「日の光さえも射さない、その国で」

(9)

 

 

 ――――メルルは、夜の帳が下りた岩山の前に居た。

『……ここは……?』

 目の前に広がるうっそうとした森には、どこか違和感がある。嫌な感じを覚えて振り返ってみれば、岩山だと思ったものは城だった。

 その前に、男が立っている。長い髪が、腰まで流れている。

 身にまとう豪華な長衣から覗く肌の色は、夜の闇にもぼんやりと青かった。

『……っ』

 男の目を見ると、身体に震えが走った。

 思わず我と我が身を抱いたメルルの姿は、しかし男には見えていないらしい。すう、と視線を上げた男に向かって、歩いてくる影があった。

 軽やかな足取りでやってくる女。肌の色は魔族のものでないが、どうしてか人間には見えない。短い茶色い髪が夜風に揺れる。

 戦士姿の女は薄く笑いながら、魔族の男に歩み寄って、腕に抱いていたものを差し出した。

『そら。受け取れ、約束のものを』

 突き出されたものを見て、メルルはあっと声を上げた。

 薄い布いちまいに包まれて女の手にあったのは、赤ん坊だった。

 生まれて幾日も立たないだろう嬰児は、眠っていないが泣いてもいない。ただ、半開きの瞼の間からぼんやりと見える瞳は、質の悪い水晶のように虚ろに曇っていた。

『生まれたか。……面倒なことよな』

 男が無表情に言って片手で受け取る。首筋から掴まれても、赤ん坊は何の反応も示さなかった。

『大事に扱うのだな。二度とは作れん、我らの守り神だ』

 言い残して、女があっさりと背を向ける。とんとん、と二歩ばかり歩いて、不意に細い足が大地を蹴った。

 驚きに見上げたメルルの前をゆうゆうと飛び去っていくもの。

 それは、一頭のドラゴンだった。

『……ふん。守り神、だと?ふざけたことを』

 冷たい声に振り向くと、男は赤ん坊を手荷物か何かのようにぶら下げて、城へ戻るところだった。

 ぶらん、と吊るされた赤ん坊は、やはり声一つ立てない。

『……だよ。……に、……か?』

 不意に、天から声が降ってきた。

“……え?”

 辺りを見回すと、今度は少年が立っていた。魔族の男がぶら下げた赤ん坊に、これは明らかに人間の少年が声をかけている。

 月明かりに逆光となっているせいで顔は見えないが、荒んだ空気を漂わせた少年のシルエットには見覚えがあった。ただ、名も素性も、どうしても思い出せない。

『誰だよ、お前。俺に何か用でもあるのか?』

 少年が乱暴な口調で言い捨てたとき。初めて、赤子の表情が動いた。

“!!”

 かっ、と目を見開いて猛々しい産声を上げた、赤子の額には。

 あの、勇者ダイが竜騎将バランから引き継いだはずの、ドラゴンの紋章が輝いていた。

「――――――ぁあっ!!」

 ばっ、と寝台から起き上がったメルルは、自分がテラン城の寝室に居ることに気づいた。

「……あ……」

 メルルは、びっしょりと汗で濡れた夜着に気づいて、大きくため息をついた。

“……今の……夢は……?”

 赤子の額に輝いていた紋章を思い出して反射的にダイに考えが至ったが、すぐに違う、と自分で否定する。

 そんなはずはない。ダイは正当なる竜の騎士バランと人間の王女ソアラの間に生まれた子だ。

 肌の青い魔族の男がバランであろうはずがなく、竜となって飛び去った女は絶対にソアラではありえなかった。

「……では、あの子は……?竜の騎士様の証を額に持つ、あの赤子は」

 ただの夢では、なかった。幼い頃、本当にたまにだけ見ていた、暗示の夢。普段見る唯の夢とは、明らかに違った感覚があるのだ。

「竜の騎士は、もはや三界にダイさん一人のはずなのに……」

 では、太古の昔に起きたことなのか。けれどバランの言では、正しい竜の騎士には父もなく母もないという。その命は聖母竜によって代を重ね、地上に生まれ落ちた後は神の子として人々に育てられる存在なのだと言う。

 その伝説からは、彼女の見た光景はどうしても繋がらない。

“……竜の騎士……三界の調停者……魔族の神と竜の神と、人の神とが創ったと言う、戦士……”

 そこまで考えて、メルルははっとした。魔族の男と、竜の女。

“……始まりの騎士様は……魔族の神と竜の神と、人の神に……生み出された……?”

