統治は失敗しつつある。その上我らの...我らの民は信念を失っている)
字幕『父は高潔な執政官だ/だがその統治は困難が多く─/民の信頼を失った』
さて、字幕しか見ていない観客はここで混乱を起こすことになります。[ちょっと待て。このボロミアという男は、さっき[父は死んだ]と言っていなかったか?]

混乱する観客をよそに、ボロミアの台詞はどんどん進みます。
『One day our paths will lead us there. And the tower guard shall take up the call. For the Lords of Gondor have returned. 』(いつか我らの道はそこ(白き都)へ向かうだろう。そして塔の衛兵がこう叫ぶのだ。ゴンドールの諸侯が戻られた!と) 

しかし、ここで画面に大写しになる字幕は
『いつか君と共にあそこへ戻ろう/塔の見張りがこう叫ぶ/"ゴンドールの王"が戻られた!と』です。

英文脚本を見ればあるいは英語台詞を聞き取ればあきらかですが、ここでボロミアは「the Lords of Gondor」と言っています。つまり、この時点でボロミアはようやくアラゴルン個人の人格を知るようになり、その結果自分と同格の人間として認めたのです。それは「Lords」と複数形を用いていることからもわかります。しかし、まだ[王]としては認めてはいません。彼は決して[king]という単語を使用してはいません。

何故この場面でボロミアの台詞から注意深く[王]という単語がはぶかれているか、さらには何故アラゴルンがこのボロミアの問いかけにあいまいな表情でしか応えないのか。それはこの映画の最終局面で明らかにされる、重要な演出です。吹き替え脚本は、この日本語にしにくい「Lords」を、「救い主が」と意訳していました。

しかし字幕はここで軽々しく[王]という単語を使い、観客に[さっきは[王は必要ない]と断言していたのに、 どうして突然アラゴルンのことを王と言ってるの?]とさらなる混乱を起こすのです。これでは[さっきは父は死んだかのように言っていたのに、実はまだ生きているらしい]と合わせて、観客はボロミアがどのような背景を持ち、どんな考えを抱いているどういう人物なのか、まったく理解できません。

ですが、ボロミアの人物破壊はこれだけではおわらないのです。


3. パルス・ガレン

パルス・ガレンという呼び名は原作準拠であり気にしないでいただきたいのですが、映画の中で一行が舟をつけた西岸付近を指す地名です。ここで一行はサルマンの差し向けたオーク、ウルク=ハイに襲われ、離散し、そしてボロミアは命を落とすことになります。

ここの場面の字幕誤訳は本編最大と言っても過言ではありません。誤訳といっても単なる誤訳ではなく、字幕翻訳者がはっきり意図した意訳、それがあきらかに的はずれなのです。

仲間から離れ、ひとり斜面を彷徨うフロド。その脳裏にはガラドリエルが自ら見せ、そして言葉でも現した[指輪の誘惑]と「One by one it will destroy them all.」(一人ずつ指輪は彼らを皆、破滅させるでしょう)、さらには「You are a Ring-bearer, Frodo. To bear a ring of power is to be alone.」(あなたは指輪の所持者です、フロド。力の指輪を所持することは孤独なこと)が重くのしかかっています。
この時点のフロドは、頭では逃れられない事実を受けとめていても、まだ一人で歩き出す決意をしきれていないのです。


そこへ薪をかかえたボロミアが現れ、「None of us should wander alone. You least of all.」(一人で出歩いてはいけない、特に君は)と声をかけます。そして彼はフロドを慰めるつもりで、つい「There are other ways, Frodo. Other paths that we might take.」(他にも方法はある、フロド。我々が取りうる別の道が)と本音を口に出してしまいます。

フロドは「I know what you would say, and it would seem like wisdom, but for the warning in my heart.」(おっしゃりたいことはわかっているつもりです。僕の心に警告するものがなかったら、それはきっと賢明に聞こえたでしょう)と応えます。しかしボロミアは「Warning? Against what?」(警告? 何に対して?)とフロドに詰め寄ります。

そしてこんな言葉を口にします。
『We're all afraid, Frodo, but to let that fear drive us to destroy what hope we have. Don't you see, it's madness.』
字幕はここを『皆不安は同じさ/恐怖に負けたら全て水の泡だ/それを忘れるな』としか訳していません。
しかしこれは大きな失敗です。直訳すればここは(我らは臆病すぎるぞ、フロドよ、恐怖にかられて我らの持つわずかな希望を葬るなどと。わからないのか、そんなことは狂気の沙汰だ)となります。希望とは何か。指輪です。これはエルロンド卿の会議で一度は否定されたはずの、ボロミアのかねてよりの考えです。字幕はこの部分をまったく汲み取ることができず、[希望]という言葉自体も訳していません。

指輪を「愛しいもの(precious)」と呼んだゴラム、ビルボ、イシルドゥアと同じように、ボロミアは忌まわしいものであるはずの指輪をhope(希望)と呼びました。このことからフロドはボロミアが指輪の誘惑に捕らわれていることを確信するのです。
そして発した台詞が、『You are not yourself!』(あなたは自分を失っている!)

