最終更新日2008年9月1日('05年7月10日)

  

タイトル

  

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日本の仏教のルーツは中国仏教である。
中国仏教は、インドから中国に仏教が伝来して儒教道教を習合して成立したものである。
インドの仏教と中国の仏教との違いは。

【阿含経】【仏教辞典】
原始仏教経典をいう。(阿含経あごんきょう)とはサンスクリット語、バーリ語 agama (アーガマ)の音写であり、伝承された教説、 またはその集成聖典の意、したがって、 阿含経とは釈尊直説とみなされた経典を多く含んだ経蔵(Sutta-pitaka)のこと。
現在形態上から2種が数えられる、南方仏教所伝の経蔵は、(長部)(Digha-nikaya)、(中部)(Majjhima-nikaya)、 (相応部)(Samyutta-nikaya)、 (増支部)(Anguttara-nikaya)、(小部)(Khuddaka-nikaya)の五部(〈部〉の原語は nikaya )に分かれ、 他の北方仏教所伝の漢訳阿含経は、(長阿含経) (中阿含経)(雑阿含経)(増一阿含経)の四種(四阿含)に分類される。
内容的には両者は必ずしも一致するわけではないが多く共通する。阿含経個々典の成立年代及びその順序、また、阿含経蔵の編成次第については、 その分類項目の順序の問題なども含めて諸説があり一定しないが、常に最古の教典群として尊重研究された。

特に釈尊直説としての信仰的立場から重視されたが、中国、日本においては、小乗経典であるとして大乗仏教の立場から貶せられ、 あまり重要視されないで来た。 しかしその内容が明快で合理的であるため、明治大正時代以後、新しい仏教徒の間で重要視されている。

また西洋に対する影響は、大乗経典の場合よりもはるかに強大である。

阿含経典テキスト・クリティーク

A: パ−リ五部               
長部経典             34経
中部経典           152経
相応部経典    56相応   7762経
増支部経典    11集  9557経
小部経典            15分
B: パ−リ律蔵              
 経分別                
 度部。          大品。小品 
 附随                 
C: 漢訳四阿含              
 長阿含経    22巻     30経
 中阿含経    60巻    224経
 雑阿含経    50巻   1362経
 増一阿含経   51巻    472経
D: 漢訳律                
 四分律             60巻
 五分律             30巻
 十誦律             61巻
 摩訶僧祇律           40巻
 根本説一切有部毘奈耶      50巻

 

【阿含経】……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著
           大東出版社 初版 S10.2.10 再版 S53.10.12 から

五時の順序……11……

◆假に、一人の釈尊が今日つたはってゐるやうな何千巻もある経典を自分一人で説かれたとすれば、これをどういふ風に説明なさいますか。支那の天台宗を開かれた智アイコンといふ学者はここで一つのすばらしい説明の仕方を発案しました。

▲乃ち、釈尊は一生仏陀としての四十五ヶ年の間を五つにわけて、順次いろいろの経文をとかれたといふのです。これを五時教判といひます。 最初には、華厳経をとかれた。ところが余りに内容が大乗の幽玄なものですから、弟子達は陳文漢文で、何のことかすこしもわからなかったといふのです。
そこで、釈尊は方便を案出して、少し調子をおろすために、この、「阿含」を、ついで、「方等」を、この方等の中に無量寿経とか、 観無量寿経とかが入ってゐます。つづいて、 「般若」をへて、最後に、臨終に近く、「法華」「涅槃」をといた。だから、 釈尊の真意といふものは最後の法華涅槃にあるのだといふのです。この五時教判をつくり上げた天台大師は言ふまでもなく、 「法華経」を中心とする天台宗をとき出した方ですから、いはば、自分の宗旨の独妙なること、 仏陀の本旨はこの経に封じこめられてゐるといふことを述べようとされたのです。 …11、以下略……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著

◆大乗派の主張……19……
▲わけのわからない宇宙の法則だの、実相だのをとりあつかってゐる時間があったら、目前にうめき苦しんでゐる貧困の大衆の上に目を投げよといふのです。
「先づひとをすくふことだ、自分の安心立命だの、自分のさとりだのと呑気なことを謂ってゐるひまに迷ひの世間に身を投じて、 釈尊が一生つくされた衆生救済の利他的行動をやるがいい。ひとをすくふことが、衆生を成就し、浄土を建立することが、始めて、自分をすくひ、 おのれをきよめることだ。 利他大慈悲の行願のほかにどこに涅槃があるのか。」…19、以下略……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著

『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著
◆釈尊を忘れた仏教
▲釈尊はいつの間にかお留守になりがちです。彼らにとっての関心は、はたして、その経典の内容の如く、そのくりかえしつつある約束の如く、多くの罪をほろぼし、 輿ふるに無量の功徳をもってするやの実際問題となってしまひました。
釈尊はただ、 もしそのときに登場したにせよ、主人公ではなしに、ワキにすぎません。証明人位の程度しか役目をはたしてゐません。かくして、 浄土門は釈尊を傍として阿弥陀仏を主にいたします。
大日経では毘盧遮那仏が主体です。普門品では観音菩薩が主人公です。
これらの尊い大乗経典に出づる人々はみな釈尊の胸にわき出たる利他大悲の権化として登場してゐるのです。
然し、これらの経典を丸呑みにし、鵜呑みにしている信者大衆にはさうしたわけ合ひのわからうわけがありません。滔々として、 釈尊をかたはらにし、その尊い四諦八正道、 無常無我の如実観察を問題にせずして、一括してこれらをもって、あるひは應身の化現とさばき、 小乗三蔵の卑見とあしらってしまったのです。…26…『仏教聖典を語る』叢書、 第二巻【阿含経】 友松円諦著


コメント:この書の中で、印象の強かった二説法を紹介します。だいぶ省略してありますので内容に疑問をもたれるかもしれません。 その折りには図書館で確認をしていただきたくぞんじます。kino

[往生梵天]…236…(長阿含、卷第十六大正、一、一〇六 國訳一切経、阿含部、七・三六一)

