「日の光さえも射さない、その国で」

(14)

 

 

 ザシュ、という音と共に、血飛沫を上げて剣が翻った。

 逞しい腕が、返す刃でなおも毛皮に覆われた獣人の身体を切り裂く。

「―――――命は助かるだろ。でも、もう戦うのは無理だ。俺の勝ちだ」

 チャッと剣を腰の鞘に収めて、青年は宣言した。

「山の奥に行くんだ。二度と村には出て来るな」

「………っ」

 騎乗であったドラゴンが既に息絶えた側に。己も血に塗れて地に這った獣人は、射殺すような憎悪を込めて青年を睨みつけた。しかし青年の目は、石でできているように硬く揺るぎなかった。

「次に人間を傷つけたら、必ず俺が殺すから。お前も、お前の部下たちも」

 くる、と背を向けた青年の後ろで、小さなモンスターたちがカサカサと駆け寄って、自分たちのリーダーである獣人を担ぎ上げるのが解った。

「ダイ様」

 控えていた槍使いの魔族に、青年はふっと小さな笑みを向けた。

「これでいいよね、ラーハルト。多分、もう村には近寄らないと思うから」

「はい、ダイ様」

 慇懃に答えたラーハルトは、主君である青年の表情にあるかなきかに浮かぶ憂いを感じ取って言葉を継いだ。

「……リーダーを生かしてよろしかったのですか?ダイ様。あの男がなくば、残りのモンスターは散り散りになったでしょう」

「……拙かったかな?殺したほうが良かった?」

 尋ね返されて、ラーハルトは静かに

「ダイ様の望むように」

と答えた。

 自分の主は、パプニカの女王でもカール国王でもありはしない。

 父に等しい存在であった敬愛する主君、竜騎将バランが愛妻ソアラとの間にもうけた一人子。竜の紋章を受け継ぐ騎士。

 勇者ダイが、今は彼のただ一人の主だった。

「ん……」

 仕事は済んだ、と歩き出すダイの額には、紋章は輝いていない。それほどの相手ではなかった。

 百獣魔団で中堅どころの位置にいた獣人が、部下の下級モンスターたちを連れてカールの山中に潜んだ。妖魔士団の魔道士やら氷炎軍団の生き残りやらが、こそこそと何人かそこへ身を寄せた。

 最後に元・超竜軍団のはぐれドラゴンを加えて一気に力を増し、人里を脅かすようになっていた。それだけのことだった。

 リーダーの獣人さえもドラゴン・ライダーであるという以外には取り立てて力のあるモンスターではなく、ドラゴンを屠られた後はあっさりとダイの前に倒れた。

 実のところ、ラーハルトでも問題なく対処できた相手にダイがわざわざ立ちあったのは、リーダーであり戦士である獣人の誇りを尊重したのだろう、と察せられた。

「……超竜軍団のドラゴンは、まだ随分いるみたいだね。ラーハルト」

 里へ向って踝を返しながら、ダイが口を開いた。

「はい。……大戦のおりに、最も多数の個体が死を免れた軍団でございますから。統率するものがいなくなった以上、それぞれに分かれて山中に潜んでいるものと思いますが」

 そう。百獣魔団はロモスで、不死騎団と氷炎魔団はパプニカで、妖魔士団と魔影軍団は大戦後半に、人間方の連合軍に真っ向からぶつかって敗れ、戦力の大半を失った中で。

 カールとオーザムを一方的な殺戮で焼き払った後に、長であるバランの離反によって戦線を離脱した超竜軍団だけが、構成員の大半をほぼ無傷で終戦を迎えていたのだ。

 人々は、今も半ば神に近いモンスターとしてドラゴンを恐れている。人間たちに追われたモンスターたちのうち、知能のある高位魔族や魔道士が元・超竜軍団のドラゴンを取り込んで起こす騒動は、7年を経た今も7国の全てで後を絶たないのだ。

