「日の光さえも射さない、その国で」

(1)

 

 石の床に座り込んで、ドラゴンは天を見ていた。

 この上には、太陽の輝く世界がある。

 神々の手で、人間たちに与えられた世界―――――地上界。

 その光あふれる世界に憧れて、魔界を統べる男たちの一人が挑み、敗れて散ったのは、少し前。

 縁のない男ではなかった、というか昔はドラゴンの主だった男だが、正直、同情も悲憤も感じはしなかった。

 当たり前だ。摂理が人間のものと定めた場所へ魔族が手を伸ばしたところで、かなうわけがあるものか。人間は確かに魔族よりも竜族よりも力弱い生き物だが、それ故に地上では多くの精霊や神々の守護を受けている。

「シャギャ」

 ふう、とついたため息が、愉快な鳴き声に変換される。

 憧れる思いは自分にもあったが、ドラゴンのそれは死んだ魔族のそれとは少し違う。地上を人間たちから奪いたいとは思わない。

 ただ、人間の姿が見たかった。もうおぼろげになりそうな記憶の底にある、人間の少年。脆く弱く、全身に危うい光をたたえた小さな子供。

 くるくると表情が変わり空気の変わる彼のイメージは、この魔界の底に10年を過ごしてさえ、ドラゴンの脳裏を去らなかった。

“生きてるんだろうか。もう、死んだだろうか”

 ドラゴンが魔界へ落ちて後。あの少年は、どんな風に生きて、どんな思いを抱いたのだろうか―――――

「オオオオオオ―――――ン!」

 姿では僅かに成人の人間を下回るほどの背丈しかないドラゴンの咆哮は、魔界を揺るがせた。

 ――――――ここまでは、普段の日課どおりだった。しかし習慣となった一吠えを済ませた直後に、状況が変わった。

 ドラゴンの咆哮に答えるようにして、石造りの塔の麓から、光の柱が上がったのだ。

「………シャギャ?」

 ドラゴンは、目をしばたたかせた。

 幻覚ではない。確かに光の柱だ。現在進行形で天を貫くように伸びている。この魔界では見るはずのない、まるで人間や精霊の使う破邪呪文のような代物だ。

「シャギャシャギャ」

 何かあったな、と呟いて、ドラゴンはふわりと石の床を蹴った。

 光の柱は明らかに塔のすぐ根元から立っていたから、誰にせよ、自分の領地である塔周辺に入り込んだものがいる。放ってはおけない。例え迷い込んだのだとしても、とっ捕まえて死体にしてしまわなければ、次々と入り込んでくるものが出る。今さらそんなことになるのは真っ平だった。地上に近い、この塔の辺り一帯を自分の縄張りにするまでには、随分と苦労したのだ。

 どこの誰だ、と地面へ舞い降りてみて、ドラゴンは再び目をぱちくりさせた。

“………はい?”

 凄く人間っぽい男が、地面にへたり込んでいる。というか、人間に見える。綺麗な白っぽいクリーム色の肌に黒い髪と黒い瞳。おまけに、怪我をしたらしい手足から赤い血が流れている。めったにお目にはかかれない光景だ。魔族ならば、例え人間とのハーフでも、血は青色だ。

