りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
第2章 
「育児はタイヘン!・・・涙の長女編 1993年春の話」

 @とにかく寝たい!24時間ママ業の始まり
 Aおでこに水泡
 B母乳トラブル(桶谷式)
 C母乳トラブル(おっぱいマッサージ)
 D1歳で断乳したい
 E3日かかった断乳

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2月17日(木)
@とにかく寝たい!24時間ママ業の始まり

長女の育児については
最初、ということを差し引いても、
あまりにも『無駄に』大変だった、と思います。
もう少し身体のことに注意深くしていれば、
もっとラクに楽しく過ごせた時間だったのに、と今は思います。

でも、最初と次の子の全てのギャップこそが、
私が鍼灸師になるきっかけとなったので、
どうかまだまだ未熟なママの話が続きますが、
お付き合い下さい。

退院後、母乳こそ問題ありませんでしたが、
まず「すぐ泣く」「あまりぐっすり寝ない赤ちゃん」で苦労しました。
3時間おきの母乳、どころではないんです。

予定日より早く生まれた長女は2840gでした。
小さかったので産むのは比較的楽だったのかもしれませんが、
(もちろん、前述の通り楽、ということはみじんも感じていませんでしたが)
とにかく、ピーピーすぐ泣くんです。

寝た、置いたと思ったとたんにすぐ泣きます。
抱きます。おっぱいあげます。
静かになります。
ほっとして置こうと思います。
そぉ〜〜と置きます。
成功!

でも、1時間後には起きて泣くんです。

オムツは使い捨てでない布オムツを使っていました。
お天気のいい日に、はためくオムツを見るとなかなか
“私っていいママ”的気分が出ていいものです。

おっぱいを上げるのは至福の時もありましたが、
自分の睡眠すら妨げられ、
オムツ換えに追われ、24時間休みなく
ウンチ、オシッコ、おっぱい、抱っこ、
洗濯、掃除、食事、
24時間、そんなことの繰り返しでした。

当時、神様がひとつ願いをかなえてくれると言ったら、
4時間でいいから安心して寝たい』
と言うだろうと思うほど、とにかく寝たかったです。

つかの間の休息すらない私の横で、
グーグー無神経に眠る夫が、
すごく憎たらしかったですね〜〜!
たまには代わってくれ!と思いました。

なのに、会社で疲れているから、
寝かせてあげないといけない・・・と思って、
わざわざ布団から出て、
隣の部屋で子どもをあやしたり、
狭いマンションなのでベランダに出て
あやしたこともよくありました。
あ〜これってまだ新婚だから??

でも、人間、無理はそう続けられないのです。
疲れた私に身体のサインがいくつかでました。。。

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2月18日(金)

Aオデコに水泡

おでこに水泡がポツンとできました。
と思ったら、数が少しずつ増えていきました。

10個どころじゃありません。
水泡と水泡がくっついて大きな水泡があったり。

もちろん、10個以下の時に、
病院には行きました。

「痛くない?」とドクター。
「はい。痛くありません」
「おかしいなぁ〜なんでだろう?」とわからないながらも、
とりあえず、薬はでました。

でも、指示通り3日後に行っても
まったく変わりないどころか、
どんどん水泡が増えています。

「痛くない?」というのを
繰り返ししつこく聞かれたのは覚えています。
そして、効果のある薬がやっと出たのは、
最初に病院に行ってから
2週間経ってからでした。

帯状疱疹でした。

「帯状疱疹なら普通痛いはずなんだよね。
痛くないって言うから、違うかと思った」と
ドクターは言い訳していました。

*ちなみに、額は三叉神経第1枝で、
帯状疱疹の好発部位=もっともよくできるところ です。
こんなの誤診するなよ〜って、今は思います。

とにかくオデコがひどい状態でした。
シーツにおねしょしたみたい?!
かさぶたや色が変わったところの部分の方が面積が広いぐらいに。

私を知っている人は、
辛かったことがわかると思います。
私はいつも髪を上げて額を出しています。
古くからの友人は「トレードマークのおでこ」だと思っているでしょう。
そこが地図です。
悲しかったし、嫌でした。
誰が見てもすぐわかるぐらいひどかったですから。

