「イレギュラーの神様」

(19)

 

 

 青銅の少年たちも眠れぬ夜を過ごし、それでも朝はやってきた。

 黄金聖闘士たちは、既にみな配置についている。

 第一の宮である白羊宮で、貴鬼を中に下がらせて、ムウは凪が現れるのを待っていた。

“……嫌な役目ですね……第一の宮と言うのは”

 これまでにも幾度か抱いたことのある感想を胸に、ムウは重いため息をついた。

 解っている。アテナを裏切ることなど、彼には思いもよらない。

 しかし、サガから全ての話を聞いてしまった上で、凪が死ぬべきであるとも思いたくなかったのだ。

“自分の人生を売って子供たちを救った娘。幼い身で子供たちを救うために、ひとり生き地獄へ進んで赴いた、勇気ある少女”

 できるものならば、どこか遠くへ追放して。ひっそりと、一生を終えさせてやりたい。

 少しでも、安らかな気持ちで――――――

「……」

 足音が聞こえて、ムウは顔を上げた。

「ムウ様」

 凪だ。当然だが、聖衣も何もない、いつもの動きやすい軽装。

「……来ましたね」

 ムウは、ふうっとため息をついて少女の表情のない顔を見やった。

「初めに言っておきますが。私は、あなたを通す気はありませんよ」

「そうですか。では、殺して下さいますか?」

「いいえ。それも、気が進みませんので。……ここで、話でもしていようかと思います。火時計の火が全て消えるまで」

 ムウは、穏やかに言ってやった。

「……12時間が過ぎたら、カノンや星矢も来てくれるでしょう。まだ生きている大切な人たちのために憎しみを捨てる努力をしよう、と言う気になってくれるといいと思っていますよ」

「お優しいお言葉、ありがとうございます。ムウ様」

 凪が深く頭を下げる。

「ですが。私は、やはりその言葉を受ける資格のないもののようです」

「と、言うと?」

「上へ行かねばなりませんから。アテナの命を取るために」

 そう言って見上げた凪の目は、真剣な光を湛えていた。それをムウは、やや気の毒そうに見やった。

「……無理ですよ。実を言うと、私は通しても構わないのです。上の宮の守護者たちの中には、本気であなたを殺すつもりでいるものが幾人かいるはずですから」

「ええ。その方が、私も心が楽なのですが」

「凪、命を粗末にするのはおやめなさい。あなたが、身体を張ってたくさんの子供たちを救ったのは立派だと言えるかもしれませんが、これ以上は、カノンや星矢を傷つけるだけですよ」

「……はい。傷つけることになると思います」

 そう言った凪の表情が、ふと、少し色を変えたように見えた。

「ムウ様。……私は本当に嘘つきなのです。あなた様やカノン様の優しさに値しないほどに……だから、自分がアテナより正しい存在であるとは思っていません。ただ、それでも」

 突然。ムウは、その場に何かが膨れ上がったのを感じた。

「私は。アテナを許すことができないのです」

 彼は、自分が見ているものが信じられなかった。語り続ける少女の全身から放射される激しいオーラ。

「人外の力……それ自体は、彼女の望んだものではないかもしれません。けれど、生贄を求めたのは彼女の意志です。聖域などと言うものを作り、人々を好き勝手に選んで運命を課して戦わせてきた。それが神の存在だと言うのなら、彼女もまた、存在することが罪」

 白羊宮いっぱいに。彼の未だかつて感じたことすらない異様な小宇宙が膨れ上がり、隅々まで満ちていく。

「……凪……あなたは……一体」

 彼は、混乱の中で呟いた。

 こんなはずはない。アイザックもカノンも、凪は海闘士ではないと言った。そして凪が聖闘士でないことは、ムウも絶対の確信をもって言い切れる。

 では、先ほどまで小宇宙の欠片もなかった筈の少女が、何故こんな化け物じみた気を放つのか。

 幾ら考えても、ムウには考える手掛かりすら浮かばなかった。

「……人間でいたかったのです。人として、子供たちを守りたかった。何故だか解りますか?ムウ様。力も小宇宙も、飢えて泣く子供には何の役にも立たないからです。……この力があってさえ、私は48人を死なせてしまった」

