[CD] [シングル] [アルバム] [オリジナル曲] [カバー曲] [ざねっち] [カラオケ] [トップに戻る]


藤 圭 子 図 書 室

−デビュー(1969年)〜引退(1980年)−


記事タイトル 著 者 初出雑誌など 収録書籍
(出版社、発行年月)
内 容
ディスク情報
「新宿の女」
- スポーツニッポン1969/9/3 - 藤圭子初出の新聞記事。石坂まさをと面識のあったスポニチ文化部ディスク(当時)小西良太郎氏の目に止まる幸運に恵まれて、デビュー前に早くも取り上げられる。この後もスポニチでは同年9/12に彼女の紹介記事を掲載し、11/10には伝説の「新宿25時間立体キャンペーン」の模様を速報している。
フレッシュ’69
「RCAレコードの大型新人」
- 週刊TVガイド1969/9/26 - 雑誌では最初の記事と思われる。新譜試聴会の席上であるTV局のディレクターが、「美空ひばり以来の大物歌手」と絶賛したという記述も。
ルポ 新演歌誕生
「歌手への道/17歳・藤圭子の場合」
- 女性セブン1969/10/22 - デビュー間もない彼女の流しの様子と生い立ちを5ページにわたり掲載。
フェイス’69
「生い立ちも“演歌調”」
- 週刊朝日
1969/11/7
- 巻末グラビア 笑顔で白いギターを奏でる表情に、まだ少女のあどけなさが残る。夢は「母と一緒に暮らすこと」だと語っている。
今週のクローズ・アップ
「女・森進一をめざす演歌の星」
- 週刊明星1969/11/30 - 3ページの紹介記事と、HOPEとして巻末グラビアに登場。まだ殆ど無名なためか、居候先の澤ノ井龍二(石坂まさを)の住所が明記されている。
「藤圭子をきく」 相倉久人 週刊読書人
1970/3/2
ジャズからの出発(音楽之友社、1973/6、絶版) 藤圭子のヒットは「メディアによる大衆操作の定式に逆行し、セミ・アングラ的な径路をたどったもの」であると論じつつ、それにこたえるだけの情念のしたたかさが彼女の歌を支えているのだと評価している。
「ホッカイローのケーコターン」 赤塚不二夫 少年サンデー
1970年4月頃
もーれつア太郎(文庫版全9巻、竹書房、1994/11) マンガ「もーれつア太郎」で鼻たれ小僧が「ダリラリダララ〜ン♪ホッカイローのケーコターン!!」と叫びながら駆けて行くシーンは藤圭子のヒット時期と重なり話題を呼んだ。今でも“圭子たん”のことだと信じている人は少なくないが、後日ある対談で赤塚は、あれはアシスタントの恋人のことを書いたのだと告白している。(『赤塚不二夫1000ページ』(扶桑社、1998/12)より)
藤圭子が100万円の
チャリティーレコード
- 週刊TVガイド
1970/4/24
- 新曲「圭子の夢は夜ひらく」がチャリティーレコードとして印税100万円が恵まれない人々へ贈られることが記されている。(30年前の100万円だからスゴイよ!) このチャリティーは“光のプレゼント”と名付けられるが、これってヒカルちゃんの名前の由来?
「艶歌と援歌と怨歌」 五木寛之 毎日新聞日曜版1970/6/7 ゴキブリの歌(角川文庫、1994/12) 当代人気作家が新進スター歌手を思い入れを込めて語ったということで大きな反響を呼んだエッセイ。その後の藤圭子を見事なまでに予言したものとしても知られる。これまでも多数の単行本・文庫本化(新潮社、講談社、集英社、福武書店など)がされているが、現在は角川文庫で入手できる。
過労の藤圭子がダウン寸前 - 週刊TVガイド
1970/6/12
- 超人気歌手となり凄まじい過密スケジュールが続く中、過労のためステージで倒れたことや喉の酷使で声に異変が起きていることなど、早急の休養が必要だと報じている。
クローズ・アップ
《17歳の過去》
- PocketパンチOh!