「……くそっ!こんにゃろう、食らいやがれ!!」

 男が、右手を振り上げて突き出した。

「ベギラマ!!」

 巨大な閃熱呪文が炸裂し、悲鳴が上がる。そちらは紛れもなく魔族で、数人の戦士が腕で急所や顔を庇っている。

「……しぶといガキだ、人間の分際で!」

 腹立たしげに吐き捨てた魔族の一人が一歩足を進めた。

 ――――――ドラゴンが。どっちの味方をしようかと悩んでいたのは、コンマ一秒ほどだった。

「コオオオオオオオオ」

 ぶわっと炎を吐いてやると、魔族の戦士たちはやっとドラゴンの存在に気づいたように硬直した。

「……しまった!奴の住処だぞ、ここは!」

 どうやら、ドラゴンの存在を知らなかったわけではない。ただ、獲物を追うのに夢中でうっかりと深入りしすぎてしまったものらしい。

 気の毒といえば気の毒だ、と思いつつ、ドラゴンは前足を振り上げた。ぐしゃっと音がして一人が潰れる。

「下がれっ!!退け、退けえええっ!!“影竜”の領地だ!!!」

 血相を変えた一人の怒号で、魔族たちが全速で撤退に入る。ドラゴンは、逃がすまいと息を吸い込んだ。

「シャギャ―――――――ッ!」

「ヒャダイン!!」

 呪文の詠唱が咆哮に重なった。ドラゴンの吐いた紅蓮の炎は、氷嵐とぶつかって消えた。

「………」

 ドラゴンは、ゆっくりと振り向いた。人間(多分)の男が、座り込んだままでロッドをかざしていた。

「……逃げる奴、後ろから撃つことねえだろ」

 ぼそ、と呟かれた声は弱々しくて、男がかなり傷つき疲れていることを示していた。

「………シャギャ」

 そんなもんかね、という意味の呟きをもらして、ドラゴンはのしのしと男に歩み寄り、ふんふんと匂いをかいだ。

 生臭い血の匂いは、やはり魔族のそれと質が違う。酷く不安を掻き立てる匂いだ。何かしなければ、という焦燥を感じるのは、かつて傷ついた人間の少年に泣きたいほどの痛みを覚えた記憶のせいだろうか。

「………何だよ。食うのかよ」

 嫌そうに言った顔は、派手な呪文と偉く大きな魔法力の割には幼かった。まだ成人していないのではないだろうか。

「シャギャギャ」

 違う違う、と前足を振ってやる。肉は確かに好物だが、人間の赤い血にはどうも食欲が湧かない。“彼”に食欲を抱くような気がして不快な気分になるからだ。

「…………何?俺の言ってること、解るとか?ひょっとして」

「シャギャ」

「…………マジかよ」

 驚きに目を見張って自分を見上げてくる青年の黒い瞳は、驚くほど綺麗だった。きっと地上の夜空というのがこんな風なんだろう、と埒もない想像に駆られる。

「シャギャ」

 ドラゴンは、背に青年を乗せ、塔の天辺にある自分の居室に向かって高く舞い上がった。

 

 とりあえず石の床に下ろして、ドラゴンは奥へ入った。

 自分は寝台などという上等なものを使わないしシーツも毛布もいらないが、人間ならば布が必要だろう。何せ、人間は弱くて脆いのだ。

 自分の来る前からあった古布を手当たり次第に引っ張り出し、埃の少ないものを選る。汚い空気を吸っただけで人間は苦しいのだ、ということも、ドラゴンはちゃんと覚えていた。

 マシそうなものを集めて戻ると、

「ベホマ」

という声がした。

“……ああ、回復呪文か”

 遠い昔に聞いた覚えのある呪文だ。自分には効きもしないし必要もないので、もう忘れかけていた言葉。

 青年の傷が消えていくのを、ドラゴンは眺めていた。

「……あれ」

 一段落したらしい青年が振り返る。ドラゴンは、近寄って布の山を差し出した。

「シャギャー」

「……使っていいってことか?」

「シャギャ」

「……どーも」

 青年が受け取って血の汚れをぬぐい、息をつく。

「ありがとよ。……あのよ。水ねえか?できれば綺麗なのが」

「シャギャ」

 ドラゴンはぺたぺたと踝を返して、飲料用の水がめを引きずってきてやった。中に溜まった水の透明なのを青年が確認する。泉で汲んできた綺麗な水だ。人間が使っても大丈夫だろう、とドラゴンは頷いた。

「シャギャシャギャ」

 好きなだけ使え、と前足を出して見せると、青年はまたしげしげとドラゴンを眺め、もう一度「ありがとうよ」と言って布を浸した。

 ぎゅっと絞った布で拭われて汚れの落ちた顔は、もちろんドラゴンの覚えている少年とは全く別人のものだったが、不思議に懐かしいものを感じさせた。生き生きとした瞳には、疲労や困惑や安堵や期待や、驚くほど沢山の種類の感情が映って見える。

“……傷つきやすくて壊れやすい。人間の、顔だ……”

 ドラゴンが見とれたとき、ぐーっという音がした。

「……あ」

 青年の腹の虫だ、と双方が悟る。青年は顔を赤らめたが、ドラゴンは慌ててくるっと踝を返した。

 そうだ。人間は、頻繁に物を食べないと死んでしまうのだ。何で忘れていたのだろうか?いけない。大急ぎで食べるものを用意しなければ。木の実や果物がいいだろうか?それとも、肉か魚がいいのだろうか。

「……あ、おい?どこいくんだよ?」

 呼び止める声を背に、ドラゴンは窓から飛び出した。

 

 青年は戸惑った気分で、目の前にあるものを眺めた。

 山積みの果物と木の実。横に置かれた各種小動物やでっかい魚は、既にドラゴンの炎でミディアムレアに焼かれた状態だ。

「シャギャ」

 そして、さあ食え、と言わんばかりに前足を振って見せる、自分と同じくらいの大きさのドラゴン。

「………」

 彼は、ちろっとドラゴンを横目で見た。

“……太らせて食おう、とかってことかよ?”

