「イレギュラーの神様」

(7)

 

「冗談ではない!!絶対に嫌だぞ俺は!!」

 教皇の間に、カノンの絶叫が響き渡った。

「くそ、あのモスラ!どういうつもりだ、つまらんことを言い出しおって……!」

「静かにしてくれたまえ。耳が痛いぞ」

 シャカが煩そうに顔をしかめる。

「……私が呼んだのは、カノンとムウとデスマスクなんだが……何なのだ、この人数は」

 サガの前には、呼びにやった三人のほか、ミロにシュラにシャカにアフロディーテ。

 現在聖域にいる黄金聖闘士が、アルデバランとアイオリアの他は勢ぞろいしている。

「暇だから」

「デスマスクが、面白いことがあると言うから」

 ミロとアフロディーテがけろりと言い放ち、サガが額の皺を深める。

「一番不思議なのはお前だがな、シャカ。なぜお前がこんな話に首を突っ込む」

「仕方なかろう。女中が教皇の間に茶を淹れに行くというから、私自ら出向いてやったのだ」

「……つまり、喫茶店が移動したからついてきた、と。相変わらず、ほんとマイペースですね。あなた」

 ムウが呟き、サガの眉が上がる。

「待て。ナギも来ているのか?」

「当然だ。カノンが出前を言いつけていたから、私もここにいるのだ。茶はまだか」

 催促しかけたシャカを、サガが光速で遮った。

「待て。遠慮のない話をするため、当人を呼ぶのは後にしたい」

「そうですか。ミロ、インターホンで給湯室にかけて下さい。……ナギ、お茶はもう少し後にします。呼ぶまで待機してて下さい」

 ムウが言い終わるとミロがインターホンを戻す。

 サガは、ため息をついて一同に向き直った。

「では、本題だが」

「……俺は、単にデスマスクとミロに、宮の通過ついでに引きずってこられただけなのだが……まさか、こんな話だとはな」

 シュラは頭の痛そうな顔でぼやいてサガを見た。

「パピヨンが双児宮の小間使いに惚れただと?何なのだ、一体」

「それは私が聞きたい」

 サガがぶすっと言い捨てるのを、デスマスクは面白そうに眺めた。

「ほー。ふーん、さすがじゃねえの、あの女。伊達に色香で飯は食ってねえ」

「下品な言い方をしないように。……まあ、ミューの性格からして、彼女に惹かれたのは解らないでもないですけどね」

「そうか?俺はさっぱりだが」

 奥手のミロがきょとんとした顔で言う。

「よく働いて便利なのは認めるが。小間使いならともかく、わざわざ聖域から引き取って結婚までしようとは、俺なら思わないな」

 デスマスクが、ニヤッと笑う。

「お前にゃ解らんだろうがな。男と女ってのはそーゆーもんだ。食い合わせがあんだよ」

「そうなのか?」

 今度はアフロディーテが身を乗り出す。

「おう。俺の見たとこ、ミューは色々と複雑そうだからな。あの姉ちゃんの見たとこ普通っぽくて、けど自分に対して退いたとこがないってのがポイントなんだろ」

「あくまで“見たところ”ですけどね」

「まあな。正真正銘の普通の女が、自分から聖域の女中なんかになりたがるわきゃねえ。ただ、だからこそ巧くいくってのも、アリだな」

 デスマスクは、皮肉な目でサガをちろりと見た。

「ラダマンティスの気持ちもわからねえとは言わんが。仮にミューが巧くいったとして、それで冥闘士の嫁取りが次から次へと纏まるとは思えねえぞ」

「そうか?」

「当り前だ。アフロディーテお前、冥界で一生暮らしてみたいと思うか?」

「私がか?無理だ。一度死んで行って来たらもう十分だ。気軽に町に出られて太陽が拝める分だけ、聖域の方がまだマシだ」

