「イレギュラーの神様」

(20)

 

 

 教皇の間に、カノンはいた。

「処女宮が……崩れたか」

 独り言のように、彼は言った。

 兄の小宇宙は既に消えた。ムウもアルデバランも、デスマスクもアイオリアも、みないなくなった。

 一人ひとり散っていく、仲間たちの小宇宙。もはや、処女宮より下の宮を守る誰一人の小宇宙も、感じられなかった。

「何が……起きているのだ?凪、お前は一体、何をしているのだ」

 思い出すのは、海底で、双児宮で、笑みを浮かべて彼の命に従う、幼い侍女の姿。

 誰にどのような扱いを受けても怒ることを忘れたように笑っていた、無力な少女の透明な瞳だけだった。

「お前が。サガやムウを殺めたとでも言うのか?弟たちまで殺して、このアテナ神殿へやってくるのか」

「……凪は来ます」

 答えた声に、カノンは振り返った。

「アテナ……」

 奥のアテナの間から出てきた沙織は、何が起きているのかを見通すように、下に続く12宮を眺め下ろした。

「アテナ神殿へ向かうこの道が、凪にとっての目覚めの道……ここへ辿りついたとき、凪はおそらく、人でなくなっていることでしょう」

「……アテナ」

 カノンは、女神の愁いと不安を湛えた横顔を凝視した。

「何をご存知なのです?聖闘士でもない娘に、12宮を突破すれば命を与える、などと言われたことも、あなたらしくない。こうなると、予想しておられたのですか」

 沙織は、ゆっくりとカノンの方を向いた。悲痛な笑みを浮かべた瞳が苦悩に歪むのを見て、カノンはどきりとした。

「……ええ。知っていました、こうなるだろうと」

 静かな威厳を持った声の語尾が、わずかに震えていた。

「私を軽蔑してもよいのですよ、カノン。凪が12宮の全てを突破した後、もしその前に立ちふさがれば。あなたも、皆と同じ運命を歩むことになるでしょう」

 カノンは、目を見張った。

「凪のするに任せるも、あなたの自由……あなたには海皇の海闘士として行く場所があるのですから。今、私の首を取ることもできます」

 手すりについて身体を支えた沙織の手も震えた。

「いっそ。私は、そうして欲しいような気がします。私が海皇と図って現状を導いたと知ったら、凪は今度こそ、永遠に私を許しはしないでしょう。いかに私を憎もうとも、彼女に聖闘士たちを憎むことは出来なかったものを」

「アテナ。我々は、あなたの聖闘士です」

 カノンは、静かにアテナの独白を遮った。

「あなたの命のままに死地へ赴くのが我らの本分。どうして、あれにそれを責める権利がありましょうか」

 カノンは、そっと跪いて沙織の手に口づけた。

「どうか、ご自分をお責めなさいますな。このカノン、あなたに背いて刃を向ける輩のあれば、決して許しは致しません。親兄弟であろうとも、この手で冥界へ送る所存にございます。……青銅の少年たちも、同じでございましょう」

「カノン……今一度。私を信じてくれますか。これは全て、地上のためなのだと」

「もう、お尋ね下さいますな。あれがここへ参ったならば、主たる私が引導を渡してくれます。せめてもの慈悲として」

 立ち上がったカノンから、沙織が目を背けた。

 それは能うまい、との彼女の思いを言葉よりも雄弁に語った表情に、カノンはかすかに笑みを浮かべた。

「ご心配はいりません。……サガを手にかけ、兄弟たちの全てを黄泉の国へ落とそうとも」

 カノンの目が、透明な色を湛えて、眼下の12宮を一瞥した。

「あれに、私を葬ることはできません。少なくとも、憎しみのためなどに」

 思わず顔を上げた沙織の目は、初めて十三歳に相応しいものになっていた。

「……そう思うのですか、カノン」

「はっ。私は、あれの主であれば」

 言い切ったカノンの顔には、一筋の迷いもなかった。

「私が死して冥界へ向かう際には、あれに伴を命じると致しましょう。それが、哀れな娘にも供養になると思えばこそ。故に、アテナもどうか、あれをお許し下さい。このカノンに免じて」

