「日の光さえも射さない、その国で」

(13)

 

 

 オーザム。人里からは幾らか離れた、辺鄙な地の一軒家。

 ノックと呼び声に答え、本とガラクタを掻き分けて出てきた旧友の老人は、相変わらず皮肉っぽい目で無愛想に言った。

「よう。隠居済みの老いぼれに何の用だ?アバン」

「ええ。また、あなたの知恵をお借りしたいことがありましてねえ」

 アバンは、ゆったりと笑って返した。

「へっ。何か面倒でも起こったか。まあ、入れよ」

「ありがとう、マトリフ。はいはい、いいから寝台へ戻って下さい。寝ながらで結構ですから」

 テーブルの前の椅子にかけようとしたマトリフを制し、かつ片手に握られた酒瓶をさりげなく取り上げつつ、アバンは旧友を寝台へと押し戻した。

「あなたに無理をさせたのでは、安心して長居できませんからね。お茶なら自分で淹れますよ。寝ていて下さい」

 ちっ、と舌打ちをしながら、マトリフが酒瓶を諦めて寝台へ戻る。その姿は、見るたびに細って影が薄くなるようだった。

 アバンは寂しい笑みを浮かべた。

 永遠に生きる人間などいない。マトリフも、今はやはり隠遁生活をしているブロキーナ老師も、いつかは去っていく。

 それが自然の摂理だと解っていても、やはり頼れる仲間だったパーティーの一員が静かに老いてゆく様は寂しかった。

「……で?」

 ややあって、茶を入れてベッドの横に椅子を引いてきて座ったアバンに向って、マトリフはぶっきらぼうに言った。

「他所の国王様が1人でこんなとこまで来て、何か用があるんだろ。どうしたよ、アバン?」

「ええ。……ポップの件は、もう聞いてますか?」

「あー」

 マトリフが鼻を鳴らす。

「ちょい前に、城から使いが来てたぜ。あの馬鹿弟子が魔界に居やがった、って話だろ」

「ええ」

 アバンは、静かに頷いた。

「……もう子ども扱いもできないような、立派な一人前の男になっていましたよ。何と、魔界で結婚までしたそうで」

「あぁ?生意気な真似しやがって」

「おまけに細君は、大層な美人だそうですよ」

 アバンは笑ってみせたが、自分でも、普段どおりの明るい笑みではないと解った。

 ふん、と声を立てたマトリフに、アバンは構わずに言葉を重ねた。

「部下に囲まれて楽しそうでね。ある意味では酷く彼らしい姿でした。本気で魔界に永住するつもりらしく、自分の作った国に腰を据えて、冥竜王ヴェルザーを相手に一歩も引かずに渡り合っていると言ってましたよ。私とあなたが導いてきた、あのポップが」

「そうかい」

 マトリフが短く答える。

「……正直、どうにも複雑な気分ですけど。まあ、もう私があれこれと指図できる立場ではありませんから、それはそれでいいとして」

 アバンは、ことりと湯飲みを置いた。

「マトリフに聞きたいことがあったんですが。仮にあなたが、私と共にハドラーと戦った一度目の大戦の頃に戻ったとして」

「あの頃か。で?」

「あなたなら。メラとヒャドを合わせてメドローアにして、連発で打つことができますか?」

「……」

 す、とマトリフの目が細まった。

「……俺なら、無理だな」

「無理ですか」

「ああ。俺が初めに作ったときも、端っからメラゾーマとマヒャドでやったぜ」

 身振りを交えて、マトリフが説明する。

「炎と氷、普通ならどう考えても打ち消しあうだけの正反対のエネルギーを、魔法力で無理やり混ぜるんだ。メラゾーマやマヒャドみてえなでかい呪文なら、勢いで余剰のエネルギーが出るからな。その余り分を使って、2つの呪文を融合するんだよ」

