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WB01219_.gif (740 バイト)岐阜ところどころ(top) (home)

*ここでは岐阜のあちらこちらをご紹介します。是非一度岐阜へお出かけください。

   WB01268_.gif (427 バイト)     WB01268_.gif (427 バイト)

   目次(各項目をクリックしてください。)

松尾池UP)

岐阜城

岐阜大仏

天満神社

*谷汲山華厳寺

岐阜県立図書館(岐阜市橋)

三田洞弘法(岐阜市三田洞)

一夜城(岐阜県墨俣町)

*長良橋

御手洗池

伊奈波神社

鏡島弘法

長良公園

岐阜県立美術館

小紅(おべに)の渡し

西方寺

長良川

森田草平生家跡

岐阜公園

* 柳ヶ瀬

伊自良湖

加納城

 

 WB01293_.gif (679 バイト)   岐阜大仏(岐阜市梶川町)

    gifu0028.jpg (26641 バイト)JR岐阜駅北口から岐阜バスで神田町通りを北進、長良橋の手前の岐阜公園前で下車。バス停の傍には岐阜市歴史博物館があるが、それを左に見ながら南に少し戻ると、右前方に古ぼけた赤い柱で、白壁の見上げるような高い建物が目に入る。それが岐阜大仏殿である。正面入り口は、大仏殿の北川の小道を西に入ると左にある。
拝観料150円を払って中へ入ると薄暗い中に見上げるほどの高さの大仏が鎮座している。奈良東大寺の大仏、鎌倉の大仏についで3番目の大きさで日本の三大仏といわれている。建造されたのは江戸時代初期で、当時岐阜地方は、水害、地震等相次ぐ天災に住民たちの不安が募った。そのため予期の住職が大仏建立を企てたが存命中には完成せず、次の代の住職が完成させた。完成まで凡そ38年を要したという。大仏の回りのひな壇には、五百羅漢の仏が並んでいる。
大仏の像高、13.6メートル。周囲1.8メートルの大銀杏を真柱とし、骨格は木材、外部は竹材。粘土を塗り、一切経、阿弥陀経、法華経、観音経などを張り、園上に漆を施し、金箔を置いた。                            岐阜大仏殿
 大仏殿は、金華山の麓に在り、近くには斎藤一族の寺もある。

 

 WB01293_.gif (679 バイト)   天満神社岐阜市加納桜道)

 

gifu28.jpg (35692 バイト)JR岐阜駅南口から南東へ五風も歩かないうちに、清水川に出る。幅10メートルくらいの小さな川だが、近年、この川を、市民の憩いの川とする計画が実施され、昔はどぶ川に等しかった川がみるみるるきれいになった。地元の人たちも蛍を呼ぼうと、蛍の幼虫を放したり、一生懸命だ。その清水川に沿って暫く歩くと、岐阜南税務署がある。その税務署の裏手にこの天満神社はあるのだが、これは、裏口である。正面入り口の鳥居のあるほうは、中仙道に面し、往時は旅人の疲れた心を癒した。期せずして昨年は中仙道400年で多彩な行事も催され、中仙道の宿場町でもあるこの加納宿も注目をあびた。
天満神社は、今からおよそ400年前の創建で、全国の天満宮と同じく、学問の神様である菅原道真が祭ってある。地元では天神様と慕われ、受験シーズンのこの時期、境内の一角に設けられた棚には、大学や高校の合格祈願の絵馬が数多くぶら下げてある。春には祭り、夏には、禊や、提灯行列といった行事が催され、地元の子供たちの楽しみでもある。沿道には夜店が並び、昔ながらの風情を楽しむことができる。また、境内には、加納の名産でもあった、和傘や扇の記念碑があり、昔をしのばせる。
 現在、本殿は新しく再建されつつある。この辺りも戦争で焼け野原となり、天満神社もその戦火を免れることは出来なかった。(030217)


            
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WB01293_.gif (679 バイト)谷汲山華厳寺(岐阜県谷汲村)
 

