(一体、どうやって育つとああなるもんなのかなあ?)

賛(たすく)を始めて見てから3週間、見る度にいつも思うことを、やっぱり今日も、剛(たけし)は思った。

 

(何不自由なく育った、ボンボンか?金持ちが性格悪いなんて、案外うそかも知れない。金持ちは、がつがつしないから、かえって素直に育つのかも知れない…。)

高校生2年生ともなれば、真面目に掃除をやる者などいない。ほうきの上に器用にとがったあごを乗せた女生徒たちは、教卓を井戸端としている。一方男子生徒もベランダにて伸びやかに午後の日差しを浴びているので、大差はないのだが。

そんな中、家倉賛(いえくら たすく)は、腰をかがめ一生懸命ほうきを動かしていた。その表情には、「なんで、こいつらそうじをしないんだ」という怒りや「まあ、しょうがないか」とかいう諦めは、全然感じられない。そう、賛はいつも通りの明るい顔で楽しそうに掃除をしている。

 

「たすくー。ワリぃ。ワリぃ。手伝うわ。」

ようやく、ベランダから男子生徒が戻ってきた。女生徒もにわかに黒板を消し始める。

「家倉君、ごめーん。いっつも、アタシたち、しゃべくりまくりね。」

かがめた腰を戻し賛は、にこっと笑った。女生徒も、微笑み返し手を動かし出した。

 

賛の笑顔。その笑顔は、6歳児のそれのように見える。何も疑うことがない無垢の笑顔。笑顔で返さずにはいられない表情。それは、誰もがかつては持っていた笑顔のはずなのだが、17年という年齢は、無理やりそのやり方を忘れさせる。賛と話すと何故か気分が良くなるのは、この笑顔のせいなのだろう。

窓際にいて腕を組んでいた剛(たけし)も、机を並べ始めた。

 

掃除はあらかた終わりに近づき、また皆もとの場所に戻り始める。今度は、賛はごみ箱の方へ向かった。きっとゴミ出しに行くのだろう。まったく、なんで(今日は、おまえたちが行けよ!)とか言わないのかなと思いながら、剛は声をかけることに決めた。

「賛、貸せ。俺がいく。」

「ありがとう。でもいいよ。ぼく、行くよ。」

絶対笑顔なんて作らないぞ、と思っていた剛だが、その決意は賛の笑顔を見た瞬間忘れた。緊張が解けてしまう。賛の笑顔は、怪盗ルパンなのだ。どんなに警戒していても、たやすく侵入されてしまう。あわてていつもの仏頂面を作ろうとしたものだから、このとき剛の顔はずいぶんと複雑な、動きをしてしまったろう。

「いいから、貸せ。」

剛は、賛の胸からゴミ箱を取り上げて、廊下に出た。変な顔を見られたことが妙に恥ずかしい。

「ぼくも、一緒に行くよ。」

賛が、すぐ右となりに並んできた。(一人でいい。)と言うつもりだった剛だが、賛の顔を見て「ひ」の口の形を作ったまま正面を、向きあきらめた。

 

「武田君て、大きいねえ。身長ってどれくらいあんの。」

「む。」

「うーん。・・180センチくらいかな。当たり?」

「うん。」

「いいなあ。体おっきくて。」

「うん。」

二人は、階段を降りる。

「ねえ、今日も遅かったね。気分でも悪かったの?」

「む。うん。」

「ふうん。気ぃつけて。」

まずい、話が続かない。剛は、なんか話さなくてはと思うものの、話題は見つからなかった。賛は、そんな剛には全然お構いなしに楽しそうな表情をしている。

賛の髪は、ゆれても元に戻る。少しクセっ毛があるだろう。階段を降りるたびに、波のようにやさしく上下運動をしている。窓から入る日差しは、まるでシャンプーのCMのように髪に光を当てて、毛先に流れて消えていった。

(きれいだ。)

「っおう!」

剛は、髪に見とれて階段を一段踏み外した。ただでさえ剛の足の長さには普通の階段は歩きにくいのだから。左足に鈍い痛みが走る・・、もう3ヶ月になるのに・・。

 

「大丈夫?」あわてて賛が声をかける。賛は、常人の対人接近距離限界もたやすく突破する。

「大丈夫!」

剛は、足の痛みのことは忘れ賛の顔が20センチくらいに来たことを、ラッキーだと思った。そして、そんな自分を駄目だとも思う。

(おれ、こいつが好きなんだ)

それは、認めるしかない事実だった。

 

 

「武田!」

一階に来てもうすぐゴミだし場所という所で、剛は声をかけられて振り向いた。賛も振り向く。

「なあに、それ。漫才の練習でもやってんの?」水田女史は、おかしそうに笑う。どうも、二人が振り向くタイミングがばっちり同じだったようだ。

 

