名誉毀損裁判のご報告(2)

2004年9月29日 今井亮一

 

◆ 事 件 の 経 緯 ◆
 

 同訴訟で、裁判所は以下のように認定しています。「原告」とは野村一也のことです。

 原告は、原告ホームページにおける「北海道では一時停止規制の取締りは全く行われていない」という記述を被告今井から誤りである旨指摘されたことを契機として、被告今井らに対し、必ずしも趣旨が明確でない発言をしたり、被告今井らを揶揄する発言を繰り返すなどして、被告今井らを強く非難し、また、「私はギャラリーに対してのアピールを最重要視している。当事者のどちらが正しいのかを当事者同士で判断するつもりはない。」として、被告今井らからの釈明や反論に対してはまともに答えないという対応を繰り返していたのである。

※ のちに判決のところで説明しますが、ここで裁判所がいう「釈明」は、「釈明の要求(求釈明)」という意味と解されます。

 私がその「誤り」を指摘したのは1999年7月のことです。これは長い話なのです。 10の小見出しについて、簡単に解説します。

 

(1)1999年2月  オルタブックスのBBSで、 野村一也は私に対し何か異様な熱さを伴う支持をしていた。

 当時『警察の警察による警察のための交通取り締まり』(オルタブックス)の編集部がBBS(掲示板)を設けていました。同書の共著者のうち専ら私が、投稿者に対し返信の投稿をしていました。
 そのBBSへの野村一也の投稿に、以下のような部分がありました。

またあなたの発言によって、この掲示板の管理者や読者、オルタブックスの本の執筆者や購入者すべてがあなたと同類と見られてしまうことに私は我慢できない。

 「あなた」というのは、警察を揶揄(やゆ)するような投稿をした人のことです。
 世の中にはさまざまな考え方の者がいて当然であり、BBSは誰でも自由に投稿できる場所です。にもかかわらず野村一也は、たった1人の「
発言」(投稿)により、そのBBSの管理者(すなわち編集部)や読者(実際の本の「購入者」と分けていることからして、BBSを読む者をいうのでしょう)、本の共著者や購入者「すべて」がその投稿者と「同類と見られてしまう」とし、それに「我慢できない」と言うのです。
 このとき野村一也は、なにか異様な熱さを伴う支持を示していたようです。けれど、私はとく気には留めませんでした。

 

(2)1999年6月  「月刊交通違反on the web」のBBS別館で、 野村一也は投稿者らとモメた。

 TINというグループのHPであり当時は私のネット上の本拠地といえた「月刊交通違反on the web」の、フリートーク用のBBS(以下「BBS別館」)において、野村一也は他の投稿者ら(私を含む)とモメました。
 そのモメ事は、要するに、野村一也がある投稿者を「
」とキメツケ、性別によって結論が異なるような言い方をしたこと、また別のある投稿者についてオフ会に参加したことがあるかどうかを、結論に関わる大事な要素であるように言ったこと、について、そのように言われた者および他の投稿者が、性別やオフ会参加のことは関係ないと言い、かつ、 野村一也に対しいくつもの質問をし、しかし野村一也は質問には頑として答えず、あくまで性別とオフ会参加の有無にこだわり続ける、というふうなものでした。
 このときの野村一也の投稿に、

私はギャラリーに対してのアピールを最重要視している。当事者のどちらが正しいのかを当事者同士で判断するつもりはない。

 という部分があったわけです。彼はこうも述べていました。

なぜ質問に答えないの?という問いに対して
掲示板は舞台、掲示板での論争はギャラリーを常に意識するというのが
私の考え。プライドのための論争や知識比べをするつもりはない。
自分の主張が全て相手や傍観者に伝わることはなく、一番言いたいこと
にインパクトを持たせたり、ややこしい考えは引っ込めたりする。

 そのように述べて、この当時から「釈明や反論に対してはまともに答えないという対応を繰り返し」たあげく、 野村一也は自らを「道場破りの異分子」と位置づけ、そうして、以下のような投稿をして去ったのです。