「……それ以前に、アテナの聖闘士の誇りはないのか、お前……?」

 シュラが突っ込んだが、デスマスクは普通に無視して頷いた。

「それが普通の反応だ。幾ら亭主に惚れてたって、並みの女が冥界で日常生活できるか。新婚で頭がピンク色んなってるうちはいいが、のぼせた頭が覚めたら三日で離婚だな」

「なるほど。その点あの娘は、買い物の不自由にも太陽のない生活にも、海底で慣れてるわけだから」

「愛情だけなら、ミューは十分に誠実そうだしな。冥界なら浮気の心配もあるまい。生身の女なぞハーデスの姉のパンドラくらいだろうし」

 納得したようにのほほんと言ったミロを、サガは苛々と睨んだ。

「さしあたり、冥闘士の恋愛論も結婚後の浮気の心配もどうでもいい。とりあえずの問題は、ラダマンティスに何と答えるかだ」

「不承知だ」

 カノンが即座に返した。

「決まってるだろう。何で俺の召使いを冥界にくれてやらなきゃならんのだ」

「そう無碍にすることもないと思いますけどね、和平の協定も結ばれたことですし。失礼な断わり方もできないでしょう」

「それとこれとは話が別だ。大体、そんなことを言ったら、あれをよこしたのはポセイドン様とソレントだ。それを冥界にやるというのも十分失礼な話だろうが」

「うーむ……しかしどちらが重大かというなら、ポセイドンは、カノンさえ身の回りに不自由がなければそれでよいのだろう?あの娘がいなくなったところで、お前が家事をするようになれば問題はないのでは」

「その前提がまず無理だ。俺が家事をやるくらいなら、ゴミの山に埋もれて暮らす」

「それは私が許さん。一緒に暮らしている身にもなってみろ」

「双児宮がゴミの山になるのは、俺もありがたくないぞ。宮へ帰る時に困る」

「そんなことを言ったら、あそこは大半のものの通り道だろう。三番目の宮だからな」

「そうだな。最近は帰りがけにお茶が飲めるようになって嬉しかったのに、それがなくなるのはちょっと」

「うむ。せっかくの喫茶店がもう閉店とは残念だ。カノン、今から急いで家事を習って、以後は君が茶を出すがよい。ケーキも各種そろえるのだぞ」

 シャカが訳知り顔に言い、途端に双子が揃って額に青筋を立てる。

「……本題から話がずれてきてますよ」

 いくらシャカでも、ギャラクシアン・エクスプロージョンをダブルでもらっては危なかろう、と内心で呟いて、ムウは仲裁に入った。

「我々の生活の便は、ひとまず置いておきましょう。この話の成り行きいかんで冥界・海界との関係が変化するとしたら、そちらの方が問題です」

「そこまで大げさな話ではないんじゃないか?パピヨンの私事だろう、どう考えても」

「それはそうですが。受け入れるとして、海底にいたものは聖域におきたくないからだ、とポセイドンやソレントに取られるのもなんですしね」

 以前に言ったセリフを繰り返されて、サガの顔がほんの少し引きつり、カノンが憤然と返す。

「何を言うか。だったらこの俺は何なのだ」

「あなたは元から聖域の出身ですし、今は双子座の聖闘士です。あの子とは全く立場が違いますよ」

 言い返そうとするカノンを制して、ムウは続けた。

「かと言って、ポセイドンからよこされた、と言うだけでは、断わる理由にも弱い気がします。何しろ、カノンがズボラだから、という理由で送られてきた家政婦なのですからね。正式に縁談を申し込まれたものを、そんなみっともない理由で断わるのも、どうかと思います」

