「日の光さえも射さない、その国で」

(11)

 

 

 夜。

 降るように星の輝く空を見上げて、ポップはぼんやりと窓枠にもたれていた。傍には、例によって、ちょこなんと蹲ったリュウがいる。

 サミットも無事終わり、今いるのは部下たちの常駐している元・ラムレス部屋だ。

 隣室にポップが居ないときには廊下で護衛の必要もないので、室内には全員がいる。それほど狭い部屋でもないが、さすがにちょっと人口過多だ。

 かと言って、魔族の部下たちが気軽に廊下を歩けば城のものが何かと反応するし、自分が部屋にこもっていれば部下を廊下に立たせることになる。それで、とりあえず就寝までは、と部下たちの部屋に押しかけたのだ。

「ふぁ〜あ〜」

 ポップが、大あくびをする。

「シャ〜ギャギャ〜」

 つられたように、リュウも大きく口を開けて無遠慮な声を立てる。

「退屈そうでいらっしゃいますね、大公。お暇なら、総司令官に連絡を取られてはどうですか」

 ノエルが剣の手入れをしながら顔を上げずに言い、ポップは

「あー」

と気のない声を立てた。

「めんどいから嫌だ。ジャンケンでもして、負けた奴が後で連絡入れといてくれ。俺ら寝た後でな」

 その返事にラムレスが眉を寄せ、レサラが嫌そうな顔になったとき。

 ぴく、とリュウの耳が動いた。

「ん?」

 廊下に聞こえるコツコツと言う足音は、隣室のドアの前へ来て止まった。

 どんどんと言うノックと共に、

「ポップ。居るか」

と呼びかける声がした。

「……」

 一瞬、顔を見合わせた後、ポップより先にリュウがドアに飛びついた。

「シャギャッ」

 バタン、と勢いよく開いたドアに、隣室の前で振り返ったのは、予想通り。

 銀髪で紫眼の、元・魔剣戦士だった。

「シャ……」

 またしてもしがみつこうとしたリュウの首根っこが掴まれて、ぽいっと部屋へ放り戻された。

「よ。ヒュンケル」

「……ポップ!そこもお前の部屋だったのか」

「まあな、アルキードご一行様の貸切部屋。あ、入らねえか?いや、そっちの部屋。こっちは満員だからよ」

 ポップは、現在の自室である隣室を指し示して、廊下へ出た。そして、シャギャー、とついて来ようとしたリュウを、さりげなく後ろへ蹴り戻した。

「お前は、そこで待機だ」

「シャギャギャッ!?」

「黙れ浮気もん!大人しく待ってやがれ」

 言い渡したポップは、シャーギャーギャーと喚くリュウを尻目に、さっさとドアを閉めてしまった。

 中で、うわっ落ち着いて下さい、と言う声がするような気もしたが、ポップは構わずにすたすたと自室に入った。

 辛うじて廊下へ出てきたジェンシャーが見張りに立つのをちらりと見て、ヒュンケルもポップに続いた。

 

 ぱたん、とヒュンケルがドアを閉めて向き直ると、ポップは酒瓶とグラスを出してきた。

「飲むか。アルキードの特産だ、結構いけるぜ?」

「……ああ。もらおう」

 向かい合って腰を下ろし、グラスに注がれた液体を口にする。

 2人は、しばし無言で酒をすすった。

「……サミットでは大変な暴れようだったそうだな」

 ヒュンケルが口を切り、ポップが大仰に肩をすくめる。

「別に何もしてねえっての、俺は」

「女王からもアバン先生からも聞いた。お前の部下は、みな大変な手だれだそうだな」

「まあな」

 ポップは、にやっと笑った。

「竜の騎士とやるのは無理でも、人間なら誰と戦っても負ける連中じゃねえからよ」

「お前を除けば、だろう」

 ヒュンケルは、そっけなく返した。

「騒ぎに気づいて屋外へ出たから、お前がメドローアを撃つのは俺も見た。魔法力それ自体についての変化は知らんが、技術の向上はハッキリと解ったぞ」

「何だ、見てたのかよ」

 ポップは苦笑した。

 ヒュンケルが何を言っているのかは解る。大戦で共に戦ったとき、メラゾーマとマヒャドを併せて構成した極大消滅呪文メドローアは必殺の大呪文だったが、消耗を考えるととても簡単に打てる代物ではなかった。

