最終更新日2008年9月1日('05年6月30日)

仏説 摩訶般若波羅密多心経 唐三蔵法師玄奘譯
かんじざいぼさつ ぎょうしんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう
観自在菩薩。 行深般若波羅密多時。 照見五蘊皆空。
どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき
度一切苦厄。 舎利子。 色不異空。 空不異色。
しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし
色即是空。 空即是色。 受想行識。 亦復如是。 舎利子。
ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん
是諸法空相。 不生不滅。 不垢不浄。 不増不減。
ぜこくちゅうむしょく むじゅそうぎょうしき むげんにびぜつしんい
是故空中無色。 無受想行識。 無眼耳鼻舌身意。
むしきしょうこうみそくほう むげんかい ないしむいしきかい むむみょう
無色声香味触法。 無眼界。 乃至無意識界。 無無明。
やくむむみょうじん ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう
亦無無明尽。 乃至無老死。 亦無老死尽。 無苦集滅道。
むちやくむとく いむしょとく ぼだいさった
無智亦無得。 以無所得故。 菩提薩
。
えはんにゃはらみったこ しんむけいげ むけいげこ
依般若波羅密多故。 心無
礙。 無
礙故。
むうくふ おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん さんぜしょぶつ
無有恐怖。 遠離一切顛倒夢想。 究竟涅槃。 三世諸仏。
えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
依般若波羅密多故。 得阿耨多羅三藐三菩提。
こちはんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ
故知般若波羅密多。 是大神咒。 是大明咒。 是無上咒。
ぜむとうとうしゅ のうじょいっさいく しんじつふこ
是無等等咒。 能除一切苦。 真実不虚。
こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわっ
故説般若波羅密多咒。 即説咒曰。
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか
羯諦。 羯諦。 波羅羯諦。 波羅僧羯諦。 菩提薩婆訶。
はんにゃはらみったしんぎょう
般若波羅密多心経。
『般若心経』解題 |
……p170………『般若心経・金剛般若経』中村 元・天紀野一義訳著、
岩波文庫日本の仏教は殆どすべて大乗仏教に属するものであるが、大乗仏教の根本思想は空の理法をさとることであると言われている。空の理法は、詳しく説けば限りがなく、『大般若経』六百巻のようなものが成立したが、簡単に説けば、この短い『般若心経』一巻の中におさまると言われている。そのためにこの『般若心経』(特に玄奘訳による)は、日本では浄土教以外の殆どすべての宗教によって重んぜられ、講説され、読誦されている。
この経には大本(広本)と小本(略本)と二種のサンスクリット本が伝えられていて、ともにPrajnaparamita-hrdaya-sutra と称する。小本と大本とは所説の内容については差違はないが、大本は小本に相当するものの前後に序論(序分)と結末の文句(流通分)とがついている。
小本は玄奘訳の『般若心経』に相当するものであるが、興味深いことにはそのサンスクリット写本が、インドにも他のアジア諸国にも残っていないで、わが日本の法隆寺に保存されているのである。これは西紀六〇九年(推古天皇十七年)に小野妹子がシナから伝来したものであると伝えるが根拠は薄弱である。これの存在は日本では昔から知られていたらしく、江戸湯島の霊雲寺の浄厳が法隆寺の原本を写したもの(1694年)が伝わっている。(かれの『普通真言蔵』中巻におさめられている。)また『阿叉羅帖』(安政六年)の中にも古体のサンスクリット文字(梵字)でしるされている。
法隆寺でこのような写本が発見されたことは、西洋のインド古文書学者にとっては大きな驚異であった。インド古文書学の確立者であったオーストリアのピューラー(Georg Buhler)は法隆寺写本について長文の論文を書いて、その学問的意義を論じていう、『法隆寺で発見された棕櫚の写本は、同類の一切の古文書よりもはるかにすぐれている。古文書学者にとって至上の意義をもたらすものである。六世紀の始には北インドでは二つのやや異なった字体の行われていたことを示してくれた。またインドにおける碑文における字体の変化は一般文書の字体から影響されて起ったものであることも解った。』など。日本で発見された資料が、古代インド文化史の諸相を明らかにしてくれたのである。(G.Buhler. Palaeographical Remarks on the Horiuzi Palm-Leaf Mss. Appendix to F.Max Muhler and Bunyiu Nanjio's THE Ancient Palm-Leaves, pp.61-95.)