1970/7
- 「『わたしは歌手になりたかったわ。でも、スターを望んだことは一度もありません。…いまこうして売れていますけど、これが本当の芸人の道とは思いたくありません』彼女にとって、有名になることと歌手として生きることは、まったく別問題のようだ」…藤圭子自身と両親など関係者のインタビューを交えた6ページの記事
「大衆が惚れこむ非思考-魅力の周辺」 西井一夫 毎日グラフ
1970/7/26
連合赤軍“狼”たちの時代(毎日新聞社、1999/12) 大衆が「ホレこむ」数少ない歌い手としての藤圭子の魅力を「毎日グラフ」がインタビューと豊富な写真を交えて多角的に分析。表紙にも大判アップで登場。
「18歳の“伝説”
藤圭子」
小山 アサヒグラフ
1970/7/31
- 前週の「毎日グラフ」に続いて、今度は「アサヒグラフ」に登場。やはりインタビューと多くの写真で構成。共に当時の藤圭子ブームの凄さが窺える記事。
藤圭子・夢はいまひらく 早稲田企画室(池松史江/諸星輝夫/原義彦) 婦人公論
1970/8
- 「好きで歌っているわけでない彼女の歌をレコード盤のすり切れるほどきいている人たちがいる。十七歳の彼女にとって歌とは何だろう」という問いかけから、藤圭子の生い立ちと歌うことの意味を探る。
「藤圭子をみる」 相倉久人 週刊読書人
1970/8/3
ジャズからの出発(音楽之友社、1973/6、絶版) 上記「週刊読書人」3月2日号の記事の続編。最初に藤圭子を論じた3月の時点ではレコードを聴くだけにとどまっていた著者だが、今回はその後テレビを見て感じた「歌唱主体としての藤圭子」と与えられた「素材」である曲とのあいだの齟齬について語っている。
「私の圭子たん」
(原題「天下の美女 藤圭子 私の圭子たん」)
中山千夏 週刊文春
1970/8/3
千夏千記-私の人間食べ歩き-(大和書房、1972/9、絶版) 子役時代から芸能界で活躍する著者が「藤圭子のこととなると、ちょっと客観的にって訳にはいかないかもしれない。私、惚れてんだ。」と熱烈なラブコール!下記「怨歌の誕生」にも早速引用されている。
安倍寧の連載対談
「怨みつらみの怨歌でござい」
藤 圭子
安倍 寧
週刊TVガイド
1970/8/ 7
- 音楽評論家安倍寧がプライベートにまで踏み込んで迫るが、屈託のない素顔の彼女に難無くかわされる。なお安倍寧氏は30年後、JALのPR誌「Winds」'99年9月号に宇多田ヒカルについての記事を書いている。→[Library'99年後半]参照
時評’70
「藤圭子の前に立ち止まって……」
浜野サトル ミュージック・マガジン1970/9 - “歌謡曲”を通り過ぎてゆくものとしてしか存在しなかった著者の前に「藤圭子」が立ちはだかる。彼女の歌の前に立ち止まって、あらためて〈うたう〉という行為の意味を問う。
「黒い円い世界」 五木寛之 小説セブン
1970/9
風の言葉 五木寛之ベストセレクション(東京書籍、2001/9) 自著「艶歌」をテレビ化するにあたり、無理を承知で藤圭子出演に固執する著者。念願叶い受諾を得るが、〈しかし、本当によかったのだろうか?〉と自ら問い直しつつ、「艶歌」の主題歌を書いてみようと思う。
「怨歌の誕生」
(原題「実録 怨歌の誕生」)
オール讀物
1970/10
五木寛之作品集6(文藝春秋、1973/3、絶版) 「艶歌と援歌と怨歌」の反響などを綴った後日談。TV番組で藤圭子本人に会った時の印象などが述べられている。他の著作集や文春文庫「四月の海賊たち」にも収録されているが、いずれも現在絶版。