 そうでもなければ、説明がつかない。魔界へ来て半月ほどの間に、結構な数の魔族と会ったしドラゴンも見たが、人間の彼に親切にしてくれようとか言う酔狂なモンスターにはついぞ会ったためしがなかった。

 彼の身体に混ざりこんだ、ある人物の血液のことも手伝って、まるで狩の獲物のように追い立てられるばかり。だいぶ神経が磨り減っていた彼に、もう誰かの親切と言うのは飲み込みづらいものだった。

 しかも、目の前のドラゴンは、“影竜”とかいう異称で魔族からも恐れられる存在らしいではないか。

“……毒とかな……まさかな”

 恐る恐る果物を一つ手にとって、匂いをかぐ。もちろん地上のものとは違う種類のようだが、いい香りがした。熟したりんごのような甘い香りだ。

「……」

 青年は、ほとんど条件反射で、何も考えずにかぶりついた。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。

“うまい”

 涙が出そうになった。あっという間に一つ平らげて、次を掴む。今度はナッツのような脂肪分を含んだ味の木の実だった。

「………」

 夢中でがつがつと食べて、ふと正気に返った彼は、横のドラゴンを見た。

 つぶらな瞳で、食べ続ける彼をじっと見つめているその瞳が、なぜか、しばらく会っていない彼の親友を思い出させた。

「……っ」

 ごくん、と口の中のものを飲み込んで、彼は息をついた。

「……シャギャ?」

 手の止まってしまった彼に、ドラゴンが心配そうな声を立てる。

「……お前も食えよ」

「ぎゃ?」

「だから。一緒に食おうって言ってんの!どーせ俺一人じゃ、こんなに食えねえよ」

「シャギャ」

「ほら!食えってば」

 ぐいっと突き出された木の実を眺めて、二、三度目をぱちくりさせ、ドラゴンは素直に咥えとった。もぐもぐとドラゴンが口を動かすのを確認して、今度は肉を手にとり、二つに裂く。

「ほれ」

 ドラゴンは、前足を出して受け取った。

「シャギャ」

 はぐっと肉を噛んだドラゴンを見ていて、ふと、頬に何かの感触を感じた。

「……ありゃ」

 つうっと伝った熱いものは、涙だった。

「……何だよ。はは、バカみてえ」

 ぽろ、ぽろ、と続けて滴る透明な雫を止めることもできずに、青年は力なく笑った。

“……畜生。しんどいよ、こんなん。俺、どーしたらいいんだよ……”

 ともすれば、魔界になど来るのではなかった、と言ってしまいそうな自分に、青年は歯を食いしばった。

 ――――――頬に、柔らかいものが触れた。

「……え……?」

 思わず目を見張った。ドラゴンの舌が、頬を優しくなでて、涙を拭い取っている。

 きゅーん、とドラゴンの立てた声は、まるで子犬のそれのように優しかった。

「……はは……」

 青年は、思わず声を立てた。

「……何なんだよ、お前。まるであいつみたいじゃねえか。あいつがドラゴンになってくっついてきてるみてえだぜ。はは、変なの」

 彼は、ぐっとドラゴンの腕の付け根を掴んだ。昔、友人の肩に触れたときとはあまりに違う、硬い鱗の感触。しかし、嫌悪や苛立ちは感じなかった。―――――そんな余裕は、なかったのだ。

 地上に背を向けて一人魔界に降り立って、その日からずっと戦っていた。ぐっすり眠ることも落ち着いて食べることもできずに逃げ回って戦って、傷ついては自分で回復呪文をかけて。帰る場所もなく仲間もなく、言葉を交わす相手すらもなく。果ての見えない孤独と絶望の底で、なぜ自分が命を断ってしまわずに生き延びようとしていたのか、それすらも不思議だった。

「シャギャ」

 ドラゴンが、前足を伸ばして青年のかけてくる重みを受け止める。かぎ爪が当たらないように注意して背を叩かれたポンポンという感触は、懸命に彼を慰めようとしているように感じられた。

 それが最後の一押しだった。涙腺が破裂したように、涙が溢れ出す。ひっく、ひっくと声を抑えるのも忘れて、彼は嗚咽した。

「……」

 ドラゴンが、離れようとせずに彼の髪に触れ、また背をなでる。たとえ、それが獲物の肉付きを確かめているのであっても、もう彼は構わなかった。―――――ひとりぼっちの旅に、彼は心底、打ちのめされていたのだ。