 う、とカノンが詰まる。

「しかし、冥界などにだな」

「海底と聖域でつつがなく暮らせたものを、冥界で暮らすのは気の毒だ、とも言いづらいでしょう。当の冥界人を前にして」

「……それに、冥界が嫌ならば地上のハーデス城に住んでもよいと、ラダマンティスは言っていた」

「ほう。結構考えてるんだな。よほど嫁不足が深刻なのか」

「アフロディーテ。そんな、田舎の農家みたいな言い方をしなくてもいいのでは」

「田舎の農家の方がまだマシだろう。テレビがつくのだからな」

「……また話がそれてきてるぞ、お前ら」

 デスマスクは、つくづく呆れた、という顔で突っ込んだ。

「つーかよ。お前ら、肝心なこと忘れてるみてえだけど。気がついてっか?」

「?何だ?おいミロ、解るか」

「さあ……俺はさっぱり」

「どいつもこいつも……しらばっくれてんじゃねえ。アレの昔の職業、何だったよ?」

「……」

 すっかり忘れていたと見えて、デスマスク以外の全員が一瞬黙った。

「ミューとは多少は話したみてえだけどな、そんなとこまで知ってて申し込んできたとは思えねえぞ。小間使いならともかく、今さら嫁に行ける立場かよ。気づけよ、阿呆」

「……それは、少々哀れではないか?」

 アフロディーテが、微妙な顔になる。

「あの年齢で身体を売らねばならなかったのは、当人の責ではあるまい」

「うむ。食べてゆくために、誰であれ、養ってくれるものに縋らなければならなかったのだろう。責められるべきは、分別もない幼い子供に衣食を与えるのに、そのような代償を強いたものだ」

「だろう?結婚して、夫に知らせずに幸せに暮らしていきたい、と言うのなら、私たちが邪魔をせずともいいではないか」

 何となく、場が賛成ムードになったのを、カノンがバッサリ断ち切る。

「それは俺が許さん。誰が何と言っても、冥界に嫁になどやらんからな」

「ほう。何の権利があって君がそれを言うのだ?」

 シャカの突っ込みに、カノンが一瞬ひるむ。

「……あれは、俺の召使いだ」

「そうだ。寄る辺なき哀れな娘と思えばこそ、側に置いて召し使ってやったのだろう。その哀れな娘がささやかな幸せを掴むのを邪魔して、君に何の理があるのだ。ちなみに私は、自分が美味い茶を飲む権利を特別に放棄してやってもよいと思っているぞ。時々は出前に来させることもあるかもしれんがな」

「……冥界からですか?冷めますよ、お茶……」

「それ以前に、お前が茶を飲む権利なんぞ初めからないような気もするが……残りの部分は、まあ正論だ」

 シュラが頷く。

「サガもカノンも、あの娘に行く場所がないから仕方なく双児宮に置くのだと言っていたではないか。それが望まれて嫁いで、さらに冥界と聖域の和平に役立つと言うなら、いいことだと俺は思うが」

「全くだ。あの娘だって、普段は明るく振舞ってても、心には傷が残っていると思うぞ。せっかく、人並みに女の幸せを掴むチャンスなのだ。逃したくないはずだ」

「そうだな。飯の出前がなくなるのは残念だが、それも仕方ないか。祝ってやろう」

「……」

 まだ嬉しくなさそうな顔のカノンを、デスマスクが横目で見る。

「どっちみち、カノンがぶち壊したいと思ってんなら、全部おじゃんだけどな。あいつの過去が具体的にどのくらいえげつねえもんか、一番良く知ってんだろうしよ」

「……まあな。全部とはいかんが、ある程度は見てるし、聞いている」

「なら、ラダマンティスのとこ行って、全部ぶちまけてきたらいいんじゃねえの?あれはあんな見た目だが実は百戦錬磨の売春婦で、そんなもんを冥闘士の妻にする訳にはいかん、って言えば冥界には角はたたねえぞ」

「おい、デスマスク!」

 シュラは顔をしかめたが、デスマスクはふふんと笑った。

「色恋ってもん知らねえ堅物はこれだからよ。男に惚れる前から身体売ってたような女がまともに結婚生活送れるか。知らん振りして嫁にやって後で騒ぎのタネになったら、そっちの方がやばいだろ。まるで詐欺にあったみてえなもんだぞ、あっちにしてみりゃ」

「……」

 他の者が、また考え込む。戦闘なら自信はあるが、色恋の経験は薄いものばかりだ。百戦錬磨のデスマスクに言い切られると、確かにそうかもしれない、という気もする。

「それでミューが離婚騒動になったらまたラダマンティスが出張ってくるぞ。何で黙ってた、って言われたら、お前ら何て答えるんだ?いつドカンと来るかわからねえ地雷埋めるよーなもんだぜ」