「うん。……何とか、しなきゃならないのかな」

 ダイは、小さく呟いた。

「父さんの率いてた軍団だけど。このままは、放っておけないから」

「はい。ダイ様」

「……その、さ。俺、一人でやろうか?……ラーハルトに手伝ってもらうのは、何か……他のことならいいけどさ、それって」

 ぼそぼそと言いかけた主を、ラーハルトは無礼を承知で、全力で遮った。

「私はダイ様にお仕えするものです、ダイ様。必要とあれば、神なりと人なりと魔族なりと、この槍を持って立ち会う所存です。ダイ様がドラゴンどもとの戦いに赴くのならば、どうかお供させて頂きとうございます」

「………そっか」

 ダイは、へへ、と笑った。

「ありがとう、ラーハルト。甘えてごめん。頼むよ」

「はっ」

 深く頭を下げたラーハルトは、胸の内で主の心を慮って嘆息した。

 ――――大戦後。一年の後に天界より帰還し目覚めてみれば、既に変革の始まっていた世界。

 親友の大魔道士は行方が知れず、師は人の国で国王となり、仲間達は既に新たな道を歩いていて。

 やがて、育ての親や戦友の住む故郷が封ぜられて、訪ねることも適わなくなった。

 女王となった婚約者の望みのままに、ただ人間たちのためだけに戦い続けながらも、己は完全なる人間ではなく。

 あの魔王と対峙した日に突きつけられた問いを、今もなお彼が常に己に問い続けていることを、魔族の従者は知っていた。今となっては主である上に弟のようにも思える青年の側に、己はただ変わることない忠誠を捧げ続けることだけが彼にできる全てだった。

「行こうか、ラーハルト」

「はっ」

 ダイに従って歩き出したラーハルトは、ふと羽音を耳に止めた。

「ダイ様」

「あ」

 ダイも足を止め、空に手を伸ばした。アバン考案でレオナ専用の伝書鳩だ。手紙をつけて、アポロがリリルーラでダイの元へ飛ばすシステムになっている。

 以前はチウ配下の小モンスターがその役目を担っていたが、パプニカ王宮から全てのモンスターが去ったころに普通の鳩に変わった。短い間、ダイにもラーハルトにも懐いてメッセンジャーを務めてくれた彼は今、チウと共にデルムリン島に居る。

「何だろ?」

 鳩を肩に乗せて右足の手紙を外し、がさがさと広げたダイが

「……難しい字が多いよ」

と呟く。

 もちろん全く読めないわけではないが、横に己の10倍の速さで読める部下が居るのに己で手間をかける気はないのだろう。もう心得たもので、失礼して横から覗き込んだラーハルトは、内容を読み上げた。

「『ダイ君へ。カールの獣人の件とオーザムの海竜の件が片付いたら、切り上げて一度パプニカへ戻って頂戴。話したいことがあるの。緊急じゃないから、別に急がなくていいわ。4、5日で来てくれたらいいから。 レオナ』……だそうです」

 貴婦人が婚約者へ宛てるにはちと味も素っ気もない用件のみの文章だが、これもいつものことだ。

 無駄手間を嫌う彼女が具体的な用件を書いてないのは少々珍しいが、多分、本当に緊急性がなく、かつ詳細を書くと長くなる用件なのだろう。その辺、レオナの判断には間違いはない。

「お変わりありませんな、女王陛下には」

「うん。レオナらしいよ」

 くす、とどこかホッとしたような表情になって、ダイはレオナの手紙をしまいこんだ。

「ラーハルト、疲れてる?」

「いえ、大丈夫です。これからオーザムへ?」

「うん。ずるぼん達の話じゃ一匹だけじゃないらしいし、超竜軍団でも上の方にいた海竜なんだろ?」

「はい。彼らの話では、おそらく4、5頭」

「手こずって遅れたらレオナに悪いからね。村に報告だけして、すぐ発とう」

「かしこまりました」

 ラーハルトは、主の肩から受け取った鳩を空へ放った。小さな影が左足につけたキメラの翼の力で自動的に消える。

 それを見届けて、槍使いの魔族は、竜騎士の後について歩き出した。

 

 オーザムを訪問してから数日後。

 アバンは、どうにかこうにか全ての職務に折り合いをつけて、ようやくアルキード一行に同行の運びとなった。

 ルーラでパプニカ城に立ち寄ったアバンを、レオナは執務室を出て迎えた。

「よろしくお願いします、アバン先生」

 公式の場では久しく見せなかった少女の顔を向けて、レオナが頭を下げる。

「ええ。ま、気楽に行って来ますよ。ポップのお連れさんたちと話すのも楽しみですし。ほら、サミットの時には、議題がてんこ盛りの上に昼休みは観戦で、ゆっくりお喋りもできませんでしたからねえ」