水田女史は、養護教諭だ。二人の子持ちにもかかわらず、生活の匂いがまったくしないという珍しい人物だった。言葉は荒いが、さっぱりした性格なので生徒からは好かれている。保健室お弁当組も結構いるという話だ。

「どう。気分は、良くなった?」

「む。」

賛に聞かれるのがいやだった。案の定賛がこっちを向いている。

「武田君、今日保健室行ってたの?どっか悪いの?」

二人の様子を見て察してくれたのだろうか、水田女史が切り出す。

「まあ、その調子じゃ、大丈夫ね。大丈夫よ、たすくちゃん。こいつは、とっても健康なんだから心配いらないわ。」

ぷいと剛は、ゴミ箱を抱えたまま歩き出した。この場にいたくない。

「武田君、待って。」

あわててかけだそうとした賛に、水田女史が確かめるように問う。

「たすく。あなたちゃんとやってるわね?」

賛は立ち止まり、はっきり言った。

「はい、先生。」

「…そう、ならいいの。こら、武田 !たすくちゃんが待てって言ってるでしょ!」

賛は、駆け出した。

「たすく、走っちゃ駄目!」

「はーい、ごめんなさい。」

振り向かずに、賛は剛を追いかけた。

 

ダイオキシンがどうのこうの言い始められてから学校の焼却炉に火が入らなくなった。学校中のゴミは、市指定のゴミ袋に入れられる。用務員のおじさんがこの時間になるとここへ来て、ゴミ袋をくれる。

「おお、賛君。いつもがんばっとるねえ。」

「そんなことないですよ。あ、どうも。」

何も言わず賛の手からゴミ袋をとると、剛はさっとゴミ箱を返した。教室から出るゴミも結構な量である。(さあ、帰るぞ)と言おうと思ってふりかえると賛がまた、ゴミ箱を持っている。賛の華奢な体も手伝って、その採り合わせは奇妙に見えた。

「おまえ、それ?」

「4組の分だよ。」

賛の後ろに女の子がいる。

「すいません。一緒にいいですか?」

「ラッキー、私のも。」

「私のも。」

「はーい。並んでください。」

賛が勝手なことを言っている。

「あのな…」(よそのクラスの分までやらなくてもいいやろ?)とは、剛は言えなった。

結局二人がゴミ捨て場を離れたのは、たっぷり10分後になってしまった。

 

「いい事したね、僕たち。」賛がこの上もないような幸せそうな顔で言う。剛は、

「そうだな。」と言って笑った。こんな気持ちになったのは、久しぶりのような気がした。

 

5時間目は古典だったが、珍しく剛は教室の外ではなく、教室の中を見ていた。もっとも視線は教科書や黒板ではなく、賛の背中を見ていたのだが。

賛はなんであんなにかわいいのだろう。目か?目がきれいなのか・・。いや、目は普通だよな。鼻筋が通ってるから・・?確かに鼻筋は通ってるけど、そんな目立ってはないし…。

やがて50分の時間をかけて剛が、出した結論はこうだった。

「賛がかわいいのは、すべての顔のパーツ一つ一つが、普通だからだ。普通が集合するとあんなにかわいくなるんだ。」

剛は、自分の結論に満足した。

 

ホームルームが終わり教室は、にわかに騒がしくなる。放課後、この時間がいやになったのは、いつ頃からだったろう?今日もまた、迷わなければならない。

不意に賛が声をかけてきた。

「武田君。帰らないの?」

「む。」

「ああ、そっか。部活があるんだね。えーと、陸上部!」

「ん。」

「どうかした?」

「ん?ん、どうもしねえよ。さてと、行くか・・。」

左足が重くなったように感じた。

 

武田は、陸上部だった。「だった」というのは、もうしばらく部活には行ってないからだ。あの日は1月17日だったから、もうそろそろ3ヶ月になる。賛から見えなくなる高学年塔の左端で、剛は方向を変えた。今日もやっぱり行く気になれず下宿へ戻った。

 

4畳半の下宿で剛は学生服のまま、寝転がってタバコを吸った。匂いがつくかもしれない。いつもなら、おばさんに文句を言われないように窓も開ける。今日は、なんかどうでもいいというような気持ちになっていた。締め切った部屋の中で、そのまま2〜3本吸いつづけた。始めて吸った時はむせたタバコも、今では吸えるようになっている。

(もう、だめだな。おれ)

炎のない火が白いタバコの紙をゆっくりとちりちりと焦がした。それは、今の剛の気持ちのそのままだった。

 

 

それでも朝になると、剛は学校へ行ってしまう。剛の体は、眠りつづけることを嫌った。朝になると体が「活動しろ」と、強引に命令をする。多分のこのままだと朝のホームルームにも間に合うだろうが、教室に入る気がしなかった。昨日のように、保健室に行こうかと思ったが水田女史と今日はなんとなし顔を合わせたくない。剛は、屋上へ行くことにした。

 

ガチャンと重い音を立てて、屋上の非常用ドアが締まる。その音は、この場所と学校を遮断する音だった。剛は、その音を少しさみしいような気持ちで聴く。

(なら、学校なんて来ないならいいだろ?)

