ようこそ。土屋賢二の公式HPへ。
次のFAQは、わたしの過去の書き込みなどを基にして、stephanie3 が作成したものである。もし品性・文学性に欠けるところがあれば、それはstephanie3 が創作した部分である(土屋賢二)。
このHPには「名窮会」という会があり、わたしがその会長におさまっているからだ。
どういう経緯で会が発足したのかについては、これまでの書き込みを読んでもらうのが一番だが、名称決定の経緯については「会の名称&タイトル案」に失敗作が列挙してあるのでそれを読むのが手っ取り早い。
ちなみに初めて「会」というものに触れたのは「この掲示板に至るまでの書き込み記録」の「02」なので、読むものは時間を無駄にする覚悟を決めて読むように。
掲示板に書き込んだ者、およびそのときそばにいた者、およびそばにいなかった者は、自動的に永久会員となる。
会員になったものには、会長から会費の徴収があったときに、速やかに支払う喜びが与えられている。
ホーキング博士は、HPに収録した英訳を全部読んだ。わたしのエッセイを読むと、彼の研究と人間形成にプラスになると思い、イギリスを出るとき、郵送したのだ。
彼の本やテレビでの話から、ユーモアのセンスがあることは分かっていたので、怒るようなことはないと思っていたが、「とても面白かった」という手紙をもらった。
会員諸君もホーキングと同じものを読んだといって自慢していい。ただ、とても信頼できないわたしの知人も読んでいるので、帳消しになるような気もする。
はずだ。そう信じている。
会員のこれまでの書き込みから、超大型書店にあるらしいとの報告もよせられているので、ひきつづき観察してほしい。万一見かけたときは、ためらわずレジに持っていくように。
どういう訳か現在掲示板で暴れまわっている連中は、「誉める」という言葉の意味が理解できないやつばかりなので、是非本来の意味であるところの「わたしを誉める」書き込みをしてほしい。掲示板をちょっと読むと、悪口雑言ばかりが目について、何でも書いていいように錯覚するだろうが、そうではない。
まず、わたしのプライベートを暴く内容は避けてもらいたい。
それからピアノの実力を暴くこともご法度だ。
わたしのピアノの実力について本当の情報を知らせたりするのは会則第592条「会長の許可なく会長の実力に関する情報を流してはいけない」に抵触する(罰金一万円)。
(用意ができたら会員用にライブをやるかもしれない)
哲学の専門的な質問も避けるように。
これは専門家としてのわたしのメンツをつぶすようなことはするな、ということだ。
それと「女装してお茶大潜入は可能か?」という話題もタブーとなっている。
この経緯については、これまでの書き込みの201−250,251−300を読むとわかると思う。
「この話題に触れないこと」の背後にあるものに対する各自の理解を求める。
'00年7月1日まで「TV放送に関すること」は、書いても見ても覚えてもいけないこととしてここに記していたが、意外にも激賞(非難されなかったと同義)されたので削除した。
(‘00/7/2放送 NHK総合 「課外授業 ようこそ先輩」)
「棚の修理はおわったのか」についても書いて欲しくはない。
その理由については、15に詳しく述べているのでそちらを読んで理解してほしい。
週刊文春発売直後の木曜・金曜限定だが、「棚から哲学」のネタを書くのも遠慮してほしい。土曜日に文春が発売される地域があるためだ。
焦らずに誉めるところをじっくり探す心のゆとりを持とうではないか。
わたしの母が琴と三味線を教えており、今年で70年になる。その関係で、生まれたときから伝統音楽の中で育った。邦楽の曲を作ったこともあり、琴と尺八のためのやや前衛的な難曲を作り、母と山本邦山が演奏したこともある。
わたしの誇りは、子ども用に編曲した作品(「おどるポンポコリン」「ひょっこりひょうたん島」「ビリンバウ」。曲としては簡単なもの)が、大日本家庭音楽会から「土屋賢二編曲集」として出版されていることだ。大日本家庭音楽会という出版社は、何を隠そう宮城道雄の名曲を出版しているところなのだ。宮城道雄と肩を並べているといってもいい。
わたしは日ごろひどい扱いを受けるたびに、この事実を思い出して生きるよすがとしている。
職場や学校、家庭の息苦しさを、会員のみが発散させる場になってしまっている。
わたしにとっては、あらたな苦痛を強いられる以外意味はない。
何とかしたいと思っているが、もはやどうにもならないところまできている。気がする。
思いついたら、その都度書き込んで欲しい。
残念ながら、「新刊タイトル案」へのUPはもうやっていないが、いつまでも恥をさらす必要がないと思えば、幸運にもというべきなのかもしれない。
気楽にどんどん出してくれるとうれしいな。
副会長をいずれ公募しようと思っている。主な仕事は会費の徴収だ。副会長には、徴収できなかった分を自腹で払う特権が与えられる。他にも会費支払いを回避しようとするもののために、実行部隊を任命しようとも思っている。
会員諸氏は楽しみにしておくように。
おめでとう。君は見事会長に記念品を贈る権利を獲得した。
現金がもっとも望ましいが、金塊やダイヤモンドでもかまわない。
トップページにある「金品、表彰状などの送付先」宛に速やかに送るように。
わたしのために時間を使うことが出来るという至上の喜びを与えている。
それ以上に何がいるというのだ?