 しかし、魔族と竜族まではともかく、その先を考えるとやはり違和感が首を傾げさせる。

“あの子供は……?あの少年が、私たち人の神……?”

 それはおかしい。あの少年は、普通の子供だった。

 魔族の男と竜の女が漂わせていたような常ならぬ気配など欠片もない、ごく当たり前の、一人の人間だった。

 あれが竜の騎士を生み出した神々の一人だとは、とうてい思えない。

“……解らない”

 額を押さえて、はあっと息をついたメルルは、寝台を降りてテーブルに歩み寄り、卓上の水差しからグラスに水を注いで飲んだ。

“……暗示の夢なんて、何年も見ていなかったのに……どうして、いきなり”

 今になって彼女の心の奥底を揺さぶったものが、何かあるのか。

 思い当たることは、一つだけ。メルルは、くっと目を瞑った。

 ―――六年前、最後に見た暗示の夢は。太陽のない世界にそびえ立つ石塔と、そこに恐ろしく響くドラゴンの咆哮だった。

 石塔の麓でモンスターたちに追われてひとり逃げ惑う魔道士の少年が見えたところで、夢は終わっていた。

 ポップの失踪が引き金になって見た暗示の夢――――あれは、少なくともあの時点では、おそらく真実だった。

 ―――――では、今日も。数日前のポップの帰還をきっかけに、何かポップに関わるものを夢に見たのだろうか?

“……ポップさん”

 胸の内で名を呼ぶと、パプニカの城で六年ぶりに会った青年の、硬い眼差しが甦る。

 新しい仲間を紹介し、魔界で妻を迎えた、と語った大魔道士の、動かぬ冷静な瞳。

“……まさか、あんな”

 生存の知らせを受けてパプニカを訪れた時は無我夢中で、ポップの結婚など夢にも考えなかった自分を、むしろ笑いたかった。

 そうだ、生きていたならば、当然一人ではないだろう。どこにあろうとも、孤独に彷徨う姿など、彼に似合いはしない。仲間が居てこそ輝く人だと、ずっと昔から知っていた。

 ひとり魔界で朽ち果てたか、生き延びて孤独に苦しんでいるか、と考えて胸を痛めた日々が丸きりの見当はずれであったことを、喜びたいような憎みたいような混乱した思いが胸を突き刺す。

“ああ。いっそ、ついてゆきたかったと思います。あの時に。7年前、あなたが地上から姿を消したあの時に”

 メルルの心は、いつか十代の少女の頃を鮮やかに呼び起こしていた。

 震えながら戦いを続ける少年の一途さ、必死さ、優しさ明るさに、ただ憧れて恋焦がれた。明日をも知れない戦いの中、例えようもなく切ない恋だった。

 幾度か死の危険に直面した時でさえ、ただ愛しい少年と魂を寄り添わせて死んでゆけるかもしれないという喜びが、いつも胸のどこかにあった。

―――――二人共に生き延びて、それぞれの道を歩んだことで、永遠に失ってしまった恋だった。

 彼女のあずかり知らぬところで、彼女の知る明るさ強さをそのままに。ポップは、再び望むものを手に入れていた。

 家族を、仲間を、自分の国を。

 ――――その彼の横に、もう彼女の居場所はない。盟友として、仲間としての場所すらも。

“ああ……ポップさん”