「……っ!!」

 増大していく小宇宙に反応して、アリエスの聖衣が飛んできてムウの身体を覆った。

 数秒で武装したムウは、向かい合った少女が相変わらず無防備な軽装で何の武器もなく佇んでいるのを見た。

 ただ、小宇宙だけが恐ろしい勢いで増大を続けている。善とも悪ともつかぬ小宇宙は、ただひたすら。信じ難いまでに、強大だった。

「……12宮の全てを抜けて、アテナの間へ行きます。力ずくで」

 少女は、無表情にそう言った。

 

 白羊宮に続いて、金牛宮のアルデバランの小宇宙が消えた。

 その頃には、聖域の聖闘士全員が何らかの異常事態に気づいていた。

 ムウの小宇宙が膨れ上がった末に弾けて消え、アルデバランの気配は気がついたときには消失していた。

 そして、何の気配もなく。

 足音は、双児宮に近づいていた。

 

 住み慣れた宮へ足を踏み入れた凪は、ふっと笑みを浮かべた。

 異質な気配。そして、先には出口が見えない。

“話に聞いていた、ジェミニの迷宮……”

 彼女の主たちが、次元や精神を操る技を得意とすることは既に知っていた。

 サガもカノンもめくらましの技をつかって迷宮を創りあげる力があり、以前には星矢たちが大分苦しめられたと言う。

「……残念ですが。双児宮は、私も暮らしていた宮ですよ。サガ様、カノン様」

 見えない出口へ向かって真直ぐに歩いた凪の足が、ふと止まった。

 ジェミニの聖衣をまとった姿が、行く手を阻むように立っている。

「サガ様ですか」

 相変わらず間違えもせずに主の名を呼んだ凪を、サガは厳しい目で見た。

「……ムウとアルデバランに、何をした」

「お休みいただきました。お2人とも、私を通すわけには行かないと仰るので」

 その声音に、サガの顔は険しさを増した。

「……貴様。一体、何者だ」

「さあ」

「ポセイドンの命令か」

「まさか。……いずれ。海皇の命も、頂戴します」

 神と名のつくものは、全て。この手にかけるつもりです――――

 言い切った凪に、サガの手が動いた。

「――――――アナザーディメンション!」

 一呼吸遅れて、凪の声が続いた。

「クリスタルウォール!」

「……!!」

 サガは、目を見張った。

 両手を広げた凪の前に現れた、無色透明の壁。

 ムウの技だ。いかなる攻撃をも跳ね返す、水晶の防壁。

「ばかな……っ」

 跳ね返ってきた己の技を、サガは何とか流した。凪がクリスタルウォールを解いて笑みを浮かべる。

「失礼いたしました。異次元へ飛ばされるのは困りますので」

「貴様……」

「金牛宮の火も、そろそろ消える頃ですね……先を、急がせて頂きましょうか」

 呟いた凪が、大きく右手を振り上げた。

「!!」

 ムウ必殺の、スターダスト・レボリューションだ。掌から迸った星屑の塊が奔流となり、サガを飲み込もうと押し寄せて来る。

「くっ……このようなもの!跳ね返してくれるわ」

 叫んだサガの目が、ギラリと光った。

 もう手加減はできない。何者であろうとも、目の前にいるのは、はっきりと敵なのだ。

 サガの両手が交差する。

「くらえ!!双子座最大の拳!」

 ギャラクシアン・エクスプロージョン―――――――

 凪の放った星屑が、宮を揺るがすような音を立てて豪快に砕け散った。あまりある余波がなおも荒れ狂い、凪に襲い掛かって跳ね飛ばす。

「……もはや。貴様を生かしておくわけには行かん。覚悟するがいい」

 留めの拳を振り上げたとき、身体を起こした凪の両手が交差した。顔は、不思議な笑みを浮かべている。

「……何のつもりだ」

「お礼を申し上げます、サガ様。強力な技が欲しかったのです。……ちょうど、このような」

 聞き返す間もなく、凪の叫びが耳を貫いた。

「ギャラクシアン・エクスプロージョン!!」

「!!」

 咄嗟に受け止めたサガは、己のそれを上回る圧力に愕然とした。

“……何だ……この力は……”

 必死で押し返すサガの目に、凪が一度手を引き、そして再び交差するのが見えた。

「!しまっ……」

「ギャラクシアン・エクスプロージョン!!」

 ――――ダブルで己の必殺技をまともに食らった彼の意識は。それっきり、途切れた。

 

