2002年7月4日

 

オービス69キロ超過
「違反は事実でも処罰は不要」
に対する裁判所の見解は

 

 2001年9月17日(月)午前10時から山梨県の甲府簡易裁判所で、あるスピード違反事件の判決があった。

 中心となる争点は「違反は事実としても、罰すべきほどの悪質性はないはず」というもの。多くのドライバーが感じているだろうことについて、今回のYさん(43歳・獣医師・東京都)は裁判所の判断を求めたのである。

 そうした争点に対する判決は、
「道路交通法は交通安全のためにある。したがってそれに違反すればすなわち危険(悪質)なのだ。具体的な危険(悪質)性は関係ない」
 としたうえで、具体的な危険性をなんとかこじつけ、うるさそうに切り捨てるようなものであることが多いと言えよう。
 ところが、Yさんに対する判決は、かなりていねいなものだった。肯けるかどうかは疑問としても、少なくとも、被告人の主張の1つひとつにていねいに答えるものではあった。Yさんは何を主張し、判決で何が述べられたか、同様の不服を持つドライバーにはたいへん参考になるだろう。


 話は10カ月ほど前にさかのぼる。2000年11月のある日曜、Yさんは子ども2人を連れて諏訪湖へワカサギ釣りに出かけた。
 クルマはフォード・エクスプローラ。購入直後、同じタイヤの事故が多発したとアメリカで問題になり、メーカーに問い合わせたところ130q/h以上での巡航には注意するよう言われていた。そもそもYさんはスピードを楽しむほうではなく、スピード違反の取り締まりは20代のころ1度受けたことがあるだけだった。

 釣りは昼頃に終え、サウナで仮眠を取り、渋滞を避けるため夜になってから出発。
 中央高速道路の走行車線を走っていると、前方の大型トラックが急に減速した。排気ブレーキを使ったらしく黒っぽい排気ガスが吹き出した。
 Yさんのクルマのエアコン(暖房)は、外気導入でしか作動しない。後ろで眠っている子どもたちに濃い排気ガスを吸わせないためにも、追越し車線へ移った。

 移ってみると、その大型トラックの前にはさらに数台の大型トラックやトレーラーなどがいた。それらの車間はつまっていた。
 すぐ横から排気ガスを浴びながらゆっくり追い越すか、減速してもとの位置に戻るか。道路は見通しの良い直線。Yさんは加速してイッキに追い越すことにした。そして、横にも前にも車両がいなくなったところで、十分に車間をとって走行車線へ戻ろうと、さらに加速した。
 そこを、レーダー式の自動速度取り締まり機(以下オービスという)により測定&撮影されたのである。午後11時半すぎ、中央道の基点(東京都の高井戸)から約100qの地点でのことだった。


 翌月(2000年12月)、呼び出しを受けて山梨県の警察に出頭。写真に焼き付けられた測定値は149q/hだった。
 制限速度は、見通しの良い直線であるためYさんは意識しなかったそうだが、実際には80q/h。したがって容疑は69q/h超過である。
 それくらいのスピードは出ていたかもしれない。しかし……。

 状況を説明するYさんに対し警察官は
「追い越すという選択はわかるが、違反は違反。それにしても149q/hは出し過ぎだ」
 と言った。
 149q/hは出し過ぎ。賛否両論あるだろう。
 Yさんの考えは要するにこうだった。
「20年前ならいざ知らず、現在のクルマにとっては必ずしも危険な速度とは言えないし、今回の走行について149という数字だけを問題にするのはおかしいのではないか。それに、あのような、少々スピードを出しても(出すこと自体には)問題のない場所にオービスを設置したのでは、オービスに気づいたクルマが妙に減速して流れが乱れ、かえって事故の原因となりかねない。気づかずに走ったクルマを違反だとするだけのやり方でいいのか」

 そうした疑問というか不服はよく聞かれる。しかし圧倒的多数のドライバーは、事情はともかく略式(不服がない人のための裁判手続き)に応じて罰金を払っている。取り締まりに不服はなかったものとして一件落着しているのである。


 不服を引っ込めるつもりのないYさんは、翌2001年2月、住所地を管轄する東京区検察庁の取り調べを受けることになった。
 略式で終わらない事件は、正式なほうの裁判へと進むことになり、裁判にかける(=起訴する)かどうかの決定権を持った検察官から、話を聞かれることになるのだ。
 検察官は、違反は事実でも、被疑者の説明に肯けるところがあれば不起訴とする。

 Yさんによると東京区検の検察官は、非常によく話を聞いてくれて、理解してくれたそうだ。山梨の検察から呼ばれたらまた説明するように言われ、Yさんは、不起訴の可能性を示唆されたように感じたという。