 メルルは、両手で顔を覆った。

 今となっては、もう遅い。

 たとえ今から縋りついて懇願し、ポップが気まぐれに端女として魔界へ連れ帰ろうと承諾したところで、自分は行けない。行かないのだ。

 彼女は、テランの巫女だ。復興に当たって、勇者パーティーの一人である自国出身の若い巫女に重臣たちが着目し、国民の心を一つにするためにメルルは巫女や神官たちの長としてテラン宮殿に迎えられた。

 あまりに人手不足なためにお飾りの人形では居られず、六年間を祖国のために働き続けてきた彼女は、今も己のなすべきことを知っている。

 子供たちを教育する学校は出来たばかりで、中身の指導者は空に近い。大戦後、他国で焼け出された国民が続々と帰国したために急激に増えた人口。輸送機構が整っていないために、物資の不足が甚だしい。

 パプニカの女王、カールやベンガーナの国王、リンガイアの将軍などと顔見知りで気軽に非公式の連絡を取れる立場のメルルの存在は、今もテラン政府にとって不可欠なのだ。

“――――地上の人間の国で、私は巫女になった”

 メルルは、胸のうちで呟いた。

“あなたが魔界で一国を創る間に。私は、テランの人々を守る巫女になりました”

 人間が人間のためだけの統治を行う、平和な国で。人間のためだけに祈る巫女に。

 六年を経てゆっくりと風化していったはずの古い想いが。これほどまでに生々しく蘇って己の心臓を貫き、見えない血を吹かせることに自分で驚く。

“戦いが終われば、生き延びた人々は未来のために尽力しなければならない。それを解っていても、今だけは思います。大戦の嵐の中で、燃え尽きてしまいたかったと”

 数日後にはサミットがある。自分は、王の連れの一人として同行するだろう。

 今度こそ、テランの臣としてアルキード大公に接し、条約を締結するための話し合いにテランの行政官として加わるのだろう。

 地上とアルキードの間に不和が生じた場合のことなど、考えるのも嫌だった。

 六年前のあの日、いっそ殺してやりたいほどに憎んだレオナを、今の彼女は同じように詰れるだろうか。

 祖国で行政官の一人として働く、現在の自分は。

“迷いのない子供のままで、死にたかった。あの日に、私たちがあれほど近くいられた時に。ポップさん、あなたの腕の中で一度息絶えた日に、私は二度と甦らぬように死んでしまえばよかったとすら、思います……”

 メルルは声を殺して泣いた。

 

 青空の下。

 ベンガーナの旗を掲げた船団が、水飛沫を上げながらパプニカの港に姿を現す。

 オーザムの紋章を記した馬車がガラガラと音を立てて城門をくぐり、その後方にはリンガイア騎士団の姿が見えている。

 各国の王たちが臣下を連れて到着する様を、一足先に訪れていたカールの国王夫妻はパプニカ城の広間の窓から眺めていた。

 組んだ両手を卓上に預けて思いにふける女王フローラの美しい横顔を隣からちらりと見た夫の名は、アバン。

 かつて魔王との間に繰り広げられた二度の大戦を先頭に立って戦い、勇者と呼ばれた男だ。

 魔族の神と自ら称するほどの強大な力を持った大魔王、バーンを相手に回した二度目の大戦では、自ら戦場に立ったのみならず、若い次世代の戦士たちの指導者としても大きな功績があった。

 武闘家マァムも魔剣戦士ヒュンケルもアバンの使徒であるし、何より竜の騎士たる勇者ダイが彼の教え子だ。パプニカ女王レオナも、大戦中に受けたアバンの印を今も大切に胸にかけている。

 二度めの戦後を迎えて、一次大戦の際は故あって別れた想いびと、カール女王フローラのもとへ今度こそ結ばれて婿入りしたアバンは、今は賢明で温和な名君として近隣にも知られている。

