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藤 圭 子 図 書 室

−復帰(1981年)〜1990年代−


記事タイトル 著 者 初出雑誌など 収録書籍
(出版社、発行年月)
内 容
復帰(1981年)〜1980年代
「怨歌から“縁歌”へ
藤圭似子」
遠山一彦 週刊大衆
1981/10/8
- 藤圭子が藤圭似子と名を変え復帰した時、少なからずバッシングにみまわれたが、彼女の復帰を待ち望んでいた人たちが大勢いたのも事実。本記事はその中の一人音楽評論家の遠山一彦氏によるコメント入りのグラビア4ページ。
「藤圭子『螢火』−まさか!」 平岡正明 週刊漫画ゴラク
1981/10頃?
歌謡曲見えたっ(ミュージックマガジン、1982/3、絶版) 平岡センセイ、圭子タンの復帰に憎まれ口を叩きながらも、イヴァ・ザニッキを引き合いに出して何やら嬉しそうです。18年後、宇多田ヒカルの母として、もう一度彼女のことを書くことになるなんて思いも寄らなかっただろうね、この時は。→[宇多田ヒカル・ブレイク以降]参照
「僕の出会った有名人(2) 藤圭子さん」 村上春樹 日刊アルバイトニュース
1983頃?
村上朝日堂(新潮文庫、1987/2) 1970年、作家の村上春樹氏が学生時代にアルバイトしていた新宿の小さなレコード店へ、こっそり現われレコードの売り上げを尋ねてきた圭子さんを語る。その時の様子から著者は彼女のことを「とても良い感じの人」と思いつつ「この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないか」という印象を持ったと述べている。
「初めまして、私が光(ひかる)です」 - 女性自身
1983/3/3
- 生後間もない光ちゃんが母・藤圭子さんの横で眠っている写真掲載。「女性自身」は圭子さんが米国で光ちゃん出産の第一報を独占掲載(同年2/17号)した他、出産後初めて親子3人で成田空港に降り立った写真も掲載(同7/21号)。→【プロローグ】参照
「a chance meeting in N.Y.」 萬田久子 Free
1983/7
- 藤圭子の夫、宇多田照實氏と親交のある女優の萬田久子さんが雑誌のニューヨーク取材を機に、宇多田一家を訪ねる。そこには、生まれて間もない光ちゃんを抱く幸せそうな藤圭子、もとい宇多田純子さんの姿が。
「CHALLENGE TO YOUR LIFE」 黒部エリ Free
1984/5
- ニューヨーク暮らしがすっかり板についた藤圭子、じゃなくて宇多田純子さんへのインタビュー。「アメリカの方が落ち着く」という彼女の素顔が垣間見える。夫・照實氏との2ショットがグッド♪
「ニューヨークの休日」
筑紫哲也 ニューヨークの休日 見た・感じた・考えた(ちくまぶっくす、1984/5、絶版)
文庫版(朝日文庫、1988/11、絶版)
著者が1982年冬に渡米した際の宇多田夫妻との交流が少しだけ描かれている。当時の圭子さん(文中での呼び名は「じゅんちゃん」)は光ちゃんを身篭って8ヵ月超にもかかわらず、身重を感じさせない活発さに筑紫さんもちょっとビックリした様子です。
「ちょっぴりロック調を加えた藤圭子ひさびさの演歌『東京迷路』」 アサヒグラフ
1986/8/8
- 2月に新曲「東京迷路」を自主制作し、そのキャンペーン展開の模様を紹介。その甲斐あって6月にポリドールから発売となったことや、石坂まさをが藤圭子母娘のためにプレゼントした曲を彼女がステージで歌い、レコーディングも済ませていること(結局、レコード化はされなかった)など近況が述べられている。
「なつかしや藤圭子 生々流転、いま蘇る“歌姫”」 - 月刊宝石