 違反地と住所地が異なる場合、まずは住所地の検察庁へ呼ばれるのが普通だ。が、起訴か不起訴かの最終的な決定権は、違反地のほうにあるようで、本格的な取り調べは違反地の検察が行うことになる。住所地の検察の調べは優しい≠烽フであることが多い。


 山梨から呼び出しが来る前にいろいろ準備しておこうと思ったYさんは、知人やインターネットをとおして、元警視総監で元法務大臣の秦野章氏の著作などを知った。同氏の著書『何が権力か。』(講談社)にはこう書かれていた。

「交通取り締りはなんのためにやるのか。それは事故を減らすためだが、取り締まりの前提として、『事故はスピード違反によって起こる』という抽象論がある。スピード違反一般が交通事故の原因だというわけだ。それならスピード違反を一件でも多く捕まえればよい、というわけで現場では『じゃ、どこか稼ぎやすいところをめっけるか』となる。
 しかし、本当はスピード違反一般が即交通事故の原因ではない。あのスピード違反、このスピード違反が、なるべくして事故の原因となるのであり……」

 Yさんにとって力強い言葉である。ほかに、元検事総長、法務省刑事局長、前橋地方検察庁検事正らによる同様の言葉を見つけた。
 Yさんはそのように準備して、甲府の検察庁からの呼び出しを待った。

 ところが、呼び出しはなかった。甲府区検の検察官から電話はあったものの、それは、否認をひるがえす気はないか確認するだけで、書類がまわってきたから起訴するよ、というものだったそうだ。Yさんには、職務に非常に不誠実な態度に思えたという。
 検察官はおそらく、測定値について争っていないから裁判はラクに終わるし、超過69q/hは嫌疑として重いから、というだけで起訴したのだろう。


 第1回公判は2001年7月だった。Yさんは独力で争うつもりだったが、裁判官の職権で国選弁護人(弁護士)をつけられた。この弁護士はYさんの主張を法律面からサポートしてくれた。「罰すべきほどの悪質性はあるか」という論点を「可罰的違法性」という言葉にするなどして。

 第1回は人定質問や証拠書類のチェックなどで終わり。8月の第2回公判は被告人質問から始まった。
 私(今井亮一)は第2回から傍聴した。被告人質問の様子を、私のメモにそって簡単に報告しよう。Yさんはまず弁護士の質問に答える形で、次のようなことを述べた。

「学歴は東京大学の大学院卒。ウィルス学を研究してきた。その後ずっと獣医師をしている。警察に出頭したとき『状況はわかるが149q/hは出しすぎ』と言われ、ではどれくらいから出しすぎとなるのか尋ねた。判断できないとのことだった。
 低すぎると思える制限速度があり、みんな守っていない中でつまみ食いするように取り締まるやり方、現実の交通とのギャップに納得いかない。
 東京区検の調べ室では、手錠に腰縄の男が2人、取り調べを受けていて、話が丸聞こえだった。1人は窃盗で、もう1人は愛人の間男への暴行。2人とも不起訴だった。その後、スピード違反について自分と同様のことを元検事総長なども言っていることを知った。
 山梨の検察から呼ばれたらそれを言おうと思った。ところが山梨での調べはなかった。起訴された後で、証拠書類の閲覧に山梨区検へ行ったとき、検察官(公判立会いの検察官と同じ)に『なぜ私を呼んで調べなかったのか』と尋ねた。『ご足労をかけても何だから』と言われた。これでは正義はどこにあるのかと思った。
 知人たちからは99・9%有罪だと言われている。こんな裁判をやっても何のトクもない。1日休めば20〜30万円の損になる。裁判で休んでいる間に1件の死亡があった。悔しかった。
 損得じゃない。たとえ無罪になっても損だ。しかし今回の取り締まりには納得できない。裁判官の考えを知りたい」


 続いて検察官から質問。検察官は、いきなりこの点から入ってきた。

検「あなたに電話したとき言い分は変わらないか≠ニ聞いたでしょ」
Y「確かに聞かれたが、それは調べない理由にはならないはず」
検「調べは私がやることだ」
Y「不誠実です」
検「何に不誠実か」
Y「職務にです」
検「(元警視総監など)偉い人がそのように言うのは、偉い人がおかしいのだ。偉い人がそう言っても現実は変わらないのは、なぜか」
Y「警察の怠慢じゃないんですか」
検「(現場での事故発生状況の)データがないとあなたは言うが、2000年のデータがあるはずがない」
Y「おかしなことを言わないでください。あなたが起訴したのは、いつですか」
 起訴は2001年6月頃。2000年のデータはすでにあるはず。
検「みんな反則金なり罰金なりを払っているのはどういうことだ」
Y「それは、それぞれでしょ」
検「大型トラックがいたと言うが、証拠はあるのか」
Y「そんなもの、運転者に出せるはずがないでしょ」