 アバンは、ただ頷いた。

 マトリフだから簡単そうに言ってくれるが、実際にはとんでもない高レベルの技術だ。

 メラゾーマが使える魔法使いはいる。マヒャドもそうだ。個別になら両方を使えるものも、決して少なくはない。

 しかし、その2つを一度に構成し、発動してメドローアを使いこなせるものは、マトリフとポップの後にも先にも一人も聞いたことはなかった。

「仮に小さく作ろうと思ったらな、メラとヒャドの上にそいつらを混ぜるための魔法力を別に引き出す必要がある。つまりは、全く別の呪文を3つ同時に使うようなもんだ。2つはともかく、3つの呪文を一度にコントロールするなんてのは、どんな魔法使いだってできるこっちゃねえぜ。俺はやってみるまでもなく無理だ」

 言い切りながら、マトリフは既に質問の本当の意図を察しているようだった。

「それを、あの馬鹿弟子がやったってか?とんでもねえ話だな」

「……連発をするのを見たのではありませんがね。訓練を見せてもらったときの様子からすると、おそらく可能なのだと」

「ふん」

 またマトリフが鼻を鳴らす。

「出世しやがったもんだぜ、あのハナ垂れ小僧がなあ。お前さんの用ってな、それかい。わざわざこんなとこまで来てよ」

「ええ、まあ」

 ぽりぽり、とアバンは頬をかいた。

 わざわざ職務を抜けて顔を出した理由はそれではないが、来ると決めたら訊いてみるつもりだったのは確かだ。

 昨日、メラとヒャドで器用にミニ・メドローアを作って撃ったポップは、殆ど消耗していなかった。その割に、アバンの目にも的にされた部下たちの様子からしても相当な威力の呪文に見えたから、ふと、マトリフはなぜそうしなかったのか、と思って尋ねたのだ。

 しかし正直言って、旧友の回答は少々意外だった。

 ポップがあれほど簡単にやってみせたのだ。せいぜい、『見た目ほど簡単ではない、面倒だからやらない』という答えを予測していた。

 だがマトリフは、自分にはできない、と言ったのだ。

「……それほどの高等技術ですか。ますます、師の面目もありませんね」

 笑ったアバンに、唐突にマトリフが言った。

「勝てるかどうか、知りてえのか?今度は、ポップが敵になったとき」

 一瞬の逡巡の後に、アバンは低い声で答えた。

「いいえ」

 ―――――それは、聞くまでもなかった。

 間違いなく、勝てない。

 大戦中のポップの、振り返ればそら怖ろしいほどの成長速度が思い出される。あのままの速さとまで言わなくても、近い勢いで数年間を伸び続けたとしたら、今のポップの実力は単独でも大魔王バーンを凌ぐだろう。

 もちろん、大戦時に成長が早かったのは彼だけではなかった。

 マァムもヒュンケルも、実戦の中で傷つきながら経験を積み、あっという間にメキメキと力をつけていった。アバン自身、平和な国で騎士をやっていたら到底不可能だったろうレベルまで戦闘力を上げていたのだ。

“……そのおかげで、地上は平和になった。……私たちは……戦士では、なくなった”

 大戦後の7年。誰もが、武器を置いてペンを持ち道具を手にし、戦いでなく日々の生活を豊かにすることに力を尽くしてきた。

 修練をやめた人間の衰えは早い。カールの王位についた自分は言うまでもなく、マァムやノヴァも既に戦い以外のことに自らの生きがいを見出し、心身ともに一人の戦士ではなくなっている。