それでも、その時にあった、
元の商社の同期会に行きました。
みんな心配してくれました。
その時が、ちょっと辛かったですね。

これは産後半年ぐらいの話です。
完全母乳だったので、
体型はすっかり元に戻っていました。
しかも・・・!
母乳を上げていたから胸があったんです♪
ナイスバディでした。


・・・なんて喜んでいる場合じゃなかったんです。
でも、その時はわかっていませんでした。
母乳で栄養取られて、
睡眠不足で、育児に疲れながら、
『専業主婦』でしたから、
育児も家事も万全にこなさないと、
と思ってやっていました。

精神的にも肉体的にも
バランスが悪かったのです。
東洋医学で考えると
「気は実で、血虚」の状態でした。

帯状疱疹は薬で押さえ込み、
おさまりつつあったものの、
身体と心のバランスは悪いままでしたから、
身体はまた、信号を出しました。
“このままじゃイケナイよ”と。

そして出るべきところにトラブルが出ました。

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2005年2月19日土曜日

B母乳トラブル(桶谷式)

出るべきところに出たと思えるのは、
もちろん、今であって、当時は
「えっ〜なんでぇ?せっかく母乳だけはうまくいっていたのに・・・」と
「どうして?何が?なんで??」という感じです。

乳腺炎まではいかなかったけれども、
おっぱいがつまって胸部にしこりができました。

3時間ごとにはあげていますから、
しこりのところは、
おっぱいをあげる時には、
乳腺がおっぱいでいっぱいになり、
赤ちゃんが吸うと出るのですが、
ほかのラインはちゃんと出るのに、
ほんのちょっとなんだけど、
1本か2本のラインがそこだけ詰まった感じです。

1日であっという間に硬くなったので、
同じマンションの斜め下に住む2人目を生んだママも
おっぱいをあげていると言っていたのを思い出し、
「こんな時はどうしたら・・・」と聞きに行きました。

その方は車で30分ほどのところに、
定期的に“おっぱいマッサージ”を受けていた方で、
『それは大変!なるべく早く行ったほうがいいわ』ということで、
先生を紹介してもらい、早速、行きました。

この先生はいわゆる『桶谷式』で、
絶対“玄米菜食”、とはおっしゃらないけど、
そこそこ桶谷式ですから、厳しい方で、
もともと通院している方には親切のようですが、
トラブルがあって慌てて飛び込んだ私は
ダメママだからかちょっと冷たくされた感じがしました。
3回ほど伺い、治ったころに
断られるように伺わなくなりました。

おっぱいの本は数冊読んでいたので、
『病院に行こう』とは思いませんでした。
入院の時も、帯状疱疹の時も、
お医者様がアテにならない・・・と思ってしまい、
おっぱいのトラブルがあった時は、
『おっぱいマッサージ』に行こうと思っていました。

自分でつまらせてしまったから、
触られると痛いのですが、
『おっぱいのプロ』ですから、さすがです。
1回行くと、つまりはとれるんです。
カッテージチーズのかす、
みたいなおっぱいが出るんです。
(これはものすごくまずいおっぱいなんですよ)

でも詰まったのがとれても、
痛い腫れた部分は1回ではとれず、
3回ぐらいは通って、10日ぐらいかけて
やっと元通りという感じだったかな。

あと、そういう所にいると、
出会うママがみんな『おっぱいあげているママ』ですから、
なんかうれしいのですね。

あ〜自分だけじゃなくて、
みんな頑張っているんだな、と思うと、
なんか励まされました。

でも、やっぱり1ヵ月後に
またおっぱいの調子が悪くなりました。

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2005年2月21日月曜日

C母乳トラブル(おっぱいマッサージ)

