能の関係

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目次

  1. 能に興味を持ってしまった
  2. 拍子の話
  3. 能とマッキントッシュ
  4. 能楽関係リンク集

能に興味を持ってしまった

亡父は結婚する以前に謡を稽古したことがあったようで、私は子供のころから自宅に謡の本があることを知っていた。

中学校に入って、「偶々」演劇のサークル活動に加わって“しまった”が、何かをやっていればその対象に関心が少しはわいてくる。演劇に関する書物などを手にとるようになったある日、かの謡本を開いてみた。

すると、古い手書きの字で読みにくそうと思っていたものが、結構読める。後で知ったことだが、観世流大成版は「誰でも読める」謡本として有名だ。出会いが良かったと言うべきか。

菊慈童、松風などという曲が、どういう訳か豊かな世界を示してくれる。つまり、大人への道を歩むなかで身に馴染むものを見い出したのだろう。中学3年生のころであった。

やがて、図書館で能や狂言に関するものを探して読むようになる。テレビで見る。日本能楽協会に式能なる催しのあることを知って、舞台を実見する。舞台で見れば、今は故人となった名人を含めて、その力に魅了される。そんな経験を積めば積む程、能への興味は深まるばかりであった。

「稽古」という世界のあることは知っていたが、身近に稽古している人はなく、就職でもしたらそんな場を探してみようと思って学生生活を終えた。そして、就職とほぼ同時に、稽古を始めた。

「身体を通して覚える」「身体を通したということを大切にする」のが稽古というもの。言葉を覚え、字を書き、人前であいさつその他をこなす、などといったこともすべてそうであって、芸能に限ったことではない。芸能の場合は、その「さま」があからさまになる。素人であれば、他人の身の上にあったこと、歴史上のこと、舞台の上、趣味の世界、という逃げの余地を残して。

生来理屈っぽい方なのか、師の教えを受けながらも、理屈で、文字で、絵で表せるものを表わしたいと思い続けている。別の言い方をすれば、自らの言葉で語り、書き記し、描くほどであることが「理解」であるという妙な信念も身に染み付いている。

この小さなサイトでも、この小さな愚な信念の行く末を確かめようとせざるを得ない。

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古興哥:熊谷一秀(kuma_kaz@fa2.so-net.ne.jp)