腕で目隠しして「だるまさんがころんだ」。サッと振り返り、動いていた子を名指しする。子どもの遊びの言葉である。
こんな遊びは幼稚園や小学校時代の思い出のなかに残っている。今の子どももやってるのだろうか。近所で見るかぎりでは、小学生の男の子はサッカーボールけりやキャッチボール、幼児の女の子はお砂場で砂遊びやすべり台。大勢が「だるまさん……」と言って遊んでいる姿は見かけない。娘が小学生のころにはその声が聞こえてきたと思うのだが。
さて、このような、子どもの遊びのことば(小矢野編『日本語言うたろカード』(私家版)に、大学1年生が報告してくれた事例が載せてある)は、ジャンケンには残っているようだが、ゴム跳びや鞠つきなどは遊びそのものが消えてしまっている。お手玉もそうだろう。伝承遊びの衰退である。現在は、もっともっと刺激的で子どもの興味・関心を引く遊びがある。
国語学者の高橋太郎さんに頼まれて「だるまさんがころんだ」などの言い方をアンケートした。その結果、関西を中心に使われていた「ぼんさんが屁をこいた」が勢力を失って、「だるまさんが……」が全国的な広がりを示していることが分かった。
使用した時期が幼稚園のころから小学校低学年にかけてという回答が多かった。睡足館(すいそくかん)(注)によると、NHKのみんなの歌で「だるまさんがころんだ」が放送されたのは、1978年8月から9月にかけてだそうだ。歌っていたのは斎藤こず恵さん(NHK朝の連続テレビ小説「鳩子の海」で鳩子の子役を演じた人)である。5歳のころに幼稚園でこの歌を習ったり、この遊びをしたとするならば、1973年生まれの人たち、つまり、現在26歳くらいの人たちは全国どこでも「だるまさんがころんだ」になる可能性がある。
1969年から1973年にかけてボクは神戸市に下宿していた。近所で子どもたちが「ぼんさんが屁をこいた」と言って遊んでいた。とっても驚いた。3歳くらいの女の子も「ぼんさんが……」と言っていた。
岡島さんの「ことば会議室」から情報を得て、雑誌「言語生活」のバックナンバーを読んでみた。
昭和40(1965)年(1965)1月号が「子どもの遊びのことば」を特集している。若き日の徳川宗賢さん、高橋太郎さん、田中章夫さんらが座談会をしていた。
子どもの遊びの言葉の全国的な広がりやその形の分布などが話題になっていた。これをテーマにして研究するということが過去にあったということは、いい時代だったんだなぁと思う。今だと、これはメジャーなテーマにはなりにくいだろう。研究の目がそっちに向いていないし、目を向かせるような実態も乏しい。
では、なぜ「ぼんさん」がすたれたのだろうか。
まず、NHKのみんなの歌の影響力が大きいと考えられる。テレビ放送は全国一律に一斉に広げる伝播力を持っている。
もう一つは、内容の側面である。「屁をこく」などという表現は、とくに女の子あるいは女性が日常の話題にしにくい。長じるにしたがって、この表現を避けようという意識が働く。「ぼんさんが屁をこいた」という言葉が小学生の段階であれば、遊びとして口にすることができるけれども、中学生や高校生になると、遊びそのものをしなくなるし、口にすることもはばかるようになる。いい言葉を使いましょう的なしつけが「屁をこく」を追放することにも影響を与えたのではないだろうか。「おならをする」「おならが出る」ならいいけれども、「屁をこく」はどうも……ということなのであろう。
直接関係はないけれども、「昔昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました」という昔話の定型表現の中の「ありました」がおかしい、変だという議論があったらしい。人間の存在を「ある」で表現するのはけしからん、ということである。だから「いました」「住んでいました」などのように書き換える。「昔、男ありけり」の伝統は、一知半解の賢しらで消えてしまった。
