りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
第3章「育児の先に」

 @隣のみきちゃんに教えてもらったこと
 A続:隣のみきちゃんに教えてもらったこと
 B困った時は図書館へ
 C出会えた言葉
 D夫の反応
 E市民講座
 F保育園リサーチ
 G夫との約束
 H仕事探し
 I保育園決定
 J拾う神

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2005年2月23日木曜日

@隣のみきちゃんに教えてもらったこと」

昨日は長女の1歳のお誕生日の話でしたが、
少し、時間は戻ります。

長女を産んで5ヶ月後ぐらいだったでしょうか。
赤ちゃんが欲しかった女の子で、
有頂天だった私でしたが・・・
何か足りない気がしていた時でした。

優しい夫。
かわいい元気な赤ちゃん。
これ以上、望むものがあろうはずがないのに、
なにかが・・・なんとなく・・・
不足している気がするのです。

そんなことを感じるのは、
とてもわがままなことではないかと自分で思いました。
これ以上望んだらバチが当る、と思いなおしていました。
でも・・・私は満足していませんでした。
そして自分が何を求めているのかすら
わかっていませんでした。


そんなある日の夕方、
私は長女を抱いてベンチに座っていました。
そこへマンションでお隣さんの
幼稚園児のみきちゃんがやってきました。

さっきから、なわとびをやっていた
みきちゃんは、さすがに疲れたのでしょう。
私の隣に座りました。

「赤ちゃん、かわいいね〜」
「そう、まだ小さいでしょう?
生まれて3ヶ月なのよ。
みきちゃんもこんなに小さかったんだね。
もうなわとびもとても上手にできるけどね。」

うふふ・・・と妹のいるみきちゃんには
もちろん、そんなことはよくわかっているのでした。
それに今はママのお腹にもう一人入っている
しっかりもののお姉さんなんですものね。

もう一度、赤ちゃんをよくのぞきこむと、
みきちゃんは、ふと思い出したように言いました。

「ねぇ、大きくなったら何になりたい?」

不意をつかれて・・・
そう、私にとっては、あまりにも・・・
そう、あまりにも遠い前の話で・・・
すぐ答えられませんでした。

みきちゃんは目をキラキラ輝かせて、
私の顔をのぞきこみました。

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2005年2月25日金曜日
A隣のみきちゃんに教えてもらったこと

私はなぜかみきちゃんの顔を見れずに
赤ちゃんに目を戻しながら言いました。

『う〜ん・・・そうねぇ〜
もう・・・大きくなっちゃったから・・・
みきちゃんぐらいの時に、
ママになりたいとは思っていたから、
赤ちゃんが生まれて、ママにはなれたんだけど・・・』
と、戸惑いながら繕った返事をしました。

みきちゃんは
「そっかー!
私はねーお花やさんになりたいの!
でもねぇ〜〜・・・
ケーキやさんにもなりたいんだ♪
だってねーケーキやさんになったら、
ケーキがいっぱい食べられるから・・・
でもねぇ〜やっぱりお花屋さんの方がいいかなぁ〜
それでね〜やっぱりお母さんにもなりたいなぁ〜」

みきちゃんは楽しそうに、
大きくなったら何をしようかいろいろ
考えていることを話してくれました。

私は、それを聞きながら、
ふと気づきました。
私はもう大きくなっちゃったけど、
みきちゃんがお花やさんになりたいっていうのは、
あと15年ぐらい先の話・・・。
その時、ふつー生きてるよね、私。

私は15年後には、
何をしているんだろう?


2年ぐらいしたら、
その後、もう一人子どもを産んで?
それで?その後の私は何をしているんだろう?


わかりませんでした。
考えていなかった自分に呆然としてしまいました。
こんなに小さな子が何になりたいか考えてるのに、
私ったら考えていないんだ。。。

みきちゃんは楽しそうに何かを
話しかけてくれていましたが、
私は、適当に相槌をうつことしかできませんでした。


幼稚園児のみきちゃん。
長女はまだ0歳だけど、この子がみきちゃんの年になる頃に、
きっとみきちゃんみたいに聞くんだわ。
「大きくなったら何になりたい?」


長女に聞かれたその時に、

「ママはね、○○になりたいの」

と、答えられるようにならなきゃ。
・・・私は強く決意したのでした。


この日の出来事が、すべての始まりでした。
そして今でも、私は「私は○○になりたい」と思っています。

今、一番なりたいもの?

