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「将棋の思い出」
 
1:私が将棋を憶えたのは、たぶん小学生の頃と思います。実家が大学生の下宿を行って
おりそのひとりから教えてもらったと記憶します。手合いは、私が相手の飛と角をはじめ
から持駒にするという今考えると恐ろしいハンデです。でもほとんど勝てなかった。
 相手が卒業すると相手がいなくなり、いつしか新聞の将棋欄や詰将棋を解くようになり
ました。不思議な事に解ける問題も時々はあったと記憶しています。
 なぜか、詰将棋らしきものも作りはじめた記憶があります。私の創作ノートを見ると
第1番は昭和42年1月20日になっています。勿論作品といえるものではありません。
昭和27年7月生まれの私の15才の時です。「舞シリーズ」の最終ページの著者紹介の
通りです。その春に「近代将棋」を本屋で見つけました。『山田修司』氏の名局リバイバ
ルの作品にはびっくりしました。「近代将棋」に「詰将棋パラダイス」の広告があり、『柏
川悦夫』氏の作品が出題されていて、7月号から「詰将棋パラダイス」の読者になりました
 
2:これをきっかけに詰将棋に没頭になる筈でしたがアクシデントが起きました。7月末
に腹膜炎(盲腸炎)になり、医者の誤診で生死の境を彷徨う事になりました。8月末まで
入院して助かった事が不思議という状態でした。1週間は全く何も出来ず苦しむだけで
2週目から8月号を解いたり、ノートと鉛筆で詰将棋を作りはじめました。
 これが如何に無謀なことかは、当然に分かるでしょう。駒と盤を使わずに暗算で解答
と創作をしようとしたのです。解答はともかく、創作でものになったのは1作のみでした
。その1作も素材レベルです。
 奇跡的に助かってからは、激しい運動の禁止もあり、詰将棋環境は充分でした。しかし
投稿した作品は全て不完全で返送されました。翌年春に初めて、完全作が不採用で返送さ
れてきました。非常にうれしかった記憶があります。
 そして、6月号に2作で初登場を果たしました。
 
3:当時の「詰将棋パラダイス」は完全作のみ入選でしたので、初登場というのがありま
した。結局、5手詰は不完全でした。本ホームページでは、「修正図」にあります。
もう1作が7手詰で完全で初入選でした。これは「 不成の舞」にあります。とにかく
この時の気持ち印象が強すぎてかえって完全には思い出しません。
 そして、まずまずのペースで採用されました。検討者の「奇想天外」氏には感謝の
言葉もありません。
 直ぐに類作指摘がありました。次に不詰を出してしまいました。当時は解答も行って
いたので、指摘者に自分の名前があるのは、何といったら良いのか複雑です。
次には、誤植に会いました。何故か再出題されませんでした。20年くらい後に手を
加えて再投稿・入選しました。短期間に色々学びました???。
 
4:その次の1月号中学は大荒れになりました。「限打の舞:36」の遠打で無解30名以上
でした。同時に出題された「青木文夫」作の飛中合を見逃しほぼ同数の誤解者がでました
。でも5作中で首位になったのは、「田中至」作でした。作品集「白扇」にのっている
代表作です。無解・誤解ともにかなりありました。全部加えると100名以上の解答者
の内で全題正解者は30%強でした。
 当時は「勝ち抜き戦」というのが行われていました。7手詰で投票が多い方が勝ち抜き
です。しかし、勝ち抜くためには作品のストックが必要ですし、かなりの結果が不完全
失格で決まりあまり成功した企画になりませんでした。
 
5:また、マラソンの企画もありました。解答期間が短く、1度間違うと参加権を失い
ます。いつ難解作・ひっかけ作がでるのかがポイントでした。これも時間的に無理のある
企画で後に2ヶ月の2コースに分かれました。
スピード詰将棋もありました解答参加費が必要で4作の順位予想をおこない、正解者で
山分けです。順位予想は解答者の楽しみの一つでもあるので、企画を考える余地がある
かも知れません。
 17歳頃から突如、指将棋に熱中することになりました。
 
6:当時の私の棋力は10級以下でした。高校で友達とすると8割くらいの勝率ですので
困ったものです。居玉の振飛車で自分から角交換に行く乱暴な将棋でした。ひょっとする
と「藤井システム」の原形?(うそです。)
 神戸の三宮で夏に大会があります。それに参加したのがきっかけで、若松七段の将棋
教室に毎週行くことになります。当然、アマ・プロを問わず同門とは対局しています。
最初は8級で入り、1年で初段になりました。そこからは昇段ペースはゆっくりになりま
す。
 指将棋の棋力は急激に向上しましたが、不思議な事に詰将棋を解く能力はほとんど
変わりませんでした。自分でも不思議です。
 もうひとつ不思議なのは8級の頃から、棋譜を憶えられた事です。指したその日に帰っ
て棋譜をノートに書くことが出来た事です。厳密には意味の不明手順の間違いはあったと
思いますが私が指した棋譜は全て残っています。これを「実戦取材」に使用しています。
 これは盤面を憶える詰将棋の影響としか思えません。
 
7:一方、賞とは無縁の私が半期賞を小学校で受賞したのがこの頃です。対抗作の作者が
当時愛媛の「森信雄」現六段のアマチュア時代です。
 この頃は、中編・あぶりだし・双玉・長編・大道棋・必至・チェスらしきものなど
あらゆる分野に手をだしています。でもほとんど物になっていません。結局自分は短篇
作家だと認識したのが最大の収穫でしょう。
 私の長編のいくつかは、当時では異端的な序奏も収束も少ない作品で合駒制限の駒ばか
りが壁のように配置されています。当然、批判の方が大部分でした。現在の看寿賞長編
を見ると同じような構成作品が見られて、どうもよく分かりません。
 「近代将棋」の短い手数の方で全題正解で名前がのったのもこのころです。たまたま
短い手数で易しかったようですがうれしかったです。同時に5級の時に初段認定で
全題正解したことも驚きました。
 
8:20−25歳は指将棋の方が比重が大きい時代でした。25歳で指将棋を止めたのは
田舎に転勤になったためです。この頃はアマチュアトップクラスで現在のプロ棋士のアマ
時代にかなり指しています。
 詰将棋はというと、実は同じ頃に約5年のブランクがあります。投稿ストックと再投稿
作が直ぐに採用されたので外からは、ブランクは気がつかなかった可能性もあります。
理由はありますが、もう昔の事で内緒にしておきましょう。よく「詰将棋パラダイス」を
退会しなかったと思います。
 再び作りはじめた頃に、名古屋で「香龍会」を作る話が連絡されてきました。

9:田宮さんが中心になった、神戸での会合の経験はありましたが、ひとり黙々
タイプでした。しかし鶴田主幹に会えるという事で、出席しました。場所は愛知厚生年金
会館です。名古屋にもほとんど行った事のない私でしたが、駅のそばで迷う事はありません
でした。ただ部屋は分からずうろうろしました。
 主幹は、「長く続かない事がほとんどなので、素直に賛成できないがやりたい希望者が
いるので、あちこちに声をかけた。」との事です。たしかに長続きしているメンバーは
少ないです。しかし、色々形をかえながら、今も続いています。私は初回からのメンバー
ですが、他にだれがいたのかはほとんど忘れています。
         
10:会合と言えば課題問題がつきものです。香龍会でも長い間続けました。
詰めパラに出題しましたが、かなり長い間全部完全でした。でも、とうとう不完全作が
でました。一度でると立て続けにでます。また人数が、当時から少なくメンバーが限られる
事もあり、いつしか課題は廃止になりました。
 この後、場所の変更・飯田繁和さんの結婚・馬場雅典さんの死去・全国大会の開催と
結構話題はあります。
 しかし、実はこのあたりが私の転機でもあり、駆け足でとばした個人的な詰将棋の事
を10代に戻って少しゆっくり振り返りたいと思います。

11:10代のころから「条件作」にいくらかの興味がありました。当時、目をつけたのが
石井武さんが手がけていた「金銀図式」と、石川幸雄さんの「清貧小駒図式(鶯詰め)」
です。両方は無理なので、「金銀図式」を先にすることにしました。初期に数局作った
中で1局が駒1枚不足で完成しませんでした。あきらめていたのが、実に20年後に
ふとした事から完成できました。それがどの1局かは内緒にします。
 一方の「清貧小駒図式」は「金銀図式」の作りたいテーマを終えてから作りはじめ
ました。入選回数が100回をこえてからが本格的になりました。
 とはいいましても、初めは不成作品と大駒捨てがほとんどの作品のテーマです。これは
いつ終わるとも本人にも分かりませんでした。悪形と2手長駒余りのオンパレードでした。