1987/2
- グラビアページで紹介。「これからは、私のイメージと違った、子を思う母親の気持ちも歌っていきたいですね」と語る彼女。この時、娘の光は4歳。
魅力の周辺 藤圭子
「わたしのうたを聴いて下さい」
三矢元城 毎日グラフ
1987/6/28
- 新曲「新宿挽歌」でデビュー曲以来18年ぶりに新宿を歌う彼女のこれまでを、その風景の中で撮った写真を交えて振り返る。最後に彼女が、将来の夢についてこう語っているところがほほえましい。「子育てが終わったら、50歳ぐらいになってから、二人でもう一回学校に行こうって話しているんです」
1990年代
「怨歌・艶歌・援歌」
(原題「ほろ酔い五線譜」)
猪俣公章 東京中日スポーツ
1993/2/24〜26
酒と演歌と男と女(講談社、1993/7、絶版) 日本の歌謡界をリードしてきた作曲家である著者が、自らの人生をふりかえった絶筆の著。著者は藤圭子をデビュー前から面倒を見ており、彼女のために書いた二曲(「女のブルース」「京都から博多まで」)の当時を回顧している。
「女の気分一新」 山下勝利 週刊朝日
1993/7/9
- 「U3*STAR」のリリースを控えてのカラーグラビア・インタビュー。「子供の頃から歌が好きと思ったことは一度もなかった…歌えなくなって、初めて私は歌が好きだったと気がついたんです」「新しい藤圭子も少しお聴きください」
「歌姫」
(原題「声の訪問者」)
大竹昭子 Photo Konica
1993/12
旅ではなぜかよく眠り(新潮社、1995/8、絶版) 旅先の方がよく眠れる「旅体質」の著者が様々な場所で遭遇したエピソードの数々。その中に、あの一世を風靡した演歌歌手との異国での不思議な出会いも...1980年引退後渡米中の藤圭子の生活の一端が窺える貴重なエッセイ。
FACE今月の顔「歌手生活25年、ニューヨーク修行から戻って再び“夢ひらく”藤圭子」 - 潮 1994/5 - 同年1月に初挑戦したレビューで、ホイットニー・ヒューストンのバラードや中森明菜の曲を歌い、ロックやラップも見事にこなしたと記されている。
「日本歌謡ドキュメント 夢歌 恋歌 心歌 -藤圭子」 大下英治 週刊大衆
1994/6/6〜13
心歌百八つ-平成の風聖(かぜひじり)・石坂まさを(双葉社、1996/10、絶版) 藤圭子の育ての親・石坂まさをの半生を描きながら、特に後半から藤圭子との出会い、デビュー前後の経緯が第三者の目で詳細に書かれている。
ふたたびいい女列伝6
藤圭子「愛の修羅場を抜けてきた、二度と繰り返したくない人生」
山下勝利 週刊朝日
1994/6/17
ふたたびいい女列伝(朝日ソノラマ、1995/10、絶版) 波乱に富んだ人生をインタビューを交え振り返る。最後の方で娘のことを聞かれ、こう答えている。「娘を歌手にですか?おそらく本人がそういわないと思います。でも、ひとつの人格として認めていますから、好きなようにさせるつもりです。ただ自立するまでは親の責任ですから、それは果たします。」
「うたものがたり 新宿の女」 越川健一郎 毎日新聞夕刊
1994/10/11〜15
あのうたが聴こえますか-戦後五〇年歌物語(毎日新聞社社会部編、音楽之友社、1995/5、絶版) 藤圭子と石坂まさをの「うたものがたり」を描く。川端康成との交流についての貴重な証言もあり、また、最終回の藤の言葉、「人生って苦しいことの方が多いけど、歌があったからまあいいっか、と言えるような死に方をしたい」は味わいがあって、いかにも彼女らしい♪
戦後ヒーロー&ヒロイン伝説(第41回)「“怨歌”伝説に奔ろうされた宿命の歌手」 宮本治雄 アサヒグラフ
1994/10/28