▲釈尊が倶薩羅國(こうさらこく)の伊車林中に止住していられた時であった。その当時、婆悉詑(ばしった)と頗羅墮(はらだ)とよぶニ人の婆羅門がいたが、共にその道の蘊奧をきはめ、三部の異典の諷誦にはなかなか堪能であり、いろいろの経書にもよく通じており、吉凶、祭祀、儀礼を観察することにはたけていた。所がこの二人は各々その師匠がちがっているところから学説信仰を異にし、互ひに自説を固持して相ゆづるところがなかったのである。ついにその判決を釈尊に仰ぐことになった。婆悉詑は釈尊に申し上げた。
▲瞿曇(がうだま)よ、たとへ婆羅門学者の学説信仰について異論がありませうとも、ちやうど、村のありとある道路がみんな町に向かっていますやうに、尽く梵天に向かっていることだけはたしかだと思ひます
▲すると釈尊は何を思はれたのか開きなはってかうたずねられた。
「婆羅門達のいろいろの道がことごとく梵天におもむくと言ふのかね」
「一つ残らずおもむきます。」
「本当に彼らの道は悉く梵天におもむくといふのだね。」
「一つのこらずおもむきます。」
「それならわしは聞くが、三部の経典に通じている婆羅門のかづある中で、「誰か一人でもその梵天といふ立派な世界を見たものがあるかね。」
「いえ、まだ、見た者はございません。」
「さうか、それならきっと、その婆羅門達の先生が親しくその天国を見たんだろうね。」
「いえ、まだ見た者はないさうです。」
「さうか、それならきっと、経文に出る昔の有名な婆羅門達でも見たといふのかね。」
「いいえまだ見た者がないさうです。」
「もしさうだとしたら、一人も見た者がない以上は、婆羅門達の説くところの梵の天國の話は真実ではない。、婆悉詑よ、変なたとへ話だが言ってきかさう。…以下中略238………
▲一人の婬人(あだしひと)が自分でこんなことを言ったとする。「わしはあのすばらしい女人と交通したのだ。そして婬法を稱嘆したのだ。」そこではたの者が不思議に思ってきいた。
「お前はあの女を識っているのかね。どこに住んでいるのか、東西南北のどっちに住んでいるのか知っているのか。」 「知りません。」
「あの女の住んでいる土地城邑村落は知っているだらうね。」
「知りません。」
「然し、彼の女の両親位は知っているだらうね。」
「せめて姓字位は。」
「知りません。」
「然し、彼の女が背が高いか、低いか、色の黒白、好醜位は知っているだらうね。」
「知りません。」
「婆悉詑よ、この男が自分の出鱈目の婬法を讃嘆しても、これを真実だと思へるかね。」
「瞿曇よ、これは本物ではありません。」
▲「婆悉詑よ、ちょうど、それと同じではないか。自分で見たこともなく、自分の師匠も見たことのないやうな梵の天國の話をといて見たところで、その所説は到底、本物だと言へないではないか。お前達婆羅門は日や月の出没遊行するところに手を合わせたり、供養したりするが、そのときに、この又手供養の道は真正にして必ず出要を得、やがて日月の所にゆくことが出来ると断言ができるかね。」
▲「必ず日月のところに往けるといふ断言は出来かねます。」
「それみなさい。婆悉詑よ、現にしたしく目をもって日月をみていながら、そこにさへ往けると断言出来ないじゃないか。それでいて、婆羅門達はいつも現に日月の前に手を叉せ、供養したり、恭敬したりしているではないか、これは全く虚妄ではないか。」
「瞿曇よ、彼は全くいつはりでございます。」
▲「婆悉詑よ、今一つたとへをかりて言って見ればかうだ。一人の男が梯を空地に立てたとする。はたの者が「そんな梯子を立てて何をするのだ」と意卯ふ。「堂に上るのだ」とこたへる。「その堂といふのは東西南北のどこにあるのか」とたずねるが、「知らない」とこたへる。婆悉詑よ、この男は梯子を立てて堂に上らうと思ふけれども、豈にいつはりでなからうか。」
「それは全くいつはりでございます。」
「全くそれと同じだ。婆羅門達の説くところは全くその通りだ。実に虚妄のかたまりである。第一に考へて見るがいい。羅門達は如上の愛楽に染み、享悦におぼれてしまって、その過失を見ず、これから出れることを知らない。五欲にまつはりながら日月や水火に奉事している。そして、口に唱へて言ふ。「どうか、わたしを扶けとって下さい。そして、私を梵の天国に生まれさせて貰ひたい」と言ふ。こんな馬鹿な理窟といふものがあらうか知らん。することを自分にしないで、したいことを自分にして往きたいところへ往くなんといふ、馬鹿なことがあらうか知らん。
ちゃうど、ある男が此岸の上で身をつよく縛られているとする。それだのに空しく彼岸をよんで、「きたって我を渡し去れ」と言ふ。彼岸がはたしてこの男を渡してくれるであろうか。自分の身体は五欲にかたく縛せられていながら、ただ、日月や水火に奉事して、「私を扶けてもらひたい」と言つたって何の生天の理があらうか。生まれるには生まれるだけの正しい手段が必要である。河を渡らうとするなら、手足とか、身力をかりねばならぬ。船や筏の力をかりなくては彼岸に渡ることは出来ない。外道の不清浄な行為によりて梵天の世界に生まれやうとしたところで、そんなわけにゆくものではない。
▲梵天といふものはいかりやうらみや、ひとを害ふといふことのないものだ。して見ればこの梵の世界に生まれたいと思ふ者は、それにふさはしい梵道によらねばならない。慈心をもって東西南北に、広布無際、無二無量、無恨、無害、かうした心持に遊びたはむれ、自らたのしむことだ。
▲同様に、悲心をもって、喜心をもって、捨心(とらはれぬこころ)をもって一切方に遍満せしめ、一切に和らいだ心持に遊びたはむれることが出来たら、この人こそ、命終の一刹那に梵の天上に生まれることが出来るのだ。」
この話をきいて二人の婆羅門は即座に法眼を得、非常な感激をうけた』


この一単経は釈尊当時の宗教がどの程度のものであったかといふこと、つづいて、釈尊がいかなる態度をもって当時の宗教にのぞまれたかを知るにふさはしいものである。今日の浄土教徒にとって死後の浄土がその役割を演じているやうに、この当時の民衆にとっては来世の梵天往生といふことは非常な大きな意味をもったらしい。この梵天往生の思想に対する釈尊の態度はきはめてはげしいものがある。
梵天といふものは釈尊にとってあくまでも精神的内容をもつものである。瞋惧のない、平和な心的状態を指したらしい。従って、人がさうした梵天にふさはしい生活をいとなむに於いてのみ、梵と一致し、梵に生まれるのだと考へられたらしい。従って、梵天といふものは形相的に、物質的に、地理的に考へられたのではない。然るに、民衆といふものは、いつも物の形式にだけこだはるものである。浄土思想についてもさうであるやうに、梵天といふものの精神的属性などは頭にいれずに、ただ、さうしたかたちの末にとらへられてしまふものである。そこで、釈尊はつよくさうした考へを打ち破っていられる。「梵天を本当に見たものはあるか」といふ質問は全く実証的態度から出ている。こんな質問を宗教問題の上に投げかけることは今日に於いても一通り吟味されなくてはならない。然るに、あへてかうした態度に出られた釈尊には充分に教育的技巧が入っていると思ふ。とりわけ、婬人の錯覚にこれをたとへ、空地に梯を立てて、堂に上らんとする愚人にたとへ、身を此岸に縛して彼岸を呼ぶ者に擬したるが如きは、ことに深い釈尊の意図を見い出さざるをえない。ただ、官能の満足のために生天を期求せる者に対して、梵天土の道徳性をといて、これに生まれんとする者の心得べき四無量心を述べたのは、常に全阿含経に一貫せる釈尊の道徳的宗教の態度である。道徳的要素を忘却し去った宗教は釈尊の常に否定されたところであって、当時の宗教につよき道徳的内容を盛らうとしたのが彼の態度であったといっていい。
▲この一経に見られる釈尊の思想はさながら今日の浄土教一般の上につよい反省をうながしているやうに見える。浄土教の一つの特色は、形式的道徳に落ちこんだ偽善性をたたきのめして、いつはらざる人間性の純真さの中に仏道を見い出さうとするところにある。自分の道徳的行為の足らざることをほこるのではなしに、及ばざる自己の戒律的生活の上につよい懺悔と反省とを見い出すことである。はるかなる彼岸に道徳の完成態を憧憬することによって仏道を精進することなのである。それは道徳の放棄ではなしに、道徳的理想典型の彼岸への投写である。さればこそ、浄土教徒といへども、この地上生活に於いてすべての道徳的責任を回避捨棄するものではない。すでに多くの世善が浄土教の宗祖によって生因として要求せられている。釈尊がこの経に於いて力説されている通り、慈悲喜捨の四無量心といふ、仏教としての無上の道徳的生活をいとなみゆく生活が、梵天の境地と道徳的に一致するがゆえに、「往生」が成立するのである。とかく、浄土思想に於いて道徳的生活が軽視せられ易いことは、この教祖の梵天思想にかヘリみて、深く反省さるべきだと思ふ。
247……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著

