新たなるコンクリート・ポエムへ向かって/Towards Newer Concrete Poem



 結論を述べてしまうと、本稿はコンクリート(あるいはコンクリート・ポエム)という思考と方法を検証し、その可能性を新たに探るべきなのではないか? という展望となる。理由は、私自身の作品制作などを通じての実感と、これまで喉に刺さった骨のような存在であった新國誠一を、一年間の連載「不可測なキューブに関するコスメティカ」(「現代詩手帖」2006年)を通じ、語るヒントを得たということにある。
 私自身の作品制作とは、3冊の詩集の刊行、国際芸術センター青森(ACAC)でのアーティスト・イン・レジデンス(5〜8月)、府中市美術館でのビエンナーレの展示(10〜12月)に詩人として参加したこと。
 「不可測なキューブに関するコスメティカ」と題して書いた美術評は、私自身の詩と思考と方法を他の領域(主に美術)へ探る試みだった。同時に嗜好や傾向に留まらず、様々な領域に詩を見出す作業として専念したつもりである。芸術上の越境ではなく、詩の再定義として、詩を最大限に拡大する、帝国主義的な詩論のつもりでもあった。

◎コンクリート(ポエム)について

 コンクリート・ポエムについて述べておきたい。と言いつつ、小見出しに括弧をつけたのは、厳密なことを言うと、私が興味をもっているコンクリートとは、詩というよりはミュージック・コンクレートであり、その最盛期であるところの1950年代の、詩、美術、音楽に渡る思考にある。コンクリート・ポエムは過去のものであると思うし、その新たな可能性を探るに当たっては、現在のエレクトロニクスとして現役のコンクリートが生き続けている、音楽の文脈から語るということが有効だと考えられる。だから新國誠一はもちろん、ノイガンドレス、ゴムリンガー、ベンゼらのコンクリート・ポエムの定義もあるが、川崎弘二『日本の電子音楽』(愛育社、2006年)にしたがって、ミュージック・コンクレートの創始者であるピエール・シェフェールの思考をここでは紹介しておきたい。
 シェフェールは1950年代に次のように述べた。
 「従来の音楽は、抽象的な構想→記号化による作品化→演奏による具体性の付与」であり、「抽象(アブストラクト)→具体(コンクリート)」の図式をとる。これに対して、「ミュージック・コンクレートは、具体的な素材音の録音→素材音の変形/構成などのテープ処理→抽象的な音の完成」という「具体→抽象」の図式をとる、と。
 前者はヨーロッパのクラシック音楽の基本的なスタンスであり、後者はそれに対する新たな美学的立場として、音楽史上の変革を目論んだものとしてあった。
 さらに川崎の説明を引いておくと、「電子音楽とミュージック・コンクレートは、音楽を構成する要素とは何か、音を客体化する方法とはどのようなものか、オブジェ化した音はどのようにコントロールされるのか、などといった当時の先鋭的な作曲家が抱えていた問題意識の帰結として生まれた新しい様式であった。そしてこの様式は、楽器をつかわずに音そのものを作曲家が直に扱う革新的な手法をうみだすことになる」という。

