りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
7章「すべてが楽な産後 1995年秋の話」

@赤ちゃんがよく寝る
Aおっぱい指導はなかったけれど
B目からウロコ!新生児のしゃっくりなんかすぐ止まる
C赤ちゃんは泣くもの
D切開しなくて苦痛なし
E出血してもNo Problem
F助産婦さんの祈り
G病院・考
H助産院・考
I「未病を治す」を実感
J「鍼灸師を意識したきっかけ」
K観音様

2005年8月2日火曜日7:00

@赤ちゃんがよく寝る

まず、長男が生まれて、
「今回は楽だなぁ〜」と思ったことです。

産後、病院で辛かったことのひとつが長女がよく泣くこと。

相部屋は楽しかったこともたくさんあるのですが、
(12年経った今でも年賀状のやりとりがある方もいますし)
狭いカーテンで仕切られた向こうのママは寝たいのに
我が子の泣き声で起こしては申し訳ないと、
あわてて授乳室に連れて行ったこと・・・
昼も夜も、とにかく眠れなかったのです。

ところが、長男は
とにかく最初からよく寝てくれたんですね。
とは言っても赤ちゃんですから、
3時間寝れば、という意味です。

この長女と長男の差は、
ひとつは体重の差。

長女は2840g、長男は3080gで出産。

差と言っても、すごく違うわけではないのですが、
3000gを超えるのと超えないのとでは、違うそうです。
3000gを超えて生まれた長男は、
よく寝ていました。
⇒私もよく眠れました。

ふたつは、陣痛促進剤を使ったか使わないかの差。
『アンタまだ、お腹に赤ちゃん居たいのに
陣痛促進剤なんか使って、
無理やりお腹から追い出すから。
そりゃあ、まだお腹にいたかった子なんだもの、
おかあちゃ〜ん、って泣いたんだよ」
というのがA先生の解説でした。

ともかく、A助産院での産後は、
すべてが違っていたのです。

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2005年8月3日水曜日9:00

Aおっぱいの指導

あかちゃんが生まれて、
きちんとしたおっぱいの指導をされた・・・
という印象はないのですが。
まぁ、経産婦ということもあり。

とにかくここではすべてが
オーダーメイドでした。

私の様子を見て、
必要なことを必要なだけ、というのでしょうか。

「妊婦の『ぷ』」の一場面にもありましたが、
「先生、何を持ってくればいいのですか?」
『自分が必要だと思うものを持っていらっしゃい』

そういう感じで、
おっぱいをあげていると、
『あ〜いいんじゃない。さすが二人目だね』

『こっちからばっかしあげてると偏っちゃうでしょ。
こうやってあげると偏らないよ』
(↑これ、大事なアドバイスでした)

『泣いたからってそんなに頻繁にあげなくても大丈夫』

病院のようにマニュアル化された
「○○するべき」指導はありませんでした。

この退院までの数日の間に、
最初は気づかないほどの・・・
本物の“寄り添う医療”の姿勢を、
私は見ることになったのでした。

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2005年8月4日木曜日22:00
B目からウロコ!
新生児のしゃっくりなんかすぐ止まる


長男が生まれて3日目でしょうか。
しゃっくりをしました。

私はギョッとしました。
それは、長女の体験があったから(
ああ、また、どうしよう。
かわいそうに・・・(#+_+)と思ったのです。

抱っこして困っていると、
A先生がいらっしゃいました。

「せんせ〜い、この子しゃっくりしているんです(>_<)」

『あら。そうなの』

「もう、長女の時もしゃっくりが止まらなくて、
病院で誰に聞いても止められなくて・・・
しゃっくり、なんで出ちゃうんでしょう」(半べそかく勢い)

『あれぇ。なんでそうなの?
しゃっくりはね、こうすれば止まるのよ

A先生は私に教えてくれました。

『新生児っていうのはね、今までお母さんのお腹の中にいたんだよ。
(それは誰でもわかっていると思いますが)
36度以上のお母さん体温の中にすっぽりと、ね。
頭の先からつま先まで。だからね、

“ボクこれじゃ、ちょっと寒いよぉ〜おかあちゃん”って
しゃっくりしてるんだよ。

だからね、ほら、こうやって・・・

と、くるりと一枚アフガン(=バスタオルでもOK)を赤ちゃんに巻きました。

余分にくるんでやれば、すぐ止まるよ

(・_・) えー?
あの病院で全然止まらなかったしゃっくりが?
病院では誰に聞いても止められなかったしゃっくりが?