ここでの論争の勃発時、私は『核兵器』を持っていると脅して論争を避けようとしたところにミスがあったと思っている。さらに『核兵器』を持っていると暗に示しているつもりが、実際には読むひとに伝えられなかったのだろう。
私が持っているのが『核兵器』なのかどうかはいずれ公にするので判断して欲しい。もちろん人を殺傷するためのモノではない。

 「核兵器」を持っていると「暗に示」せば、それは「脅し」になり、「論争」(反論・質問等への返答)を避けられる、 野村一也はそう思っているようだ。「ギャラリーに対してのアピールを最重要視」のことなどとあわせると、 野村一也は、持っている意見をそのとおり述べ、他人の意見を聞く、そのように議論する、ということとは別次元の考え方をしているようだ。とにかく自分が望む反応を相手に引き起こさせようとする、脅してでも、ということであるらしい…との感想を私は持ちました。けれど、とくに気には留めませんでした。

 

(3)1999年7月  野村一也は「PBI/交通行政監察官室」というHPを開設し、BBS別館で複数回にわたり訪問を誘った。私はとくに支援せず、明らかな数字の誤りを指摘。しかし彼は認めなかった。

 野村一也は「PBI/交通行政監察官室」というHPを立ち上げました。これが彼の「核兵器」と思われました。そして彼はBBS別館にまた現われ、自らのHPへの訪問を誘う投稿を複数回しました。
 私も訪問しました。彼のHPは技術的には手が込んでいるものの、内容的にはとくにコメントに値するようなことはないと思えました。そして私は、「
北海道では一時停止規制の取締りは全く行われていない
」とあるのを見ました。このような明白な誤りを放置しておくのもひどいか思い、私は統計を示して誤りを指摘しました。
 ところが野村一也は、不可解なことを言って誤りを認めませんでした。認めずに、私に対し何か問いかけました(このへん、あとで判決に出てきます)。数字の誤りさえ認めらない者に、いったいどう応じていいのか…。その直後、BBS別館においてはたしか初めてのアラシの投稿があってギョッとしたこともあり忘れたのか、ともあれ、私は彼の問いかけに返信しませんでした。
 すると野村一也は、そのまま沈黙してしまいました。

 その後、野村一也のHPに「戦略の放棄 2000/8/28」とあるのを見ました。以下はそこからの抜粋です。

前記『戦略』はすべて放棄します
 
 (中略)
 私の力不足や、わずか2ヶ月で答えを出そうとする甘さに、ご指摘を受けるでしょうが、私なりに短期間で成果を出すためにできる限りの努力をしてきたつもりです。
  
(中略)
 インターネットという国民の14%程度しか見ていない媒体を使って、短期間で世論を高められると信じてきたことの愚かさと、力不足を痛感したことによる挫折感でクタクタです。
  
(中略)
 著名人や大マスコミができないことに、一個人が期限付きの目標や戦略を立てることはできません。
 この4ヶ月間はとても疲れました

 HP開設から2カ月足らずの時期ですから、開設準備に約2カ月間あったのでしょう。もちろん、努力をするのは悪いことではないと思います。しかし、2カ月で準備したHPを設置して、たちまち(遅くとも2カ月足らずで)「車社会の問題点に興味のない人々の興味」を引きつけ、手応えのあるほど交通行政ないし「世論」を変えられるなど、私などにはまったく考えつかないことでした。

 

(4)2000年4月  当時テレビ・週刊誌など(つまり「大マスコミ」)で活躍し始めていた方(つまり「著名人」)のBBSで突然、9カ月前(上記1999年7月)のことで 野村一也は私を激しい調子で誹謗中傷し、名誉を毀損してきた。私が返答すると彼は沈黙した。

 その「著名人」の方と、私は以前より面識があり、私はときどきそのBBS(以下「◇◇BBS」)に投稿していました。
 すると、ある日突然、野村一也は、

今井さんはご自分から私に話を振っておきながら無視し、数ヶ月後に今度は他の掲示板
で私の発言に食いついてきましたね。(そこでも結局シランプリ)