 長い長い間、彼は涙を流し続け、ドラゴンはそれが体表を伝うのを不思議なまなざしで眺めていた。

「……シャギャ……」

 どれだけの時が過ぎたころか。太陽のない魔界でも夜の訪れが明らかに辺りを暗く染め始めて、ようやく、青年は顔を上げた。

 泣きはらした瞼は真っ赤に腫れていることだろう。ぐしぐしと顔を拭って、青年は気を取り直し、強いて明るい声をあげた。

「……えっと、ごめんな。あのよ、俺、ポップ。お前、名前、なんてーの?」

 尋ねたとたんに、ドラゴンが俯いた。

「……?おい、変な意味じゃねーから。言いたくなかったら、何て呼んでほしいか、だけでいいんだからよ」

 重ねて言うと、ドラゴンは前足でポップをさした。

「俺?ポップ」

 ドラゴンが頷き、次に自分を指して、それから首を振る。青年――――ポップは、鈍いたちではなく、すぐにぴんときた。

「……ひょっとして、名前がない、とか?お前」

 こくん、とドラゴンが頷いてしょぼくれた目を見せる。

「あー……そーなのか。さっきの奴らは呼んでたみたいだけど、影竜……てのも何だかな。日陰もんみてえで」

 青年は、ちょっと考えた。

「あのよ。俺がつけちまっていいか?名前」

 失礼かとも思ったが、ドラゴンはしばしポップを間の抜けた顔で眺め、それから、ものすごい勢いでぶんぶんと縦に首を振った。

「ほいじゃ、えーと……ダイ、ってのはさすがに抵抗あるな。レオナとかマァムとかつけて、ひっぱたかれても困るし。ディーノ、は?」

 ポップは知り合いの名前の中からよりぬいた一つを提示したが、ドラゴンは“ディーノ”という言葉を聞いて目を剥き、慌ててぶんぶんと前足を振った。

「……拙いのか?ていうか、ひょっとして聞いたことあるのか?」

 ポップは目を見張ったが、説明を求められるわけでなし、そのことは後回しにした。とにかく、今はこのドラゴンにいい名前をくれてやらなければならない。

「じゃあ……リュウ、ってのはどうだ?ちょっとそのまんま過ぎるよーな気もするけど」

 終いにひねりも何もない提案をすると、ドラゴンはこくんと頷いた。

「よし、決定。お前の名前はリュウ。俺の新しい相棒だ」

 助けてもらった身分で図々しい、と自分でも思いつつそう言い渡してやると、ドラゴンは、驚くほど嬉しそうな色を瞳に浮かべた。

「よろしくな。リュウ」

「シャギャ」

 頷いて答えたドラゴンの首を自然に抱き寄せて、ポップは、久しぶりに心からの笑みが浮かぶのを感じた。

 ―――――誰でもいい。こいつが鬼だろうが悪魔だろうが、モンスターだろうが気にしない。何を考えていても構わない。

 とにかく彼は、希望なき孤独な旅の終焉を迎えたのだ。やっと、一人でなくなったのだ――――――

 

 パプニカ王国の宮殿は、どこか居心地の悪い空気が漂っていた。

「――――――占いの結果は、どう?メルル」

 優れた文化と技術で鳴るパプニカの象徴と言える見事な宮殿の奥、ひときわ精巧な内装を凝らした王族用の私室で、金髪碧眼の女王は尋ねた。

「……」

 メルルと呼ばれた黒髪の占い師が、黒曜石のような瞳を深く伏せたまま、水晶玉から手を離す。

「……お尋ねになりたいのですか?レオナ姫……いえ、レオナ女王」

 若い女王の表情が歪んだが、彼女は視線を逸らすことなく、メルルの肩が震えているのを見つめた。

「……ええ。教えて頂戴、メルル」

「そうですか。……行ってしまいましたわ、ポップさんは。この地上ではない世界へ」

 メルルの声がかすかに震えた。

「どこへ、とは解りませんけど、天界は人間の身でゆけるところではありません。それに、あの人は少し前、魔界へ行く方法を見つけたと言っていましたわ。ダイさんを探すために」

「……そうね。魔界へ行ったんでしょうね、彼」

「ええ。……たった一人で。太陽のない地の底へ、行ってしまったんです。二度と帰っては来ません!」

 メルルの声が激情をにじませる。レオナは、次が来る前に先手を取って口を開いた。

「ありがとう、メルル。それだけが、知りたかったの。お礼はするわね。……侍従長!」

 女王の言葉に、扉が開いて呼ばれた家臣が姿を見せる。

「お呼びでございますか、女王陛下」

「メルルに今夜の部屋を用意して頂戴。それに、占いの代金を、十分に」

「かしこまりました」

 頷いた男が、女主人の意図を汲み取って、占い師を促す。メルルはほんの一瞬、レオナに鋭い視線を投げて、すぐに言われるままに部屋を出て行った。

 ドアが閉じると、レオナは机の上に肘をついて、脱力したように頭を預けた。

「……ポップ君は、この世界を去ったわ」

「――――――そうですね、レオナ様」

 部屋の隅にこれまで黙って立っていた、神官姿の賢者の青年が、感情のない声で相槌を打つ。

「これで大丈夫よね、アポロ。ダイくんが目を覚ましても、何も言われる理由はないわ。だってダイ君は、“竜の騎士”なんだもの。三界の調停者なんだもの。人間を傷つけたりしないわ。この地上に侵略者がいたら守ってくれる存在なんだもの。それで、あたしと結婚してパプニカの王になるのよね。子供ができたら、精一杯愛してあげるわ。ずっとパプニカと地上の平和とを守ってくれるように」