 ヒュンケルやロン・ベルクは未だ傷ついた身体が癒えておらず、まず戦場には立てない。

 ―――――自分たちが、そうして剣を捨てる道を捜し求め歩き続けてきた間。ずっと血を浴びて戦場に立ち続けてきたポップと戦闘力で渡り合うことなど、不可能だ。

 加えて、以前の大戦で人間側が勝利を収めたのは、クロコダインやラーハルトなどの寝返り組の存在が大きいことを、アバンは忘れていなかった。

 そして、昨日のアルキード主従の姿を見て、直感で思った。

 万に一つ地上との戦端が開かれたとき、おそらくアルキードからの寝返りは無い。

 自らが生来並外れた強者であったために弱さを知らず解りあうことを知らず、他者を真に必要として求めることを知らなかったバーンとは、ポップは違う。

 バーンにはスカウト癖があり、誰彼構わずに『余の部下に』と言っていた。

 しかし考えると、あれは必要に迫られてのことでなく、強者に興味を覚えるバーン個人の趣味に類するものであったように思う。

 バーンの野望は、あくまでも己一人のものだった。

 その証拠に、軍団長たちはミストバーン以外の全員、魔界に太陽光をもたらすことに関心を持っていなかった。

 人間への憎悪ゆえに従ったヒュンケルとバラン、武人としてバーンに仕えていたクロコダイン、己の栄光栄華にしか興味のなかったフレイザードやザボエラ。

 一時的な利害の一致を見ていようとも、真に目指すところがバラバラであったことが造反の多発に繋がった。

 アルキードには、おそらくそれが無い。

 いざ戦いとなったとき、アルキードの戦士たちは鉄の絆で支えあってポップに尽くすだろう。自らの祖国のために、自らの意思で戦場に参じるのだろう。ハドラー最後の部下であったヒムたちオルハリコンの戦士が、一丸となって力を合わせ、最後までハドラーを裏切らなかったように。

“……人間が。滅亡するとまでは、思いませんけど”

 アバンは、言葉に出さずに1人ごちた。

 それで滅びてしまうほど、人間は弱くない。

 仮にも魔王と名乗ったハドラーの脅威をかつて退けた自分もマトリフもブロキーナもレイラも、先に死んだロカも、人間だ。

 次世代をあげれば、マァムもノヴァもヒュンケルも人間だし、メルルやレオナもそうだ。

 二度の大戦を魔王軍と戦い勝利に導いた戦士は、寝返ったモンスターだけではない。

 何より、ポップこそが、人間は滅びないと言うアバンの確信の土台だった。

 ただ己の意思と根性、そして他者との出会いと巡り合せと成り行きと。それだけで多くの戦いをくぐり抜け、仕舞いには大魔王と正面から渡り合える最強の大魔道士にまでなった。

 彼の存在こそが、人間の底力を現していると言っていい。

 再び地上が焼け野原になるときには、必ず、その再現がなされるだろう。捨て身で力を欲してあがいた人間たちの中から、第2、第3のポップが現れる。

 それを思うと、アバンの表情は知らず歪んだ。

“……そのために。幾つの国が焼け野原にならねばならないのでしょうね……”

 生憎と、その道筋を彼は既に知っている。

 容赦のない激しい侵略にさらされる数千数万の人々の中に、やがて自分たちのように、座して死ぬよりも自ら戦いに身を投じるものが出てくる。

 そして戦いの中、血に染まった死体が積みあがってゆく時にこそ、ポップのような稀有の存在は現れるのだ。

 7年をかけてようやく栄え始めた国々が再び血と炎で朱に染まる光景の想像は、今は王族に連なる為政者の身であるアバンにとって、何にも勝る悪夢だった。

 ましてや、魔界のアルキードが、刃を返して地上に向かうとき。地上が迎え撃つ相手は、人間を知り尽くした人間の大魔道士が統べる軍なのだ。配下の戦士たちは、誰もがヴェルザーを敵に回して最前線で戦い続けてきた、現役の戦士たちだ。

 確実にバーンとの大戦を超える煉獄の戦いとなるだろう第三の大戦――――それは、ポップが魔界の大公と名乗って地上に現れ自らの存在と意思とを明らかにした、今。万一と言うには、あまりに容易く想像できる最悪の未来だった。

“……ただ1つの、可能性を除いては”

 地上に、現状で彼らと渡り合える戦士は、皆無ではない。

 大戦を戦い抜いた上で、今なお現役で最前線に立っている戦士がいる。

 戦うために生を受けたことの証である紋章を身に負い、衰えなどあり得ない軍神が。

“……っ”

 アバンは、知らず口元が歪むのを抑え切れなかった。

 魔法使いポップを誰よりも近しい親友として背を預けあってきた勇者であり、バーンを葬った竜騎士である青年もまた、彼の愛弟子だった。

 幾度の死地を彼らが共に駆け抜けてきたのか、アバンですら正しくは知らない。

 しかし同時に今、勇者はパプニカ女王の婚約者でもあった。

 地上にあって全ての災いから人間たちを守ろうと心を決めたダイもまた、7年前の彼ではない。人間たちのモンスターへの嫌悪と恐怖を目の当たりにして傷つき苦悩し、それでもレオナとの婚約に踏み切ったダイの乗り越えた哀しい葛藤を、アバンは知っている。