▲釈尊の教へは現実的で、実践を尊ばれた。kino
▲釈尊がいつでも口癖のやうに言はれるものに四諦の論があります。人生の苦、それは渇愛煩悩から生まれるとします。その煩悩をほろぼしたところに涅槃のさとりがあるといふのです。その苦の原因を絶滅するのが八正道です。…290……
▲八正道とは、正しい意見、言語、思想、経済生活、行為、およそ、私達のこの日常生活といふものを肯定した上の正しい生活一般に外ありません。……292……
▲「宗教の倫理化」釈尊はいたづらに火をまつるものに言はれた。「汝かく火をまつりて何にせんとするや」それにもまして町に食物を乞ふ者に一椀の食を与へることのいやまさっていることをのべられました。……313……
【大乗】
大きな(mahat, 複合語においては maha-)乗り物(yana)の意で、小乗(hinayana)に対する語、仏教の修行者は、声聞しょうもん(仏弟子、僧院に集団生活をする出家)、独覚どっかく(1人で山野において縁起をさとり、人に教えをとくことなく出家。縁覚ともいう)、菩薩(仏陀になることをめざす在家および出家の修行者)の3種に分けられたが、自利に専心する前2者の教えを小乗、利他に励む菩薩の道を大乗という。大乗とは、あらゆる衆生を乗せてさとりに導く大きな乗り物(教え)のことである。(大乗経典)の略語として用いることも少なくない。「其れ大乗の教法は真実の理なり。諸々の仏此れを讃め給ふ。諸々の聖衆また此れを尊ぶ」〈今昔4ー25〉「仏を造り、大乗を写し改め、懃ねんごろに善因を修するなり」〈霊異記下38〉【岩波仏教辞典】p536
【偽経】
(疑経)とも、中国や朝鮮、日本でつくられた経のこと、サンスクリット本その他から翻訳された経を(真経)(正経)と呼ぶのに対し、翻訳経とみなし難い経をいう。
【仏教辞典】 


【阿含経】……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著
           大東出版社 初版 S10.2.10 再版 S53.10.12 から

[居家八法][こけはっぽう]…256…(雑阿含、卷第四、大正、二、二三)

方便によりて諸(もろもろ)の業を建て、積集してよく守護す。
知識ある善男子を友とし、正命をもって自ら活く。
浄信と戒とを具足し、恵施して慳妬(おしみ)をはなれ、
速かに清浄の道を得、後世の安楽をう。
もし居家(いえ)に処するに、八法を成就するは、現法ここに安穏をえ、
現法に喜楽(よろこび)に住し、後世にも喜楽に住すべし。

方便建諸業。積集能守護。知識善男子。
正命以自活。浄信戒具足。恵施離慳垢。
浄除於速道。得後世安楽。若処於居家。
成就於八法。審蹄尊諸説。等正覚所知。
現法得安穏。現法喜楽住。後世喜楽住。
(雑阿含、卷第四 大正、2・23)

▲年少の婆羅門にして鬱闍迦うじゃかとよぶものがあった。彼はある日、釈尊を訪問して次のやうな質問をした。
「世尊よ、私共、在家の俗人はいかなるほうほうによって、この世の安らかさと、この世のたのしみとをうることが出来ませうか。」
「四つの法があるよ、この四つによって在家の俗人がこの世で安んじ、且つ、たのしむことが出来るだろう。」「どんな四法でありませうか。」

「方便具足、守護具足、善知識具足、正命具足」。この四法である。
第一の方便具足といふのは自分の職業をしっかり勉強することだそれぞれの職業、職場に自分で働いて生活資をえたり、種田や商売、ときには、 王宮に官吏となったり、ときには書疏算画など、 それぞれの仕事について精勤修行することである。これが方便具足だ。

第二の守護具足というのは所得をしっかり管理することだ。所得の銭穀をば、或いは自分の職業から、或いは自分の手でつくって、 正当にえたところのものをばよく細心の注意をもって、守護して、水や火や賊や略奪者のためにとられてしまったり、管理の下手な人間にまかせて亡失したり、 自分に怨みみをもっている人間にとられたりしないようによく守護することである。

第三の善知識具足といふのは善い友人をもつことだ。ほどよさを知って、放逸のわざのない、虚妄や凶険のないやうな知識をもつことだ。 かうした有人はきつと善く安慰してくれるし、 まだあらわれぬ憂苦を未然に防いでくれ、すでに生じた憂苦を開覚させてくれ、まだ見ぬ喜楽をすみやかに生ぜしめ、 すでに生じた喜楽をまもって失はざらしめてくれる。かうした友人をもつことが知識具足である。

第四には正命具足、自分の銭財をよくはかって出入りのバランスをとることである。 よろしく善男子は自分の所有になる銭財を出入についてよくするやうなことがあってはいけない。又沢山支出して収入の少ないやうにするのもいけない、 てうど秤を手にする人のやうに、少なかったらこれを増し、多かったらこれをへらすがいい。かくの如く、善男子よ、財物を称量して、ひとしく入れて、 ひとしく出すやうにするがいい。…中略…この四法によって人間はこの世で安楽な生活が出来るのだ。 ……『仏教聖典を語る』叢書、第二巻【阿含経】 友松円諦著

▲「世尊、その辺のことはよくわかりました。然らば、このやうな方法によりまして、在家の俗人は後世に安と楽とをかちえませうか。」
「四つの法で在家の人々が後世の安楽をうるであらう。信具足、戒具足、施具足、慧具足の四法である。信といふのは如来所さとれるものの上に信敬心をいだいて、 信本を建立することであって、ほかのあやしい信仰などに動かされないことである。
戒といふのは、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒、この五つについてのつつしみのことである。施といふのは慳しみ心をはなれて、 居家にありながら解脱施を行じ、 つねに自分の手でひとに與へ、財物を捨することをたのしみ、平等心をもって行施することである。
慧といふのは、人生の苦の成立、その原因、絶滅とその方法、この四つの聖諦を如実に知ることである。
この四法さへ出来ていればそれこそ後世の安楽はたしかである。」…以下略262……… 『仏教聖典を語る』叢書【阿含経】 第二巻友松円諦著

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▲姉崎正治著『根本仏教』の序に曰、「東方の仏教は花蕊、南方の仏教は、枝葉、花蕊の色彩に眩して根底を忘れ、 枝葉徒に繁茂して幹茎に疏なるは、仏教の現状ともいうべきか。いささか自ら恃むところありて、ここに根本仏教叙せんとするは、 著者が仏教研究の上において従来なし来たりしパーリ仏典と漢訳三蔵との比照に基ずき、しかして、宗教としての仏教につきて仏陀弘化の真面目に接せんとの信念に出づ。 この著述の出来につきては、 この外に多言するの要あらざるべし」…『原初経典 阿含経』増谷文雄著 筑摩書房 S.45.2.27初版。

『根本仏教』 阿含経典講議。増谷文雄。
筑摩書房。1980年四月二十五日初版 1902、北九州に生まれる。1925、

東京大学宗教学科卒業。東京大学講師東京外国語大学教授。 大正大学教授。都留文科大学学長を歴任。文学博士。

正覚は直観である
さて、
『自説経』の説くところは、いうまでもないこと、かの菩提樹のもとにおいて正覚を成就した釈尊が、 やがてその正覚の内容を思いととのえて、 いわゆる縁起の法則を確立するにいたった消息を物語っているのである。ついては、 まず、正覚すなわち「さとり」そのものについて、いささか説明しておきたいと思う。
その第一には、まず、正覚は直観であることが知られねばならない。そして、直観は、 人間にとっては受動的なものであることがしられねばならない。

道元がかの『正法眼蔵』の「現成公案」の巻において叙したことばをもっていうなれば、「自己をはこびて万法を修証するを述とす。
万法すすみて自己を修証するはさとりなり」である。あるいは、中国の禅僧たちが好んで口にしたことばをもって表現するなれば、 「万法露々として隠さず」である。いま、 かの菩提樹のもとに晏然として趺坐する釈尊のまえに、かの万法がそれみずからを露あらわした。
その時、彼の正覚はなったのである。さきの感興の偈の一句が、「かの万法のあきらかとなれるとき」と歌っているのは、 その間の消息を物語っているのである。『根本仏教』…21…