不祥事で弱った警察に正義を振りかざしてご自分をアピールする前に、都合が悪くなって
シラを切ったことには示しをつけてください。それがなければ今井さんも警察官と同じ穴
のムジナ(正義を語って私腹を肥やす)です。 

 などと「食いついて」きたのです。私が「無視した」、「都合が悪くなってシラを切った」というのは、なんと、1999年7月に 野村一也が自らの誤りを認めずに行なった、私への問いかけのことでした。
 「
数ヶ月後に今度は他の掲示板で私の発言に食いついてきましたね。(そこでも結局シランプリ)」と彼はいいますが、これは、私にはまったく身に覚えのないことでした。当然、「食いついて
」きたという私の投稿を彼が示すことはありませんでした。

 この突然の「食いつ」きに対し、私は、「投稿には必ず返答しているはずだが見落としがなかったかと問われれば自信はない」旨述べ、「非常に申し訳なかったです」と詫び ました。そして、もともとBBS別館でのことなのでBBS別館で返答すると◇◇BBSで述べ、BBS別館で返答の投稿をしました。何本かに分けて。
 すると野村一也は、どうしたでしょう。なんと、それほど欲しかったはずの返答の内容には一切触れず、「見落としがなかったかと問われれば自信はない」旨の部分にだけ、◇◇BBSで、

 一方的に私が答えざるを得ない状況を作り、見落とすはずの無い場所に返答しているにもかかわらず、今井氏にずシランプリを決め込まれた私は今井氏のメンツの薄っぺらさに辟易させられ2度と今井氏の掲示板に書き込みはしないと決めました。

なお今井氏の掲示板上で催促をしなかったのは次の2点が理由です

  1. 私から催促するほどの価値が今井氏にあるとは思えなかった
  2. 多くの支持者が見ている今井氏の庭(掲示板)で、今井氏のメンツを潰すのはかわいそうだと感じた

 などと反応し、そして沈黙してしまったのです。
 のちに彼は、信じ難いことに、私の上記返答の投稿について「
2000年04月19日の発言であること、交通取り締まりに“NO!”と言えるBBS<別館>における発言であったこと、引用部分を除く今井発言が存在したこと、全てを否認する」「要するにこの発言は今井氏の捏造である」と言い出しています。

 

(5)2000年7月末〜  同じBBSでまた突然、 野村一也は激しく私を誹謗中傷してきた。それは、私の発言を捏造したり、東芝事件特設掲示板」を私が「設け」て「運営」していたと驚くべき事実無根のキメツケをもとに誹謗中傷して名誉を毀損するなど、まったく常軌を逸したものだった。(※東芝事件

 2000年6月末、小学館の『ビッグコミック・スピリッツ』で、私が原作の『交通被告人 前へ!!』という作品が連載スタートしていました。「著名人」のBBSという「舞台」で「著名人」に「食いついて」激しく攻撃し、「ギャラリー」の注目を浴びる、存在を「アピール」する、 「大衆の感性に訴える手法」で「すり込み」をする、これはひとつ重要な要素だったのではないかと思えます。
 攻撃が野村一也の目的ないし「
戦略」だったことは、彼の投稿のタイトルのいくつか に「
カウンター気味の軽いジャブ」「体重を乗せて右ストレート」「必殺のボディブロー」 といった表現があったことからもうかがえるかと思います。

 その攻撃、誹謗中傷を 野村一也は、「裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」と称していました。
 彼の「裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」は、引用符号「>」をつけて私の発言を捏造し、捏造を指摘されても私には一切謝罪せず、他の投稿者(のちに訴訟の被告に加えられた方)に謝罪したものの、すぐに「完全に居直」って撤回したり、また、「自動速度取締器の誤測定”」は「現在では皆無に等しい」とか、「東芝事件特設掲示板」を私が「設け」て「運営」していたなどと、まったく無根拠であったり事実に反したりすることをもとに誹謗中傷し、根拠等を問われても頑として答えず(裁判所の認定にもあるように「釈明や反論に対してはまともに答えないという対応を繰り返し」)
ひたすら激しく誹謗中傷してくるという、ひどいものでした。
 それで私は、「ああ、これはもうダメだ」と◇◇BBSから去りました。


