”死ぬ”ということ

作・奈良 早香子


「わぁ、コルロの森みたい!」
 ジョゼットはそう叫ぶと森の中に向かって走り出していた。
 ジョゼットとバードがブルーランドに来てからもう5日が経過している。ブルーランドに来て以来、ジョゼットは時間の許す限りブルーランドの中を探検して回っていた。
 居酒屋のカレンや、漁師のフィッシャたちと仲良くなったジョゼットは、ブルーランドの中を探検して回るのが楽しくて仕方がなかった。もちろん、探検はジョゼットにとって楽しいことばかりではなかった。しかし、それでも刺激の多いブルーランドの探検が、ジョゼットは好きだった。
 ドルフィン号のある2番ピアからブルーランドの森までは少し距離があるため、ジョゼットのブルーランドの森・探検は5日目にしてやっと実現していた。
 緑の少ないブルーランドで機械ばかりを目にしてきたジョゼットにとって、ブルーランドの森の緑溢れる世界は、ひどく懐かしいものに感じられた。
「ラララ〜〜〜〜ン♪」
 ジョゼットは思わず歌い出していた。コルロの森でよく歌っていた、ジェペット博士に教えてもらった歌を。
「わあ!おじょうず!!」
 不意にジョゼットに声をかけた人物がいた。ジョゼットが歌を中断して声のした方を向くと、そこにはジョゼットの肩くらいまでしか背のないかわいらしい女の子が立っていた。
「あなたは?」
 ジョゼットは目の前に突然現れた女の子に声をかけていた。
「私はクララ。いつもは人工島病院にいるんだけど、この森にはよく遊びに来ているの。お姉ちゃんは?」
 クララの声もまたかわいらしかった。無邪気で明るい性格であることは、ジョゼットと同じらしい。
「私?私はジョゼット。5日前にブルーランドに来たのよ。いつもはメガフロート・ノアの2番ピアにあるドルフィン号にいるの。」
「へえ、そうなんだ。お歌がとっても上手だね、お姉ちゃん。」
「ありがとう。歌うのとっても好きなの。」
「じゃあ、いつか私のお家の病院に遊びに来てお歌聞かせてくれる?」
「うん、いいよ。」
「わぁ、ありがとう!待ってる。それじゃあ、私病院に戻るね。」
 そう言って歩き出した歩き出したクララだったが、歩き始めてすぐにジョゼットの目の前で石につまずいて転んでしまった。ジョゼットの足下にあった石は、気が付いてさえいれば簡単に避けられるくらい、目立つものであったのに。
「もしかして・・・クララちゃん、目が?」
「うん、見えないの。でも平気だよ。私、森の声が聞こえるから、森がいろいろ教えてくれるの。つまずかないでネ、とか、木にぶつからないでネ、とか。でも、最近は”助けて”しか言わないの。だから、今はつまずいちゃった。」
 慣れているものなのか、クララは言いながら立ち上がって服に付いた泥を払うために服を何度かはたいた。クララは言葉の最後に笑顔をジョゼットに向けたが、クララとジョゼットの目の焦点は合わなかった。
「でもね、もうすぐクロヒゲ先生っていう偉い先生が来てくれてね、私の病気を治してくれるの。だから、きっともうすぐお姉ちゃんの顔も見られるよ。それじゃ、またね。お姉ちゃん。」
 クララはそれから再びつまずくことなく、ブルーランドの森を後にしていった。