うふふ・・・それは・・・
このお話が全部終わる時にお話しますね。

〜来週からは『鍼灸師への道』は少しの間お休みします〜
“ひとりごと”は、『春の過ごし方』について書く予定です。

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2005年3月7日月曜日
今週からまた『鍼灸師への道』の続きです。

Bその後、とりあえず図書館へ

「大きくなったら何になる?」と隣のみきちゃんに聞かれた私。
長女が同じセリフを言う頃には、
私は決めておかなきゃ・・・とは思ったものの・・・

さて・・・
何ができるのでしょうか?
何をすべきなのでしょうか?
皆目検討がつきません。

現実的には365日24時間ママ業で終日が終わっていました。
おむつ、おっぱい、洗濯(布おむつ使っていました)、
掃除、食事作り、おふろ・・・と手をかけていました。
何をするにも0歳児の娘がいるし。

でも、何か始めようと思いました。
この時は東京都のI市に済んでいました。
当時駅前に本屋もコンビニもないヘンピな場所でした。
スーパー、公園、実家×2、お友達のお家と。
狭い行動範囲で、他に行けるところもなく。

でも、ふと思い出して、I市の図書館に行きました。
それは現在住んでいる区が誇る図書館とは質量共に、
比較にもならない図書館でしたが、
家よりは本があります。

とにかくそこで目に留まった本を読んでいきました。

あぐらをかいて、膝で赤ん坊をあやしながら・・・
おもちゃをひっくり返している中に赤ん坊を置いて・・・
昼寝の合間に家事をせずに読みました。

読みながら困ると図書館に行けばいいことを
ひさしぶりに思い出しました。

私のような凡人が困る場合は、
たいてい同じような悩みや課題をかかえた人がいるもので、
どんな問題であっても、
その時答えが載っている本にさえ出会えれば
なんとか自分の目指すものがわかるものだと、
それが何かわからないまま探していました。
(もっとも今は図書館まで行かなくても、
ほとんどの事柄がネットで見つかりそうですが。)

「女性」と「仕事」みたいなテーマを扱う本だと、
“お金持ちの奥様の趣味が成功して・・・”的な本が多かったです。
「お花」「お料理」「パッチワーク」「陶芸」「刺繍」の先生になりました、とか
海外駐在の奥様のアチラでの生活紹介で成功例、みたいな
お話が多かったです。

私が欲しいストーリーはこれじゃないんだなぁ・・・と
思ったものの、じゃあ何かもわからず、
本棚の“ある列”を片っ端から読んでいました。

同時に、「母乳育児の本」や「いいお母さんになるには」的な本も読み、
いかにいいお母さんとは、子どものそばにいて、
子どもに目を配るのがいい母親か、
子どもに愛情を注ぐには、やはり母親がそばにいなくちゃというような
専業主婦“賛歌”の本も、たくさん読みました。

本を読むとまた、
自分は、本を読んで子どもを見てない
悪い母親なんだなぁ〜と落ち込むことも多かったです。


話はちょっと跳びますが、
0歳児の成長は言うまでもなくすごいです。
人間の進化の一端を見せてくれるようでした。
何もできずに寝ていただけの長女は、
足や手をバタつかせ移動できるようになり、
ある日座れるようになり、
言葉を発し、ハイハイで移動するようになり、
足で立つようになっていくのです。

その時、夫は仕事のプラスアルファとして英語の勉強をしていて
TOEICの成績も上がっていました。

2人は“成長”しているのに、
私だけ置いていかれちゃう。
そんなの嫌・・・
家事にあけくれながら、
何もできないまま、もがいていました。

そんなある日。
とうとう自分が出会いたかった言葉に
本の中で出会いました。

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2005年3月8日火曜日

C出会った言葉

本の中でその言葉を見たときに、
雷で打たれたような衝撃を受けました。

昨日から勿体つけていますが、
たいした言葉ではないのです。
ただ、その時の私には、頭を殴られたような衝撃を受けました。

その本には、
【女だって食べるために働くのは当たり前】
というようなことが書いてありました。

なぜ、女性だけが
○○のために働く、とか大義名分がないといけないんだ、
オトコはそんなこといちいち考えて働いているのか。
男は働くのが当たり前と言われて、
特に考えなくても、たいした仕事じゃなくても、
とりあえず働いているじゃないか。
専門性が要求されるような特別な仕事でなくても、
食べるために働くのは当たり前のことだ、と。

