数と音楽

美しさの源への旅!

大月書店
坂口博樹:著
桜井進:数学監修


〜目次〜

はじめに

第1章 数と音楽

第2章 リズムと分数
1 音は数である!
2 リズムも数である
3 音符は分数であらわされている
4 拍は時間をかぞえている
5 拍子記号と分数
6 分数から連続数へ
7 音楽は時間の再構築
8 リズムって一体なんだ?
9 リズムと無理数

第3章 音階と数
1 メロディーと数
2 音の階段=音階ができたわけ
3 歌のはじまりは2、そして3から5へ
4 音階は音の高さをかぞえている
5 12は時間の数
6 ドレミは七つの音
7 7音階は4と3からつくられている
8 いろいろな音階

第4章 ピッチと音律
1 コンピュータよりすごい聞き分け能力
2 「チューニングが合う」とは?
3 絶対音と相対音
4 調律と音律…音律は一つではない
5 ピタゴラス音律
6 倍音
7 純正律
8 平均律
9 いろいろな音律

あとがきにかえて―――数学監修者のことば


音楽の中の数

●音符は数字、音楽は数で満ちあふれている
 「音楽の中には数がたくさんある」もっと言えば「音楽は数が人間の身体を通って音として表に現れたもの」とさえ考えることができる。こう言うと、次のような反論が返ってくるかもしれない。「数がたくさんあるのは音楽ではなく楽譜であり、音としてあらわされた音楽本体の中に数はないのではないか」と……。しかし、ちょっと待ってほしい! 楽譜の中にたくさんあるのは、数ではなく数字なんだ。じつは楽譜は数字だらけと言える。数字とは数をあらわすために人間が考えた記号であり、それは意味をあらわす記号だ。だから、それは文字そのもの。楽譜の中の音符も音の違いをあらわすための記号だから数字の一種であり、またそれは文字でもある。文字はあくまで紙などに印刷あるいは書かれた記号であり、文字があらわしている本体がそこにあるわけではない。楽譜の中には音の情報が、音符という数字によって記されているのだ。  西洋音楽教育がはじめて日本で広まりはじめた明治の頃、音階の「ドレミファ……」は「ヒフミヨ……」と歌われた。つまりそれは「1、2、3、4……」。現代では「ドレミファ……」あるいは「c d e f……」と言い表されることが一般的だが、どういう文字をあてたとしても、それが数字であることに変わりはない。数字はなにも「1、2、3、4……」だけではないのだ。数学では文字式を使うが、このとき使う「a,b,c」や「x,y」なども数字なのだ。
 つまり楽譜の中には数字がいっぱいあり、音楽の中には数がいっぱいある。数とはごく大雑把に言えば、「もの」や「こと」同士の間にある関係の現れといえる。「2」とは同じと見なされる「もの」や「こと」の存在が二つあるということ、あるいは同じような「もの」や「こと」 が並んでいるときの2番目であるということを意味する。
 音楽の世界では、単なる物理的な音が鳴るだけでは音楽にならない。音と音との関係が意味をなし、その音たちが世界を織りなしてはじめて音楽になる。ここでいう音と音との関係とは、数の現れと言い直すこともできる。音の背後には数があるのだ。この音楽の音たちの関係を情報として紙に記したものが楽譜である。だからそこに記される音符は数字といってもいい。 ピタゴラスは「万物の根源は数である」と言ったが、音もその根源は数なのではないだろうか。事実、音はものの振動する数で性格づけされる。音の宇宙である音楽は、数の宇宙でもあるのだ。

●数は存在の根源的なあり方を示している
 数とは何であるか、もう少し考えてみよう。じつはこれを数学的に定義することはたいへん難しく、現代の数学者のあいだでもいまだに議論されている大問題なのだ。しかし、ここではあまり難しく考えるのはやめよう。できるだけわかりやすく考えてみる。数は目に見えない。数という実体があるわけでもない。しかしあらゆる「もの」や「こと」、さらには人間の頭の中にだけあることでも、それがおよそ名前の付けられるようなまとまりや点であれば、その同じようなまとまりや点がいくつあるかかぞえることができるのだ。このように、あらゆる「もの」や「こと」には数が隠されている。
 数は存在のもっとも根源的なあり方を示している。ここで言う存在は物質でなくてもかまわない。その存在が、ただそこにあるとき、その存在のあり方は、ただ一つだけある、つまり「1」なのだ。その存在と同じような存在がもう一つあるとき、二つの存在があると考えられ、そこで「2」が生まれる。「2」とは、二つの存在の関係をあらわしているのだ。「3」は三つの存在。それ以上の数も同様である。もしそこに「存在」がなければ「0」ということになる。
 数はこのようにかぞえることができる。かぞえる数は「一つ、二つ、三つ……」と1からかぞえはじめることが多い。かぞえる対象がふぞろいでも、あくまでかぞえるときは「1、2、3……」であり、普通3.2などと中途半端にはかぞえない。たとえば、リンゴを1個、2個、3個……とかぞえるとき、大きさの不揃いは無視される。人が何人と数えるときも、一人ひとりの違いは考えない。なにもないことを「0」という数字であらわすというのはインド人が考えはじめたことで(6世紀頃)、それが世界に広まったのは歴史的にはかなり新しいことだった(ヨーロッパで定着するのは16世紀頃)。
 そして、数にはもう一つのタイプがある。それは計る(測る、量る)数だ。計る数は「もの」や空間などの大きさや量を計る。「計る」ということは、長さや重さを比較することからはじまったのだろうから、最初数字は必要なかった。たとえば長さを比較するとき、ある長さにヒモをあて、そのヒモに印を付けておけば、こっちが少し短いとか、あっちがとても長いなどと数字を使わなくても比較することができる。 この計ることにかぞえる数を応用するようになったことが、人間の「計る」数を使い出したはじまりである。古代中国の殷では手を広げたときの親指から中指までの長さを1尺として長さを測ったそうだ。「尺」という文字は二本の指を広げた形をかたどっている。つまり指でこの1尺を何回かかぞえて長さを測ったわけだ。このことによって、長さは数字を使って比較することができるようになった。これが発展して物差しができ、それを使って長さを測ることができるようになったのだ。
 物差しで使われる数は「計る」数。「計る」数は「0」を起点として、その幅が連続的に増えていく。物差しの目盛りは、「0」からはじまり1mmや1cmごとに刻まれるが、ものの長さが常にその目盛りのところに当てはまるわけではない。いや実際には中途半端な数になることが多い。もっと言えば、どんな規格品でも厳密に測れば完全にキリのいい数で収まることはほとんどあり得ないのだ。たとえば10cmの規格品でも、ごく正確に測れば、9.9999897……cmかもしれない。
 「計る」数は「0」からはじまる「連続数」だ。連続数は、たとえば1から2までの間にも無限の数がある。それに対し、かぞえる数は自然数を使い、1の次は2、2の次は3という飛び飛びの数、つまり「離散数」である。離散数では1と2の間にはなにもない。デジタルは離散数を使い、アナログは連続数を使っている。もともとdigitは手足の指のことで、指折りかぞえることからdigitalという言葉が生まれた。