 巨蟹宮のデスマスクは、静かな足音に、

「来やがったな」

と呟いて立ち上がった。

 住居から出ると、宮を通ろうとしていた凪が振り返った。

「デスマスク様。あなたも、私を止めますか」

「……止めねえ訳にいかんだろうが」

 答えるデスマスクは、既にフル装備だ。

「一応聞いとくけどな、姉ちゃん。お前、どうやって双児宮抜けてきたよ?サガが泣き落としで落ちるはずはねえからな」

「ええ。失礼して、力ずくで通ってまいりました」

 デスマスクの目が細められる。

「……まさかと思うが。家政婦の小娘に、あのサガがやられたってんじゃねえよな?」

「さあ。どうでしょう」

 くくっと笑った凪の顔に、デスマスクは構えた。

「……見た目どおりじゃねえらしいな、てめえは」

「どのように見えても、私は変わりませんが」

「……」

 相手の手の内が見えないことに逡巡したデスマスクが、じり、と一歩踏み出す。

「……どうしたよ。どんな芸があるんだ?何かやってみろ」

「と、申しましても。相手のやり方も解らないで覚えたての技をぶつけるのは、気が進みません」

「ほう……」

 と。デスマスクは、いきなり前振りなしで積尸気を開いた。

「!」

 凪が、さすがに不意を突かれて隙を見せる。

 デスマスクは、そのまま強引に凪の魂を捕らえて引っ張った。

「……観念しろ。どんな芸があろうが、積尸気冥界波はいっぺん捕まったら逃げられねえ技だぜ」

「……っ!!」

 しばし抵抗した凪の魂が、やがてぷつりと糸が切れるように抵抗なく積尸気に吸い込まれていく。

 抜け殻となって倒れた凪の身体を、デスマスクは見下ろした。

「……悪いな。成仏しろや」

 呟いて積尸気を閉じようとしたデスマスクは、はっとした。

 閉じない。彼が開いたはずの積尸気の口が、どうやっても閉まらないのだ。

「おい……嘘だろ?」

 躍起になって閉じようとした彼に向かって、積尸気から一本の腕が伸びた。

「!!」

 ギョッとする間もなく、その腕に首根っこを掴まれて、デスマスクは積尸気に引きずりこまれていた。

「……っ」

 積尸気の中で、腕を振り切って地面に降り立った彼は、目の前にいる凪を見た。

 黄泉比良坂へ向かう亡者の群れに並ぶ気配もなく、相変わらずの微笑を浮かべている。デスマスクは、へっと鼻を鳴らした。

「なるほどな。確かに妙な芸があるみてえだが、こっからどうする気だ?あいにくここは俺の独壇場だぜ」

「ええ、そうでしょうね。ですから、ここで戦うのはごめんこうむります」

 動揺の様子も見せずに言い放ち、凪は突然踝を返した。

 意表をつかれて一瞬動きの止まったデスマスクの前で、彼女がまだ開いているこの世とあの世を繋ぐ門に向かって跳ぶ。

「おっと!」

 すぐ正気に返ってデスマスクの伸ばした手を紙一重のところで逃れて、凪は現世へ飛び出した。

「そうはいかねえぜ。今度は、俺が引きずり戻す番だな」

 無造作に自分も後を追ったデスマスクは、びたん、と何かに顔をぶつけた。

「のわっ!?」

 一度のけぞり、慌てて視線を戻したデスマスクは、空間にあいた穴の向こうで笑う凪の姿を見た。

「と、言うわけです」

「って……クリスタルウォールだあ!?」

 そう。よくよく見ると、先ほどデスマスクを弾いたものは、透明な壁だった。ムウの持ち技のはずのクリスタルウォールだ。

「てめえ……!!」

 凪は、飛び出した瞬間に自分の後ろにクリスタルウォールを張って、積尸気の入り口を封鎖してしまったのだ。

「な、何てことしやがんだコラ!」

 デスマスクは、思わず喚いた。

 入り口が閉じたのなら彼が開けることが出来るが、こんなことをされたら出る術はない。ムウのクリスタルウォールはデスマスクとめっぽう相性が悪くて、破れたことなど一度もないのだ。

 時間をかければ別のところに空間の穴をうがつことは可能だろうが、確実に12時間以上はかかるだろう。

「では、私は先を急ぐとしましょう。ああ、あなた様の技も頂きますよ。非常に役に立ちそうです、積尸気冥界波は」

「!てめえ」 

 デスマスクは息を呑んだ。すると、このクリスタルウォールは――――

「……いっぺん見ただけで、真似できるってのか?冗談だろ」

「いいえ。さすがに無理ですよ、それは」

 凪が苦笑を洩らす。

「この身体で受けて見なければ、完全にはね。どのくらいの威力かも確認しなければなりませんし……何しろ、私は全く戦闘用の技と言うものを知りませんでしたから」

「ほう……一つ訊くが」

 デスマスクは、頬に冷や汗が伝うのを感じながら尋ねた。

「幾つ。覚えた?」

 凪が肩を竦める。

「ムウ様からは、スターダストレボリューションとそれを。サガ様のギャラクシアンエクスプロージョンはありがたく頂戴しましたが、アルデバラン様のグレートホーンは遠慮しておくことにしました」