「〈藤圭子〉への挽歌」「私怨〈藤圭子〉への総括」「圭子の負債は引受けた」など 野沢あぐむ 現代の眼
1970/10など
艶歌への私怨-歌謡曲心情派からの流行歌論-(ブロンズ社、1973/4、絶版) 現在も活躍している音楽評論家、野沢あぐむ氏の初期艶歌評論集。第一章をまるごと割いて、「藤圭子」を論じている。
独占初顔合わせ対談
森進一
藤圭子
森 進一
藤 圭子
女性セブン
1970/10/21
- 当代人気NO1同士の対談。両人とも超過密スケジュールを縫っての対談との触れ込みだが、写真は合成だし話しの中身は乏しいし、この対談が本当に実現したかは疑問。
〈演歌の星〉
実録藤圭子
女性セブン編 女性セブン
1970/11/18〜12/9
- 4週連続、全20ページにわたり藤圭子の生い立ちが詳しく述べられている。題字を当時の旭川市長で後の村山内閣の官房長官、五十嵐広三氏が揮毫。
話題の女性の真情手記「私の十八年〈涙の記録〉」 藤 圭子 新 評
1970/12
- デビュー以来様々な生い立ちが語られてきた藤圭子が、7ページにわたって自ら綴った半生。巻頭グラビア(5ページ)には幼い頃の貴重な写真も。
「巨人の星」 川崎のぼる
梶原一騎
少年マガジン
1970/12/6
巨人の星(11)(講談社漫画文庫、1995/8) 当時絶大の人気を誇ったマンガ「巨人の星」にも最後の方でちょこっと登場(星飛雄馬、沢村忠らとTVで対談するシーン)。
庶民派70年代の百人
藤圭子(18歳)歌手
(哲) 朝日新聞
1970/12/28
- 作られたイメージではなく、素顔の藤圭子がふんだんに垣間見える秀逸なインタビュー記事。…「思ったより分別くさく、思ったより明るく、思ったよりキツそうで、そして、思ったよりつくられていない娘サンである。」
「やはり野におけレンゲ草」 安倍 寧 平凡パンチ臨時増刊
1971/1/10
- 「NUDEと演歌と女性歌手特集号」…当時のトップスター勢揃いの中でメインは藤圭子!表紙に加え、カラーグラビアなど13ページの大特集♪
怨念の映像
「森山大道
藤圭子」
- 週刊プレイボーイ
1971/1/26
- 7ページにわたる巻頭カラーグラビアに美空ひばりとのツーショットなど貴重な写真がいっぱい!後に宇多田ヒカルが森山氏にアルバムのポスター撮影を依頼した際に、以前母親を撮ったことがあると明かされた事で、この記事の存在が注目される。
テレビ人間シリーズ「今だから話そう 藤圭子と歩いたテレビこの一年」 石坂まさを 週刊TVガイド
1971/3/5〜26
- 石坂まさをが4週連続で、藤圭子と共に歩んだこの一年を語る。
テレビ人間シリーズ「藤圭子の本当の気持ち」 藤 圭子 週刊TVガイド
1971/4/2〜9
- 前週までの石坂まさをの連載を受けて、藤圭子が自ら激動の一年を振り返る。
「圭子歌集」 - 少年マガジン
1971/3/14
- 少年マンガ誌としては異例の巻頭15ページにわたるカラーグラビア歌集。表紙も藤圭子の顔アップ写真。今も、ファンの間でプレミアつきで出回っているとか!?
「演歌の星-藤圭子物語-」 藤 圭子 - 演歌の星-藤 圭子物語-(FF企画(のちルック社より発行)、1971/3、絶版) 生い立ちからスターに駆け上り紅白歌合戦に出場するまでを綴った藤圭子の“自伝”。貴重な写真や関係者の証言も交え、盛り沢山の内容。但し現在所蔵している図書館は極めて少なく入手困難(国立国会図書館、東京都立中央図書館、旭川市立図書館にて所蔵確認)。復刻版切望!