12:2手長手数駒余りと、同手数駒余りは双方ともキズとして嫌う人が現在では多数です。
ただ、どの程度嫌うかはかなりの個人差があるように思います。
 「変化同手数駒余らずは、作意が2つあるので面白いのではないか」との意見を見た
事もあります。
 私は詰将棋を始めたころが2手長駒余りをあまり気にしない時期であったのと、無駄合
を理論的に詰めてゆくと最低限は2手長駒余りを認めないと矛盾が生じるので2手長駒
あまりの方がキズの程度は低いと思います。ほんとうの所は、最初は作図と解答の双方を
行っていましたが、2手長駒余りは作意を決めやすいですが、同手数駒余らずが収束以外
で発生すると作意が分からない事があります。変別解の見落としかもしれず困ります。
作者の見落としは人間なので仕方ないとしても、意図的なものは解答者には害としか
いえません。

13:私が詰将棋パラダイスを読み始めた時に、単行本で出版されていたのが。
「7手詰傑作選シリーズ」と「けむり」でした。
 「けむり」は、良くも悪くも距離を感じる本でした。単純に驚いたと言えば素直ですが
正直な所は、なぜ似た手順が度々あらわれるのだろうかと言う疑問でした。
 一方「7手詰傑作選」は、正・続・続々とありますが、1冊ごとの内容の変化に驚き
ました。最初は、好手が1手あれば良いといえる基準で選ばれていました。ところが
最後になると、好手は3手以上になっています。すなわち、玉方の応手や最終手にも工夫
が必要になっています。この変化は作品数から見て、吉田健氏の作風が主流になったため
と思います。でもこれは新人には厳しい内容であり、無理が形と変化長に行ってしまった
といえます。とにかくも出発は5−9手詰でした。

14:このころの創作メモと完成??ノートを見ると恐ろしくなります。1週間
に沢山作ろうとした跡があります。結局、難しい素材とやや面白くない素材が残されて
丁度能力にあった素材だけが完成までに行っています。素材といっても、玉の軌跡と王手
駒の動きだけとか、玉が置いてあって仮想手順のみが書いてあると言った訳のわからない
本当のメモです。
 しかし、これがあったので20年後に「舞シリーズ」を作れる事になるとは、当時は
全く予想外でした。
 曲詰や長編や大道棋なども含まれています。特に大道棋は30年後に改造して発表する
という奇跡的な運命になりました。
 ただ若い時は記憶が良いので本当のメモです。今見て意味が分からないものがあるのは
仕方がないとしかいえません。

15:「双玉は単玉とルールがことなる」という考えはずっと持っています。
簡単に言うと双玉の方が作りやすいです。双玉でのみ表現可能な構想は沢山ありますし、
不完全修正にも便利です。普通の詰将棋を「レトロ」と呼ぶ時に双玉は歴史がまだ浅い
ので少し異なる呼び方が良いでしょう。若い頃は双玉も沢山作りました。一桁の後半ぐらい
発表しています。
 まず単玉に集中する事に決めてからは、双玉作品募集と旧作の手直し以外はやらなく
なりました。単玉の規約と同様に、双玉の規約も早く整備される事を望みます。時代に
まかせても良いでしょうが、規約の境目を狙う作品はかならず登場するでしょう。特に
若い人が多いでしょう、才能の無駄使いにならない事を祈ります。

16:なぜ、手筋派になったのかといえば、構想派・理論派と呼ばれる(本人は
別にして)人の考え方についていきにくい部分が多かったからです。才能の問題ともいえ
ます。意味つけと表現との兼ね合いもありますが、もうひとつ興味のない事は新しい事でも
作りたくないし見ても興味はない事があげられます。この結果は「超マニア」と「重箱の
隅に拘り派」ができます。前者は作品を見ても楽しいし期待もありますが、自分には無理
です。後者は何が楽しいのか分かり難いです。手筋派にも個々の作品に、個人的拘りは
あります。ただ押しつけたりしないだけです、詰将棋の創作にはかなりの自己満足がある
と考えています。結果的に楽しむ事が出来れば良いと考えています。
 手筋物を作ってゆくうちに、回答者との競争の意識が薄れていくのはかんじました。
そして、次の転機がきました。

17:転機のひとつは、香龍会の開始と参加です。そして課題作
です。詰パラの課題作募集には殆ど応募していましたが、収束条件の課題にはまいります。
基本的には、順算(正算)で作っていましたので時間内には無理です。でも逆算もやり
始めましたが、結果は収束からは駄目で、一応の完成素材からの逆算になりました。
ただ、手を繋ぐ意識が弱いので捨駒逆算になります。そうすると、勢力のバランスが
崩れるので打ち捨てになります。
 結果的に持駒を打ち捨てる手筋作家になってゆきました。
 もうひとつの転機は、詰パラに連載された篠原昇氏の「小駒図式の研究」でした。

18:打ち捨てと簡単に言いますが、絶えず余詰の危険が伴います。
そして一番多く見落とすのが、大駒の追い回しです。逆に打って捨てるだけでは大駒も
小駒もあまりかわりません。
 早くから金銀図式を作っており、桂香歩図式(鶯詰)に興味を持っていながら何故か
普通の小駒図式は作っていませんでした。小駒図式の場合は一旦、外に逃げ出すとかなり
多くの持駒があっても詰みません。非常に相性が良いのです。
 そして作ってゆく内に、小駒独特の繊細な手順が非常に好きになってしまいました。
 ただ小駒図式の1号発表作は余詰で、半年後に他の人が似た作品で塚田賞を受賞する
という、個人的にはびっくりする事が起こりましたが短篇特有の類似作と思う事にしました。

19:同人作家になったあとの傾向は決まった感があります。ひとつは金銀図式
に一応のきりをつける。代わりに清貧小駒図式(桂香歩図式、鶯詰)を本格的に作り
はじめる。短篇手筋特に打ち捨てを中心に作る、これには小駒図式が非常に合っています。
 これに加えて何かを計画したいと思ったのが30才くらいです。これが15年後の舞
シリーズになります。これは別に述べます。
 一方、香龍会は鶴田主幹の予想通りに、発足時のメンバーは転勤などで少なくなりました。
逆に、清水一男氏、服部彰夫氏、橋本守正氏ほかの参加で継続しました。今も生き残って
います。香龍会の特記事項は、全国大会の復活と飯田繁和氏の結婚です。後者については
普段からよく会っていても詰将棋以外は何も知らない事が分かりました。ほんとに何も
しりません。詰将棋の世界は結構このケースが多いと思います。

20:香龍会の会場は、愛知厚生年金会館(池下)>郵便貯金会館(葭原町)
>中村社会福祉センター(本陣)と変わっていますが、全国大会は葭原町の時です。
参加者の予想も全く不明で、開催した事に意味があったと思います。テーブルの並び方
にも悩むし、何を行うかも全て手探りでした。流石に詰将棋次の一手戦は無理でした。
大会が恒例になった事に意味があったと思います。
当時はまだ名古屋市の人も有る程度いましたが、いつしか香龍会は名古屋を中心にした
遠方の人が集まる会になってゆきます。参加自由なので別に良いのですが、別の地区の
人に簡単に集まれる様に誤解されるのは若干困ります。

21:発展も解散もしない香龍会はいかにも名古屋圏らしいです。
 少ないメンバーなのに、何かを担当しているケースが昔も今も続いています。現在
では4年に一度の名古屋地区全国大会もスタッフ打合せは時間的に少なく、勝手に
担当を決めたり、担当が決まったら後は個人で動くケースが多くなります。
 さて自分は30才をこえて何をしようか、考えはじめました。何が合っているのか
何が得意で好きか、何は無理かを詰めて行くと簡単にはまとまりません。ただ多くの
作者と同様に、自作作品集の発行が目標のひとつにありました。当時(今も?)の現実
を見るとあまりに「遺稿集」が多いのが残念です。やはり自分で見なくては・・・。

22:短篇集を見ると優れたものでも、長編・中編集と比べると印象が薄い
感じがします。理由を考えると、発表>結果稿での解説以上の内容になりにくい事、
どの作品がどの作品集に載っていたか直ぐに忘れてしまう事があります。特に私の
様な手筋作はこのようになります。避けることは出来ないならば、未発表作も多く
収録しようと考えるようになります。
 でも100番集1冊ならば、簡単に出来てしまうようにも思えます。そこでまた方針
が出てきます。無理では無いが、簡単ではない作品は何か。1冊だけと考える必要は
無いだろう。実力相応の限界はあるが、何か新しいことを加えたい。
 徐々にしかまとまってゆきませんが、こんな事を考えているのは非常に楽しいです。
普通に考えれば、「遺稿集」にならない時間的余裕は10年以上は楽にあります。