▲だが、しかし、その正覚のなった時、それはなお、ある意味においては無内容である。 いや、それはまことは豊かな内容をもったものなのであろうが、 なお、人間の悟性によって思い整得られた思想的内容は皆無であるといわねばならない。
ここでもまた、 さきの道元が「現成公案」のなかに語っていることばをかりて申してみるならば、「得処(とくしょ)かならず自己の知見となりて、 慮知にしられんずるとならふことなかれ」であり、 また、「証究すみやかに現成すといへども、密有みつうかならずしも見成にあらず」である。

すなわち、さとりはすでに成立したからといっても、 わが与えられた直観がすべて明らかというわけではない。
わたしどもの悟性がそれを思いととのえて、一つの思想として内容あるものを形成してゆくのは、 それからの作業なのである。
そして、いま、この『自説経』の文が語っているのは、釈尊が正覚の直後においていとなみたもうたそれからの作業のことなのである。 『根本仏教』…22…

その作業について、『自説経』(一、一)の文は、まず、釈尊は、「七日を過ぎてのちに」、その三昧より出でて、夜の初分のころ、つぎのように、 順次に縁起の法をおもいめぐらしたもうたという。いわく、
▲「これあればこれあり。これ生ずればこれ生ず。すなわち、無明によりて行がある。……」 また、さらに、『自説経』(一、二)の文は、夜の分のころにおよんで、こんどは、逆次に、つぎのように、 縁起の法を思いめぐらしたもうたという。いわく、
▲「これなければこれなし。これ滅すればこれ滅す。すなわち、無明の滅によりて行滅す。……」 これらの『自説経』のうち、わたしは、とくに、つぎの二句を抜き出して、それを「縁起の公式」であるという。 すなわち、
▲「これあればこれあり。これ生ずればこれ生ず」
「これなければこれなし。これ滅すればこれ滅す」
なにゆえに、それを公式というか、公式とは、ご存じのとおり、一般に通ずる法則をあらわしたる関係式をいうことばである。
そして、正覚以後の釈尊は、いつでも、この前後の二句のいずれかを公式として、問題を解こうとされたのである。はやい話が、 さきの『自説経』一、 一の文においては、つづいて、 「すなわち、無明によりて行がある」以下のながながしい縁起の系列が述べられているし、そして、 その一、二の場合には、 また、つづいて、「すなわち、無明の滅によりて行滅す」以下の、 これまたながながしい縁起の系列が述べられているのであるが、 かかるながながしい関係の系列も、他でもない、この「縁起の公式」によって思い整えられたものである。『根本仏教』…23…

◆文学形式としての梵天説話
▲そして、いま、この阿含部の経典においては、また悪魔や梵天の出現も、経典の叙述の約束ごととして描かれているのである。たとえば、 すっと悪魔があらわれて釈尊に囁きかけたというのは、 なんぞ迷いの影がふとその胸中にさしたことを表現する真理的描写の文学形式なのであり、 また、」そのとき梵天が姿をあらわしてその考え方を佳納し讃嘆したというのは、 なんぞよき思いが釈尊の胸中に確立したということを表現する描写の約束ごとなのである。……『根本仏教』…36…


【因縁法】雑阿含経、一二、一四

▲その一つの経(南伝、相応部経典、一二、二〇、縁。漢訳、雑阿含経、一二、一四、因縁法)はつぎのように記している。
「かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、かように仰せられた。
『比丘たちよ、わたしは汝らのために縁起および縁生の法について説こうと思う。汝らは、それを聞いて、よく考えてみるがよろしい。では、わたしは説こう』 『大徳よ、かしこまりました』 と、彼ら比丘たちは世尊に答えた。世尊はつぎのように説いた。
『比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。比丘たちよ、生によって老死がある、という。このことは如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである法として定まり、法として確立しているのである。それは相依性のものである。如来はこれを証り、これを知ったのである。これを証り、これを知って、これを教示し、宣布し、詳説し、開顕し、分別し、明らかにして、しこうして(汝らも、見よ)というのである。
比丘たちよ、生によって老死がある。比丘たちよ、有(う)によって生がある。比丘たちよ、取によって有がある。比丘たちよ、愛によって取がある。比丘たちよ、受によって愛がある。比丘たちよ、触によって受がある。比丘たちよ、六処によって触がある。比丘たちよ、名色によって六処がある。比丘たちよ、識によって名色がある。比丘たちよ、行によって識がある。比丘たちよ、無明によって行がある。このことは如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである。法として定まり、法として確立しているのである。それは相依性のものである。如来はこれを証り、これを知ったのである。これを証り、これを知って、これを教示し、宣布し、詳説し、開顕し、分別し、明らかにして、しこうして(汝らも、見よ)というのである。
比丘たちよ、無明によって行がある。比丘たちよ、かようにこのあるがままなるもの、虚妄ならざるもの、あるがままに異ならざるもの、相依るもの、比丘たちよ、これを縁起というのである』


【法句経】自己品
▲しかるに、小乗仏教の人々が伝持する初期の経典の語るところは、まず自己の人間形成に励むべきを説いているのであって、大乗仏教の人々のいうがごときことは、どこにも説かれていないのである。だから、彼らは、大乗仏教の人々のいうところは仏説ではないといって否認する。
大乗仏教の人々も、それは仏説ではないといわれることは、つらいことであったに違いない。そこで彼らは、ブッダ・ゴータマを主人公とした新しい経典を製作して、その中に彼らの主張を盛りこんで、「小乗の徒のしるところにあらず」とうそぶいていた。それが大乗仏教なるものの生まれいでの消息である、………p36『根本仏教と大乗仏教』増谷文雄著………

「ダンマパダ」(法句経)の「自己品」と称せられる一連の偈のなかには、よく知られたつぎのような一句が存する。
「自己の依処は自己のみである
他にいかなる依処があろうぞ
自己のよく調御せられたとき
人は得がたい依処をうけるのである(第160偈)」 ………自己の全努力を集中せよというのである。
……『根本仏教』…131…


【沙門果経】雜阿含經卷第十二

▲六師外道・諸子百家・ソフィスタイ………
人間の精神史において、人類がいまいうがごとき分析的思惟を活発にいとなみはじめたのは、けっして、はなはだ遠い過去のことではなかったように思われる。そのことについても、人類の先達の役割を演じたものは、おそらく、西にあっては古典ギリシャの人々であり、東にあってはインド・アーリアンたちであったといって差し支えあるまい。そして、いま、ブッダ・ゴータマが中インドにあって輝かしい思想の舞台に登場した時代ーわたしはそれを「ブッダ時代」とよぶーは、インド・アーリアンたちがようやく活発に分析的思惟をいとなみはじめた時代であったと考えられる。 いまは、とうてい、そのことに深くふれて言及することはできないが、そのような趨勢は、たとえば、六師外道と称せられたブッダ・ゴータマの同時代の思想家たちのあいだにも明らかに看取される。六師とは、そのころ族出した新しい思想家たちのなかの、六人の代表的な思想家たちをあげていうことばであって、彼らの名前とその諸説は、仏教経典のなかにも幾度か見えておる。それらの思想家たちの活動は、ギリシャのソフィスタイ(Sophistai)たちのそれを連想せしめ、あるいは、中国の諸子百家たちのそれを想起せしめるのであるが、そのなかにもすでに、かなり活発な分析的思惟のいとなみが見られる。………p88『根本仏教と大乗仏教』増谷文雄著………長部経典、二、「沙門果経」(漢訳同本、長阿含経、一七、「沙門果経」)


【温泉林天經】跋地羅帝偈 中阿含經卷第四十三

▲それは、彼がこの師にしたがって、マガダ(摩掲陀)の国の都ラージャガハ(王舎城)にいたり、その南郊のタポーダ(温泉)林の精舎にあった時のことであった。その時、一人の比丘のサミッテイ(三弥提)なるものが、彼に「一夜賢者の偈」について、その解説をもとめた。それは、そのころ巷間に伝えられていた讀み人知らずの偈であって、次のように述べられている。