自虐的な言葉が頭の中をよぎった。

 

いい天気だった。日差しは、人の体力を奪う。だが、剛は小学校中学校と外で活動することが多かったから、それを気持ち良いと思った。せまいながら日陰もあるのに、わざわざ日の当たるところに座り空を見上げた。何も考えないようにしようと思ったが、できなかった。違う県にある実家のことを思い出してしまう、使っていた自転車が懐かしい、校庭の桜はもう散ってしまっただろうか…。そして今からのこと…。

 

ベルが3〜4回くらい聞こえた気がする。そろそろ3時間目が始まりそうだ。剛は、もうこの場所に居る事ができなくなって、ドアの方へ向かいノブに力を込めた。

「武田君?」

先に声を出したのは、賛の方だった。なんと踊り場に賛がいた。しかも学生ズボンをおろしており、きれいな太ももの上には白いブリーフも見える。剛は、慌てた。

「賛…」

頭の中がまとまらない。なんで賛がここにいる?しかもズボンを脱いでる?なんで?

「なんだ、武田君。やっぱり学校来てたんだね。さっき、保健室行っちゃったよ。」

ズボンをおろしたままで、賛はにっこりと笑う。いつの賛の笑顔だ。

「む・・」

「水田女史がね、今日は来てないわよって言ってたから、本当にお休みかと思っちゃった。」

「むう、来てた・・」

賛は、いつものように話をする。剛の視線は、賛の太ももとブリーフにくぎ付けだった。それにようやく気がついた剛は、何も見るものなどない4Fにつながる階段に慌てて目をそらした。

「今日はね、・・」続けて話をする賛を、剛はようやく制する。

「賛!おまえ、何してんだ?」

「ああ、これね…。」賛の表情が、一瞬だけこわばったような気がした。

 

 

本人が言わない事を尋ねるという事を、俺はもっと慎重にやるべきなのかもしれない。剛がそう思ったのは、賛の話を全部聞いた後だった。

賛は、屋上の手すりにひじをかけ、南から来る風に吹かれていた。剛は、賛とは逆向きにひじをかけ、屋上のタイルを見つめていた。後悔をしながら…。

 

「高いところ好きなんだ。いいね、ここ。来た事なかったよ。」

「む。」

「良く来るの?」

「ああ…。賛、お前ないつもあそこで、注射打ってたのか?。」

「うん。火曜日はね。ほら、2時間目体育でしょ。運動の後は、ちょっと心配だから。」

 

賛は、インスリン依存型糖尿病だった。賛は、あの踊り場で太ももに、インスリンを注射しようとしていたのだ。糖尿病になると血液中の糖分は体の細胞の中に取り入れられず、血液の中に残り血糖値を上げる。血糖値が高いと、腎不全になったり視力に影響が出たり、手足が麻痺したりすることもあるそうだ。本来すい臓から出るインスリンが、細胞への取入れを手助けするのだが、賛の体ではインスリンが上手く作られないようだった。

「ずっとなのか?」

「そう。小さい頃から…。でもね。運動できないわけじゃないんだよ。それに、普通の生活もちゃんとできるし。合併症さえ起こらなかったらそう怖い病気じゃないって、先生も言ってるし。」

「そうか・・。」

 

賛は、一体何度注射針を自分の体に刺して来たのだろう。あの華奢な体に…。自分がやりたいことをできずに泣いたりすることもあったろう。あきらめたこともあったろう。人をうらやむこともあったろう・・。無邪気な賛…、素直な賛…、子どもの頃の笑顔を持つ賛…。何不自由なく暮らしてきた?金持ちのボンボンだって?