そして、ほんの少し前までは、
こんなに電化製品は普及してなかったから、
家事労働というのが、立派な労働だった。
水は井戸から汲んで、
薪を燃やしてお風呂も焚いて、
洗濯機もなくて洗濯板で洗濯して、
ガスコンロはなくて七輪で魚を焼いて、
スーパーがなくて、小売店をハシゴし、
自転車もなくて徒歩で全部買い物して、
洋服だって布と糸を買ってきて作っていた・・・、
ちょっと前の主婦はすごく大変だった。
だから、この時代の女性達が、
外でお金を得ることがなくても、
立派な仕事はしていた。
もう少しさかのぼれば、
これに野良仕事だってやっていたんだ。
今はこんなに電化製品が普及して、
家事労働が楽チンになったのだから、
女が外で働くのは当たり前のことだ。
・・・というようなことが書かれていました。


その時の私。
『目からウロコ』とはこのことでした。

“私、働いていいんだ”

“そうか。私、仕事がしたいんだ”

【小さな赤ちゃんがいるんだから
働く必要がないのに、働いちゃいけない】
というのは、自分の作った手枷足枷だと知った時でした。

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2005年3月9日水曜日

D夫の反応

赤ん坊を寝かせて、本を読んでいた私は、
「働きたい!」という自分の気持ちに気づきました。

そしてそれは今まで、
「赤ちゃんを産んだら、子どもが小学生になるまでは家で子育てをする」
という方針とは大きく変わるものでした。

本を読んで、
それは“社会”が私に要求してきた思想であり、
私自身の求めているものではないことに気づきました。
*ジェンダー(社会において継続的に醸成された概念による性別)
という言葉をその時初めて知りました。

そんな未熟な知識のまま。

雷に打たれたような気づきの後で、
テンションがハイになっていた私は、
夜、遅く帰ってきた夫に言いました。

「私、働きたいの」


この時の夫の顔。

驚き、不安、そして疲れの入り交ざった表情。

それでも夫は
一笑してはいけないと悟っていた。
(夫はここが偉い)


まず、発した言葉は
「だって、○○(長女の名)はどうするつもり?」


この時、夫はめまぐるしく頭を回転させて、
自分の常識的判断に照らし合わせ、
保育園には入れずはずもなく・・・
会社を辞めてしまって子どもを抱えた
私の勤め先などあろうはずもなく・・・
夫は私の母性本能に訴えることで、
あきらめさせることができると思っていました。

育児もいろいろ大変だろうから、
きっとちゃんと自分が対応すれば、
そんなことはするはずないだろう。
彼女に働く理由はないんだから。
そんなにお金に困っているわけじゃないんだし。
どうせ、すぐ何ができるはずもないし。
だからここは話をちゃんと聞いておいて。
夫は、文句も言わず聞いてくれました。
全然自分が納得できなくとも。
“はしか”みたいに一定期間が終われば
治まるものだと思ったのでしょう。


まさかこの後、自分に苦痛の日々が待っているとは、
夫は夢にも思っていなかったのでした。

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2005年3月10日木曜日

E市民講座

その本を見つける前に、
市の広報紙で見つけた保育付きの講座に申し込んでいました。
その名も「イキイキ女性の広場」

この高齢者向けのような講座名から、
私も、全然何をやるかわかりませんでした。
ただ、“保育付き”だったので、
これなら参加できる、と思って
とりあえず申し込んだのです。

第1回目で集まった人は、
やはり何をやるかわからずに申し込んだ人ばかりだった、
と自己紹介でわかったのですが>笑
1〜4歳の子どものいる主婦が11名集まりました。

全部で16回講座で(長い講座でしたね)
5月末から11月始めまで続きました。
半分以上を一人の講師が講座を担当し、
そのほかに社会保険事務所の方の説明や
ワーカーズコレクティブの方がいらしてくださったり、
自分達でまとめたりという講座でした。

この講座では、女性の社会参加、
国際家族年の意義、社会保障制度、
女性の労働状況、年金問題などや、
自分達がそれらを聞いてどう感じたか、
参加者同士で話し合ったりしました。