言葉遣いを見直すことは大切である。しかし、やりすぎはよくない。
「ぼんさんが屁をこいた」というのは、地域の知識人で、先祖の供養をし人々の幸せを祈ってくれるお坊さんでも、きわめて日常的な生理現象を避けることができない。そこに笑いが生じるのである。罪のない笑いと言えるだろう。
全国的に広がった「だるまさんがころんだ」は内容面で問題がないだろうか。体のバランスを保つ機能をもった足。だるまさんには足がない。だからころんだ。これが身体障害者差別にならないともかぎらない。
【付録1】韓国の子どもの遊びのことば
韓国からの留学生が、韓国にも同じ遊びがあると教えてくれた。
「ムグンファコッチピッオッスンニダ」=「ムグンファ(ムグン花)が咲きました」
韓国の国の花ということですから「ムクゲ」のことでしょうね。
(「ムクゲの花が咲きました」 訳したら七五調になった。)
【付録2】鞠つき歌、尻取り歌
覚えている鞠つき歌を記しておく。(1950年代後半ごろ、鳥取県倉吉市で聞いた)
1)これは数え歌のようになっている。
イタリア、イタリア、イータリア
ニッポン、ニッポン、イタリア、にーっぽん
上海(しゃんはい)、上海、イタリア、ニッポン、シャーンハイ
四国、四国、イタリア、ニッポン、上海、四国
豪州、豪州、イタリア、ニッポン、上海、四国、ごーしゅう
武蔵、武蔵、イタリア、ニッポン、上海、四国、豪州、武蔵
名古屋、名古屋、イタリア、ニッポン、上海、四国、豪州、武蔵、名古屋
やはた(八幡?)、やはた、イタリア、ニッポン、上海、四国、豪州、武蔵、名古屋、やはた
九州、九州、イタリア、ニッポン、上海、四国、豪州、武蔵、名古屋、やはた、九州
東京、東京、イタリア、ニッポン、上海、四国、豪州、武蔵、名古屋、やはた、九州、東京
2)
インドのまーち(町)、名高いまーち、あーし(足)でポンと蹴りゃ、お馬に乗って、いち、にと、さんと、しと、ごー
尻取り歌
ねんねんころりよ、おころりよ 太鼓が鳴ったら村祭り
リンゴにバナナにチョコレート
跳んだりはねたりスズメの子
コケコとニワトリ鳴いている
留守居のじいやはハゲ頭
まーるいお月さん雲の中
鎌倉八幡、ハトポッポ
ポーンと鳴るのは花火かえ?
煙突掃除は真っ黒け
景色を眺める遠めがね
ねんねんころりよ、おころりよ(以下、ぐるぐると際限なく回り続ける)
この調査で出てきた珍しい例「くるまの(ん)とんてんかん」について、さきの座談会の中で高橋太郎さんがこんな発言をしていた。
高橋 分布の問題を調べる場合は、全国的規模でもできるし、もっと小さい地域でもできるわけですね。この間、福島の小学校・高等学校に調査に行ったんです。高等学校ぐらいだと、二郡ぐらいから来ているわけですね。そこで、「クルマントンテンカン」と「ダルマサンガコロンダ」と、どっちを言ったかと聞いてみました。福島市内では「ダルマサンガコロンダ」です。ところが、伊達郡の保原町とか梁川町とかに行きますと、「クルマントンテンカン」。そんなに距離はない。電車で三十分ぐらいですよ。(『言語生活』1965年1月号、p.15)
「だるまさんがころんだ」のアンケート結果のページに戻る。
(注)このサイトは日高さんのHPからリンクが張られていた。本文に戻る
年輩の人たちが若いころの言葉遊びは、今の若者言葉に見られる遊びとはちがった、大らかさやウイットが感じられる。
先日、詩人の工藤直子さんのHP「のはらうたホームページ」の「おたより掲示板」を見ていたら、工藤さんが次のような「フランス造語」を紹介していた。
わたしたちの間で「フランス造語」シリーズ、というのが、流行った時期があってね、たとえば……