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来らざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺ぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と
遇わずというはあることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
かくのごときを一夜賢者といい
また、心しずまれる者というなり

そのいうところは、ブッダ・ゴータマの所説に通うところがすくなからず、ブッダもまたそれを取りあげて、その弟子たちのために解説したことが諸経に見えているのであるが、そのいうところは、ブッダ・ゴータマの所説に通うところがすくなからず、ブッダもまたそれを取りあげて、その弟子たちのために解説したことが諸経に見えているのであるが、この経においては、マハー・カッチャーナがその友なる比丘のために解説しているのである。
彼はまず、その第一句「過ぎ去れるを追うことなかれ」を取りあげて解説する。それを経のことばは、次のように記している。
▲友よ、では、過去を追うということは、いかなることであろうか。ーーかくのごとくわが眼(六処、六識)は過去のときにありき。かくのごとくもろもろの色はありきと、そこに欲貪(よくとん)によりて縛せられたる意識がある。意識が欲貪によりて縛せられているがゆえにそれを喜ぶ。それを喜ぶがゆえに過去を追う。友よ、過去を追うというは、かかることをいうのである。
▲友よ、では、過去を追わぬというは、どのようなことであろうか。ーーかくのごとくわが眼は過去の時にありき、かくのごとくもろもろの色はありきと、そこに欲貪によりて意識が縛されていない。意識が欲貪によって縛せらていないがゆえに、それを喜ぶことがない。それを喜ぶことがないゆえに過去を追うことがない。友よ、過去を追わずということは、かかることをいうのである。
………以下略………p92『根本仏教と大乗仏教』増谷文雄著………

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[阿含経]『生とはなにか[阿含経]』
金岡秀友著 集英社 1984.6.9 昭和二年(1927)埼玉県生まれ。東京大学印度哲学科卒業。
現在、東洋大学文学部教授、東京外国語大学講師、日本印度学仏教学会理事。

◆阿含とは
▲阿含経というお経の名前は、長い間日本人にとっては馴染みの薄いものでした。 何よりも大きな理由は、阿含経を毎日の経典、所依(よりどころ)の経典として読む宗派がなかったため、 専門の僧たちの間でさえ、手にとる人がなかったことでした。
読者のみなさんも、「法華経」とか「般若心経」とかいうよく知られた経典に比べて、名を聞くのもはじめてか、それに近い思いを懐かれることが多いことと思います。

▲第一に、「阿含」(アーガマ)という言葉も、日常生活では縁の薄いものでしょう。私が、 この言葉にはじめて接したのは子供のときで、 当時「朝日新聞」に連載されて人気の高かった吉川英治氏の「宮本武蔵」という小説の中ででした。 この小説の中で、吉野の奧柳生の庄がでてきて、柳生一門の剣技と、 近くの宝蔵院流の槍術の挿話がでてくる場面がありました。
その宝蔵院流の使い手で登場してくる怪僧の名が「阿含」だったのです。ただし、そこにご丁寧なことにとルビがつけてあったため、私は長いこと、 「阿含」は「あがん」だと思いこんでしまう結果となってしまいました。
読み方は間違っていましたが、吉川英治氏も、どこかで「阿含」という言葉はお聞きになっていたのでしょう。しかしまた、 お聞きになったことはお聞きになったけれども、 正確にはお聞きになっていなかったのでしょう。 やはり「阿含」という言葉は聞きなれない言葉の一つだったと申すことができると思います。

▲この「阿含」という言葉は、まず言葉の意味として、どうゆうことなのでしょうか。 まず、「阿含」という言葉は、インド語ーこの場合、 サンスクリット語(梵語)でもパーリ語でも、全く同じですーの意味を見なくてはなりません。

▲「アーガマ」(agama)は「アー」と「ガマ」とからできたことばです。「アー」は、「まで、から、こちらへ」を意味する接頭語で、 それに「いく」を意味する動詞語根「ガム」(gam)がつき、 「こちらへくる」「近づく」を意味する形容詞「アーガマ」となったものです。 男性名詞として使われるときに、「伝承」を意味するのはこのためですが、インドでは、人類の「伝承されてきたった叡智」ということで「学問」を意味することもあります。 ですから、インドではこの言葉は決して、難解な、言葉ではなかったことが分かります。 要するに、「阿含」とは、古来の伝承のことであり、「阿含経」とは「伝承されてきた経典」のことだとお考えになっていいわけです。

▲次に問題になるのは、では、「阿含」すなわち「伝承」というとき、何を、どう伝承したというのでしょうか。 こういう場合、特別に主語や目的語が使われていなければ、 それは「仏」「仏陀」「釈尊」が意味されていると考えてまず間違いありません。

▲ですから、「阿含経」とは、釈尊の教えを今日に伝える直伝の経典ということになります。こう申しあげるともうお分かりのとおり、 「阿含経」は一つの経典ではありません。たくさんの阿含経典があるわけで、正直には、「阿含経典群」といったほうがよいかもしれません。
その点では「阿含経」を「般若心経」とか「法華経」とかいう一つの経典とおなじように使うことは間違いであるということを、この際知っていただきたいと存じます。 言葉を換えていえば、「阿含経」は固有名詞ではなく、集合名詞ということになります。
「般若経」にたくさんの「般若経」ーーたとえば「般若心経「金剛般若経」「般若理趣経」「大般若経」などーーがあり、さらに、経典全体の総称として、 「一切経」とか「大蔵経」とかいうのと同じ呼び方といえましょう。要するにただの「阿含経」というお経は一つもないわけです。

◆[阿含経]の内容
▲「阿含(アーガマ)とは、「伝承」「つたえること」であります。何を伝えるのかが次の問題です。 まず一つは釈尊のご生涯を、その前の世も、今の世も、 来世も含めてお話しするのが目的と申しましょう。

▲次の一つは、釈尊のお教えです。釈尊のご一生は、お悟りをひらかれるまでが三十五年間、お悟りをひらいてから、八十歳で入寂(にゅうじゃく)されるまでの四十五年間、 一日も休まれることなく、 説法に継ぐ説法の旅でした。この間になされた説法の数はほとんど無数といってよろしいでしょう。これらのお説のうち、 幸運にも弟子たちによって記しとどめられて今日に及んだものが、 今われわれの読誦する「阿含経」となったわけです。

▲したがって、「阿含経」は一つの内容や題名で収まりきるものではありません。前の世について書かれた物語は「前生譚」(ジャータカ)五百四十七話となって、 パーリ語で今日に伝えられております。 パーリ語小部経典(クッダカ・ニカーヤ)中に収められているのがそれで、漢訳では「本縁部」に、 似た話、同じ話のいくつかが収められております。また、釈尊の、 この與におけるご行状は「仏の伝記」すなわち「仏伝」ですが、「阿含経」の中でも、 全編、あるいは一部、仏伝を述べている経典はたくさんあります。 以下で私が読者とともに呼んでいく「大般涅槃経」(マハ−・パリニッパーナ・スッタンタ)などはその代表で、 漢訳やサンスクリット語でのこされているものも無数にあります。

▲このような「仏伝」は、その話の経過で、釈尊の前の世について触れるとともに、滅後、すなわち死後について触れているものも決して少なくありません。 これら、 死後の仏についての省察が、のちに「不滅の仏」「死を越えた仏」「法(真実)を具現化した仏」(法身仏、ほっしんぶつ)などの信仰や思想を生むこととなるのですから、 これもまたきわめて重要な「阿含経」の内容といわなければなりません。これら「三世に亘っての仏の伝記」が、 「阿含経」の半分といってよろしいかと存じます。では、もう一つは何でしょうか。