 画家の基本は目に見えるものを測って絵に描くこと(想像上の見えるものでもいいが)。作曲家の基本は感じた音をかぞえて楽譜に書くこと。演奏家は楽譜をかぞえて音にする。即興演奏家は感じた音を瞬時にかぞえて音にする。しかしこれらのことはほとんど無意識で行われる。音楽家はいちいち数を気にしてなんかいない。それでいいのだ。だがこのとき脳はバックグラウンドで、ものすごい勢いの計算をしている。
音は数そのものである。音の振動は鼓膜に伝わり、それは電気信号に変えられて脳に伝わる。脳はその振動数を一瞬で計算し意識に伝える。それで私たちは、音を聴けばおおよその高さがわかるのだ。聴けばそのピッチまではっきりわかるような、訓練された音楽家の脳は、バックグラウンドの計算精度がとても高いということである。

●数の世界の必然性は異文化への扉を開く
 音楽から快感を得るのは、音の集まりに数の秩序(「天の秩序」とか「神の法則」などと言っても同じこと)を感じるからだろう。だが人間は、秩序に慣れると退屈を感じるようにもなる。だから最初は単純な音楽を好んでも、だんだんと複雑な音楽にひかれていく。1曲の中でも、よくできた曲の多くは、適度に期待を裏切って緊張感を高め、最終的には期待に応えるような形になっている(期待を裏切る快感という場合もある)。また、型にはまったスタイルを壊し、時代との緊張感から生まれた新しいスタイルにカッコよさを感じるのも世の常であろう(だが残念ながら、最近はそういう音楽をあまり聴かないが……)。社会の中の音楽の歴史も、一人ひとりの個人の中の音楽観も、その意味では似ている。
 しかしまた、音楽は感覚的体験でもあるので、自分の経験した音楽的価値観をなかなか変えられないという面もある。自分の好きな音楽ジャンルばかり聴いている人は実際多いだろう。だがそれだけでは、音楽との出会いがとても狭いものになってしまう。
 音楽は人の生活感の表れでもあるので、自分の生活感覚からとても遠い人たちの音楽は最初戸惑うことが多い。それでも違う文化圏の人たち、(あるいは同じ文化圏でも感覚の違う人たちのことを含め)を理解しようとするとき、音楽は良い入り口になってくれるだろう。
 音楽を理解することは、言葉の学習よりずっと楽だと思う。ただ偏見を取り去り、その人たちがなにを表現しようとしているのか素直な耳で聴けばよい(もちろん、その人たちのいろいろな文化を知ることも大切であるが……)。聴いて慣れていけばどんなに未知の音楽スタイルであっても、だんだんその良さがわかってくるはずだ。どんなに形の違う音楽であれ、それが意味のある音楽であれば、その芯の部分には必ず数の世界の必然性があるからだ。
 数の世界の秩序の現れ方も一つではない。文化によって違う形をとる(現代では数学者によっても違うことさえある)。しかし数の根本は同じなので(間違ってさえいなければ)、必ずそれは容易に翻訳可能なのだ。それは音楽も同じである。違う文化を理解することは人を豊かにする。狭い自分たちの世界にこもり、異文化を嫌う人たちの知性はとても貧しい。ぜひ音楽を入り口にして、異文化への偏見をなくしてほしいと願う。
 ひょっとすると、数の根本は地球さえ超える。もし高度な知能を持つ異星人がいれば、そのあらわし方は違っても必ず数の体系を持っているだろう。それは地球人と交換可能な情報である。そして彼らが音楽を持っていれば、それも同じである。