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 岐阜市中心部から西へ車でおよそ30分、本巣郡谷汲村にある。つい最近までは、電車で行くことが出来たが、今はその電車も廃線となり、バスが通っている。しかし、殆どの観光客は車や観光バスを連ねて来る。春は櫻、秋はもみじが美しく、年中参拝客や観光客で賑わう。沿道には土産物屋が約500メートルに渡って続く。こうした土産物屋を覗いて歩くだけでも楽しい。
 華厳寺は西国霊場33箇所の最後の33番満願霊場として知られ、1200年の歴史を持つ由緒ある寺である。本尊の11面観音像、不動王、毘沙門天など文化財も多い。
また、近くにはもみじで有名な横蔵寺もある。
  (旅のアルバム2「横蔵寺」を見てください。)

                           谷汲村商工会へアクセスできます。クリックしてください

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WB01293_.gif (679 バイト)岐阜県立図書館(岐阜市市橋)

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JR岐阜駅北口から、市営バスで市橋行きに乗る。バスは駅から西へ暫く走ると、旧の西陸橋の広い道路へ出る。今は、高架になっている東海道線の下をくぐり信号を右へ曲がれば、市橋へと通じる道路だ。
  県立美術館前の停留所でバスを降りる。県立図書館は美術館と隣り合わせにある。「文化の森」と名づけられたこの一帯には約2万本の木が植えらている。   美術館の脇の欅の道をサンピアを右に見ながら、東に行けば図書館である。広さ約22074平方メートル、地下1階、地上2階建ての建物である。平成7年に開館、収蔵能力は開架20万冊、閉架90万冊で、開館時の蔵書は約55万冊、資料約1万点、地図類約7万点である。特に2階にある世界分布図センターには各種の世界の地図類があり、人気を博している。
 読みたい本は自由に書棚から取り出して読むことができる。勿論、貸し出しもしている。広い館内は連日書に親しむ人々で賑わっている。地下には広い駐車場もあり、県外からの人も訪れている。

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WB01293_.gif (679 バイト)三田洞弘法(岐阜市三田洞)

gifu0025.jpg (32971 バイト)岐阜駅JR岐阜駅北口から、岐阜バスで高富行きバスに乗る。バスは、岐阜市のメイン通り、神田町通りを北へと行く。柳ヶ瀬を左に見つつ、市役所の前を通り、金華山を正面に見つつ長良橋を越える。バスは相変わらず北へ。町並みが寂しくなりかける頃、三田洞弘法前のバス停に着く。そこを標識に従って暫く山のほうへ歩くと三田洞弘法への参道がある。
宗派は高野山真言宗で正式名称は、霊鷺山法華時である。816年弘法大師が創建。1623年再建されている境内は、庭を主にした作りで、本堂は池を渡リ,階段を上ったところにある。池には蓮の花が咲き(「岐阜に咲く花」を御覧下さい)、大きな鯉が泳ぐ。春は皐月、秋はもみじの紅葉が楽しめる。境内には弘法大師が植えたという菩提樹があり、天然記念物となっている。

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WB01293_.gif (679 バイト)一夜城(岐阜県墨俣町)

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 戦国時代、信長は、当時足軽にすぎなかった秀吉に、長良川のほとりにあるここ墨俣の地に城を作ることを命じた。城と言っても、周りを丸太で囲んだ簡単な要塞に過ぎなかったが、何とか美濃を制圧しようという信長の野望に応え秀吉は、一夜のうちに城の基礎を築いたと言われる。
  岐阜市の中心部から、大垣へ通じる国道21号線を西へ、長良川に架かる穂積大橋を渡り、堤防道路を南へ行くと、十分ほどで一夜城に着く。最近、町が数億円をかけて城を復元したが、秀吉の建てた城とは、似ても似つかないものだけに、住民から非難ごうごうであった。城の傍を犀川が流れ、その川には城に通じる出世橋が架けられている。そういえば、秀吉は此れ以後、とんとん拍子に出世を重ね、天下人になった。この城の右側に長良川が流れている。  春は、堤防に咲く桜が美しい。