 今は違う。魔法力と呪文の制御に長けた現在のポップは、小さな火炎と凍気を使って、ヒュンケルで言うなら軽く剣を一振りするような気軽さで、さしたる疲労もなく小規模な消滅呪文を撃てるのだ。

「あのくらいはできねえとな。連中の上でポップ様って呼ばれてる立場としちゃあ、格好がつかねえ」

「……大公ポップ殿下、か」

 ヒュンケルは、小さく笑った。

「大したものだ。ダイなしで、ただ一人で魔界へ降りて、それでもお前は諦めなかったんだな。生きて、しかも幸福になる道を」

「当たり前だっつーの。16の身空で人生諦められるほど、俺は人間できてねえよ」

「ああ。……お前は、本当に強い。アバン先生もマァムも、大戦の頃からよく、ポップは本当に頼りになると言っていた。その通りだ」

「そりゃ、ありがとよ」

 はは、と笑って返したポップの表情を、ヒュンケルはじっと見た。

 半ば予想通り。誰の名を出しても、目の光が動かない。

 何もかもを既に承知の上で覚悟の上で、誰がどんな反応をすることも予想済みで地上に来たのだろう、と改めて解る。

 ヒュンケルは、舌を焼くような魔界の酒をもう一口すすった。

「……明日から、城を出て国内を回るそうだな」

「あ、姫さんから聞いたか」

「聞いた。アルキード大公が、地上に滞在している間に尋ねたい場所があるから全ての国を自由に出歩く許可が欲しいと申し出た、と」

 ヒュンケルは、女王に呼ばれてそれを告げられたときのことを思い出しながら言った。

 ―――正直。ドラゴンに乗って移動する高位魔族が国内をうろつくのなど止めて欲しい、と言うのがほぼ全ての国王の意見だったろう、と言うのは聞かずとも解った。

 そして、それでも、

『何かまずいか?心配しなくても、こっちから地上の人間にケンカ売るよーなことはしねえよ。後ろの連中にもよく言っとくし』

と正面からしらっと言われて、拒否できる国がなかったことも。

 何しろ、条約成立後の話とあって、アルキードは既に同盟国だ。ポップはその国の統治者だ。条約は結んだがお前のところの国民は姿を見せるだけで迷惑だ、などと言っては全てがご破算だ。

 何より、ポップの国は地上のどの国よりも怒らせると怖い国であることが、昼休みの腹ごなしで披露されたばかりだ。

『6年も魔界暮らしで、長いこと行ってねえ場所もあるもんな。懐かしーなー、楽しみだ。せっかく地上で羽伸ばすからには、行っとかねえとな』

 笑顔で言われて押し切られはしたものの、自分たちからは手を出さないがやられたらやり返すから承知しとけ、と暗に言われては、ご自由にどうぞとも言いかねたのだろう。妥協案として、明日からのポップたちの外出には、各国から交代で人がつくことになっている。

 ヒュンケルは、まさにそれを命じられるためにレオナに呼ばれたのだ。

「……俺も同行することになってるんでな。その前に、少し話がしたかったんだ」

「そっか。よろしくな」

 軽く応えた口調は、さほど意外そうでもなかった。

 今は君主の一人とあって、各国の王たちの考えることに察しがつくのだろうか。テランからはメルル、ロモスからはマァムとやはり馴染みの深い面子が同行予定であるのも想定済みかもしれない。

 身もふたもない話、民衆とトラブルがあった時に備えて、最悪の場合には身体を張って割って入ればポップが攻撃を躊躇うだろう、と思われる面子が選ばれているのだ。

 レオナの口からハッキリそう言われた時は、ポップがそこまで言われていることについて複雑な思いはあったが、特に不満は覚えなかった。

 実のところ、どのように何が変わろうと、ヒュンケルはポップがマァムやメルルに本気で危害を加えるとは思わなかったからだ。

 自分自身の身については、そもそも今さらどこでどのように死のうと、理不尽を感じられるような立場ではない。

「カールは、女王の夫君が自ら同行してくれるそうだぞ」

「アバン先生がかぁ?」

「ああ。リンガイアからノヴァもだ。パプニカは、俺の他にエイミも行くことになっている」

「同窓会かよ」

ポップが苦笑する。

「まさか、ベンガーナは武器屋の夫婦が来るとかいうんじゃねえだろうな」

「さすがに、それはないな。ベンガーナはアキーム将軍が来るそうだ。ノヴァはロン・ベルクにも声をかけると言っていたが、どうだろうな」

「ああ。ロン・ベルクはうちにも知り合いが居るかんな。ただ、偏屈なおっさんだからなあ。オーザムは誰が来んだ?ま、あそこは知り合いもあんまいねえし、騎士団かどっかからてきとーに選んでくるんかな」