 弁護士から「検察官自ら提出した証拠について違うと言いたいのか」というツッコミが入った。まったくである。大型トラックの存在は、検察官提出の調書に出てくるのだ。
 裁判官からは検察官に対し「一般論で議論しないように」とのツッコミが入った。

検「被告人が一般論を言うから」
裁「被告人は素人ですから」

 さらに検察官は、エアコンの外気導入について「そんなクルマがあるはずがない」と興奮調で攻め、Yさんに「自分のフォード・エクスプローラはそうなのだ」と返されていた。
 傍聴席で聞いていて、この被告人質問は検察官自身の言い訳が目立ち、ボロボロと思えた。

 検察官が「終わります」と言って席に着き、続いて壇上の裁判官がYさんに質問した――。

裁「中央道にはオービスがけっこうあると思うが、知らなかったのか」
Y「私はいつもスピードを出していないので意識していなかった。オービスがあることを意識しないくらいの運転しかしていないのだ」
裁「150q/hが不起訴になるのが正義ということか」
Y「150q/hは全部不起訴にしろではない。私の場合はさっき述べたような事情があったということだ」


 次に検察官から論告求刑。
「被告人の主張は社会常識からかけ離れたものである。事故防止のため取り締まりは最良の方法である」
 として、罰金10万円を求刑した。スピード違反の罰金の上限だ。これは相場より若干高いといえる。
 続いて弁護士(国選)による最終弁論。次のように結ばれた。

「被告人は善良な一国民であり、いたずらに罰を逃れようとするものではない。みすみす損するようなことをあえてしている。こうした違反について、誰もが声をあげないことを、積極的に問うていこうとしているのだ。これに対しきちんとした説明がなければ、何をもって反省すべきなのか。
 そもそも交通規制のあり方を考えざるを得ないが、警察はそれをせず、司法もまた処理に汲々とするなら問題だ。裁判官のご意見をぜひ聞かせてもらいたい」

 うむ、もっともな弁論だと思う。
 最後に、被告人であるYさんが、用意してきた書面を朗読し「無罪はダメでも、以上述べたことを酌んでほしい」と訴えて結審。


 そして9月17日午前10時、3回目の公判で判決が言い渡された。
「主文。被告人を罰金9万円に処する……」
 求刑より1万円安い。これは珍しいことといえる。

 もっと珍しかったのは判決理由だ。私が知る限り、Yさんのような争点に対する判決は、要するに違反があればもうダメなのだと、うるさそうに切り捨てる、というか背を向ける、ごく短いものであることが多い。

 ところが、今回の甲府簡裁の判決は非常にていねいだった。もちろん、日々ハンドルを握るドライバーから見て肯けるものであるかどうかは疑問だと思う。しかし、少なくとも、Yさんの主張の1つひとつに応じるものではあった。この判決は、同様の不服を持つドライバーにはたいへん参考になるだろう。

 裁判官による「判断」の部分はA4サイズ横書きで5枚ほどあり、かなり長い。私のほうで、参考になると思われる部分を適宜要約し、Yさんの主張と裁判官の判断とを対照する形で列挙してみよう。


1、追越しを開始したのは、前方(走行車線)のトラックが急に減速して車間が接近したこと、またカーエアコンの構造から外気を取り入れざるを得ず、後部座席で寝ている子どもらに排ガスを吸わせたくなかったことによる。

 前車が急に減速しても、自分も減速するか車線変更すれば足りるのであり、制限速度を超えてまで追い越すことが許される法的根拠はない。

 そもそも前車の減速や排ガスのことは、道路においてはよくあること、社会通念上、受忍すべきことである。何台も連なったトラックを高速で追い抜かねばならないほどの、危険かつ緊急のやむを得ない事情に該当するとは到底認められない。

 したがって緊急避難には当たらず、十分に可罰的であることに疑問の余地はない。よって、本件は起訴猶予が妥当だとかいうことはあり得ない。

2、道路においては交通の流れを乱さないことが大事だ。

 スピード違反することそれ自体が道路交通法の法益(みなが安全円滑に通行できること)を侵害する行為であるところ、「交通の流れに乗る」ことは、法益を侵害してまで保護されるべき権利ないし状態とは認められない。