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WB01293_.gif (679 バイト)長良橋

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 長良川は岐阜市の北部を東西にゆったりと流れ、南方へと下る。長良橋は金華山の麓に架かり、この橋の上からは鵜飼や、夏の夜空を彩る花火を見ることもできる。また、長良橋を渡り、川沿いのホテル街からは、金華山を背景に素晴らしい景色を眺めることが出来る。ここに橋が架けられたのは明治7年のことであった。初めての橋は木造で、しかもすべて向こう岸まで橋が架かっていたわけではない。途中までは木橋でそれかから先は船橋、つまり船をつないで橋としていたのである。明治7年に作られたこの橋を、当時は明七橋と呼んでいたことは面白い。その後、完全に北岸まで橋がつながったのは明治17年のことであった。このとき以降明治33年までは通行料が取られていた。そののち2度3度と作り変えられ現在に至っている。岐阜市の北、高富町とを結ぶこの橋の重要性は今も昔も変わらない。つい10年ほど前までは路面電車がこの橋の上を走っていたが,今はその姿はもう見られない。(写真右は岐阜城のある金華山・左側はホテルが並ぶ。)(top)

WB01293_.gif (679 バイト)鏡島弘法                                   

 gifu0003.jpg (13286 バイト)JR西岐阜駅から北に向かっておよそ 20分ほど歩くと、車が行き交う大通りに出る。信号を渡ってさらにしばらく歩くと旧中山道にぶつかる。その中仙道沿いに、鏡島弘法〔瑞甲山・乙津寺(梅寺)〕がある。歴史は古く、行基菩薩が天平十年(七三八年)、草庵を開創して、自ら十一面千手観音像を彫刻して安置せられたときに始まる。その後、弘法大使が当地に滞在、寺を乙津寺と名づけ、七堂伽藍塔等、多数を造営した。別名梅寺と言うのは、弘法大師が地面に挿した杖が梅の木となり、枝葉が出たという話に由来している、先の戦争で境内の本堂、庫裡、宝庫等を焼失した。境内には四国八十八寺の霊場の地蔵が並べられ、その一つ一つに手を合わせる地元の人々の姿が見られる。今は、「鏡島の弘法様として慕われ、毎月二十一日、参道は縁日で賑わう。「加賀しまはこと木も香う梅の寺」(宗祇)(top)

WB01293_.gif (679 バイト)長良公園

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金華山を背に長良橋を北へ渡ると東へ折れる道がある。長良川河畔を、左に旅館やホテルを見ながらしばらく行くと、岐阜グランドホテルの前に出る。そのホテルの裏手に、長良公園がある。岐阜大学の跡地を公園にしたもので、「花と軽スポーツを楽しむことができる公園」として、市民ばかりでなく、近郊の人々の心を潤している。特に、広い芝生は、家族連れの絶好の遊び場所となり、天気の良い日は、ボール遊びや、バドミントンなどに興ずる姿が絶えない。木陰では、弁当を広げて話に夢中になるお年よりのグループもある。年間を通して、花が咲き、特に春の花壇は美しく、思わずカメラを向けたくなる。花々の間の道を歩いていると、子供の時に覚えた歌が、口をついて出てくる。およそ二十万株の花が植えられ、美しく手入れされている。花の咲き乱れる春が待ち遠しい。・写真は長良公園(背景の山は金華山)(top)

 

