「イレギュラーの神様」

(5)

 

 

 双児宮前の階段に、教皇用の法衣を着たサガの声が響く。

「ナギ。何をしている。ナギ」

「はい、サガ様!」

 ナギが、急いで宮の中から走り出てくる。

「聞こえたらすぐに出てこい。二度呼ばせるな。……明日、聖域に客が来ると決まった」

「はい」

「二人だ。教皇の間で会談するから茶を運んでもらう」

「はい。承りました」

「二人とも、恐らく二、三日滞在するだろう。そうなったら泊めるのは双児宮だ。部屋の準備を忘れるなよ」

「かしこまりました」

「客用の寝室は埃がひどいから、しっかり掃除するように。お前の作業は手早いが、拭き方がよくないようですぐ汚れる。仕上げの空拭きをきちんとな」

「はい、気をつけます」

 ひたすら大人しく頷くナギと、重箱の隅を針でつつくように説教するサガ。

 デスマスクとムウは、巨蟹宮からそれを眺めていた。

「……“渡る世間は鬼ばかり”をリアルタイムで見ているような光景ですね……まるで」

「いっそ清々しいほどの嫁イビリっぷりだな。何でお前が日本のテレビドラマを知ってるのか、ってのは置いといて」

「世俗の知識も必要ですからね。しかしサガも開き直ったものです」

「全くな。俺的には、サガに全開でネチネチやられて平気でいるあの女も結構凄いが」

 デスマスクは、宮の中でミロとくっちゃべっているカノンをちろりと見た。

「旦那が知らん振りしてて役にたたねえ辺りもそのまんまだしよ」

「ええ。本当にね」

 ムウは、珍しく心の底からデスマスクに同意した。

「庇ってやろうと言う気は、これっぽっちもなさそうですね……置いてやれと粘ったのは、単に家政婦が欲しかっただけでしたか」

 少し見直したのに、と呟いたムウの視線の先では、さらに説教がエスカレートして、日ごろの労働態度に及んでいる。

「そもそも、お前は些かやり過ぎのきらいがあるのだ。際限なく無理を通すから、見るがいい。ミロなどつけ上がって、天蠍宮のゴミを一緒に出させようなどど考えるありさまではないか」

「はい、ついでですから。それほどの手間ではありませんし」

「口答えをするな、聞き苦しい。大体、双児宮から天蠍宮まで上がってゆかねばならないと言うのに、ついでではなかろうが。その上、戻ってくる途中に巨蟹宮のゴミまで押し付けられてどうするのだ」

「いえ、それはこちらから言い出したことで」

「口答えするなと言っている。そのような時間まで出さずに置いているデスマスクが悪いのだ。以後は厳しく断わって、己のことは己でさせるがよい。いいか、お前は双児宮の下女なのだぞ。よそのものの世話まで焼く必要はない」

「……申し訳ありませんでした」

 さすがに少々疲れてきたか、幾分声に元気のなくなるナギ。

「やべ。こっちにお鉢が回ってきたか?」

「へえ……あなたがゴミ出しの時間に起きてたんですか?珍しいこともありますね」

「つーか、朝帰りしたとこだったんだよ。そしたら丁度あれがいてな」

「なるほどね」

 また夜遊びですか、と呟くムウの視線を、デスマスクはキッパリ無視した。

「よそのことに首を突っ込む前に、まず己の本来の仕事を忘れるな。双児宮の中にも庭園にも、手を入れるべき場所はまだあるのだぞ」

 まだこき使う気か、と呆れたムウとデスマスクをよそに、説教はまだ続いた。

「それと。先だって、お前が白羊宮に使いに出たおり、貴鬼と話しているのを耳にしたぞ。第一人称は『私』だ。若い娘に相応の言葉づかいを心がけよと、常々言っているだろう」