 最後の言葉に、沙織はハッとした。カノンの意思が、ようやく飲み込めたのだ。

 カノンは、凪がアテナ神殿まで辿りついて沙織の命を狙ったら相打ちで果てるつもりなのだろう。そして、それができると固く信じているらしいのが、沙織には不思議だった。

 兄のサガや神に近いと評判のシャカまでもが散っていくさまを見てなお、カノンには単なる敗北に終わらない自信があるらしい。

“……それは、一体……”

 沙織の脳裏を、ふと一条の危惧がよぎった。

 黄金聖闘士の中にすら凪に勝てるものはいないだろうと踏んだ彼女の予想は正しく、凪は驚くほどの速さで石段を登ってきつつある。

 しかし、城戸邸にあった幼い頃や聖域に来てからのことはともかく、海底神殿で凪とカノンが過ごした日々は、沙織には立ち入れぬ領域だった。

 もしや、カノンが真実、凪を葬る手だてを知っているのであったら―――――――

「……カノン」

「奥へお戻りを、アテナ」

 カノンは、静かに言った。

 あれの罪は、主である私の罪にございます―――――

 背を向けて歩いて行く彼女の騎士を、沙織はじっと見送った。

“ああ……”

 狂おしいまでの不安が胸をつく。

 人ならば、祈ることも許される。しかし神である彼女には救いを乞う相手もいないのだ。

「……星矢」

 何を考えることもなく幼馴染みの少年の名が、口から零れて出た。

 

 天秤宮。

 守護者である老師は五老峰に座し、空であるはずの宮にいたのは、紫龍と氷河だった。

「紫龍。氷河、君たちか」

 歩みを止めて自分たちを見た少女の表情を、2人の少年は一瞬見つめた。

「……凪。お前、か?」

「君たちも、私を止めるのか」

「そうだ。……悪く思うな。アテナの命を取らせるわけには、行かないんだ」

 紫龍と氷河は、同時に走った。

 紫龍のオーラが龍となって舞い、氷河の身体に凍気が吹き上がる。

 しかし凪は、渦巻く小宇宙の中でも、無表情に立っていた。

「すまないな。……無駄なんだ」

 すっと出された右手一本に、2人の小宇宙が軽々と吹き飛ばされた。

「無理をするなよ。君たちに、私が止められるものか」

 ほんの少し笑った凪の手が、愛しいものを抱き上げるように差し伸べられる。

 ……ゆっくりと、二人の身体は宙に浮いた。

 ―――――龍の逆鱗も白鳥の羽ばたきも、全てがエネルギーの渦に飲み込まれ。

 今、静かに眠る――――――

 

