りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
序章 「OL時代」
    @社会人1年生
    AOLの悩み
    B会社を辞めた理由

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2005年2月1日火曜日

@社会人1年生

社会に出て初めての仕事は
いわゆる会社のOL、事務職でした。
バブルが膨らみかけた時に、就職活動をしました。

大学の時には一応、教職員免許を取る程度は勉強したものの、
4年生の文系大学卒で、大学が一流というわけでもなく・・・
成績がいいわけでもなく・・・
実は大学に入ってからの4年間は、
DANCEが大好きでした。
最初はモダンダンス部に所属していたのですが、
辞めてしまいあとの2年は
大学で教えていただいていた先生のスタジオに通っていました。
レッスン代のためにバイトをし、まる2日分のバイト代を
ブルードウェーミュージカルのチケットに当てていたりもしました。

DANCEは大好きでしたが、
始めたのが18歳ですし、才能があるわけでもなく、
とても仕事にはできそうにありません。
エアロビのインストラクターになれないかと真剣に悩みましたが、
親に「1年で辞めてもいいから、
とりあえず“普通の会社”に勤めて欲しい」と懇願されて
就職活動を開始しました。

先に書いた状況でしたから、
もちろん、かなりあちこち受けて落ちました。
雇用機会均等法という法律ができたばかりでしたが、
かえってコネもない4大生には不利に感じました。
そして、男子と女子の差別をいうものを
初めて痛切に感じた経験でした。

大学で田舎に通っていたので、今度こそ
なんとしても“都心”に就職したかった私は、
新宿の高層ビルの中に本社がある会社に
ご縁を感じて就職を決めました。

そこは会社訪問をした時に、ピンと来るものがあり、
「もう絶対ここに入りたい!」と思った会社でした。
活気を感じて、自分に合う気がしました。
それに、DANCEをあきらめきれなかった私は、
趣味としてDANCEを続けるために、
事務職を選びました。
営業に回った後、仕事の後に
レッスンに通う体力がないと自分で思ったからです。

この会社がとても好きで、一生懸命5年半間働きました。

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2月2日水曜日

AOL生活の悩み

仕事は人事で採用を担当していました。
最初の年は、上司の部長も課長も
昨年営業から移動してきたばかり。
人事課なんていうところが何をしていいかよくわからないところへ
卒業したばかりのヒヨッコの私が来たから、
きっと上司も大変だったと思います。

部長は、時々ランチにビール飲んじゃうし。
(明らかに赤い顔して戻ってくる)
課長は仕事中毒みたいなお仕事大好きな人でした。

「女の子」扱いはまだある会社ではあっても、
上司が認めてくれて、男女の差別なく、
仕事を任せてくれたから
やりがいのある仕事をさせてもらえました。

しかしまだまだ女性がずっと続けるような職場ではなく、
結婚して働いている方はお子さんがいない方でした。
育児休業という言葉もまだない時、
産前産後の8週間のお休みを取り戻ってきた人は
1人もいませんでした。

この人こそ戻ってきて欲しいという方もいらっしゃいましたが、
やはり家庭の事情で戻れませんでした。
6人の方が「産休」を申し出たものの
復職した方はいませんでした。

だから、結婚した時には、
どこかで辞めるタイミングを見計らっていました。
ご迷惑をかけず、新人を育て、
きれいに退職したいと思っていました。
ただ、心のどこかで「妊娠したから辞めます」と
言いたくない気持ちがありました。

実は結婚する前に、私は6月になると
“急に胃が痛くて夜間救急で病院に行く”
(救急車には乗っていません)ということが
2回ありました。

今ならその原因ははっきりわかります。
ストレス性の胃炎でした。
6月はボーナス時期。
社員の査定の時期でした。

いくら頑張っても事務の「一般職」の私は
総合職になれず、男性同期との差や給与格差に悩んでいました。
結婚し、慣れない家事などで疲れていたこともあったのか、
6月に夜間救急で病院に行き、
注射を打っても、点滴を打っても、
胃の痛みが治まらなかった私は、
1週間入院することになりました。

そんなこともあり、
仕事をいつまで続けるか悩んでいた時に、
夫が仕事で短期に海外に行くことになりました。
それで、私は同行することを「大義名分」として、
退職することを決意しました。

・・・ところがこれが大失敗・・・

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2月3日木曜日

B会社をやめた理由

会社を辞める準備は着々と密かに進め、
仕事場には迷惑をかけず、
円満退社の道を進み、
海外へ遊びに行く気分でした。
しかし、人生甘く見ていた私に、
神様は罰を与えたのかもしれません。

第一の大きな誤算は夫と同行できなかったこと。
これは夫の会社の事情で許されないことでした。

でも、退職して海外に行くつもりでしたから、
あきらめられず、考えた末、
自分も単身で別の国へ“遊学”しようと思いました。
退職する時には、「ちょっとオーストラリアへ行ってきます」
なんて言ってましたから、全く、おめでたいものです。
(まさにバブルの真っ最中で、世間全般も甘い時期でした)

会社を退職しました。
・・・すごく寂しかった・・・
毎朝出て行くところもなく、
夫が会社へ行くとひとりぼっちです。
それでも、海外へ行く準備がありました。
気分はそんなに悪くありません。

そして第二の大きな誤算が発覚。
妊娠していたのです。

この時、旅行会社に手続きしていましたから、
忘れもしません、「違約金」10万も払いました。
1週間待っていれば払わなくてもいいお金だったのに。

もう、気分は海抜1万Mほど潜ったぐらい凹んだ気分です。
(潜れるのか知りませんが)
こんなことなら、会社をやめなきゃよかった、と思いました。
夫は半年海外へ行ってしまいました。
一人で残された私は・・・つわりが苦しかった。
実質は実家に住みながら、
時々自分の家に戻っていました。

1993年のこの時唯一の私の救いは夫とのメールでした。
海外の夫と時差がなく、
お金があまりかからずできるメールを通信手段にしていました。
でも、夫はこんなものないほうがいいと思っていたでしょうね。
だって、私の不満のはけ口だったんですもの。。。

時間ができても、予期しないうちに妊婦だし
(予期しろよって自分でもツッコミたくなります)
つわりだし。夫いないし。
残る楽しみは友達と会うこと。
以前からのお友達や、
保健所で仲良くなったお友達との交流でした。
(あ〜あの時は友達とたくさん会えてそれはよかったなぁ・・・)

ともかく妊婦でした。
初産です。
いつかママになろうとは思ってたけど、
赤ちゃんを産む覚悟がまるでできていませんでした。

しかも!
産婦人科ってなんであんなに
非人間的な場所なんでしょう。
生まれて初めて産婦人科に行き、
「分娩台」に乗った私は立ち直れないほどショックを受けました。
(どこまでもおめでたいヤツですね)

一番最初に行った国立病院の産婦人科の病院で
ショックを受けたのは・・・

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