江戸時代天文年表

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伊能忠敬のテレビ番組を見て、伊能忠敬がどんなことに興味を持って、幕府天文方の高橋至時に弟子入りしたのかが疑問になり、その当時の天文学について調べてみることにした。

テレビを見ていると次のような疑問が湧いてきた。

  1. 中国からの暦に狂いがあったの修正するというのは違っている。すでに日本人の手による暦があった。
  2. 至時が死んだのは40歳と番組ではいっているが、文献では41歳。
  3. 忠敬は農民だといっているが、帯刀していることを考えると武士の身分ではないのか。
  4. 忠敬が持っていた望遠鏡はオランダ製か?当時の日本製は持ち歩けない?

この年表をまとめてみると次のようなことが分かった。

  • 江戸時代、日本の天文学は、暦つくりが中心となった。
  • その暦は、日食や月食を予報することに気をつかった。ほかのことは多少ずれても一般の人は気づかないが、日食や月食は違うとはっきりと分かってしまう。
  • 伊能忠敬のころは、まだ、彗星や小惑星、天王星が発見された程度で、宇宙論のようなものはなかった。
  • ただ、その分不思議に思うことは多かったのだと思う。
  • 地動説は、ほとんどの学者が信じていたと思われる。
  • 日月食を予報するために、緯度経度の精度が必要だった。そのこともあって伊能忠敬の測量が必要だった。南北の測量というよりはどちらかと言えば東西の距離がほしかったのではないか。でもなぜ当時基準であった京都と、江戸の距離ではなく東北の測量を先に行ったのだろうか。

参考文献

  • 内田正男、理科年表読本 暦と天文・今昔、丸善出版、1990
  • 中込茂、天の科学史、朝日選書、1984
  • 文部科学省 国立天文台、理科年表2002、丸善、2001
  • 星沢正、日本史総覧、東京法令出版、
  • 小平桂一ほか、天文の事典、平凡社、1987

西暦 年号 日本の天文学 西洋の科学・天文学 社会の動き
1600 慶長5 ウイリアム・アダムス漂着、家康に幾何や数学を教える    
1603     バイエル星図  
1609     ケプラー惑星運動の法則  
1610     ガリレオ、望遠鏡による天体観測。太陽の自転  
1618 元和4 池田好運編「元和航海書」    
1650   クリストファ・フェレイラ「乾紺坤弁説」    
    このころ小林謙貞、ペドロ・ゴメスの「天球論」を基に「二儀略説」を著す。この後「天経或間」「崇禎暦書」「暦象考成」などの漢訳本で西洋天文学を学ぶ。    
      ホイヘンス、土星の輪の確認  
1675   「天経或問」(明の天文書、西洋天文学を伝える)の序文 グリニッジ天文台創設  
1677 延宝5 渋川春海、日本長暦を作る    
1684 貞享元 渋川春海天文職を仰せつかる    
1685 貞享2 日本人の手になる最初の暦法、貞享暦法が用いられるようになる。それ以前は宣明暦(三嶋暦、京都暦、大宮暦など神社(暦師)が発行   生類憐れみの令
1687     ニュートン、運動の法則、万有引力  
1689 元禄2 本所二つ目に天文台用地、後駿河台に変わる   芭蕉、奥の細道の旅に出る
1694     カメラリウス、おしべとめしべの発見  
1705     ハリー、周期彗星  
1715   渋川春海病没    
1718     ハリー、恒星の固有運動  
1745 延享2 忠敬、今の九十九里町で生まれる   吉宗将軍職を譲る
1746 延享3 渋川六蔵則休に改暦計画書の提出を発す。西川正休登用。神田佐久間町に天文台を置く。    
1751 宝暦元     吉宗薨去
  宝暦2 西川正休江戸に召還    
1755 宝暦5 正休観測禁止。土御門泰邦宝暦暦の改暦を行う    
  宝暦6 正休病死    
1712 宝暦12 忠敬、佐原村伊能家に婿養子に入る    
1763 宝暦13 5分も欠ける日食の予報に失敗    
1764 明和元 佐々木文次郎天文方となり補暦御用を仰せつかる    
1765 明和2 神楽坂近くに補暦御用のため牛込天文台が建つ ワット蒸気機関  
1771 明和8 修正宝暦暦が行われる このころ麻田剛立脱藩弟子に高橋至時、間重富    
1774 安永3 本木良永、松平定信の命により、「天地二球用法」を翻訳(最初に地動説を伝える)。後に「太陽窮理了解説」を著す(惑星・視差・近点・遠点などの訳語を使う)。    
1776       アメリカ独立宣言
1781     ハーシェル、天王星  
1789       フランス革命
1793 寛政5 岩橋善兵衛の望遠鏡で天体を見る    
1795 寛政7 至時・重富暦学御用を仰せつかる 至時天文方を拝命 忠敬、単身江戸へ    
1798 寛政10 寛政暦法実施される    
1799     ボルタ電池  
1800 寛政12 忠敬日本地図の測量開始(55歳)    
1801     ピアジ、小惑星ケレス  
1802 享和2 善兵衛「平天儀図解」 ハーシェル、連星  
1804 文化元 至時病死(41歳) 景保(至時長男)20歳で天文方となる。忠敬、東日本の地図を完成させて幕府に献上   ナポレオン皇帝となる
1805 文化2 忠敬、西日本の測量に出発    
    このころ司馬江漢「地球全図略説」「和蘭天説」「刻白爾天文図解」などを翻訳し、地動説を説く。    
1811 文化8 景保の支配下に蛮書和解御用を置く 司馬江漢「春波楼筆記」    
1814 文化11 景保書物奉行を併任   ウィーン会議
1815     フラウンホーファー、太陽スペクトルの黒線 杉田玄白「蘭学事始」
1818 文政元 忠敬、永眠(享年73歳)    
1821 文政4 「大日本沿海與地全図」完成    
1832 天保3 国友藤兵衛、望遠鏡を作り始める    
1835   国友藤兵衛、約1年の太陽黒点の観測開始 コリオリの力  
1837 天保8     大塩平八郎の乱、モリソン号事件
1940       アヘン戦争
1842 天保13 九段坂上に九段測量所が建てられる ドップラーの原理  
1844 天保15 渋川景佑(至時次男)が中心となって天保暦を完成。明治5まで使われる    
1846     ルベリエほか、海王星  
1859     ダーウィン、種の起源  
1868       明治維新

最終更新 3/25/07 (open2001.5.28)