座禅のこと 2001/01/19
夜、近くの修福寺というお寺さんで座禅の会があったので、3か月ぶりに行ってきた。
最初に座禅をしたのだが、3か月も経ってしまったのでやり方も忘れてしまった。でも、とりあえず鐘が鳴るまで続ける。はじめたころはシーンという音が聞こえていてなかなか集中できなかった。
その間なぜか眠くなってきて、目は開いているのに、前に見えるふすまの絵が変なものに見えてきた。そこから手のひらが出てきて動くのだ。ほとんど妄想の世界だ。そういえば、子どものころ天井の染みが動物に見えて動いていたのを覚えている。その感覚だ。でも、ちょっと驚いた。
その後座りながら、「永平高祖御垂訓」というのをテキストに、座禅の仕方を方丈様が教えてくださった。食べ過ぎたりおなかがすいたりしていてはいけないとか舌の位置とか、自分の精神をおでこや鼻の頭に集中させることなどを教えていただいた。
中でも面白かったのは、「謂ゆる坐禅は習禅にはあらず」というくだりだ。座禅は習ってできるものではないというのだ。また、難しい言葉でよく分からなかったが、自分を知ることが座禅だ(もちろん理屈ではなくて)、と言うのだ。これは半分今年の目標とあっていることがうれしかった。
昨日友人と、自分は何者かという話をしたが、「自分は小山浩だとは思っていない、ただの生命体だ。」と言ったのを思い出した。禅の心とあっているのかもしれない。
また、自分がいなかったらと思うのは、思い上がりだという話もしたのだが、僕はやっと「自分がやれることをやるだけだ。いなかったらいなかったの話だ。」と言えるようになったのだが、これも禅の考え方とあっているような気がした。
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