「いや、お前の知り合いなら居るぞ」

「ん?誰?」

「師匠、とお前が呼んでいた男だ」

 ぎし、と初めてポップが固まった。

「……妖怪じじいが、オーザムと何の関係があるんだよ」

「レオナ女王の勧めで、国王の相談役を勤めていてな。3年前に、強く乞われて正式にオーザムへ移り住んだのだ。医療や治癒魔法の研究が進んでいる国でもあるしな」

「……あー……そーだったっけなぁ……んで、オーザムは妖怪師匠が参加するってか?つーか、まだ生きてたのかよ……療養中じゃねえのか?」

「まあな。だから、参加は当人でなく弟弟子がやるそうだ」

「まぞっほのじーさんかよ。あー、それなら大分扱いやすいな。さすがに師匠は俺でも鬱陶しい」

「会いには行かないのか。地上で訪ねたい場所がある、と言うなら、てっきりマトリフのもとも訪ねるのだと思っていたが」

「遠慮しとくわ。今さらな」

 ポップは、あっさりと言った。

「間違ったことはしちゃいねえと思ってるけどよ。師匠にあれこれ説教されんのはごめんだぜ。結局、似たもの師弟になっちまってっからな」

 ポップの言葉に、ヒュンケルはふと、一度目の大戦で大功のあったマトリフが、平和になると宮廷を追われた話を思い出した。

 数々の大呪文を抱えた初代の大魔道士もまた、力ゆえに最前線の戦場で必要とされ、力ゆえに平和な世に不要とされた存在だったのだ。

「……それでもマトリフは、二度めの大戦にも人間のために起ったろう」

「ま、な。俺も、あのくらいのじーさんになってからだったら、何があったところで人間なんてそんなもんだ、って割り切れたかもしれねーけどな」

 皮肉な口調で言って、ポップはもう一杯酒を注いだ。

「16歳だったからな。俺もガキだった。今さら言っても意味ねえことだけどな」

「確かにな。俺が、不死騎団長に就任したくらいの年齢だ」

 酒が回ってきた勢いか、ヒュンケルもいつになく皮肉な口調で言い返した。

「そう言えば、お前の部下が俺のことを不死騎団長と呼んでくれるんだが。お前の国には、バーンの元の部下は多いのか」

「少なかねえな、ちょっと縁があったって程度のもいれたらよ」

 ポップが、肩をすくめる。

「完全に部下ってんでなくても、魔界じゃ高位の魔族や竜族は、概ねヴェルザーかバーンか両方かと繋がりがあったんだよ。で、ヴェルザーは封印中だが今も健在だ。そしたら、どうしたって俺の国には、元・バーン魔王軍の関係者が入ってくるだろ」

「……そう言われれば、道理ではあるな。バーンは、ヴェルザーと魔界を二分したと言っていたか」

「そ。お前のことも、俺に会う前から名前くらい知ってたって奴も結構居るかんな。魔王軍でアンデッドの指揮してた人間の剣士、つうと」

「その後で裏切った件は伝わってないのか」

「そりゃそうだろ。バーンが死んだせいで、魔界と地上の交信が途切れたんだからよ」

 そう言われて、ヒュンケルは少し間抜けな顔になった。

 なるほど、自分が寝返ってからバーンがダイの手にかかるまで、日数にしたら数ヶ月だ。魔王軍に10年以上も居たことを考えれば、魔界での自分が不死騎団長の方で通っていても不思議ではない。