「……」

「だからよ、すっぱり断わっちまった方がいいんじゃねえの。冥界との関係云々って言うんならな」

「しかし……何と言って断わるんです?さすがに私たちの口から、あれは元売春婦だからダメだとは言いたくないですよ。差別じゃないですか」

「キッパリ差別だろ。外面ばっか取り繕ってんじゃねえよ」

 へっ、とデスマスクは声を立てた。

「なら、本人に言わせりゃいいだろ。俺ら知らなかったことにして、あれが『実は私には、お受けできない過去が』ってやれば一番丸く収まるぜ」

「無理だろう!幾ら何でも、女が縁談の相手に自分からそんなことを言うものか」

「そんなもん。てめえで言わなきゃ俺らが言うって言えば、一か八かに賭けて自分で泣き落とすだろうよ。もっとも、相手がミューじゃまず100%そこで破談だな」

「……つまり、過去をタテに脅して、断われと強要するのか?」

 シュラが反吐の出そうな顔になり、ムウが顔をしかめる。

「確かに、それなら角も立たないかもしれませんが……幾ら何でも、ちょっと酷すぎるのでは」

 続いて、アフロディーテがはっきり首を振る。

「私は反対だ。残酷だ、そんなの。それくらいなら、カノンのズボラを理由にしたほうが、まだいい」

 しかし、カノンはフンと鼻を鳴らした。

「確かに名案だ。デスマスク、感謝するぞ」

「カノン、よせ。可哀想すぎる」

「構うものか。物心ついた頃からの売春婦で12の歳までにこなした客は軽く三桁、そのせいで子供も産めない身体になった汚れた女なんかとてもまともな男には嫁げません、とそう言って断わらせよう。どんな男でも、プロポーズは即座に撤回するだろう」

「……!!」

 サガが弟を怒鳴ろうとしたとき、バタン、とドアが開いた。

「失礼します。お茶をお持ちいたししました」

 ナギだった。

「……………」

 これは不意打ちだった。シャカでさえも固まった中、ナギが普段通りの微笑を浮かべて、盆を手にして入ってくる。

「お邪魔して申し訳ありませんが、どうも、私のことで皆様が非常に困っておられるようなので。お声がかかるのを待たずに、出しゃばることにいたしました」

「……まさか、立ち聞きしていたのか?」

 サガの非難の眼差しに、ナギが困ったような苦笑を浮かべる。

「いいえ、給湯室にいました。ただインターホンが」

 全員の視線が、ミロの後ろで外れっ放しのインターホンに集中した。

「……ミロ……お前」

「いや……戻したつもりだったのだが……」

 ミロが、青くなったり赤くなったりしながら、小声で弁解する。

「どうしてそう大雑把なのだ、貴様は!!」

「そうだ!よりによってこの状況で、何てことをするのだ!!この単純馬鹿の無神経!」

 サガとアフロディーテの怒鳴り声をBGMに、ムウはかなり気まずい思いでナギを見た。

「……ええと……どこからどこまで聞いてました?念のため」

「はい、盗み聞きをお詫びいたします。最初から今まで、残らず拝聴いたしました」

「……そうですか」

 ムウは、文句を言う気にはならずにため息をついた。

「謝る必要はないでしょうね……給湯室で待機しているように、と言ったのは私です」

「そいでお前、俺らがお前に聞かせるためにわざと外してんだと思って聞いてたんだな。言い訳くらいしろや、後味の悪い」

 デスマスクが忌々しそうに後を引き取る。

「恐れ入ります」

「……で?」

 デスマスクは、椅子の背もたれを傾けて、ナギの全く動揺の色のない顔を見上げた。

「聞いてたんなら話は早いな。とりあえず、俺らはこっちの都合だけで話を進めてるが、何か言いたいことがあったら言えや」

 鉄面皮のシャカが涼しい顔で湯飲みを取ったのと、カノンがそっぽを向いている他は、全員が居心地悪そうに首をすくめる。しかしナギは平気の平左で

「ありがとうございます」

と言った。

「ではお言葉に甘えて遠慮なく伺います。私に、結婚を申し込んでおられるわけですか?パピヨンのミュー様が」

「……」

 一瞬、間があいた。

「……って、まさか……」

「聞いていないのか!?」

「はい。初耳ですが」

 明確な返答に、ムウがサガに向き直る。

「……サガ……?」

 テレパシーなしでも明白な、疑惑のまなざし。

 まさか、全部あなたの“ナギを追っ払おう計画”じゃないでしょうね、と言わんばかりの目を向けられて、サガは慌てて否定の言葉を口にした。

「いや……私はてっきり、ミューが既に当人には了解を取ったものと……」

 言いながら、サガはラダマンティスと交わした会話を思い出していた。

 なるほど、当人が了解したかどうかについては、一言も触れた覚えがない。

 しかし、考えてみれば、ナギがそのつもりでいるのなら、まず彼女からカノンにその願い出があったのではないだろうか。

 そのことに気づかなかったのは、デスマスクの言う通り。サガ自身、ナギの意志は全く気に留めていなかったからだ。

 本人の意思を確認せずに話を持ってきたラダマンティスもラダマンティスだが、何だかんだ言って一番ナギを物扱いしてたのは実は自分か、とかなり後味の悪い気分で、サガはナギを見やった。