・・・で、ホントに止まりました。ぴったりと。(;^_^ A


以来、私はしゃっくりをすぐ止められるお母さん。
長男と二男には、しゃっくりをほとんどさせていません。
長女には・・・ごめん「(^^; ) ・・・です。

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しゃっくりは、横隔膜の痙攣で起きます。

大人のしゃっくりも腹部を暖めることで止まります。
3日以上続くような大人のしゃっくりも、
お近くの鍼灸院に行けば治るでしょう。
お近くにない方は、
ご自分でお灸を腹部や「百会」にすえてみて下さい。

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2005年8月8日月曜日8:30

C赤ちゃんは泣くもの

私は思っていました。
『赤ちゃんを泣かせないママ=いいママ』

これは裏を返すと、
赤ちゃんを泣かせるママ→悪いママ
なんですね。

「私は赤ちゃんを本当に泣かせなかった」
と実母は繰り返し言っていました。
ですから、私は赤ちゃんが泣けば抱き、
おっぱいをあげ、オムツをチェックし、
泣けばすぐ反応して動いていました。
なるべく泣かせない様に、
最大限の注意を払ってきました。
(また、長女はすぐ泣いたので大変でしたヘ(´o`)ヘ )

本当によく寝て、よく飲んで、楽な長男でしたが、
もちろん赤ちゃんですから・・・泣きます。

私は赤ちゃんの泣き声にすぐ反応していました。
そうですね・・・今考えると
警報機がなったごとく、反応していました。

先生と話している時も、
食事の途中でも、
少しでも泣き声が聞こえたら、即座に腰が浮いていました。

それを見たA先生に
『あら、このお母さんったら、もう・・・
少しは赤ちゃんを放っておきなさいよ。
大丈夫なんだから。
そんなにすぐ飛んでいかなくていいの。」

と止められました。

『そんな神経質にすっ飛んでいかなくても、
赤ちゃんは大丈夫。たまにはああやって
泣いて運動しないとお腹空かないだろ?』

A先生に度々たしなめられました。

10年後の今、思い返してみても、
それは私にはとても大事なことでした。

退院後に、この教えはとても役に立ちました。

2歳の長女がいたので、
長女と話していたり遊んでいる時には、
長女を優先にすることができたからです。

赤ちゃんよりも長女を優先して。
これはA先生・母・義母をはじめほとんどの
赤ちゃんを産んだことのある女性から言われました。

でも、私が先生に教えを受けることなく退院していたら、
赤ちゃんが泣いたらすぐ反応し、
結果的に長女を優先することはできなかったでしょう。

A先生から、赤ちゃんは少しぐらい泣かせてもいいと言われ、
自分の食事ぐらいちゃんと終わってから
抱きに行きなさいと言われ・・・
あの時、私は赤ちゃんが泣いても、
ビクッと反応しないように練習したのだと思います。

退院する頃には、罪悪感を感じることなく、
出来るようになっていました。


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2005年8月9日火曜日9:00

D切開しなくて苦痛なし

長女の時に、
一番辛かったのが会陰切開でした。

今回はなにせ切ってないので、
な〜〜〜んともありません。

えっと、先生からは、
ちょこっと切れちゃった、とは言われました。

でも、とにかく痛くもなんともなく、
歩いても座ってもなんともありませんでした。

だから、会陰切開に伴う、
切る前の麻酔が痛い、
切った時には麻酔が効いてなくて痛かった、
切った後の縫合が痛かった、
抜糸が痛かった、縫い直しだった・・・などのような
一切の不愉快な症状はありません。

この『なんともない』というのは、
当たり前のようであって、
実は世間では当たり前ではなくなっていることを、
感じていました。

会陰切開が当たり前のようになっています。
それは医療者が待つ時間がないから、
というのも理由のひとつです。
助産院のように、
時間をかけて自然の陣痛を待っていれば、
会陰も少しずつ広がり、
Yさん(↓)のようにあと数日で40歳&初産でも、
自然な出産はできるのです。

