悪魔を払い寿福を抱く(高砂)

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落語で謡といえば「高砂[たかさご]や」。大家さんの屋敷で結婚式があって、何か芸をしなければと、八つぁん・熊さんがにわか仕込みの奇妙な声を発するのが笑わせます。(実際の謡では、あんなに無理な発声はしないものですが...)

現代でも、結婚式のような目出度い席で、高砂の一節を謡う人があります。(お祝いの席で謡うのは、徳川時代からの例にならえば“四海波[しかいなみ]”とよばれる部分で、“高砂や”の部分では本来ないのですが...)

高砂は、平和と幸福とを象徴する曲なのです。

■あらすぢ

肥後国の阿蘇の宮の神主(ワキ)が都に赴く途中で、播州高砂の浜に立ち寄る。すると、老夫婦(シテとツレ)が現われて古木の松の下を静かに掃き清める。

高砂の松は、古今集の序文に言及されている名物であるから、神主がその所在を老夫婦に訊ねると、“高砂(播磨の国)・住吉(摂津の国)の松が相生[あいおい]”である訳などを詳しく語り、自分達も高砂と住吉とに分かれて住む夫婦であると不思議な答えをする。(この語りの中で謡われるのが、“四海波”)

すなわち、老夫婦は両所の松の精であると告げて、小船に乗って沖に消えるのであった。

あとを追うように、神主も船に乗って住吉に着くと(船中で謡われるのが“高砂や”)、やがて住吉の明神(シテ)が月光の下に現われ、爽やかに舞い、人民に平和を授ける(悪魔を払い、寿福を抱くetc.)のであった。

■神男女狂鬼

能は、狂言と合わせて複数曲を1回の催しで上演することが普通です。歌舞伎や寄席芸能などが1興行で複数の演目となっているのと似ています。

徳川時代には、将軍代替わりや本願寺の上人遠忌などの大規模な儀式に伴う最も本格的な催しの場合に、[おきな]という神事のような演目のあとで、能を5番、各能の間に狂言4番、最後に娯楽や祝言の色合いの濃い能を1〜2番というのがお定まりでした。

この一日がかりの催しを効果的に行うためには、能や狂言の各曲をその特徴に応じてうまく配置することが必要です(番を組み合わせるから番組です)。ここから能を1番目ものから5番目ものまでの各種に分類することが始まりました。

現在、普通に演じられる能の曲目数は約200曲あり、題材や演じられた時の雰囲気はとても多様ですが、どの曲目も初番目から5番目までのいずれかに籍を置くものとして扱われています。そして、各分類の特徴をもっともよく言い当てている言葉としてよく使われるのが“神男女狂鬼(しん・なん・にょ・きょう・き)”です。

神事の延長線上で神が平和と幸福を人間に約束し、武者が戦争の思い出を語って、能のムードが高まったところで、上古の貴婦人の霊が優美に舞う。かと思えば現代劇として漂泊の狂女が行方不明の我が子を探し求め、鬼畜と英雄とが舞台を狭しと闘いのスペクタクルを繰り広げる...

日本の古典文芸の典型である古今和歌集が、ひとつひとつのうたが優れているばかりでなく、複数のうたを巧みに配列することで、より豊かなイメージを定着させているのと、やり方が似ていると言うべきでしょうか。

高砂は、初番目の代表曲です。

■能の典型を知っておくと便利

初番目(脇能ともいう)の曲は、恋愛の情緒纏綿とか、人生の矛盾に悩む青年とかの劇的な題材に乏しい訳ですし、神が人民を祝福するといっても、現代人にとっては有難味の薄い話です。

だから、実のところあまり上演されないのですが、高砂は例外的に人気のある曲で、正月に付き物の翁とコンビの形で多く演じられます。松の古木のように夫婦愛が永続することを願い、賛えるのが現代にも通じるからでしょうか。

能は、ワキ方が現実の人間として“劇の場”を作り出したところに、非現実方面を担うシテ方が現われて、観客の魂に訴えるという構成が基本になっています。

場を前後に分けて、前場ではシテが本体を表わさずに、本体の現われる条件を徐々に積み上げ、雰囲気の醸成されたところで(後場)本来の神・霊・鬼畜などの姿となって、目にもの見せます。

特に前場では雅語や漢語を多用するので理解不能に陥りますが、前後場の間に近在の庶民の役で登場した狂言方が、俗語で説明しなおしてくれるので、安心できます。各役は、次第[しだい ]一声[いっせい]などの役に相応しい音楽を伴い、役の風格を持って登場します。

高砂は、この基本構成の典型でもありますから、能に親しむきっかけとしては良いものと言えます。

■能を見にでかけませんか

他の演劇と同様、常設の劇場が大都市に偏在していますが、東京では千駄ヶ谷(国立能楽堂)、渋谷(観世能楽堂)、水道橋(宝生能楽堂)、目黒(喜多六平太記念能楽堂)などで日常的に能が上演されています。(やや小規模な舞台を算えればもっと沢山あります)

ちょんまげ時代のように日に5番も上演することはほとんどなくて、能2〜3番に狂言1番、入場料3,000〜10,000円というのが普通です。歌舞伎や小劇団のようにマスコミに取り上げられることはほとんどありませんが、自分でも演じることのできる密度の濃い演劇というのは、マックユーザに似合っていると思いますよ(ちょっと牽強付会で冷や汗...)。

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「JHUG NEWS LETTER」(December 1996、平成8年12月)掲載
古興哥:熊谷一秀(kuma_kaz@fa2.so-net.ne.jp)