「日の光さえも射さない、その国で」

(12)

 

 

 清々しく晴れ渡った青空から、光が降り注いでいた。

 初夏の風が草を揺らし、木々に小鳥が囀る。

 爽やかな朝の空気の中で、一行はパプニカ城を後にした。

「……う……」

 歩きながら、ヒュンケルが口を抑えて俯く。

 どうしたの、と言いながら近づいたマァムが、彼の漂わせている明らかな匂いに気づいて、支えようと伸ばした手を引っ込める。

 その前方で、いつもの通りのコミカルな姿で、とっとことっとこ歩く小柄なドラゴン。

「う〜〜〜。おいリュウ、頼むから揺らさねえでくれ。吐くぞ、マジで吐く」

「……シャギャ」

 告げられた通りに歩みを緩めつつ、リュウはちろりと、自らの背で完全にへたばったポップと、さらに後方で青い顔でよろよろ歩いているヒュンケルを半眼で見た。

「会議でのスピーチも、さることながら。賓客の立場でこの醜態とは、いよいよアルキード大公の威厳は風前の灯と見えますね」

 これは上品にドラゴンを乗りこなして優雅な歩みを進めながら、ノエルが言う。

 ポップはリュウの背にへばりつきながら、それでも弱々しい口調で言い返した。

「うるせえ。てか黙れ、頭痛に響く」

「ああ、そりゃ響くでございましょうとも。見事に一本空になさいましたからね」

 今度は、ラムレスが冷たく返す。

「不死騎団長殿は見たところジェンシャーほども酒豪ではなさそうですし、大公殿下にはさぞ楽しまれたことでしょう。地上への土産だからと言い張って無理やり持参した、特注のアルキード・シェリー・ワインを」

「俺も半分以上は飲んでねえよ。……おいレサラ、二日酔いの薬どうした」

 女魔道士より先に、再び魔道士団副長が口を開く。

「生憎ですが、大公殿下。この度は持たせておりません。携行品の検討に際して真っ先にリストから外した品でしたからね。何しろ、規律正しき我がアルキード国軍には他所様の城へ招かれて泥酔するような者はまずおるまい、と思っておりましたので」

「………うっぷ……」

 返事より先に本当に吐きそうな気配を感じ取ったらしいリュウが、

「……ギャ」

とため息のような声をたて、そろっと地面を蹴った。

 そのまま地上数十センチのところで、のろのろふよふよと低空飛行を始める。

「……おう、サンキュ。大分マシになったぜ」

 揺れが小さくなると、ポップは大きく息をついた。

「なあヒュンケル、お前も乗るか?ドラゴン貸すぞ、いるんなら」

 首だけ回してポップが声をかけたが、ヒュンケルは右手を上げて振った。

「……いや、結構だ。昨夜も言った通り、俺にドラゴン・ライダーの心得はない。第一、騎乗のドラゴンは人数分しかいないだろう」

「別に心得なんて大したもんじゃねえよ。譲らせるから、数は気にすんな。そっちの他の連中だって歩いてんじゃねえか」

「なら、やはり遠慮する。賓客を歩かせてまで騎乗を借りるわけにはいかん。二日酔いは俺の責任だ」

「あっそ。真面目な奴」

 ぽてん、とリュウの鱗の上に顎を投げ出して、ポップは目を瞑った。

 気分が良くなるまでうとうとするつもりか、そのまま彼は、極めて無防備かつだらしない格好で動かなくなった。

 魔族の4人が主にそれぞれに視線を注ぎ、すぐに気にしないことに決めたようで前を見る。

 二日酔いの主を囲んでゆっくり進むアルキード一行を、ノヴァは少し後ろでマァムたちと共に眺めていた。

“……先生の方がマシかもな。同じ飲んべえでも、二日酔いにならないだけ”

 彼の師匠であるロン・ベルクは筋金入りの酒飲みだが、体質的なものか、二日酔いの姿を見たことはない。

 先日のジェンシャーも同類と見えて、飲み明かした次の朝に帰っていった姿は至極爽やかに見えた。

“……と”

 そこまで考えて、彼は、たまに尋ねて来る町の武器屋の主人ジャンクのことを思い出した。

 彼もロン・ベルクの飲み友達であるが、こちらは帰ってゆく後姿が千鳥足だったり、木に額を打ちつけながら歩いていたりするのが日常茶飯事だった。

 次の日にノヴァが町へ出ると、店には細君が出ていて、夫の二日酔いの状態を教えてくれたりする。

 そういえば、あれがポップの実の父だった。

“……なるほど、ああなるわけか”

 血は争えない、とは良く言ったものだ。内心で納得しまくったノヴァは、一行が向かう先の景色へ視線を移した。

“……にしても、どこに行くつもりなんだ?”