「イカ」は「アシュ・ジュポ〜ン」(足10本)
「タコ」はもちろん「アシュ・ハポ〜ン」(足8本)
「書道」は「ボーク・ジュ・ド・スミィ」(墨汁と墨)
「農婦」は「モン・ペ・ド・クァ」(モンペと鍬)という次第です。
面白いと思う。そう言えば、今から10年前、大阪外大日本語学科の男子学生で、フランス語を勉強しているのが、「ジュ・タス・ジュワ・ニジュ」(10+10=20)と、いかにもフランス語らしく発音していた。藤村有弘やタモリなども、外国語をいかにもそれらしく発音してしゃべっていたなあ。
このフランス造語について、工藤さんの掲示板に、むささびとびのしんの名前で次のようにカキコをした。
1999/09/14(Tue) 11:04
直子さん、こんにちは。
レスの「フランス造語」、面白く拝見しました。
ボクも大学の教養部時代にフランス語を取っていましたが、
造語するウイットまでは持ち合わせていませんでした。
今、毎朝、5時半にシャンソンで目を覚まします。
古いシャンソンが心地よいです。
息子たちもメロディーをくちずさむことがあります。
すると直子さんからのレスがあって、お父上直伝の「和製英語」を紹介してくださった。
「ナカ・メーシ・グルリア〜ン」=オハギ(中飯ぐるりアンコ)
「スゥワルト・バートル」=ハカマ(座ると場をとる)
いいなあ、こういうのって。ボクの母がむかし教えてくれたのに、「ヒネルト・ジャー」(水道)があった。あ、そうそう、思い出した。中学生のころ、「便所に行く」ことを、英語の人名っぽく「ベン・ジョニーク」なんて言ってたっけ(拙著『ワードウオッチング』にも書いていた)。物忘れ。
「だるまさんがころんだ」と唱えて後ろを振り向き、動いた人を鬼にする子どもの遊び。この唱え方にいろんな形がある。さるお方に頼まれて調べた結果を載せた。13日と14日に学生の協力を得た。これも、追って載せる予定。
子どものころの遊びを思い出した。「下駄隠し」「探偵ごっこ」「ゴム跳び」「鞠つき」など、いろんな言葉を、たいていメロディーを付けて唱えていた。近ごろの子どもの遊びにはほとんど聞かれないようだ。
ちなみに、覚えているものを記しておこう。
小学校では今、運動会の練習に先生も生徒も汗を流している。かるがもまちこによると、今の小学生は「たすきがけ」を知らないそうだ。応援団の練習風景。たすきをたすきがけに結ぶことに四苦八苦して、肝心の応援練習ができないのだとか。
ボクが子どものころは遊びの中にたすきがけがあった。チャンバラごっこである。チャンバラデは着物を着ているために、戦いの時に袖がひらひらして邪魔になる(もっとも、着物を着て遊んでいたわけではない)。そこでたすきがけが必要になる。紐の片方を口にくわえて、サ、サ、サッと手際よくたすきにむすび、「親の仇、覚悟しろ」などと宣言して棒切れを構える。これがまたカッコイイ。頭には鉢巻き。鞍馬天狗だとか大川橋蔵の映画が人気であった。今は飛び道具。バキューン、バキューン。はたまたビーム光線。つばぜり合いなどという、目と目を見合わせて対峙する動作はない。斬り方や斬られ方にも一種の美学的な型があったように思う。
今は生活の中でたすきがけの必要性がない。割烹前掛けだとたすきがけして障子にはたきをかけるが、エプロンドレス(?)では脇がすっきりしている。
小学生には、ひもをまず輪にして、それをクロスした形で背中から両腕に通す方式を伝授したとか。さて、キリリと応援できるだろうか。
今、時計が8時を告げた。昔、「もう6時だ」というのを駄洒落で「耄碌(もうろく)爺(じじい)」などと言った(と思う)。で、「耄碌」などという言葉はもう死語かな? と思った。なんでもかんでも「ぼけた」「ぼけてる」「ぼけたんちゃうん」などと「ぼけ」一辺倒である。「耄碌」というのは「老いぼれる」ことだそうだが、「老いぼれる」も死語か。「老いさらばえる」などとも言ったんだが……。授業でちょっと復活させてみようかな。