法隆寺の写本は八世紀初め書体であるとピューラーは解したが、干潟竜祥博士の研究によると、おおよそ八世紀後半に書写されたものであるという(『密教研究』七十号)。 ……p171後略p172‾183……『般若心経・金剛般若経』中村元・天紀野一義訳著、岩波文庫
『般若波羅密多心経』漢訳教典からの邦訳 |
『般若波羅密多心経』漢訳教典からの邦訳
※観自在菩薩、深般若波羅密多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。舎利子よ。色は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすなわちこれ空。空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。舎利子よ。
※この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし、得る所なきを以ての故に、菩提薩?は般若波羅密多に依るが故に、心に?礙なし。?礙なきが故に、恐怖あることなく、(一切の)顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。
※三世諸仏も般若波羅密多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。故に知るべし、はこれ般若波羅密多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。般若波羅密多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰わく、 羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。
『般若波羅密多心経』サンスクリット原典からの邦訳 (1) |
全知者である覚った人に礼したてまつる。
求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。
シャーリプトラよ、
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象であり得るのである。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。シャーリプトラよ、【サンスクリットからの邦訳】『般若心経・金剛般若経』中村元・天紀野一義訳著、岩波文庫
『般若波羅密多心経』サンスクリット原典からの邦訳 (2) |
この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
それゆえに、シャーリプトラよ、
実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。【サンスクリットからの邦訳】『般若心経・金剛般若経』中村元・天紀野一義訳著、岩波文庫
『般若波羅密多心経』サンスクリット原典からの邦訳(3) |
◎『般若波羅密多心経』サンスクリット原典からの邦訳(3)
過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧のの完成に安んじて、この上ない正しい目覚めを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。) ここに、智慧の完成の心が終った。『般若心経・金剛般若経』中村元・天紀野一義訳著、岩波文庫
【空】くう |
【空】くう
固定的実体の無いこと、実体性を欠いていること。うつろ。原語のシューニヤ(s:sunya, p:sunna)は、(…を欠いていること)の意。インドの数学においては、年代も氏名も不詳のインド人が世界史上最初に発見したゼロを表わす。たとえば十進法が可能となり、負数(マイナス)の概念も確立し、それはアラビアを通じて近代のヨーロッパに伝えられ、近代数学が誕生し、現代の自然科学や技術その他も開発され進展した。
この sunya は su(=sva,svi 膨張する) からつくられた suna にもとずいて、空虚、欠如、ふくれあがって内部がうつろなどを意味し、初期の仏典にも登場する。たとえば「自我に執着する見解を破り、世間を空として観察せよ」(スッタニパータ1119)「空虚な家屋に入って心を鎮める」(法句経)(中部121経、中阿含経巻49)は〈空〉の種々相(たとえば内空と外空と内外空との三空)を示す。