「すみません。以後は気をつけます」

 大分へたばってきたナギが、それでも律儀に投げやりにもならずに謝り続けて、やっと解放されたのは、話が始まってから20分後だった。

「……では、行っていいぞ。言われたことは、忘れぬようにな」

「はい……」

 へろへろになったナギにサガが背を向けた途端、サガの話が終わるのを待ちかねていたものか、カノンが侍女を呼びつけた。

「ナギ、終わったか?なら用だ。魔羯宮まで一っ走り頼む。シュラに届けて欲しいものがあるんでな」

「あ、はい!カノン様。ただいま行きます」

 ナギが、一息つく間もなくあたふたと宮に走りこむ。

「……健気な子ですねえ……思わず泣けてきます」

「『おしん』の世界だな、ここまで来ると」

 二人の傍観者は、期せずしてほぼ同時に感嘆のため息を洩らした。

 いつかシードラゴンとは呼ばなくなったのも、サガが説教してやめさせたことだった。

 聖域ではカノンは双子座の聖闘士なのだ、海闘士の役職などで呼ぶものがいては示しがつかんとサガが言い渡した時、それだけはナギも若干渋った。

 しかし、アテナ神殿の侍女なら聖域のしきたりに習え、それが嫌なら出ていけ、と言われると、それ以上は頑張らずに頭を下げたのだ。

 ちなみに当のカノンは気楽な顔で、別にどっちでもいいぞ、などと言っていた。

 主の名前ひとつにもつい拘ってしまう少女の思いの複雑さなどは考える気もないらしい無神経な双子に、内心ムウは少々呆れたのだが、確かに、いつまでも海闘士の役職で呼ばれるのは、カノンの立場を考えるとあまりよくない。

 実際、主を“カノン様”と呼ぶようになってから、彼女は急速に聖域に馴染んだ。

 今では、初めは胡散臭そうな目を向けていた雑兵たちの中にも、用事を頼むものがいるほどだ。

“……ま。全体としては、めでたしめでたし、と言っていいでしょう”

 ムウは、そっと呟いて、傍らのデスマスクに暇乞いの言葉を口にした。

「では、私も宮に戻りますか。デスマスク、あなたも準備をお忘れなく」

「おうよ。明日の客は、さすがの俺も気にしねえ訳にいかねえからな」

 白羊宮に降りていくムウの背中がわずかに緊張しているのを、デスマスクは自分も落ち着かない思いでじっと見ていた。

 

 次の日の朝。

 白羊宮の前に立った黒衣の客は、目の前に立った牡羊座アリエスの聖闘士を見つけると、一度足を止めた。

「……お前は……アリエスだったな。確か名前はムウと」

「ええ。白羊宮を預かる、アリエスのムウ」

 ムウは、平服で聖衣は纏っていないながらも、油断のない目で客の二人を見下ろした。

 いかにも精悍な顔をしたたくましい長身の男と、後ろに従う華奢な青年の黒目がちな美しい顔。そのどちらにも、ムウは見覚えがあった。

 スペクター。冥界の住人であり、冥王ハーデスに仕える兵士。

 冥闘士の頂点に立つ三巨頭の一人、天猛星ワイバーンのラダマンティスと、その部下の天妖星パピヨンのミューだ。

 どちらもムウとは聖戦で見えたことがあり、一戦交えたときの感覚はまだ記憶に新しい。

 ムウは、穏やかな柔らかい微笑を浮かべて言葉を継いだ。

「どうもお久しぶりですね、ラダマンティス。コキュートスにブチ込んで下さった時以来ですか?あの時はお世話様でした」

「……」

 う、と声を立てたラダマンティスから、後ろのミューに視線を移す。

「それに、パピヨンのミューも一緒ですか」

「……そうだが」

「今日はまた、どうして初めから人間の形をしてるんです?てっきりアメーバでベチベチ這いずって来るか、モスラでラダマンティスを乗せて来るかするのだろうと思っていたのですが」

「………」

 ニコニコ笑顔で吐き出される毒舌の嵐に、ミューがだらだら汗を流して硬直する。

 戦ったときも、ちらりとは思ったが……ひょっとして、相当性格悪いんじゃないだろうかこいつ、と内心で呟く。

「……アリエスよ。我々を迎えるのが快くはないのは仕方ないとして、とりあえず私情は置いておいてもらえんだろうか?」

 ラダマンティスが、部下の泣きそうな顔を横目で見ながらフォローにはいる。

「今日の俺たちは、冥界の使者としてアテナの教皇を訪ねているのだ。恨み言ならば、後で聞こう」

「本当ですね。言いましたね?ありがたく頂いて、他のものにも伝えておきましょう。あなたにコキュートスに放り込まれたものは沢山いますから、順番を決めなくてはね」

「………」

「ああ、ミューは私一人ですね。黄金聖闘士全員片づけてやる、とかほざいてたくせして緒戦で負けたから。良かったですね、吊るし上げに合わなくて済みますよ」

「………いや……その……本当に」

「冗談です。ちょっとからかいすぎましたかね」

 ムウは、そろそろ止めてやることにして、軽く肩を竦めた。

「本気にしなくていいですから。真剣に恨んでいたら、顔が見えた瞬間にスターライトエクスティンクションで冥界逆送ですよ。位置をコキュートスのどん底あたりに指定してね」