「……そういうことか」

「気にすんな、嫌味で言ってるわけじゃねえから。100%人間で魔界でも通るくらいの力持った奴なんか、他には俺くらいしか知らねえからな、うちの連中」

 褒めてんだよ、と言ったポップに、ヒュンケルは黙って自嘲の笑いで応えた。

 それも昔のことだ。今の彼は、せいぜい地上の隠密活動がこなせる程度の力しかない。

 大戦で極限まで酷使した身体は、もはやいかなる治療も回復呪文も受け付けないのだ。

 またしばしの沈黙が降り、ポップが思い出したように口を開いた。

「……そーだ。俺の相棒。リュウってんだけどよ」

「あのドラゴンか」

 ヒュンケルはすぐに応えた。自分に飛びついてきて驚かせた、どこかユーモラスな印象の小ぶりなドラゴン。

 後で聞いたところでは、ポップの一行が特別扱いで城に入れさせたのだが、ポップの横を片時も離れないのだと言う。ポップが“俺の相棒”と呼び、何かと可愛がって連れて歩いている様子も、レオナとアバンから聞いている。

「悪かったな、あん時。悪気があってやったんじゃねえから、勘弁してやってくれ」

「気にするな、害意がなかったのは判っている。怪我どころか転びさえしなかったしな。被害と言えば、ぺたぺた触られて撫で回されたくらいなものだ。別に獲物の肉づきを確かめていた、というわけでもないのだろう」

 ほー、とポップがひきつった顔で目を細めたようだったが、ヒュンケルは特に気に留めずに続けた。

「ドラゴンとしては普通の食生活で、人間を食う習慣はないようだしな。ここではお前と一緒に食事をして魚や果物を食べている、とマリンが言っていた」

 地上の一般人は詳しく知らないのだろうが、日常的な栄養摂取のために人間を食べるモンスターは少ない。

 と言うか、ライオンヘッドなどの生粋の肉食獣を除けばほとんどいない。その連中も、狼やトラなど普通の肉食獣と同じで、人間を特に選んで襲うわけではない。

 大戦で人間が標的として集中的に襲われたのは、あくまで戦略上の理由だ。魔王の命令でもなければ、武装している場合もある面倒な獲物の人間を好き好んで襲うモンスターは少ないのだ。

 ドラゴンは海・陸・空のどこに住まうものも大抵が雑食性で、人間と同じような食生活であることをヒュンケルは知っていた。

「見たことのない種類のドラゴンだが、体躯の割りに大した力だ。カイザーフェニックスを食らって怪我一つしない上に、お前の消滅呪文を防ぐとはな」

「ああ。お前、見覚えねえのか?あいつも一時期、バーンのとこにいたんだぜ」

「バーンの?超竜軍団にか」

 ヒュンケルは、ちょっと驚いて聞き返した。

 バランの配下にそんな珍しいドラゴンが居たと言う話は聞いたことがない。

「それは知らなかった。まあ、超竜軍団はバランがバーンから受けた命令に従って動くだけで、俺との関わりはなかったからな」

「……バランの下だったわけじゃねえよ。お前、本当に覚えてねえか」

 ポップの目が、また不思議な光を走らせたような気がした。

「あいつの方は覚えてたぜ。お前のこと」

「……?」

 ヒュンケルは、しばし考え込んだ。

 実のところ、彼の育ったハドラーの地底魔城には様々な種類のモンスターが居たが、ドラゴンだけは一匹も居なかった。

 ハドラーの元でもバーンの元でも、高位の魔族と肩を並べる力を持つドラゴンだけはモンスターの中でも別格で、常に他のモンスターとは一線を画した存在だったのだ。だから、ドラゴンについてだけは雌雄が判る程度で、個体識別できる自信がない。