 天蠍宮。

 スカーレットニードルにはさほどの興味もなかったため、凪は一発食らう前に先手を打ってミロを積尸気へ押し込んでしまった。

 入り口を閉じてミロの姿が見えなくなるのを待ち、彼女は、少し息をついた。

「……テナ。アテナ、よ」

 宮殿を見上げる。

 残る宮はあと四つ。人馬宮は空のはず。魔羯宮にカプリコーン。宝瓶宮にアクエリアス。双魚宮にピスケス。

 いずれも彼女の敵ではない。大人しく寝かせてやれるだろう。

 それが済んだら、ようやくアテナと立ちあえる。

「行くぞ、そこへ。この日を、待っていた」

 ――――長い長い間、流浪の旅を続けながら。

 天を見上げてアポロンを呪い、海を見てはポセイドンを呪い、神たち全てを呪いながら。

 誰にも増して恨み続けてきたのは、地上で人々の戦いを司る、勇気の女神だったのだ。

「彷徨いながら。私が何を望み続けていたか、知ってるか?どれだけの思いで貴様の首を落としてやりたいと思ったか、想像してみることでもできるか」

 視線を落として眺めた掌に、力が漲っている。二本の足から駆け上がってくるような、エネルギーの迸りを感じる。

「その首を引きちぎって祭壇に乗せてやろう。私と弟の苦しみの、百分の一でも解るよう」

 弟。その言葉が、懐かしい思い出を連れて来る。

 ―――――明るくて、やんちゃな少年だった弟。父をなくし母をなくして、2人きりで身を寄せ合いながら、それでも人々を恨むようなことはするまいと、そう言いあってきた。

『……スは、やっぱり凄いや。何でもできるんだもんな』

 羨ましそうに、あけっぴろげな顔で言う彼の目には、いつも憧れが輝いていて。

『俺、頭悪いからさ。世話になってばっかりだよな。ありがと、感謝してる』

 真直ぐで朗らかだったその弟の顔から笑みが消えたのは、どれほどの前だったろう。

 あの、甘やかされて育った高慢な小娘がやってきた日から、彼らは多くのものを失ってきた。

 仲間たちは次々にいなくなり、自分たちは離れ離れになって長い時を彷徨い続け、そして自分がようやく弟を見つけたときには。

 彼は、もう――――――血まみれで――――

“そして。ああ、そして彼は”

 一人ぼっちにして済まない、と詫びながら。

『だけど……だけど俺、ダメなんだ。もう……耐えられないんだ。だから……』

“殺してくれ、と。このぼくに、そういった……”

「あああぁああっ!!」

 感情のままに力を解放する。崩れてゆく天蠍宮に立ち尽くす少女の頬には、涙が流れていた。

 

 人馬宮。

 不安に視線を交し合っていた星矢と瞬は、天蠍宮の崩壊音に宮を飛び出した。

「ミロも……やられたんだね」

「……凪……」

 星矢が、呆然と立ち尽くす。

 しかし、ショックに浸っている余裕はなかった。―――――石段を踏みしめて、凪は、真直ぐ彼らのもとへやってきたのだ。

 善とも悪ともつかない、アテナともハーデスとも違う、得体の知れない異質なオーラに全身を包んで、彼女は二人の前に立った。

「……やあ」

 静かに言った凪の身体は、幾つかの小傷と返り血に彩られてはいたが、彼らの基準では無傷に近いほど綺麗に見えた。

「通してくれるかな」

「……凪」

 瞬は、答えずに尋ね返した。

「氷河と紫龍をどうしたの」

「眠って貰ったよ。ぼくの、邪魔をするから」

 淡々と返した凪の口元には薄っすらと笑みが浮かんでいたが、目は表情がなかった。

 星矢と瞬は、それを凝視した。2人とも、特に星矢には、かつて見たことのある顔。

 行方不明になった後に、戻ってきた彼女の顔に張りついていたそれだ。聖域で再会して以来、綺麗に脳裏を去っていた辛い情景が、目の前に甦っていた。

 いや、異色の小宇宙を纏って吹き上がるような気迫を湛えた今の彼女は、思い出のそれより更に冷たく恐ろしく見えた。

「凪!もうやめろよ、こんなこと!」

 星矢は必死で叫んだ。

「どうしちゃったんだよ!?お前、沙織さんのこと嫌いだって、氷河や紫龍にまで、手ェ上げたりして、変だろ!」

「……邪魔をするからだよ。ぼくが殺したいのはアテナで、君たちじゃないのに」

「凪……そんなに、沙織さんが憎いの」

 瞬の問いかけに、凪が凍るような笑みで答える。

「憎いさ。……あの女が、ぼくを地獄に落としたんだ。あの女とその仲間が、ぼくの弟を殺したんだ。いつか殺してやる、と弟の死体に誓った。何千年も、そのために地上を彷徨ってきた」

“……え……?”

 その言葉を聞きとがめて、瞬が動きを止める。一方、星矢はそれどころではなく、ただ慌てて、歩き出した凪の前に必死で立ちふさがった。

「行くなよ。なあ、頼むから。俺、お前と戦うのなんか、嫌なんだよ!」

「ぼくも嫌だよ、可愛い星矢。そこを、どいて」

「〜〜〜っ」

 星矢の顔が歪み、追い詰められたように、彼は構えた。

「クソ―――――――っ!」

 拳が唸った。ペガサス流星拳だ。しかし凪は、片手で払った。

「だめだよ」

 困ったように微笑む凪に、星矢が重ねて技を繰り出す。

「あ……ま、待って!!」

 思わず割って入ろうとした瞬を、遠い声が止めた。

“……アンドロメダ。アンドロメダよ”

