匿名希望さん 作
今日、あの人はこの街を出て行く
大切な人を守るために
最後まで私の想いは届かない
始発電車がホームに入ってくるまであと少し。
まだ夜も明けきらない休日の早朝のホームには、見送りに来ている家族と友人以外の人はほとんどいない。
簡素だが温かい励ましの言葉を送る友人と、いつもどおり少しふざけながらも心のこもった笑顔で見守る家族。
そんな人々の方へ走ってくる一人の少女がいる。
息を切らせながら、時折つまずきそうになりながら懸命に走ってくる少女がいる。
彼女、神咲那美が何故そんなに必死になって走っているのか。
それは彼女が抱える、ただ一つの想いの為。
もうずっと想っていた
いつからかなんて忘れてしまうほど長く
だけど想いは決して届かない
最初は、那美にとってその人は友人だった。
年齢よりも落ち着いた口調、時折見せる鋭い眼差し、家族向けられる優しさ。
そんな小さな積み重ねが、友情という感情をいつの間にか恋心に変えてしまう。
気がついたら、視線はいつもその人を追ってしまっていた。
だから。
だから気がついてしまった。
その人の視線が、いつもどこを向いているのかということに。
視線の先は…自分ではなかった。
『諦めなくっちゃいけないよね。でも』
何かの偶然で一緒に帰ることが出来たときは嬉しかった。
苦笑しながら家族の話をするその人の横顔は、夕日に染まっていて。
「はあ〜、しっかりしてますね〜、なのはちゃんって」
笑顔で相槌を打ちながらもそっと見つめ、あふれそうになる想いを懸命に抑えていた。
苦しくて嬉しいこの時間がずっと続けばいいとも思った。
諦めきれなくて、でも、すべてを壊すかもしれない言葉を告げることもできなくて。
「うっ…どうしてっ、どうしてっ、言えないのっ。たった、たった一言っ、なのに…」
そんな夜は決まって声を殺して泣きながら眠った。
「くうぅ〜ん」
傍らで心配そうに鳴く久遠の声を聞きながら。
まだ それは予感でしかなくて
でも 次第に確信に変わり
やがて 現実になった
そんな苦しくて切ない想いを抱え続けたある日。
その人がこの街を出る事を聞いた。
それが大切な人を守るためだということも聞いた。
おそらく最後の機会だったに違いない二人だけの帰り道。
それでも、言葉は、想いは。
那美の口から溢れ出る事は…無かった。
「えっと。がんばってください、ね」
ただ笑顔で励ましの言葉を述べただけだった。
『大好きです』
その言葉は、胸の中で痛いほど響いていたというのに。
その夜はやっぱり声を殺して泣いた。
「誰よりっ…好きなのにっ…」
お別れの少し前。
送別会をしようと言う事になって、どうせやるなら賑やかにいこうといつの間にかさざなみ寮のメンバーも参加する事になって。
時間が経つにつれ送別会なのだか宴会なのだかわからない様相を呈してきた頃。
偶然のような顔をして那美の側に立っていた真雪が、ため息とも独り言ともとれる言葉を呟く。
「まったく、神咲の奴らときたら姉妹そろって不器用ときたもんだ。言わなきゃ何も始まんねーつーの」
その言葉から、凛とした空気を常に身に纏い色恋沙汰とはあまり縁もないような姉の薫も、かつて届かない想いを抱え懊悩していたのだと知って、やっぱり姉妹なのだ、不器用なところまでよく似ているなんてと哀しい筈なのに可笑しかった。
同時に、不器用なのはこんな風に慰めようとしてくれている真雪も同じだと思う。
意外に照れ屋だから絶対に認めないだろうけれど、真雪は本当に優しい人だ。
面と向かって礼を言えば、照れ隠しにからかいの言葉をなげてくるだろうから。
「薫ちゃんが、ですか?あんまりそんなイメージ無いんですけど」
那美は笑いながらそう言葉を返す。
笑顔に少しだけ無理があったのを見ないふりをしてくれた真雪が。
「ああ。直接聞いたって絶対答えないだろうからな。今度十六夜さんにでも、こっそり聞いてみな」
飲みかけの酒の入ったグラスを口元に運びながら、いつものシニカルな笑顔でそう答えてくれた。
いよいよその人が海鳴を発つという日の前日。
せめてこの想いだけは伝えようと、那美は手紙を書き始めた。