現代の日本の医療事情において、
『なんともなく済む』ものまで、
なんらかの苦痛を伴うものにしてしまっているように
私はこの時から感じ始めるのでした。

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2005年8月10日水曜日10:00

E出血しても No Problem

『ホントにこの人ったら、なによぉ、
あ〜んなに出血するから、私は本当に心配したのに。
全然、元気じゃない?』

退院するまで、
毎日何度もA先生から言われました。

測っていなかったけれども、
出血したのは致死量の半分だといわれました。
間違いなく病院なら輸血をされていた量でした。

でも、輸血しなくても、
出産直後だけ立てなかったものの、
後は何も困ったことはありませんでした。

私は輸血しなくて済んで、
今でも心からほっとしています。

輸血って正直に言うと・・・怖いから。

だって、今“わかっている”安全な血液というだけでしょう?

薬も“今わかっている安全”なだけです。
古くから使われているいい薬はいくつもありますが、
日本では、そういった薬は製薬会社の利益が薄いため、
製造中止になっているものも多いです。

人体に影響がないと考えられていたけれど、
後から“やはり悪かったです”とわかったものは
過去にたくさんありました。
今、一番話題になっているのはアスベストでしょうか。


後年に○○菌の入った血液でした、とわかっても、
その時は手遅れということもあります。

でも、もし私が病院で産んで、
出血量が多くて輸血します、と言われたら、
ベッドの上では断れないでしょう。
医療機関のああいう場所や患者の立場では、
人は判断力も決断力も鈍るような気がしてなりません。


『輸血なんてしなくても大丈夫じゃないねぇ』と、
A先生が私の顔を見て、ほっとする度に、
私も一緒に、ほっとして、
助産院で産んでよかったなぁ〜としみじみ思ったのでした。

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2005年8月15日月曜日9:00

F助産婦さんの祈り

私の出血は、心底、先生を心配させたようでした。
この人、死んじゃったらどうしよう?
と思ったそうです。

お産婆歴まもなく50年のA先生はおっしゃいました。

お産で女性が死ぬことはある。
ありがたいことに、私のところでは、
そうなったことはないけれど。

いつも赤ちゃんが生まれて、
お母さんが無事だと、よかったなぁ、って・・・
本当に安心するの。


お産はね、やっぱり大変なんです。
病院みたく、自分の都合に合わせて生ませちゃったら楽だけど、
赤ちゃんに合わせると、ね。


みんなが来て、スルッと生んでくれればいいけど・・・
(ハイ、スミマセン。私も土曜日の昼に来て、
生まれたの日曜日の10時でした)
そういう人もいるけれど、2日、3日かかる人もいる。

私はね、その間、ずっ〜〜〜と心配してるんです。

今度の人はちゃんと無事に産めるかな?

何事もないように、
無事に生まれるように、
本当にそれだけは・・・




でもね。
死ぬ運命の人もいるんです。

そういう人はいる。

そういう運命の人が来た時には、
私には、もう、
どうしようもない。

だって、それはその人が、
ここに来て、死ぬという運命だったら、
それは私には変えられない。



だからね、
そういう人はここには来ないように、
私はずっと祈っているの。



アンタがそうじゃなくってよかったよ。

こんなに元気そうで、にこにこしちゃって、
おっぱいもいっぱい出て、
赤ちゃんもこんなに元気で、
本当によかったねぇ。

A先生のご苦労を一瞬ですが、
垣間見た気がしました。

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2005年8月16日火曜日9:30

G病院・考

この助産院が居心地良く、
産む場所として本当によかったと感じる度に、
ひとつ後悔したことがありました。

長女をここで産めばよかった。

なぜ私は最初からこの助産院に来なかったのだろう。

長女の時にここに来れば、
あんな辛い思いをしなくても済んだのに。

一人目を病院で産んだのは、
助産院という場所で産んで、
何かあったら怖いと思ったこと。
助産院よりも病院の方がなにかと安心できると思ったこと。

・・・助産院に来なかったのは、
病院の方が安心だと思ったから。

安心??
一体、病院のどこに安心があったの??
ずっと診察してくれていた女医さんがお休みの日曜日に生んだら、
非常勤の初めて会う男性の先生が出産を見てくれたことが?
有無を言わさず会陰を切開されたことが?
むくみが辛かった時に
「お薬出しますか」しか言えない医療スタッフが?
赤ちゃんのしゃっくりひとつ、
止める方法を誰も知らなかったことが?