 聞き覚えのある声だった。耳でなく、脳の奥底から起こってくるかのような声に、瞬は新たな驚愕と共に思いっきり足を止めた。

「……あなた……ハーデス……?」

 一度は彼の身体を今生の器と選び、その魂を収めた。今は遠く離れて異界にあるはずの、冥界の王――――――

“驚くにも当たるまい。余とそなたは一つの身体を共有した間柄であろうが”

 笑みを含んだ口調に、瞬は嫌悪を振り払って叫んだ。

“あなたは退屈かもしれませんけどね、今は取り込み中です!一体、何の用ですか”

“つれないことよ。取り込み中ゆえ、手を貸してやろうと言うのではないか。そなた、今ペガサスの対峙している相手が誰か、知っておるのか”

「……何ですって?」

 瞬が聞き返すと、更にハーデスの笑いは大きくなった。

“ははは。あ奴、まだ諦めておらなんだのだな。しかし、あ奴ではアテナには勝てぬわ。余も、ペガサスに身体を砕かれた折りにはアテナも酷な真似をするものだと思っておった。あ奴もそれは予想できなんだのであろうよ。膝元まで食い込んだものを、哀れなことよ。守る者が自らの弟では殺せまい”

「ちょ……ちょっと待って下さい!あなた、凪のこと知ってるんですか!?星矢と姉弟だってことまで」

“知っておるとも。遥かな神代の昔より、あ奴を知らぬ神は居らぬ。余が冥界に居を定め、ポセイドンが海界に王となり、ゼウスが天を統べてなお、地上の覇権は定まらなんだは、何ゆえと思うて居るか”

「え……」

 瞬は、呆然と聞き返した。

 ――――――神代の昔、とハーデスは言った。アテナが神の姿のままで地上に下り立った頃から、凪を知っているということか。―――――いったい、凪は。何ものだと言うのだろう――――?

“ふふふ、混乱するのも無理はない。どれ。そなたの目を借りておる礼に、余の記憶を貸してやろう。あ奴とペガサスがまだ人でなく、哀れな姉弟であった太古のな”

「え?ちょっ……」

“人間のそなたには、少々きついやも知れぬが。死なぬよう気をつけるのだな”