シンプルなデザインの便箋と封筒を用意して、まずは宛名を書く。
たったそれだけの事なのに、その人の名前を書くだけなのに。
手が震えそうになる。涙が出そうになる。痛む胸を抱えて、ぱたりと机に倒れこむ。
そして思い知らされる。まだ、こんなにも好きなのだと。
そういえばあんな事もこんな事もあったと、次から次へと浮かんでくる想い出に何度も手を止めてしまう。
言いたいことの半分も書けていない様な、想いが全然伝えられていないような気がして長すぎる手紙を破っては書き直す。
長い時間をかけて、買ってきた便箋の大半を机の脇のゴミ箱に丸めて捨てるだけの作業が続き。
結局のところただ一言だけを綴り終えた頃には、既に見送りに出発しなくてはいけない時間をすぎていた。
「ああっ!どうしようっ!!」
荷物を持つと勢いあまって階段を転げ落ちそうになりながら、何とか無事に一階にたどり着く。
洗面所に走り込み洗顔だけを辛うじて済ませると、そのまま玄関に向かう。
「慌てなくていいから、とりあえず着替えておいで」
ヘルメットとバイクのキイを持って、ちょっぴり呆れたような笑顔で立っている耕介の姿がそこにあった。
法定速度に片目どころか両目をつぶってもらったおかげで、何とか間に合ったようだった。
ヘルメットを脱いで、耕介に礼を言うと改札に走り込んでいく。
階段を必死になって駆け上がると、ちゃっかりなのはの腕におさまっていた久遠が早くとでも言いたげに
「くう〜ん!」
と鳴いた。
やっとの思いで人々の和の中にたどり着くと、荒い息を無理やりに整えて言葉を紡ぐ。
「あ、あの!!」
すっと、手が差し伸べられた。
「髪、跳ねてますよ」
ヘルメットのせいで変になった髪をそっと直してくれたその笑顔を、その手のぬくもりを。
きっと たぶん ずっと
忘れない
忘れられない
結局、肝心なことは何一つ言えないまま。
これから先の危険を少しでも避けられたらとお守りだけを渡す。
「じゃあ、皆元気で」
そう言いながら旅立つ人をみんなと一緒に笑顔で見送った。
『大好きです』という一言はとうとう言えないまま
何度も何度も書き直した手紙は
まだポケットの中
だんだんと遠ざかっていく電車
少しだけぼやけて見える小さくなっていく姿
しばらくぼんやりとしていた那美の足元に久遠が擦り寄ってきていた。
そっと抱き上げる那美の瞳を見て。
「くうぅ〜ん…」
心配そうに鳴く久遠。
「そんな顔しないの。私は大丈夫だよ」
微笑みかけながら那美は心の中で別れを告げる。
さよなら 私の初恋
さよなら 恭也さん
ポケットの中、渡せないままのLoveLetterが返事をするようにかさりと音を立てた。
エピローグ
あれから少しだけ年月が過ぎた頃。
海鳴から遠く離れた英国に懐かしい友人から手紙が届く。
「私もがんばっています」という言葉と、久遠を腕に抱き微笑む那美の写真。
その瞳には少しだけ彼女の姉に似た強い意志の色が浮かんでいた。
戦っているのだ。彼女も彼女の大切なものを守るために。
その方法も、進むべき道も違えども。
だから恭也も剣をとる。今日も、これからも、ずっと。
己の守るべき人と。守るべき未来の為に。
「負けませんよ、俺も」
写真の中の彼女に誇るように笑みを返しながら。
恭也はこれからも剣をとり続ける。
<後書き…?>
考えてみれば、私のとらハの第一作目のSSもヒロイン失恋話でした。
別にヒロインを不幸な目に合わせるSSが好きと言う訳ではないんです〜(爆)
那美も好きなんですよ、本当に(汗)
えっと、今回のSSの元ネタは、『Love Letter』(槇原敬之・アルバム『UNDERWEAR』より)です。
なんだか歌を聴いているうちに、泣きそうな笑顔で笑っている那美とか、駅のホームを転びそうになりながら必死になって走っている那美の姿とかが浮かんできてしまって、こんなSSになりました。
こんなSSですが、見捨てずに最後まで読んでいただければ幸いです。
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