一体、病院のどこに安心があっただろう?
「医療機関にいる」たったそれだけの言葉、
その安心感と引き換えに、
たくさんの辛い思いをしないといけなかったの?

私が求めているものは、
何ひとつ病院にはなかった。

私が望んだお産は、全てこの助産院にあった。

・・・でも・・・
・・・・その勇気がなかった・・・

勇気?
なぜ、助産院に行くのに勇気が必要なの?

病院の出会ったスタッフが束になっても、
A先生に何ひとつ敵わないじゃない。

A先生ができなくて、
病院でないと行えないことで、
私に必要なものは何ひとつなかった。

医療って、
病院って何なんだろう?

自分の間違った選択と原因を、
助産院で何度も自問自答していました。

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2005年8月17日水曜日9:30

H助産院・考

病院が悪いと言いたいのではありません。
人が病院に助けてもらうことだって、
たくさんあるし、
西洋医学の進歩は素晴らしいと思います。
西洋医学はとても大切です。

長女の出産時に、陣痛促進剤の利用について、
ドクターに伺ったところ、
「陣痛促進剤がなければ、
帝王切開がもっと増えていると思います」と言われました。
実際にそうだと思いましたし、
お腹を切られるよりは、
切らない方がいいに決まっています。

私は助産院での出産を経験したことで、
A先生に教えてもらったようなことを、
長女の時に知っていれば、
陣痛促進剤なんか使わなくても、
ちゃんと自然に産めたのに・・・と痛恨の思いがありました。

帝王切開。陣痛促進剤。
手段として持っていてもいいけれど、
それはやるべきことをやってから
最終手段として使えばいいのではないかしら?

病院では、お腹が張っても、
つわりがあっても、
陣痛が来なくても、
薬以外に、
誰も何もするべきことを教えてくれなかった。

だから、症状はなくならない。
その結果として、
帝王切開や陣痛促進剤を使う必要が出てくる。

助産婦のA先生は、最終手段は持たないけれど、
“症状”に対しては、
対応する手段はいろいろ知っていて教えてくれた。
すると症状はなくなり、結果として、
身体は自然に対応してくれる。

病院では、辛い症状に対して、
与えられるのは薬だけで、
放っておかれるけれど、
最終手段を持っているから、命は安全。

助産院では、最終手段を持たないからこそ、
そこに行き着かないように、
あのテ、このテの手段を様々持つ。
手前の段階で対応するから、
何事も起こらず無事に産める。

そういうことなんだ・・・と私は思いました。

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2005年8月18日木曜日9:00

I「未病を治す」を実感


助産院でA先生は、
「何事も起こらないようにする」ことに、
心も手も尽くしていました。

「調子はどぉ?」と聞き
つわり、めまい、むくむ、
お腹が張る、足がつる、こむら返りがある、
などと症状を訴えたら、その段階で、
あれやれこれやれ、と指示がある。

通っている妊婦さんも、
無事に産みたいから、
赤ちゃんのために、
A先生に言われたことをする。
結果として、最終医療手段は使うことなく、
無事に何事もなく産まれる。

これこそが本当の医療なのではないかしら?
A先生こそ、真の名医。

本当の名医は難病を治す医者でなくて、
起きてない病気の芽を摘む医者。

病気を治すのでなく、
病気が起こらないようにする。
【未病を治す】
これこそが医療のあるべき姿。

病院が必要な人だってもちろんいるけれど、
私のように必要ないのに、
ちょっとしたことを知らなかったばかりに
医療行為が必要になる人の方が、
もしかして多いんじゃないかしら?


どこに行けばそれがわかるかも、
わからずに困っている人って多いのではないかしら?