「……それでは、まずお前の意志の確認が先だな。ナギ、パピヨンのミューはお前を妻に貰い受けたい、とラダマンティスを通して私に申し込んできた」

「それはまた、驚いたことになりました」

 ナギがゆったりと苦笑する。

「で、どうする。嫁ぎたいという気が、あるか」

「お断りしてよいのなら、断ります」

 ナギは、あっさり答えた。

「……そんなあっさりと……少し考えてみたらどうだ?」

「ミューは確かに奇怪な変化をしますが、ちゃんとした人間の男性ですよ。みたところでは、かなり気立てもよいようです」

 少なくとも、ここにいる人間よりまともでないと言うことはありません、とムウがつけ加え、ミロがその含むところに気づきもしないで頷く。

「わりといい奴だしな。お前もまともに嫁にいけるチャンスだぞ。嫁き先が冥界とは言え、サガに嫁イビリされながらカノンにこき使われてるよりいいだろう」

「ああ。最初で最後の機会かもしれん。よく考えて返事をしたらどうだ?過去の話はみなで隠していれば済むことだし、気にしなくていい」

「……ミロ、シュラ……あなたたち、少しデリカシーと言うものを学んだらどうですか」

 悪気が全くないだけに始末の悪い二人の言い草に、ムウが額に手をやる。

 しかしナギは、気にした様子もなく首を振った。

「遠慮します。ありとあらゆる意味で、ミュー様と結婚するつもりは全くありませんから。神経の細やかな優しい方だとは思いますが、あくまで大切なお客様としてお世話したまでです。カノン様が出ていけと仰るまで、私は双児宮においていただきます」