 クロコダインやヒム、チウたち仲間内のモンスターがデルムリン島へ送られた後、紆余曲折を経て故郷の島が行来の禁じられた地として閉鎖された時。確かにダイは、胸の内で血の涙を流して泣いていたと思う。

 それでも、ダイの澄んだ目に迷いはなかった。誰の目にも明らかな忠誠心ゆえに辛うじてダイに同行の許しを得たラーハルトを従えて、世界中を飛び回り、ダイは黙って人々のために働き続けていた。

 ダイの葛藤を知りつつも、あえて人とモンスターとの諍いの場にダイと半魔族の従者とを送り込むレオナの心は、アバンも察していた。

『常に人間のために戦う存在であることを示し続けて欲しい。竜騎士は地上の守護神なのだ、という真実が、人々の心に不動のものとして根付くまで』

 大戦の功績に竜騎士の武力を加え、英明な女王の統治のもとに抜きん出て早い復興を果たし、今はカールと共に7国を導く立場であるパプニカ。で、あればこそ、女王の夫が生粋の人間でない事実が世界の人々に受け入れられるには、ただ1つの道しかない。

 人でなければ、パプニカの王は。

 魔にあらず竜にあらず、ただ神でなければならないのだ。

 私人として感情に生きることを許されぬ女王の考えを悟っているのか、あるいは自分でなければ魔王軍六軍団の副団長以下の幹部たちとは渡り合えないと解っていたからか。

 ダイとラーハルトは、大戦の1年後に勇者が目覚めてから6年を世界中で起こる残り火の始末に費やして、潜伏して活動していた魔王軍の残党を一掃してきた。

 かつての仲間たちの中で、彼らだけが今なお、戦士の名に恥じることのない存在なのだ。

 ―――――ダイに。地上の人間たちのためにポップと戦え、と告げる日が、いつか。自分に、来るのだろうか―――――?

 俯いたアバンの頭上に、旧友の声が降ってきた。

「……おいこら。人ンちで、百面相なんかしてんじゃねえよ」

「……はい」

 押し殺した声をやっとのことで絞り出したアバンが顔を上げると、マトリフが感情を読めない複雑な色の瞳でみているのが見えた。

「――――失礼しました」

 辛うじて口の端を上げてみせたアバンに、マトリフは不似合いなほどの静かな声で言った。

「……考えたって仕方ねえよ。あいつが地上に宣戦布告して、魔界の軍勢とやらを率いて攻め込んできたら、そのときにゃ何とかしたらいい。俺の聞いたところじゃとりあえず今、宣戦布告しに来たんじゃねえ、和平の交渉に来てんだろうが、あの馬鹿弟子は」

 その言葉に、知らずアバンは赤面した。

 これまでのところ、結局ポップは、地上の人間たちへの敵意や戦意を示してはいない。

 さりげなく武力を誇示して要求を突きつけてきたのは事実だが、それは裏を返せば、戦っての征服よりも駆け引きでの交渉を望んでいることを意味している。実際に武力を叩きつけるつもりでいるのなら、わざわざ余興として見せる必要などないからだ。

 アルキードの武力を、あくまでも交渉のカードとして使う気であればこそ、訓練の形でさりげなく実害なく披露してみせたのだ。

“……まず私自身が、既に彼を信じてはいないというわけですか……”

 情けなさに息を吐いて、アバンは強引に話題を変えた。

「……そうですね、余計な気を回しました。ところで、もうひとつ聞きたいことがあります。というか、こちらが本題なのですが」

「おう、今度は何だ」

「ええ。この絵を見てもらえますか」

 アバンは、自ら描いた1枚の紙を差し出した。

 大抵のことはできる、との評判に違わず、客観的にも良く描けているであろうコミカルなドラゴンの絵姿。

「何だ、こりゃ」

「ポップが連れてきているドラゴンなんです。陸ドラゴンのような姿かたちをしていますが、パプニカで聞いたところでは、ポップを背に載せて飛んできたそうです。名はリュウというそうで、年齢は幼生体に近いほど若そうでしたが」