これに対応する日本語字幕は『嘘をつくな』です。
これではまったく、[指輪の誘惑]という物語の重要な要素が汲み取られていません。
フロドは[指輪が一行を滅ぼすまさにその現実]をまざまざと見、もはや猶予はなく、一人で旅立たねば全員が指輪に滅ぼされてしまうという、奥方の言葉を身をもって知るのです。吹き替え脚本では『ボロミアじゃなくなってる!』と上手く意訳してありました。

しかし[指輪の誘惑]が訳されていない字幕版ストーリーでは、ボロミアは単に私欲にかられ嘘をついて指輪を取ろうとした悪人で、フロドはそのボロミアにおびえて逃げ出しただけの弱虫でしかありません。


さらに場面は進み、指輪を引き抜いてサウロンの[目]から逃れたフロドの前にアラゴルンが現れ、重要な会話がかわされます。

「It has taken Boromir.」(ボロミアが指輪に捕らわれた) 「Where is the ring?」(指輪はどこに?) 「Stay away!」(来ないで!) 「Frodo? I swore to protect you.」(私は君を護ると誓った) 「Can you protect me from yourself? Would you destroy it?」(あなた自身から護れるんですか? これを滅ぼせるんですか?)

英語の台詞を理解しているか、あるいは吹き替え版を見た観客ならば、この部分のフロドの心理を誤解する可能性は低いでしょう。先程指輪の誘惑に負けたボロミアをその目で見たフロドは、「わたしは味方だ」というアラゴルンに、[本当にあなたは自分が指輪に誘惑されないと言いきれるのか]と問いつめているのです。(注1)

これに対しフロドの手をとったアラゴルンは、その手ごと指輪をつつみこみ、「I would have gone with you to the end, into the very fires of Mordor.」(私は終わりまで、モルドールの炎の中まであなたとともに行くつもりだった。もし私にできたなら)と言います。そしてフロドは「I know. Take care of the others.」 (分かっています。他の皆を頼みます)と答えます。ここで観客はアラゴルンがフロドを一人で旅立たせねばならないと決意したことを知り、さらにフロドも自分の意志で旅立つことを知るのです。

さて。ここまで意図的に無視してとりあげなかった字幕はどうでしょうか。

まず『It has taken Boromir.』『ボロミアが……』と曖昧にぼかされた台詞にかわり、ついで『Can you protect me from yourself?』がいきなり『これは要らない?』
対する吹き替えは『ボロミアが指輪に』と『指輪の誘惑に勝てますか?』。

またしても吹き替えが正しい意訳であり、字幕からは[ボロミアはすでに指輪に誘惑された]、[あなたは自分自身からわたしを護れるのか?]=[指輪の誘惑に抵抗できるのか?]という意味が完全に欠落しています。これもまた些少な間違いに分類されそうなのですが、軽傷どころか致命傷であることは、後の場面で露呈します。

字幕はアラゴルンの『I would have gone with you to the end, into the very fires of Mordor.』を、『できれば君と運命をともに── /モルドールの火口までと──』という、実にわかりにくい曖昧な訳をしたのです。

最後の[と]、これが逆接の接続助詞となります。観客はこの切れ切れの台詞から、[モルドールの火口までと(思っていたが、それは無理なようだね)]と正しく理解することを求められます。吹き替え版のように、素直に「最後までついてゆきたかった。モルドールの火の山まで」と訳されていたならば、誤解する可能性は低いのですが、字幕版でもしもこの[と]を正しく拾えなかった場合、その前の「できれば」を間違えて受け取り[あれ、この人フロドと一緒についていくつもりなんだ? そうだよね?]という疑問を残すことになります。
そしてここでこの字幕を取り上げているのは、実際そのように思った観客が複数いるとの証言を得てのことなのです。

ところが、次の瞬間アラゴルンはフロドの剣が蒼く光るのに気づき、「Go, Frodo!」と急かせて自分はオークを迎え撃ちに行きます。字幕だけ追っていた観客は大混乱です。[今一緒に行くって言ったのに!? どうして[早く行け! 走れ!]なんだ!]と。


矢を受けて立ち往生するボロミアの前に、アラゴルンが飛び込んできます。そしてウルク=ハイを倒し、駆けつけるアラゴルンに、ボロミアは真っ先に言います。「They took the little ones.」(小さい人が攫われた)。そして「Frodo. Where is Frodo?」(フロド? フロドはどこだ?)と問うボロミアに、アラゴルンは答えます。『I let Frodo go.』(私は彼を発たせた)。対する字幕は『彼は発った』と人ごとのように話し、アラゴルンの意志は汲み取られていません。これは残念ながら吹き替え版でも同じです。

