最終更新日2008年9月1日('03年2月2日)

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【発生期の現代神道】
編集並発行者 神道青年全国協議会 東京都渋谷区東四丁目十二番二十六号   昭和五十九年六月十日印刷

発刊にあたって、
▲このたび、神道青年全国協議会の創立三十五周年の記念すべき年にあたり、神職のための神道理論の参考書『発生期の現代神道』を刊行致しました。
▲本書の刊行は、南坊城充興前会長の情熱によって発案された、まことに機を得た有意義な企画であり、いまさらながら、その卓見に心から敬意を表する次第であります。
▲ご承知の通り、神道は日本民族の魂であり、生活の基盤であります。それがゆえに、却って、人々の意識として、また、理論としても、明確には定義づけられることのない信仰と言えるかも知れません。しかし、国際社会の中で、ひとり我が国のみが、驚異的な経済成長を為し得た原動力は、太古の昔から自然と神とが融合し、人々の生活の中に深く入りこみ、生活そのものを支へてきた神道であったことは、明らかな事実であります。
▲かうした歴史を踏まへることなく、世界の人々が日本を知ることは出来ないのであり、今ほど、我が国民精神の中枢である神道の心を、世界中に臆することなく誇らかに知らしめるべき責めを感ずる時はありません。
▲本書の刊行にあたっては、神道が理論的にも実践的にも、世界の諸宗教の範として、この世に真の平和を招来させるための、精神的支柱たらんことを至上の願ひとし、諸賢の不断のご愛読に応へられれば、これに勝る慶びはありません。
▲最後になりましたが、刊行に際して多大なるご尽力を賜りました評論家の神谷俊司氏をはじめ、神宮司疔の中西正幸氏、信州豊南女子短期大学の永藤武氏、国学院大学日本文化研究所の坂本是丸氏、神社新報社の前田孝和氏に対し、衷心より御礼申し上げます。また、終始、陰に陽に暖かい励ましとご指導を戴きました、神社本庁事務局長・渋川謙一先生、並びに神社新報社編集長・葦津泰国先生に対し、深甚なる謝意を表する次第であります。

昭和五十九年四月吉日    神道青年全国協議会 会長 田中恒清


序論  神道をめぐる論争
[一]概観。
[二]近世の神道論争。[1;弁道書。2:直毘霊。3:三大考。神代文学。伊勢二宮。さき竹の弁。]
[三]近代以降の神道論争。[1:祭神論。2:祭天の古俗。3:神社整理。4:神道私見。]

第1篇:神道の祭祀
[第一章]天皇と神道。
[第二章]神社神道の諸制度。
[第三章]神社神道と人生儀礼。

第2篇:神道の神学
[第一章]神道の神観念。
[第二章]神道と外来文化。
[第三章]罪と”けがれ”。
[第四章]神道の生死観。
[第五章]祈願と奉斎。]

第3篇:神社神道と日本の将来。
[第一章]神社本庁の教学。
[第二章]「神道指令」とその周辺。
[第三章]神道運動と「まつり」の復活。

『付録』近代神社関係法令年表

神道私見
▲大正七年一月から二月にかけて、民俗学者柳田国男の「神道私見」丁酉倫理学会の講演集に連載されたところ、国学院大学教授の河野省三は同誌に「柳田君の『神道私見』を読む」をもって異見を示した。柳田の希望もあり七月に、河野は本格的な反論として、「柳田法学士の『神道私見』を読む」を改めて『国学院雑誌』に発表。これに対して柳田も同誌に「河野省三氏に答ふ」で応酬するところがあった。論争の経過はこの限りで、他の論者も加わらぬ当事者間の小規模なものと言ふべきであるが、神道研究を主眼とする民俗学と国学の性格や領域について、今日でも問題視すべき論点が浮きぼりにされており、その意義は過小視しがたいものがある。

まづ柳田の「神道私見」は、冒頭に「今日の所謂神道は、皆様の御想像以上に国民生活と交渉の浅いものだ」と趣意が要約されている。つまり大正二年六月に内務省は宗教局を文部省に移管し、神社局の下に神社は非宗教にして祖先や偉人を尊敬する表示という行政指導の徹底化を期している歴史的に新たな教派神道を宗教の側におき、神社本来の宗教的要素を払拭するが、その趨勢については、
△神社と神道を、神社局の事務と宗教局とに区分するが如きは、如何にも不自然な所に堺線を引いたものと思います。