今日は午前の部と午後の部、2つのイベントがあった。
午前の部は、大阪YWCAで行われている現代日本語の動向を探る会への参加。
小人数だけど、みんなが集めてきた奇妙な日本語、面白い日本語、間違った日本語などを報告しあう。意見や感想も活発に出る。耳を澄まして目を凝らす。こういった作業が地道に行われているのである。
面白かったのは「プチ家出」「非行助長集団(暴走族のこと)」「二番乗り競争」。
「プチ家出」が最近流行しているらしい。「プチ旅行」や「プチホテル」というのもあるそうだ。ボクが学生のころは「プチブル」という言葉があった。「プチ・ブルジョワ」のこと、つまり小市民。嘉門達夫の歌う小市民は、しがないボクたちのことだけど、当時のプチブルは学生運動家からは非難される存在であった。今のような「可愛い」感じじゃない。
こういった活発な情報交換が大学の授業でもできたらなあ、と思う。
(注)『朝日新聞』9月14日付朝刊に「プチ家出」が大きく取り上げられていた。
午後の部は、阪急梅田駅でムサ・カモ一家5人が待ち合わせて、シンプル・ライフ・シンドロームを見に行く。その前に腹ごしらえ。かっぱ横町のインド料理店「ピーナ・カーナ」に入る。昼御飯としては超豪華版!! 腹一杯にカレーが充満した。
神戸・新開地にあるアート・ビレッジ・センターで見る。ボクが精神科の医者の役で出演するはずなので、じっと画面に見入った。途中、4歳の息子・ぶんぶんの小さないびきが聞こえていた。
透明な存在になってしまった若者、そうなりそうで思いとどまる若者など、若者の葛藤を描いている。荒木スミシさんの作品。
ところが、なんと、ほんとに、えっ?? なんと、ボクの出番はなかった。娘曰く「カットされたんちゃう?」 そんなアホな……。
上映が終わって教え子のスタッフに確かめてみたら、第3部だそうだ。現在編集中で、上映日程は未定とのこと。
半日の疲れがドッと出た。かるがもまちこ曰く、「みんなでおいしい食事ができたからいいやん」。終わり良ければすべて良し、なのか、初め良ければすべて良し、なのか。まあ、ものは考えようだ。期待にワクワクしながら過ごした時間を大切に思うことにしよう。
物忘れと気ぜわしさ。これがボクが直面している問題である。
とくに、見つけたことばを記録することを、つい忘れてしまい、日にちがたって、存在を忘れるのである。メモをしても、メモしたこと自体を忘れる。メモしたもとを覚えていても、メモしたもののありかをわすれる。かなり重症だ。
で、忘れないうちに書き留めておく。
●欠る(けつる)
「おれ、平均にしたら60くらいになってしまう」といった趣旨の発言を受けて、
「平均ええなあ、わたしなんか平均ケツってんで」
(1999年7月7日、阪急電車北千里線、南千里付近車内で採集)
試験で「欠点」を取ることを「欠る(けつる)」と言っているようだ。「欠点」のことを「赤点」とも言う。
●拒否る
中学からいっしょになったK君も、ごく普通のやつだ、と思っていた。だから彼が不登校になったとき、「あいつも、拒否った」と言っていたくらいだ。クラスに一人は登校拒否の生徒がいて、「拒否る」という造語ももう日常語だった。(『文芸春秋』1999年8月号、p.303、吉岡忍「友が丘中学少年Aが残した傷」)
●ふりきゅー
4年生の学生が使っていた。振替休日のこと。(1999年7月12日の個人的な談話の中で採集)
●メールを投げる
Eメールで投稿することを「メールを投げる」と言うようだ。
(例)【働く母】さんに同感です。実は私もこのテーマのメールを投げようかと思っていました。(http:ntt.asahi.com/532/board/board001res96.html#15)