WB01293_.gif (679 バイト)岐阜県立美術館 

gifu0004.jpg (12076 バイト) JR岐阜駅北口広場から岐阜市営バスで市橋行きに乗り、県立美術館前で下車。敷地約3000坪、白い1階建ての建物が周囲の木々に見え隠れする。ゆったりとした西洋風の庭には芝が植えられ、近所の主婦が子供連れで日向ぼっこを楽しむ。美術館入口の池の真中にはマイヨール、庭の南の方にはルノアールの彫刻が置かれている。この美術館は、フランス象徴主義の画家ルドンの作品をおよそ200点所蔵している。また、ハイビジョンシアターで世界の名画を鑑賞することも出来る。名画を見て、美術館の中のキャフェでコーヒーを飲みながら過ごす時間は格別である。私の大好きな場所でもある。美術館の敷地の中への出入りは自由(無料)である。(写真は美術館入口のマイヨールの彫刻)(top)

WB01293_.gif (679 バイト)小紅(おべに)の渡し

gifu0006.jpg (26431 バイト)JR西岐阜駅を降りて,北へおよそ30分歩けば旧中仙道。中仙道を越えて鏡島弘法の入口を右に見ながら歩くと、長良川の土手にぶつかる。その土手を下り、雑草が生い茂る中を川原に出ると、船着場がある。看板が出ているわけでもない。そこから対岸の土手に建っている小屋に向かって手を振ると、小屋の中から船頭さんが出てきてこちらへ舟を漕いで来てくれる。その船に乗ること約10分、水上から眺める景色はすばらしい。江戸の昔にタイムスリップした感じで、しばし、雑念を払拭することができる。川面を渡る風も涼しい。(top)

WB01294_.gif (685 バイト)西方寺

 gifu0007.jpg (15103 バイト)JR岐阜駅南口から駅前の大通りを南へ、徒歩およそ10分。新本町通りとの交差点を右に曲がるとすぐに西方寺がある。門前に西方寺と彫られた門柱がなければ通り過ぎてしまうような目立たぬ寺である。大正12年、まだ東京帝国大学の学生だった川端康成は、東京本郷のカフェの店員だった「ちいちゃん」こと伊藤初代が一時身を寄せていたこの寺を訪ねた。康成は彼女を伴って、長良川の川辺を散歩した。そして初代に求婚し婚約を交わすことになる。しかし、結婚は果たせなかったものの、当時の岐阜の街の様子や、横顔が美しかったという「ちいちゃん」は康成の青春時代の思い出として何時までも小説「かがり火」の中で語り継がれていくことだろう。(top)

WB01294_.gif (685 バイト)長良川

gifu008.jpg (18562 バイト)JR岐阜駅北口(正面口)から岐阜バスで長良北町行きか、岐阜大学行き(鷺山経由)に乗る。バスは岐阜市で一番繁華な通りを北へ向かう。約20分。長良橋で下車。降りると金華山の脇をゆっくりと流れる長良川に出る。広い川幅にまず驚かされる。石ころの川原には水遊びをする家族連れの姿が見られる。少し上流に上ると、若者たちが水上スキーで水しぶきをあげる。今は鵜飼のシーズン。毎夜、かがり火を焚いた鵜舟が観光客を幽玄な世界へと誘う。また、8月4日、長良川花火大会が催され岐阜市近辺からの十数万人の人で賑わう。岐阜県の北部、高鷲村を源とし南の伊勢湾まで、約170kmを、いくつかの歴史上の争いも「我関せず」とばかりに今日も流れる。長良川河口堰であまりにも有名になった。(top)

WB01294_.gif (685 バイト)森田草平生家跡

  gifu0090.jpg (6717 バイト)岐阜市北部の大きなショッピングセンターマーサ21の交差点を東に曲がって、左側の歩道をしばらく歩くと、小さなすし屋があり、その向こうの小道を左に曲がって、約百メートルほど歩くと、広くもない生家跡に、こじんまりと、ひっそりと森田草平の文学碑が建っている。明治十四年三月ここに生まれる。明治の文豪夏目漱石の門下生として文壇で活躍、明治三十九年十月二十日の漱石から草平(当時は白楊と名乗っていた)に宛てた手紙に「君のいつもよこす手紙は愚痴っぽいところがあったが…・。」とある。また、ちょうどこの頃彼は、平塚らいてうとの恋に夢中になり、塩原事件を起こしている。晩年は長野に住み昭和二十四年、六十八才で没。「稲葉の山(金華山)はここから見てもやはり美しい…・。」故郷を偲んで書いた小説「輪廻」の一部である。(top)