 それで忘れているのか、とも思ったが、しかし、よくよく思い返してみても、あのドラゴンには覚えがない。

 数日前に見たときにも違和感を感じたのだから、正面切って会っていたら忘れるはずはない。

 第一、自分の知っている限りでは、バーン配下のドラゴンは全て超竜軍団に属していたはずだ。その括りから外れたドラゴンなど居たら、それだけでも絶対に覚えていたと思う。

「……駄目だな、覚えがない。あのドラゴンは、俺に会ったと言っていたのか」

 そう返してから、ふと気づく。

「ポップ。お前は、ドラゴンと話が出来るのか」

「あいつだけはな」

 ポップは、苦笑してそう応えた。

「地上から出て魔界に下りてすぐ会って、6年ずっと一緒だった奴なんだ。この先は多分、死ぬまで一緒だろうな。今はあいつが、俺の相棒だ」

 そう言ったポップは、ヒュンケルがぎょっとするほど真剣な顔でグラスを置いた。

「だからな、やらねえぞ。手ェ出すなよ。俺のだかんな、あいつは」

「……」

 ヒュンケルは、思わず自分もグラスを置いて身を引いた。

「……くれ、などと言った覚えはないんだが」

「言ったら本気でメドローアだぜ」

 冗談とも思えない口調で言って、ポップはぐいっと酒をあおった。

「今さらお前に取られるのだけは、絶対にごめんだ。あいつだけは死ぬまで俺のもんだ。そう決めてんだかんな」

「……安心しろ。俺にはドラゴン・ライダーの心得はないし、そもそも密偵がドラゴンに乗って空を飛んだりしたら目立ってかなわんだろう」

「そーかい。ならいいけどよ」

 ポップは大分酒が回ってきたと見えて、幾らか目が据わってきている。

 ヒュンケルは、やや閉口しつつも、どこかほっとした気分で自分もさらに酒をあおった。

 笑顔の中で動かない冴え冴えとした光を目に浮かべたポップより、酔ってやさぐれた表情の方が、まだ昔に近いように感じられたのだ。

「全く昔から、何かと言うとお前は俺に絡んでくるな。魔界で苦労して、大人になったのではなかったのか」

「うるせえ。女のことに、大人も子供もあるかよ」

「ああ、そういえば雌か、あのドラゴンは。生憎だが、もし女人の好みを言うとしたら、俺は鱗がない相手がいいぞ」

「あぁ?鱗がなけりゃ手ェ出すのか、ああ?」

 酔っ払いの会話など、結局は意味のない繰言だ。くだを巻くポップの前で、ヒュンケルも適当に口から出るままの言葉を返す。

「そうだな、ついでに毛皮でないことと2足歩行も条件に入れてくれ。やはり自分に近い姿でないと、いざ事に及んでも、その気になれないかも知れんしな」

「ほうほう、二本の足で立ってて毛も鱗もなかったら、手ェ出してもいいってかよ」

「うーむ、そこまで変わったら考えてみないでもないかも知れんが……少し待て、ポップ。それはもう、既にドラゴンではないような気がするのだが」

「なーに言ってやがる。毛も鱗もなくて白い肌で2本足で歩いて美人で頭が良くて可愛い女のドラゴンなんかいねえってのかよ?あ?」

「それはさすがに。間違いなく、いないだろう」

 久しぶりにかつて生死を共にした朋友と酒を酌み交わした寛ぎの故か、はたまたポップ持参の魔界産果実酒が素晴らしく上等であったせいか。

 明日の任務である賓客のつきそいを当の賓客ともども二日酔いでやる羽目になるであろう、ということには考えが至らないまま。

 ヒュンケルは、くだらない話をしながら久しぶりに旨い酒で杯を重ねて、そのまま意識を失い、ぐっすりと眠り込んだ。

 

 太陽のない国。

 魔界に位置するもう一つの国は、石と化した冥竜王の統べる国だった。

 人間の統治者を戴き、今は総司令官アレスティンの指揮するアルキード国軍を、更なる深みから睨み据える闇の国。

 ヴェルザーと呼ばれた偉大なる竜王の膝元。その王宮にも、密やかな動きは訪れていた。

『そうか。アルキードの大公は地上へ向かったとな』

 この場に姿のない主が、未だ石化の解けない身の奥から発する声を、ひとり跪いて聞く影があった。

「はっ。ヴェルザー様」

 肩にかけた大鎌。仮面を被った笑顔から発される声は、地上で魔王軍と立ち会った勇者たちの誰もが知る道化のそれだった。

 しかし同時に、彼らの誰一人として聞いた事のない、正しい敬意を今は秘めていた。

「いい度胸ですね。あの魔法使い君ときたら」

 死神は、ため息混じりに呟いた。

「国を空けて、腕利きの部下を一通り連れて故郷に新婚旅行とは、暢気なことで。まさか、愚にもつかない不可侵条約とやらで、我々を縛るつもりなんですかねえ?」

『まさか、それほど能天気な男でもあるまいよ。攻められようと落とされぬだけの構えはしてあろう』

「……でしょうねえ」

『彼とは付き合いも短くはないお前のことだ。手の内ならば、互いにさわりくらいは読めようが』

「それは、まあ。大方、何かあったら部下連中が即刻報告、聞いた大魔道士は一瞬で戻る仕掛けがあって、おまけに奴さんが戻るときには、もれなく恋に狂ってる大公妃がついてくる、ってとこでしょう。遅―い新婚旅行を邪魔された怨念背負って、人間型で、おデコにゃ例の紋章をピカピカさして、ねえ?」