「ほほう、それがどうした?」

「メドローアを相殺して見せたんです。炎を吐いて」

 アバンの言葉に、マトリフの眉がぴくりと動いた。

「もっとも、先ほどの話に出た、小規模のものですがね。炎と氷で創りあげた消滅呪文のメドローアを炎だけで相殺するには、元々の火炎呪文の火力を遥かに上回る力が必要のはずです」

 アバンの説明を聞きながら、マトリフはじーっと鉛筆書きのその絵を見つめていた。

「ポップのカイザーフェニックスをまともに浴びて火傷ひとつしなかった、という話も聞いています。ポップは軽く小突き回していましたが、他の魔族たちの態度は至極丁重で、連れてきた他のドラゴンとは全く立場が違うような印象を受けましたしね。ひょっとしたらアルキードの主戦力の一翼を担う存在なのではないか、と言う気がしたんです」

 アバンは、黙って答えないマトリフに向かって、構わずに話し続けた。

「だとしたら、他にどんな力を持っているのか、と気になりまして。半分は私のカンみたいなものですが。体色にしてもサイズにしても初めて見るタイプのドラゴンでしたし、魔王軍にいてモンスターのことなら専門家レベルのヒュンケルですら系統分類が解らない、と言うので」

「何色だった?」

 唐突に、遮るようにマトリフが言葉を発した。

 アバンは言葉を切って、即座に答えた。

「……青みがかった緑、ですかね。綺麗な色でしたよ、鮮やかな海の色がほんの少しくすんだような。何か知ってるんですか?」

 それには答えず、マトリフは腕組みをして、なおも絵に見入った。

 その様子はいつになく真剣で、アバンは黙って見守った。

「……ハッキリとは、どうも言えねえな」

 長い間をおいて、マトリフはようやく口を開いた。

 はあ、とアバンは拍子抜けしたような声を返した。

「おめえも知ってる通り、ドラゴンの鱗ってのはたいていが、草の色か、でなきゃ土の色に近い色をしてるもんだ。蒼いドラゴンなんてのは、俺も生まれてこのかた、いっぺんもお目にかかったことはねえ。……ただ、耳に挟んだことがあるんだよ。伝説で、だがな」

「伝説ですか」

 アバンは、真顔になって返した。

 二度の大戦を超えて数も種類も限りないモンスターを目にしてきた自分とマトリフが、初めて見るドラゴン。

 ポップが魔界で従えたと言うあの小さな蒼いドラゴンは、伝説に謡われるような存在だと言うのだろうか。

「ちょっと調べ直してみねえと、詳しいとこは解らん。……ただな」

 マトリフは、ようやく絵を返しながら続けた。

「メドローアを炎だけで相殺したって話。そっちで判断した限りじゃ、おめえの勘は当たってそうだな」

 アバンは、軽く目を見開いた。

「メドローアは“消滅呪文”だ。小さく作ったとしても、本質的に同じもんなら、ダメージも受けずにはね返すなんて真似がそう簡単にできるもんじゃねえ。マホカンタとか例のオルハリコンの鏡とか、魔法返しの力なら別だがよ。炎だけで完全に消しきるとしたら、少なくとも昔の俺が全力で撃つメラゾーマの10発分くらいの火力が必要だ」

 マトリフは、真っ直ぐにアバンの目を見ていた。

「もちろん、メドローアも小さくすりゃあ威力が小さくなるからな、ちょいっと避けりゃ済む話だ。それを余興で軽く消してみせるような奴だってんなら、どうにも洒落にならねえような力のある奴かも知れねえぞ。馬鹿弟子より、むしろ俺はそっちの方が気になるくれえだ」