 

WB01294_.gif (685 バイト)岐阜公園

 gifu0010.jpg (5540 バイト)岐阜駅前からバスで北へおよそ20分、金華山の麓にある。すぐ近くを長良川がゆったりと流れる。一帯は千畳敷きと呼ばれ、斎藤道三、織田信長の居館や家臣たちの屋敷があったところである。園内には有名な名和昆虫博物館があり、世界の昆虫標本が展示してある。また、岐阜歴史博物館には県内の歴史上の遺物が陳列され、県内はもとより、県外からの観光客も訪れている。ロープウエイで金華山の頂上へも上ることができる。「板垣死すとも自由は死なず」という有名な言葉を残した明治の自由民権運動を行った板垣退助の銅像もある。最近園内を大改造し、滝が落ちるきれいな池も作られた。高い木が生い茂り、広くもない公園は、1年を通じて市民の憩いの場でもある。写真は板垣退助像(010908)(top)

 

 

 

WB01294_.gif (685 バイト)柳ヶ瀬

gifu0011.jpg (10731 バイト)年末ともなると全国何所の歓楽街も酔客で賑わう。岐阜柳ヶ瀬もその例に漏れない。JR岐阜駅前からの市営バス、または岐阜バスで約10分くらいの所にあり、岐阜では唯一の繁華街である。映画館、デパート、商店さらにはバー、スナックが軒を連ねている。
柳ヶ瀬が全国にその名を知られるようになったのは、昭和41年に美川憲一によって歌われた演歌「柳ヶ瀬ブルース」のおかげである。それは全国的にヒットし柳ヶ瀬が何所にあるかを知らない人までが「柳ヶ瀬…・・」を歌った。アーケードの路面に「柳ヶ瀬ブルース」の記念のレリーフが埋め込まれている。

  昭和35年にアーケードが設置され、その後アーチはイタリアのミラノの商店街のそれに似せて作り返られた。今では、郊外の大規模なスーパーに客を取られ、往年の賑わいはない。昨年、長く続いたデパートが柳ヶ瀬から姿を消した。写真は、アーケード街に埋め込まれた美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」の歌詞。向こうにベルリンマラソンで活躍した高橋尚子選手を称える垂れ幕が見える。(画像をクリックしてください。大きくなります。)(top)

 

WB01294_.gif (685 バイト)岐阜城                                   gifu0012.jpg (140375 バイト)

標高329メートルの金華山頂上に岐阜の町を見下ろすように建っている。今からおよそ800年前に築城され以来多くの城主が住む。特にこの城が歴史に登場するのは、司馬遼太郎の「国取り物語り」に語り尽くされているように、斎藤道三がこの城の主になって以来である。信長がこの城を居城として天下布武の大号令のもと、天下取りを開始したのは有名である。信長と親交のあったフロイスもこの城を訪ねている。現在の城は、戦後復元されたものである。
城は、金華山の頂上にあり、登山道を登れば約1時間、また、ふもとの岐阜公園からはロープウエイが頂上まで通じている。城の付近には往時を偲ばせる場所が今も残され、観光客も訪れている。夏は、展望台でビアガーデンも開かれ、眼下に岐阜の夜景を楽しみながら飲むビールの味は格別である。(top)