(6)2000年8月末〜  同BBSが休止するや、 野村一也は今度は私のほうのBBS別館へ、ある投稿者の「熱烈なご要望にお答えして」と乗り込んできた。その投稿者は「誰も要望なんぞしていません」ときっぱり否定したが、 野村一也は一切応じず、大量の投稿をして私を誹謗中傷し名誉を毀損し続けた。その投稿本数は、翌2001年8月末頃までの1年弱の間になんと475本にもなった。

 その1年弱の間の野村一也のふるまいについては、「損害賠償請求訴訟」において、私はかなり詳述しました。ここで縮めていえば、こういうことになりますか。
 誰かを排除することで保たれる秩序というものに疑問を感じていた私は、彼をアクセス禁止にしませんでした。禁止せずに、なんとか事態を収拾する方策はないかと模索しました。彼の言い分が事実無根であることを指摘したり、言い分の破綻を指摘したり しつつ(常軌を逸した執拗な誹謗中傷・名誉毀損から防御しつつ)、なんとか彼が立ち去れるよう、水を向けてもみました。けれど、効果はありませんでした。そこで、長く無視することもしました。無視しても彼は、

ニュートラルコーナー 投稿者:Initial_P  投稿日:11月14日(火)01時19分23秒

ボクサー「オッちゃん、オレは勝てるのか?」
セコンド「わからん。勝ち負けのないファイトだといったのはオマエだろ?」
ボクサー「そうだけどリングサイドに客のいない場所は手応えがなくて…」
セコンド「しかし放送はされているんだ。そのうち“反応”があるかも」
ボクサー「オレと同じリングに上がることが“反応”なら、
     (若干一名を除いては)誰もリングにあがってきやしない…」
セコンド「弱音を吐くなよ。チャンピオンは黙っていても“反応”があるゾ」
ボクサー「だな、しかしオレには石も飛んでくるけどアリャなんだ」
セコンド「この放送の受信者は離れた場所から石を投げることもできるんだ」
ボクサー「石を投げるくらいならリングに上がってくれりゃいいのに…」
セコンド「匿名で石を投げるか、
     それともリングに上がるかは受信者自身の判断でできるんだ」
ボクサー「チャンピオンサイドのリングにあがったのが間違いだったのか?」
セコンド「自分で始めたクセにガタガタ言うな。ほれゴングが鳴ったゾ」
ボクサー「おっしゃ!行くぜ!!」

 などと投稿し、ひたすら攻撃してくるのです。
 野村一也の誹謗中傷は、よく読めば
虚偽ないし根拠不明の事実を断定的に述べるなどしていることがわかり「メチャメチャ」なのですが、読む者の印象・イメージをうまく操るというか、大衆の感性に訴える手法」で「すり込み」、とにかく自分が望む反応を相手に引き起こさせることにかけては、なかなか長けているように思われました。
 前述のとおり1999年6月に
野村一也は「私はギャラリーに対してのアピールを最重要視している」「掲示板は舞台、掲示板での論争はギャラリーを常に意識するというのが私の考え」と述べていましたが、事実無根でも、論が破綻していても、「インパクトを持たせ」て「ギャラリー」の印象・イメージを操れば成功であると、まさにそういうことのように思えました。

 BBS別館の常連といえる投稿者らは、野村一也の投稿がどんなものか、よくわかっているようでした。私は、初めて閲覧する人のために、お知らせ(防御)の投稿をときどき掲載していました。事態の推移につき説明する必要に迫られていた」わけです。 たとえばこんなふうにお知らせしました。

みなさんへお願い 投稿者:今井亮一  投稿日:12月 5日(火)06時20分32秒

 当BBSの名物となった「Initial_P ( initial_P 、
●●●●)」という方の投稿の、私とは関係のない一般的な部分はともかく、私に対することについて。

 最初の頃、私は、「それはこれこれこのように事実に反するでしょ」とか「意味がわからないので説明してほしい」とか対応していました。
 けれど、彼はまるで痛痒を感じず、私の発言の捏造までして、なりふりかまわず執拗に誹謗中傷を重ねてくる、つきまとってくるのです。
 いくら暴いてもキリがありません。また、じつは某専門方面(公的機関を含む)から「1対1の関係を持つのは良くない」などのアドバイスをもらい、非常にうなづけるものがありました。
 現在(というか、だいぶ前から)、私は彼を相手にしていません。
 