23:初入選当時は不成に凝っていました。篠原昇氏の「小駒図式の研究」
を読んでからは小駒図式に凝っています。上田吉一氏の「変拍子」を見てからは
短篇の趣向性に興味が向いています。
 どれも捨駒手筋+何かの融合です。これを元に色々考えましたが、条件作集を作り
たいと次第に思う様になりました。この時は3冊で未発表作は50作以上との考え
でした。これが、現実化するにはかなりの時間を要しました。
 なぜなら趣味の世界ですから、なにも急ぐ必要がなく、むしろ時間をかけて構想を
描いてゆく時間が非常に楽しいのです。

24:ある時、香龍会に上田吉一氏が来て食事をしながら色々話した
事があります。私に質問しました「今後、どのような作品を作るつもりですか?。
フェアリーに興味はありませんか?」。私のこたえは、「今の短篇手筋物で作りたい
ものが、数えきれないくらい多くあり、どのくらい時間がかかるかわからないので
他の事をする時間はないです。」。多分、「舞シリーズ」の構想に関して話した
最初と思います。まだ本人が構想中であり具体的に話せる段階ではなかったので
当然ながら不思議に思ったことでしょう。なお「小駒の舞」「不成の舞」「風花
の舞」が未発表比率が30−40%と高いのも、最初から多く作っていたからです。

25:話は変わりますが、名古屋でまがりなりにも復活した全国大会は、
東京>大阪>地方>名古屋 のサイクルで現在も続いています。
 実家が兵庫県で(昨年から戻っています)、勤務が三重県だった私は、大阪と
名古屋は全部出席です。東京と地方は、日程等が合えばの状態です。
名古屋はずっと開催側を担当しています。時間待ちを含めると2時間かかる住所
なので裏方ばかりですが大会が身近に感じることは確かです。
 遠くから来る人を考えれば色々と何をするか考えたくなりますが、現実は趣味の
世界で高望みは無理です。参加したが知った人がいない人の対策があればそれでも
良いとも思いますが、ここが問題です。

26:昨年の大会で私も10回目でした。
 10回表彰は良い制度と思います。看寿賞の紹介は詰パラ読者以外には必要
でしょう。毎回悩むのが、一人一言です。これが一番、楽しい人とつまらない
人が別れます。時間も取るし、誰か名案はないでしょうか?。
 懇親会には出席しない人も多いので、結果発表等は先に行ってしまうべきです。
ただ、分かっていても時間的制約はこれを難しくしています。
 今年の大阪大会でも、先に帰る人から本間プロ出題作の答えを聞かれました。
かなり苦労して詰ましたのだが、詰ましておいて良かったです。

27:3大都市+地方といっても、地域の事で場所は異なります。
東京は品川と府中に行きました。大阪は、千里・嵯峨野・南港ともう1ヶ所は
忘れました。地方は静岡だけ?。
 名古屋は四日市以外は市内です。市内3回、名古屋の中心はJR名古屋では
ないので初めての人はやや不便でしょうか。
 最初は5月でしたが、途中から7月の海の日あたりに変わりました。その地域
の人は日曜日を、他の地域の人は休日の前日を希望する場合が多いです。難しい
です。名古屋市内が少ない香龍会中心の名古屋大会が、名古屋市内が多いのも
どこかへずれると、幹事役の誰かが不便になるからです。

28:すっかり恒例になった、全国大会の一握り詰めは条件作の1種
です。結構工夫を凝らした作品も有ります。多くの人は条件作を作ろうとすれば
作れるのですが、それほど人気はありません。やはり現在は手順主義と考える
べきなのでしょう。短篇作家の私は、一握り詰めは苦手では有りませんが投票
は中長編にあつまります。
 一握り詰めは、沢山作っても面白くありませんが条件作は私にとっては別です。
何が条件作かは難しいですが『「風花の舞」の終わりに』に私流にまとめました。
本ホームページにも、アップしていますので是非読んで下さい。

29:香龍会の課題に助けられて??同人作家になりましたが、どうも
入選回数の計算があわないようです。現在では、コンピュータ検討で多数の不
完全作を見つけているので、もうどうでも良い気がします。
 香龍会は課題も、詰パラへの出題も行っていませんが、関西に戻っての創棋会
では課題が長く続いています。会員数の違いが理由でしょう。
 課題は普段はあまり作っていない人に、作るきっかけを作る面で意味があります。
ただ、課題を決める事は非常に難しいです。
 香龍会の会場が郵政会館でしばらくあった事は、清水一男氏の働きでもあります。
郵便局勤務で転勤も多かったですが、郵政会館での集まりと全国大会共に中心に
なりました。ただ、別の意味で3回目の名古屋全国大会は思い出があります。

30:さて、話は変わって私の出版計画?は、次第にまとまってゆきました。
大体3−7テーマ程度を目標に作っていました。個々の完成度よりも、百局全体の
バランス・構成・内部シリーズを狙う事に決めていました。
 現実に当時考えていたままの形で、本になったテーマは1/3程度です。完成段階
では次々と変わってゆくものです。ただ、素材を沢山持つことは、非常に意味があり
ます。
 私は30代後半に2回倒れて入院しています。その1度は全国大会に重なり迷惑を
かけました。大会当日に知っておどろいたのが、清水氏も入院されていたことです。
他の名古屋周辺メンバーで準備されていました。
 清水氏の入院は、あとで微妙な事に巡りあう事になりました。

31:さて、40代になると作品集の内容が決まってきて作品を作りはじめ
ます。ただ、はっきりしているのが、「不成」「小駒」「短篇趣向作」だけです。
結果的にこのテーマが、既発表作の比率が高くなったのは経過から言えば必然です。
 第1集は初入選以来のテーマの「不成」の予定でした。第3集「不成の舞」のはじ
めにを読んでもらうと分かりますが、作っている最中に同じテーマの作品集が出版さ
れるというアクシデントが起きました。テーマ自体は省けないので、複合テーマを設
ける事に変更して内容を大幅に変更しました。結果的には良かったと思っています。
ただ、出版順序が変わりました。
第2集の「歩兵の舞」は全く予定になかったのですが、「小駒の舞」に1色図式を入
れた結果、歩のみの配置が見た目が白っぽく視覚的に気に入ってしまいました。

32:作品集の題名は、かなり前から統一したいと思っていました。小西
逸生氏の色シリーズ(「紅玉」「青玉」「紫雲図式」)、北原善治氏の「独楽」
シリーズ、吉田健氏の「XX曲」シリーズ、等などあります。私の場合は条件作です
ので、「条件」+「統一名」と決めていました。「舞」というのは、「駒が舞う」か
らの発想です。
 「歩兵の舞」は香龍会での近藤真一氏との雑談が出発です。1色図式から歩図式に
話が進み、何局ぐらい作れるかになりました。近藤氏は10局以下のイメージだった
ようですが、私は30局は作れると思っていました。無理しても50局作れば、他の
テーマと組み合わせて百番集にできると思っていました。
 約1年後、約110局を持って香龍会に行った時は、周囲もややあきれていました。
しかし、次々に不完全になってゆくのを見て、作者もあきれました。

33:第3集くらいから、コンピュータ検討を全体的に行うようにしましたが
みつからない不完全は幾つかあります。当然ながら、コンピュータだけでは駄目です。
 さて、元に戻って出版する作品がまとまってきたので、この時は大阪に移転していた
香龍会以来の友人の柳原さんに話を持ち込みました。図書館等に寄贈して出来るだけ
のちまで残す事が一つの目的でしたので、活版印刷しか考えていませんでした。イメ
ージする本を持ってきてとの事でしたので、田中至作「白扇」を持ってゆきました。
この時はシリーズの話をしていなかったので、第1集出版前に第2集の原稿を送って
びっくりさせてしまいました。当時、彼は清水一男氏からも作品集の作成を依頼されて
いました。特に解説も依頼されており、作業量が多くなるので止まっていました。
 私の方は解説も全部書いているので編集は楽な筈ですが、シリーズ化を考えていたの
で軽い気持ちで、後でゆっくりで良いと言ったのですが・・・。