 いや、目的地は知っている。ただ、一行がそこを目指している理由がさっぱり解らないだけだ。

“ああして見ると確かにポップなんだけど。何考えてんのかはさっぱり解らないな”

 そもそも、呪文なら何でもこいの大魔道士がいながら自分たちがこうして徒歩やらドラゴンやらでてくてくと進んでいるのは、別に散歩が目的なのではない。

 アルキード大公外遊の最初の目的地に、ルーラではいけない場所をポップが指定したのだ。

 抜け目なく持参のパプニカ地図まで取り出して、

「まずここだ。ちなみに理由は俺が行きたいからだ。いーよな、姫さん」

と厳かに宣言したポップの指した場所は、パプニカの国の外れ。深い森に覆われて、殆ど人が居ないために大戦時にも不死騎団の殲滅さえも免れたような山奥だった。

 何のためにそんな場所へ行きたいのか、それは地上サイドの誰一人解らなかったが、何より民間人とアルキード一行の接触を避けたい国王一同は、喜んであっさりと同意した。

「久しぶりの地上だからな、歩いてこうぜ!ほれ、昔みてえによ」

とは、これもポップの言葉だ。

 とりあえず目的地が市街地を外れていることに安心した国王たちは、その言葉にも大人しく従った。

 予定された同行者の大半が各国の重要な位置についている人間であるため、職務のために予定の合わないものは欠席して、とりあえず本日の同行者はマァムとヒュンケル、それにノヴァだ。

 国王であるアバンや万年人材不足のテランで高官をしているメルル、パプニカ三賢者の1人で多忙を極めるエイミ、それに同じ将軍でも職務は半ば形式だけのマァムと違い現役真っ只中のアキーム将軍などは、それぞれ仕事が済み次第リリルーラで合流することになっている。

 ついでに言うと、ヒュンケルやマァムなど人間たちが徒歩なのにアルキードの魔族がドラゴンに乗っているのは、彼らのせいではない。

 少なくとも言語の通じる飼い主一同が遠方に離れて数匹のドラゴンだけが城に残ることに、パプニカの従僕や女官たちが猛烈な抵抗を示したのだ。

『そうそう。こちらの同行者は徒歩でいいけど、遠慮しないでポップ君たちはドラゴンに乗って頂戴。その方が楽でしょう?』

 昨夜、今日の出発を打ち合わせた後。

 話の締めくくりにさりげなく言ったレオナに、ポップは何もかも見通しているような笑みを浮かべて、

『おう、そうか。んじゃ、そーさして貰うわ。リュウは端っから連れてく予定だったけど、他の連中もドラゴンに乗ってた方が楽だろうからな』

と答えた。

「……ま。こっちもその方がありがたいよな。近くの村人にでも会っていざこざが起きたら、何とかして空へ飛んでもらえば済むだろうし」

 呟いたとき。

 前ではドラゴンの背に乗ったポップが、後ろでは多分よろけながら歩いているのだろうヒュンケルが、ほぼ同時に

「うぷっ……」

と小さく声を立てたのが聞こえた。

「………」

 ノヴァは、無言で額に皺を寄せた。

 この様子では、むしろ途中で2人揃ってへたり込み、動けなくなることを心配した方がいいかもしれない。それはそれで、かなり勘弁して欲しい事態だ。そうでなくとも、仮にも王宮からの一行が、酒の臭いと吐しゃ物を撒き散らしながら進むことにでもなったら、みっともないにも程がある。

“……国民とのゴタゴタどころじゃなさそうなのはいいけどさ……酔っ払いのお守りだな、今日は。全く、ヒュンケルさんまでが”

 ノヴァは幾らかうんざりした気分になって、小さくため息をついた。

 

 テランの宮殿。

 窓から暖かな日差しが照らす執務室で、メルルは椅子にかけて、ぼんやりと空を見ていた。

 やっと、一段落した。大忙しだったが、とにかく仕事はこれで1つ片付いた。

 来月から、一応でも子供たちが通える学校ができる。最低限、共通語とテラン語、それに国史と初歩の算数を教える人材の手配も済んだ。机や筆記具の購入書類まで、メルルが自ら検めたのだ。何も手落ちはない。