 しかし彼はつきまとい続け、そして、事情をよく知らない人の(私に対する)印象をミスリードすることにかけて、なかなか巧みなものがあります。
 そこで、みなさんへ、いつものお願いです。
「ここはどうなってんだ? 本当か? 彼が言ってることは当たってるんじゃないの?」
 などと感じるところがありましたら、遠慮なく私にお尋ねください。ちゃんと説明させていただきます。
 彼については、現在のところ、そういう「管理」方法で対処しています。

 くわえて、「裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」とやらの訴状(刑事裁判なら起訴状。以下同) がないことを、私は再三にわたって指摘しました。そもそも訴状のない裁判はありません。訴状があれば、 野村一也の目的や論点がはっきりし、執拗な誹謗中傷は収束せざるを得ないだろう、そう思ったからです。
 ところが彼は、どうしても訴状を出しませんでした。そ
うしてなんと……。
 

 

(7)2001年5月  裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」 に訴状がないことを私が指摘したところ、なんと 野村一也は、「今井さんは私に訴状を要求しているので」として、現実世界の東京地裁へ訴状を出すと言い出した!!

 「裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」の訴状はどうしても出さず、なんと 野村一也は、今井さんは私に訴状を要求しているので」として、「訴状は今週中にこの掲示板上にアップした後で東京都地方裁判所本庁に提出します」と言い出したのです!!

 しかし、「今週中」の「アップ」はなく、「提出」したとの報告もありませんでした。やはり、裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」の訴状を出すことはできず (つまり、明らかにできるような目的や論点はなく)、かといってBBS別館から立ち去ることもできず、つまらないことをつい口走ってしまったのかな、と思えました。


(8)2001年6月  裁判所も困惑の、常軌を逸した「証拠保全の申立て」!! 

 野村一也は、現実世界の東京地裁に対し「証拠保全の申立て」をするぞとBBS別館に投稿しました。裁判が始まれば私(およびBBS別館の管理人と、彼から事実に反して「ライター」とキメツケられた投稿者)が、「所有しているはずのログ(電子記録)を誤って消失したと主張する可能性が極めて大きい、と言わざるを得ない。そのような事態を未然に回避するには証拠保全の方法しかなく、従って申立人は本申立に及ぶものである」という内容の申立てをすると。
 そして間もなく、なんと実際に申立てをしたと投稿しました。

※ 「裁判所は、あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があると認めるときは、申立てにより、この章の規定に従い、証拠調べをすることができる。」(民事訴訟法234条)

 裁判が始まれば相手方が証拠を隠すおそれがあるから、裁判前に証拠調べをしてくれ、というのが証拠保全の申立てなわけです。申立てが認められると、相手方にある日、特別送達(裁判所からの特別の郵便)が届き、その1時間後くらいに裁判所職員がその相手方のところを訪れるのだそうです。そうやって、ある日突然、さくさくっと証拠を保全するのだそうです。
 しかし…野村一也は本当にそんな申立てをしたのでしょうか。彼の投稿にこうありました。

「証拠保全申請」が提出されているかくらいははご自分で確認したらできるでしょ?
東京地裁民事第26部 受付番号(モ)6532 代表電話03-3581-5411

 私は取材で裁判所へ行くことが多かったので、出かけたついでに、民事26部へ行って確認してみました。「これこれの人物が、相手方である私が証拠を隠すに違いないので証拠保全の申立てをするぞ、したぞと、私のほうのHPのBBSに投稿している。その申立書を閲覧できますか?」と。
 
裁判所の職員は非常に困惑していました。密行性を 要する証拠保全を、申立人本人が相手方に対し「するぞ。したぞ」と告げるなどあり得ないのだそうです。密行性が必要なことを理由に、閲覧は断られました。
 その後、この申立てがどうなったか不明ですが、もちろん、認められなかったのでしょう。裁判所からは何の連絡もありませんでした。