「……!!」

 双子座最大の技の名に、デスマスクの顔が強張る。

 もし彼女が、サガやカノンと同じレベルでギャラクシアンエクスプロージョンを放てるとしたら―――――たとえシャカでも、勝てる確率は50%を切るだろう。

「では、どうぞごゆっくり」

 凪が会釈して、巨蟹宮の出口に向かって歩き出す。

「待てコラぁ!!て言うか、こんな真似ができるかふつー?常識的に無理だろ、これ!!何なんだ、お前は――――――っ!!」

 デスマスクの声が小さくなって行くのを聞きながら、凪は一人、

「何なんでしょうね。私も解らないんです」

と呟いた。

 

 獅子宮。

「食らえ!!ライトニング・プラズマ!!」

 アイオリアはのっけからフルパワーでぶっ飛ばしてきた。

 雷光に身を裂かれて倒れた凪を、アイオリアが見下ろす。

「誰であろうと、アテナに逆らうものは通さん。死ね」

「それは遠慮します。……積尸気冥界波」

 ――――所要時間、7分と20秒。

 凪は、ライトニングプラズマを貰って礼代わりにアイオリアを積尸気へ放り込み、きっちり出口をクリスタルウォールで閉じこんで宮を後にした。

 

 処女宮。

 ほとんど日課のようにして茶を運び慣れた宮の半ばへ来て、凪は立ち止まった。

「シャカ様」

 座禅を組んだシャカの姿。

 目は相変わらず閉じているが、研ぎ澄まされた小宇宙のためか、閉じた瞼を通して見据えられているように感じられる。

「ご迷惑をかけますが、通しては頂けませんか」

 一応尋ねてみると、シャカは、それには応えずに薄っすら目を開いた。

「――――――君は。何ものなのだね」

「さあ。よくは解りません」

 凪は、小首を傾げて微笑んだ。

「ただ。アテナにもあなた様にも負けないだけの力を持っている、と言うことしか」

「ほう。いつからだ?」

「おそらくは、生まれた時から」

 シャカの顔に、かすかに驚きの色が走るのを、凪はじっと眺めた。

「……人ではないな、君は」

「はい。人の親のないことだけは、知っています」

「しかし神でもない……君の小宇宙は、冥王ハーデスともアテナとも本質的に異なるようだ」

「それも、海皇に会った時から知っていました。あちらは気づきもしなかったようですが」

 一瞬の間を置いて、今度は凪が尋ねた。

「――――あなたは。他者の本質が善であるか悪であるか、見抜く能力があると伺いました。あなたの目で見た私は。一体、どちらなのでしょうか?」

 私は。悪魔ですか、それとも神ですか―――――

「……さあな。私にも、解らん。強いて言うならば、君の小宇宙には善悪がない……ただ絶対的な強さが存在するのみだ。このシャカ、20数年を神仏と対話してきたが、このような小宇宙と相対するのは初めてだ。しかし、一つだけ確かなことがある」

 シャカの手が動いて、印を結んだ。

「アテナのお命を狙ってこの十二宮を突破せんとする君は、私の敵だ。……オーム!」

 攻撃的小宇宙が、その場に弾けた。

「クリスタルウォール!」

 水晶の壁がシャカの攻撃を弾いて散り、破片が昇華して消えてゆく。

 煌く光の粒の中、凪は痛ましげな色を浮かべてシャカを見た。

「やはり引けませんか」

「当然であろう。君が死ぬか私が死ぬか、二つに一つだ。ここまで来て、何を甘いことを言っているのだ」

「選ばなくてはなりませんか」

「不服ならば、私が選んでやろう。死ぬがよい」

 再びシャカの小宇宙が爆発する。

 凪は、今度は避けなかった。ほとんど無防備な身体で正面から受け止めて吹っ飛んだ。

 血がつたった己の手を、凪は軽く舐めた。

「業の深いこと……こうして、私は一段ごとに修羅への階段を上がっております。……あなたの技も、頂きましょう」

 自身の血で赤く染まった凪の手が印を結んだ。

「!!」

 一息遅れて同じ印を形作ったシャカの前で、二つの技が激しくぶつかり合って消えた。

「……技を盗むのか。君は」

「仕方ないのです。虎狼ならば習わずとも戦えるでしょうが、私に生来備わっているのはこの化け物じみたオーラだけ。人を傷つける術は、みな下の宮の聖闘士の方々から教わりました」