ちなみにgooで「メールを投げる」で検索してみたら、201件ヒットした。
9月10日に小矢野幹夫さんからコメントが届いた。
●メールを投げる
計算機屋さんの言葉に,「ジョブを投げる(ジョブ投げ)」というのがあります。これは,ひとつの仕事(計算)をするのに,1台のコンピュータだけを使うのではなく,ネットワークで繋がれた複数のコンピュータに計算させて効率をあげることです。
「メールを投げる」を使った人は,このような計算機の世界にとても詳しい人か,逆に全く知らない人だと考えられます。
もしも前者であれば,メーリングリストやネットニュースは配送先が複数であり,これが「ジョブ投げ」と似ているので「メールを投げる」としたのでしょう。普通のメールのやり取りや掲示板では,あて先は単独なので,「投げる」とは言わなかっただろうと思います。
後者であれば,誰かが使っているのを見聞きしたもので,誤用に近いものですね。
●踏む
ホームページのトップページや掲示板に設けてあるカウンターの数字で、「1111」とか「1234」のような、ゾロ目、順番の番号に行き合ったときに、「1111を踏む」と言う。
●カキコ
掲示板に書き込みをすることを「カキコ」と言う。かなりフツーに使われているのだろう。知らないワタシが遅れてるのヨ。
きのう、お芝居を演じた。日本ジェンダー学会第3回大会の第3部、パフォーマンス─改正男女雇用機会均等法時代の女と男を考える─で「今様草紙洗小町」を、ことばとジェンダー研究部会のメンバーとともに演じたのである。何回か練習を重ねたのだが、台本を見ながらの立ち稽古を見てもらうことにした。
練習と実演を通して感じたことがある。
セリフを、読む、声に出して言う、話すようにしゃべる、といった段階があったのだが、実際の会話のようには、なかなかいかない。なぜだろう?
ひとりの人物のセリフは、その人物の生活や経歴を背景に持っている。生活や経歴には当然、他の人たちとの関わりがある。その中で声の調子や顔の表情、視線、所作などが決まるのである。そういった生身の人間を演じるというレベルに達したところで、ああ、うまく行ったという実感が得られるのだろう。
一つの文を口に出して言うのでも、いろんな言い方ができる。その声が、意味をになう言葉となって相手に伝わる。次の機会にはそういったレベルを目指してやってみたい。
今朝は雨。5時に目が覚めた。この時期の雨を見ると、太田裕美の「セプテンバー・レイン」のメロディーが口に出る。朝、起きたらコーヒーをいれる。ペーパー・フィルターでこすのを待つあいだ、ピンキーとキラーズの「恋の季節」の一節を思い出す。いずれも古い歌だ。ボクの青春時代。
セプテンバー・レイン、レイン、9月の雨は優しくて……
夜明けのコーヒー、二人で飲もうと、あの人は言った、恋の季節よ
「一雨ごとに秋の深まりが感じられます」。この時期あたりから時候のあいさつに使う定型文である。型にはまっているなぁ。斬新さというものがない。しかし、大いなるマンネリに安住していると、楽ではある。
我が家の夏休みが終わった。何回か長男が扁桃腺を腫らして高熱を出した。たいてい、外出した翌日に症状が出た。ボクは慢性扁桃肥大なので、これが遺伝したのかもしれない。親の因果が子に報い、ってやつ。どうして似なくてもよいところばかり遺伝するんだろう。
個人的なことはたいていこなした。まずはめでたし、めでたし、である。
職場で課せられた仕事のほうは、なかなか気が向かない。まあ、あと少し時間があるから、なんとかなろだろう、とタカをくくっている。
きのう1日で「けとば珍聞」9月号を編集した。いつも、もっと余裕をもってやろうと思うのだけれども、いつも月末にバタバタする。これがなんとかならないものかなぁ。