映画「生きる」(黒澤明監督)を観た
兄弟のメールで「新しき村」(武者小路実篤が作った村のうち「東の村」)の渡辺貫二さんのことが話題になった。その際、弟から「生きる」という映画はぜひ観た方がよいと言われた。この映画のことは知っていたが、観たことがなかったので早速DVDを注文して観た。
印象に残ったのは次の4つ。
「ゴンドラの歌」(命短し恋せよ乙女・・・)がこの映画で重要な役割を果たしていること。(主題歌のようでさえある)
パンフレットにある次の言葉が衝撃的。「(前略)・・・・そして残された僅かな期間を、あわてて立派に生きようとする。僕は、この人間の軽薄から生まれた悲劇をしみじみと描いてみたかったのである。」(黒澤明)胃ガンだと思い、残りの人生を一生懸命生きた主人公の尊さではなく、軽薄から生まれた悲劇というのが面白い。
自分を主人公に重ねて観てしまいがちだが、この映画も所詮商業映画であり、芸術を追究するもののお客が入らなければだめだ。昭和27年という時代性に訴え、戦後が一段落した時の観客の心をつかめる作りをしたのだと思った。
最後に、映画自体で感じたこと。小説家に頼んで、パチンコやダンスホール、ストリップなどを彷徨うところが、メフィストフェレスに案内されるファウストのような印象を受けた。それと主人公を演じる志村喬のギロリとした目が印象的だった。敢えて目にライトを入れたキャッチライトという手法だと知った。志村喬がチャップリンのようにも見えた。
この映画を観て、自分の考え方や性格が変わったかというとあまり変わらなかった(と思う)。
NHKビデオ「般若心経のすべて」の中で武蔵野女子大学教授 花山勝友(はなやましょうゆう)氏は「病を治す神もあろうが、治らぬままに救われる道もある」という話の例として、黒澤明の「生きる」を取りあげている。
「死ぬことがわかっていながらいままでやっていたこととは違う小さな公園を作ることに生き甲斐を見つけている。治らないと分かっている中で救われている。」と述べ、「日本人の一人一人が、与えられた仕事に命をかけて一生懸命やったときに生き甲斐が出てくる。」とも言っている。
確かにその通りだとは思うが、僕が死を宣告されたら、一生懸命仕事をするかと考えるとそれほどのことはできないような気がする。ただ、昔の僕は燃えるものがあって、たしかに生きていたようにも思うが、今の自分は生きていないのではないかと反省した。(2006/4/19)
「花」−死の予感−
テレビの録画を見ていたら、「みんなの童謡」という番組で、滝廉太郎の「花」を放送していた。最近スーザン ・オズボーンの「花」を聴いたばかりだったので興味を持って聴いた。もしかするとこっちの編曲のほうがいいかもと思いながら・・・

善福寺川緑地の桜(2005年)
ところが、そのとき「自分は死ぬんだ」という思いが突然襲ってきた。涙が出そうなくらい悲しかった。ここしばらく、そんなことは考えたこともなかった。なぜそう思ったのか分からない。映像自体は華やかで、明るい。音楽の編曲も行進曲的というか吹奏楽的というようなオーケストラ伴奏で悲しさとか暗さはない。もしかすると音楽や映像があまりに美しかったからかもしれない。
願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃 西行
久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらん 紀友則
昔高校生のころだったと思うが、どんな歌が好きですかと聞かれて上のような歌ですと答えていた時期があった。そのときは何か花への憧れのようなもの、中原中也への憧れのようなものがあって、深い意味はなかったと思う。
ところが、この年になってみると「これから先、今の若い人が花見をするに違いない」「もう自分たちの時代は終わりに近いんだ」などと考えてしまう。だからどうだということはなく当然なのだが、あと何回花を観られるだろうか、などと心のそこで思っていたのかもしれない。
それにしても、この3分弱の番組、心に残る珍しい番組だった。撮影した人、編集した人の名前が出てこないが、撮影した人、編集した人もそのすごさが伺われる。そしてこれが明治33年、滝廉太郎21歳の作品だというから驚いた。ふと、昔行ったことのある豊後武田を思い出した。
番組データ NHK教育テレビ「みんなの童謡」「花」
作詞 武島羽衣 作曲 滝廉太郎 編曲 小野崎孝輔
うた 東京混声合唱団 演奏 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮 円光寺雅彦
Mar.12. 2006
国際理解教育で育てたい子供は?