・・・・2人目を生んだ直後に産院で、
よく寝る赤ちゃんで楽だった分、
私はそんなことばかり考えていました。

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2005年8月19日金曜日9:00

J「鍼灸師」を意識したきっかけ

助産院でA先生に、しきりと感心し、
いろいろ聞いたり話したりしていました。

産院にいる時、何度か先生に言われました。
『アンタ、東洋医学を勉強しなさいよ。
東洋医学はいいよ。
そんでアンタが勉強してさ、
私に教えてちょうだい。
ここにも来て妊婦さん達に東洋医学教えてちょうだい。
そうそう・・・お義父ちゃんもそうなら、
はり灸する人になればいいじゃない』

「いえ、そんなコト・・・(^_^;)
(先生、話飛びすぎですぅ・・・そんなつもり全然ありませんから!
・・・と思っていました。人生わからないものですネ

お義父様は、元々は会社員だけれど、
仕事のストレスからメニエル病になり、
どこに行っても治らなくて、ほとほと困って
最後にハリ灸に行って治ったということで、
シンキュウ師になったらしいですけれど・・・」

はりきゅうし?私がぁ?
義父は早期退職後、自宅で鍼灸院を開いていました。
そんなことから、長男の嫁である私が鍼灸師になって、
同居してくれたら・・・と義父母も夫も
淡い期待は持っていたようです。
ただ、それは今までの私にとって、
全くありえないジョークに過ぎないことでした。

それがA先生の【技】をまざまざと体感して、
初めて、「鍼灸師」もちょっと調べてみようかな?
と思ったのでした。

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2005年8月22日月曜日9:00

K観音様

助産院での退院の前に、
A先生から昔の話はいろいろ伺いました。

お国の「産めよ増やせよ」の時代に、
産婆を増やそうとしていたため、
たまたまちょっと器用みたいだったから、
人から勧められてね。

昔は試験なんか簡単で、
みんなと数週間ぐらいかなぁ?
ちょこっと勉強して試験受けただけだったけど。
まぁ、苦労していた人も周りにはいたみたいだけど、
私は、なんでかすぐ覚えちゃうし、
最初から言われたとおり、
なんでも上手にできちゃったからね。

それでもこんなことやるつもりじゃなかったんだけど、
帰ってきたら、周りみんなから「やれやれ」と言われて、
看板出されちゃってねぇ・・・
それでお産に呼ばれるようになっちゃって。
仕方ないじゃない?
他になかなかできる人がいなかったし。

昔のお産の時は、
冷たいタイルの上でね、
産んだ後、流しちゃえば楽でしょ。
だから、そういうところ作ったんですよ。
でも、寒くてね。。。

GHQの時は、もういろいろ。
いろ〜んなこと言われたり、
変わったりしたねぇ。
今はみんな病院行っちゃうし、
お産も随分変わっちゃったよね。


私の伯母は、お産で死んだんですって。
私はそれをずっ〜と知らなかったんだけど。
だから、私はその伯母さんにね、
お産でこれ以上女性を死なせないようにって、
こんなにずっと働かせられている、みたい。
なんか、そんなことをね、
後から聞いたことがあるの。

それでね、私はそんなことをたまたま聞いたから、
もう何年前になるかなぁ、観音様を作ったんですよ。
そしたらそれを作った時にね、
なんか偉いお坊さんみたいな人に言われたよ、
「観音様は貴女自身なんですよ。
貴女自身が観音様なんですよ」って。
(A先生、密かにうれしそうな表情)

お産は、いつ始まるかわかんないでしょ。
盆も正月もあったもんじゃない。
子どもの運動会だって、なんだって、
呼ばれちゃって行けなかったりねぇ。
子どもには「おかあちゃん、また来なかった」って言われたよ。
もう、みんな大きくなっちゃったけどね。。。
(お子さん4人いらっしゃっいます)

ごめんね、お産の後なんだから、
ちゃんと寝かしてやんなきゃいけないのにね、
余計な話をしに来ちゃったよ、
なんでだろうねぇ、アンタには、
話したくなっちゃってね。。。

夜中に2時間以上、A先生はお話されました。
聞いている時もテープに取りたい衝動に駆られ、
書き留めておけないのが歯がゆかったぐらい・・・
貴重なお話と感じたのですが、
私はただうなずいて伺っていただけでした。

そして、翌朝に私は心から感謝して退院したのでした。

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☆同じ助産院で出産した大事なお友達のHP☆
 この助産院の様子はこちらでも垣間見ることができます。
  6章のAに出演しているYさんのHP
  コミック「妊婦のぷ」
  二男出産時にエッセイに出演予定のW様HP

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