 案内しましょう、と歩き出したムウの背中を見ながら、冥界の二人がヒソヒソ話をする。

「ミュー。お前、あの男と戦ったんだったな?見上げた勇気だ。お前がそれほどの度胸の持ち主だったとは知らなかった」

「は……いえ、ああいう男だと知っていたら、やらなかったような気もしますが……」

「そうか。知らないと言うのは恐ろしいものだな。あれと張り合えるような性格の奴は、冥界ではミーノスかファラオくらいだろう。お前では、まだまだ役者不足だ」

「ありがとうございます。……いえ、礼を言うのも変ですが、何かその二人と同じラインナップには並びたくない気が」

 ボソボソと小声で話す声を見事な地獄耳で聞きながら、ムウは金牛宮を通りかかった。

「アルデバラン」

「ムウ」

 金牛宮の主、牡牛座タウラスのアルデバランが、待っていたらしくすぐ出てくる。

「そっちが冥界よりの客か?俺は今一見覚えがないんだが」

「ああ。あなた、初っ端でいきなり死にましたからね。後は嘆きの壁を壊す時にちょろっと化けて出たきりで結局最初と最後しか戦わなかったから、会ってないんですよね」

 仲間に対しても容赦ない言い草に、ラダマンティスとミューはちょっと半眼になったが、アルデバランはこの隣人の毒舌には慣れてしまっていると見えて、豪快に笑った。

「ハハハ、そうだったな。で、誰なのだ、それは」

「ワイバーンとパピヨンです」

 途端に、アルデバランが大きく頷く。

「聞いているぞ。ワイバーンと言えば、カノンと抱き合って無理心中した男だろう」

「……いや、その言い方は……」

「それに、パピヨンか?確か、突然変異で三段変化するようになったモスラと聞いたが、人の姿をしてるんだな」

「…………」

 何なんだ、聖域。お前ら、本当に正義を愛するアテナの聖闘士か。

 そんな疑問の渦巻く二人を、ムウは笑顔で促した。

「どうしました、行きましょう。ではアルデバラン、通りますよ」

「ああ」

 爽やかな笑顔を背にして金牛宮を抜け、次の双児宮で、ラダマンティスはよく知った顔を見た。

「ラダマンティス。本当にお前か」

「双子座ジェミニのカノン!久しいな」

 ラダマンティスも、思わず声を上げた。

 冥界へ攻め込んできたカノンは、ラダマンティスにとって宿命のライバルだった。

 幾度もまみえては勝負なしで互いに引き、最後に決着をつけたときは、共にギャラクシアンエクスプロージョンを浴びて華々しく散った。その際のカノンの潔い姿は、今も深く脳裏に刻みつけられていた。

 再会の感慨はどちらも同じと見えて、カノンはつかつかと歩み寄ってきた。

「俺も人のことは言えんが、生きていたんだな!」

「ああ。その辺は、後で話すが」

「そうだな。後ろのは見たことないが、それもスペクターか」

「ええ、そうですよ」

 先手を取って、ムウが答える。

「サガたちと一緒に来て、巨蟹宮で私と戦った。パピヨンのミューです」

「ああ、モスラか」

 速攻で頷くカノン。

「人間にも化けられるのか?何だかイメージと違うんだが」

「……いや、化けるって言うか……あれは戦闘用の格好で」

 もごもご答えながら、ミューは改めてムウの涼しい顔をちらりと見た。

 冥衣を装着するための昆虫態変化を見たのはムウ一人なのだから、他のものに説明をしたのは間違いなく彼だ。

 こんなろくでもない言い方をされているあたり、自分は相当嫌われているのだろうか?