どんな子供(大人)になってほしいのだろうか。今日一日考えた(もちろん会議や仕事をしながらだが)。
あいさつや旅行英語だけでなく、趣味の話ができたとしても所詮それでは遊びだ。もちろんそのことを会話する必要があれば、それでもよいのだが、無理して話をする必要もない。外国の人を見ると話しかけてみたくなるものだが、昨日も書いたように問題は話の中身だ。
日本の経済的立場を考えると、外国との交流なしには生活できない。とは言っても現実の国内の生活で満足している人はことさら外国と交流しないでも生きられる。
では、なぜ国際社会に貢献できる人が求められるのだろうか。政治経済的に考えれば、今後の日本の経済活動を担う若者は外国と交流できなければ困る。学術分野でも国際協力がなければこれからは成り立たない。また、体育や芸術の分野でも外国との交流が必要である。日本に求められている国際援助も大切なことだ。その際、自分や日本の利益ももちろんだが、相手のことも考え、地球全体のことも考える必要がある。(このことは、仏教の精神である「自利・利他」の考え方でもある)
一方、日本に来る外国人も今後増えることが予想される。日本にいる外国の人とも付き合いが必要になる。
そこで問題となるのは何だろうか。現在の教育で足りないものは何だろうか。さらに伸ばすべきものは何だろうか。
私は、人を愛する心、ヒューマニズムの精神ではないかと考えた。そして、他人と付き合うことが嫌いでないこと、協力して事を進める力があることだ。そして平和を愛すること、物事を進める勇気と実行力があることだ。話し合いの能力があること、意見を持ち説得力があることも必要かも知れない。物事を地球レベル、宇宙レベルで考える力も必要だろう。なぜなら、ともすると外国人を敬遠したり、外国人を馬鹿にしたりすることが見られるからであり、相手を尊敬しながら自分の意見をはっきり述べることが苦手だからだ。
ところで、フリーターやニートが問題となり、キャリア教育が叫ばれてきた。日本人としては、キャリア教育は地球レベルで進める必要があるかも知れない。ボランティア教育も地球レベルで考える必要がある。
このように考えると、国際理解教育はことさら取り立てて行うものではなく、教育全体の根底に置くべきものかも知れない。これらのことを考えて、具体的にどの段階でどのような教育活動を行ったらよいかは機会があったら書こうと思う。(2006/02/26)
国際理解教育は何をするのか
JICAでモンゴルに派遣された教員の帰国後の実践報告会があった。久しぶりに国際理解教育について考えることができた。僕は、特定の国の学習を通して国際理解教育を進めるより、お互いに相手を尊重し、好奇心を持ち、自分のアイデンティティーをしっかり持てる人を育てることの方が大切だと思っていたが、そう考える人もいることが分かってよかった。
別な言葉でいえば「みんなちがってみんないい」という感覚を持ち、外国のことを知りたいと思う子供を育てればよいのではないかと思う。でも、一番思ったのは、JICAは、どんな先生を派遣しようとしているのか、帰国後どんな授業をしてほしいのか、費用対効果でどんな効果を期待しているのかなどだった。グローバルな思考を持ち、足下を大切にしながらも国際社会に貢献できる人を育てるために、学校教育に何ができるかだ。JICAに期待するところは大きい。ぜひ学校と協力してできたらと感じた。
それにしても発表した方々は、熱い人たちだった。伝えたい思いがひしひしと伝わってくる。僕もいろいろ考えることができた。国際理解教育のねらいは何なのだろうか。国際理解教育でどのような子供たちの変容をねらえばよいのだろうか。国際理解教育を学習する必然性をどのように考えたらよいのだろうか。そんなことを考えた。と同時に、一歩踏み出す勇気のある行動力のある子供を育てることも大切だと思った。
会場で、音楽やスポーツが好きな人を育てれば国際交流ができるとも発言したが、帰りの電車で、「中身のある人間」が大切だと思った。外国人と挨拶ができる人を育てたい、英会話ができる人を育てたいという話が多い。でもそれだけでは不十分だ。外国の人とあったとき、挨拶だけではそれで終わりだ。釣りの話でもいい、山の話でもいい、音楽の話でもいい、旅の話でもいい中身のある話ができる人でなければだめだと感じた。(2006/2/25)
音楽のセンス 教え方のセンス
学校の合唱団の指導に先生が来た(とりあえずお名前は伏せておきます)。同時にPTAの運営委員会があったので指導の様子を見せていただくことはできなかったが、終わった後5分ほどお話を伺うことができた。
話していて気づいたのだが、芸術にセンスがあるように、子供の指導にもセンスのようなものがあると思った。子供が持っているリズムを指導者が感じてそれにシンクロできるかどうかということだ。大人のリズムで教えても教え込みになる。ところが、子供のリズムに合えば、たとえそれが「教え込み」でも、一緒に学習したことになるのではないか。そう思ったのだ。
ところで、この間学校に来てくれた野崎君に面白いことを言われた。「先生それでは盆踊りのリズムですよ。」はっとした。僕はやはり田舎のおじさんで、日本人が持っている4拍子の盆踊りのリズムから脱却していないのだと気づいたのだ。
今更この歳でセンスを磨くことなどできない。でも、でも、少しはアップするかな?と思っている。(2006/2/25)
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