▲と疑問視せざるを得ない。このやうに内務省の神社行政を批判した上で、諸派の神道観に及ぶ。伴信友の沈着な研究態度を景慕するが、論理性にすぐれた平田篤胤は一家言を吐いたに過ぎない。信仰が体系的に教義化されることにさして価値はなく、諸派の社会的功績と学術上の罪過は相半するものである。信友が民間伝承に注意を払ったやうに、民間習俗の伝承性にこそ古記録の原型があり、例へば巫祝・神婚などを仔細に尋ねれば、神社信仰のなかに隠れた古代思想を窺ふことができる。

○学問は何処までも国民が当体であります。
其国民の生活に同情の無いやうな学問の仕方に対しては反対しなければなりませぬ。

○上期の日本人が五行陰陽の法則を咀嚼し、思索を是れ事として居たやうに予断しての神道説などは閉口で、私は便宜上神道とは呼びましたが、実は何よりも歴史ある此二字を使用せられることに抗議致したいのであります。

▲非宗教行政措置のみを事とする内務省神社局はいうまでもなく、伊勢神道や吉田神道、国学者の唱へる古神道など、すべて国民生活の実際とかけはなれた同情のない思想や学問に堕している。このやうな柳田の私見は『全国神職会々報』にも転載された。

▲これに対して、河野は直ちに「柳田君の『神道私見』を読む」の一文を草した。内務省の神社行政批判や神社古来の信仰を神道の本質生命とみることは賛同するが、諸流の神道説が古代信仰と乖離したものとは考へがたい。とりわけ 「国学の思想史上に於ける意義」は見過しがたく、神信仰や古代思想の復活をさけび、情意尊重論や国民道徳論の樹立など、あるべき人間と生活を究めたといへよう。まさに柳田の私見は「危険な仮定を基礎」とした郷土研究、民間習俗のみを神道とする偏見に囚れたものである。これを要するに「内務省の方針、若しくは神社非宗教説に対する第三の反動である」と、河野は手厳しく結んでいる。

▲さらに河野は、柳田から再論希望の書状が寄せられたため、ふたたび「柳田法学士の『神道私見』を読む」を発表した。大筋は以前の文意と変わらないが、神道観念の復古をさけぶ柳田私見は神道革新の宣言であるが、同時に黙止できない破壊面を有するとして、次の諸点に駁論を加へる。

1:「神道」といふ用語の歴史的背景をみれば、諸記の神道論もまた神道そのもので、逆に民間信仰を指して神道と称するものは稀有であること。
2:民間信仰は古典そのものがもつ精神的価値に比ぶべきもないこと。
3:古典精神の恢弘と国民信仰の顕現をめざした、
国学に代表される神道諸家の学説は、神道の主要な内容・価値を有していること。さらに河野はこまかく祭神表記、神霊来臨と神社定住の観念、国学者による民間信仰の研究、祭式作法、人神をまつる観念を検討する。その上で柳田私見は、古意を叫ぶあまり歴史を見落とした一家言にすぎない、と惜しんだ。

△妄りに古意を叫んで、古意の発展と、その発展を促した。それぞれの時代の実際を顧みない不徹底な、狭苦くるしい感じを与へる論法に対しては、到底同意を表し得ないのである。
△柳田はこれら河野の批判に対して、「河野省三氏に答ふ」をもって反論に及んだ。
△「神道私見」の結論は、簡明を期するが為に特に其第一行に掲げてある。即ち「今日の所謂神道は皆様の御想像以上に、国民生活と交渉の浅いものだといふこと」である。