実はこの「I let」が呼応して、次のボロミアの重要な台詞、『Then you did what I could not.』(では、貴方は私の成しえなかったことをした)、ここにかかってくるのです。ボロミアは指輪の誘惑に捕らわれ、[指輪を葬るなど狂気の沙汰だ]と考えており、[自分はフロドをモルドールへ発たせることが出来なかった]、しかし[アラゴルンにはそれが出来た(指輪の誘惑を退けたのだ)]と理解する場面です。
この瞬間にボロミアは自分とアラゴルンとの差を知り、そしてそのあとアラゴルンが口にしたある言葉を聞いて、はじめて自分に対してもアラゴルンに対しても、彼を[王]と認めるのです。

ここに対応する字幕は『恥ずかしい』
何に対して恥ずかしいのか、観客には分かりません。かろうじてボロミアは改心したんだなということがわかるのみです。これでは[私欲のために指輪を奪おうとした悪人]というボロミア像はいささかもゆるがないでしょう。


さて、ボロミアは言います。「The world of men will fail. All will fall into darkness, and my city to ruin.」(もう人の世も終りだ。すべて闇に支配され、我が都も滅びる)。するとアラゴルンがこう答えるのです。「I do not know what strength is in my blood. But I swear to you, I will not let the White City fall. Nor our people fail.」(我が身に流れる血にどれほどの力があるかは知らない。 だがわたしはあなたに誓おう。白き都を支配はさせぬ。そして我らの民も)。ボロミアは感激にふるえながらその言葉を繰り返します。「Our people. Our people.」(我らの民、我らの民と……)
そして最後にボロミアは言います。「I would have followed you, my brother, my captain, my king.」(貴方に仕えたかった、我が同胞、我が将、そして我が王よ)

映画の終盤、もっとも盛り上がるこの場面を字幕ははどのように展開したでしょうか。
何故か『nor our people fail.』『人間を滅亡から救(お)う』です。前の文章「I will not let the White City fall, nor our people fail.」と通して読めばわかるのですが、ここは(白き都を支配はさせぬ、そして我らが民も)と、あくまで白き都(注2)に住むゴンドールの民を指しています。
そして王位継承権を持ちながら、自身は積極的にゴンドールに戻ろうという意志を見せなかったアラゴルンの[我らが民]という言葉を聞き、万感の思いを込めて『Our people. Our people.』と繰り返しつぶやくボロミアの台詞が、『我らが種族・・・/人間達』。これはいきすぎた意訳としか思えません(注3)

そして『I would have followed you, my brother, my captain, my king.』の部分については『心残りだ/我らが兄弟/我らが隊長/我らが王よ』
単数形である「my」が複数形「我ら」と訳されているのは何故なのでしょうか。おそらく「人間を滅亡から救おう」という訳の影響を引きずっているのだと思いますが、直前の「I would have followed you」(貴方に仕えたかった)とのつながり、ボロミアが剣を胸に当て忠誠の仕草をしている状況を考えても、ここはあくまでボロミアが今まで決して[王]としては認めていなかったにアラゴルンに、「my king」(我が王)として個人的に忠誠を誓う場面でしょう。

最初は反発を感じていた人間が共に艱難辛苦を乗り越えることで相手を認めるようになり、死にあたり何よりも愛する故国の守護を託し忠誠を誓う。これだけで充分に意味のある場面だと思います。それを脚本の文意を無視してまで[人間という種族を救う]などと物事を必要以上に拡大させるというのは、不適切に感じます。


注1:フロドの掌の指輪は「アラゴルン……エレスサール……」とアラゴルンに直接語りかけ、場面の緊迫感を盛り上げています。この台詞は字幕には訳されていません。なお、エレスサールとはアラゴルンが戴冠した後名乗るであろうと予言されている名で、指輪の誘惑が感じられる呼びかけです。
注2:ロリアンの場面でも登場した、白き都、ミナス=ティリス。ゴンドール国の首都です。
注3:第二部に登場するローハンを始めとして、この世界にはゴンドール以外にも複数の国や共同体があります。アラゴルンはあくまでゴンドールの王位継承者であり、他国の王ではありません。他国には他国を守ろうと奮戦している人々がおり、アラゴルンはその諸王(の王位継承者)の一人にすぎないのです。さらに言えば、サウロン側に付いた人間の一族も居ます。


以上です。
しかしこれはほんの一部であり、重要性の大小にかかわらず、脚本、また前後の状況と照らし合わせて、誤訳であると考えられる箇所は数多く存在しました。その中には世界の設定やストーリーを破綻させているものも複数見受けられます。
詳しくはサックビル・バギンズ氏がまとめられた「魅惑のFotR日本語字幕版」の「FotR日本語字幕の問題点一覧」をご覧ください。

<その他の誤訳要約>
■観賞には支障がないが、設定に関わる誤訳
■キャラクターの個性を壊す思慮不足の訳語
■第2部以降の伏線の消滅
■番外編
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