この講座は、私を後押ししてくれました。
私は間違ってない、と確信する事実や事柄を
次々と教えていただくことができました。


ただ講座は“後押し”にすぎず、
私は「働きたい」と気づいた時に、
すぐ、動き始めました。

直後に夫に相談し、
数日後には実母に相談し、
そして翌週末には義母にも相談しにいきました。

実母は私の“モヤモヤ”を知っていたので、
『子どもは最低3歳までは手元に置いて育てるべき』という信念と、
“この娘がこのまま家にいるのも無理かしら”的判断の間で、
とても賛成はしかねる・・・という感じでした。
『娘がこんなことを言い出して△△さん(夫)に申し訳ない』と
繰り返し言われました。

義母は、私が働きたいという思いを話すと、
義母は「働きたいという気持ちは、わかるわ」と言ってくれました。
(義母は当時、数少ない妊娠中も仕事を続けたほどの人だったのに、
『立派な長男の嫁』を務める為にずっと専業主婦でした)
かわいい孫のことを考えると、
私には働いて欲しくなかったはずなのに、
批判めいたことも一言も言われませんでした。
(義母は“お姑さんの鏡”なんです)

夫は「賛成はできない」と宣言していました。
ただ、「それを自分に停める権利はない」という冷静な判断の元、
私のやることをとりあえず我慢していました。
(まぁ、無理だろうけど、やってみたら気がすむかも、
ぐらいの気持ちだったのでしょう)

言うべき人に宣言が終わると、
私は、行動を始めました。
まず、行くべきところは市役所。
目的は保育園の入園状況のリサーチでした。

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2005年3月11日金曜日

F保育園のリサーチ

「働きたい」と言いはじめてから、
働く女性は子どもを保育園に預けるらしい、
保育園というのは住んでいる行政に行くらしい、
ということが本からの情報でわかりました。

で、さっそくI市の窓口に行きました。

時は、5月上旬。
私は、無職。
子どもは、0歳児。

保育園ママならすぐわかりますね?

これはどう考えても『入園は絶望的』な状況。

窓口の方は親切でしたが、
“アナタの希望はかなわないでしょうね。
でも、私は仕事だから、ちゃんと説明はしますよ。
だけど、希望が叶わないのは私のせいではありません”
というニュアンスをしつこ〜く滲ませながら、
4月で年度が切り替わったばかりなので、
入園はそう簡単にできないことを説明しながら、
料金についてや申し込みの方法を教えてくれました。

今まで全く気づかなかったのですが、
ウチから徒歩5分・駅から2分のところに
保育園があったことがわかりました。

『お子さんおいくつですか?』
「もうすぐ1歳です」
『じゃあ0歳ですね。
『4月1日にいくつかで数えるんです。
0歳は一番定員が少ないので、一番難しいんです』
と、説明しながら・・・
ウチから一番近い保育園を調べると、
「あれ?(そんなはずあったかしら?)」という感じで、
この保育園は0歳児に一人空きがありますと、
教えてくれました。

ちび○子ちゃんの“ぱぁぁ〜”って明るくなる顔みたいな、
ノンキで何もわかっていない私を一瞥しながら、
係りの方は言いました。

『でも、空いているから○○さんが入れるとは、限りません。
優先順位があって、
それは先着順ではなく、困窮の度合いによって決められるんです。
ご希望の方が“決定日”までにいらして、
その方が○○さんよりも困窮度合いが高い場合は、
そちらの方に決定します』

「はぁ。こんきゅうどあい・・・ですか」と

『例えば、離婚されたりした母子家庭の方がいらっしゃれば、
そちらの方が優先されます。』
というようなことを教えてくれました。

市役所からは申込書をもらって帰ってきました。

市役所に行った翌日、
近くの保育園に、ドキドキしながら電話をすると、
保育園の先生は、
「いつでも見学にいらしてくださって大丈夫ですよ」と
優しく言ってくださったので、その日すぐ見にいきました。

線路脇でしたが、日当たりの良い明るい園舎で、
先生方がみなさんとても優しく、いい感じでしたので、
私は“保育園ってこんなところだったんだ”と
安心して帰ってきました。

帰った夫に報告すると、
夫は“本当に保育園に預けるつもり?”と深刻な表情。
私自身は幼稚園でしたし、
保育園出身の方は特に思い当たりませんでした。
ところが、夫は自分が小学生の時に、
保育園出身の子達に集団でイジメられた経験があり、
保育園児は嫌なヤツばかり、という印象が強烈にあったのです。