 死神は、うんざりした様子でため息をついた。

「やんなっちゃいますねェ。人間のくせして、あの大魔道士の坊やと来たら。抜け目もなけりゃあ、隙もない」

 やっぱり地上での大戦のときにドサクサ紛れに殺しとけば、とぼやく彼に、主がそっけなく言う。

『今さら言うてもせん無いことよ。繰言を言う暇があるなら、そなたも地上へ行ったらどうだ』

「へ?」

 キョトンとした死神に、ヴェルザーは笑いを含んだ声で続けた。

『今現在、アルキードは友邦なのだぞ。冥竜王ヴェルザーの腹心が、休暇中の大公夫妻の元へ機嫌伺いに行ったとて、そうおかしくもなかろう』

「……はあ」

 死神が、にたりと笑った顔を上げる。

「ご命令とあらば。手土産を持って、行って参りましょうかね」

『大魔道士の他にも、地上にはお前の馴染みが居ろう。聞くところでは、当代の竜騎士は父に倣って、地上で人間の王家に入り婿する予定だとか。双方を見知っているなら祝いの言葉でも述べてくるがよい』

「かしこまりました♪そーいえば勇者ダイ君にも、天界からのお帰り以来ご無沙汰でしたよ。出会い頭に剣撃一発、なーんてことにならないように気をつけませんと」

 死神が、いそいそと楽しげに立ち上がる。

『アルキード大公の狙いが、こちらの読み通りであれば良いのだがな。その時は、助太刀するも傍観するもそなた次第だ。見極めて動くのだな』

「ご信頼頂いて光栄です。すると、寝首をかいてもよろしいので?」

 戯れ半分に訊いてみると、主が笑う気配があった。

『しくじらぬ、と言う確信があったらな。しかし、難しかろうなあ。あの男がこちらに背中を向けたら、マントの下には確実に爆弾と毒ガスが仕込まれていると思わねばなるまいよ。そなたを大戦で引っ掛けたと言う先代の勇者などは、もうアルキード大公の足元にも及ぶまい』

「……言わないで下さいよ、それは」

 情けない声を立てて、死神は鎌を担ぎ直した。

「ご安心下さい、ヴェルザー様。少なくとも、ボクの主は大魔道士くんの死を望んじゃいないってことだけは、よーく解りました。ならボクは、冥竜王のご意思のままに♪」

 ずけずけと言ってのけた部下に、ヴェルザーはまた低く笑った。

『そうだな。何しろアルキード大公は、このヴェルザーとは他人ではないのだから。精々、親切にしてやろう』

「了解いたしました♪ではボクは、久しぶりに地上に」

『ゆけ。キルバーン』

 主の声は、それきり途切れた。謁見は終わったのだ。

 死神は、踝を返して広間を出た。

“地上ねえ……ロクな思い出がないなあ、こうして考えると”

 アバンと言う人間の勇者にいいように手玉に取られたことを思い出すと、仮面の中で口がへの字に曲がる。

 首をすっ飛ばされて、彼が冥竜王の“死神”でなければ本気でお陀仏になるところだった。

“あまつさえ、あの大魔道士の坊やと来たら。下手すると化けるかな、とは思ってたけど”

 彼は、自室へ戻って仮面の並ぶ棚をあけ、しばし逡巡した。

 笑い面、泣き面、怒り面などを見回しながら、ふと。

 この6年、さんざん付き合って危うい駆け引きを交わしてきた、“アルキードの大公”が―――――まだ翳りのない瞳をした魔道士の少年だったころ、自分が大魔王バーンの側に派遣されていたころの記憶が、何となく甦る。

 地上で太陽の光を浴びてぬくぬくと暮らしてきた人間の少年に、魔界の深い闇は恐ろしかったはずだ。太陽のない世界に堕ちた現実は、辛く厳しいものであったはずだ。

 それでもポップは、生き延びた。

 正気と明るい瞳とを保ったままで生き抜き、仲間を得て家族まで持った。

 地上に居たときと同じように、傷つくたびに輝きを増して立ち上がり、ついには死神の主たるヴェルザーさえも無視できないような結構な国を創りあげて、闇の底にあるはずの魔界に光をもって覇を唱えた。