▲この私見の結論が河野にも基本的な同意を得ている以上、多くをのぞむ者ではないと言ふ。そして本居宣長の『玉勝間』の一節、延喜式にみる神名表記、神霊の降臨と鎮座、神社の供物、人神、国学者の研究態度など、若干の弁明をかさねるが、ほとんど詳細な説明は私見に譲ったとの感がつよい。河野の主意は国学思想の再評価を促すところにあったが、柳田は決してこの異見を容れる余地の無いことを、次のやうに明言して本論争を打ち切った。
△只一事、自分の何処までも承認せぬのは、近世の所謂神道の一つが、我国民信仰の本来の形を再現し、乃至は多数人民の信条を系統立てたものだと云ふ主張である。

▲本論争をめぐる弁駁は素描したとほりである。柳田と河野がつひに妥協しなかった国学の歴史評価とは、何を意味するものであらうか。河野は労著『国学の研究』など、裾野のひろい業績があり、国学の四大人に学統を仰ぐ伝統的な国学観を堅持している。他方、柳田はどうであろうか。彼にとって「神道」とは国民すべての生活と行動を支配して今日に至った神の道であり、その学問は神々の発見をめざした民俗学的方法による確実な知識の集積にほかならない。このやうな民族の原郷をたづねる自覚や自国文化への反省を其軸とし、まさに日本固有の信仰領域を解明する学問であった。それこそ既存の国学に対して、新たなる国学の黎明と宣揚すべきところである。『民間伝承論』には、この学問の革新を告げて、

▲我々の学問はまさしく此の変転の契機をなすものといへる。是を新国学といふも憚らぬ。国に必要な新興の学問である。
と結語されている。折口信夫も自らの学問を〈生活の古典〉と唱えたやうに、柳田にとってふかい自覚と使命感みなぎる名称であった。時あたかも終戦直後の昭和二十二年、『祭日考』『山宮考』『氏神と氏子』の三部が、ほかならぬ『新国学談』と銘うって公刊された所以である。…p56…


第1篇:神道の祭祀
[第一章:天皇と神道]万世一系の天皇

▲万世一系論と反革命の思想;天皇のつとめは天祖の神勅にもとずき、開闢以来の聖業を継いで地上に秩序を完成することであった。と古典は説いている。『日本書紀』が掲げる、いはゆる「三大神勅」がそれで、天皇職の基本をあらはすものとされている。
1:天上無窮の神勅
葦原千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治しめせ、行矣、宝祚の隆まさんこと、まさに天壤と窮無かるべし(天照大神ー瓊瓊杵尊。『書紀』巻二、天孫降臨章第一書)。
2;宝鏡奉斎の神勅
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、まさに吾を視るが如くすべし、与に床を同じくし、殿を共にして、以て斎鏡と為すべし(ー天忍穂耳命。同第二十一書)
3;斎庭の稲穂の神勅
吾が高天原に斎庭の稲を以て、亦吾児に御さすべし(ー天児屋根命)。 …p60中略…日本人の国歌生活は、このやうな理念と、それにたいする絶対的支持の信念から出発したのであった。…p59…【発生期の現代神道】編集並発行者 神道青年全国協議会

天皇制度と国体意識:日本人の伝統的な反革命思想は、易姓革命といふ王朝交替理論の否定であって、君主制の廃絶を危機として意識したものではなかった。日本人が、国家には君主制消滅といふ事態が生起しうるものであり、また現に君主不在の政体が存在することを知ったのは、徳川末期、その世界認識が拡大してフランスやアメリカの歴史に接してからのことであった。…p64…【発生期の現代神道】編集並発行者 神道青年全国協議会


 第一章:神道の神観念
[1:神道の神とは(その1)神道の古典/天神地祇  2:神道の神とは(その2)]
▲神道の古典
神道古典は、神道文献或いは神道書といったものの中に含まれる文献史料である。その定義や具体的な書名の概念規定や選定基準は、神道家・神道学者等によってまちまちである(以下の図表)。神道古典は、厳密な意味において、神事に関するものではなくてはならないのである。また、それが惟神の道に関するもので、人々の規範となる道の書であるといふ条件を備へていなくてはならない。古典の「典」はのりと読み、それには法・憲・則・規等の文字が当てられ、常に規準や規範になるものを指している言葉である。広義的にいへば、時代を超越した真理、或いは人の奥に秘められた書物でなければならない。また、古典的なものとして歴史的・文芸的経済的なもの等の各方面から真理を解いているものもふくまれる。以上のことは、『古事記』序文にも、 「古いことを調べて現代を指導し、これによって衰えた道徳を正し、絶えようとしている道徳を補強しなくてはならない。いひかへれば古来の神道書(ここでは言葉のことであるが)を正しく読むことによってその目的が達成されるといふ意味である。」 といっているわけで、これなどは、神道古典の心髄と言ふべきである。 国学院大学日本文化研究所の坂本是丸氏…p237…