夫は保育園に預けたくないと主張しました。
現実的に親はそれぞれ車で30分ほどのところで別居でしたし、
保育園に預けられないと仕事も探せません。

夫と私は平行線のままでした。
そして夫は結婚前にした“ある約束”を主張しました。

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2005年3月12日土曜日

G夫との約束

夫は慎重な人間です。

夫は私との結婚を決める前に、
私に質問しました。

その時の私は仕事が楽しくて仕方なく、
今はその時以上に仕事が大好きですが)
デートの時も仕事の話をよくしていました。

そんな私に
「子どもができたら仕事はどうするの?」と夫は聞きました。
・・・面接官のようですねぇ・・・

25歳の私は想定質問かのように
にっこりと自信を持ってこう答えました。

「子どもができたら仕事は辞めると思います。
会社で子どもを持って働いている人は誰もいないし、
子どもができたらきっとかわいくてそばにいたいと思うし、
やっぱり子どもには母親が必要だと思うから。
子どもが小学生にあがるまでは家にいたいと思っています」

大ウソつきでしたね、私。(≧∇≦)/
でも、その時は、真面目にそう思っていました。
・・・というか、それ以外に道があるなんて知らなかったのです。

東大か一流大学卒である女性、
特別に英語ができる女性、
医者、弁護士、建築士などの資格のある女性、
一流企業の総合職についた女性、
(*当時は『総合職』だけが男性と張り合える女性でした)
学校の先生などの公務員になった女性、
子どもがいて働くのは、そういう立派な職業についている女性か、
離婚したとか働かなくちゃいけない理由のある女性だと、
そう思っていました。

英文科出ても対して英語もできないような、
私のような、特に秀でた能力が何もない
平々凡々なオンナ
は、
家庭に入って子どもを育てなきゃいけないって思っていました。

誰が?
みんなが。社会が。

そう信じていると感じていました。
それこそが社会の与えるジェンダーだと、
後から「イキイキ女性の広場」講座で知りました。


夫は私の主張を、よく聞いてくれました。

夫は辛くて頭を冷やしに家出したこともありました。
お互いに『離婚』も頭をかすめていました。

妻が働くこと自体を反対すべきでない夫であるべき自分と、
妻を本当は働かせたくない夫と、
(妻を働かせなくてもいい程度の収入はあるはずというプライドも・・・)
子どもを預けたくない父親である自分と、
自分の考えていた理想の家庭の姿と、
妻の主張する新しい家庭像と、
それらの間でとても夫は悩みました。

でも、保育園に入るのは難しいらしいし・・・
仕事も見つけられないだろうし・・・

そして、夫が考えて答えの出ない状態のまま、
事実上『保留』のまま・・・

私はできることから始めていました。
保育園の次は仕事を探しです。

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2005年3月14日月曜日

H仕事探し

夫は悩んでいながら
『ダメ』とは言わなかったので。
私は、前に進み始めました。
一歩進んで二歩下がったとしても、
一歩も進まないよりはいいような気がしました。

「2人目はどうするの?」
「2人目を授かったときは仕事はどうするの?」
とはもちろん思いました。
でも、そんなことわからない、と開き直ることにしました。

保育園への申請書を“求職中”のまま出しました。

仕事は、長女が6ヶ月の時から、
新聞の求職欄には目を通していましたが、
保育園のお迎え時間に間に合う職場は、
そこにはありませんでした。
日曜日の折込チラシもかかさず見ていました。

そこで、例の本・・・
「女でも食べるために働くのは当たり前」と書いた人が
女性だけの編集プロダクション(会社)をつくり、
その場所が電車で20分ほどのところだとわかったので、
履歴書を送ることにしました。
ベビー抱えて二人目の子の出産を控えても、
こういう会社なら受け入れてくれるかも?
という安易な思い込みによって。

もちろんそこの編集プロダクションの
募集広告なんてありません。
ダメもとです。
募集広告を出していなくても、
入りたいと思う会社に履歴書出して、
採用されることがあることも知っていましたし。
一度はやってみたいと思っていました。
『書く』というオシゴト。
カッコイイと思ったんです。

腐っても元採用担当者の私。
人の履歴書は1000通以上見ていました。
字はきれいじゃありませんが(私って特技のない女ですね)
書類選考で落とされない書き方はわかっているつもりでした。

履歴書の応募の理由をしっかり書いて、
何かできるかを書いた業務経歴書もつけて、
添え書きを書いて、投函しました。

保育園の申込書を出し、
履歴書を出しつつ、
職業欄には目を通しながら、
保育園の決定日を待ちました。

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2005年3月15日火曜日

I保育園の入園決定!