「はい、レオナ様」

 アポロと呼ばれた賢者の青年は、ただ頷いた。

「心配するべきことは、何もありません。彼は地上の守護者として、申し分のない国王になるでしょう。……大魔道士がいなくとも」

 レオナは、黙って空を見据えた。ポップ君、とアポロが大魔道士の少年を名前で呼ばなくなったのは、いつからだったろうか。

 若き大魔道士ポップ。あの、大魔王バーンとの戦いでは、誰よりも人間らしく弱虫で臆病者だった、何かと言うとくよくよと悩む性質の少年。

 小さな村の武器屋の息子で、勇者アバンの押し掛け弟子だったと言う彼は、しかし傷ついては立ち上がり、打ちのめされては這い上がり、その度に確実な成長をものにしていった。魔王軍の強敵とへっぴり腰で戦ううちにどんどんと強くなって強大な魔力を身に付け、いつのまにか、共に戦った仲間の誰よりも頼れる偉大な魔法使いへと成長していた。

 バーンとの最後の戦いには、レオナも側にはいたが、ただ見ているだけで。最後までバーンの攻撃をその身で受け、耐え抜いて撃ち返したのは二人だけ――――ドラゴンの騎士である勇者ダイと、その親友である魔法使いの少年だけだった。ポップは、魔界の神として君臨した存在と対等に戦い渡り合った、たった一人の“人間”になったのだ。

 ――――――そして訪れた、平和な世界。戦いの最中には、ただ頼れる武器だった彼の魔法の力が好意的でない目を向けられるようになるのは、驚くほど早かった。

「……ポップ君もいけなかったのよ。目立たないようにしてれば、まだ良かったのに。マトリフさんみたいに」

 レオナの呟きが、静まり返った部屋に響く。

「ダイ君を探すために世界中を駆け回って、その度にいざこざに巻き込まれて、大呪文を撃ってたじゃないの。それも、モンスターの側に立ってることの方が多かったわ。魔王軍はもうなくなったんだから無闇にモンスターを傷つけるな、とかってそこいら中で言って回って……ポップ君ほどの魔法使いがモンスターを守るために人間に向かって攻撃呪文を放ったりしたら、どう思われるか。解らなかったはずがないでしょう……!」

 重圧呪文(ベタン)。極大消滅呪文(メドローア)。

 今はカールの国王である勇者アバンの魔法使いだった初代大魔道士のマトリフから譲り受けた呪文の中には、軍隊一つ、国一つを壊滅させるだけの力のある呪文が幾つかあった。10数年前の魔王ハドラーと勇者アバンとの戦いの後にひっそりと隠遁したマトリフが病に倒れてからは、それらは直弟子のポップしか使えない最強の呪文だった。魔王を倒した後にポップがパプニカの専属魔道士となった短い日々に取った数人の弟子の中にも、誰一人、それらの呪文を使えたものはいなかった。

 いや、それだけでなく、メラやヒャド、ギラといったどうということのない初歩の呪文でさえも、ポップの魔法力で生み出されたものは威力が違った。全力で火炎呪文を放てば町一つを一瞬で焼き尽くせる。氷呪文は、数千の人々を氷嵐の中に閉じ込めることができるだろう――――それだけの力を持った魔道士が、時によっては人間よりモンスターの肩を持つと言う認識は、全ての国で恐怖の的になった。

 彼はただ、種族に頓着せずに公正であるだけなのだ、という事実を正確に理解できるのは、レオナやマァムと言ったごく近しい仲間だけで。魔王軍の暴虐によって精神が傷つき過敏になった人々には、ポップの言葉は届かなかった。

 ―――――魔王軍との戦い以来恒例となった7国の王たちのサミットで。魔王軍の超竜軍団に僅か数日で焦土にされ、苦しみながら復興中のリンガイアの国王が、大魔道士の振る舞いについて異議を提唱した。オーザムがそれに倣い、ベンガーナのクルマテッカZ世が苦々しい顔を見せた。ロモスのシナナ国王は閉口したように目を伏せ、ポップの師であるアバンの妻、カールのフローラ女王すら、最後にはこう言った。

