Traffic Issues Now とは

 かつて、「道路交通民主化の会」というグループがあった。
 弁護士の会員が多く、速度違反の冤罪事件や大型車の左折巻き込み事故防止に力強く取り組んでいた。
 しかし同会は主に財政上の理由から1994年末で解散せざるを得なくなった(同年年初の総会で決議)。

 当時同会の運営委員の1人だった私(今井)は、他の運営委員とともに、新しい流れをつくれないものか模索した。そして1994年7月、東京都飯田橋で「考え直してみよう 交通取締りのいま」というシンポジウムを行なった。定員100名の会場は立ち見も出るほどで、ぜひ第2回をとの熱い声が多く聞かれた。

 その声を受けて同年(1994年)10月、東京都渋谷区の公民館で集まりをもった。
 その集まりから、「Traffic Issues Now」(略称TIN)という小さなグループが生まれた。月例ミーティング(現在の「オフ会」)はほぼ毎月もたれており、2002年4月で85回目になる。

 TINの目的は、
「身近な交通違反&取締りをとおして、本当に安全で円滑で公正な交通社会を考え直していこう」
 というあたりで一貫しているが、会費も会規も会員名簿もない。
 発足当初、ある青年を会長と称していたが、その青年は間もなく長期の海外旅行に出かけ、音信不通となった。以後、会長も代表もいない。
 同目的におおむね沿って考え行動(運転)している者が数名、月に1回集まり、情報交換、雑談等するというふうな形の、自律・自立した人間によるゆるやかなグループである。

「月刊交通違反」とは

 TINの月例ミーティングで、全国の運転者の情報や意見を交換する場としてミニコミ紙を出してみようかとなった。それがミニコミ紙「月刊交通違反」の始まりである。
 第1号の発行は
1996年6月。B4サイズ2つ折りで4〜12ページ。印刷部数は毎号だいたい300部前後。無料。原稿料も編集料もない。定期郵送読者は現在全国に約100名。 作成の実務は私がほぼ1人で担当している。発送の作業はもっぱら月例ミーティングのとき参加者で行う。
 当初、ほぼ毎月発行していたが、やがて私が多忙 になるにつれ、しばしば休刊するようになった。2001年は後述するような事情から1月と7月の2回しか発行できなかった。

「月刊交通違反on the web」とは

 1998年暮れ、TINの月例ミーティングで「俺らもホームページを持ってみようよ」となった。
 
1999年2月、同ミーティングの常連参加者の1人(すなわち管理人)のパソコンからホームページが発信された。ミニコミ紙「月刊交通違反」のいわばWEB版としての形だった。それが「月刊交通違反on the web」である。
 紙版の記事も一部掲載したが、WEB版はWEB版として独自のものだった。私が前面に出て、私のネット上の本拠地ともいえるHPとなった。
 当初1つだったBBSを、ご相談等専用とフリートーク用と2つに分け、両方にたくさんの投稿をいただいた(ありがとうございました)。WEB版は2つのBBSがメインのようになった。

 ところが、2000年6月末から『ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)で連載マンガ『交通被告人 前へ!!』(絵はウヒョ助)の原作およびQ&Aのページを担当するなど、私はその後どんどんチョー多忙となり、紙版はしょっちゅう休刊するようになった。
 とうとう2001年6月の健康診断で高尿酸血症と高脂血症で「要医療」とされ、そのままでは脳卒中、心筋梗塞がヤバイ状況となった。それまで顧みなかった散歩や睡眠に時間を割かねばならくなったのである。WEB版もやり方を変える必要に迫られた。

 2001年8月の盆休みに私は、何度か挑戦しては挫折していた自力HPづくりにまた挑戦し(師匠殿のご指導により)成功した! それがこの「今井亮一の交通違反相談センター」である。
 当初はチョーしょぼかったが、管理人に原稿をいったん送信してHTML形式に変換等してもらうという面倒は省かれ、自分が載せたいものを自分で直ちに載せられるようになった。

 同月末、「月刊交通違反on the web」のフリートーク用のレンタル者が廃業。月例ミーティング第79回で話し合い、フリートーク用のBBSは当分の間新たに設けないこととした。翌9月下旬には、数日間回答できないこともざらの状態となっていたご相談等専用のBBSも、断腸の思いで閉じた
 こうして、BBSがメインといえた「月刊交通違反on the web」から私の足は遠ざかり、私のネット上の本拠地は自力HPである「今井亮一の交通違反相談センター」へと移った。