さらには、〈空〉と縁起思想との関係(後述)を示唆する資料もある(相応部20.7、雑阿含経1258経)、部派仏教における〈空〉の用例も初期仏教とほぼ同じで、上記の段階では、〈空〉が仏教の中心思想にまでは達していない。
大乗(マハーヤーナ)の説が般若経で初めて説かれると、ここでは〈空〉が反復して主張された。
それはこの経の批判の対象となった説一切有部が一種の固定した型に膠着化したことによる。ここでは〈空〉は厳しい否定を表わし、いっさいの固定を排除し尽くす。
この〈空〉の理論の大成は竜樹によって果たされた(中論など)、竜樹は、あらゆる存在・運動・機能・要素その他、およびそれぞれを表現することばそのものについて、おのおのがきわめて複雑多様な関係性すなわち縁起の上に成立し、しかもその関係性は相互矛盾・否定をはらみつつ依存し合うことを明確に論じ、それは日常世界にまで及ぶ。ここに諸要素などの実体視による自性(それ自身で存在する独立の実体)が完全に消滅し去り、その根拠と実態を〈空〉と押さえ、こうして縁起ー無自性ー空という系列が確立し、またことばも一種の過渡的な仮として容認される。〔付言すると、sunya は形容詞であり、その名詞形の sunyata は〈空〉または〈空性〉〈空であること〉と訳される。〕
竜樹以降の仏教はこの空観を受け継いで、インドのみならず、中国・日本・チベットなどの大乗仏教は、すべてこの影響下に種々の説を展開した〔特に中国では『老子』40の「道は無なり」とする思想、『荘子』の道に通じる者は無心」〈天地〉、「道は有とせず、また無とせず」〈則陽〉の思想などをふまえて、『肇論』にいわゆる「本無」「心無」「即色」の3種の〈空〉の解釈などを生むに至
なお、空間の概念にほぼ等しい虚空は仏教全般に保持されて、上述の〈空〉解説にも登場する。しかし、たんなる虚無や無を空と誤る謬見はたえず排斥される、→虚空、虚無、無。 「団団たる水鏡は空にして仮なり。灼灼たる空花は真ならず」〈性霊集補闕抄10〉「仏五十年の説法も、三十年は畢竟空を説けりとなり」〈ささめごと〉【仏教辞典】
この経典を讀んだ後の私の感想を記載した |
以下をたたき台に、ご自分の般若心経による宗教感をまとめて下さい
▽お釈迦さまは、「己の心」の観を自在(観世音菩薩)に、知恵をはたらかせて、よくよく考へると(行深般若波羅密多時)、五蘊は空であってどのようにも置き換えることが出来るはずである(照見五蘊皆空)。とおっしゃった。
▽色即是空。空即是色。………空とは何ごとにもとらわれない人の心の状態のこととおもいます。
▽道教的表現では、じねん(自然)の中に身をまかせ無欲が一番。ということか。無為自然というのは老荘道教の言葉である。漢訳の『無量寿経』の中で、「自然」(じねん)という言葉が五十六回も使われている。自然に身をまかせて、仏に帰依したてまつるのが、浄土宗だとおもいますが。
▽一つの事件についてでも、一人々々の見解は皆違ってくるものです。 その際、いずれの行為がより適切かは判断、基準しだいである。そして、
▽ここに智慧(真理、真実、法)を駆使して、普通にいう判断能力としての分別知に非ずして、常識を超えた非常識の智慧を働かしなさい。
老子の「道の道とすべきは常の道に非ず」と言っているが、これも「空」によく似た哲学で、非常識の智慧である。
▽これは、状況によって道は正道にもなれば、邪道にもなる。
究極の禅の悟りである【応無所住而生其心】(おうむ しょじゅう にしょう ごしん)の心境も以上の心境に似ているのではなかろうか。
応無がAUM教団(狂団)に豹変したのは麻原が経典を誤訳したためである。
▽空海開祖の真言宗は加持祈祷、呪文を重視した宗派ということか。
▽しがらみや、妄想や、慾などを取り除いて己と外界との関係を空にして、客観的に観察すると最善の手段、もしくは次善の結果を期待することができる。
▽己と外界との関係を「相互依存関係の生起」となずけ、「相互依存関係の生起」を生じる空間を「空」と言われた。
▽己を空にして世を観ればお釈迦さまの悟りの世界に入ることができる。
▽だが凡人の我等がどうもがいても苦界から抜け出すことは困難だ、だからそのときは起こった事は取り返せない。また、失敗しちゃった諦めて今後の戒めとしようと。まして、生死の問題にいたっては人力でも、如来様でも、如何ともなすことは出来ない。以下の呪文を一心に、一心にくりかえし繰り返し唱えなさい。
羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。
「行っちゃった。行っちゃった。もう行ってしまった。もう帰ってはこない。」南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。般若心経。
過去を断ち切り未来に繋ぐための呪術である。スポーツではイメージトレーニングに応用して効果を挙げている。 [智、情、意のバランスの問題が苦界から逃れられるか否かのキーポイントとなるということか。]以上、昨年(平成十五年)現在の観想である。Kino
【般若経】 |
【般若経】………p670……【仏教辞典】
[s: MAhaprajnaparamitasutra] 正しくは、(摩訶般若波羅密経)、大乗(mahayana)を最初に宣言した経典であり、名実ともに大乗仏教の先駆を果たした。その原型はおよそ紀元前後ごろの成立と考えられるが、この名前の経典は実に多数にのぼり、漢訳された般若経だけでも42種を数え、種々のサンスクリット本やチベット訳本がこれにくわわる。おおむね10種以上の系統をことにする般若経典群が現存し、それぞれの長い年月(最低600年あまり)にわたってつぎつぎと増広され、それらの各本が漢訳された。それらのうち重要なものとして、
1:小品系(道行般若経、小品般若経、八千頌般若など)、
2:大品系(放光般若経、光讃般若経、大品般若経、二万五千頌般若経)、
3:十万頌般若経、
4:金剛般若経、
5:理趣経(百五十讃般若)、
6:大般若経、
7:般若心経などがあり、
8:は7:以外の諸経典のすべてを含むほか、それ以外のものをも加えた完成態をしめす。
成立の新古に関して、種々の議論が{1}と{2}との初訳(紀元2ー3世紀)以来続けられ、ようやく最近にいたって、1:に属する道行般若経の最初の部分が最も古いとほぼ決着をみた。
そしてその箇所に「摩訶衍」(=大乗)の語が登場する。
般若経の成立以前に、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若の六波羅密が同列に説かれており、その第六の般若波羅密が全体を統括した般若経の出現によって、革新的な大乗の宣言に結晶した。
般若波羅密とは、一言で表すならば智慧の完成であり、その内実を空の思想が支える。それは部派とくに説一切有部の構築した実体的思考を強く批判し、その固定的なありかたに対して厳しい否定を浴びせる。またその実践を、まったく新しい自由な視点から、現実の日常世界に他者と共に活躍する大乗の菩薩が果たす。この菩薩は必ず仏の悟りを目ざし、かつ衆生全般の教化に務めようとの決意から出発し、これを発菩提心(略して初発心、発心)といい、しかもあくまで動揺しないために偉大な鎧に身を固めて、これを(弘誓の鎧を着る)(大誓荘厳)と称し、以後ついに挫けることなく、終わりのない実践に精進する。それをまた空の思想がささえて、菩薩としてとらわれることはありえない。
般若経典群の多くがみずから南方起源説に触れる。またほとんどの般若経典群は一様にかなり類似した表現をあくことなく反復する。ただ上述の{5}の理趣経は密教色がきわめて濃く、この経の玄奘訳と不空訳とは原本が相異し、真言宗の諸寺院は不空訳を讀誦する。さらに{4}の金剛般若経は特に禅と関係が深く、{1}の般若心経は浄土真宗と日蓮系とを除く仏教の諸宗でつねに讀誦され、日本人の大多数にことに愛好されて今日にいたる。
【大乗仏教】 |
【大乗仏教】
▲仏教が一般人からかけ離れてしまったのを批判して紀元前一世紀ごろ新仏教が作られる。これを大乗仏教という。大乗仏教の坊さんたちは新仏教をPR するため、どんどん本をつくろうと思った。
だがハタと気づく。 「著者が自分たちでは、いかにも信用がなかろう」 「だったら、お釈迦様から直接聞いたように書けばどうだい」 というわけで大乗仏教の本は全部、釈迦の言葉を筆録した形になっている。
そこでこれを鵜呑みにして、これらの本の言葉を釈迦が実際に語ったものと信じている人もあるが、まったくの間違いだ。何せこれらの本は釈迦の死後三百年以上たってから執筆されたんだから。
▲とはいえ、これらの著者たちが、でたらめを書いたわけじゃない。彼らは真剣に仏教を学び、一般人にわかるように説明しようと苦心した。