34:清水一男作品集「詰将棋エトワール」は1998年5月出版されました。
私の第1集「小駒の舞」は奥付けは1998年7月15日で、本人が最初に見たのが
7月後半の東京の全国大会です。
 そして、長い付き合いでした清水氏が亡くなったのが後から知りましたが8月1日
でした。「エトワール」完成時にはまだ元気で、香龍会で出版記念会的な事もしまし
たので意外でした。私の作品集は見てもらえなかったですが、ご本人の作品集は間に
あった事になります。本人は生前に「作品を整理して、貯金通帳と一緒に残しておけば
作品集を作ってもらえるかね。」などと冗談に言っていましたが、まさかこんなにぎり
ぎりになるとは誰も思っていませんでした。

35:連続作品集の序文は、色々な人にお願いしています。作りながらテーマ
をまとめて行った作品集はその時にお願いしてきました。詰パラの顔と言うべき方たち
です。
 はじめから予定の3作品集は、是非お願いしたい人を決めていました。随分勝手です
が結果的に全て実現したのは、非常にありがたいでした。「小駒の舞」は、小駒図式を
作りはじめるきっかけになった研究を発表した篠原昇氏です。まだ会った事がありませ
ん。突然のお願いでびっくりさせてしまった様ですが書いていただけました。
 「不成の舞」は、一度完成に近づいたものを作りなおすきっかけの「詰の花束」の作
者の岡田敏氏です。
 「風花の舞」は、短篇趣向のイメージを得た「変拍子」の作者の上田吉一氏です。

36:作品集の数は3から5から7から10へと増えて行きました。第4集の
北村憲一氏の序文の「10集1000作」を残した時点で10集に決めました。
 32回目の事から第2集「歩兵の舞」の序文は近藤真一氏にお願いしました。
 第4集は持駒趣向のイメージから北村憲一氏にお願いしました。
 第5集は予定外の無防備玉になり、無防備=砂丘のイメージから服部彰夫氏にお願い
しました。
 第6集の初形変則対象形は全国大会で捜して、曲詰全般得意の柳田明氏にお願いしま
した。この頃短篇関係の方が少ない事に気がつきました。

37:それと年齢的に幅をもたす事を加えて、第7集の限定打集は詰パラ短大
担当の石黒誠一氏に頼みました。第8集の不動玉の全格配置集は詰めパラ小学担当の
八尋久晴氏に頼みました。第9集は、文字通り詰パラの顔・表紙担当の田口正明氏です。
結果的に見るとかなりバランスが良い結果と、私は思っています。
 第10集以外は、最後のコラム(あとがき)は考えていませんでしたが、第2集から
何かをいれるようにしました。かなり、統一性に欠けますが無いよりはましでしょう。
第10集のあとがきは、私の条件作の考え方とシリーズの創作動機ですので、これだけは
はずせません。(本ホームページに、載せています。)

38:はじめる前は、日程予定は特に立てていませんでしたが、最後は6年以内
に10集に少し拘りました。第1集の奥付けが7月15日なので、第10集は7月14日
までをかんがえました。(実際は7月1日)
 後から思えば、7月11日が私の51歳の誕生日なのに、何故50歳中に完成を全く
考え無かったのか不思議です。
 ところで、皆さんは将棋用語は一般にはどの程度知られていると思いますか?。
図書館に寄贈は、はじめから考えており実際に見学した経験から同人誌的に見られると
蔵書整理で廃棄される事は知っていました。活字製本をはじめから考えていたのは、図書
館寄贈がはじめからの予定でしたからです。国立国会図書館に寄贈するとその期間に相当
する「全国図書書誌」が送られてきます。ふりがなが付いていますが、将棋用語が題名の
時はびっくりする奇妙な読みになっています。考えて見て下さい。

39:詰将棋用語は、人口から読めないと思っていましたが、将棋用語は流石に
図書館の学芸員ならばわかると思っていました。
 甘かったです。第4集以降は、私の造語の「弧王」「犠合」を含めて一般名詞なので
正しく読んでいます。
 おおごま、こごま、と読んでいますが、「小駒」は「ここま」でした。
 「歩兵」は駒の種類なので大丈夫と思っていました。読みは「ほへい」でした。
 「不成」は「ふなり」と読まれるかと心配していました。テレビ将棋を観ている人は
棋譜読み上げは正しく「ならず」と読んでいることを知っていると思います。そして、
図書書誌の読みは「ふせい」でした。何か悪いことをしたみたいでがっくりしました。
将棋用語でも、ふりがなをつけなければいけない様です。注意しましょう。

40:第10集のあとがきを読んだ人は、かなり計画的にテーマを選んでいる事
を分かってもらえると思います。思わない人は、本ホームページにも載せていますので
是非読んで下さい。
 分類は、(1)初形(2)終形(3)手順に分かれています。(2)は多数のあぶり出
し作品集があるので省いて、(1)(3)と分類外を均等になるようにテーマを選んでい
ます。初めは、「小駒」「不成」「風花」の3集のみも考えていたと、前に書きましたが
これでも、(1)・分類外・(3)になっています。
 何故、第1集に書かなかったのかと言われそうですが、そこは作者のひとりで楽しむ
秘密です。連続作品集の最後に書くのが、出来たという喜びが強いのです。

41:私は10代からの創作ノートとメモは残しています。メモと言うのは本当
にメモで、素材やアイデアや未完成作などなんでもありです。例えば、玉と軌跡の矢印だ
け、言葉で条件やアイデアを書いただけ(多い)、途中までしか出来ていない作など。
 意外にないのが、収束の素材です。昔から、完全逆算はやっていなかったようです。
 30代になって手筋短篇ばかり作るようになってからは、駒を使わずこのメモの上で
作図する様になりました。創作過程が残っていて役に立ちそうと思った人は残念はずれ
です。たえず複数作を並行して作っていますので、順番に追いかけるのは簡単ではあり
ません。最近は、この素材?自体がかなり思いつかないので、「舞シリーズ」にはこの
メモを充分に活用しました。

42:私が詰パラを読み始めた頃からあるコーナーで、登場していないのが、
2つあります。1つは「表紙」で、これは生涯登場意志なしです。最近まで同人作家
で未登場は私だけと思っていましたが、平松準一氏も未登場ではないかと思います。
 もう1つが、「大道棋研究室」でした。10代にはほとんどの事に、手を出したと
前に言いましたが、大道棋も同様です。ただし「金問題」と「95玉+86飛」だけ
で、後者はすぐにやめたので残っているのは前者だけです。「舞シリーズ」で素材を
あさってゆくと、これが目につくようになります。大道棋は特殊なルール・感覚が必
要で普通の詰将棋の様にまとまった収束を捜すと、配置が乱れて完成しません。これ
が30年眠ってしまった理由です。これが陽の目をみることになったのは、たまたま
全国大会で、担当だった矢場氏になにげなく話したことがきっかけです。

43:一般の双玉を除くと、従来型の作品は投稿は多くなかったとも思いますが
とても大道棋とはいえない作品2題で初登場しました。素直にうれしいです。同時に
時間はかかるが、未完成品を完成させて好意に答えたいと思いました。収束と配置の
アドバイスも参考になりました。私にとっては、未知の世界ですから。最近は、「
同人室」「短編コンクール」以外では「大道棋室」でパラに登場しています。長編を
作ってみたいの気持ちもありましたが、それより先に大道棋金問題を持っている素材
を納得ゆく形で完成させたいと思っています。年に1−2作が限度と思います。優れ
た作品は改造と言う形で、受け継がれてゆく世界ですので難しいが興味は増える世界
です。

44:小駒図式は、一度はまるとやめられません。続編は、数で目標はありません
がなぜか、順調に数が増えています。軽くやさしい作品が好きな私にぴったりなの
でしょう。飛角の代わりに香で何ができるか、銀桂をいかに上手に使うかがポイント
と分かっていますが、なかなかうまく行きません。私にとっては、なぜかかわいい
イメージがあるのですが、ほかの人はそうではないのでしょう。作品集・ホームページ
に掲載が妥当でしょう。後は新聞向けにも良いと思います。
 それにしても、不成と同様にもうゆきつまっているはずですが、気にしないのは本
人も不思議です。

45:舞シリーズで一番多く素材が残っているのが、盤面歩一色図式です。修正
困難が原因でしょう。余詰が作為に変わる幸運はあまりなく、ぼちぼちと普通図式
に変えて完成させています。手順がよわいので、時間はかかります。いっそ、「と歩
図式」も考えています。次のテーマになるか検討中です。特に面白くも珍しくもありま
せんが、見た目が盤面が白っぽいので好きです。純ではなく、盤面のみです。はたして?
。どの位の数を作れるのかの見込みが問題です。1テーマ1局の人も多いと思いますが
私は1テーマで、どれくらい作れるかが興味があります。「舞シリーズ」の考え方その
ものです。