 しかし今日この日にパプニカを訪れて、元勇者であるカール国王の表情には憂いがあった。

 七年前には勇者ダイと共に魔王バーンと対峙し、世界中にその魔法力を知られた大魔道士ポップもまた、彼のかけがえのない生徒の一人だったのだ。

 最も感受性の強い思春期に戦火の中で多くのモンスターと触れ合って差別的な考えを嫌うようになり、その上に若さ故に融通の利かない状態で大きな力を手にしてしまった魔道士の少年が、戦後の復興の中で少しずつ周囲との軋轢を大きくしていったことは、アバンもカールの王宮で耳にしていた。

 何と言って諭せばよいだろうか、と思いを巡らしている間に、事態は彼の想像を超える速さで急転していった。

 大戦の終結から一年ほどが立った時、何回目かのサミットから戻った妻フローラの顔色に気づいて問い質した彼は、返された答えに愕然とした。

 ――――永遠に故郷を捨て自ら消える道を選ぶと、ポップが宣言したことを知って。

 慌てて引き止めるために使いを出したときには、もうポップは、この地上世界のどこにも居なかった。

“ただ一人で、別の世界へ。仲間も家族も親友も何もかもを捨てて、一体どんな思いで、ポップはその決断を?”

 自分を慕い家出してまでついて来てくれた愛しい弟子に、保身のために己を曲げることだけは教えないできた自分を、彼はそのとき初めて激しく責めた。

 お調子者だが心優しく暖かい、勇気ある少年。人間の弱さと強さを共に十分すぎるほどに持ち、寂しがり屋で仲間をとても大切にしていたポップが、一人ぼっちで当て所のない旅に出てどこを彷徨っているのかと考えると、胸が切り裂かれるようだった。

「……ポップ」

 追憶に捕われて思わず口から漏れた言葉に、妻が顔を上げる。

「え?あなた、何か」

「いえ。何でもありません」

 アバンは、手を振り強いて笑ってみせた。

 六年前。サミットでの一幕を語りながら、青ざめてゆく夫を目をそらさずに見返したフローラは、それでも口を閉ざして詫びようとはしなかった。

 アバンもまた、妻を責めようとは思わなかった。

 女王の夫であり、共同為政者でもある身として、妻が心を鬼にして大魔道士の少年を追ったことは痛いほど解った。近しい友人であったレオナ女王、フローラよりずっと付き合いの長いロモス国王を差し置いて彼女を責めることなど、できない。

 師である彼ですら、現在は女王の夫であり共同為政者である、と言う大義のもとに、動かない。復興中の自国をあけてまで弟子を探しにゆくことなど、考えることも許されないのだ。

 胸の内で血の涙を流したとしても、自国の民を優先しなければならない。それが為政者であり統治者である王族の聖なる義務だ。

 フローラと婚姻を結んだときから、覚悟していた。

 彼はそれきり、ポップの名を口に上らせることはなかった。

 マァムやヒュンケルの前ですら強いてその話題を避け、ただ、どこかで生きていてくれるのだろうか、と一人で思い出すたびに胸を痛めてきた。

 その愛弟子が、今日、再び彼の前に現れる。

 それも魔界の国を統治する支配者として、彼の妻と対等の立場でサミットに参加すると言うのだ。

“……元気でいたことは素直に喜ぶとして、人間を憎むようなことになっていなければいいのですが……ダイの父親の、バランのように”

 アバンは、妻の横顔から視線を外して空を見た。

 ポップが若さゆえの一途さで人間の醜さを受け入れられずに去り、そして魔界で仲間を得て力をつけた上で再び地上へ戻ってきたという事実に、どうも不穏な胸騒ぎが心を去らない。

“ポップ……人間は決して美しいだけの存在ではないが、また、醜く汚いだけの存在でもないんだ。その両面を持ち合わせた上で、悩みながら明るい未来へと歩いてゆけるのが、人間なんだと”