 出会い頭にサイコキネシスをかけたのは確かだが、直後にしっかり百倍返ししてくれたくせに……と、口には出さずに抗議する。

「ま、積もる話は後にして、用件を片づけよう。兄のサガが、教皇の間で待っている」

 カノンは、ラダマンティスに並ぶようにして歩き出した。

 

 一行はカノンを加え、そんな調子で残りの12宮を通っていった。

 シャカとアルデバランを除くと存命の黄金聖闘士ほぼ全員と面識のあるラダマンティスは一人ずつ挨拶の言葉を述べただけだが、その後ろのミューは会うものごとにモスラ呼ばわりされて、教皇の間に着いた頃にはもうくたくただった。

「……よく来たな。天猛星ワイバーンのラダマンティスと、天妖星パピヨンのミュー」

 法衣をまとったサガがカノンと同じ顔で真直ぐ自分たちを見据えるのを、ラダマンティスはたじろぐことなく見返した。

「双子座ジェミニのサガ。こうして俺たちを迎えてくれたことに感謝する。冥界の使者として参ったが、アテナのご同席はかなわんか」

「アテナは今日本におられる。お留守の間は、このサガが教皇の代理として万事をお預かりしている」

「そうか」

 ラダマンティスは軽く頷き、用件に入った。

「では。使者の用に入らせてもらうが、まず、冥界が未だ失われてはいないと言うことを、お前たちは知っているか?」

 サガは、ふむ、と声を立てた。

「やはりそうか……薄々察してはいたが。機能までも、変わりはないのか?」

「ああ。……多くの地獄がエリシオンの崩壊に巻き込まれ、また冥王ハーデス様のおわしたジュデッカは崩れ落ちて半ば廃墟だが、冥界の存在意義に変わりはない」

 すなわち。

 死者を裁き、その罪状に対する処罰を与える、と言う点において――――

「ハーデス様のご意志もまた、滅びたわけではないのだ、アテナの聖闘士よ。現在は今生の姉君であられるパンドラ様の指揮のもとで冥界の再建が行われている。新たなる秩序を築くためにな」

 ラダマンティスは、一息入れて肝心の部分に触れた。

「冥界は、もはや地上を侵そうとは思っておらん。死した者たちの転生を待つ場としての本来の役目に返ることが、今のハーデス様のご意志だ。その上で地上との境界を明らかにするため、アテナの聖域と協定を結んでこいとの命を、このラダマンティスは受けている」

「……あい解った」

 息詰まるような一瞬の後、サガが小さく息を吐くのが聞こえた。

「恐らくはそうであろう、と思っていた。よかろう、承知した」

「受け入れてよいのか?」

「戦いは、挑まれて受けるのがアテナの聖闘士。和平を望むものを撃つのは本意でない。日本にあらせられるアテナも了承なさるであろう」

 微笑んだサガの穏やかな目の色にラダマンティスとミューはホッとした顔になったが、カノンとムウは目配せを交わした。神のような男、と呼ばれるサガの怖いのはここからだ。

「だが。当然、その詳細については一々とり決めを行わずばなるまいな。こちらも冥界の状態を詳しく把握せんでは鵜呑みに出来ん」

「それはもちろんのこと。このラダマンティスが、その任も負って」

「そうか。ではラダマンティスよ、まずは尋ねておかねばならん。お前たちの他に、幾人の冥闘士が存命だ?」

 サガは、何気ない様子でざくりと切り込んだ。

「乙女座の言では、108人の冥闘士は全て死んだと言うことだった。例えばお前の後ろにいるパピヨンはムウによってその身を砕かれたと聞いているし、お前自身わが弟のカノンと相打ちになり、宇宙の塵となって消えたのではなかったか」

 サガの声音から、笑みが消えた。

「それとも。冥界では、ハーデスが片端から冥闘士を甦らせていると言うわけか?我らがアテナのお力で命を取り戻したは、地上を守って新たなる戦いに備えるため。冥闘士たちは何ゆえに生を永らえている?死界の王自らが配下のものを贔屓するようでは、新たなる秩序とやらを信ずるわけにはいかんぞ」

「……それは」

 ラダマンティスの表情に、困惑の色が浮かぶ。

「……説明ができんのだ」

「ほう?」

「言い訳ではない。真実、解らんのだ。俺も正直、カノンと一緒にギャラクシアンエクスプロージョンを浴びた時は死んだと思った。それが、数日して地上のハーデス城で目覚め、周りを見ると配下のものたちがいた」

