宗教団体・交通安全教会(w


教祖様のありがた〜いお言葉(順不同
 

(1)  銀座・六本木のホステスやヤクザの姉御をお得意とする美容師が言ってたよ。
「弱い人は嫌いよ。強い人はどんなことであれ思うことは率直に言ってくれるから楽なんだけど、弱い人はへんに偉ぶったりひがんだり、ねじくれててメンドウなのよ」
 なるほどねえ。

  ※焼糞日記2002年9月2日より

 

(2) やっぱ人間、苦しくても食らいついていかなきゃあかんときもあるわけや。それが花を開かせることもあるわけや。しかし、なんでも食いついてネバればええってもんやない。尾っぽからげて全力で退かなきゃあかんときもある。退くべきときにグズグズ進む者は、往々にして進むべきときにグズグズ退く。そんなもんやろ。
 ま、そこんとこ見分けるのんが難しいわけやけどな。そして難しいから人生はおもろいわけやけどな。
 

※焼糞日記2002年3月24日より

 

(3)  好きなことをこつこつやっとる先に、儲けがあることもあるしないこともある。あってもなくてもこつこついく。それがマニア道ぢゃよ諸君。  

※焼糞日記2003年2月21日より

 

(4) 「警察官が見たと言うだけで有罪にできるのか」との疑問がときどきある。
 「だけ」で可能かどうかはともかく、人による証言も証拠のひとつ。証拠には書証
(しょしょう)、物証(ぶっしょう)、人証(にんしょう)があるのだ。じゃあオービスの写真は?
 機械証…。いや「占証」というべきかも。
「だいぶ昔、自称科学的な実験で大丈夫とされている。万が一誤占が疑われるときは自動的にデータを排除する自動補正機能も(占い師の神がかりの脳ミソに)備わっている。検証は不要。なぜなら当社の占いは絶対大丈夫だから」
 お馬鹿な話? いや、しょっちゅうハズレの占いばかりだったらともかく、当教会の顧問占い師(見習い)程度には当たり、あと、占いに文句を言うと面倒なことになるとかあって年間何万人もの人が占い結果にしたがって罰金を払い続けていれば、占証もリッパな証拠になる…。「オービス神話」ってそんなもんじゃないのか。

※焼糞日記2002年7月21日より

 

(5) わが教会の顧問占い師(見習い)によると、人が生まれ持つ星はさまざま。星にも星の配置にも優劣などなく、その配置をどう生かすか、自分の星をどう輝かせるかが大事なんだという。しかし何だかんだで星に逆らった生き方をしてる人が多く、それが世間のさまざまな不幸や不満の元なんだそうだ。
 あなたの星は何ですか? その星は輝いてますか?

  ※焼糞日記2001年11月25日より

 

(6) 『サライ』(2002年10月17日号)に動物行動学者の日高敏隆さんへのインタビューが載ってた。動物は種族の維持なんて仰々しいことは考えておらずひたすら自分の子ども(遺伝子)を残したいだけであり、そういう「利己的遺伝子」で何も不都合はないんだそうだ。
「僕はね、よく近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの“三方よし”の譬えを引いて話をするんだけどね。これ、まず売り手よしというのが面白いでしょ。だって、買い手さえよかったら、儲けなんてなくていいというんじゃ続かない。だけども、自分だけが儲かるんじゃ、買い手がいなくなる。また、売り手と買い手だけがなあなあで世間によくなかったら、結局はうまくいかない。三方がみんなよくなきゃいけない。つまり、利己に徹していくと結果的に利他的になるんです。 だから、世のため人のためとか、そんなことをいうよりも、まず利己的遺伝子の企みに沿って生きたほうがいい。むしろ、結果は非常に道徳的になってくるんですよ」
 うー同感である。多くの場合、やたらと「正義」とかふりまわすのにロクなヤツぁいない。「正義」の鎧がないと何もできないみすぼらしいヤツか(たいてい男。昔の私もか? 笑)、イカサマの半端な利己を押し通したいヤツか、そんなところだろ。「利己に徹する」これけっこう奥深いような。ブッシュ君、聞いとるかね。聞いてるわきゃねえよな〜。

   ※焼糞日記2002年10月18日より

 

(7)  警察批判には、寺澤くんのようなものがある一方、妄想じみたもの(つーかいわゆる電波系)もあり、また警察が保母さんのように優しく隅々まで面倒みてくれないからと怒るものもあり、そして警察組織は、保母さん期待型をクローズアップして国民生活の隅々まで管理・監視する(その背後には莫大な警察利権がある)方向へ行きがちってことですかね。

※焼糞日記2001年12月4日より

 

(8)  貧困。現代社会においてポピュラーなのは魂つーか自我の貧困、飢餓ではないのか。
 宮台真司さんが『これが答えだ!』(朝日文庫)でしきりに言ってる「自己責任でなされた試行錯誤の結果として自尊心を獲得するという、成熟社会に不可欠の人格形成」、「どんな所属から切り離されても『俺は俺』といえるような」「自尊心の持ち方」、そういうものができてないのが貧困で、その飢餓感に耐えきれず自己の尊大さを強引に(自己または世間あるいはその両方に)認めさせようとする犯罪行為が、カネ的には豊かになった社会では…なんつって偉そうに(笑)。

※焼糞日記2002年10月3日より

 

(9)  古書店でふと買った『ケルケゴール』(飯島宗亨編・平凡社)に面白いことが書いてあった。以下私のほうで適宜つなぎ合わせる。「犬」を「ワイドショー」とか「芸能マスコミ」とか(ごめんね)読み替えると面白いかも。
 自分では何ひとつ理解せず、自分では何ひとつなそうとしないこの物臭な大衆。言い換えれば「天井桟敷の公共」は、楽しみのために犬を飼っておく。誰か比較的ましな人、あるいは優秀でさえある人が現われると、この犬がけしかけられ、楽しみが始まる。咬みつく癖のあるこの犬は、その人のコートの裾に咬みつき、ありとあらゆる恥知らずな悪ふざけをはたらく。あげく、公共は飽きて「もう、たくさんだ」と言う。しかし公共は悔いることがない。なぜなら、それを行なったのは公共ではなく、それは公共が軽蔑する犬の仕業だからだ。彼らは犬を直接けしかけたのでもなく、口笛を鳴らして呼び返したのでもない。訴えられれば公共は言うだろう。「その犬は私のではない。野良犬だ」と。犬が捕らえられて撲殺されるときでさえ、公共は言いかねないのだ。「たちの悪い犬が殺されたのは良いことだ。我々はみなそれを望んでいたのだ」と。
 ケルケゴールは1813〜1855年の人だそうだ。42歳で亡くなったんだねえ。同書は1976年の発行。  

※焼糞日記2001年9月28日より

 

 

 

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