◎制作としてのコンクリート・ポエム

 自作のことを事例として触れさせてもらう。私の作品に、2001年から制作している「純粋詩」、2002年から制作している「量子詩」というテキスト(線状)に基づく文学史的なパースペクティブを持ったシリーズがある。これらの作品は、視覚詩的な側面や、コンセプチュアルアート的な側面も持っていて、一見芸術ジャンルの越境を狙っているようにもみえる。しかし実際には、私自身は文学としての詩であることにこだわり続けて、これらを制作した。当時関わっていた、中ザワヒデキによる芸術グループ「方法」の理念に基づいた、文学上の還元主義的な作品といえるだろう。還元主義的な作品制作に関しては未だに可能性を信じている(音楽史的に言えば、本稿において、シェフェール的な立場の論を展開しているが、「方法」においては、その真逆のブーレーズやシュトックハウゼン的な立場で制作していたことを断っておく)。
 「方法」を通じて、先述の美術館での作品制作を行うことになった(はずだ)。いずれも「展示室を占有する作品」ということが課題としてあった。そこで、3月に刊行した私の第1詩集『同時並列回路──回文詩集』のインスタレーションを制作した。この詩集は、「□」「■」を用いた210篇からなるアブストラクトな詩集で、机を原稿用紙に見立て、手鏡で「□」「■」を示した。こういった置換作業自体は極めて方法的な作法として行うことができたのだが、このときに回文ということから手鏡という具体物の使用を選択し、「抽象→具体」への変換という作業が明確に意識された。
 先述の「純粋詩」は線形性の詩であるのに対して「量子詩」が非線形性の詩として制作されているのだが、それと同じバランスで、インスタレーションの制作とは逆の制作をしたいと考えた。つまり、「具体→抽象」への変換だ。ここで詳細を語ることは控えるが、第2詩集『オルガ・ブロスキーの墓』は、私にとっては初めてのコンクリート・ポエム作品となったと思う。条件を設定し、具体的なテキストを検索エンジンでチョイスし、翻訳ソフトや要約ソフト、エクセルなど既成のアプリケーションを使用して変換、変形を行うことで、オブジェとしてのテキストを生成した(先述のシェフェールの図式通りである)。
 解説を書たクラウス・ペーター・デンカーは、最初に原稿を見たとき、彼は「新しいコンクリート・ポエムだ」と言ってくれた。彼とのメールでのディスカッションを通じて、従来の意味とは異なるレベルの詩として、作品を成立させることができたように実感したのだが、その際に、新國誠一がガルニエと行った「超国家詩」の試みを思い出していた。彼らの作品をみても釈然としない部分が正直あるわけだが、モダニスムがナショナリズムと容易に繋がってしまうような危険性を回避しようという意識と、意味ではなくオブジェとしての言葉、素材と形からの観念連合のように意味を促すところにいまさらながら魅力を覚える。
 新國は、この傾向の作品として『日仏詩集』(66年)「ミクロポエム」(70年)「数学的簡略小詩篇」(71年)を制作した。
 『オルガ・ブロスキーの墓』は英語(といっても文法的な英語ではない)とグラフと数列から構成されているが、新國が「文明批評が言語の素材そのものに向けられ、それが結果的には直截な表現を生む」(「ASA」7号、1974年)と語っていたことにも対応しているといえるだろう。私は、展示と実作を通して、いまさらながら、その後誰も行っていない「超国家詩」というコンクリート・ポエムのあり方の可能性を探りたいと思っている。これは作品制作として行いたいし、多くの詩人と読者に知ってもらいたい思想と言えよう。

◎新國誠一のコンクリート・ポエム

 「超国家詩」に収斂される、私にとってのコンクリート・ポエムは、芸術的立場としては部分でしかないと思っている。それは魅力的だがどこかにスキを感じさせているからだ。そのスキを「面白い」というような解釈はしたくない。むしろ、そのスキを埋めることで、コンクリート・ポエムの可能性としての領野を確保したいように思われる。
 それは新國誠一を調べるにつけ、彼が孤軍奮闘した痕跡を多く知ってしまったからでもある。高橋昭八郎氏や、新國誠一未亡人で、画家でもあった喜代女史に会ってお話を伺ったり資料を拝見させて頂くほどに、その気持ちが強くなる。どの程度の読者を期待することができるのかはわからないが、新國の資料は、普通に閲覧できる状態で残されていなさすぎるし、私はこの状態を打破する必要があると考えている。
 今年(2006年)は、その一環として『高橋悠治による北園克衛と足立智美による新國誠一』というコンサートを行い、CDを制作した。ここで私は、北園と新國というステレオタイプな対比を行った。「VOU」と「ASA」であり、プラスチックとコンクリートの対比というような言い方もできるかもしれない。
 新國誠一は、「〈詩とは何か〉を問い続ける」ことを詩以外のジャンルの芸術と向かい合うことで検証しあっていた。新國は北園に比べ、つねに詩のエッジに立とうとしていた。言ってみれば最前線に佇立した詩人である。彼の詩を背負う気持ちは、次の文章などにも表れているだろう「テクノロジィの発展と、その援用が、混成芸術をさけがたいものとするが、その混成は、たとえば詩であり、絵であるというような、複合表現としての意味合いをもつものではない。詩としてのことばが、その聴覚的な強化に傾いた場合、音楽(音声詩)に接近するように、視覚的な強化は、絵画(視覚詩)に接近するが、しかし、それはどこまでも接近するだけで止まるのである。なぜなら、詩にとってのことばの強化とは、生成としての美学をめざすのではなく、プログラミングとしての美学をめざすものに他ならないからである」(「絵と詩の接点──具体詩(コンクリート・ポエトリィ)の可能性」1969年)。
 私にとっては、北園との対比ではない視点からの新國の研究が必要なのだと思われてならない。