 言葉と同時に。怒涛のようなイメージの奔流が、瞬の精神に流れ込んできた。

「―――――――――っっ!!!!」

 声にならない声を上げて、瞬は絶叫した。

 天界。海界。地上。そして、冥界。

 あまりに広大で深遠な宇宙の理の一片が、自分の意識を一杯に満たして、破裂しそうに軋ませる。

 地獄の裁き。エリシオンの妖精。二人の兄弟神。

 おびただしい死者たちの群れ。罪の汚れと償いを課す悪鬼たち。死者たちが贖罪に苦しむ、その間にも地上で重ねられてゆく終りなき罪業。

 その向こうに、この世界が始まった遠い遠い日の様子が見えていた。

 混沌としたカオスの中から天ウラノスが生まれ、地ガイアが生まれ、オリンポスの神々が生を受け――――――

「あ、あああ―――――――っ!!あああああ―――――――!!」

 絶叫して転げ回る瞬の異常事態に、凪と星矢がようやく気づく。

「瞬!!どうした!!」

 いきなり戦いをおっぽり出して仲間の側に駆け寄る星矢に、凪は一瞬迷って、自分も走りよった。

「どうしたの」

「瞬!!瞬、大丈夫かよ!?どーしたんだよ、一体!?」

 急いで抱き起こした星矢の目に、瞬が焦点をあわせる。

「あ……あ……あ……」

「瞬」

「……そう、だったんだ。……酷いよ、そんな……どうして……だから、星矢ばっかりが」

 奇跡じゃ、なかったんだね――――――――

 絞り出すように呟いた瞬の目から、涙が零れる。

「星矢……」

 友人の手を離れて身体を立て直した瞬の目に、凪が背中を向けて宮の出口へ向かおうとするのが見えた。

 その後姿に向かって、何も考えずに、瞬は叫んだ。

「凪!!星矢は、君の弟だ!!」

 凪が振り返らずに答える。

「ありがと。でも、ぼくは」

「違う!!そうじゃないんだ、解らないの!?一緒にコキュートスに落ちて、一緒に地上に戻って離れ離れになって、何百年も探し回ったんでしょ!?」

 凪の足が止まった。

「……え?」

「弟なんだよ、凪の!!お父さんもお母さんも殺されて、二人だけになっても一生懸命、人間を守ろうとしてくれたんだよね!?」

「瞬……お前、何言って」

 友人の額に手を当てようとした星矢の腕を、足早に戻ってきた凪が掴んだ。

「……星矢。君」

 覗き込んできた少女の顔は、今までにないほど青く引きつって見えた。

「……嘘、だろう?まさか、そんな」

「……嘘じゃないよ。ハーデスが教えてくれたんだ」

 瞬が叫ぶように答える。

「だから、星矢には奇跡を起こす力があったんだ。海底でメイン・ブレドウィナを砕いたのも、ハーデスの身体に到達できたのも、みんな」

「……お、おい?」

 何が何だか解らない星矢の手首をつかんでいた凪の力が、急に強まった。

「〜〜〜っ!!」

 星矢を捕まえたまま、勢いよく立ち上がった凪の形相に、星矢は思わず息を飲んだ。

「……凪」

「アテナ!!出て来いっ!!」

 吠えるような声と共に、小宇宙が吹き上がった。

 巨大な蛇が鎌首をもたげるように立ち上がった小宇宙の流れが、真直ぐアテナ神殿を直撃する。

「外道が!!貴様、よくも……このぼくの弟を、殺した後までも……!!!」

 星矢を引っつかみ、凪が駆け出した。恐ろしい力で引きずられる星矢に向かって、瞬が叫んだ。

「星矢!!凪を止めて!!地面に……地面に立てないところで、戦うんだ!!そうでないと……」

 その声がだんだん小さくなって行くのを、星矢は混乱の中で聞いた。

 

 ぺちぺちと頬を叩かれる感触があった。

「……起きて下さい。寝てる場合じゃないんですよ」

 聞き慣れた仲間の声だ。

「……う……」

 薄っすらと目をあけると、覗き込んでいるムウの顔が目に映った。

「目が覚めましたか、シャカ」

「……ムウか」

 その横にはアルデバラン。少し離れたところに立っているサガの姿も見える。

 全員が完全装備は当然として、煌く黄金聖衣には傷はおろか血のシミ一つもない姿に目をやりながら、シャカはムウの手を離れて立ち上がった。

「……生きていたのかね。死んだのだと思っていたが」

「人のことが言えますか」

 ムウが、ため息混じりに返す。

「何が何やら解りませんけどね。宮はガタガタですが、私たちは無傷です。うちの宮は、丁寧に貴鬼も無事でした」

「アイオリアとデスマスクの姿がないが」

「積尸気です。テレパシーで聞いたところでは、デスマスクが技を盗まれた上に放り込まれて閉じ込められたそうで」

 ムウが答える。

「時間はかかりますが、無事で戻ってくるでしょう。つまり、ここまでは一人の死者もなしと。彼女も相変わらず、気遣いの行き届いたことです」

「……そうか。まあ、不思議でもないがな」

 シャカは、さほど驚きの様子もなく一人ごちた。

「あの娘の正体が私の考え通りならば、我々に危害を加えるはずもない」

 その言葉に、全員が、おや、と言う顔になった。

「……まるで、彼女の正体が解っているようなことを言いますね」

「九分通りはな。……おそらく、違いあるまい。信じ難いが、私は確かに見たのだからな」

「……何だと言うのだ?あの娘が」

 サガが歩み寄ってきてたずねた時。

「!!!」

 人馬宮から、光の柱が吹き上がった。

 反射的に向き直った四人の目に、天を貫くように上がった火柱が真直ぐにアテナ神殿へ突き刺さるのが見えた。

「アテナ!!!」

 轟音と共に爆発したアテナ神殿へ、一同はものも言わずに駆け出した。

 

