交通事故防止に欠かせないこと

 

 バイクとトラックが衝突したそばで、若い女性がうつぶせに倒れていた。片足が異様に折れ曲がってふくれ、指先が削れているのに出血がない。駆けつけた救急隊員は直ちに心肺蘇生を始めた。私は膝が震えてならなかった。当たり前に続いていた日常が、生命が、一瞬にして断ち切られてしまう。交通事故は怖い。やりきれないほど悔しい

 70年には1万6765人だった事故死者(24時間以内)はその後、長く1万人前後で推移していたが、ここ数年ぐんぐん減り、03、04年は7000人台にまでなった。
 警察は、厳しい取り締まりが功を奏したかに言う。笑わせちゃいけない。取り締まりの増減には関係なく、違反はあふれ、事故の発生件数は右肩上がりなのだ。『交通安全白書』にはいつも「過去最悪を更新した」と出てくる。ノルマ消化の、しかも1%をはるかに割る検挙率の取り締まりに違反・事故の抑止効果などあるはずがないのだ。
 死亡者のみが激減したのは、エアバッグの普及や救急医療の進歩によるのだろう。座席が高くスピードを売りにしないミニバンの流行も、もしかしたらだいぶ影響しているのかもしれない。
 結局、警察がやっているのは、交通安全、事故防止を大義名分に、取り締まりから生じる莫大なカネを自らの天下り先に流し込み続けることでしかないといえる。

  そんな警察が、来年6月までに駐禁取り締まりの民間委託と「放置違反金」制度をスタートさせる。違反は完全に「捕まる=カネを取られる」だけのものとなり、警察利権は超巨大化するだろう。
 今年末から来年にかけて、マスコミは交通違反ネタをこぞって取り上げるはず。だが、的を外した空騒ぎで終わるのではないか。
 そこで、交通違反一筋22年目の私が前々から言っている、本来あるべき方策をここでしっかり確認しておきたい。

1、規制の合理化
 毎年1100万件以上も取り締まりながら検挙率が1%をはるかに割るのは、違反があふれているからだ。そしてその理由は、常識的な安全運転も違反になってしまう規制のせいだ。
 スピードも駐禁も「なるほど、そういう合理的理由で規制されているのか」とドライバーが納得し、自発的に守ろうとするものでなければならない。教習所を卒業して運転を始めた人の多くが「なんだ。教わったのはタテマエでしかなく、実際は少々違反するほうがスムーズなのか」と感じるようではダメなのである。当たり前すぎる話だ。
 クルマのリミッターが180q/hであることも、法廷における検察官風にいえば大いに「規範意識を鈍磨」させているのではないか。「クルマの性能や道路がよくなっても、人間の能力には限界がある。周囲の環境や住民への負担は、100q/hを超えると格段に増す」といった理由がほんとうにあるなら、リミッターはせいぜい110q/h程度とすべきだろう。

2、事故原因の追及
 現在、事故現場へ駆けつけた警察官がしているのは、被疑者を特定して検察へ送致するための捜査だ。ゆえに、送検に不要なものは捨てるし、遺族・被害者が事故の真相を知ろうとしても「捜査の秘密」を理由に原則として蹴られる。こんなバカな話はない!!
 事故現場へは「交通事故調査士」といった者が駆けつけ、科学的・客観的に事故原因を調査、わかったことは再発防止のため公表すればいいのだ。その情報により、加害者の処罰も行われる。そうしないから、同じような事故がくり返し起こり、「こんな不幸は二度となくなってほしい」という遺族の気持ちは踏みにじられるのである。