 まさに、大戦時のポップが、そうであったように。

 強大な敵の前で恐怖に竦み、死の危険に怯えながら勇気を奮い起こし、ひとり逃げては迷った末に戦場に戻ることを繰り返して。

 一見すると矛盾や無駄ばかりのような行動の中で少しずつ成長していったポップの姿こそが、人間というものの本質なのだと。

“それが実感として解るまでは、この世界であなたに成長して欲しかった。他のどこでもなく、人間の世界であるここで、大人になって欲しかったのに”

 十五歳の幼さにしてあまりに強大な力を手にしてしまったことが、彼の運命を歪めたのだろうか?あれほど大きな魔力を持っていなければ、モンスターに好意的だからといって排斥されることはなかった。何より、地上に嫌気がさしても、立ち去ることなど出来なかったはずだ。

 そこまで考えて、アバンは小さく首を振った。

「あなた」

 フローラが、先ほどから思いに沈んでいる夫を気がかりそうに見て小さく声をかける。彼は静かに微笑んで、

「気にしないで下さい、フローラ。くだらないことを考えてしまって、自分で呆れていたんです」

と言った。

 そう、くだらないことだ。

 ポップが、あの力を手に入れていなければ。そもそも人間の世界そのものが、なかった。

 地上はとっくに大魔王バーンの手で失われ、日の光を浴びていたのは魔界の大地になっていたはずだった、と言うことに、今更ながら思い至ったのだ。

“……ポップは、まさに人間のために、あれほどの魔法使いになったのだと言うのに”

 直接バーンを倒したのは、ダイだ。しかし、当時ポップよりさらに幼かった十二歳の竜の騎士には、それは決して当然の勝利ではなかった。

 ダイに寄り添い親身になって思いやり、誰よりもすぐ傍らで自らも苦しい戦いを重ねていた親友の魔法使いが居なかったら、ダイは大戦で屍をさらすことになっていただろう。すぐ隣で同じように苦しみながら顔を上げて歩き、同じ歩調で前へ進みながら支えてくれる親友がいたからこそ、ダイは長い苦難の道を歩き通してバーンの野望を打ち砕くことが出来たのだ。

“そして私は、そのために力を尽くして、あの子たちを励ましてきたのだ。強くなれ、と言い続けてダイとポップの能力を伸ばすことだけに心血を注いできた私に、ポップの力を疎む権利などあるわけもないものを”

 そう内心で呟いて、彼は思考を打ち切った。

 過去をどう思い悩んでも、時間を巻き戻すことは出来ない。変えることができるのは、これからの歩みだけだ。

 今、目の前にある選択肢の中からベストの選択をすることだけが、人間に許された力なのだ。

 地上のカール国王でありポップの師であるアバンとして、精一杯の想いを込めて、魔界から立ち戻った愛弟子を迎える。

 まずは、そこからだ。

 アバンは、静かに瞳を前に据えて、迷いを振り払った。

「ベンガーナ国王!クルマテッカZ世のお着きでございます」

 城の従僕が高らかに告げる声がして、広間の扉が開く。五、六人の部下を連れて、見慣れた姿が足音高く現れる。

「おお、フローラ様にアバン殿!」

 豪放磊落に声を上げたクルマテッカZ世に、アバンも妻と共に挨拶を返した。

「オーザムの国王陛下が到着なさいました!」

「ロモスのシナナ国王、ご到着でございます」

 リンガイア。テラン。三年前、高齢と体調悪化のために養子を迎えて譲位したテラン国王フォルケンの後継者を除いては、互いに大戦の頃から見知った仲だ。

 その後は、ずっと続いているサミットで年に四、五回は顔を合わせていることもあり、地上の七国の王の間には、さほど気負った空気もない。

 先に着いたものが談笑する中を次々と王たちは広間へ現れ、最後に家主であるパプニカ女王レオナが卓について一同を見渡した。

 毎度のサミットと変わりばえのしない筈の光景に、ただ一つ混じる違和感――――それは、レオナの向かいに初めて設けられた、空の席だ。

「―――――まずは。各国の方々に急な要請をしたことを、お詫びします」

 レオナが静かに口を開く。

「一人の欠席もなくサミットを開催できたことに感謝いたします。使いの者が申し上げたことと思いますが、この度のサミットの目的は、このサミットに新たな国の代表者をゲストとして招くことのご報告、そしてその国が提案する不戦協定・不可侵条約を受け入れるか否かの審議を行うことです」

