安全運転者か
 

  運転者の主張を大きく2つに分けると、
「違反は事実だが危険性、迷惑性がなかった。情状を酌んで寛大な処分を」
「無実だ」
 になるでしょうか。
 「無実だ」という運転者はどうしても、なんとか無実であることをわかってもらおう、立証しようと頑張りがちです。

 けれど、運転者の側が無実を立証できるのは、希有なケースでしょう。普通はほとんど不可能でしょう。
 最高裁のホームページによれば、運転者(被告人)のほうが無実を立証する必要はないのですが、実際には、いったん起訴(公判請求)されたが最期、実際に無実であっても 、被告人側のほうで立証できないがゆえに有罪とされる…それがまあ普通です。無実であるとの証拠があっても、無罪を得るのはなかなか困難なのが現実です。

 しかし、「不起訴」という形で勝てることは、よくあります。ですから、実質的な“勝利”は不起訴というべきでしょう。

 そして、不起訴の内容は、事案がどうであってもほとんど(約94%)は「起訴猶予」です。
 検察官としても「これはどうも無実らしいな」と不起訴にする場合であっても、分類としては起訴猶予に入れるようです。

 起訴猶予の根拠は、刑事訴訟法第248条です。
 「
犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の状況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる

 ですから、無実を言うことは、これはもう全く自由なのですが、実質的な勝利を得ようとするなら、248条にある要素、つまり安全運転者かどうかといったことにも力点をおくべではないか。そもそもそれが、取り締まりがどうであっても、運転者にとって交通社会にとって一番大事なことではないのか。
 と私は思うのです。

 別の言い方をしましょう。
 たとえばスピード違反事件の場合、あなたが検察官だとして、絶対であるはずの(絶対でなければならない) 警察の測定値を誤っていると言う者を、ソク信じますか? 誤っているとの完全な証拠もないのに、「誤測定が疑われ、したがって嫌疑不十分(嫌疑なし)だから不起訴」とできますか?
 そして、事件をどう処理するか考えるとき、「こいつはどういう人間なんだ?」と、運転者の人柄・人物を知りたいと思うんじゃありませんか?
「こいつ、普段どんな運転しているんだろ。ここで不起訴にしたら、調子に乗って舌出して飛ばし、俺の子どもをハネるんじゃないか。他の人の子どもをハネるんじゃないか 」
 などと、そういうことが脳裏に去来するんじゃありませんか?

 したがって、実際に誤測定だったとしても、誤測定のことにばかり固執せず、上記のようなことも考えるべきだろう、と私は思います。
 ただし、人柄とか人物とか普段の運転ぶりとかいうものは、トクしよう(検察官に良い印象を与えて不起訴にさせよう)と思って装っても、なかなかうまくいかないだろうと想像します。検察官は、いろんな被疑者(犯罪者)を相手にしているわけで、そういうのを見抜くプロでしょうから。というか、「こいつ、ウソこいてやがるだろ。騙されてたまるか」という姿勢で接するのが普通のようですから。

 

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