▲神道古典…P238…

著者  書 名 神典としてあげられている書
吉田兼倶 唯一神道名法要集 古事記、日本書紀、旧事本紀
本居宣長 初山踏 古事記、日本書紀、古語拾遺、
万葉集、五国史、宣命、延喜式、
新撰姓氏録、風土記、貞観儀式、和名抄等
平田篤胤 古史微開題記 古事記、日本書紀、新撰姓氏録、古語拾遺、
旧事紀、五国史、類聚国史、延喜式、
古風土記、律令格式、儀式、和名抄
河野省 神道の研究 古史微開題記 古事記、日本書紀、万葉集、
古語拾遺、古風土記、令義解、
延喜式、類聚三代格、旧事紀等

天神地祇…p241…
▲天神地祇は、日本のカミを表はす代表的表現方法である。この他に八十(百)万神と称したり、天津神等でも表はされている。またカミを総称する時に使われたり、天と地から出現した神々にたいして現はされる場合や天照大神を中心とした皇祖神とその子孫(臣下)の神々といったやうな神々の系統譜に使はれる場合等がある。…p241…【発生期の現代神道】編集並発行者 神道青年全国協議会


第2篇:神道の神学。
第二章:神道と外来文化
[信州豊南女子短期大学の永藤武氏担当執筆]
▲わが国の文化を、外来文化の受容をぬきにして語ることはきはめてむつかしい。よく喩へられることであるが、らっきょうの皮をむくようにして外来文化の要素をすべて取り除いて行った後に、純粋なわが国固有の文化事象として残るものに果たして何があるのか、容易に答ヘを出すことはできない。これはわが国が、古く圧倒的な文化先進国を形成した中国大陸の辺境に位置する島国であった地理的条件によるのであらうが、しかし、日本文化が大陸文化の単なる寄せ集めではないことはもちろんである。神道を問題にするといふことは、ある意味でこの、わが国に固有な文化の核心に迫るといふ、困難な作業に従事することに他ならないと言ってもよいであらう。…p247…【発生期の現代神道】編集並発行者 神道青年全国協議会
▲そもそも神道なる語のわが国の文献における初出は『日本書紀』であるが、この漢字は古く紀元前三世紀頃に書かれたといはれる中国の『易経』の観卦の彖伝(たんでん)にみえる。従来、平田篤胤等の国学者にあっては、この出典を承知しながらもかへってわが国と中国古典での意味内容の相違といふ点が強調されてきている。これに対して近年、道教研究の立場からの見直しが提出されてきているのは、注目すべきであらう。例へば福永光司は、双方の概念の違ひよりも共通性に着目し、『日本書紀』で用ひられるやうになった「神道」の語は「中国の道教で古くから用ひられている『神道』の概念をそのまま採り入れて、日本に仏教が伝来する以前の土着的・伝統的な呪術的信仰や思想を包括し総称する言葉として転用している」(『道教と日本文化』)とする。その他、神道に深くかかはる古代日本文化の重要ないくつかの問題で、これまであまり取りあげられることのなかった道教の影響の色濃いことが示唆されているのである。さらには、神道の語の導入以後の日本の宗教思想史において「天皇や伊勢神宮が思想的に問題とされ、日本神道の教理学が宗教哲学〔神学〕として次第に理論化されていくやうに」なると、「その宗教哲学(神学)のなかには必然的に中国の道教の数理学が全面的に導入されてくる」のであって、「日本における伊勢神道や垂加神道、吉田神道や平田神道などの具体的な数理学の内容が、この経緯と始末とを明確にしめしている」とされる。
▲ただし、たとえば下出積与『日本古代の神祇と道教』(昭和四十七年、吉川弘文館刊)等があるものの、道教との本格的な比較研究はこれまでややともすればなおざりにされてきた分野であり、福永も認めているように、これらの問題についての十分に学問的な実証研究は、なほ重要な課題として今後に残されているといへよう。…p248…【発生期の現代神道】編集並発行者 神道青年全国協議会
▲道教に競べると、神道と仏教とのかかはり合ひはかなり明白なようにも考へられる。先づ『日本書紀』の用明・孝徳即位前紀にみられる神道の用語が、仏教(法)といはば対をなして用いられていることに、すでにそれは窺へる。…p248…【発生期の現代神道】編集並発行者 神道青年全国協議会