「レオナ姫」

 ロモス国王が、躊躇いがちに口を開く。

「それでは、やはり本当なのかね?大魔道士――――ポップが、魔界で国を築いて魔王になって地上に現れた、と言うのは」

「大公、と言っていましたわ。彼の部下たちは」

 レオナが強いて笑みを見せる。

「ふむう……」

 ベンガーナ国王が、ぐるりと顎鬚をなでる。

「地上を出て行ったら、まさか自ら魔界に国を造るとはなあ」

「……それで、その方は本当に不戦を望んでおられるのですか?」

 この中ではレオナの次に若い青年が、今度は口を開いた。

 テラン国王、レノアットだ。高位神官から即位した彼は、黒髪の静かな青年である。

「例えその方が人間であるとしても。我々人間が魔界から和平の申し込みを受けるというのは、三界の創世以来、初めてのことのように思うのです。彼は、どのような条件を提示しているのでしょうか?地上へ攻め込んではこないことの代償として」

 少し微妙な空気が流れた。背後に従っているメルルは、困ったように目を伏せている。

 カールの山奥にあった竜神信仰の神殿から迎えられた彼は、大戦中も山中で一人祈りと勉学の日々を送っていて戦火の前線にはいなかったため、魔王軍と戦った戦士たちを詳しくは知らない。

 もちろん、レオナの婚約者である竜の騎士ダイや、ロモス将軍のマァムとの面識はあるが、ヒュンケルやノヴァには会ったことはない。デルムリン島に暮らすクロコダインやヒムは、言わずもがなだ。

 当然、六年前に姿を消した大魔道士ポップのことも、彼は人づてに聞いた話でしか知らないのだ。

「それに関しては、私も書状にしたためた以上のことを聞いておりませんわ、レノアット様」

 レオナが、肩をすくめて見せる。

「パプニカとしても、単独での判断が難しい状態なんです。後は当人に確かめて頂きたいのですが、呼んでもいいかしら?アルキード大公を」

 みなの同意を確認して、レオナは傍らのマリンを振り返った。

「マリン。彼らをお呼びして」

「はい、女王陛下」

 マリンが足早に出て行く。場に沈黙が下り、レノアットが横のロモス国王に顔を向けた。

「私は、失礼なことを申し上げましたか?」

「……いや、そんなことはないよ。レノアット殿」

 ロモス王が小さく首を振る。

「返って有難かった。そうだな、ポップが我々に不戦を確約すると言うのなら、当然なにか求めるものがあるのだろう。七年前に彼が地上を去ったときでさえ、もし彼が力でモンスターの権利を奪い取る道を選んでいたら、再び大戦となっていたはずなのだ。他に一人の協力者も居なかろうともな」

「いや、それは幾ら何でも……なあ、アバン殿。変わった男だが、あなたの弟子に変わりはあるまい」

 クルマテッカZ世が、ヒゲを扱きながら呟く。何となく一同の視線を浴びて、アバンは穏やかに頷いて見せた。

「はい。私はあの子を信じていますよ」

 彼は、強いて確かな口調で続けた。

「あの時。あの子が求めていたのは、あくまでも人間とモンスターの同権での共存でした。人間がモンスターを排除することを拒んだのと同じく、彼はモンスターが人間を排除することをも受け入れないでしょう」

 言いながら、アバンは再び大きな感情の波が自分の中に膨れ上がるのを感じた。

 そうだ。ポップの望んだもの、それは、無邪気な子供の夢だった。

 みんなで、仲良く。喧嘩が終わったら仲直りして、一緒に仕事を頑張れば、それでいいじゃないか―――――きっと。ただ、それだけだったのだ。

 そして、国に、国民の父母たる行政府に、もう少し余裕があったら、それは不可能なほど無茶な話ではなかったかもしれない。

 あれほど多くの死者が出るほど魔王軍の侵略が長く激しくなければ、七国の半数以上が完全な焼け野原に近いところまで壊れていなければ、ポップは地上から追われるほどに邪魔な存在にはなっていなかったかもしれない。