「藤圭子『つし猫』のような少女」 草柳大蔵 女性自身
1971/5〜6頃
お嬢さんの人物論−その愛・人生・仕事・イメージ(大和書房、1973/4、絶版) 草柳大蔵氏は「お嬢さんシリーズ」等で当時人気の評論家。ここでは、一見さめた目で突き放したような人物論を展開しているが、なかなか興味深い彼女の本音も描かれている。
「ノーベル賞作家が自室に異例の招待 川端康成氏の熱愛に感激 藤圭子が『先生、お肩を…』」 - 週刊明星
1971/7/25
- 藤圭子の熱烈なファンというノーベル賞作家川端康成氏に請われて滞在先のホテルオークラを訪ねた時の記事。この時彼女は氏の肩を叩き、持参した全集にサインをもらうなどして川端氏の鎌倉の自宅訪問を約束したが、翌年突然の死により、その約束は果たせぬまま終わった。
「ふるさと喪失者の怨念 藤圭子の歌」 新藤 謙 流れ者歌謡考
1971/11
日本の名随筆別巻82「演歌」(天沢退二郎編、作品社、1997/12) 藤圭子の歌の中に無常感を見出し、それが高度成長時代に故郷を捨て都会に出てきた人々の心に怨念として訴えかけるのだと論ずる。収録書籍で紹介した『日本の名随筆別巻82』は日本の演歌を語った随筆集。とにかく顔触れが凄い!→目次
「藤圭子の神髄はエロチシズム」 平岡正明 音楽の友
1973/6
歌入り水滸伝(音楽の友社、1974/8、絶版) 「彼女のほとんど神秘的なまでの登場時の吸引力の秘密は、じつは彼女の声の艶っぽさにあったのだ」「彼女の声は、自然で、けっして倒錯されることのない、新鮮なエロチシズムに充ちていたのである」…台湾旅行の途上で聴いた若きサラ・ヴォーンの艶っぽい歌声にデビュー当時の藤圭子の声を重ね合わせ、「黄鐘調」なる女声の低音域にエロチシズムを感じる著者。
「人物スポット 藤圭子」 - 週刊朝日
1973/6/8
- ヒット後の数々の出来事について、藤圭子本人が本音を語る。「藤圭子に“暗い”という一語には封じ込められない、どこか知性としかいいようのない率直な魅力が感じられる」と記者が語っているように、記事中の彼女の言葉は実に率直で生き生きとしていて、まるで娘宇多田ヒカルの言葉を聞くような錯覚をおぼえる。
特集
「いのちびの-藤圭子」
石坂まさを
小西良太郎
プレイファイブ
1974/11
- 新曲「命火」にかける藤圭子を豊富なグラビアと石坂まさをの詩&小西良太郎の文で飾る8ページに亘る特集。表紙も美しい!
「紅白歌合戦異聞」 五木寛之 週刊朝日
1975/1/24
深夜草紙(朝日新聞社、1976/4、絶版) 前年の紅白に、めぼしい歌手がいずれも出場しなかったとぼやきながら、その中の一人、藤圭子についても少し触れ、自分の持ち歌よりも他人の歌を歌わせたら最高、浪曲の素質はプロより数段上などと記している。
お色気いっぱい!圭子のあでやかな芸者姿 撮影
渡辺アキラ
スタア
1975/6
- 藤紫の着物に身を包み日本髪にかんざし姿の圭子さんのカラーグラビアが3ページに4枚、どれも溜息が出るほどの美しさです!本文によれば芸者姿は圭子さんの少女時代からの夢だったそうで、念願叶ってとても嬉しそうです
「圭子の夢は夜ひらく」と藤圭子 和田 誠 報知新聞日曜版
1975/6〜7頃?
日曜日は歌謡日(講談社、1976/7、絶版) シンプルな似顔絵を描かせたら日本一!のイラストレーターである著者が、思い入れの深い歌謡曲と歌い手について語るエッセイ。もちろん圭子さんの似顔絵もあり♪
「藤圭子モデル説を訂正」 五木寛之 日刊ゲンダイ
1976/3/12
流されゆく日々(抄)1975〜1987年(講談社、1995/7)
(「ミミズクの綱渡り」PHP研究所刊、にも収録されているがこちらは絶版)
自著『艶歌』のモデルが藤圭子であると言っているのをTVで見てあきれる著者(なぜなら『艶歌』は彼女のデビュー三年前の作品だから)。最後に彼はこう結ぶ。「あれは正確に言えば、小説をマネして歌手を売り出しためずらしいケースであります。」
「私の紅白歌合戦」 週刊朝日
1977/12/23
深夜草紙Part3(朝日新聞社、1978/5、絶版) 「時の過ぎ行く中で、夕焼けの記憶として永遠に生きることこそ、流行歌手、流行作家の栄光でなくて何だろう。六十年の西田佐知子、七十年の藤圭子、八十年の三上寛、それでいいのだ。」…三上寛はともかく、前の二人は全く納得!