 

剛は、(大変だったな)という言葉を飲み込み、賛から目をそらした。

 

「なんか格好悪いよね。糖尿病なんてさ。太ったおじさんの病気って感じがするよね。」

賛まっすぐ前を見ながら言う。その様子は、誰に言うともないような感じだった。

「今はね、注射じゃない方法もあるんだよ。おへその隣の皮膚にねちょっと埋め込んで、携帯用のポンプで送ったりすることもできるんだって。」

聞いていられなかった。剛は顔を上げ賛を見る。

「賛…」

「最初はおへその隣に打ってたんだけど、今は太もも。びっくりしたでしょ。こいつ学校でなにやってるんだって思ったんじゃない?」

賛は、剛の言葉を聞かずに前を向いたまま続けている。

「賛…」

「おまけに注射器!でも大丈夫。僕は、変態でも、ヤク中でもありません。」

「もう言うな!」

剛は賛を抱きしめた。びっくりしたように賛が剛を見上げる。

「もう、いい…。」

剛は、賛の頭に優しく手を当て下を向かせた。賛は、剛の胸の中でそのまま泣いた。

「ごめんな。」

ようやく、剛は自分の気持ちを一言だけ言えた。

 

 

剛の胸から離れる時、賛はすぐに後ろを向いた。泣き顔は見せたくないらしい。

「はあ、すっきりした。」くるっと振り向いた賛の顔には、またいつもの笑顔が戻っていた。目は、まだ少し赤い。

「ごめんね、泣いたりして。なんで泣いちゃったんだろ?」

賛は、本当にいい表情をする。またも、賛は剛の防御壁を崩した。

 

「俺の前なら、泣いてもいいんだぞ。」剛は、賛をまっすぐに見つめながら言った。

それから、自分の口から出たその言葉に赤面して顔をそらした。なんて事を真顔で言ってしまったのだろう。

一瞬驚いたように剛を見た賛だったが、そのしぐさがおかしかったのだろう。笑いながら「ありがとう。」

と剛に言った。剛も笑う。

 

 

「俺な、実は、体育特待生。」

「へえ、すごーい。」

「でなきゃ、こんな高校来れんて。俺、頭わりぃし。」

(そんなことない)真剣に首を振りながら、賛が聞く。

「陸上だよね。何、短距離?長距離?」

「短距離。中学生の時だけどな、100メートルな、県で3位になったことある。」

「三位?!すごい。めちゃめちゃ速いね。うーーんと、11秒の前半くらい?」

「詳しいなあ、賛は。当たり。でも、ここじゃだめだった。」

 

「タイムが上がらん。全然。中学の時の方が良かった気がする。」

剛の言葉は、あまり上手くない。それでも賛は、うなずきながら聞いている。

「入部したときは、俺より遅かった奴にも負けるしな。いらいらして、めちゃめちゃ練習してた・・。で1月な、足首の捻挫。」

「捻挫って、あのよくある?」

「捻挫って言っても俺のは、ちょっとひどかった。じん帯が裂けた。」

賛は、その時の痛みがまるでわかるようかのように、表情をくぐもらせた。

「それから練習、休んでな。最初早く治そうと思ったけど、なんかな…。もう、だめかなって気がしてきてなあ。」

「だめなんてことないよ。絶対ない。今は、今はどうなの足?」

一生懸命言ってくれる賛の気持ちがうれしい。剛は笑いながら言うことができた。

「はっきり言って、あんまし良くない。でも、良くなることにする。」

「?」

「治す、本気で。今日からまた、部活に行く!」

大きな声で言う自分にちょっと戸惑いながらも、剛は立ち上がりながらその決意に満足した。

「うん。」

賛も大きくうなずいてから、立つ。

 

「賛、インターハイには間に合わんかもしれんけど、秋の大会には出る。その時は、もしひまだったら…、応援しに来てくれたら、俺…」

「行くよ。絶対行く。お弁当も練習して持っていく!」

「そっか。ようし、がんばるぞ。100メートルがどうしてもだめなら、槍投げに転向するかもしれん。でもそれはどうでもいい。なんか、運動したくなってきたぞ。」

 

今二人は、教室へ戻るために階段を降りている。

「ねえ、部活ってゴールデンウィークもあるの?」

「ある。でも最後の一日くらい休みだったような気がするなあ、去年は。」

「じゃあさ、今度部活が休みになったら、遊園地に行こうよ!」

「は?」

「○○島遊園地!観覧車に乗りたいんだ。西日本で一番高い観覧車なんだって。前から行きたかったんだ。ね!」

「おう、決まり!」

 

剛は、絶叫マシーンがだめだった。遊園地では、

「ねえ、ジェットコースターに乗ろうよ!」なんて、突然賛が言い出しそうな気がする。

(まいったな…)

そう思いながらも、剛は笑って階段を降りていた。

 

 

文末ではありますが、お詫びの文をいれさせていただきます。

 

作者 ぼう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家倉賛には、多分悪意がないのだろう。

健は窓際で風に当たっていたのだが、その様。