それが、教理、説法です。
▲今も申しましたとおり、釈尊一生の半分以上、四十五年間も説法が続きました。当然、いろいろな角度からさまざまな説法がなされ、 教理というべき、特色ある説き方もなされました。
これが大勢の弟子たちによって、受けとめられ、承け継がれ、 のちの「小乗仏教」の人たちのさまざまな「部派」にもなったわけですし、ひいては「大乗仏教」の「宗派」のもとにもなりました。
その種子がすでに釈尊の説法の中に胚胎していたわけです。少しのちの経典(「維摩経」)にでてくる言葉でありますが「対機説法、一音説法」ということを申します。

▲「対機説法」というのは、さまざまな人(これを機と申します)に対って、仏法を説明(説法)するのは、それぞれの人に向くそれぞれの話し方をしなければならない、 その態度、やり方を申します。こうゆう仏さまの説法のやり方は一般にもよく知られており、別な表現でも残っております。
「応病与薬」というのもその一例です。人間のもつさまざまな悩みや煩悩は、いわば心の病です。心の病を癒す仏の説法は薬と申せましょう。このところをとって、 釈尊のことを、仏典ではしばしば「医王」と申しました。のちの「薬師如来」と呼ばれる仏は、釈尊のもつこの性格を拡大したものであることは間違いありません。
さらに日本でも、相手を見てものをいえ、ということを「人を見て法を説け」とももうします。これなども、人は千差万別なのだから、 対応もそのとおりだということをいっているのです。 「人の心をみること、おのれの心を見るごとき」仏が、その人そのひとにむいた説法のできないはずがありません。
このように、阿含経の主要部を占める釈尊の「説法」は誠に多様になっております。私が、読者のみなさんと一緒に見ていく「阿含経」の内容は、 仏の「説法」そのものなのです。 ……15『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

輪廻転生
▲インド思想のどこにいちばん興味をひかれるかをヨーロッパ人に尋ねますと、
十中八九の人が「カルマ(業)」の思想と「サンサーラ(輪廻)とこたえるのには驚いたと、ある学者は語っておられます。……中略18……三井光弥著、「独逸文学に於ける仏陀及び仏教」(昭和十年第一書房)……

▲今ここで、この本の内容はもちろん、あらすじすらも紹介する余裕のないことは残念です。しかし、 この本が今インド人の特色として挙げた「業」「輪廻転生」の思想について、 重要な示唆を与えてくれることは確かで、 それだけを次に紹介しておきましょう。

▲仏教はある時期にドイツに入って、ドイツ文学に大きな影響を与えました。この場合、ドイツ人の知った釈尊と、 仏教思想の特色は、「仏教文学」と「輪廻文学」の中によく見ることができます。
この本は五章で成り立っておりますが、第三章と第四章が、右の「仏伝文学」と「輪廻文学」ですから、この二つがこの本の中心となっております。 そのほかは、 序章あるいは結語という感じがいたします。このことだけ見ても、
インド人から「業」と「輪廻」をとり去ったらインド人ではなくなるということがいえそうです。
釈尊の出生そのものが、じつはこの二つの考え方を抜きにしては考えられないのです。……18『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

釈尊の「合理的仏教」
▲順序は前後しますが、南方仏教研究の人たちは釈尊の仏教研究を主としたのに対し、北方の仏教研究の人たちははるか後世の大乗仏教を中心としました。 この理解において、 非常に不思議なことですが、南方仏教研究のグループは釈尊の教理というものを、私がずっと述べてきたような、 啓蒙主義的雰囲気において理解していたふしがあります。 彼らはいずれも、釈尊の仏教というのは、 キリストの宗教のようにワンダーとかミラクルのような不可思議なものを含まない、非常にすっきりとした合理主義的なものとかんがえ、 それによって釈尊の生涯と教理を再構成したようにみえます。

▲今、述べたリス・デーヴィッズやオルデンベルヒの釈尊の伝記、とくにオルデンベルヒが「その生涯と思想」という古典的名著において記した釈尊の思想は、 主としてこういう合理主義的理解の傾向が顕著なものといわなければなりません。このため、 釈尊の宗教はまずキリスト教とは異なる非常に合理的な宗教としてうつりました。 これは、オルデンベルヒが強調してやまなかった人間的要素を極端にまで高め、 そこからでてくる悩み、合理的解釈という点では、 哲学者釈尊という面目が新たなものでした。 ……201『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲大きくいって、日本の宗教学者、あるいは原始仏教学者の間では、こういう、釈尊理解が主流であったといって差し支えないと思います。 釈尊の宗教のかかるヨーロッパ的理解を日本に搬入した最初の人は、何といっても姉崎正治博士であったと思われますが、姉崎正治博士の名著「現身仏と法身仏」は釈尊の不滅性を論じつつ、 現身仏(肉体をもって現れた釈尊)という理解については、そこに人間釈尊としての悩み、その思想的克服という理解の仕方が顕著にうかがえます。……202……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲こういう理解の上にたった釈尊の理解は、日本に非常に熱烈な支持者(エピゴーネン)を生んだといえます。とくに京都の学風が大乗仏教の存在に早くから注目していたのに対し、 東京大学はある時期までは、原始仏教オンパレードという感じがあり、事実、画期的にすぐれた学者たちを生みながらも、基本的には釈尊の理解について、 原始仏教において生じたさまざまな迷信的要素を釈尊はもっていなかった、迷信的要素は後世の伝説や付加である、という理解が主であったようです。

▲今日、いまだにわれわれにとって大きな影響力をふるっている、釈尊の伝記や阿含経の解説は、だいたいこの線にそったものと考えてよいように思われます。 ……202……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

◆二つの仏教という理解
▲もしこの理解を許すとすれば、われわれの前には仏教は二つあったということになります。その一つは合理的な原始仏教であり、もう一つは非合理的な大乗仏教ということになります。 この図式を支配しているのはきわめて単純なもので、後世ほど悪い、あるいは古いものほどよいということです。 ※古いものほど純粋であり、新しいものほど不純であるという理解があります。 その純、不純のきめ手は俗信の採択、不可思議の容認ということになると思います。これで考えると、大乗仏教もはるか後期になった最後の大乗仏教、 みずから金剛大乗(ヴァジュラ・マハーヤーナ)と称した密教などは、さだめて迷信の巣ということになります、事実、初期の密教研究者はほとんど密教=迷信という理解であったといって差し支えないと思います。 今日でも、中国共産党でだした図書分類目録などでは、「迷信・宗教」という一項目において宗教書をあつかっています。……203『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

※それでは、迷信とはどのようなものをいうのでしょうか。信仰の方向が過っているものを迷信というのでしょうが、 その正邪の判断はきわめて主観的なものとなります。 今日では、良心的宗教学者は迷信という言葉をもちいず、 その信ずる態度が狂的であるかどうかということで、狂信という言葉を使います。
……204『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲仏教の歴史は、他の宗教の歴史に比べて、狂的な要素はきわめてすくないといわなければなりません。とすれば、仏教の世界で正・狂あるいは正・迷というのは、 学問的にはほとんど不可能ということになります。そうなれば、人間の心のうち、理性的な部分を扱っている度合いが高ければ高いほどその宗教は純粋であり、情緒や意志に関連するものがあるとすれば、 それは正信を離れるという評価になると思います。……204『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲しかし、ひるがえってここで考えれば、いったい徹頭徹尾、合理的で理性のみを扱うという宗教がありましょうか。私は、もしもこのような心の営みを宗教と称したとすれば、 それは言葉の乱用以外のなにものでもなく、宗教とは人間の知情意すべてについて、公平な配慮を行うような営みであろうと考えます。……204『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