◎コンクリート(詩・美術・音楽)の彼方へ

 「不可測なキューブに関するコスメティカ」を書くうちに考えはじめたことは、ポエムを外した「コンクリート」というキーワードからそのシーンを眺めてみることだった。特に初期の「ASA」(芸術研究協会、1964〜77年)に参加した会員をその視点から眺めることで、これまでと違った側面をみることができるように思われたからだ。私が注目しているのは66年に発行された「ASA」第2号に並ぶ会員で、新國誠一、菅野聖子、一柳慧の3人である。
 新國については言うまでもない。
 菅野は、美術団体の「具体」における後期の主要メンバーで、詩人でもあり「ASA」に参加した時期に画家としての作風を確立している。詩と美術の間のコンクリートと言えよう。一柳は、現代日本音楽界の重鎮であり、ジョン・ケージやスティーヴ・ライヒの紹介者としても知られる。60年代には、ミュージック・コンクレートはもちろん、インストラクションや、グラフィックによる記譜も多数制作したアヴァンギャルドである。また、アメリカ留学時の同級生には、作曲家で、コンクリート・ポエトリーでもあるジャクソン・マクローがいた。一柳は音楽と詩の間のコンクリートということになるだろうか。  もっともこの3人の関わりは、現段階では机上のパズルを嵌めるような話で、諸々が偶然ということになるのかもしれないが、詩におけるコンクリートである「ASA」、美術におけるコンクリートである「具体」が、音楽におけるコンクリートである一柳によって繋がっているようにみえるのだ(同時代の出来事だからといえばそれまでだが……)。参考までに述べていこう。
 一柳慧が1961年に10年間を過ごしたアメリカから帰国し、ジョン・ケージ等を紹介する演奏会を行った際に、実験工房のメンバーの他に、具体の元永定正が聴きに来て「初めてわれわれの美術と触れあう音楽を聴いた」と語ったという逸話がある。具体では、1950年代初めから嶋本昭三、鷲見康夫、元永定正、吉原道雄等が、「ミュージック・コンクレート」を制作していたという(実験工房も多くの「ミュージック・コンクレート」を制作した)。また一柳の演奏会の翌年、1962年には、グタイピナコテカをジョン・ケージが訪問している。
 また、始めに紹介したミュージック・コンクレートの創始者シェフェールとケージの音に対するアプローチは、かなり近い。
 一柳の著作『音楽という営み』(NTT出版、1998年)の中で、それぞれに関して言及している文章を引く。シェフェールは、「現実や日常の音を使いながらそれらの音に付随していた意味をとり去り、音をオブジェとして捉え直した」と言い、ケージについては以下の通りだ。「すべての音をできるだけあるがままに、いっさいの意味付けを排して受け容れようとした「4分33秒」に象徴されるケージの場合、それが音の概念の変革と結びついている」。あるいは、「偶然性の音楽を創始することにとって、十二音やセリーの音楽のように音の意味づけをすることをやめ、音を人間の意思から解放しようとした」。
 これらの話は一見詩につながらないように思われるかも知れない。しかし、それぞれのジャンルに於けるマテリアルの処理の方法論としてコンクリートという思想が、この時代を席巻した(というとオーバーかもしれないが……)。一柳の言葉通り、「概念の変革」が様々な局面で起こったのだ。私には、新國の試みも、詩におけるシェフェールやケージに比肩する仕事があると思われる。
 私はコンクリートという言葉をひとつの切り口に、この時代の詩に起こったこと、起こらなかったこと、その仕事の意味、さらには回顧ではなく未だに存在する本当の可能性を知りたいのだ。
 現在、新國とも交流のあった建畠晢、日本におけるコンクリート・ポエムの研究家である金澤一志の各氏と共に新國誠一の展覧会の実現に向けて動いている。詩集や、彼の文献をなんとか刊行したいとも考えている。
 私自身の目論見としては、先にもすこし述べたように、新國と同時代に活動したコンクリートポエムの作家や、周囲の音楽家、美術家、デザイナー等々にヒアリングをし、なんらかの形で記録をまとめておきたいと考えている。一柳慧へのヒアリングは、年内に行う予定だが、例えば、歌人の岡井隆も新國と交流を持ったひとりであり、氏が主催する「未来短歌会」の結社誌「未来」はここ数年間、表紙がコンクリートポエムであることにも留意したい。広くコンクリートの可能性を検討したいのだ。
 いささか風変わりな展望となったが、私自身が美術館などで仕事をしたりしているという現在があり、城戸朱理のような鋭敏な鑑識眼を持った詩人がブログでコンクリート・ポエムに反応しているのをみるにつけて、私には、いま、コンクリートという思考の検証と、可能性を探ることはなにがしかの時機なのだと信じられる。今後の展開を見守って頂きたいし、これまでとは違った、新たなコンクリート・ポエム(例えばメディア・アート的な展開の可能性を強く感じているのだが……)の作家と出会うことができればと思っている。
(『現代詩手帖』2006年12月号)

*本稿執筆時点では、まだ国立国際美術館での展示が決まっていなかったこと、上村弘雄氏所蔵の音声詩、ジョン・ケージとの接点をしめす明確なテキストの存在(詩集『0音』NOTE草稿、62年ケージ初来日のレポート「詩と音楽のためのクロツキー」)に到達していなかったこと等、収集資料が少なく、各事項について希望的観測で執筆していたことを注記する。


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