『……彼の気持ちが、解らないと言うのではないけれど。私たちは人間で、人間の国を築こうとしているのよ……ポップ君には、それを解って貰わなくてはならないわ。そうでしょう?レオナ女王』

 レオナは、目を伏せて頷いた。

 パプニカは魔王軍との戦いで最も貢献の大きかった国だが、同時に、寝返った元魔王軍のメンバーを多く抱えている。

 六団長の一人でロモスを攻めた百獣魔団長の、獣王クロコダイン。

 アバンの弟子でありながら、一度はパプニカを滅ぼした魔王軍の不死騎団長にして魔剣戦士、ヒュンケル。

 魔軍指令ハドラーの生み出した金属生命体、オルハリコンのポーン、ヒム。

 超竜軍団長バランの直属の配下で今はダイに忠誠を誓った半人半魔の陸戦騎、ラーハルト。

 彼らへの注目は人外の存在への排除、ひいてはダイへの迫害になりかねないことから、レオナは極力注目を集めたくなかった。

 ダイの育った怪物島へ行くよう勧めたり、表ざたにならない調査の仕事に当てたりと、細心の注意を払って彼らが目立ちすぎないようにしてきたものを――――何と皮肉なことだろうか?よりによって、誰よりも人間であるポップが、それを誘発した最初の存在になろうとは。

 人々のモンスターへの憎しみを、その身で受ける立場になろうとは―――――

『……ええ。解ります、フローラ様』

 自分の答えが何を意味するか、十分すぎるほどに解っていて。レオナは同意した。

「……そうよ。ポップ君は、解ってて自分で選んだんだわ。その道を」

 そう。数日後に続けて開かれた臨時会議で王たちの前へ立たされたポップは、初め幾分かの反論をしかけただけで、すぐに肩をすくめて黙った。

 リンガイア、オーザム、ロモス。国王と大臣たちが、まるで国でうまく行かないことや民の不満、困窮の全てがポップのせいであるかのように言い募るのを、きゅっと口を引き結んで聞いていた。そして全てが吐き出しきられたときに、疲れたような笑みを浮かべて、言った。

『全ての人々が望むのなら。俺は魔王を倒して、この地上を去る』

『……え?』

『ダイが言った台詞だよ、最後の戦いの前に。姫さんも、聞いてたろ?』

『ええ……』

 レオナは、瞳に感情的な色が浮かぶのを抑え切れなかった。

 ダイと対峙して、魔王バーンは言った。自分を倒せば、後に必ずダイは迫害を受けると。いかに強かろうとも、いや、能力が優れていればこそ、純粋の人間でないものに頂点に立ってほしいとは、人間たちは望まない。それは、人間の根本的な性質に根ざした思いなのだと――――――

“なのにダイ君は、動揺もしなかったわ。解ってるって言った。魔王を倒したら、自分は消えてもいいって。そう言った”

 だからこそ。そんなダイだからこそ、レオナは消えてほしくなかった。帰ってくる場所を用意して待ちたかった。彼女の国パプニカに、自分の横に、ダイの場所を作りたいと思えばこそ、国民の感情に気を使ってきたものを。思いは同じはずのポップが、なぜそれを台無しにするような真似をするのか―――――

 レオナの胸に浮かんだ問いに答えるかのようなタイミングで、ポップは肩をすくめた。

『――――嫌だよな、そんなん。人間の世界が平和になるために消えちまえって言われる奴がいるのなんか、俺は嫌だ。仕方ないなんて、思えねえからさ』

『なら、あなたも』

『ダイだけじゃなくて。魔王軍にいたモンスター全部のこと、俺はそう思ってる』

 ポップは、さりげなくレオナを遮った。

『ダイには、みんなも、いなくなれなんて言わない。人間のために、魔王と戦った勇者だもんな。クロコダインのおっさんとか、ラーハルトもそうだろ。ヒムもさ』

 彼の瞳は、真っ直ぐに人々を見据えていた。

『けどさ、何か違わねえか?それってよ。あいつらは、魔王軍を裏切って人間の味方したから、地上で暮らさしてもらえるのか?同じ種族の仲間、殺したくなくて、人間の味方はできなかった奴だっているだろ。戦いたくなかったから隠れてたモンスターだっているはずだ。そういう連中は、追い立てられても仕方ねえのか?死ぬのが嫌で戦わなかった人間なんか、幾らだっている。みんな、そーいう連中には、消えろなんて言わないじゃねえか、人間だってだけでよ』