どうせ暇なやつらなのだ。お礼を言われてもいいくらいなのに誰も言ってくるものはいない。
嘆かわしいことだ。
出版社宛に「土屋のエッセイ読みたさにこの本を買った。土屋に金を払わないと爆弾を仕掛けるぞ。」と書いた手紙でも送れば何とかなるのかもしれないが、やめてほしい。連載はこれ幸いとばかりに打ち切られ、その結果、妻の怒りが爆発するという最悪の事態を招くだろうから。
わたしを思う気持ちが本物なら、凝ったことをせず、著書一覧にある本を100冊ずつ買ってくれ。
頼んだぞ。
過去ログを読んで、レスを期待した会員には非常に申し訳ないが、現在は初めての参加者へのレス以外、原則としてつけないことにしている。
これは最近色々忙しくなったこと、書き込みの数が増えてレスをつけるのが大変になったこと、睡眠をとりたいこと、棚が直せないこと(これはけんじ板を作るまえから直らないほどだ)などの理由によるものだ。
今は、レスという形ではなく、余裕のあるときに好きなことを自由に書いている。
わたしはにんなの書き込みを読むのが楽しみだし、ふざけるのも大好きだ。
にんなの意見を募集することもこれからますます多くなると思う。
使えるものはエッセイのネタに使わせてもらうつもりなので、これまで通りどんどん書き込んでほしい。
本はそれ以上にどんどんどんどん買ってほしい。
リンクを張れという申し込みは、何件かもらっているが、リンクを張る基準を決めてないから、まだ申し込みに応じていない(リンクを張ってもらう分にはいいが)。いったんリンクを張ったら、「土屋のここがくだらない」とか「ニワトリの調理法:土屋賢二風」などにもリンクを張らなくてはならないことになりかねない。
その件については答えたくないし、思い出したくもない。
時々「ここに書いているのは本当の土屋先生ですか?」と掲示板に書き込むものがいるが、わたし自身、自分が本当かどうかよくわからない。
本当のわたしにしては、文章に格調がなさすぎる。本当のわたしだったらもっとうまく原稿を書いたり、平和な結婚生活を送ったり、朝型になったりすることが出来るはずだ。
だからといって、けなしてはいけない。それだけは忘れるなよ。忘れるだろうが、忘れるなよ。忘れてはいけないことも忘れるなよ。
わたしは次男ではなく、長男だ。
父(父は次男だった)の説明によれば、長男なのに「賢二」とした理由は、語呂がいいから、というものだった。「けんじ」という発音の漢字はいっぱいある(顕示、犬児など)が、たぶん、賢二以外の文字を知らなかったのだろう。
掲示板で暴れまわっている連中は「二束三文」や「二兎を追う(哲学の教師と雑文家の)ものは一兎をも得ず」の「二」としか思わないだろうが、「二枚目」や「二百億円」の「二」だと考えてもらいたい。
この言葉は、2000年夏に掲示板上で生まれた新語で、意味は「みんな」とほぼ同義だが、厳密に言うと「わたしの本を買うべき義務を負った人々」ということだ。
その意味を知ってか知らずか、この掲示板では誰もが親しみと愛着をもって使っている。
いまやわたしやわたしの著書よりも認知されているような気さえする。
まるで柴門ふみのような言葉だ。
そのうち漫画を描いて、大儲けしてくれると、けんちゃん嬉しいな。
こう尋ねて、買わないのが名窮会の会員の実態だろうが、ここは真面目に答えておこう。
わたしは、文庫本出版に当たっては、上梓した原稿を校正するので、同じタイトルの本でもハードカバーと文庫本で文章が違っているところがあるのだ。
わたしのファンを名乗るなら、どちらも買うべきだろう。
読み比べた結果、文庫本の表現が気に入ったら「さすがに校正したほうは一味違うな」と思えばよいし、ハードカバーの表現のほうが好きなら「さすがに値段の高いほうは一味違うな」と思えばよい。
気に入らなかった方を買って損したと文句を言ってはいけない。わかったね。
見た瞬間に、私の本を買いたくなるようなHNが望ましい。
私のHNは「けんじ」だが、これだけ掲示板に書き込みをしているにも
かかわらず、本の売上が伸びた形跡がないため、「けんじ」を含めた
HNの使用、例えば「けんじの兄」「けんじの妻」などは
(妻はそれ以外の理由によっても)遠慮してもらっている。
(冷静に考えれば、これ以上ないくらい腹立たしいことではあるが)
なお、わたしのHNと間違えやすいものも避けること。「けんし」「げんじ」「けむじ」など。
あとHNに関する決まりごとは、原則一人一つということくらいだ。
何度か書き込んだ後HNを変更したい場合は、その旨を書き込むこと。
その代わりに、本(HON)は一人何百冊でも買ってよいことになっているので
複数を希望する者はこちらで思う存分願いをかなえてくれ。
いいね。