 結局、この「証拠保全の申立て」は、今井は都合の悪いことを隠すヤツだとおとしめの「アピール」をしたい、「絶対的な権力者」であり「著名人」である今井と「堂々」と「闘」っている自分を「ギャラリーに対してアピール」したい、というものを否応もなく明白に浮かび上がらせるだけの出来事のように思えました。

 

(9)2001年7月   ゲーム」の訴状はどうしても出さないまま、 野村一也はとうとう本当に現実世界の東京地裁へ「今井らから名誉を毀損された。金員400万円と100万円の謝罪文掲載により賠償せよ」との訴状を出してしまった。

 「裁判ゲーム」「模擬的陪審制裁判」の訴状はついに出さないまま、 野村一也はとうとう本当に現実世界の東京地裁へ訴状(2001年7月27日付)を出してしまいました。
 要するに、執拗で常軌を逸した誹謗中傷により名誉を毀損されることから防御するために私が行った投稿、の中からいくつもの表現(文言)を拾い、その表現が名誉毀損に当たるから賠償せよと訴えたのです。
 他人のBBSへわざわざ乗り込んで長く(提訴までで約11カ月も。そしてその後も)居座り続け、投稿数、投稿文字数ともに全投稿者中のトップにもなり、
虚偽ないし根拠不明の事実を断定的に述べるなどして執拗に誹謗中傷し続けて名誉を毀損し続けた者が、その相手を名誉毀損で訴えるというわけですから、まさに「開いた口が塞がりません
」でした。
 とはいえ、当時、「最近の裁判所は、名誉毀損について厳しい認定をする。高額の賠償をどんどん命じる。今井も危ない」という方もいました。が、私としては、こんなおかしな裁判で私のほうが1000円でも負けたら大問題と思いました。

 BBS別館は、2001年8月末に、BBSのレンタル者が廃業したことにより、なくなりました。TINのミーティング(オフ会)で話し合って、当分は新たにBBSを設けないことにしました。

 現実世界の裁判所における口頭弁論は、2001年9月6日から始まりました。
 彼の膨大な、しかもBBSのときと同じような調子の書面(厚さ約4cm)にいちいち反論するのは、手間でした。BBSなら無視することもできますが、裁判では、無視して黙れば負けるのだそうです。

 2001年8月14日に私は当HPを設けており、その日記で、2001年10月10日と11月1日、弁論の様子などを報告しました。
 しかしその後、公開の日記での報告はヤメました。裁判は代理人弁護士にお任せし、私は法廷へ行くのをヤメました。なぜなら、「
著名人」で「チャンピオン」である私と法廷で対峙することが、おそらくは 野村一也の喜び、目的なのだろうと、そのように思えたからです。

 やがて、彼は、弁論期日を直前になってすっぽかすこともありました。印象的だったのは、裁判所から「原告はこれこれの、被告はこれこれの作業をしておくように」と指示された大量の作業を、私は忙しいなかせっせとやったのに、彼は何もせず、彼のぶんの作業も私がやることになってしまったことでした。彼が裁判所へ提出した私の投稿に改ざんがあることにも驚きました。そういえば彼の投稿に、こんな部分がありました。

“裁判はルールなき泥仕合”です。(法は裁く側のルールです)
証拠の捏造、都合の悪いことに対するダンマリ、など何でもありなのです。

 裁判は2003年10月20日に結審しました。

 

(10)2004年1月  ようやく判決。 野村一也の請求はすべて棄却。

 2004年1月26日判決。野村一也の請求はすべて棄却されました。要するに、彼が拾い出した私の表現は、名誉毀損性を有するけれども、彼の常軌を逸したふるまいに照らせば、なんら違法性はない(よって賠償の要はない)という、ごく常識的なものでした。
 たとえるなら、AがウソをついてBをおとしめたという事実があって、Bが「Aはウソつきだ」と防御した場合、「ウソつき」という表現自体は名誉毀損性があるけれども、なんら違法性はない、ということですか。

 

(1)報告 (3)判決 (4)更新等

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