“……『影竜』さえ居なけりゃねえ。全く忌々しい……よっぽど相性がいいんだろうね、大魔道士くんと竜の騎士は”

 キルバーンは、ひとつため息をついた。

 今はアルキードの大公妃に収まっている人型のドラゴンは、彼にとって、これまた疫病神に等しい迷惑な存在だった。

 影竜が魔界に現れたのは、20数年前。そう昔のことではない。

 バーン領の片隅、荒れ果てた森の外れに放り出されていた小さなドラゴンは、近寄ってきた魔族数人を一気に消し炭に変えたと聞いている。

 部下も仲間も求めようとしないそのドラゴンは、バーンが地上に宮殿を造って動き始めた頃から、さらに噂に上るようになっていた。

 その森に入ったものは誰一人生きて帰らない、と言う話が広まってから、自然と近づくものはなくなった。

 魔界のバーン領を管理している魔族たちも地上侵略に万端の準備を整えることで手一杯だったようで、放置された影竜は、順調にすくすくと育ってしまったのである。

 7.8年前、バーン魔王軍の主力の大半が地上へ送り込まれた頃には、バーン領の一画を住処とする悪鬼のようなドラゴンの話は不動のものとなっていた。

 遠方から時に垣間見える激しい戦いの中、業火の中に敵を焼き尽くし、逃げるものを素手で引きちぎって肉片と化してゆくそのドラゴンは、人間の姿をしていた、と言う噂と共に。

 ――――そして。人間の姿となった若い雌竜の額には、ドラゴンをかたどった紋章が輝いていた、とも。

 その頃には、キルバーンも既に知っていた。

 彼の主ヴェルザーにも地上に向かった大魔王バーンにもおもねることなく、ただ己の性のままに戦い己の衝動のままに生きる獣のような3人目の竜騎士の、出自と正体を。

“……聞いた時には頭がぶっ飛ぶかと思ったけどねぇ。このボクでも”

 歪んだ宿命の竜騎士。まさに彼女は、そう呼ぶのに相応しい存在だった。

 硬い鱗に覆われ炎を吐く竜身の内に、潜在的には大魔王バーンにすら匹敵する魔力を秘めて。そして全てを解き放ったときには、額に竜の紋章を戴く白い肌の人型に変化する。

 艶やかな髪をなびかせ、端正な顔に欠片ほどの表情も浮かべずにただ敵を殲滅していく姿は、鬼と呼ぶにも美しすぎた。

 ――――当然のことだが、ヴェルザーは彼女を殺そうとはしなかった。

 そしてバーンも、まさか本気で彼女の存在さえ知らなかったはずはないものを、あえて対処もせずに放置した裏には、やはり幾らかの打算があったのだと思う。

 そしてそれは、地上にあって人間たちの守護神となった、少年の姿をした、もう1人のイレギュラーな竜騎士のために、ではなかっただろう。

 おそらくは。正しく聖母竜から生を受け己の宿命を全うせんと生きていた、最後の正当な竜騎士と戦わせるために。

 ダイの父である竜騎士バランは、ヴェルザーを下して封じた男であるが故に、バーンにとっても脅威だったのだ。地上の侵略に際して最も大きな障害になりかねない、太古の神々の遺産。

 多分、バーンは臣従させた後でさえ、バランに100%の信頼を置いては居なかったのだろう。そして、最終的にバランの選んだ道を考えてみれば、それは決して間違っては居なかった。

 ただ残念なことに、現アルキード大公妃である“影竜”――――リュウがバランと剣を交えることは、結局、一度もなかった。

“……何もかんも誤算だったよねぇ、バーン様の計画は。こーして改めて考えてみりゃ”

 竜騎将だけでなく心底人間を恨んでいたはずの不死騎団長ヒュンケルや空戦騎ラーハルトまでもが裏切り、さらにロン・ベルクやクロコダインなど多数のモンスターが人間側についたこと。

 領地に放し飼いにしていた“影竜”が一切の制御を受け付けない獣のような生き物に仕上がってしまい、全く役に立ってくれなかったこと。

 そして、バランの息子ダイが双竜紋の騎士であるのみならず、人間など居ない場所で物心ついた癖して、消した記憶まで根性で甦らすほどの頑固さで人間に傾倒しまくっていた、こと。