 積尸気、黄泉比良坂のほとり。

 陰気な空気が立ち込め、死者たちが無言で俯いて歩き続ける。

 その中で、ひとりカッカと熱気を放つものがいた。

「くっ!いつまでここにいればいいのだ!何とかならんのか、デスマスク!!」

 苛立たしげに怒鳴るアイオリアに、座り込んだ同僚は鬱陶しげな目を向けた。

「うるせえなあ……死界ででかい声出すんじゃねえよ。仕方ねえだろうが」

「仕方ないで済むか!!おのれ……あの娘、本当にアテナの首を取るつもりか!!」

「そりゃ本気だろうな。ここまで来て冗談でもねえだろう」

「何をのんきなことを言っている!!」

 アイオリアは、先に倍する音量で怒鳴りつけた。

「こうしている間にも、あの娘はアテナ神殿に辿りついているかも知れんのだぞ!?」

「……だからどーしろって?」

 デスマスクは、耳をほじりながら言い返した。

「俺が出られねえんだぞ。お前が喚いて歩き回ったとこで、何の役にもたちゃしねえよ」

「う……」

 アイオリアが、ギリギリと歯噛みをする。

 黄泉比良坂。

 本来出入りを操るデスマスクが打つ手がないといっているものを、力押しの他に芸のないアイオリアにできることなど、確かに何もない。

「しかし、だからと言って」

「いーから、待ってろ。多分、もう少ししたら次が来る」

「……次?」

 アイオリアが、眉を寄せて聞き返したとき。丁度いいタイミングで、ぱかっと次元に口が開いた。

「!!うわっ!!」

 ごろごろと誰かが転がり落ちてきて、すぐに裂け目が閉じる。

 継ぎ目がしっかりクリスタルウォールで閉じているのを確認するデスマスクの横で、アイオリアは放り込まれてきた人物の側に屈み込んだ。

「――――――ミロ!お前もやられたのか!」

「あ、ああ……どこだ、ここは?……積尸気ではないか!どうして」

「放り込まれたからだろ、あの姉ちゃんに」

 デスマスクが答えてやる。

「……ナギにか?一体、どう言うことなのだ。むう、最近の家政婦は、聖闘士の技も使うのか」

「んなわけねえだろ」

 キッパリ一蹴したデスマスクが、まだ座っているミロを蹴飛ばした。

「ほれ、早く立て。出るぞ」

「なに?しかしお前、先ほどは打つ手がないと言っていたではないか」

「二人じゃな。だから誰か次の奴が来んの待ってたんだよ」

「?」

 血の巡りの悪い後輩たちがまだクエスチョンマークを浮かばせているのを、デスマスクは呆れ顔で眺めた。

「黄金聖闘士が三人いりゃ、できることがあるだろーが」

 気づけ馬鹿、といわれて、ようやくミロとアイオリアはハッとした。

「あ……」

「……アテナ・エクスクラメーションか!?」

 黄金聖闘士が三位一体となって放つ、禁断の技。なるほど、あれならば、出口を閉じているクリスタルウォールを粉砕することもできるだろう。

「しかし……あれはアテナに禁じられた闘法のはずでは」

「阿呆。今さら何言ってやがんだ?お前らだって聖戦でやったろーが。大体、そのアテナがやべーってのに禁止もクソもあるか。ちんたら穴あけてたら、出たころにゃ、アテナのお嬢は生首だぜ」

 沙織のことが出ると、融通のきかない二人も黙った。

 何と言っても、アテナの命は最優先事項だ。自分たちが叛逆者になろうと、とにかく沙織の命だけは守らねばならない。

「……しかたない。やるか」

「ああ。一人が蟹では少々不安だが、やむを得まい」

「……解決策を出した先輩に対する態度か、それが……」

 ぼやきながら、デスマスクが要の位置につく。

 ミロとアイオリアが左右を固め、ミロが出てきた空間の穴に向かって、三人は構えをとった。

「行くぞ。一」

「二」

 ミロが続け、三人は呼吸を合わせて小宇宙を高めた。

「三!!!」

 聖闘士たちの声がハモった。

「は―――――――――っ!!」

 衝撃波が迸り、音を立てて水晶の壁に激突する。

 次の瞬間、キラキラと破片を散らして壁は砕け散っていた。

 

 

070403 up

 

 

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