第3篇:神社神道と日本の将来。
第二章  「神道指令」とその周辺…編集並発行者 神道青年全国協議会p329…


『付録』近代神社関係法令年表
「発生期の現代神道に掲載されているものから抽出掲載」

明治元年(1868)
正月17日…………三職分科職制・同職員(その七科のうちに神祗事務科あり)[第36・第37]

二月 三日…………三職八局職制(八局のうちに神祗事務局あり、神社・神職等のことを掌る)[第73]

三月13日…………祭政一致の制に復し、天下の諸神社を神祗官に所属せしむべき件[第153]

三月14日…………天神地祗に御誓祭の事・御誓文・御宸翰

三月15日…………切支丹邪宗門禁制の高札[第158]

三月17日…………諸国神社の別当・社僧復飾の令(神祗事務局第165)

三月28日…………神仏分離の令(太政官第196)

四月10日…………神仏分離実施を慎重にすべき令(太政官仰第226)

四月22日…………長崎近傍浦上村の耶蘇教徒処置方言上の件(第256)

四月24日…………神祗の菩薩号廃止に関する件(第260)

閏、四月 4日…………切支丹宗はもちろん、その他邪宗門も禁制の件(第279)

閏、四月 4日…………別当・社僧還俗の上は、神主・社人と称せしむる件(第280)

閏、四月17日…………長崎近傍浦上村の切支丹信徒を諸藩へ預くる件(第314)

閏、四月19日…………宮・公卿・諸候・神社・寺院等をして幕府より受封の判物を差し出さしむる件(第318)

閏、四月19日…………神職は神葬式に改めしむる件[神祗事務局第320]

閏、四月21日…………神祗事務局を改めて神祗官となし、、神祗祭祀、祝部、神戸の事を統制せしむる件(太政官仰第331)

五月 3日…………石清水八幡宮の大菩薩号廃止(第366)

五月 9日…………伊勢領宮及び大社・勅祭社の外は、社家・寺院を府藩県支配(行政官第80)
伏見戦争以後戦死者
五月10日…………癸丑(嘉永六年)以来殉難者の霊を京都東山に祭祀する件(第385)

五月10日…………伏見戦争以後戦死者の霊を京都東山に祭祀する件(太政官布告)
         ……………………
明治二年(1869)
五月21日祭政一致、皇道復興、国民をして報本反始の義を重んぜしめ、治教をあまねしからしむる件[御下問書第469]
         ……………………
明治五年(1872)
正月(日欠)…………府県郷村社社格区別帳を調査提出の件(神祗省第一号)

二月25日…………産穢廃止の件[太政官布告第56号]

二月25日…………神官官等改定[太政官布告第57号]

二月25日…………官社以下府県社郷社神官給禄の定額[太政官布告第58号]


三月14日…………神祗省及び大蔵省戸籍寮社寺課廃止
教部省設置(社寺管掌)[太政官布告第82号]

三月18日…………元神祗省鎮座
天地祗八神両座宮中へ遷座仰出さる(四月二日執行三月二十四日太政官布告第95号)[太政官布告第87号]

三月18日…………教部省職制並事務章程[太政官無号]

三月23日…………神祗省廃止につき、祭事祀典の事務は式部寮にて所管[太政官告第92号]

三月23日…………教部省に提出すべき願伺届等の条項(社寺廃立、祠官僧尼補任、教義講説及び講社結集免許等)[太政官布告第93号]

三月27日…………神社・仏閣の女人結界の地廃止、登山参詣自由たる件[太政官布告第98号]
         ……………………
四月30日…………神仏道各教宗派に管長設置[太政官布告第141号]
                                                        