46:オールラウンドというのは、何でも作れるだけか、多く作れるまで含むかは
多少興味があります。結局はその分野に習熟するかどうかと思います。 
 私は自分で沢山作って見ないと、なかなか理解できません。そして、結果的に一般的
な評価と異なるイメージになる事も多くあります。従って、詰将棋の全分野に深い理解
を持っている人の存在は無いと思っています。
 一度、過去の作品をデータベースで見直したいと思いますが、検索方法にアイデアが
なく考え中です。「四葉の舞」の後書きで一度、使いましたが、大変な労作データベース
のわりにはほとんど使っておらず、これも課題です。

47:短編手筋作で、類似作は通常はあるものです。特殊作・うまく出来すぎた作品
等では同一作の心配もあります。データベースは同一作は見つけますので、防げる筈 
です。しかし、少し前に同一作を発表してしまいました。俗手の作品だったので予想していま
せんでした。これが建前です。実は、「舞シリーズ」を含めて、検索は一度も行ったことが、
ありません。
 人間は、「見つかるときもある」レベルでは、なかなか時間をかける事をしない習性がある
と勝手に思っています。私だけかもしれませんが。
 未発表の作品を50%以上含む作品集を作るにあたっての問題のひとつは、類作は調べ
ないと言う現実的で、かなりいいかげんな結論で進めてしまいました。

48:詰将棋のルールの成文はありません。そして、合駒が絡むと厄介な問題が発生
します。残念ながら私は落ちこぼれで、理解しきれていません。無駄と最善の定義は、 
すべての人に理解を求めるのはかなり難しいです。
 その一つに「透かし詰め」があります。合駒を王手した駒以外で取ったときに無駄に
なるケースです。一般に認める方向と理解していますが、個人的には無駄かどうかすっ
きりしません。それゆえ避けてきました。しかし、「玉座の舞」の入玉の不動玉のアイ
デアが不足して、作ってしまいました。つくづく、人間とは意思の弱い者だと自戒して
います。

49:2手長駒余りは私が詰将棋をはじめた時には、普通に扱われていたので習慣的に
余り気にしなくなっています。逆に変化同手数は異常に苦手です。 
 結局、「最善」を手数よりも駒余りを2手限定で優先する方が理解しやすかった事と
回答から始めたので、作為の決定できる駒余り変化と、決定できない同手数変化では、
後者が厄介な事が原因と思います。どちらも避けるのがよいのでしょうが、無駄合との
絡みの有無で排除は難しいでしょう。「舞シリーズ」もおおむねこのようになっています。
特に条件作は変更の余地が少ないので、直しようがない場合が多かったというのが正直
な感想です。

50:一番理解が難しいまたはできないのが、馬鋸無駄合です。なぜこの特例ができたのか
私はしりません。つくずく長編作家でなくてよかったと思います。作者によって微妙に 
異なるように思います。例えば、添川公司作で馬鋸無駄合絡みの作品の記憶がありませ
ん。はたして特例の必要があったか疑問です。私自身は未発表作にひとつありますが、
発表作は「舞シリーズ」を含めて有りません。いまさら議論は無用とは思いますが、
作者は意識しても良いのではないかと思います。
 さて、近畿地方の東海地区に長く住んでいましたので、名古屋地区所属作家が主で
関西地区のイメージはありませんでしたが、兵庫に戻ってさて。ただ全国大会は双方
とも参加し易いので、参加回数は多い筈です(2003年で10回目)。

51:全国大会ははじめは、本の上だけではなく本人に出会う事が楽しみでした。
しかし、次第に新しい趣向を行う様になりました。これが良いのかどうかは、参加者に 
とってどうかはわかりません。最近は裏方の役をすることもあるので、純粋の参加者の
目でみれなくなっています。
 ただ4年周期ですが、地域で事情が異なり、悪い意味の競争にはならない様に注意が
必要と思います。名古屋大会の裏方の経験が圧倒的に多いですが、会場は名古屋でも、
準備メンバーはほとんどが市外の時間的に遠い場所から集まります。全員が集まる事は
一度かなり前にあれば良いぐらいです。

52:全国大会で一番悩むのが、参加者の紹介と一人一言を行うか、どのようにする
かです。これは極端に意見が分かれるようです。参加人数も不明だし、時間もあらかじ 
め決めにくいです。長く話す人もおれば、名前だけの人もいます。また、全詰連会員以
外の人も最近は多く参加するようになりました。個人的には難しくなって来ている気が
します。難しいです。
 作家としては、事前の握り詰めと当日握り詰めがあります。ただ、どうしても手数が
長い作品に人気が有るようです。短編作家としてはやや不満です、実力と言えばおしま
いですが。当日作図作は、余詰ばかりでこちらは実力通りです。

53:復活の最初の名古屋大会は、開催すること自体に意味があるという感じでした
今の大会と比べれば、色々問題はありますでしょうが、とにかく行う事が目標です。 
 現在の講座方式ではなく、会議方式だったのでひとりずつの挨拶はやりやすかったで
す。流石に、詰将棋次の一手名人戦は企画倒れでした。
 次第に内容は色々と変わっていますが、決まった時間に多くを詰め込むのはかなりの
人数が必要です。全員満足な大会はまず無理でしょう。
 今は懇親会が有りますが、全員が参加する訳でないので、主催側は注意が必要です。さて
名古屋は3回、四日市が1回ですが、いつも何かがあるのが名古屋地区の特徴です。

54:名古屋の初回は復活第1回ですので、無事な訳がありませんが逆にだからどう
したという感じです。四日市は私が住んでいた亀山からは近く、将棋祭りに組み込んだ 
形でした。従って、指将棋の人の中での開催でした。かなり落ち着きません。全詰連の
大会は独立した方がやりやすい気がしましたが、どうでしょうか。
 名古屋の2回目は私は体を壊して入院後だったので、あまり何もせず近将に報告記を
書きました。何も知らずに当日に会場に行くと実行委員長の清水氏も入院後で別のメン
バーで準備されていてびっくりしました。
 前回は予定していた会場が他の事で使うため、変更せざるを得ず結果的にたぶん今ま
でで一番高価な会場になってしまった様です。

55:この時は、会場内と販売を担当しましたが、セルフ販売にしたので時々苦情を
聞きました。会場の視察(4ヶ月前)でセレモニー会場内ですべて行う事にしたので、 
人手が足りない・専任の会計が厄介だと知っていますので、場所だけ提供する方法に
しました。従ってセルフ販売で手数料は取らない事になります。会場費用も絡んで、
販売コーナーの手数料を収益にするのだと言う意見ですが、人員に余裕があるときに
限られると思います。逆に、場所が異なると遠くから来た人が催し等をみれない可能
性が高いので、会場が条件にもなります。

56:結局は開催側の人数に合った内容で良いと思います。遠くから来る人の気持ち
も分かるが、現行方式では出来る範囲が限界でしょう。地方大会がなかなか開催しに 
くいのは、人の問題と開催経験の問題と思います。
 妥協をしないなら、全詰連自体ですべて行う方式か、開催地を限定するしかないと
思います。会場関係のみ開催地に頼み、後は全詰連で行うのは不可能な案ではないと
思います。詰将棋マニア・強くはないが愛好家・一般参加の全員を満足させるのは、 
不可能に近いです。

57:全国大会以外の全詰連の活動としては、データベースがありますが、最近
役員の中にも内容を連絡されていない人がいると聞いて驚いています。詳しくしらな 
い事を憶測することはさけますが、性格上不備のメンテナンスと大道棋用のプログ
ラムの完成と年々追加されるデータの補充など課題が多く残っている事は事実です。
早期の完成と、その後の継続には組織としての活動が必要です。その意味では全詰連
としての組織活動が必要と思います。しばらく停滞しているのは残念でもあり、厳密 
には未完成では費用上の問題もあります。規約問題が難しい現状では、組織で何かを
行ってゆくという面では重要でしょう。それでは私は、何かしたのかといわれれば何も
ありませんが、平井孝雄さんに「舞シリーズ」をデータベース化してもらっているの
で将来は少しは絡める可能性はあります。
58:データベースもそうですが、コンピュータ将棋の進歩は状況をかなり変えて
います。「舞シリーズ」も4集以降はずいぶん利用しました。大部分は早くなりま 
すが、まだ間違いが多いので逆に多くの時間を使ってしまう場合もあります。また
発表作に次々と余詰が見つかり、修正にも追われました。コンピュータも間違うと
思っていても、確認するまでに疑問を持ったまま時間をかけざるを得ません。
 原因は規約にあることは、数学的にすぐにわかります。あいまいで、数式的に表現 
できない事が多すぎるのです。従って、間違う事は避ける事は現状では不可能と思い
ます。