「……ふ……」

 メルルは、小さくため息をついた。

 先ほどまで国のためになすべき業務で一杯だった頭が、空になると同時に、様々な考えが入り込んでくる。追い払って頭を休めようと、彼女は小さく頭を振った。

「メルル」

 こつ、と足音がした。黒髪の若い国王が、戸口に姿を現す。

「国王陛下」

 立ち上がって跪こうとしたメルルを、青年は苦笑して押しとどめた。

「そういうのは止めてくれ、といつも言っているでしょう」

「そうでしたね」

 メルルも微笑み返した。

 テラン王として即位して僅か数年。大戦中から寝込みがちだった先王フォルケンが戦後の慌しさの中でついに床から起きることすら困難となり、乞われて養子に迎えられたのが、レノアットだった。

 カール出身の神官であった彼は、大戦中の超竜軍団の侵攻により、祖国を焼け野原にされてしまった。

 山中にあった神殿は何とか無事に保たれたものの、その後はさほど信仰を重要視しないカールの風土のせいもあり、復興の中で自分ひとりが半ば自給自足の生活をするのがやっとの生活をしていたと言う。

 神殿の維持もままならない状態で1人山中で暮らしていた彼は、竜神を奉ずる神殿の神官としての深い知識と優れた知性に加え、どことなく神秘的な雰囲気の中に漂うカリスマ性を買われて、テランの王にと望まれた。そして、テランが己の信仰を国教とする国であると知って、彼は故郷を捨てて申し出を受け入れたのだ。

 その後は、隠居して療養している先王フォルケンを相談役として敬い、文明よりも自然な生活を尊ぶテランの風土に良く馴染み親しみ、国民が安らかな生活を送れるよう努めるよき王である。

 自ら選んだ道ではあったはずだけれど、年配の大臣や長老の上に立ち命令をする日々は、やはり物静かな若い国王の肩には重いのだろうか。高官の中でただ1人、彼に近い年ごろのメルルに、彼は友人のような打ち解けた親しみを求めてくる。

「少しご休憩なさっていって下さい。お疲れでしょうから」

 メルルの言葉に、レノアットはにこりと柔らかい笑みを見せた。

 日々の習慣である祈りを終えたところだろう、とメルルは察した。

 大戦を山中で祈りと勉学に過ごしていたと言う若い国王は、このテランの崇める竜神を深く信仰していて日々の礼拝を欠かさない。

 厳しく己を律し、唯ひたすらにテランの民と自然とを守ろうと努める彼は、王となった後も、どこか神官のような佇まいを見せていた。

「ありがとう。あなたも、無理をしないように」

 レノアットが、労わるような眼差しで答える。

「明日からは、旅に加わるのでしょう。アルキードの人々の」

「はい」

 メルルは、少しだけ目を伏せて答えた。

 ノヴァとマァム、それにヒュンケルは、既にポップと共に旅路を進んでいるはずだ。職務の都合がつかなかったメルルとエイミは、まぞっほ老人のリリルーラで明日から追いかけることになっている。

 国王であるアバンのスケジュール調整はかなり難航しているようで、おそらく数日後になるだろう。

“……また。ポップさんと共に、旅をする……”

 思うと、不思議と心が沈んだ。

 たとえ肩を並べて歩いても、ポップの後姿を見つめて付いてゆくのだとしても、もうあの時のように心がひとつになることはない。ひとつの夢を目指して想いが通じることは、ない。

「……あなたに、このような役目を負わせてしまったことに対して、何と言えばいいのか」

 レノアットも憂鬱な目で呟く。メルルは、小さく首を振って、

「いいえ」

と呟いた。

『……では、同行者はそれでいいわね。みな、十分に気をつけて頂戴。彼らと地上の人々が、なるたけ接触しないように』

 レオナの有無を言わせぬ口調が、脳裏に甦る。

 その先は、云われなくとも解った。

 あの後ヒュンケルが彼女に命じられたはずのものと同じく、おそらくマァムがロモス王から命を受けたであろうのと等しく、メルルの役目も、また。

 アルキードの一行と人間たちの間に、立ち塞がることなのだ。

 大戦を終えて7年。今なお人々はモンスターの姿に怯えている。魔王軍の呪縛を離れたといっても、モンスターたちが居なくなったわけではないのだ。

 国の建て直しに奔走する人々に追い立てられて居場所を失ったモンスターは各地で人々を襲い食料を奪い、そしてまた人々の怒りと憎悪によって住処を追われた。今、ダイがラーハルトと共に死に物狂いで世界中を回っているのも、ヒュンケルがレオナの密命を受けて各地に飛んでいるのも、そういった問題が現在まで七国のあらゆる場所で頻発していることに起因している。