 しん、と場が静まり返った。

『なのにモンスターは、人間の役に立たなけりゃ、この世界で生きてく資格もねえのかよ。人間と同じ権利が欲しいって言ったら、図々しいって言われても仕方ねえのかよ』

ポップの目が苦悩に歪んだ色をたたえて、一人ひとりの顔を見回していく。

『俺は人間だから。……人間が、生まれつきに自分たちのことだけしか考えられないような生き物なんだって、思いたくなかったんだよ』

 思い切り吐き捨てられた言葉は、血がにじむような響きを持っていた。

『だから。解ってくれる奴、探してた。みんながそう考えてくれるようになればって思ってた。……多分無理だろうって、気がついてからもさ。けど、もういいよ』

 ポップの声がトーンを変え、レオナははっとした。

『ポップ君』

『姫さん。迷惑かけてごめんな。……多分、姫さんのやり方のほうがあってるんだ。少しくらい遠慮しながらだって、居場所があるほうがずっといいよな』

 抑えた声でそう言って、ポップはぐるりとみなを見回した。

『……で、さ。俺がいていい国は、もうないんだよな?俺がこのまんまで好きなようにやっててもいいって王様、いますか?』

 何よりも雄弁な沈黙が、その場を支配した。

 レオナは、フローラとテラン国王、ロモスのシナナ国王の顔をちらりと見た。迷いながらも動かない彼らに失望のようなものを感じつつ、彼女自身も結局、何も言わなかった。

 互いの考えは、手にとるようにわかった。

 どの国も、いまだ復興中だ。必死にがんばっている国民の不満をコントロールするだけで、行政府は手一杯だ。

 モンスターに若干好意的だと言う程度ならともかく、完全なる同権を要求する存在、それも軍が総出でかかっても勝てないかもしれない力をもつ大魔道士などが国内を動き回っていたら、偉いことになる―――――――

『……だよ、な』

 十分な時間をかけて誰も答えないのを確認して、ポップは息を吐いた。

『心配しないでくれよ。俺だって、結局は人間だしな。あんだけ苦労してダイが守った世界なんだし、俺だって結構がんばったしな。いっぺん死んだりして』

 へへ、と笑った声は哀しみを映してうつろに響いた。

『だから俺の答えも、ダイと一緒だよ。こーなっちまったら』

 ――――――みんなが望むなら。この地上を、去る――――――

『俺は自分で招いたことだしな。あいつと違ってよ』

『ポップ君……』

『あのよ、姫さん』

 彼は、くるっとレオナのほうを向いた。

『大魔道士の、最後の魔法だ。……さっき、見てたんだ。ダイの奴、帰って来るぜ』

『え……』

 ざわ、と場がざわめいた。

『あいつの持ってた輝聖石の波動に、竜の紋章のエネルギー合わせさして辿って、調べたんだよ。上の方から、来てた……きっと、天界だと思う。何でそんなとこにいるのかは解んないけど、帰ってこようとしてる。この、地上に』

 そう言って上を見上げ、ポップはいきなり膝をついた。

『頼む。……ダイは俺とは違う。あいつ、人間でない分だけ、人間が好きなんだ。姫さんが言えば、いつまでだって人間のために何でもしてくれると思う。モンスターより人間が優先だって言われても、俺みたいに無茶したりしないで、解ったって言うはずだ。だから。……だから』

 どうか。ダイは、追わずに受け入れてやってくれ――――――

 手をついて深く頭を下げたポップは深く俯いて表情は見えなかったが、体格だけは少年らしい彼の細い肩は、微かに震えていた。

『ポップ君。……ダイ君は、きっとあなたのことを訊くわよ。一番最初に』

『マァムに振られて旅に出て、どっか行っちまったって言えばいい。あいつのこと探してたなんて言わないでくれ。今の俺は、あいつがここで皆と生きてくのに邪魔なんだ』

 ポップの声は悲痛だったが、ゆるぎない確固たるものをたたえていた。

『俺だって、余計なこと考えねえで結婚して幸せに生きていきてえんだよ。でも、目の前でモンスターが筋の通らねえことでやられてたら、俺は絶対に素通りできない。何度でも庇って、仕方なきゃ呪文だって撃つよ。それが昔の俺だったらタダの子供のケンカで済むだろうけど、今の俺が撃ったら暴力なんだ。もう、嫌ってほどわかってる』

 そこで、ポップは一息入れた。

『……それに、もし、今から方向転換できたって。俺とダイが一緒につるんでたら、それだけで、皆が怖がるんだ。俺らが二人ともパプニカの宮殿で姫さんと一緒にいるなんて、できねえ。そうだろ?』

 再び、答えたのは沈黙だった。レオナはぎゅっと両の手を握り締めた。

 ――――――神々の作りたもうた三界の調停者、竜の騎士。

 人の中から出でて魔王と同等の力を身に付けた最強の人間、大魔道士。

 その二人が、強い絆で結ばれた盟友として、一つの国の王家にとどまることなど。他の国々が、喜ぶだろうか?答えは明らかだ。

 まして竜の騎士が女王と婚姻を結んだりしたら、パプニカの力はあまりに強まりすぎる―――――――何と言っても、その“力”というのは、とりもなおさず強大な攻撃力なのだから。