59:条件作論を「風花の舞」の「おわりに」でとりあげました。三木氏と田中氏
の研究という事で古い感じがありますが、それより後の物を知らなかったからです。 
当然ながら、作り始める時にはすでにこれらの内容を意識していました。条件作を
1)初形、2)詰め上がり、3)手順等の3つに分類しています。2)はあぶり出し
以外では作品集はあまりない(清涼詰、四銀詰等があります。)ですが、作品集とし
ては多いです。1)は作品は多いものの作品集は少ないです。ここがこれから増える 
事を期待します。3)は解釈によって異なり問題点があると思います。駒の軌跡が条
件の時に「玉座の舞」の不動玉=玉の軌跡なしは自分で考えて面白がっています。
注:上記は本サイトの「風花の舞」に掲載しています。

60:詰将棋は手順が主である事は、ほとんど異論はないと思います。ただその表現
方法は多くの意見と個性があります。現在は難解作が主体のようですが、難解と盲点 
と、煩雑とはかなり異なります。傷の多い煩雑作は私は全く好みません。ただ、ここ
にどうしても規約問題が絡むことが多いので、あいまいになります。
 条件作または、コンセプトのある作品集は必ずしも多くなかったですが、最近増え
てきつつあるので、愛好者のひとりとしてはうれしいです。 
 自分も含めて、最近よく聞くのが「若い時に比べてアイデアが浮かびにくい」と言
う事です。私は、7年間しかやっていない指将棋の棋譜を全て残しているくらいです
ので、若いころの創作ノートもほとんどが残っています。非常に役にたっています。

61:作品集を出版すると決めた時に何を準備するでしょうか?。いろいろあり
ますが、何を考えたのか私は「校正」の通信講座をうけました。終了していますが、 
全然役にたちませんでした。誤植の見落としは多数あり、実戦はいつも練習通りには
ゆきません。作品集のスタイルは一番最初に尋ねられましたが、一番好きな短編集の
田中至著「白扇」をモデルにしました。表紙は最初は色々考えて頂いたようですが、
最初の予定通り(伝えておけばよかった)同じ模様で色違いで全部統一する事で、通 
しました。
 校正を勉強する位ならば、デザインの勉強をした方がよかったかもしれません。
作品集には作品以外にも個性があります。

62:作品集にはコラムやエッセイがつきものです。私の作品集にはこれは有り
ません。書けないのではなく、書き始めるとこちらに集中するのを防ぐために省きま 
した。雑文を書くのは結構好きですので・・・。信じない人は、このホームページの
リンク集の末尾にある私のもう一つのホームページ「雑文ノート」へ行って下さい。
 下手の横好きで困ってしまうのです。結構、作品集のコラム等を楽しみにしている
ようなので、第2集から「おわりに」を追加してそれらしき物を加えました。最初は 
最終集の(実際は「風花の舞」)条件作の分類の私見以外は予定にありませんでした。
 絵やイラストを入れる人もいますが、こちらは全く駄目で得意な人がうらやましい
です。

63:作品集でもうひとつ問題になるのが、変化と紛れをどこまで丁寧に書くかで
す。私などはどちらも少ないので通常は解説の中で説明しますが、一部に不足の場合 
が生じます。この時に解説の長さのバランスを優先させるか、気にせずに自由にする
のかは悩みます。構成的に1題あたりの解説の長さが決まる場合はどうしようもない
ですが、私は長さが自由になる方法を選んだので余計に悩みました。
 結果的に、長さのバランスを優先しましたが、後から思うと失敗だったと思います。 
せっかく、制限のない方法にしたのだから、有効に利用するべきでした。舞シリーズ
後半ではこれに気づき変更をしましたが、たぶん気がつかないと思います。
 もう一つは作品の配列の順序です。

64:条件作のテーマ自体が配列を決める場合もあります(玉座の舞=全格
配置)。多重条件の場合は、サブ条件で配列が決まります(小駒の舞、不成の舞、 
犠合の舞)。それ以外は、ほとんどを手順の長さ順にしていました。理由は特にあり
ませんが、そのような作品集が多いのでなんとなく並べてしまった様です。
 例外が「風花の舞」です。これも順序は決めていませんでした。関西に帰って来て
創棋会に参加した時に、猪股さんから「解説の図面と手順を同じページの開きにした 
方が読み易い。」とアドバイスをもらいました。これだと、解説の長さの制約が多く
なります。最初は無理と思っていましたが、配置駒数の順に配列する事を思いつきま
した。これだと手数が繰り返し短くなったり長くなったりしますので調整が可能です。

65:最近は創棋会の和本・門脇氏のデジタル印刷などがでていますが、私は
通常の活版印刷を選びました。第1集時には上記がなかった事もありまが、ワープロ 
による簡易作品集はかなり前からありました。なぜ活版にしたのかと言うと、図書館
への寄贈が念頭にあったからです。
 私は、他の趣味として推理小説読書があります。(リンク集から別の私のホームペ
ージ「雑文ノート」に行けばわかります。)その関係でしばしば図書館に行きますが 
最近は財政難で書庫の増設があまりできないので、かなりの本が処分されています。
特に同人誌系・雑誌は処分されやすいです。作品集を寄贈するからには、できるだけ
廃棄されにくい方法を選びたかったので活版印刷を選びました。

66:私の作品は(特に舞シリーズは)軽快手筋物が中心ですので、変化の解説は
特に必要とはおもいません。従って、本ホームページで欠落しているのは、色々な人 
に書いて頂いた序文です。私の著作物ではないので、勝手に掲載できないのと、本を
読んだ人のみの楽しみでしょうか。
 長くない文章ですが、流石に個性と文章自身の上手さに関心します。自分の文章と
比較する事自体にクレームがつきそうです。 
 文章も詰将棋や解説も全て、創造物ですので当然と言うべきでしょう。

67:解説文はワープロソフトを使用しています。現在では、縦書きのサポート
もたいていあります。ただ、個人の習慣があって私は通常は横書きで通しています。 
どうしても必要があれば後でまとめて変換します。
 一番間違いやすいのが、数字です。電子データをそのまま使用する筈の予定が、校
正で随分直さざるを得ませんでした。後で、やはり縦書きだったかとも思いますが、
結局は一度変換して、確認すれば分かる所を省いた事が主原因でしょう。 
 だんだん慣れて、少なくなって行きましたが、電子出版の注意点です。

68:詰将棋に不完全は付きものです。最近はコンピュータ検討が可能になって
状況は変わっていますが、まだまだ不十分である事に間違いありません。原因は規約 
にあります。数学的に閉じたルールでなければ、完全なコンピュータソフトは無理で
しょう。どこかに弱点がしょうじます。
 結局は最後は自分で確認する(含むコンピュータ解)ことが必要です。ここが残る
事がかえって面白さが残ると言えます。ただ一度に沢山の作品をコンピュータにかけ 
て、多数の間違いにあった為に、信頼観が極度に薄れている自分はいささか被害妄想
だと感じます。

69:私は閉鎖タイプでしょうか、玉を外に追い出す詰将棋はあまり好きではあり
ません。短編詰将棋では、そこに目をつけた作品がしばしば現れます。そして、その 
中に配置や紛れで、感じさせない作品があります。そのような作品から傑作が生まれ
るようです。ただ、失敗すると読むのが面倒なだけ・解くのには難しいが鑑賞だけす
ると面白みがわからない事になってしまいます。
 いずれにしても、大駒を駆使して実現させる訳ですので、私の好みの世界とは少し 
異なります。ただ、意識する場合は当然あります。この駒では・・・、この作者は・
・・・。

70:私は推理小説も昔からのファンです。ここでは詰将棋よりも早くに、パソコン
通信がはじまり、早くにインターネットへの移行が進みました。そして、会と会報の 
出版と、同人誌の出版も早く、多く行われています。
 現在、ヤフーオークションにそれらが出品されますが、内容によっては驚く程の高
価で落札されています。もちろん、出版部数がすくなく入手困難であり、時間の経過
とともに貴重になり、最低2人の購入希望者がいるとオークションではそのようにな 
ります。将棋・詰将棋の本については詳しくはないですが、どうでしょうか?。
 昭和初期以前の本が古書店で高価で取引されていることは知っています。カタログ
は推理小説絡みでいくつか送ってもらっていますが、時々将棋関係がメインの時もあ
ります。私の名前を知っているようで「たぶんお持ちと思いますが・・・」等のコメ
ントがついている時もあります。詰将棋関係のコピー本しか持っていませんが。