 最後の部分を聞いて、アフロディーテが気の毒そうな顔になる。

「……カノンが言ったことを気にしているのではないのか?」

「そんなことは」

「カノンの意向は気にしなくていいと、私は思うぞ?主人とは言え、結婚の邪魔までするのは横暴だ」

「そうだな、アフロディーテの言う通りだ。あいつのズボラはお前のせいではない。今、問題なのはお前の意志だからな。自分の幸せを考えろ」

 シュラの言葉に、これまで明後日のほうを向いていたカノンが、不意にやさぐれた口調で吐き捨てた。

「バカ言え。それにそんな権利があるものか。どうせ、俺が金を払って買った奴隷なのだ。どうしようと俺の勝手だ」

「……カノン!!」

 サガの顔色が変わる。

「何ということを言うのだ!!」

「うるさい!本当のことだろうが!!おいナギ、今すぐ行ってミューと話をつけろ!自分は嫁になどいける立場ではないから、ときっぱり断わって来い!命令だぞ、いいな!」

「そういたします。この後すぐ」

 頷いたナギを見たアフロディーテが一瞬顔を歪め、すぐにサガと一緒にカノンに食ってかかる。

「それでも人間か、君は!自分が家事をサボりたいと言う理由で他人の人生を犠牲にして平気なのか?見損なったぞ!」

「余計なお世話だ!俺の所有物をどうするかを、お前や兄貴に説教される覚えはないわ!」

 カノンが完全に居直って怒鳴り返す。

「こいつは聖域の侍女である前に俺の持ち物だ!主人の俺が今度の話は断わると言ってるんだから、こいつは黙って断わってくれば、それでいいんだ!」

「何だと、この……」

 アフロディーテが真っ赤になり、サガがぷるぷると震える。

 このままではサガが爆発するだろう、と見たムウが、とにかく仲裁に入ろうとして口を開きかけたとき、先んじて軽い苦笑が場の空気を散らした。

「おやおや」

 困ったような呆れたような顔で、ナギは笑っていた。

「どうなさったんです、カノン様もアフロディーテ様も。少し落ち着かれて下さい、何もそんな大事ではないのですから」

 その声は何故か言い争う二人の怒声を貫いてよく通り、一瞬、カノンもアフロディーテも沈黙した。その隙を逃さずに、ナギは言葉を継いだ。

「サガ様もです、そのような顔をなさって。ちょっとした冗談に対して本気で激昂など、何とも大人気なくていらっしゃる」

「……冗談だと?」

「もちろんです。カノン様が、本気で奴隷の売買などをするわけがありますか。お兄様であられるサガ様が、一番よくご存知でしょう」

「……」

 理解不能なものを眺めるような視線を向けるサガを尻目に、ナギは他の者が半ば毒気を抜かれたような変な顔をしているのを見回した。

「他の方も、どうか誤解はなさらないよう。カノン様は、何も真剣にそう仰っているのではありませんから。そのような受け取り方をしてお怒りになられては、私の方もどうしていいのやら」

「でも……お前はミューとの縁談を断わるつもりなのだろう?カノンが嫌だと言うから」

 アフロディーテの言葉に、ナギは軽く首を振った。

「ご心配は嬉しいのですが、少し違っております、アフロディーテ様。カノン様が出ていかなくてもいいと言うのなら、私には縁談など受ける理由は一つもございません」

「しかし、カノンのあの言い草は」

「ご安心下さい、サガ様。口で何と言われても、お側にあれば自ずと解るものです。自分が物として扱われているか、人として扱われているか。そのくらいは解ります」

 う、とサガが詰まる。

「本当にカノン様が私のことを奴隷と考えておいででしたら、最初からこちらへは参りません。そうでないから、ご迷惑を承知で押しかけの家政婦などをしているのです」

「では、本当に自分の意思で断わるのだな」

「はい。まず、直接申し込んで下さらないようでは、話になりませんから。それに、元が売春婦であるとなくなるという愛情なら、こちらでも少しも欲しくはないです」

「……本当に?」

 強がりではないのか、と言う疑いの残る口調でアフロディーテが突っ込んだが、ナギはいつになく迫力のある笑顔で頷いた。

「誰が何と言おうと、私は、自分が娼婦になったから今も生きている、という事実を優先します。とにかく死ぬのは嫌だった、とそれのどこが悪いのでしょうか」

「……」

「それに文句のある方は好きになさればよろしいのです。貞操を守って飢えて死んでいたほうが人として正しいと仰る方は、意見の一致する女性を見つけて下さって結構。こちらで願い下げです」

「……強い女だな、おい……」

 デスマスクがぼやく。

「ちっとだが、悪いこと言ったかもとか思って損したぜ」

「はい、ご心配なく。細かいことを気にしては、この世知辛い世の中を渡っていけません。伊達に色香で食べてきたわけではないのです」

 そう言ってデスマスクにウィンクして、ナギは、一同の唖然としている顔を見回した。

「百戦錬磨の娼婦を見くびっていただいては困ります。本気で結婚がしたければ、相手がどのような方であろうと自分から言い寄って篭絡し、手に手をとって逃げさせていただきます。過去の仕事などバラされる前に、です」

 ほほほ、と笑ったナギの声は、何だかアテナとかパンドラとかその辺りの“鉄の女”陣に似ているようで、みな思わず口元を引きつらせた。

「それで、カノン様。私はまだ、追い出されずに双児宮に置いて頂けるのでしょうか?」

「ああ、構わん。居たいだけ居ろ。許す」

 しっしっとカノンが手を振る。

「どうせ俺は家事などやらん。ならば茶は美味いほうがいいし、洗濯物は溜まらんほうがいい。宮もゴミに埋もれずに済むならその方がいいに決まっているからな」

 さすがのサガも、今は突っ込む元気がなかった。場を見回したナギが満面の笑みで頷く。

「ありがとうございます。では、それでよろしいですね。皆様にお手数をおかけしましたが、ミュー様には私が自分でお断りしましょう。祝ってやるから嫁け、などと言われなくて安心しました。角の立たないように巧く断りますので、どうぞご心配なく」