「全くだわ。ああやって派手好きで騒ぎ好きなのも、ポップ君らしいって言えばらしいですけど」

 笑ったレオナは、そのままの顔でさらりと続けた。

「それと、ダイ君とラーハルトが、数日中にここに戻ってくるんです。しばらく宮殿にいると思いますから、何かのついでにでも、ポップ君に伝えておいて下さいね。先生」

「おや、そうですか」

 答えながら、アバンは、レオナの珍しく幾らか幼さを浮かべた笑顔をまじまじと見た。

 仮面だとは思わない。珍しく非公式に会った師に甘えたい思いは、嘘でも偽りでもないのだろう。

 しかし女王であるレオナには、完全なる私人に立ち返る瞬間など存在しないのだ。

 アバンは、かすかな切なさと共にその事実をかみ締めた。

“……ここにも1人、気になる弟子が居たのでしたね。私には”

 アバンは、慈しみの想いを込めて、若い女王を見つめた。

 先ほどの言葉の意味は、訊き返すまでもなく解った。

 旅先での難事の折りには、『パプニカ王宮にダイが居る』という事実をポップに対する切り札として使ってくれ、と言うことだ。

 6年前、彼が自ら地上を去った理由の1つがダイのためであったことを、アバンもレオナも知っている。大戦後に探索の旅路にあった1年を含めて丸7年会っていない親友に再会できると知れば、ポップが告げられた瞬間にルーラでパプニカ王宮へ飛ぶ可能性は決して低くない。

 万一、ポップがダイとの友情を既に過去のものと見なしていたとしたら、今度はパプニカの王宮に最強の軍神があるという事実が力を持つだろう。

 同時に、その他の国へのメッセージをも込めて、告げられた言葉だということも察せられた。

 深刻な事態があれば、ノヴァなりマァムなり、人間側の同行者が各国に連絡を入れるだろう。その際には、パプニカが勇者ダイを事態に当たらせるつもりである、と彼女は宣言したのだ。

“……本当に思い切りのいい……腹を括った女性というのは尊敬に値しますよ。ねえフローラ”

 彼女の政治的判断を、あざとい、などと思えはしなかった。

 パプニカ女王レオナにとって、竜騎将ダイがどんな存在か。アバンは、師としても国王としても知り抜いている。

 デルムリン島で、二人は出会った。モンスターと共に育った幼い勇者が初めて出会い心通い合った人間、それがレオナだったのだ。

 その後、ダイは満身創痍になって氷炎軍団長フレイザードの手からレオナを救った。助け出されたレオナは、王女として指導者として1人の賢者として、骨身を削り、あらん限りの気力と精神力で一瞬たりとも揺るぐことなくダイを支え通した。

 身体も心も、命も魂さえも引き裂かれるような残酷な闘いの中で一度たりとも互いを裏切ることのなかった、幼い女王と勇者の激しい恋。

 それは、驚くべきことに。ふたりが共に一途に純粋にあどけない子供であったにも関らず、長じた後にも揺るぐことのない確かな愛でもあったことを当時すでに周りの大人たちの誰もが知っていた。

 大戦後。一年の時を経て天上から地上へ戻ったダイが、ポップを探しに行くでなく、デルムリン島へモンスターの仲間達と閉じこもるでなく、パプニカにあって王宮に居を定めた理由は、ただ1つ。

 そこに、レオナが居たからだ。

 養父や戦友との別離も。モンスターに加えられる迫害を目の当たりにすることも。それでもなお、自分が人間を庇護せねばならないことも。

 その全てを、1人の女としてダイを揺るぎなく愛し女王として国民のみならず全ての人々の平和と幸せを祈って働くレオナと心を合わせてゆくことで、ダイは乗り越えてきたのだ。