戦後ヒーロー・ヒロイン伝説(朝日文庫、1995/6、絶版) 左1ページを占める、おなじみの白いギターを手に直立する写真が凛々しい♪(自伝「演歌の星-藤圭子物語」の珍しい表紙写真も載っている)
「心歌十二章」 石坂まさを - 心歌十二章(世界文化社、1994/12、絶版) 藤圭子の育ての親である著者がライフワーク「心歌」の発表を機に、生涯で出会った人々への感謝を綴る。メインはやはり藤圭子との出会い。
戦後歌謡史
歌の中の東京
「新宿の女」
柴田勝章 朝日新聞夕刊
1995/11/8
歌のなかの東京(中央アート出版社、1996/10) 東京を歌った戦後歌謡曲の変遷を辿る連載エッセイ。著者は朝日新聞の芸能担当ディスクで「藤圭子の登場は衝撃的だった」と語る。声量を測る機械の針の振れが、その小柄な体からは想像できないほど異常に大きかった、という当時のプロデューサー榎本襄氏の回想も興味深い。
特選*歌の市「天国」 - 歌の手帖
1996/9
- 「歌の手帖」は知る人ぞ知るカラオケ・演歌の専門誌。当時3ヶ月連続リリースの圭子さんの新曲を毎月のように歌詞と楽譜付きで紹介した。上の2曲はカラオケ歌唱アドバイスと圭子さんの近況も記されている。
特選*歌の市「冷たい月〜泣かないで」 - 歌の手帖
1996/10
特選*歌の市「千年のかがり火」 - 歌の手帖
1996/12
CLOSE UPインタビュー - 月刊カラオケ大賞
1996/11
- 3曲連続リリースに向けて、藤圭子の“現在”に迫るインタビュー記事。演歌だけでなくロックやヒップホップなど幅広い音楽への関心を語っている。掲載された3枚のカラー写真からは衰えぬ美貌と笑顔が@
スーパースター列伝(第2回)
「滅びの演歌 藤圭子」
後藤正治 月刊宝石
1998/2
- 大宅賞受賞作家・競作シリーズ第2弾。藤圭子のLPを買った時の思い出、四半世紀後、地方都市で彼女のディナーショーを見た時のこと、そして、彼女を見出した石坂まさを、榎本襄と、その十年前に西田佐知子を育てた五十嵐泰弘、水木とおるらの青春群像を描き、これらを通して「時代の青春」のありかを問う。
愛すべき名歌たち
「圭子の夢は夜ひらく」
阿久 悠 朝日新聞夕刊
1998/6/16
愛すべき名歌たち-私的歌謡曲史-(岩波新書、1999/7) 戦後最大の売れっ子作詞家が藤圭子について語ったこの部分は、この歌が登場した当時の時代状況の描写にとどまっているが、個人的には著者が彼女のために作詞した「京都から博多まで」や「別れの旅」についても触れて欲しかった。
「藤圭子の娘、歌手デビュー」 - 日刊スポーツ
1998/9/06
- 「宇多田ヒカル」歌手デビューに関する初めての記事。当時宇多田サイドとしては藤圭子の娘であることは伏せたかったようで、のちに新聞社へ抗議したようです。でも今となっては大変貴重で、このことを記事にした日刊スポーツ紙には感謝したい。プロフィール紹介で誕生日が半年ずれている大チョンボはご愛嬌。NHW-BackNumber記事のコピーがアップされているのでどうぞご覧あれ!
あばよ、昭和の歌謡曲(第17回)「新宿の女」 野沢あぐむ レコード・コレクターズ1998/10 - かつて藤圭子論を精力的に展開した著者が、当時を振り返り総括する。しかし、彼はまだ知らない。この後、彼女の娘のデビューが音楽界に衝撃を与えることを...
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[デビュー(1969年)〜引退(1980年)]  [宇多田ヒカル・ブレイク以降]

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