 制限速度を超えた「交通の流れ」があったとしても、それは単なる現状にすぎず、法的に保護すべき状態でないことは明らかである。
 各ドライバーが自己の判断で「交通の流れ」を察知して運転すれば原則適法であるというのは、クルマは一歩間違えば大惨事も引き起こしかねない極めて危険な道具になり得ることを無視した不当な主張である。

 スピード違反のクルマが多いとはいえ、ある一定の速度規制がなされているからこそ、現状程度の流れが形成されているにすぎないのであって、スピード違反の是非について各ドライバーの判断する「流れ」にその適法性をゆだねるなどというのは、到底採用の限りではない。

3、本件のような不意打ちの取り締まりは不必要であり、オービスを巧みに回避して被告人を追い越したクルマが取り締まりを受けないのは不公平だ。

 これが訴訟法上どのような趣旨か不明なので直ちに排斥することもできるが、事案の性質上、いちおう検討する。

 制限速度を示す標識はあるし、オービスの予告標識もあるのだから、オービスの実態に関する一般運転者の認識の程度などによれば、本件取り締まりがそれを違法・無効ならしめるほどに不意打ちであるとは到底認められない。

 オービスを巧みに回避したクルマについては、それらのクルマは本件場所で違反しなかったのであり、被告人は違反したのだから、本件場所において彼らが取り締まりを受けず、被告人だけが取り締まりを受けたことに、不公平があるとは言えない。加えて、彼らが別の場所でした違反が適法でないことは当然であり、それが取り締まりを受けないからといって、被告人の違反が正当化されるものでないことは明らかである。

 また、スピード違反をするドライバーの多くは、違反だと認識しつつ、オービスがある地点ではスピードを落としたり、捕まるほどのスピードは出さないようにしているにすぎないことが容易に推認される。 その是非はともかく、それで取り締まりを受けて不公平だとか現実無視だとか主張するのは、極めて自己中心的な弁解としか評価できない。本件取り締まりを違法というほどの根拠には、まったくならない。

4、スピード違反すること自体は危険ではないなど、自分の主張の趣旨は、元検事総長などが述べているのと同じだ。

 それらは、本件違反を前提にした見解ではなく、一般的・抽象的な見解にすぎず、本件違反の適法性を論じるに足りる価値はない。

 物事は多くの立場や視点からさまざまに論じられるのであり、スピード違反の危険性については、歩行者や事故の被害者・遺族らからは大いに反論があり得る。有識者等の意見だから優位などというのは傲慢極まりない。


 このようにして裁判官は、「被告人及び弁護人の主張はすべて採用することができない」と「判断」した。
 そして「量刑の理由」では、要するにこう述べた。

「スピードが増せば危険性や違法性の認識も高まるのだから、スピード(測定値)に応じて処罰するのは、むしろ公平というべきだ。また、違反者が多いこと、動機の自己中心性、迅速処理の必要性などを考慮すると、特段の事情がない限り、測定値によって画一的・形式的に判断されるべきである。
 そこで、特段の事情について検討する。被告人が今回のような主張をした(しかもすべて排斥された)ことを理由に、認識が甘いとか反省の意思がないとか見て量刑を重くするのは相当ではない。
 また、法廷で本件違反の背景事情が明らかになったけれども、違反者にそれぞれの事情があるのは当然というべきであり、右のようなスピード違反事案の性質上、直ちにそれらを個別の酌量事由として考慮するのも相当ではない。そのうえ、被告人が主張した事情は、すでに述べたとおり、とくに考慮すべきほどの特段の事情にはまったく該当しない。よって、主文のとおりとした」

 被告人の主張をすべて排斥しておきながら、なぜ求刑より1万円低い判決としたのか、どうにもわからない。

 それはともかく、以上を読んでみてどう感じるだろう。いろんな感想があるだろう。私には、肯きにくい点が多々ある。論理的におかしいのではないと思える部分もある。
 しかし、スピード違反や交通の流れに対して裁判所はこういう考え方でくるのだな、ということはよくわかるではないか。
 今後、同様の主張で争うとき、また日々の運転をするとき、大いに参考になるはず。

 当のYさんとしては結局、反省できるものではなかったそうだ。が、略式で終わっていたらこれは聞けなかったのだ。判決にあったように「物事は多くの立場や視点からさまざまに論じられる」べきもの。ドライバーが主張し、裁判官も主張する、それは交通社会にとって大事なことだろう。


2001年の秋ごろ『ドライバー』(八重洲出版)に2号にわたり掲載した記事より
 
 

参考記事の目次へ戻る