 何時の間にか茶を配り終え、丁寧に頭を下げてナギが出ていった後、みなは何となくいっせいに脱力した。

「……女は強いな……」

「強すぎるぞ。何だ、あのたくましさは!何が寄る辺ない哀れな娘だ」

「ええ……何だか、あれこれと心配した私たちが馬鹿みたいですね……」

「タダ者じゃねえと思ってたが、あれが地かよ、あの女……一杯食わされた気分だ」

 初対面の日に続き、デスマスク、二度目の完敗。聖域一の色男も形無しである。

 へたばったデスマスクを打ち眺めて、シュラもため息をついている。

「アテナには俺はとても太刀打ちできんものと常々諦めているし、冥界ではパンドラにも痛い目にあわされたが。また一人、とても敵わん女を見た気がする」

「そうだな。女は弱いものだと思ってたが、それは間違ってたような気が……本当は女というのは誰でもああなのか」

「それはねえ。俺らの周りが特殊なだけだ」

 デスマスクが、みんな納得しかけるのを、渾身の力を振り絞って止めた。

「……そうか?」

「当り前だ。ふつーの女はあそこまでいってねえ。強すぎんだよ、全く!どーして俺らに縁のある女っていうとあーなんだ?五老峰の春麗といいよ……」

「老師の養女か?紫龍と懇意にしているとか言う。春麗と言うのか」

12宮の際に、遥か彼方の五老峰からの祈り一つで、黄金聖闘士のお前が戦っているのを邪魔したそうだったな。さすがは老師の養い子だ」

「それも凄いな……そう言えば、白銀聖闘士も、男たちより魔鈴やシャイナの方が強いともっぱらの評判だったような」

「ああ。あの二人は真剣に容赦ねえからな。ここ一番て時の爆発は、マジで侮れねえぞ。何やらかすか全く読めねえ辺りが、また怖い」

「確かにな。アイオリアが言ってたが、サガの命で日本へ行った時、シャイナが直前まで星矢を殺そうとしていたくせに、急に身を挺して星矢の盾になったのだそうだ。止めきれずに大ケガをさせてしまって、パニックになったと」

「……解らんな……女は」

「おまけに逆上した星矢にぶん殴られ、女に手を上げてそれでも男か、と罵られて散々だったと言っていた」

「そうは言っても……勝手に飛び込んできたんだろう」

「その辺、俺とパターン同じだな……春麗って娘には、思い切り撹乱されたんだぞ、俺。ほとんど精神攻撃の域だったと思うんだが、やり返したら紫龍の奴が切れてもの凄い目にあったからな」

 デスマスク、12宮で紫龍と戦った際の記憶はかなり嫌な思い出になっているようである。

「行動が読めないと言えば、海底でシャイナがポセイドンの玉座に特攻をかけたという話があったように思う」

「聖戦の折りに、最終局面でパンドラが突然寝返って一輝を支援した、と聞かされたときは驚いた。あれだけハーデス様と繰り返してたのは何だったのか、と」

「鷲座イーグルの魔鈴の行動も、聞くとたいていは意味不明なのではないか?情報を掴むと、誰にも何も説明しないで勝手に動いてるだろう、彼女は」

「理解できねえ行動なら、アテナのお嬢がダントツだけどな。何だって一人で敵陣に出向くかな、あの女は。せめて誰か一人連れてけよ」

「おい蟹!アテナに向かってあの女とは何事だ。口を慎め」

「アテナは、聖闘士たちが傷つくのを恐れてらっしゃるんですよ。そのご慈愛ゆえに」

「結局それでいつも余計困んだろーが、特に青銅の連中がよ。どう見ても、ワガママ女王様とその下僕だぜ」

 デスマスクがアテナに遠慮のない批判を加えるやら、サガが説教モードに入ってそれを叱りつけるやら。美味い茶と何げにナギの置いていった手作りクッキーを肴にして、聖闘士たちの女性論は小一時間ほど続いた。

 そして、茶会がお開きになりかけたとき。ずっと黙って茶と菓子を平らげることに専念していたシャカが、ふっと笑った。

「愚かなものよ。君たちはこの年齢まで知らなかったのか?女とは、男にとって、決して打ち勝てぬ宿命のような存在なのだぞ。神代の昔からな」

「……」

 一同、沈黙。

 とりあえず、『女は怖い』という結論を残して、会議は終了となった。

 

 

061021 up

 

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