三和銀行、脱繊維と重化学工業への路線転換住友と同じく、関西地縁の企業で主に構成されている。三和銀行の大阪本店別館完成に合わせ、取引先と連帯意識の高揚を謳った事が三和グループ形成の端となった。
三和銀行は繊維産業への融資を中心に発展してきた銀行である。そのため戦時中の軍需融資も少なく(指定金融機関の軍需融資先数でも最も多い興銀の146社に対し三和銀行は64社に留まっていた)、終戦直後はその事が幸いし富士銀と共に占領政策の影響を軽微に押え込めた。しかし、繊維偏重路線は1950年前後に繊維産業が斜陽化する事で軌道修正を迫られる。
三和銀行は1950年代半ばより融資路線を重化学工業重視へと切り換え、脱繊維を果たそうとする。その過程で形成されたのが「企業集団」化の流れであった。つまり、三和銀行にとっての企業集団化とは「密接な融資先に成長分野の重化学企業を取り込む」事にほかならず、この方針に沿って宇部興産、日新製鋼、ダイハツ、丸善石油などへの融資量を拡張し、積極的にグループ化が図られた。
成長企業にアピールの場を提供
三菱や住友がお互いを、兄弟、親子あるいは従兄弟、と呼び合うのに対し、縁もゆかりもない企業群が「三和銀行を中心に集まってみました」、という三和グループは「雑居集団」と称され、良くも悪くも結束力の惰弱さを指摘される場面が多い。
結束力の弱さは社長会に入る際の敷居の低さとして表れる。三菱が厳重なチェックを施し社長会メンバー(現在28社)を決定するのに対し、三和グループ(現在43社)は「入りたい企業は入れてしまう」という性格がある。この事が「三和グループ」一員である事の存在価値を低めざるを得ないことは否定できない。しかし一方で、様々な業種企業の参加は「多様性」を生み出し、京セラ、オリックスなどの新興優良企業や、独自色の強いサントリー、阪急、HOYAなどの受け皿とも成り得ている。
私見だが、三和グループにはビッグネームが割合にして少ない。一方で戦後に伸長し、伝統的な産業観に縛られない成長途上の企業群(京セラ、オリックス、JCB《社長会は非加盟》、積水グループ、HOYA、日東電工、シャープなど)を数多く擁している。これは、前述した社長会への敷居が低い事と、三和銀行が既存産業から新産業へと融資構造をシフトするための便宜として「三和グループ」を積極的に活用したためだと考えられる。
企業集団に参加することの一つの利点として、世間に対する発言権・注目度を高められるという「広報効果」が挙げられるだろう。これは、特に新興企業や成長途上企業であればあるほど重要性が増してくる利点と言える。
三和グループは結果的に、この利点を最も活かせた企業集団ではないだろうか。新興・成長途上企業は三和グループに加盟する事で世間の注目を集め(例えば雑誌取材や企画本に紹介され易くなる)、社会に対する「アピールの場」を与えられたといえるのだ。グループ結成の初発より三和銀行が念頭においていたのかは定かではないが、三菱などが既存の価値を保持拡充する事を目的に社長会を機能させているのに比べ、三和グループは新しい価値(新興企業など)を世間に紹介し、認知させる媒体役としての機能を色濃く持つことになった。世間一般に知られていなかった企業に、「どんな企業なのだろう」という、知ってもらうキッカケを提供した事は「三和グループであること」の一つの機能として、注目されるべきではないだろうか。
今後、三和銀が「三和グループであること」をどのような効果に結び付けていくは定かではない。ただ一つ言えるのは、三和グループは縮小均衡しこのままでは自然消滅するという事である。戦後に結成された「三和グループ(三水会)」の歴史的使命は終ったと言えるだろう。今後はこの「三和グループ」という枠をどう発展的解消していくか、である。三水会時代の「良き面」を拡充するのも一つの手かもしれない。積極的に新興・成長企業を取り込み、社会の関心をひくために「三和グループ社長会(三水会)」を機能させるのだ。成長企業にすれば、加盟する事で「社会の信頼と認知度」を高められ、三和銀行にしてもその企業が大きく成長すればするほど融資先を選別する審査能力を高く評価してもらえる好循環を生み出せる。
三和グループにとってよく指摘される「結束力の強化」などは解決すべき課題ではなく、旧財閥系が志向した財閥時代の価値保存・管理・拡充路線とは一線を画した、新しい価値を「紹介する場」としての「三和グループ(三水会)」、これをどう構築できるかが本当の課題なのかもしれない。
三和グループに結束力は必要か
元々、三和グループは三和銀行が既存産業(繊維)の没落を受け、新産業(重化学工業など)に融資構造をシフトする際の「便宜」として活用された面が大きい。つまり、新しい時代に適応するために採られた「手段」としての「企業集団」化という色彩が、他のグループより一層色濃く表れている。三井や住友のように三井鉱山、住友石炭鉱業などのような旧基幹産業の主力企業を社長会に加え、グループの歴史的「権威付け」をし、結束力強化を訴えようとする意図はない(もしくは出来ない)。
その文脈で観ていくと、三和グループを旧財閥系グループと並べて「結束力が弱い」と殊更に強調しても余り意味をなさない。変な話だが、「結束力」強めすぎると返って、再び起こるだろう産業構造の変化に機動的に対応できず、硬直的な部分を温存しかねないのだ。新しい変化(戦後の第一波は繊維産業から重化学工業)に対応し生き残るために結成されたのを三和グループの本来的意義とするならば、「結束力の強化」を半端に志向する事は本位ではないだろう。
案外にして、三和グループが求めたのは結束力による相乗効果よりも企業集団としての「形」なのかもしれない。1950年代に入り住友、三菱など旧財閥系グループが次々と復活を果たし、企業集団という枠を設定、再び財界・政界そして世間への「発言力強化」に乗り出してきた。この動きを受け、取り残された企業や追いつこうとする企業が「発言権の確保」を狙って結成したのが「三和グループ」だと、解釈できなくもないのだ。枠の外に取り残され注目すら集めないのと、枠の中に数え上げられる事によって注目を集められる、のでは大きな違いがある。たとえ「結束力が弱い」だの「結束力強化が課題」と指摘されようが、「同じ枠の中」で注目を集めている限り、発言権の「確保」はなされているのだ。