71:詰将棋の本はどこに値打ちがあるのでしょうか。作品自体ならば、コピー
やデータベースで充分に代わりができます。 
 解説や発表時の解説でしょうか。単純には問題があるかもしれませんが、コピーで
充分に代用できます。ただし、コピー費用までの価値が本にはある事になります。
 詰将棋の著作権の問題にもなりますが、それ以前に詰将棋は創作か発見かの問題ま
で逆のぼります。 
 はっきり言えるのは、自分の作品が名前とともに雑誌に載りたい、自分の作品集を
作りたいでしょう。
 では、見る・解く側はよく分かりません。
 私の本作りはどのくらい後に残るかだけを考えていました。名張図書館に江戸川乱歩
文庫を見学にいった時の話しでは同人関係・私家版の廃棄率は高いそうです。活版だか
ら捨てられないとは言えませんが、残る可能性はいくらか高いです。ある図書館から、
無くなったので再寄贈依頼がきました。最初はがっかりしましたが、理由を聞くと借り
出し希望者がいるからとの事で、逆にほっとした事があります。

72:私の作品集には、「第3集」等の表示があります。はじめから複数出版作成
予定だったからです。 
 さて結果は、作品集としては統一できて分かりやすくなりました。しかし、別の
予想外の事がありました。図書館に複数集まとめて寄贈していたのですが、そこの1
つから、「不定期発行物かどうか」の問い合わせがありました。また別の所からは、
たまたま最終でしたが、「不定期刊行物のようなので、次回からは雑誌扱いで、寄贈 
の受け取り通知はだしません。」との通知がきました。
 いつのまにか、不定期刊行の雑誌のように見られていたと言う笑えない話しです。

73:紙やアナログは劣化するが、デジタルデータは劣化しないと言われています
ただ、CD等の寿命が予想よりもみじかそうだとの推測が聞かれるようになりました。 
従って、デジタルデータもある期間ごとにバックアップを行わないと紙の本よりも、
寿命が長い保証はありません。データの寿命と、媒体(CDやFDD等)の寿命を分けて
考える必要が有るわけです。
 デジタル時代といっても、まだ制限は多くあります。現在の所では、友人等に名刺 
代わりに自分の作品集を渡す方が自然です。パソコンやデジタル機器の普及を見れば
CDの作品集で充分とも思いますが、まだ違和感があります。

74:作風を変えるまたは広げるには、どうしたら良いでしょうか?。変えなけ
れば作れない作品をテーマにするのが一番早いでしょう。 
 直逆算ではつくらない私ですが、第8集の不動玉の「玉座の舞」のテーマでは、正
算だけでは無理です。苦労しましたが、いくらかは勉強になったのでしょうか。
 合駒がきらいでしたが、第9集「犠合の舞」はテーマが合駒です。あきない様に、
意味つけを出来るだけ多くしたり、複数のテーマの重ね合わせにしたりしました。 
やれば、できるのだと思うには配置と収束のまとめに課題があります。バランスよく
作るにはやはり、特別のテクニックが必要な様に思います。

75:一番効果的なのが、ルールを変える事です。誰でも同じようで、双玉・各種
フェアリー・中将棋などに興味を持つ人がかなりいます。 
 慣れていないだけに、難しいです。
 私は10代の頃は色々やって見ましたが、結局は「伝統ルール」に落ち着きました。
 その中で、古い創作ノートからの再作図(改造)ではじめたのが大道棋です。
まだまだ、伝統ルールの影響が抜けないで困っていますが、ぼちぼちとです。ただ当時 
2種類くらいしか手がけていなかったので、金問題ばかりになっています。

76:大道棋の新型はあまり発展していません。香歩・銀問題のように優れた形は
難しいのでしょう。実際に作ってみようとすると、これらは膨大な筋の作品があるの 
で、まずこれらの勉強からはじめる必要があります。これが結構厄介で、昔これら以
外の2テーマを選んだ理由があります。
 通常作にも類作はありますが、大道棋にもよくある筋と珍しい筋はあります。これを
理解して使いこなすのは同様の難しさがあります。 

77:街で大道棋に出会ったのは数回です。最近は全くなしです。
 それでいて、新題が作られるのもじっくり考えると不思議です。完全性を求める 
伝統ルール=どちらかと言えば無解狙いと、誤解狙いの大道棋との違いがあるからと
思います。無解と誤解のどちらを狙いたいか、どちらも狙わない人も多いでしょうが
原点に違いがあるので、依然人気があるのでしょう。
 詰め上がりの駒余り許容だけで、誤解の可能性はかなり増加します。 

78:合駒きらいが作った合駒作品集「犠合の舞」。合駒作品をかなり見ました
結論的にいうと、かなり作図感覚が異なるように感じます。かなりの作品が合駒を読 
むなかで作品を作っている感じがします。私のように、作りたい手順を成立する方法
は少ないと思います。
 従ってはじめから手順を決めないで、読みの展開の中から作っていく方法も私には
新鮮で、トライしたい一つになりました。 

79:詰将棋の集まりは長続きしないとは、鶴田元パラ主幹の意見ですが、ある
程度はあたっています。最近はメンバー交代をしながら続いている会も増えている様 
です。詰将棋から離れざるを得ない時ほど、逆に参加していると興味が復活するきっ
かけになるように思います。
 私の場合も同様でした。ただこのような集まりは、続ける人がいる必要があります
自然消滅も存続もこれ次第です。 
 全国大会の復活も名古屋でしたが、それ以降続いています。でも、続ける意義が薄
れ、無理が感じられる事もあります。基本は地区の集まりが増え、その延長であって 
欲しいと個人的には思います。 

80:関西に戻ってくるとあまり感じませんが、地理的距離と時間距離があります
。交通機関が不便な所は信じられない程に時間がかかります。 
 関西・中部はまだある程度はわかりますが、他の地域は難しいです。JRの駅が街の
中心・県の中心ということは意外とすくないです。名古屋の中心は栄・久屋付近です
がややはずれの名古屋をどうしても中心に考えてしまいます。
 大阪・神戸は、2分化しており中心が2ヶ所になっています。詰将棋の集まりに、 
限らず時間距離が多くの人に短い所を捜すのが、結構重要で難しいです。
 京都・嵯峨野大会の時に、東京に帰る人と三重県に帰る私の推定帰宅時間がほとん 
ど同じだったのは、情けなかったです。 

81:人が集まるにはどうしても、地域・時間的に集まりやすい人とそうでない人
が生じます。 
 詰パラ等の雑誌は、個人の住む場所を限定しないので、はるかに有効です。読者数
と全国大会や各地区の集まりの参加数と比べると明らかです。現在はインターネット
が広がり徐々に中間的な、将来的にはメインになる可能性も秘めています。ただ日本
政府自体の対応の遅れからまだ時間がかかる様に思います。 
 それでは、一部の人が集まり、準備に多くの時間が必要な全国大会の必要性は何で
しょうか。名古屋での復活は、開催自体が目的でした。そしてしばらくは、継続が目 
的でした。回数を重ねてきた現在では、次の目的・目標が必要です。もしなければ、 
中止という選択も現実的です。 

82:全国大会は途中から7月になりました。一般的には5月と比べてどうなので
しょうか。私は製造業にいたころは、どちらも条件は同じでした。むしろ7月の方が 
予定が立てにくい面がありました。色々な人が対象ですので、最善の日程はないでし
ょう。7月になって、看寿賞の表彰が行われるようになりました。しかし、受賞者の
欠席が多くては中心とするには不安があります。受賞者全員欠席の可能性はいつもあ
ります。 
 催しが増えるのは主催者の努力でもありますが、同時に2ヶ所でイベント的な事を
行うのは、片方は参加できないので不満でもあります。名古屋はいつも余裕がないの 
で、イベントが重なる心配だけは有りませんでした。適度の自由時間は必要でしょう。 
一番失敗しやすいのが、懇親会に結果発表などを持ち越す事です。全員参加ではない 
ので、大会と懇親会とは分離した企画が必要です。 