 その長い日々を信じること。ダイを愛し信じ、そしてダイに愛され信じられてきたとの自負の上に、今、彼女は国の運命をも載せようとしている。

 成り行き次第では、ダイに真っ向から、戦場で生死を共にした親友か、初恋を貫いて7年を支えあった恋人か、と言う重い残酷な選択を突きつけることになりかねない。そして、ダイの出す結論は、パプニカの将来を左右するだろう。

 それをハッキリ悟っていてなお、レオナは卓上に切り札を置くつもりなのだ。

「……レオナ姫」

 アバンは、昔の呼び名を舌に載せて言った。レオナが、少し驚いたように目を見開く。

「何ですか?アバン先生」

「……あなたも。大戦の犠牲になった1人だと、私は思っています。ポップのように」

「……?」

 師の言葉に怪訝そうに眉を寄せた彼女を、アバンはかすかに痛ましげな表情で見つめた。

 大戦がなかったならば、レオナは今でも気楽な王女で居たかもしれない。

 あまりに幼くして庇護者を失い、自らが指導者という形で民の庇護者とならねばならなかった王女。彼女もまた、大戦の犠牲者に他ならない。

 あの非常時にあって、王家の直系であることの責務はあまりに重かった。

 大戦時も戦後の復興時も、子供らしい真剣さでただ全身全霊をかけて統治者の責務に向き合い続けて。自らの心が一時、自由になることすらも許せないまま、彼女は女王になった。

 王家の義務を知って人として幸福になる権利を知らず、彼女は7年を経た今も、公私を器用に切り替える術を知らずに居る。

 何よりも純粋に輝く想いであるはずの、普通の女性ならば胸の内に秘めて何者にも触れさせない宝物であるはずの一途な恋すら、国と民のために賭場へ出して躊躇わない若い女王。

 いささかの動揺も表に出さず『強い女』たらんとするレオナの姿を、一度目の大戦に幼い王女であった妻フローラに重ね合わせて胸が軋む。

「女王である限り、国益にならなければ誰かを愛してはならない、などと思っていませんか?」

「え?何ですか、アバン先生?」

「愛はそういうものではない、と私は思っていますよ。ダイ君が人間のための軍神でなくなる日が来ても、あなたが彼を好きだと感じた思いは間違ったものにはなりません」

 アバンは、柔らかくレオナを見つめて、丁寧に言葉を選んだ。

「ダイ君も同じです。まず、何よりも先に、ただ少女としてのあなたを特別な存在として愛しく思ったことが全ての始まりだった。あなたが人間であったことも彼が純粋の人間でなかったことも、何の関係もなく、です。もし、いつか彼が人間を無条件には守れなくなる日が来ても、きっとその想いは変わらないでしょう。自分を追い詰めてはいけませんよ、レオナ」

「……先生」

 それでも、レオナは感情の揺れを見せなかった。ただ、困ったように少し目を伏せて、口元で笑った。

「……嫌だわ。何だか、子供に戻ったような気分になっちゃう。アバン先生ってば、本当にいつまでも先生なんだもの」

「当然じゃありませんか。私はいつまででも、可愛い教え子の師でいますよ?」

 おどけた顔で胸を張って笑い返したアバンに、レオナは今度はしっかりとした笑顔を向けた。

「大丈夫よ、先生。私は、ダイ君が好き。それで同時に、この国で暮らす全ての人を幸せにしたいって、本気で思ってるんです。だから、どちらも諦めません。どちらも、許されないことだとは思えないから」

 レオナの目が、一瞬、強く瞬いた。

「追い詰められてるなんて思いません。ダイ君も、国も、私を支えてくれるものなんです。だから私は、どこまででも頑張れるんだって」

「……そうですか」

 アバンは、柔らかく包むように頷いた。

 細い肩に計り知れない重責を背負って、それを支えと呼べる強さが彼女のカリスマ性を生み出している。

 否定したかったのではないのだ。ただ、ひとこと告げておきたかった、それだけだった。

 一歩も譲らぬ気の強さと頑固さの中で、それでも自分の言葉は確かに心に残っているだろう。願わくば、彼女の竜騎士との関係をよりよいものにするのに役立って欲しい、と思う。

「では、私は行くとしましょうか」

「ポップ君によろしくね、アバン先生!」

 手を振った若い女王に笑顔を見せて、アバンは歩き出した。

 

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