WB01294_.gif (685 バイト)伊自良湖gifu0018.jpg (17595 バイト)
岐阜市の町を通り抜け、長良川を越えてさらに車を北へ走らせる。岐阜大学の白い建物群を右に見ながら、両側に柿畑が広がる県道をさらに北へ。静かな、のどかな田園地帯を伊自良川に沿って走り抜けると、道は登り坂になる。小高い山の中腹に伊自良湖がある。
岐阜の中心街から車でおよそ40分、周囲約4キロメートルの人造湖である。この季節、湖面にボートを浮かべ、ワカサギ釣りを楽しむ人々で賑わう。晩秋の晴れた日、湖畔の真っ赤に染まったもみじ並木を散歩する。散ったもみじの葉が足に絡まる。頭の上も、足元も黄色や赤の世界。赤い葉を通してみる太陽がまぶしい。まるで別世界に入り込んだような錯覚に陥る。物音一つ聞こえない。時々、小鳥の鳴き声が聞こえるばかりである。歩く人の姿もない。(top)

WB01294_.gif (685 バイト)加納城

gifu0019.jpg (62160 バイト)JR岐阜駅から市営バスで県庁行きに乗り城南通りで降りる。城南通りを東へ歩いておよそ15分で北を見ると加納城の南門が見える。大手門はこの門の北側にあり、中山道に通じている。50年位前にはまだ、大きな石垣の下には堀があったが、現在は埋め立てられて公園になっている。加納城は関が原の戦いの後、徳川家康が加納を重要な地域と認め、築いた城である。初代城主は奥平信昌で十万石の城主であった。以後加納は、中山道の宿場町としても栄え、明治維新まで城は歴代藩主によって受け継がれてきた。亀姫にまつわる話も今尚語り継がれている。また、加納には今も初代城主奥平信昌の名前を冠した町、奥平町がある。現在は石垣が城の周囲に残され、城内は市民の憩いの場所となっている。(写真は加納城の南門)   (top)

 

WB01294_.gif (685 バイト)伊奈波神社

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JR岐阜駅前から岐阜公園行きのバスに乗る、バスは神田町通りを北へと進む。およそ15分。岐阜市役所前のバス停で降り、広い道路の右側(東側)の歩道をしばらくそのまま北へ歩くと、角に伊奈波神社と書かれた石柱が立っている東に行く道路がある。それが伊奈波神社へと通じる参道である。
   伊奈波神社はもともとは金華山の麓にあったが、斎藤道三が岐阜城(当時は稲葉山城と呼んでいた)に入城した頃、現在の地に移された。多数の寺院も伊奈波神社とともに移り、今に至っている。参道には昔は芝居小屋なども並び、賑わいを見せていたらしいが、現在はその面影とてない。織田信長が岐阜城を居城と定めた頃(1582年)多くの寺院は伊奈波神社の周辺に移され今に至っている。織田信長が信濃から持ってきた阿弥陀如来像が安置してある善光寺は伊奈波神社の鳥居の手前にある。正月ともなると、岐阜市を中心に郊外からの初詣客で年に1度の賑わいを見せる。(top)

 

 WB01294_.gif (685 バイト) 御手洗池

gifu0022.jpg (27611 バイト)JR岐阜駅から長良北町行きのバスに乗る。バスは神田町通りを北へと走る。柳ヶ瀬や岐阜市役所の前を通り、右に左に曲がり、昔は市電が走っていた通りをさらに北へ向かう。やがて金華山が正面に見え、岐阜公園前のバス停で下車。下りると北のほうには長良橋が見える。広い通りを公園の方へ横断、最近できた金華山トンネルの入り口の道路を跨ぐ横断歩道橋を渡ると、日中友好公園があり、その少し奥の山裾に御手洗池はある。今は昔の面影すらなく、干上がった池の周囲に大木が池を覆うように茂っている。関が原の戦いの少し前に、岐阜城の城主織田秀信は東軍の攻勢に力尽きついに城は東軍の手に落ち、秀信は逃げ延び出家して高野山に入山しようとするが拒否され、近くの村の家で短い生涯を終えた。一方奥女中たちは城を抜け出し、この池の中へ身を投げ死んでいったと伝えられている。今はその池はわずかな水をたたえ、その淵に看板と句碑が立ち、金華山から流れ落ちる小さな滝の音が尽きることなく聞こえてくる。(この池にまつわる伝え話があります「岐阜を読む」をごらんください。)

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