大乗経典の展開する世界
▲大乗仏教に入れば、確かに人間の心の不思議なはたらきについて、縦横な考察を入れて叙述を展開します。
たとえば、わが國の仏教の伝来の当初において、 聖徳太子によって三つの重要な経典(三経)の一つに選ばれて、聖徳太子がみずから注釈を書かれたという「維摩経(ゆいまきょう)」にしても、 その展開ははじめから終わりまで不可思議に満ちています。……202……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲昼が近づいたときに、昼飯の心配をする舎利弗に対して、維摩居士は、「汝は、病の慰問にきたのか、それとも昼飯の心配にきたのか」と叱責し、 舎利弗がそれに対して恐縮の意を表しますと、三万二千の弁当がとんできたと伝えられます。……202……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲さらに、大勢の人が維摩居士の見舞いにきたとき、舎利弗が座席のないことを心配していることを察した維摩居士は、 文字通り一丈四方(方丈の庵室)にいたのですが「汝は病気の見舞いにきたのか、座席の心配にきたのか」と叱責すると、 東方から三万二千の高広(高くて広い)な椅子がとんできて、すべての人がこれにおさまることができたと記されています。……202……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲われわれはこのことをもって、宗教にとっていちばん必要なのは心であり、信心であって、それに必要な場所は、その信心が確立すれば随伴してしつらえられるものである、 と理解する一つのメタフォーゼ(比喩)をとっています。……203……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

◆東欧学派と西欧学派

◆サンスクリット語仏教とバーリ語仏教

◆原始仏教=仏教…
…211……
▲このため、一時の日本では、大乗非仏説と、それに加えて政治的な廃仏毀釈の空気が、学問的に阿含仏教研究、根本仏教研究にあずけられた感があり、東京帝国大学をはじめとして、 近代的なインド学を目指すほとんどすべてのところでは、「原始仏教研究にあらずんば、人にあらず」という空気が生まれたのです。この空気の下で、阿含仏教をふりかえるとき、 西洋人が組み上げた釈尊の理論仏教は、まさにぴったり彼らの要求とわれら日本人の要求に合致し、宗派仏教の打破に仮借ない力をふるったものと考えられます。

▲しかし、年移り、星かわって、今、われわれが仏教の全資料を一望の下にできる時期に考えれば、阿含仏教も仏教中の一資料であります、とくにパーリ語で書かれた、 いわゆるパーリ語仏教、 ニカーヤの仏教というものも、必ずしも仏教の全部をおおったものでもなければ、 さらに最も古い部分を代表するものでもありません。……211……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

◆宗教の入口は理性ではない
▲本書ですでに随所においてみてきたように、原始仏教、大乗仏教、密教をとわずおよそ仏教が世にある限り、理性だけをもって終始する仏教は存在し得なかったというのが、 私がこの本でお話ししたかった結論の一つです。われわれの周囲で、はたしてどれだけの人が理解した上で仏教徒になっているのでしょう。あるいは書物を読んだ上で仏教徒となったのでしょうか。 あるいは説得され論破され仏教徒となったのでしょうか。……213……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲私が知る限り、ほとんどすべての仏教徒はそのような理性を媒介とする仏教徒ではありません。私自身を例にとるのは恐縮ですが、 私自身が知悉している最も身近な仏教徒の一例として私を擧げることをお許しいただければ、仏教徒というのは宿命であろうと感じます。寺で生まれ寺で育った私は、 仏教徒となったのではなく仏教徒として生まれたのです。物心のつかないときから、最初にいわれたのはご飯の前に手を合わせるということでした。 手を合わせることを怠ったときは、 容赦なく親のげんこつや平手がとんできて手や顔をたたかれました。そのようにしてわれわれは食前の合掌ということを覚えます。 のちに私がある仲間にこれを話したところ、 その人は宗教は本能か習慣であるという批評をしました。私はそれにたいして、「そうではない。習慣や本能ではない」と反論しました。 「なぜだ」とたずねるので、 「私の中に意識や自覚が生まれたあとでもその合掌は継続している、習慣や本能ならば意識しては行わない」といったことがあります。 私自身にとってはまさにそうであって、 体で覚えた合掌をのちに仏典を読むようになって反省し咀嚼したのですが、当然経典による裏付けを得ることができたのです。

▲しかし、本来は体で覚えたのが仏教です。その他のおよそいかなることでも、私の場合は体が先に仏教に近づき、理性はそのあとから追っかけていったといって間違いないと思います。 私だけの例では不公平であり不十分であるので、例を他に求めれば、たとえば新しい宗教団体の信者さんのほとんどは自覚された仏教徒であるといっていいと思います。 いわゆる個人的宗教が日本で見られるとすれば、 それは新仏教の信者であるといってよいと思います。家の代々の宗旨は曹洞宗、浄土真宗である場合でも、 自覚して立正佼成会や創価学会の信者になった方をわれわれの周囲にいくらでも見いだすことができます。……214……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲これは確かに自覚された個人の宗教といえます。しかし本当の意味での個人的宗教であるかというと、そこにはまだ問題が多く残っています。
その一つはこれらの自覚された宗教もまた、 祖先崇拝という家の宗教の一面を強くもっていることです。立正佼成会でいえば、信者になったということは、立正佼成会の戒名(総戒名)をもち、 総戒名をもつ仏壇をしつらえて従前の仏壇の代わりに家にもちこむこと(祀りこみ)によって始まります。こうして立正佼成会の信者となった人は、それからのち、 自分の家、妻女の家、それぞれの家の祖先を大切にし、それと合わせて個人の精神活動および社会活動に入っていくことを教えられます。……216……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲このような宗教は個人の転機を媒介としつつも、家の宗教という性格を決して失っていません。
失っていないどころか、従前の菩提寺の宗教よりもさらに祖先崇拝の面が強いといってよいと思います。新興宗教のもつこのような家族崇拝的、祖先崇拝的な家の宗教の側面は、 日本の新宗教のもつ一つの大きな特色として忘れることができないと、私はかねがね思っています。
将来、家の宗教がどんな変貌をきたすかということは大きな問題として残ると思いますが、 日本の社会構造やそれに伴う意識構造が根本的にひっくりかえらない限り、日本の諸宗教はおそらく個人的なコンヴァージョン(回心)をしつつも、家の宗教を継続し、 再評価しながら生き残ると考えます。
これをもってみても、宗教が完全に個人的動機だけで動く、あるいは理性的動機だけで動くというのははなはだ理解しがたい現象であるといわなければなりません。 進んでその個人的回心の動機をみても、唯物論の限界に苦しんだとか、無神論では自分を救えないとか、 そのように高度につめた宗教的動機をみることはむしろ難しいようです。……216……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

『阿含経』

日本の「小乗仏教」
▲……250……まず、宗派としても、中国にも日本にも、小乗系統の宗派はたくさん伝えられてきております。中国では、昔からの主な宗派を十三数えあげ、これを「十三宗」と申します。次ぎがそれですが、そのうち、最初の三つは「小乗」です。 毘曇宗・成実宗・律宗・三論宗・涅槃宗・地論宗・浄土宗・禅宗・摂論宗・天台宗・華厳宗・法相宗・真言宗 これが中国の十三宗ですが、それを受けた日本の十三宗は次のとおりで、この中には「小乗宗」は一つもありません。おもしろい違いを見せています。 華厳宗・天台宗・真言宗・法相宗・律宗・浄土宗・臨済宗・曹洞宗・黄檗宗・浄土真宗・日蓮宗・融通念仏宗・時宗 律宗が、なぜ日本では「小乗宗」なっていないかを不思議に思うお方があるかもしれません。しかし、いろいろな事情で、日本の律宗は「小乗宗」ではないのです。いや、 「小乗宗」でなくなったというほうが正しいのでしょう。……250『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

南都の六宗……252……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……
▲律宗・成実宗・倶舎宗  ー小乗仏教
 法相宗         ー権大乗(小乗と大乗の中間とみられた)
 三論宗・華厳集     ー大乗仏教……252……