 そして2001年11月の月例ミーティング第82回にて、「月刊交通違反on the web」のほうは管理人さんにお任せすることとした。つまり「月刊交通違反」のWEB版は、そこの管理人さんが編集長ということである。
 FAQなど以前「月刊交通違反on the web」に設けられていたページについて、私のほうで更新して「今井亮一の交通違反相談センター」に置き、古いページのリンクは切って「今井亮一の交通違反相談センター」の当該ページへ飛ぶようにしてくれと管理人さんにお願いした。しかしこれは考えてみれば妙なことかもしれず、他のページのこととあわせて今後検討していきたい。

 私のほうは、「月刊交通違反」については、もう何カ月も休んでいる紙版のほうの発行に力を注がねば! レイアウトおよび版下づくりを手伝ってくれるという方も現われたし。

 ……と書いたのが2002年6月19日。そして、2003年1月に印刷・発送した「月刊交通違反」第46号で、とうとうこんなご挨拶をすることとなった。

ついに休刊宣言
6年半のご愛読に感謝!

 ある弁護士さんからの年賀状に「例の冊子が送られてこないが、預けた切手がなくなったのか。もしそうなら連絡を」とありました。その件について重大発表です!!

 本紙創刊は19966月。20031月まで79ヶ月もあるのに46号とはこれ如何に。
 そう、途中度々休んだからですね。前号(45号)の印刷はちょうど1年前の200112月。月刊をうたいながら1年間も休むとは。ええ加減にせえよであります。とほほであります。

 原因のひとつは、なんといっても私の多忙のせいでした。2000年6月に小学館の『ビッグコミック・スピリッツ』で『交通被告人 前へ!!(絵はウヒョ助。私は原作)が連載スタート。これが好評で第2弾『駐禁ウォーズ!!()へと続き、終わるまでの2年間は、貧乏ぶらぶら生活が長かった私にとって信じ難い怒濤の日々でした。高尿酸血症、高脂血症で要医療とされ痛風発作も2度体験しました。

 しかし『駐禁ウォーズ!!』の連載は20026月に終わっていたのです。その後は休養を宣言。けっこうのんびりできるようになりました。「7月にはようやく次号を出せる。今後は情報公開でゲットしたオモシロ文書をじゃんじゃん載せていこう」などと夢を描いてもいました。

 ところが8月になっても9月になっても出なかった。なぜか。
 それはやはり、20018月に私個人のホームページ「今井亮一の交通違反相談センター」を持ったからと言わざるを得ません。「月刊交通違反on the web」(19992月スタート)のように管理人さんを経由することなく、思いついたことを自分でいつでも直ちに載せられる場所(媒体)を持てたわけで、そうなると、版下をつくって印刷して封筒に入れて発行しなければならない本紙への意欲がどうしても薄れるのでした。雑誌に原稿を書いてHPに書いて、そのうえさらにミニコミ紙を書くに当たって記事は何にしよう、あれはもうHPで書いちゃったし、いやHPにアクセスできる環境にない方もいるだろうから、でも、う〜。などとやってるうちに、担当編集者がいてケツを叩いてくれるわけでもなく、ついつい延び延びに。どうしてもそうなってしまうのでした。

 それで、他に編集長をやってくれる人がいないか機会あるたびにあちこち打診してはいたのですが叶わず(当たり前だっつーの。笑)、今後もおそらく月刊を維持するのは困難であると思われ、身を軽くして自在に動けるようにしたくもあり(「ああ、また今月も発行しなかった」というのは非常な負担でした)、この際、思い切って長期無期限の休刊を宣言することとしましたっ!!

 運転免許人口は7600万人、交通取り締まりは毎年1000万件以上。交通違反・取り締まりの専門紙・誌の存在価値は小さくないものがあるでしょう。次に登場するときは、忙しければ休むという私の趣味のミニコミ紙のようなものではなく、ちゃんとしたプロの発行人&編集人のもと1100円か500円かわかりませんが販売できるものになれば良いなと思っております。

 ということで、「切手をパクったな」とも言わず暖かく気長にお待ちくださった読者諸氏にはまったく申し訳ないのですが()6年半前に創刊した本紙、ついに休刊です。お預かりしていた切手の残りを同封します。ご愛読ありがとうございました。

 この枠囲み冒頭の弁護士さんほか何人もの方々から、残念であるとの暖かいお言葉をいただいてる。お心遣いありがとうございます。
 一方、「あて所に尋ねあたりません」と赤いハンコが押されて何通も返送されてきている。「月刊交通違反」なんてものがあったことも切手を私に預けてることも忘れてるのか。そりゃ忘れてもおかしくないわなあ。ごめんなさい。当方登録の都道府県名とイニシアルをトップページの「伝言板」のところに載せておきますので、お手数ですがご連絡ください。

  2003年2月1日 今井亮一

 

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