「ねえ、バード。今日ブルーランドの森でクララちゃんて女の子に会ってね、お友だちになったの。すごくかわいい女の子だった。」
 ドルフィン号に帰ってきたジョゼットは、夜寝る前にクララのことをバードに報告していた。ブルーランドに来てから、楽しいことがある度にジョゼットはその出来事を心から嬉しそうにバードに伝えていた。
 そのジョゼットの笑顔を見ることが、ドルフィン号で留守番をしているバードにとっての、唯一の楽しみだった。
「へえ、よかったじゃないか、ジョゼット。だんだんブルーランドにも慣れてきたみたいだね。最初の頃はコルロに帰りたいって言っていたから・・・」
「うん、最初の頃はね・・・でも、もう大丈夫だよ。カレンさんやフィッシャさんや他にもたくさん・・・お友だちできたから。それにね、クララちゃんとはもっともっと仲良くなれる気がするの。本当のお友だちになれる気がするの。そう、明日はね、クララちゃんがいる病院に遊びに行くのよ。」
「病院て・・・クララちゃんは病気なの?」
「うん、クララちゃん目が見えないの。でもね、もうすぐクロヒゲ先生っていう偉い先生が来て治してくれるんだって。」
 ジョゼットが日々成長していく姿が、バードには手に取るようにわかる。そして、その成長していく姿をジェペット博士に見せてあげたい、とバードは思う。
 ジョゼットはジェペット博士が死んだことを知らない。というよりも、ジョゼットは”死”を理解していない。ジェペット博士が目の前で息を引き取ったのに、ジョゼットはそれを”死”ではなく、少しだけ長い眠りに入ったのだと思っている。いつかは目を覚まして、また頭をなでてくれるのだと。
 バードは”死”をジョゼットに教えられなかった。あまりにもジョゼットがあっけらかんと、
『死ぬって・・・なぁに?』
 と聞いてきたから。
 ジョゼットがもっと成長するためには、いつかは”死”を理解させなければいけない。それが明日になるのか、1年後になるのか、バードにはわからない。
「そうか・・・病院に行くのなら、早めに休んでおいた方がいいね。」
「うん、もう寝る。おやすみ、バード・・・」


「クララちゃ〜〜〜〜〜ん。遊びに来たよ〜〜〜〜」
 ジョゼットはクララの病室に入るときにそう叫んでいた。
 昨日の約束通りジョゼットは人工島病院を訪ねて、クララに会いに来ていた。ナースに案内されて入った病室で、クララはベットに横たわっていた。
「わぁ、本当に来たくれたんだ。ありがとう、お姉ちゃん。」
 ベッドの上のクララは、ブルーランドの森であったときよりも儚げに、ジョゼットの目には写っていた。

「このままだとクララちゃんは・・・」
 歌を歌って、クララとたくさん話をして、病院を後にしようとしていたジョゼットの耳に突然そんな言葉が流れ込んできた。
 ジョゼットが声のした方向を見てみると、そこにはクララの病室まで案内してくれたナースと院長先生、そしてたっぷりとしたひげを蓄えたおじさんがいた。そのひげの人がおそらくクロヒゲ先生なのだと、ジョゼットは当たりをつけた。
「ああ、目を治療する以前の問題だ。クララの病気の原因が分からない。」
「クララちゃんがどうかしたの?」
 好奇心の強いジョゼットはクララのことが気になって、3人の話の輪の中に入っていった。
「あら、あなたはさっきの・・・確か、ジョゼットだったわよね。」
「うん。さっきはありがとう。ねえ、ナースさん。クララちゃんがどうかしたの?」
「あ、何でもないのよ。気にしないで。」
「そんなことない。だって、みんな怖そうな顔してるもの。教えて!」
 ジョゼットは心から純粋にそう尋ねていた。いいにくそうにしている3人の表情にまで、ジョゼットの目は届いていない。
「クララにこれから言うことを伝えないと約束してくれますか?それなら、教えてあげましょう。」
「院長先生!」
 院長はとがめるナースの制止して、言葉を続ける。
「この子はクララの唯一の友達だ。昨日、クララがブルーランドの森できれいな声のお姉ちゃんに会ったと、嬉しそうに話していました。あんなに嬉しそうなクララを見たのは久しぶりでしたよ。この子になら、話してもいいと思います。クララにはこれから言うことを伝えないと、約束してくれますか、ジョゼット?」
「うん、約束する。」
 ジョゼットは院長の目をまっすぐに見ながら言った。その目を見て、院長は納得したように1つうなずくと、視線をクロヒゲに移した。それに応じて、クロヒゲが言葉を続ける。
「クララは・・・目の病気ともう1つ、原因不明の病気にかかっているんだ。原因さえわかれば病気はすぐにでも治せるのだが・・・このままだとクララは、死んでしまうかもしれない。」
 クロヒゲは顔の大半をひげに覆われているが、その見えにくい表情の中には苦渋の色があった。しかし、ジョゼットはそのことよりも別のことが気になっていた。
「・・・死ぬ?」
「ああ、そうだ。このままだと、最悪クララは死んでしまう。」
「死ぬって・・・なあに?」
「え!?」
 その声は三人三様、それぞれトーンの違ったものだったが、口にした瞬間は同じだった。
「あ、そうだ。原因がわかればいいんでしょう?私ね、医学書持っているの。それで調べてきてあげる!それじゃあ、またね!」
 ジョゼットは驚きで言葉が続けられない3人を残して、病院から飛び出していった。