「……そうですか」

 アバンは、考え込むように目線を床に据えた。マトリフが、がしがしと頭をかく。

「……さっき言った伝説の件がマジかもな。ちょっと浚ってみるぜ。まぞっほの奴の連れの姉ちゃんでも使ってよ」

「ええ、お願いします」

 頷いたアバンは、顔を上げて旧友を見た。

「ちょっと待ってな。まぞっほの奴なら、呼び出せるからよ」

 寝台から出るマトリフが、それほど動かずに、何やらマジックアイテムを取り出すのをぼんやりと眺める。

 行動が早い。好奇心か、それとも、まだ実物を見ていないマトリフも何かを感じ取っているのだろうか。

 ――――――あの。蒼い鱗と知性の宿る栗色の瞳とをした、風変わりなドラゴンに。

 それを思い出すと、連想のように、蒼い身体をいとおしそうに撫でる青年の白い肌の手が浮かんできた。

“……ポップ。魔界で何がありましたか?今、敵になるんですか。私と、あなたが”

 デルムリン島でダイに会う前の。俺を弟子にしてよ、と家出してまでくっついてきた、無邪気で元気のいい少年の姿が、次々と脳裏に映ってゆく。

 メラを覚えるのは早かったが、バギ系やヒャド系の呪文が自由に使えるようになるのには時間がかかった。

 威勢はいいが根気がなくて、少し難しい課題を与えるとすぐに、できない、と苛立ってべそをかいたりふくれたりするのを、何度となく呆れ顔で諭してやった。

“―――――もう――――――戻れないのですね―――――”

 会議の席、冗談を飛ばしながら隙のない目で自分と妻とを見ていた青年。

 自分の部下に向って笑いながら消滅呪文を放ち、ドラゴンの吐く灼熱の業火を手遊びに受けとめて平然としていた魔界の大公。

 それが、今。

 あの、調子の良さがどうにも心配な魔法使いの卵だった少年が、行き着いた場所だった。

“……予想もできないようなことばっかり、起こるもんですねえ……人生、って言うのは”

 嫌と言うほど知っていたはずのことを、今、改めて思う。

 現実は伝承の物語よりも奇であり、運命はどこまでも残酷だ。

“神は、何故。人と竜と魔とを同時に、この世界に作ったのでしょうか……ポップ……”

 アバンは、ぼんやりと宙に視線をすえて、内心で呟いた。

 

 昼を少し過ぎた頃。

 木陰で草の上に身体を投げ出したきり、偉大なる大魔道士は動かなくなった。

「………では。ご同行戴いている地上の方々には、真に申し訳ないのですが」

 アルキード一行を代表して丁重に述べるラムレスの額には、青筋がひくひくと動いている。

「どうにもこうにも。当方の主がこの体たらくですので、今日はここで休むことにしてよろしゅうございましょうか」

「……ええ、そうしましょう」

 マァムが何とも言えない表情で頷く。

「あの、気にしないで下さい。こちらも、一人は見ての通りですし」

 彼女が指し示した先には、意地でも膝は付くまいと木にもたれて必死で吐き気をこらえる銀髪の青年の姿がある。

「……恐れ入りますな、ロモス将軍マァム殿」

 答えて仲間の元へ戻るラムレスは不機嫌の絶頂で足取りまで荒いが、日差しの下で半日ドラゴンに揺られて二日酔いもピークに達したポップの体調は、もはやそれを気にするどころではないらしい。

 大の字になって寝転ぶ彼の傍らでは、リュウがどこからともなく調達してきた大きな厚手の葉っぱで、シャギャシャギャと懸命に扇いでいる。

「どうするんでしょうか?ルーラで戻るつもりでしょうか」

 ノヴァは、ため息をつきつつマァムに歩み寄った。

「さあ……でも、ここで休むって言うのなら、別に帰らないつもりなのかも知れないわ」

 マァムが肩を竦める。

「ポップは、久しぶりに旅をしたいって言ってたし。夜になるたびにパプニカ城に戻って眠ったんじゃ、気分が出ないんじゃないかしら」

「……こんなところで野宿か……本当に大戦の頃みたいですね」

「本当ね。……って言っても、まだ日が暮れるまでに半日近くあるけれど」

 マァムは、ちらりと銀髪の剣士の青い顔を見た。

「ま。仕方ないわね、ポップもヒュンケルも、これ以上動くと本当に吐きそうだし。先を急ぐような旅でもないんだから、のんびり行けばいいわよ」

「そーですね」

 ノヴァが相槌を打つ。

 呆れた調子で交わされる2人の会話を、ヒュンケルは、どうにも情けない思いで聴いていた。

 思えば、自分は決して酒に強いほうではない。普段は付き合い程度に嗜んでいたし以前にはクロコダインやラーハルト達と飲んだこともあったが、あんな強い酒を大量に飲んだのは初めてだ。