昭和二十年(1945)

五月12日…………冦敵撃攘必勝祈願のため官国幣社以下神社において大祭りを行わせる勅令でる。(勅令)

七月26日…………ポツダム宣言

八月14日…………終戦の詔勅

十月10日…………GHQ.政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書。

十月15日…………治安維持法廃止の件(勅令)

十月十日…………文部省の教学局を廃し。社会教育局に宗教課を置く()

十一月十七日…………神祇院、最後の神社制度調査会で「神社は宗教」の方向をだす。
神道指令
十二月十五日…………連合国軍最高司令官総指令部参謀副官発第三号日本政府に対する覚書
占領軍から日本国政府宛に発令された「国歌神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ広布ノ廃止ニ関スル件」

昭和二十一年(1946)
一月一日…………所謂「天皇の人間宣言」正式には「新日本建設ニ関スル詔書」 日本人の精神生活を破壊し、また皇室への崇敬と神道的崇敬を抹殺させるために、昭和二十年十二月十五日、所謂「神道指令」が発布された。これは、日本社会から神道色を一方的に一掃する指令であったが、とくに皇室への崇敬の念を変革させようとしたのが、同指令につづく昭和二十一年元旦の所謂「天皇の人間宣言」であった。これは「神道指令」と対をなしたもので、日本人の精神生活を変革せしめる占領軍の指令は、「神道指令」と「人間宣言」の二週間で終わったと言っても過言ではない。…… その所謂「天皇の人間宣言」は正式には「新日本建設ニ関スル詔書」といふ。……360……


                                 

新日本建設ニ関スル詔書        ……360〜362……

茲ニ新年ヲ迎フ、顧ミレハ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、舊来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ<官民挙ケテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スヘシ。
大小都市ノ被リタル戦渦、罹災者ノ難苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民カ現在ノ試練ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結果ヲ全ウセハ、独リ我国ノミナラス全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハス。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ強烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ニ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ效スヘキノ秋ナリ。惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレハ焦燥ニ流レ、失意ノ渕ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長シテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘス。然レトモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同シウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結ハレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生セルモノニ非ス。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スヘキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ス。
朕ニ政府ハ国民ノ試練ト苦痛トヲ緩和センカ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講スヘシ。同時ニ朕ハ我国民カ時難ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又蚕業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ニ伝統ニ恥チサル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民カ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハサルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民か朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。

    御名   御璽
    昭和二十一年一月一日
                       内閣総理大臣
                       各国務大臣副署

                            

▲なぜ「天皇の人間宣言」といはれるのか
昭和二十一年一月一日付の朝日新聞では、一面トップ見出しで「年頭・国運振興の詔書渙発ー平和に徹し民生向上ー思想の混乱を御軫念」と書いて、詔書を引用。そして記事見出しには「天皇・現御神にあらずー君民信頼と敬愛に結ぶ」とある。渙発当初から「人間宣言」と呼ばれていたわけではない。その呼称の最初は、昭和二十一年九月十日に発行された藤樫準二(当時の毎日新聞記者)著

『陛下の”人間宣言”ー旋風裡の天皇を描く』(同和書房刊)であらう。同書の中に「これまでに『朕は神なり』と仰せられたこともなく、ただ指導者が、勝手に神格化してしまったのであるが、陛下が民主化の第一歩として、神扱ひを自ら否定され、人間天皇として国民として国民と直結されたのは嬉しいことである」と記している。藤樫は、未曾有卯の敗戦の中、国の再興に努力されてをられる天皇陛下の姿を描くことに努力し、そして皇室の民主化の代名詞として、”人間宣言”の語を使用したのであらう。しかし、藤樫の努力、また詔書の真意である”新しい国造り”ではなく、”人間宣言”といふ呼称だけが一人歩きをはじめ、それ以来、書籍、歴史年表に登場することになった。……363……
         ……………………
一月二十三日…………神社本庁設立に関する声明。社会の項目。法令に非ず。
昭和二十二年(1947)
六月三日…………文部省、学校における宮城遥拝、天皇陛下万歳、天皇の神格化的表現の停止などにつき通達。

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