◆大乗非仏説
▲これとは正反対に、大乗仏教は本当の仏教ではない、仏教ではない、という考え方も一方にはでてきているのですから注意しなくてはなりません。 この「大乗仏教は仏教に非ず」という考え方を「大乗非仏教説」ともうします。これは、わが國では、明治以後、西欧の学問が入ってきたとき、 仏教学にも従来の学問は真の学問に非ずということで怒濤の勢いで流入し、大乗仏教を基調とする日本仏教に大打撃を与えたものでした。今日も、仏教学の主流をなす観のある「原始仏教研究」も、 その基底には「大乗非仏説」の余韻がないとはいえません。……253……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

◆加上の説
富永仲基の学説は、その主著である「出定後語」二巻の中に述べられております。この本は、延享二年(1745)十一月、仲基三十一歳のときの作です。 これは、 一種の思想発達史観です。仏説は、釈尊金口の直説(釈尊ご自身のお口からでた、直説のご説法)から、順次歴史的に発展をかさね、前の説に後の説が加えられていくものだとする考え方です。
このことを「加上」または「相加上」というのであって、したがって、この「加上」されたぶぶんは、後世の添加物であって仏説ではない、とする見方となったわけでした。
こうゆう見方からすれば当然、 仏滅後五百年にしてようやく世にでた大乗仏教は、まさに「加上の新説」であって「非仏説」だとされます。
今日では、インドの仏教もまた、縦に見れば、歴史的に発達していったもので、ある時期にでた説が後には衰えたり滅んだりし、また逆に、ある時期に、ある新しい説がでてきたりすることは、 当然のこととして理解されておりますが、当時にあってはこれは破天荒なことでした。なぜなら、当時、すべての経典は釈尊自身の説法と考えられており、 歴史を追って順に成立したものとは考えられていなかったからです。当時のにほんのすべての宗派は、さきに見たように、大乗仏教の宗派であり、宗派の根拠としている、 いわゆる所依(しょえ)の経典はすべて大乗経典だったからです。これら大乗経典は、時代的には紀元後のものばかりで、釈尊滅後数百年経ったものばかりです。
しかも、その理解はなく、 大乗経典も釈尊の直説金口(じきでんきんく)であることは変わりなく、ただその説き方(説相せっそう)だけが違うのだという理解をもっていたわけですから、富永仲基のように、 大乗経典はいずれも後世、「加上」された「新説」だということになると、宗派の立脚点は妄説だということになってしまうのです。
日本仏教の諸宗の人びとが動顛し、 富永仲基を「邪人」とか「滔天(天まで溢れるほどの大悪)の大悪人」などと罵ったのも当然のことといわなくてはなりますまい。
……255……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

◆古説ほど新説
▲富永仲基の名を不滅のものとしたのは、今見たところの「加上の説」ですが、この見方は、科学的実証の結果というよりは、一つの歴史観、あるいは仮説、 さらにいえば方法論というのが適当でありましょう。「加上」というのは、さきにも申し上げましたように、従前からあった説の上に、時代が下って新しい説が加えられていくことをいうわけですが、 彼は、その加え方が、決して単純ではないことを指摘しております。一口でいえば、後世付け加えられた説は、決してみずからを「新しい説」「後世の説」とはいわない、というのであります。 自分の前にあった説よりも前にあったかのように自説を位置づけるのがふつうだというのであります。だから、この式でまいりますと、後世のものほど古いものであるようになるわけで、 最も古いかのような形をとっている経説は、じつは、最も新しい経説だということになります。これを「加上拗戻の説」(新しい説を古いかのように曲げもどしながらつけ加えていく)といっております。

▲二世紀ごろにできた初期の大乗経典である般若経典類や「法華経」は、たしかに、「阿含経」と同じように古い経典ぶってはおりますが、「阿含経」より古い、 とはその中でいっておりません、さらに「大日知経」は七世紀前半の成立とみられますが、般若諸経や「法華経」と古さを競っているようには見えません。逆に、正直に、 自分の前に成立した経典の名を一々擧げて、それを引用したり、あるいは攻撃したりしている例もあるのですから、 原則的に一まとめにして云々することは危険千万なことと言わなくてはなりません。……256……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

▲私は、富永仲基のこの仮説は、彼の意図とは逆に、「阿含経」に対する盲目的な信用を、一度覚ましてみる必要性をいっているととったほうがいいのではないかと考えております。今日、もっとも古い経典、釈尊の「直説金口」の仏法とかんがえられているのは、かかる「阿含諸経」あるいは「律蔵」のごとく、自他ともに最古の経典とせられているものに、まず指を屈するからです。つまり、「阿含経」は、古いといっていて古いものもあるし、古いといいながら新しいものもあるのです。

▲仲基は、自分では大乗経典は新しく、阿含経典は古いことをいおうとしたのでしたが、結果において、その意図とは逆に、 阿含経にも新しいもののある可能性をわれわれに教えてくれることとなりました。そして、 その後の進んだ経典研究の結果に従えば、事実は全くそのとおりだったのです。……256……『阿含経』…金岡秀友著 集英社……

【四諦八正道】

【四諦】したい
諦(satya)とは真理のこと、四つの真理で、苦諦くたい・集諦じったい・滅諦・道諦の総称、(四聖諦ししょうたい)ともいう。 釈尊が鹿野苑における最初の説法()初転法輪において説いたとされる、仏教の根本教説。(苦諦)は迷いの生存は苦であるという真理、 (集諦)は、欲望の尽きないことが苦を生起させているという真理。(滅諦)、欲望のなくなった状態が苦滅の理想の境地であるというしんり。 (道諦)は、苦滅にいたるためには八つの正しい修行方法(八正道)によらなければならないという真理。四諦の教えは、しばしば治病原理になぞらえられる。 すなわち、苦諦は病状を知ること、集諦は病因を知ること。滅諦は回復すべき健康状態のことであり、道諦は良薬であるとされる。「三宝四諦の声を聞けども是れ善なりとしらず、 殺害鞭打せつがい、 べんちゃうの声をも是れ悪なりと知らず」(十住心論1)「比丘、また十二因縁の法・四諦の法門を説きて聞かしめつ」(今昔3ー25)→八正道。【岩波仏教辞典】p360

◆【八正道】
八つの支分からなる聖なる道の意。苦の滅に導く八つの正しい実践徳目。(八聖道)(八支道)ともいう。1:正見(正しい見解)、2:正思(正しい思惟)、3:正語(正しい言葉)、 4:正業(正しい行い)、5:正命(正しい生活)、6:正精進(正しい努力)、7:正念(正しい心の落ち着き)、8:正定(正しい精神統一)の八つをいう。 釈迦の最初の説法(初転法輪)において説かれたと伝えられる。四諦の教えにおいては道諦の内容を構成する。 また、苦楽の二辺(いたずらな苦行と欲楽にふけるという二つの極端)を離れた中道の具体的実践方法としても説かれる。三十七道品の構成要素でもある。 「風すこしうち吹けば、御念仏の声に響きて、池の浪も五根五力・七菩提分・八正道を述べ説くと聞こゆ」(栄花玉の台)【岩波仏教辞典】p360

【大乗】
大きな(mahat, 複合語においては maha-)乗り物(yana)の意で、小乗(hinayana)に対する語、仏教の修行者は、声聞しょうもん(仏弟子、僧院に集団生活をする出家)、独覚どっかく(1人で山野において縁起をさとり、人に教えをとくことなく出家。縁覚ともいう)、菩薩(仏陀になることをめざす在家および出家の修行者)の3種に分けられたが、自利に専心する前2者の教えを小乗、利他に励む菩薩の道を大乗という。大乗とは、あらゆる衆生を乗せてさとりに導く大きな乗り物(教え)のことである。(大乗経典)の略語として用いることも少なくない。「其れ大乗の教法は真実の理なり。諸々の仏此れを讃め給ふ。諸々の聖衆また此れを尊ぶ」〈今昔4ー25〉「仏を造り、 大乗を写し改め、懃ねんごろに善因を修するなり」〈霊異記下38〉【岩波仏教辞典】p536

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