 ポップとまともに語り合ったことで少しほっとして、気を抜きすぎた。

“……ポップも二日酔いで、助かったな”

 そうでなければ、あと半日歩かなければならなかったのだ。正直、吐かずに夜まで歩けたとは思えない。

 彼は、ノヴァやマァムも魔族たちが皆腰を下ろしたり森を歩き回ったりしているのを見澄まして、自分も木の根元に座ってもたれた。少し楽になる。

 ぼうっとそよ風に吹かれていて、ただ数時間が過ぎた。

 眠気が差してきたとき、ふと、ポップが声を立てるのが聞こえた。

「おう?何だ、あったのか」

「今、俺が調合したんです!苦労して」

 ラムレスのつっけんどんな声が突っ込む。

「乳鉢も挽き機もない状態から手持ちの香草と薬草で作るのは楽ではないんですがね」

 ヒュンケルが目を開けると、ラムレスが忌々しそうに、リュウを指したところだった。

 前足2本で器用に持った板の上に、湯気を立てる器が見える。

「どうしてもやれ、と仰るから、仕方なく致しましたよ。黒焦げになるのはごめんですので」

「おお、ありがとよ。そっか、こいつら締め上げて作らせたのか?さすがは俺の相棒だ」

「……お仲が睦まじくて結構ですが。足りない分の材料と道具になるものを調達するのに森を探し回った私どもに感謝の言葉はありませんかね。大公殿下」

 付き合わされたらしい騎士団副長ノエルが加わり、ポップが

「あー、助かった助かった」

と言いながら器を取って、ごくごくと飲み下す。

 と。それを見届けたリュウが、くるりと回れ右して、とことことヒュンケルの方へやってきた。

「………」

「シャギャ」

 差し出された板の上には、もう1つ器があった。中に、とろっとした雰囲気の半透明の液体が入っている。

 ヒュンケルは、しばし眺めた。

「…………俺の分か?」

「ギャ」

「二日酔いの薬、なのか?」

「ギャギャ」

 リュウが頷き、さあ飲め、と言いたげに盆を突き出す。

「………」

 少し迷って、ヒュンケルは器を手に取った。やや熱い温度が掌に伝わる。

 口をつけると、苦味と共に、突き抜けるような鋭い爽やかな香りが口中に広がった。

 警戒して一口で口を離し、しばし味を検分する。

 口の中が苦味と香気ですっきりし、それが全身に広がって、吐き気と頭痛を追い払っていくような感覚だ。

 なるほど二日酔いの薬か、と納得した気分で、彼は再び口をつけた。

 木にもたれたままで鮮やかな薬湯の香りに包まれ、ヒュンケルは大きく息をした。

 ふと、リュウが前足を伸ばし、彼の髪に触れた。

 害意はない、と判断し、動くのがおっくうであったのも手伝って、ヒュンケルは振り払わずに放置した。

 蒼い鱗に包まれた硬い手の爪が、そうっと銀の髪を撫でていく。

 ぱちぱちと瞬いた雌竜の瞳の光は、気のせいか、切なげに見えた。

 唐突に。

 ヒュンケルの手にあるのと同じ器が飛んできて、蒼い鱗に覆われた後頭部に、ゴン、といい音を立ててヒットした。

「ギャッ!?」

「………あ?」

 思わずドラゴンともども振り向いたヒュンケルの目に、大の字になったままで手だけ上げたポップの姿が映った。

「…………」

 昨夜。お前にはやらない、と管を巻いていたポップの様子を思い出して、ヒュンケルは何となく無言になった。

 リュウが慌てて、ひと飛びにポップの元へ戻る。

「何してやがんだ、コラ。全く、油断も隙もねえ」

 ポップが上げた手を拳骨に固めてぐりぐりとリュウの脳天をどつき回し、リュウはギャーギャーと声を立ててぺこぺこと頭を下げていた。

「………」

 その様子を眺めながら、ヒュンケルは残りの薬湯をあけた。

 とにかく、気分は大分楽になった。