 その中で。

 モンスターたちの頂点に立つ存在であるドラゴン、そして蒼い肌の高位魔族。

 彼らの姿を見た人々がどのように怯えるかは、想像に難くない。

 人々が恐怖から彼らに攻撃を加え、アルキードの者たちが専守防衛を唱えて報復を返したならば――――その先は、考えたくもなかった。

 国民が全力でアルキードとの同盟を拒んだなら、どの王家も抑えきれなくなる時が来る。国あっての民であり、民あっての国なのだ。

 再びの戦火を望まぬならば。血の海に炎の雨が降り注ぐこの世の地獄を避けたいならば。身を挺しても、防げ―――――

 それをかつての戦友に命じねばならぬ王たちの心の憂いは、いかばかりであったろうか。

 大戦の最前線を知らぬ身のレノアットもまた、例外ではないというのは痛いほど解っていた。

「……大丈夫ですわ、レノアット様」

 メルルは、穏やかに微笑んで見せた。

「ポップさんは、解ってくれます。とても聡明な人ですから。不用意な行動がどのような結果を招くか、解らないような方ではありません。そして、あの人がダイさんと共に守った地上だと、その思いのために、ひとり地上から消える道を選んだのもまた、ポップさんです」

 軽く目を見開いた国王に、メルルはさらに、意識してしっかりとした笑顔を向けた。

「同盟を申し出て下さったことこそがポップさんの真の心なのだと、私はそう信じています。ですから気に病むことは何もありませんし、レノアット様に心配して頂く必要もないのですわ。どうか、ご安心なさって下さい」

「……っ」

 メルルの笑顔を見つめて、レノアットが不意に酷くうろたえたような顔になった。メルルは、驚いて見返した。

「レノアット様」

「……いえ。気にしないで欲しいのですが」

 レノアットは、決まりの悪そうな顔で呟いた。

「……その」

「?はい」

「……メルルは……あなたは、彼を本当に信じているのですね。……とても大切な方だったのでしょうね、その、アルキード大公は」

 メルルは、思わず赤くなった。

「……ええ。……本当に立派で、偉大な人でしたわ、ポップさんは」

 何と言ってよいものか、と言葉を探しながら、メルルは、自分も酷くばつの悪い思いで答えた。

「神でもなく魔でもなく、英雄ですらなかった。ごく普通の人であったからこそ、あれほどまでに勇敢に戦えた。そういう方だったんです。……今のあの方を考えると奇妙な言い方ですけれど、私は、そう思いましたわ」

「……ああ。大戦の折りのことですね」

 レノアットが歯切れの悪い口調で言って頷く。

「私も聞きました。……あなたと。あの……偉大な魔法使いは、互いに信頼しあった仲間であり、心で通じ合える間柄であったのだ、と」

「……」

 ちくり、と胸が痛むのを押し隠してメルルは笑った。

「昔のことです、レノアット様。今の私は、他の何よりも、このテランを守る巫女です」

「ええ。……それは、解っています」

 歯切れの悪い口調で返して、青年が視線をそらす。

「ただ……少し、あの……私も、大戦の前線で戦った存在であったら、と思ったのです。あなたと、共に」

「……え?」

「し、失礼しました。では、私は仕事に戻りますから。メルルも、本当に無理をしないように気をつけて下さい」

 そそくさと部屋を出て行くレノアットを見送って、メルルはしばし立ち尽くしていた。

“……レノアット様”

 何ともいえないものが、胸のうちに広がった。

 ―――――神官上がりの王は、未だ独身であった。それが国の内外で取り沙汰されていることは、彼女も知っていた。そして、自薦他薦の花嫁候補の中に自分が数えられていることも。

 とりわけ、レノアットの支持者たちは、こぞってメルルを推す声を上げていた。

 他国出身の神官が即位することに、テラン内部からの反感がなかったわけではないのだ。いつかはテラン王家の血筋のものへ王位を譲るのが筋だ、という声が今もある。

 それを抑えるために、生粋のテラン出身者であり大戦の功績者であり、しかも現在の高官であるメルルとの婚姻を進言している一派が居るのだ。

“……でも。……まさか”

 周りが何を言おうと。自分は竜の神に仕える巫女であり、レノアットは敬愛する国王だ。ただそれだけだ。何を言われても、そう流してきた。

 年回りが近いだの政治的に都合が良いだのという理由での結婚など、彼もメルルも、考えたこともない。そのはずだ、とずっと思ってきた。

「……レノアット様……?」

 メルルは、若い国王の立ち去った後の戸口を見つめたまま、呆然と呟いた。

 

 

080903 up

 

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