 ラダマンティスは、素に返った口調で、思い返すようにゆっくりと語った。

「俺の部隊だけではない。ミーノス、アイアコスとその部下も、この12宮に先兵として攻め込んで先に死んだものたちまで全員が気絶してて、ほぼ無傷で次々と目覚めた。パンドラ様もおいでだったが、やはり何もご存知なかった。ただ一人、幾分でも記憶があるのはこのミュー1人でな」

「どのような?」

 サガにふられ、上司のラダマンティスに振り向かれて、ミューが閉口した顔になる。

「……どのような、と言っても……眠っている間に見た夢のようで、現実とは」

「構わん。言ってみろ」

「……泡……であったような……」

 躊躇いながらそう言ったミューの言葉に、サガはわずかに眉を寄せた。

 

 ――――どれほど眠っていたのだろうか、とミューは思った。

 確か自分は。戦っていたはずだった。

 冥闘士として目覚めてその瞬間に人としての生を捨て、何もかもと絶縁してハーデス城に集った。

 そこで、神話の時代から記憶している仲間たちと出会い、冥衣を授かってパンドラの足元に跪き、将軍であるラダマンティスの命ずるままに、地上を守るアテナの聖域に攻め込んだ。

“……そうだ……ムウと名乗るアリエスの聖闘士と戦って……”

 そして、敗れた。

 超能力での勝負を挑み、ありったけの技を繰り出して、完敗した――――

“光に包まれて……身体が消し飛んでいくのを感じた。ではここは、死界なのだろうか”

 己が守る地獄へ、自ら落ちてきたのだろうか?しかしこれは、何と安らかな。

 手を血に染めた自分が、天国へ行けるはずなどないものを。

“……天国?いや、違う。まるで、生まれ出る前の母の胎内のような―――――”

 薄っすらと目を開けた彼は、不思議なものを見た。

 どこともつかない世界の、空中に。無数の泡が浮かんでいる。

 フワフワと浮遊しているシャボン玉のようなそのボールの、一つ一つに人の姿が内包されていた

“あ……”

 目を凝らした彼は、泡の中に眠る人々が、どれも己の同志であるのに気づいた。

“キューブ。ミルズ”

 任せろ、先に行け、と自分が言って送り出してやったはずの仲間達。

 呼びかけようとした彼は、自分も泡の一つに包まれているのに気づいた。

 思わず手で丸い内壁を打ち、その弾力と柔らかな強靭さに、けして破ることは敵わないだろう、と悟る。

“……ああ……”

 彼は、声もなく、周りの仲間たちの姿をうち眺めた。

“ニオベ。ライミ。お前たちも、聖闘士と戦って死んだのか”

 では、やはり自分たちは、死の世界に向かっているのだろう。

 つぎに目覚める先は、地獄の中か。それとも、このまま意識までも宇宙の塵として拡散していくのか。

“……それもいい。私たちは……戦った……”

 体の力が抜けていき、ミューは再び目を閉じて、静かに眠りの淵に落ちていった。

 ――――再び目覚めたとき。

 彼が最初に見たものは同輩であるハーピーの冥闘士バレンタインの顔で、彼は開口一番こう言った。

「目が覚めたか、ミュー?ならば、早く手伝ってくれ。介抱せねばならん奴は他にも大勢いるのだぞ!」

 慌てて起き上がると即座に荷物の運搬係を押し付けられ、とにかく働きまくった彼が、自分たちのいるのが地上のハーデス城であることに気づいたのは、さらに数時間後のことだった。

 

「……おそらくは、ハーデス様か、でなければ側近のタナトス様、ヒュプノス様が滅びの寸前に我らの命を助けて下さったのだろう、ということになっているのだが。直接そう承ったわけではないし、はっきりとはせん」

 ラダマンティスは、話し終えたミューの後を引き取るように、そう言った。

「ふむ……さすがは冥界の神と言うところか。今わの際にそのような強大な力を発動するとはな」

 サガが、納得したように軽く頷く。

「アンドロメダの身体に一度入ったのがよかったのかもしれんな。闇の王にも多少の慈悲はあったと見えるわ」

「ああ。それで、もしそうだとしたら、恐らく半壊した冥界がご心配であられたのだろう、と思ってな。普通の人間として故郷に戻りたいものは戻らせたが、90人あまりの冥闘士が冥界の職員として再建と運営に従事することを希望して残った。後はパンドラ様がハーデス様のご意志を承って我らを導いているが、肉体が滅びて二人の側近を失った今、地上への侵略は諦められたそうだ。もちろん攻め込んでくるものでもあれば戦うが、こちらから地上に打って出るようなことは、誓ってもいいが、ない」