3、危険運転自死傷罪
 これまで、交通事故を裁くのは「業務上過失致死傷罪」(刑法211条。5年以下の懲役もしくは禁錮、または50万円以下の罰金)だった。ところが、あまりにも悪質な事故が多いということで01年12月、「危険運転致死傷罪」(刑法208条の2)が新設された。「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態」または「進行を制御することが困難な高速度」で、あるいは「進行を制御する技能を有しないで」4輪以上のクルマを運転して他人を死傷させると、ケガだけでも最高15年の懲役刑を科されることになった。厳罰化などで犯罪が防げるはずもなく、かえってひき逃げが激増している。
 とはいえ、事故とは、避けたいと思いながらついうっかり不注意などで起こるもの。じっさい、事故原因のダントツトップは前方不注意など「安全運転義務違反」(道路交通法70条)とされている。そういう本来の事故と、故意に近い交通死傷とをいっしょにして、適切な事故防止対策ができるはずがない。区別するのはわかる。
 であれば、同じように、あまりにも自業自得の自損事故は、自殺・自傷の類と位置づけるべきではないのか。味噌もクソもいっしょに「事故発生1件」と数えていては、対策もなにもないだろう。

4、接触機会の排除
 人間に不注意や過失はつきもの。それは仕方がない。でも、つきものの不注意でたちまち人が死傷するようでは困るのだ。
 ドライバーにはエアバッグやシートベルトがあるが、04年の事故死者7358人のうち約42%を占める3109人は、歩行者・自転車なのだ。00年と04年を比べると、クルマに乗車中の死者は74%に減ったの対し歩行中の死者は89%、というデータもある。
 2tもの重量で、人の能力をはるかに超える馬力、スピードで走るのがクルマ。そんなものにぶつかれば、人間などひとたまりもない。にもかかわらず、ガードレールのない歩道、いや、白線で区画されただけの路側帯、路肩をみな平然と歩いている。交差点での事故は多く、ぶつかったクルマが突っ込んでくることもあるのに、車道に踏み出してぼんやり青信号を待っている。私には信じられない。
 「気をつけましょう」ではなく、物理的に人とクルマを分離し、接触の機会をできる限りゼロに近づける、そういう考え方が不可欠と思う。一時停止が必要な場所にあるべきは、取り締まりではなくハンプ(かまぼこ状の盛り上がり)だ。

 以上、ごくごく当たり前のことと思う。なぜ実現しないのか。
 それは、がっちり組み上げられた巨大な壁があるからだ。すなわち、冒頭でもちらっと触れたが、@ほとんどあらゆることを違反とする法令をつくり、A違反が激減しない程度に一部を捕まえてカネを取り、Bそのカネを交通安全協会(安協)など警察の縄張りに流し込むという利権構造だ。一般の退職警察官が常識に目覚めて裏ガネづくりを暴露したりしないよう、再就職先を確保しておく意味もある。利権が、交通行政を決定的に歪めているのである。

 そんなことを、私は長年にわたり言い続けてきた。そして、飽きちゃった(笑)。だいぶ前から考えてきたことなのだが、警察の利権(の一部)を分捕る計画を、そろそろ本気で始めようかと思うのだ。
交通の教則』など免許更新のときの教本、あれの作製・販売を安協に独占させておく手はない。各社が競ってつくれば、もっと交通安全に役立つものになるはず。駐禁取り締まりなどより、よっぽど民間委託にふさわしい。まあ、安協もいちおう“民間”なのだが。

 じつは何年か前、「あのう、私も教本を販売してみたいんですけど。契約はどうするんですかぁ」と警視庁へ行ったことがある。そのときはそれきりで終わったが、間もなく『交通の教則』は大きくリニューアルされた。他の会社が算入してくれば防げないという危機感があったのだろう。
 しかも、ちょうどそのころ、教本の購入形態が変わってしまった。警視庁の場合、『交通の教則』などは全日本安協がつくって警視庁へ売り、それから、更新時講習を委託された東京安協がつかう(更新者に配布する)形だったのが、東京安協が直接、全日本安協から買う形になってしまったのだ。以前は、公的な契約なので、警視庁は単価何円で何部を購入したか、情報公開によりわかったが、現在は、東京安協と全日本安協の“民間同士”契約となり、情報公開条例の対象外になってしまった。
 「うむぅ…」という感じだが、まあ、なんとか方策を考えたい。この巨利が横たわる“処女地”へライブドアや楽天が乗り込んでくる前に(笑)。


ドライバー』2005年11-20号の記事に加筆。
 
 

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