 軍艦や戦車や大砲を揃えて人間の力の及ぶ範囲では最強だったはずのベンガーナですら、パプニカの要請には一切のノーを言えなくなるだろう。恐怖に裏打ちされた服従はやがて犠牲を覚悟の上での反抗を生み、戦火を引き起こすだろう。

 その事態を恐れていればこそ、レオナはクロコダインとヒムをデルムリン島へやり、ラーハルトにダイを探しに行かせ、さらに人間でもパーティーの中で戦士だったヒュンケルには別の用を命じて旅に出し、武闘家のマァムにはロモスの実家へ戻れと勧めて、占い師のメルルはテランの王家に巫女として仕えるよう告げたのだ。

 その上で、彼らの師であるアバンとカール女王フローラとの婚姻に協力し、ポップの師であるマトリフに頼んでオーザムの王からの相談に耳を傾けてくれるよう計らうこともした。

 できる限り多くの国へ“力のあるもの”を分散させることで、ダイだけは自分の手元へ留まるようにと。必死に動いてきたレオナにとって、ポップだけが、彼女の描いた青写真のどこにも収まることのできない存在だった。

 年若い分だけ己を曲げることができず、確固たる信念の故に無条件に王家の権威に跪くことを正しいとは信じられず、仲間うちではダイの次に大きな力を持ち、そして何より、もしかするとレオナよりも深くダイと結び付けられている、ポップ。

 たとえダイが戻っても、彼はきっと、ポップと共にあることを望むだろう。いかに心強くとも、まだ12歳の勇者が、共に戦い共に死線をくぐった家族同然の親友から引き離されることを受け入れるとは思えない。

 けれど竜の騎士と大魔道士を二人ながらにパプニカで抱えることは、決して許されない。

 二人が共にあるならば、それは、いずれの国にも属さない存在でなければならない―――――

 一途にダイを想い続けるレオナにとってそれは、何よりも辛いことだった。女王として、彼女はパプニカを捨てられない。ダイも竜の騎士の宿命は捨てられない。ならばせめて、ポップとの絆だけを捨ててくれたら、それなら、何とかできるのに――――――

“ポップ君がいなければって。ポップ君さえいなければって、そう、思った”

 自分で考えて、吐き気がした。

 魔王が倒れても、ダイをお払い箱にしたりしない。バーンに向かってそう叫んだのは、レオナだった。その自分が今、ポップに同じことをしようとしている。ええ、そうよ。バーン、あなたの言った通りだわ。私はただ、一人の女として、ダイ君が好きなだけ。今、それが、よく解ったわ―――――――

 ―――――――そしてポップは、姿を消した。

 この地上のどこからも。

 ただ一つの手がかりは、バーンパレスのあった場所、魔王が魔界より現れたと言った地に記された、魔法陣の跡だった。文字は作動時の衝撃に耐え切れなかったのか、既に崩れて読めなかったが、おそらくは今は読めるものとていないはずの古代文字ではないかと思われる痕跡が見られた。

 己を曲げることなく生きたが故に己の居場所を失い、地上を追われて消えた大魔道士。

 隠しようのない安堵と後味の悪い後ろめたさの中で、みなが強いて彼の名を呼ぶまいとしているときに。ダイは帰ってきたのだ。

 デルムリン島で岬につきたてられた彼の剣の傍らに横たわり、静かに寝息を立てる勇者を見たとき。レオナは、改めて自分の女としての業の深さを感じた。

 彼女はダイを失いたくない。例え人間でなかろうとも、最後の竜の騎士は。彼女が戦いのさなかでさえ命がけの恋をせずにいられなかった、たった一人の男なのだ―――――

 すぐにパプニカへ運ばれて、ダイは今、王族用の部屋で目覚めの日を待っている。だんだんと眠りが浅くなっている様子を見ると、恐らく、それは遠い日ではないのだろう。

「……きっと、すぐ、目を覚ますわね。ダイ君」

「はい、レオナ女王陛下」

 アポロが静かに答える。その時のことは既に考えてあったが、ポップの名は、レオナも口に出したくなかった。レオナはゆっくりと卓上に目の焦点を戻した。

 最後までやり遂げて見せる。ダイをパプニカの王にして、彼を中心にこの世界の平和を築き上げ、いつか彼が言うようにして見せる。

 この世界を、人間たちのために守って、良かった、と―――――

 若い美しい女王の青い瞳は、強い意思を放って輝いていた。

 

 

061006 up

 

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