「バード!医学書どこにあったっけ?この前買ったよね!!」
 ドルフィン号に帰ってきたジョゼットは、バードを見つけるなりそう叫んでいた。人工島病院から走って戻ってきたジョゼットだったが、まだ疲れてはいなかった。
「そこに飛行機の本とかと一緒にまとめて置いてあるけど・・・クララちゃんの病気と関係があるのかい?」
「うん、そう。クララちゃん、目が見えない他にもね、原因がわからない病気にかかっているんだって。だから、医学書を読めば何かわかるかもしれないでしょ?このままだとね、クララちゃん死んじゃうんだって・・・あ、あった。」
 ジョゼットは飛行機の本と船の本の下にあった医学書を引っぱり出した。そのときに、上にあった2冊の本が床に落ちたが、ジョゼットの目には入らなかった。
「えっと・・・病気の原因について・・・あれ?『死について』ってある・・・死ぬって何だろう・・・なになに・・・体の機能が全て停止して・・・」
 死について学ぶジョゼットの姿を、バードは黙って見守った。ついにこの日が来てしまったのだと、バードは思った。
 医学書を読み上げるジョゼットの声は次第に小さくなっていき、最後はかすれるほど小さなものになっていた。
「・・・バード・・・”死ぬ”ってこういうことだったんだ・・・」
「ジョゼット・・・」
 しばらくの沈黙の後、ジョゼットはどうにかバードに届く声でそう言い、バードはジョゼットにかける言葉が見つからなかった。
「博士・・・眠っていたんじゃなかったんだね・・・もう、起きてくれないんだね・・・うわあぁぁぁぁぁぁぁん!!はかせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ジョゼット、ジョゼット泣かないで。」
「うえぇぇぇぇぇぇぇん!うう・・・バード・・・」
「ジョゼットよく聞いて。”死ぬ”ってことを知ることは、とても大切なことなんだ。確かに博士にはもう会えないけど、それだけクララちゃんを死なせちゃいけないって、ジョゼットはわかったはずだ。」
 バードは床に座り込んで大声で泣くジョゼットを落ち着かせようと、必死になって説得した。それはホームシックにかかったジョゼットを説得するのよりも、ずっと大変なものだった。
「だって、だってバード・・・ヒック。」
 ジョゼットはどうにか泣き声を抑え込んだが、しゃくり上げることまで抑え込むことはできなかった。
「ジョゼット、博士はジョゼットが成長するのをすごく楽しみにしていた。成長するっていうことは、楽しいことばっかりじゃない。辛いことも、悲しいことも知らなくちゃいけない。そんなことも全部含めて、博士はジョゼットに成長してほしかったんだよ。わかるよね、ジョゼット?」
「・・・うん、なんとなくだけど。ブルーランドに来てから、楽しいことばっかりじゃなかったから・・・」
 ジョゼットはやっと落ち着いて、バードと向き合って話をしていた。
「ジョゼットは”死ぬ”っていうことがわかって、また成長したんだ。きっと博士も喜んでくれると思うよ。ほら、クララちゃんの病気の原因を調べていたんだろう?博士は助けられなかったけど、クララちゃんは助けてあげなくちゃ。」
「うん、調べてみる。クララちゃんは死なせちゃダメだよね。」
 ジョゼットにはもう悲しみの表情はなかった。ジョゼットはバードに笑顔を向けてから、再び医学書に目を移した。


 おわり。

あとがき


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