“……ああ、それもアルキード大公殿下が一枚かんでるんだっけねえ”

 後にヴェルザーの国が集めた情報では、勇者ダイに初めて接触して親しんだ人間は、パプニカ王女レオナだ。その次が、元勇者のアバンだった。

 しかし、3人目のポップが与えた影響は、その後の道中でダイと共に過ごした時の長さと濃密さで、先の2人を遥かに上回っていた。

 最初はクロコダインを前にして仲間を捨てて逃げた彼が、震えながら戻ってきて、モンスターである鬼面道士ブラスのために命を捨てようとしたこと。

 力及ばぬ未熟者の状態でありったけの知恵を絞って戦い、ヒュンケルやフレイザードの前に立ったこと。

 初代大魔道士マトリフに師事し、乱暴な修行にボロボロになって、もう嫌だ、と喚き続けながら、結局は最後まで逃げなかったこと。

 それらのエピソードを、幼き調停者の目は余すところなく焼き付けたはずだ。

 立派とか完璧とか言う言葉には程遠い欠点だらけの人間の少年だった大魔道士は、しかし結果として、三界の調停者としてのダイに、人間への強固な好意と絶対的な信頼とを植えつけてしまった。

 弱さも醜さも全てを承知した上で、どうしようもなく人間が、愛しい。

 それが、宿命でなく己の意思で生きる当代の竜騎士ダイの、揺るぎない結論なのだ。

 冥竜王の配下の中で唯1人バーンと人間との大戦を地上で見ていたキルバーンには、それが身に沁みて十分に解っていた。

 この先の運命がどう転ぼうと、どれほどの醜さを人間が見せつけようと、ダイは人間を地上から消し去ることだけは頑として受け入れないだろう。彼の主であるヴェルザーも、既にそれは承知しているはずだ。

“……だからこそ。アルキード大公が重要なんだよねえ”

 笑い面をつけて、キルバーンは、仮面の下の顎をくるりと撫でた。

 混血ならばいざ知らず。混じりけのない生粋の純血の人間でありながら魔界に居を構え、己の祖国と呼べる国すらも今は魔界にあり、おそらくは魔界に骨を埋める覚悟でいるであろう、魔法使いの青年。

 古来、異邦人として魔界を訪れた人間は少数ながら存在したが、己の意思で心身ともに魔界の住人となった人間など初めてだ。

 竜騎士を親友に持ち妻に持ち、自らは人の身のままに魔界で人外の友に囲まれる彼の瞳は、何を見つめているのか。大魔王との激しい戦いの日々すらも今は過ぎ去った記憶と化した彼は今、神すら力及ばぬであろう魔界の覇道を、一体どこへ向って歩いているのか。

“……そして、何より”

 いつか、地上と魔界の戦端が開かれるとき。力なき故に人外の存在に怯え力なき故に際限なく残酷になる人間たちと、強大な力を抱えながら太陽のない世界に生きる魔族や竜族とが再び剣を交えるとき。

 アルキードが大公の意思に従って剣を向ける先は、どちらであるのか――――――――

「……それを。ボクが、見極めてこないとねぇ?」

 ばさりとローブを翻した彼は、視線を上げた。

「おいで、ピ・ルール」

「ほーい♪」

 天井から降ってきたかのように、どさりと肩に重みがかかる。

「地上に行くんだ♪キル“バーン”」

 きゃははっ、と笑い声を立てた1つ目の使い魔を、彼は意味もなく撫でた。

 彼女は、よく似ている。

 ピ・ローロ。代々、冥竜王のもとで死神の世話と雑用を担った家系の、小さなモンスター。

 彼女の従兄であり地上で果てた小悪魔は、懸命に課せられた役目を果たした上で散った。そしてその後、自分には新たに、その一族の中から1人の少女が与えられた。

 死神は、面に象られた笑顔をモンスターの少女に向けた。

「そうだよ♪ピ・ローロが死んで煙になった、あの地上へ行くんだ。ボクも沢山、昔の知り合いに会えるしね。愉しみかい?」

「うん♪竜騎士と大魔道士と、大公妃がいるんでしょ?それに人間見るの、初めてだから。すっごく、楽しみ♪」

 はしゃいだ声を上げる使い魔を肩に乗せ、仮面を被り直した死神の姿は、闇に溶けていった。

 

 

080526 up

 

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