 頭の中を巡る、数え切れないほどの『もしも』。それをまた、アバンはそっと胸のうちにしまいこんで蓋を閉めた。

「ポップは優しい子です。六年前にあのような事態になったことは、師である私の罪だと思っています。どうか皆さんにも、彼を信じて頂きたいのです」

 アバンが言い終わったとき、高らかに従僕の声がした。

「――――アルキード大公。おなりです」

 その声が、ほんの少し震えていたように思ったのは、気のせいだろうか?

 さっと扉が開き、広間の中へ歩みを進めた一行に、中のものは一斉に息を呑んだ。 

 一杯に開いたフローラの目。ロモス王の口から、

「おお……」

と小さな呻きがもれる。リンガイア王、オーザム王は声もない。

 黒一色のローブに身を包んだ青年が無造作に足を運ぶ傍らに、静かに従うドラゴン。さらに後ろに続く、四人の魔族。

 二人が目にも鮮やかな正装の騎士姿。残りの2人は明らかに魔道士と解る主と同じつくりの、しかし緋色のローブをまとっている。

 騎士姿のものはリンガイアやカールの騎士団に引けをとらない精巧な装飾を施された礼装で、魔道士二人は学者らしい空気を漂わせた質素な装い。

 いずれも、その肌がまとう衣服の紅に引き立てられ、さらに青く冴え渡っていた。

 魔族と竜、そして人間。三つの種族が混ざり合った主従の一団。それは、いっそ幻想的と言っていいほどに現実離れして印象的な光景だった。

 誰もが久しぶりに見る、生粋の魔族の青い肌。その鮮やかさが、人の肌色ばかりを見慣れて久しい目にひどくしみる。

 目を捕われて沈黙した人々を前に、先頭の青年がレオナの向かいの空席に歩み寄る。

「―――――久方ぶりにお目にかかる。地上の国々の方々よ」

 彼は、座らずに立ったまま一同を眺め渡した。

 朗々とした厳かな声は、既にその幼さと無邪気さを失ってはいたが。確かにその場の誰もが覚えのある、大魔道士のものだった。

「魔界より参った、我はアルキード大公。後ろの者たちは、我がアルキード騎士団・魔道士団の精鋭。我々をこの席へ呼んで下さったパプニカ女王に感謝する」

 確固たる威厳を持って告げた青年は、最後に

「――――――なーんつって、な」

と付け加えて、にかっと笑った。

「……」

 思わず、空気が固まった。

 ポップは、へっへっへ、と笑いながら勢いよく椅子を引いて、どかっと腰を下ろした。

「お久しぶりっす、どーもー。ロモスの王様にベンガーナの王様に、フローラ様は相変わらず美人っすねー。こりゃあアバン先生も幸せ者だぜ」

 六年前と変わりのない明るい笑顔を向けられて、アバンはようやく口を開いた。

「……はい。私もそう思っていますよ。久しぶりですね、ポップ。よく、生きていました」

 その言葉に、ポップが照れたような笑みを返す。

「ま、確かに。いい相棒が見つかったおかげだな」

 ポップが慣れた手つきで傍のドラゴンの頭をなで、ドラゴンが

「シャギャッ?」

と嘶きを返す。アバンは、自分も普段のペースに返って微笑んだ。

「それにまあ、立派な挨拶をするようになりましたねえ。さっきのは、思わず感心しちゃいましたよ」

「おっ、そーですか?やー、いっぺんくらいは格好つけてみよーかと思ってよ、せっかく俺もお偉いさんの仲間入りするんだし。それにウチの連中、うるせえのが多いんですよ。おいラム、あれなら文句ねえだろ」