「竹村健一の“ヤオヨロジスト”対談」 竹村健一
藤 圭子
週刊現代
1978/3/16
- 竹村健一のオヤジな質問に屈託なく答える彼女。新曲を覚えるのに一時間もかからないこと、ロックを聞いたり騒いだりするのが大好きなことなど、ありのままの藤圭子を語ってくれました。なお、この対談で写真を担当した井上和博氏が2002年6月に出版した『時代を食った顔』という本にこの時の模様を記しています。→[宇多田ヒカル・ブレイク以降]参照)
大竹省二写真館「日本のおんな百人の肖像」 大竹省二 週刊現代
1978/11/16
女 101人の肖像 Photo&Essay(講談社、1982/5、絶版) 「『眉毛の濃いのは後家相なんだよ』というと『では……もっと細くしようかしら……』。その瞬間、美少年のような瞳が美しくきらっと輝いた。それは幼女のような正直な眼差しであった」グラビア(注:写真集の写真及び本文は「週刊現代」のものとは異なる)
「オトコなんかいらないワ……」 五味康祐 夕刊フジ
1979/4頃
一刀斎の観相学的おんな論(サンケイ出版、1980/6、絶版) 手相を観るが如く、女性の顔相から性格や運命を分析する異色の本。藤圭子に関しては「年がいってもまったく容貌のかわらぬタイプ」「男性に左右されない人生」「気は強く頑固者」「再婚は31歳ごろ」などなど
「歌は世につれ」 五木寛之 週刊朝日
1979/11/2
深夜草紙Part5(朝日新聞社、1980/5、絶版) 藤圭子引退の記事を見て、著者が10年前に一度だけ対談した時に彼女がもらした言葉「のぼればくだる川の雑魚」を思い出す。藤圭子の父親がよく言っていたというこの言葉は著者の記憶に強く残ったようで、他でも彼女を語る時しばしば出てくる。
TVナナメ斬り「潔く、いい顔をした藤圭子」 橋本 治 アサヒ芸能
1979/11/8
- 出先の本屋のTVに映った藤圭子の引退表明の表情が“目茶目茶にいい顔をしていた”ので脱兎の如く家へ飛んで帰りテレビをつけた著者。そこには“明晰に的確に、しかも毅然として話している”彼女がいた。
「今週のベスト・スリー」 五木寛之 週刊朝日
1979/11/9
深夜草紙Part5(朝日新聞社、1980/5、絶版) 前週に引き続き藤圭子を語る。TV「人に歴史あり」に出演した引退間近の彼女を見て、ごくろうさんでしたとねぎらい、またひょっこり復帰するのも悪くないとも。(実際、その通りになったね)
「藤圭子讃江」 週刊朝日
1980/1/18
深夜草紙Part6(朝日新聞社、1981/6、絶版) 「70年代の最後の年に退場した藤圭子が、いつか再び芸能界に復帰してくるか、それとも永久に去ったまま帰ってこないか。そんなことは、どうでもいいことだ。だが、もう一度もどって来たときの彼女は、別な人間である。」…これ、暗示的だと思いません?
「藤圭子 演歌の女王」
(原題「帰ってきて欲しい藤圭子」)
吉田 進 サンデー毎日
1980/1/27
パリからの演歌熱愛書簡(TBSブリタニカ、1995/11) パリ在住のクラシック作曲家である著者が演歌への思いを綴ったエッセイ集の中で藤圭子を語る。ここで著者は彼女の引退を信じられぬ思いで聞いたと語りつつ、彼女を一人の偉大な音楽家として認め、彼女とその歌への尊敬と愛情の念を惜しみなく吐露している。単行本での加筆部分はさらに泣かせる。
はオススメマーク)

[復帰(1981年)〜1990年代]  [宇多田ヒカル・ブレイク以降]

[戻 る]


[NHW-Libraryトップ] [New Hikki's World] [新宿の女]

Copyright(C) 2001-2002, NHW-Library. All Rights Reserved.