▲ときに大乗仏教の坊さんが弱ったのは一般人が欲望をもとに生活を営んでいる点だった。結婚して子供をつくり、リッチな生活をしたい。こんな望みを否定したら、一般人の生活は成り立たぬ。
▲ところが仏教はもとより欲望を捨てよと教えてきた。このギャップが最大の問題だ。
▲そこで生み出されたのが(空)という考え方。この意味については【色不異空。空不異色。色即是空。空即是色】(115ページ)の項で詳しく述べるが、何せこれは破天荒な思想だった。だから、この考え方にしたがった大乗仏教界にはユニークな人材が続出する。………p90………【マンガ般若心経】 発行者、株式会社講談社 黄檗宗和尚、野村春眠解説
【中国仏教】 |
【中国仏教】
中国と呼ばれる地域(歴史上、地理的には一定しない)にかつて存在した仏教、および、現に存在する仏教の総称、限定的に、そのうちの中国独特の仏教を指していう場合もある。漢訳仏典を主なよりどころとして形成され、朝鮮仏教(韓国仏教)や日本仏教の母胎ともなった。#
中国仏教の歩みは、いうまでもなく中国への仏教の初伝に始まるが、その年時に関しては、文献上は『魏略』の元寿1年(紀元前2年)とする説がもっとも信憑性が高い。しかし、実際には、張騫の西域遠征(紀元前139〜126年)よって東西の貿易ルートが開かれて以後あまり年代を経ないころから、まずその関係者たちによって仏教も中国へ伝えられ始めたと推測される。その後、遅くとも後漢の明帝(紀元57〜75年在位)のころには、仏教は中央の貴族・知識階層にも熱心な信者をもつまでになっている。こうして中国仏教の歴史はその幕を明け、いくたびか弾圧や迫害(三武一宗の法難、文化大革命など)を受けながらも、今日まで命脈を保ってきた。それを大まかに特徴づけて区分すれば、
1:誕生・伝訳の時代(前漢・西晋)
2:研究・建設の時代(東晋ー南北朝)
3:成熟・繁栄の時代(随ー唐)
4:継承・浸透の時代(五代・明)
5:融没・世俗化の時代(清ー現代)
となろう。 しかし、そうした時代的特徴の存在にもかかわらず、中国仏教にはある一貫した基本的性格が認められる。
それは、一言でいえば、中国仏教は(道)の宗教であるということである。たとえば東晋代までの漢訳経典や仏教者の著述においては、さとりも修行の道すじもともに(道)(または道徳)表現され、仏教は(道教)、仏教者は(道士)(または道人)などと呼ばれている。これらのことは、初期の中国仏教が自ら道家、儒家、ないし道教と類縁関係にある(道)の宗教であることを積極的に表明し、そこに生きる活路を見い出そうとした証である。もちろん、こうした大胆な中国思想への同一化の試みは、仏教の中国社会への定着、勢力の増大に伴ってその後修正され、経論の翻訳用語にも道家思想などからの目立った形での借用は減少してくる。
しかしそれは、中国仏教がインド仏教へと回帰しはじめたということではない。むしろこのころから、究極的には儒・道の二教(あるいはそのいずれか)と仏教は一致するという考え方を前提として、もっとも優れた(道)の宗教としての(仏道)の本格的な宣揚が開始されるのである。
では、その(仏道)特質は何か。それは、僧肇が「道は決して遠くにあるのではない。どこででも真理は体得される。聖人は遠く隔たった存在ではない。道が体得されれば聖人にほかならない」(肇論、不真空論)と端的に表明している(現実即真実)の思想であろう。
天台宗の諸法実相の思想も、華厳宗の法界縁起の思想も、また禅宗の平常心是道といった思想も、みなこの路線の上に展開してくるといってよかろう。
なお、中国仏教がインド仏教の単なる継承ではないことを示す具体的事実としては、仏教学における儒教経典解釈学の全面的な導入、約四百に及ぶ偽経(中国撰述経典)の出現、禅宗における清規しんぎ(独自の教団規範)の成立と語録(祖師の言行録)の尊重などが挙げられる。……………p568 岩波仏教辞典 中村 元、福永光司、田村芳朗、今野 達、編 [岩波書店、1989. 12. 5 第1刷発行から] 仏教とは、ゴ−タマ・ブッダ(釈尊)が創始した宗教である。ブッダ(仏陀)の説かれた教えであるから仏教といわれ、転じて、とりわけ大乗仏教では、ほとけ(仏)になるための教えであるから仏教であるともいわれる。
しかし、興味あることに「仏教」という用語は西洋思想が導入される以前のわが国では一般に用いられなかった。明治期以前、仏教は「仏道」あるいは「ほとけのおしえ」と呼ばれていた。……p9…『原始仏教の世界』中村元監修