 得意そうに声をかけられた背後の魔道士の一人が、ぴき、と額に青筋を立てる。

「……ええ。お見事でしたとも。ただ、欲を申し上げますと、大公殿下」

「何だ」

「私が、身分を自覚した威厳ある態度で臨まれるよう申し上げたのは、最初の挨拶だけをという意味ではありません。せめて会議の間くらいはそのままで通して頂ければ、なお格好がついたろうと思います」

「うげー」

「そして、なお悪いのですが」

「まだあんのか」

「……威厳と品位を持つ君主ならば、初歩的な挨拶の礼儀作法を家臣から説教されたなどということを、公の場で愚痴らないで下さい!!大公殿下と言い妃殿下と言い、どうして俺がそんなことをうるさく言わなければならないのか、文句を言いたいのはこっちなんですっ!!!!」

 がみがみとした怒鳴り声に、ポップが「うへ」と頭を抱える。その傍で、ドラゴンが、そっくり同じ格好で頭を抱えているのが妙に可愛い。

「解った解った。だからとりあえず、今日は仕方ないと思えよ。どーせ今から取り繕ったって、笑われるだけだぞー」

「そうですね。どうせ、初めからそれが狙いなのでしょうから」

 騎士二人のうち、女の方が笑顔に冷静な口調で突っ込みを入れる。

「魔道士団副長。そう景気よく怒鳴っては、只でさえ解りづらい大公殿下の威厳が、ますますどこかへいってしまいますよ。いちいち構うと面白がられるばかりですから、放っておいて差し上げた方がよろしいのではないですかね」

「……ありがとよ、ノエル。つか、もう少し敬えよ、お前ら。特に騎士団副長あたり。一応でも人間でも、俺はアルキード代表で王様会議に出てる身分だぞ」

「名ざしを頂いて光栄ですね、大公殿下。もちろん何もかも計算ずくで解ってやっておられるのは知っておりますから、どうぞお好きなように。会議中に美女に声をかけようと、品のない笑い声を立てようと、全て大公殿下の意のままでございます」

「……ラムよかお前の方が、最近アレスティンの奴に似てきたような気がするぜ……」

 ぼやいたポップは、向き直って、一堂に会した国王たちを眺め渡した。

「お騒がせします。ま、こんなもんでして。俺の国ってな」

 すっと空気が引き締まった。先ほどと変わらぬように見えるポップの笑顔がどこか隙のないものになった気がして、アバンは急に背筋を汗が伝うのを感じた。

 ちらりと周りを見回すと、無表情のレオナの他、ロモス王、ベンガーナ王の表情が複雑に動いている。テラン王レノアットは、初めから油断する気も騙される気もない様子で、じっと硬い視線を注いでいる。

 計算ずくで何もかもを解っていて、と言ったノエルと言う騎士の言葉は、アバンには、まさに的を射ていたように思われた。

 明るい笑顔もふざけた態度も、昔と変わらないように見える温もりの全てが今は自分たちを素通りしていることに、アバンは気づいたのだ。

 ポップが寛いだ表情を向けるのは、従えた部下に対してだけだ。居並ぶ人間たちに向き直ると、僅かに、しかしハッキリと、彼のまとう空気が変わる。かつての情に縋ることの愚を態度で示しているのだと感じたのは、勘ぐり過ぎだろうか?

 知らず表情の硬くなった師に気づいてか気づかずにか、ポップは笑顔のままで言葉を継いだ。

「で。話は概ね姫さんから聞いてると思います。えっと、皆さん。地上は、アルキードと不可侵条約を結ぶ気がありますかあ?」

 今度こそ、ぴりりっと空気が緊張を孕んだ。

 国王たちの表情が、そこはかとなく余裕のないものになる。

「――――では、まず。条約締結の是非について、皆様方のご意見を伺いたいと思うのですけれど」

 カール女王フローラの澄んだ声と共に、サミットは幕を開けた。

 

 

071017 up

 

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