83:地域の会合と比べると人数が多いのが特徴です。全国大会は詰将棋と言う
よりもイベントのイメージが強いです。1年かそれ以上会わない人と会うのは非常に 
楽しみですが、それ以上は開催側の苦労の程には印象は薄いです。集まる事が好きな
人と、詰将棋自体が好きな私との感覚のずれもかなりあると思います。
 最近はパラ会員(本来は全詰連会員と言うべきでしょうが、あまり明確に感じませ
ん)以外の参加者も増えているようでその点では意味があるでしょう。ただ、その一 
部でも普及になっているのかは、知りようがないので分かりません。
 以前は当日握り詰め(不完全ばかり)の作図や解答ばかりしていましたが、最近は 
少なくなっていますし、開催側の末端になる事も多いので詰将棋の大会にいるイメー 
ジが少ないです。 
 昨年の大阪での本間プロの問題は手数が長く解くのに時間がかかりました。一般参 
加の人が懇親会の前に帰る時に「詰ましたけれどあっているか教えて欲しい」といわれ 
たのにはややびっくりでした。答えは聞いていなかったのですよ。準備終了後に始ま 
る前になんとか解いていて、良かったです。 

84:地域の会合は親睦会でしょうか、詰将棋の会合でしょうか。いつのことか
他の地区から名古屋にこられた人が、詰将棋をやっているとやや不思議そうだったの 
はわざわざ、集まって詰将棋をする必要がないという意味でしょうか。
 現在は、名古屋でも大阪でもノートパソコンがほとんど来ています。私は電波の弱
い田舎にいるので無線接続は基本的には行っていません。
 全国大会で、当日の作図課題がなくなってきたのもノートパソコンと解図・検討ソ 
フトが登場した影響があるかもしれません。
 パラ等での会合報告では、実際の内容は伝わってきません。 

85:結構大変なのが、受付や会場内から離れる役の人たちです。なぜなら参加
しながら、内容が分からないからです。しかしどうしても必要な役です。途中で交代 
すると引き継ぎでややこしくなるので、目をつむるしかありません。
 部屋を複数使用する時は、完全に割り切る必要があります。理事会なども同時に行
ったならばどうでしょうか。
 静岡大会から、パソコンプロジェクターが登場したので、アトラクションを含めて 
内容に幅が出来つつあるように思います。原点であった、詰将棋をどの程度内容に
入れるかは難しい問題です。単行本の販売は有りますが、パラの宣伝コーナーが無 
いのは、全詰連との関係なのか、会員が多くて必要ないのか、どうなのでしょう。 

86:看寿賞が全国大会で表彰されるようになったのは、7月開催になってからで
す。ただ受賞者の出席率は高くはありません。 
 「絶対に参加しない人は、看寿賞に推薦したくない」という意見はほとんどの人は
無視していますが、現状のように式典から看寿賞表彰を省けばたいしたことは残らな
い状況からは、暴論とは言い切れません。以前の多人数投票の時は開催地から選ばれ
やすいと言われた事がありますが、受賞者が参加しない表彰式への危惧が若干はあっ 
たのかもしれません。昨年からは、少人数による選考になり、逆に妙な偏りが個人的
には感じますが、上記のような事は感じられません。逆に受賞者の出席率はどのよう 
になるのでしょうか。本来は式典内容の見直しをするのが普通の行き方ですが、変わ 
る期待は昨年まではありませんでした。
 そして不思議なのは、将棋世界と近代将棋は全体での優秀賞がありますが、詰パラ 
では限られた発表場所の半期賞・表紙優秀賞はあってもデパート・特別懸賞・その他 
を全て含む年間優秀賞が無いことです。パラ以外は二重受賞可能という偏った状態は 
まさしく、詰パラと全詰連との不明瞭になりがちな関係に似ています。 

87:各地で詰将棋の集会が行われるようになったのは好ましい事です。ただし
幹事の人の苦労は大変です。 
 まずはじめにはじめるのが、課題作です。ただこれには条件があります。ある程度
人数が増えて、毎回同じ人の作品しか集まらない事にならない事があります。次に、
その作品をどうするかです。ある程度の品質と頻度ならばパラに掲載も可能でしょう
。より無難なのは、会報にのせて雑誌への投稿は個人にまかせる事でしょう。 
 一番無難なのが、課題作はなしと言うもので現在の香龍会です。
 もっと進むと、本の作成になります。これも事情は同じです。主に人数の問題です。 
詰工房・創棋会では複数出版されていますが、香龍会では作りたいという人もいます 
が実現したことがありません。

88:詰将棋の規約問題は、当面というかほとんど解決しようもありません。その
原因のひとつに「指将棋のルールに基づく」があります。実は指将棋はルール的にま 
だ不完全で、それを基にしているので満足なものは原理的に出来ないでしょう。
具体的に言えば、禁じ手は指すと負けか指さなければならない状態になれば負けかが
問題です。持将棋のルールはないのと等しいでしょう。もし、指す手がなくなれば、
どうなるのでしょうか。チェスは引き分けですが???。とにかくはっきりしない事 
が多すぎます。
 詰将棋独自の問題もあります。成り・不成の非限定の時に何も書かない人が多いで 
す。指将棋のルールで、どちらか態度を決めないのは禁じ手です。伝統ルールとは、 
指将棋の欠陥も含んだルールと現行では言えます。

89:市販の詰将棋の本には、多くが簡単な詰将棋のルールが書いてあります。
当然ながら不十分か、誤りを含んでいます。 
 所が小部数出版の詰将棋の本には、ルールがほとんど書かれていません。理由とし
ては、読者層が限定されている事・正確に書く事が出来る成文ルールが無いこと・略
式のルールを書くには技術的にも心理的にも抵抗がある事があります。
 結局、私の「舞シリーズ」10冊にも、規約・ルールは書いていません。 
 市販と言っても、毎日コミニュケーション+パラの本や、柴田昭彦氏の本も書いて
ありません。規約の成文化が困難な事は歴史が示しています。それの努力も必要と思 
います。ただ、普及と言う面から簡略ルールを決める事も必要と考えます。 

90:なんらかの形で詰将棋の手順(指将棋でも同じですが)を書いた事がある
人は、綺麗にそろえる事に苦労した経験が有ると思います。特に本や雑誌では、1行 
の手数をそろえる為に色々と行います。不成を生と略す・成銀・成桂・成香を1文字
に略す。位置を、漢数字とアラビア数字の半角2桁とを共用する。それでも時々は?。
 次に変化・紛れにつける記号があります。これが有ると分かり易いのですが、揃え
るには不便です。幸い私の作品はどちらも少ないので、「舞シリーズ」ではこの記号 
省いてしまいました。
 あとはレイアウトですが、単行本の場合に今多い表裏が問題と答えは、はじめから 
順番に読むことを前提にしていますので、個人的には好きではありません。 

91:テーマ別作品集は、作るほうから見ると作り難さと、作り易さがあります。
 まずテーマの選定が重要です。ここで間違うと、つらいです。出来れば個人作品集 
でははじめての物が魅力的です。内部の細かい構成を含めて、実際に可能か見極めが
必要です。百局全部の構成ではなく、2重テーマとそれ以外に分けて若干の余裕を見
て置くのが無難です。
 「小駒の舞」では、金銀図式・清貧小駒図式(純鶯図式)・一色図式・持駒趣向・ 
合駒・不成と決めて行き、残りに通常の作品を並べる構成にしました。
 どの条件でも合駒に大駒が発生する可能性がありますが、個人的な好みと拘りで、 
全て排除しています。 

92:未発表作品を含む作品集を作る事の個人的な優位点は多くあります。
 費用とか解説とか校正などに要する時間も多くかかりますが、好きでやっているの 
で欠点とはいえません。難解作主体の現在の解答募集方式では、採用されないであろ
う作品を載せられる事も大きいです。言ってみれば組曲ですので、個々の作品は当然
ですが作者の主張は、全体の構成にあるからです。しかし、一番大きな欠点がありま
す。それは、時間がかかることです。早くからストックしていた作品との類似作が、 
が発表されてしまう事も時々あります。百作作る人はいなくても、少しは作る人は
多いのです。こればかりは、がっくりして省くしかありません。 

93:
 盤面歩一色図式は、まとめて作っている人は知りませんが多くの人が発表しています。 
しかし、多くは形自身も特徴を持っています。形から、作った作品が多いという推測
が出ます。
 一方私は、形は無視して手筋がでる形を捜して、改造で歩のみの配置にしました。
形から出発すると数が多く作れない事も理由の一つですが、手筋派の私に向いている 
ことが最大の理由です。
 この作品集でやり残した課題は、「桂不成」の実現です。アイデアはありますが、 
かなり難しいですし、今は取り組む気持ちはありません。 


    
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