保育園の決定日に電話が鳴りました。
「入園が決まりました」と。
保育園との面接日はすぐでした。

見学で行った時のように、
保育園の先生はとても親切でしたし、
子どものいる部屋は日当たりもよく、
布系のおもちゃは毎日洗濯しています、
プラスチック系のおもちゃは毎日消毒しているとのことで、
お家にいるよりもお友達もいるし、
食事もおやつも充実しているし、
本当に子どもにはいいところだと思いました。

0歳児クラスですから、
まだハイハイや抱っこの子がいる中、
6月生まれの長女は立つこともでき、
月齢が大きい方でしたので、
何も不安には思わずに済みました。

お誕生日が過ぎ、断乳後に保育園に入園することにしました。
おっぱいもなんとか終えたし、
これから本格的離乳食の時期に、
保育園と一緒に離乳食も始められるので、
ちょっと楽チンだなぁ〜って思いました。

保育園では、保育園の布団に合わせた
サイズのシーツを2枚用意して下さい、と言われました。
週末前の金曜日の夕方のお迎えの時に、
来週のシーツを交換して帰る為2枚必要だと説明されました。
(裁縫の苦手な私は、実母に作ってもらいました。)
着替えの枚数も指示され、
家にいるときよりたくさんいるんだな、と思いました。

帰って来た夫に報告すると、
夫はとても驚いていました。
やはり入れないと思っていたのでしょう。

翌日会社から帰った夫は、さらにすごい勢いで、
『会社の人にも、とても驚かれたよ。
0歳児なんて入れるはずないのに、
仕事も見つかってないのに入れるなんて、奇跡だって。
一体ドコの保育園?!って
みんなに聞かれちゃったよ』と言っていました。

絶対入れないと思っていたのに、
しょーがないなーという感じになってきました。

夫に少し後ろめたさを感じながら、
断乳、保育園のならし保育を始めました。
赤ちゃんの長女を慣らすためなのに、
私は、自分自身が長女から少しずつ離れる練習を
しているように感じていました。

そして入れたとしても、
一ヵ月後に仕事が決まらないと、
保育園は退園しないといけません。
さぁ、私を雇ってくれて、
かつ、働きたいところは見つかるのでしょうか?
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2005年3月15日火曜日

J拾う神

保育園に滑り込めた私は、
少しずつ4日かけ、『慣らし保育』も無事に終わりました。

子どもにかけていた時間を
預けているので時間はありました。
履歴書はすぐ出せるように出したもの以外にも
書き溜めておきました。

この時、1994年。
育児休暇が法律上は施行されていましたが、
当時のそれは幻のような存在でした。
一部の大企業で片手ほどの人が
使えるようになったのが、1995年ごろでした。

そして、住んでいた場所が、
23区外の東京都下でしたので、
企業自体がない。
・・・わけではないのでしょうが、
とにかく少ないんですね。

当時はまだバブルの余韻がありましたが、
そこまで甘い状態ではありませんでした。

結局は、その女性だけの編集プロダクション
からの返事だけを待つ以外は、何もできませんでした。

そして、履歴書を送ってから3週間ほど経ったある日。

電話がかかってきました。
面接してくれるということで、
翌々日に事務所の場所を聞いて行きました。

そこで代表だというUさんに会いました。
履歴書と業務経歴書は誉めていただけました。
そして、パートでよければ
明日からでも来ていい、と言っていただけました。

そこは小さなビルの2階でした。
入口近くに本棚があり、
女性問題関係の本がずらっと並んでいました。

小さい事務所でしたが、
とても居心地はよさそうでした。
正社員は5人で、他に常に手伝ってくれる2人と、
何かあった時だけ手伝ってくれる人がいると説明を受けました。
仕事はたくさんあるから、
明日からすぐ来てもらっても仕事はある、と言われました。
保育園の在園のための『勤務証明書』もすぐ出してくれるそうで、
私は、こちらにお世話になることにしました。

まだ続いていた市民講座(例の16回のです)にも
会社は休んで行っていいと理解してくださり、
私は、家から電車で20分のこの小さな有限会社に
『職』を得ることができました。

自分がやろうと思えば、
拾ってくれる人っているものだ、
道は開けるものなんだなぁ〜としみじみ思った日でした。


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