「良く効く薬だな。すまなかった。礼を言う」

 じゃれ合う1人と1匹をスルーして、製作者の魔道士団副長に歩み寄って声をかける。

「お褒めに預かりまして光栄です、不死騎団長殿。何しろ、戦いが一段落するたびに飲みたがる君主を戴いておりますのでね」

「その割には酒に強くはならんのだな」

 思わず正直に言ってしまい、これも元気が戻ってきたらしいポップから

「体質だ、仕方ねーだろ」

と突込みが入る。ヒュンケルは、苦笑しながら器をラムレスへ返して渡した。

「確かにな。そればかりはお前もままならないか」

「ならねえな。ちっとでも高位魔族の血が入ってりゃあ二日酔いは殆どねえんだが、生憎と俺は100%が人間だからなあ」

 ポップは、重たげに身体を起こしてリュウにもたれかかった。シャギャ、と声を立てたリュウが、抱えるようにポップを支える。

 まだ立ち上がる気にはならないらしく、べったりドラゴンに身体を預けているポップを、マァムが呆れたように眺めた。

「ねえ、ポップ。そろそろ、教えてくれない?何でこんなとこに来たの?」

 アルキード大公来訪の初日にノエルに手を弾かれたことも、サミットでの彼の姿も、それに対する人々の動揺も。

 全てを見て覚えているはずの彼女の声は、それでも大戦の頃と変わりなく、気負いも緊張も欠片もなかった。

「ルーラで来れないんだから、ダイ君を探してたときに来たことがあるってわけでもないんでしょ。何か探し物でもあるなら、私たちも手伝うわよ」

「……あー」

 答えるともつかない声を立てて、ポップは、ははは、と笑った。

「お前、変わんねぇのなあ。少し色っぽくなったけどよ、胸は前からでかかったし」

「バカ言ってんじゃないわよ。あなた、魔界でもそうやってセクハラしてるんじゃないでしょうね、もう奥さんまで居るって話なのに」

 マァムが目を細めて言い返す。その表情を眺めて、ポップは笑い続けた。

“……これだからやりにくいんだよなあ、お前はさ……”

 以前ならば即座に飛んでいたはずの平手が出てこないのは、変わってしまった立場を彼女がきっちり弁えていることの証拠だ。

 なのに口調と態度は温かくて、心の距離を感じさせない。

「……ま、大した用じゃねえよ。何日かしたら解るから、気にしないでくれや」

 そう言うと、ポップは身体を返してドラゴンにしがみついた。

 再びだらける態勢に入ったポップに、マァムが軽いため息をついてノヴァに向き直る。

 ごろりごろりとリュウの腕の中で寝返りを打った末にぼーっと空を見上げたポップに、ラムレスが転がった器を拾って歩み寄り、声を顰めて告げた。

「ノエルが森の中で痕跡を見つけたそうですが、僅かに爪跡があるばかりだと。連中の行動範囲は予想より狭いと見えますね。縄張りに入るまで、2、3日はかかりましょう」

 ポップは、無言でかすかに頷いて見せた。

「……それと、お伺いします。大公殿下」

 ラムレスは、さらに声を抑えて続けた。

「遭遇して戦闘に入る際には、地上の方々に護衛をつけるべきでございましょうか?」

「いらねえよ」

 ポップがやはり小声で短く返したのを聞いて、もたれているリュウの体がほんの僅かに反応する。

「向こうは向こうで、適当に何とかすんだろうよ。あれでもバーンの魔王軍と渡り合ってきた連中だ。そこまで見下すこたあねえよ。軍団の幹部クラスがいるってんならともかくな」

「かしこまりました。では、どうぞごゆっくり」

 ラムレスが、素直に頷いて離れる。ポップは、ドラゴンの硬い腕に身をゆだねながら、遠く空を見続けた。

 

 

081019 up

 

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