「ほう。信じろというわけか、その言葉を?」

 サガの唇の端に、薄い笑みが浮かんだ。

「ならば。和平の代償として、こちらが冥闘士全員の命を望んだら、どうする?」

「!」

 ミューが目を見開き、頬から血の気が引く。

 サガは、冷たい目でそれを一瞥した。

「当然のことではないか?多数の戦士を抱えておいて、和平の交渉でもあるまい。真に平和を望むなら、お前たちが自ら命を投げ出して証としてもらおうか」

 ミューは思い切り気色ばんだが、それを制したラダマンティスは、平然とサガを見た。

「俺の命ならばやっても構わんが、部下たちの命までくれてやるわけにはいかんな」

「そうか。ならば聖戦を再び起こすか?」

「いや。日本へ赴いて、アテナに直接の直訴をさせてもらう。俺たち全員に死ねと言うのがアテナの意志であろうはずはないからな」

 確固たる自信を込めて言い、ラダマンティスはチラッとカノンとムウを見た。

「アリエスの聖闘士は、敵であろうとも投降すれば命は取らぬ、と言ったそうだ。そして、お前の弟のカノンが誇り高き戦士であることは俺の目で確かめさせてもらった。無抵抗の人間を虐殺など、するはずがなかろう?それをお前がごり押しで通すと言うのなら、お前こそがアテナの聖闘士の名に相応しからぬ男だ、と俺は思う」

 また短い沈黙が下りた。

「ジェミニのサガよ。どうあっても、俺たちの死が必要か?」

「いや。結構だ」

 サガは、今度は普通の顔で苦笑した。

「冥闘士のお前が、そこまでアテナの聖闘士を評価しているとは驚いたことだな。お前の言う通りだ。アテナの聖闘士には、抵抗せぬものを撃つ拳はない」

 空気が緩んだ。ミューがあからさまにへたへたと肩を落とす。

 密かにどっと背に流れる冷や汗を感じたムウの横で、カノンが小さく舌打ちをするのが聞こえた。

「底意地の悪い奴だ……甦らされてこの12宮に攻め入る羽目になったことを、まだ根に持ってるな」

 聞こえよがしな弟の声をキッパリ無視して、サガがラダマンティスのあくまで冷静な顔を見る。

「冥闘士たちが冥界を本来あるべき姿に戻すべく尽力していると言うのなら、こちらに否やはない。ただ、協定の内容についてアテナに細かいご指示を仰ぎたいのでな。お前たちにしばらく聖域に滞在してもらえるとありがたいのだが」

「それはもちろんのことだ。ただ、何分にも、まだ各地に混乱が残っているのでな。このまま滞在できるのは、三日が限度だ。それを過ぎたら、俺は一度、冥界に戻らんとならん。他の者に仕事を委ねるためにな」

「十分だ。その際には、協定の第一案を持参して帰れるだろう。不在の間、パピヨンはこちらで丁重にもてなしておくゆえ、心配は要らんぞ」

 何げに人質をおいて行け、と言ったサガのセリフを即座に理解して、ラダマンティスがちらと部下を見る。パピヨンは、急いで頷いた。

「では、私はその間、こちらでご厄介になります」

 その声の固さに、カノンが苦笑交じりに口を挟む。

「安心して行って来い、ラダマンティス。そいつは俺が気をつけておこう。兄貴やムウにいびられんようにな」

「別にその心配は要るまいが。よろしく頼むぞ、カノン」

「ああ。どうせ今日のお前らの宿舎も双児宮だからな。何もできんが、飯だけは期待していいぞ」

 とりあえず会談の終りを感じてか、どことなく砕けたムードが漂い始めた。

「あまり調子に乗るな、カノン。……さて、双児宮に通す前に、一服してもらうとするか。茶も出さずにいて申し訳なかったな。これ、茶を運べ」

 サガは、すっかり雑談モードに入った弟と使者の姿にため息をついて、次の間に控えていた侍女を呼び入れた。

 香りのいい紅茶に、かつての故国を思い出してか。

 ラダマンティスは、ほんの少し目を細めた。

 

 

061017 up

 

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