 雷光が走った。アイオリアのライトニングプラズマだ。何とか防いだシャカの見えない目に、凪が腕を交差するのが感じ取れた。

「その度ごとに、アテナへの憎しみが募ってゆきます。……戦いがしたければ、己で戦えばいい。人に人を傷つける方法などを学ばせて、彼女はそれを正義と呼びますか。大義のためと女神の謳う幻想に踊らされて、あなた方はどれだけの血を流すのですか」

 ギャラクシアン・エクスプロージョン。双子座最大の奥義の気配を感じ取り、シャカが防護壁を張る。

「……私たちは、それぞれに宿命を選んできたのだ。それを君に非難される覚えはないし、ましてや同情などされたくはない」

「では、星矢や紫龍も自身で望んで選んだのだと言いますか」

「知らんな。それは当人に尋ねるがいい。……生きていたらな」

 渾身の力で凪のG・Eを跳ね返して、シャカの目が開いた。

 ――――ひとたびその術中に陥ったならば、逃げることも防ぐことも不可能と言われる乙女座最大の秘奥義。天舞宝輪―――――

「第一感。剥奪!」

「!」

 凪の全身に衝撃が走った。

“触覚を失った……これが、シャカ様の”

 握った指先の感覚も、来ている服の衣擦れさえも感じられない頼りなさ。

「第二感、剥奪」

 嗅覚。息苦しさの中で、凪はシャカの見開かれた目を見た。迷いのない瞳。慈悲の持ち合わせはない、と言ってきた己の言葉を裏づけるような無表情だ。かすかの躊躇もなく、彼は凪の命を断つのだろう。女神の名の元に、これまで幾度もそうしてきたように―――

 そう思った瞬間、我を忘れるほどの激怒が凪の身体を貫いた。

「……神の定めた正義などが。同胞の死体の山を築いてまで通すべきものですか!」

 叫びと共に、空間が爆発した。

「!」

 シャカは驚愕に目を見張った。

 天舞宝輪の陣を、内側から破らんとするエネルギーの塊。張り巡らされた技が軋む音が聞こえるようだ。

「く……っ」

「……神に近き人、と呼ばれるあなたに問いましょう。神とは。どのような存在だと?」

 像が歪むほどのエネルギーの中から、問いかける声が聞こえた。

「己の命を捨て、他者の命を捨ててあなたの仕える女神がどんなものか。あなたは知って居るのですか」

「……君は、知っているとでも言うのか」

「誰よりも。……私の家族を皆殺しにした女。私を生きたままの地獄へ落とした女。ただ一人遺された弟さえも、苦しみの果てにあの女の手で死に追いやられた!」

 凪は叫んだ。

 家族など居たこともないはずなのに。弟など、初めから居はしなかったのに。

 言葉は勝手に口から走り出し、なぜか全てそれは正しいことのような気がした。

「やっと見つけた、その女は!!今、人々を盾にして、この戦いを見下ろしている!!」

 踏みしめた足にもう感覚はないはずなのに。地面を踏んだ両足から力が身体を駆け上がり、それが怒りの声となって口をついているようだ。

「見るがいい、神よ!!ゼウス、アポロン、そしてオリンポスにある全ての神々よ!私はいつか天へ攻め上り、貴様らを滅してくれよう!!」

 大地を揺るがす声。彼女の足元から石畳に走る亀裂。やがて天舞宝輪が破裂し、エネルギーが四方八方に放射して燃え上がった。

 衝撃波を受けて崩れ落ちる処女宮の中、シャカはなす術もなく、その様を見ていた。

「……解ったぞ。……君の……真の姿は。そうであったのか……あなたは……」

 神であって神でないもの。天に背き、人の姿で生を受けて人の世を彷徨う宿命のもの。

 優れた叡智と無限の力を携えて神々と対する、永遠の叛逆者。

“あなたは―――――――”

 座して動けない守護者の上に。処女宮は、轟音を立てて崩れ落ちた。

 

 

070316 up

 

 

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