両親から・・・

                                                                                 

         

由希子がこれまで行ってきたFlolan治療の体験を、そばで看病してきた母親の立場から書いてみました。
もし娘には聞きづらいことなど、私宛てにmailしてください。

我が家がこれまでフローラン治療を約3年半行ってきて、最も難しいことは、この薬は他の薬と異なり、絶えず増量していかなければならないことです。この事に関する我が家の失敗談をお知らせします。

1996年4月26日に由希子はニューヨークのコロムビア大学子ども病院で、フローラン治療では大変良い成績をあげているロビン バースト先生(女医さんです!)の指示でこの治療をはじめました。
由希子が胸部にカテーテルを埋め込み、小型のポンプをつけて手術室から出てきた時は、覚悟はしていましたが涙が止まりませんでした。しかし、それ以上にショックだったのは、このフローランの投与量をものすごいスピードで増量していきなさいというバースト先生の指示でした。

具体的には、6ng/kg/min でスタートし、1週間に4ng/kg/min(2ng を2回)の増量が指示されました。

コロムビア大学病院では、血液検査(由希子と私たち両親)、心電図、心エコー、胸部レントゲン、MRI、運動テスト(自転車こぎ)及び6分間歩行テスト、MUGA, V/Q スキャン、肺機能テスト、ホルター、24時間睡眠テスト、心カテーテル、カテーテルの埋め込み手術、
フローラン投与開始(6ng/kig/min),患者と家族に対する薬の作り方とポンプ及び患部のケアの仕方等、1週間の入院のあいだに、全て教わりました。

バースト先生からは1ケ月半後の再検査次第で日本に帰国しても良いと言われ,私たちはそれまでの間ミシガンンの親戚の家に居候することになりました。(ミシガンで医者をしていて、このフローラン治療を由希子のために探してきてくれました。)

ミシガンでの由希子の課題は、とにかく運動をすることでした。毎日かなりの距離を無理をして歩きました。自転車にのったり、ローラーブレードや乗馬にも挑戦しました。(副作用:足のいたみ、あごの痛み、頭痛、胃腸障害)この間フローランの投与量はバースト先生の指示どおり1週間に4ng/kg/minの割合で増量を続けました。

吐き気が出た時にもバースト先生はzofran(ウエルカム社製)という吐きとめ薬を服用して増量を続けなさいと指示してきました。このzofranという薬はフローランの副作用としての「吐き気」に大変効果があるのですが、日本では、販売はされているのですが、フローランの副作用に対しての服用が認められていません。(残念!

        

1996/05ミシガンでの乗馬とローラーブレード  前のポシェットにポンプが入っている


ミシガンでバースト先生の指示どおりフローランを増量し続け、無理をして運動をしたせいか、1カ月半後のコロムビア大学病院での再検査では大変良い結果がでて、バースト先生には「この調子だと由希子は近い将来大変良い結果が期待できそうだ」と言われ、その後約1週間後に2カ月ぶりに日本にかえり、娘が通っていた学校からは先生はじめ友人などから大変な励ましを受け、すぐに復学できまし
た。バースト先生からは、フローランの投与量の指示が定期的にfaxされてきて、この当時の娘の投与量は24−


帰国後の私たちは娘を連れて様々な病院の専門医を訪ね、娘がコロムビア大学病院で受けた治療がいかに「娘の生活の質」を向上させたかを(階段の上り下りも楽にできていた)、そして日本でも何とか早くこの治療が認められるよう(日本の医療保険制度のもとで)理解と協力をお願いしてまわりました。結果はあまり協力的なものではなく、私たちは大変孤独な闘病を続けなければならなかったのです
この間フローラン製造元の日本ウエルカム社のC. アダムス社長にも由希子がコロムビア大学病院で受けてきたフローラン治療の素晴らしさと私たちが直面している窮状を訴えたところ、こちらからは大変な協力をえて今日まできています。

さて娘の病状が著しく好転して、日本の専門医がこぞってフローランの増量に懐疑的であったので、我が家も薬の増量に関して大変心が揺れました。「こんなに元気になっているのだから、そのうち本当に治ってしまうかもしれない。だからなるべく少量の薬を使っていきたい」という期待がありました。その結果、娘のフローランの投与量は3カ月の予定量26−28ng/kg/minで約1年間はこのままでした。
その間の娘の体調は安定していて、良くも悪くもなっていません。

1997年夏に1年後の再検査ということで再訪したコロムビア大学病院で、フローランを増量しなかったことでバースト先生から大変叱られ、その後は必ず1週間に1ng/kg/min増量するようにという指示がありました。この時はたかをくくっていたのですが、この頃から由希子の体調は徐々に下降線をたどりだしました。私たちはその後1週間に1ng/kg/minのフローランの増量を続けたのですが、娘の容態は好転するどころか,坂道を転げ落ちるようにどんどんわるくなっていきました。フローラン治療を始めてから最大のピンチでした。

その間インフルエンザや胸に埋め込んだカテーテルの感染等を経て、1998年夏に再検査のためコロムビア大学病院を訪れた時には、
心臓が肥大し、運動機能も落ち,、肝臓もはれていました。そこでバースト先生がフローラン治療の最後の切り札として指示してきたのが、以下の通りです。もし参考になれば幸いです。

フローラン: 2ng/kg/min 増量(1週間毎),ラシックス20mg(旧)→60mg(新)(1日)、新たにアルダクトン50mg(1日)、新たにフローベント及びセレベント(朝晩 1−2かいづつ)、ジゴシン0.25mg(これまでとかわらず)

「これで3カ月やってみて改善が見られない場合は次のステップを考えなければならないだろう」ということでしたが、3カ月後より症状が改善し、今日に至っています。 しかし何と言っても悔やまれるのは、この治療を始めて3カ月で調子が良いからとフローランの増量を止めてしまったことです。人間心理として、調子が良いとどうしても薬を増量するのをためらってしまいます。しかし、このフローランに限ってはこの「常識」が通用しないということを、私たちは身をもって体験しました。

以上が娘がフローランの治療をこれまで続けてきて、一番大変だったことです。 ご意見がありましたら、mail ください。 村上紀子
(1999/8/1) 

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