またおっぱいにしこりが出来てしまいました。
前の先生とは相性がイマイチかも、と
マタニティの時に保健所の講習会で
お友達になった方に尋ねてみると、
「○○さんが△△へ行っている。
私もちょっと乳腺炎で治してもらったんだけど、
○○さんは、おっぱい減ってあきらめかけてたのに、
全部おっぱいになって大丈夫みたいよ」
という情報をGET。
ママ達の口コミというのはすごい。

で、私もさっそくそこに行くことにしました。
そこの先生は駅からすぐのビル内で、
助産師さんが“おっぱいマッサージ”で
開業されているところでした。

この先生にも、
「今スグ来れるなら、キャンセルがあったから
入れてあげられる」と言われとんでいきました。

やり方は前の先生と、
やり方が大きく違うというわけでは
なかったように思います。

ただ、この先生の方が、もう少しおおざっぱに、感じました。
もともと桶谷式でやっていたけれど、
今は桶谷式の看板は返してやっていると
おっしゃっていました。

やはり前回と同じように、おっぱいが詰まっていたのですが
この時は、「ちょうどいいみたいだから、
赤ちゃんに吸ってもらって出してもらったら」と言われ
長女におっぱいを吸わせました。

この時、抱き方なども教えてもらいます。
「こういう抱き方だとこの部分のおっぱいが詰まりやすいから、
こういう風に抱いて、交互にあげたりしてね」という風に。

それで、おっぱいを吸わせて、
「あっ、取れた!」と私が思ったのと、
長女が『んっ!!』としかめっつらで、
おっぱいから口をそらしたのと、
ほとんど同時でした。

先生が、「あっ、うまくいったね」と笑っていいました。
「こういう詰まったおっぱいはすっぱいから、
ほら、赤ちゃんびっくりしたんだね。
もう大丈夫だね、今度は安心して飲んでいいよ」と
赤ちゃんと私に言いました。

おっぱいマッサージのその場所では、
おっぱい、赤ちゃん、お母さんのタイミングを見ながら行うので、
予約の時間が、その人全部というわけでなくて、
他の人と交互になったり、
お母さんがマッサージを受けている間、
他のママが赤ちゃんを見ていたりしていました。

他のママの話や、赤ちゃんも見れて、
のんびりしたムードで、
なかなかよかったので、
こちらには卒乳までお世話になりました。

でも・・・私は長女の時は大失敗の卒乳でした。

やはりなにかと最初なので失敗が多いです。ごめんね。。。

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2005年2月22日火曜日

D1歳で断乳したい

おっぱいをやめることを「断乳」「卒乳」といいます。

長女の「断乳」の時には、
本当にかわいそうなことをしてしまいました。
今ならあんなことをしなかったのに。

娘はおっぱいが大好きでした。

母乳は“白い血”とも呼ばれるほど、
栄養分が豊富ですし、
母体には負担にもなります。
私は、子どもが10ヶ月を過ぎる頃には、
46kg(身長163cm)になってしまいました。
前に書きましたが、帯状疱疹になったり
おっぱいにしこりができたりしていました。

娘の離乳食はなかなか進みませんでした。
他のお子さんと比べても遅いほうでした。
その分を取り戻すかのように、
おっぱいをよく飲んでいました。

娘にはミルクを飲ませていません。
完全に母乳だけでした。
この時期、友人の結婚式も3つありましたが、
全部子どもを連れて行き、夫や母を控えさせ、
時間になるとおっぱいをあげていました。

離乳食は、もちろん全部手作りでした。
外出時もお弁当持参。
レトルトは泊りがけの旅行の時に持って行ったこともありましたが、
長女はほとんど口にしませんでした。

離乳食ははっきり言って面倒です。
すりつぶしたり、細かく切ったり、
薄味で丁寧にダシをとったり。
それをパクパク食べてくれれば、
その苦労も報われるわけですが、
長女は時間をかけて作っても、
食は進まず、せっかく作った離乳食をよく残して、
その後で、おっぱいを飲んでいました。

私はほとほと疲れて、
一生懸命食べさせるのが嫌になりました。
1歳で断乳すれば、
この子だってお腹が空くから
離乳食を食べるに違いない。

離乳食をすっきり食べてくれれば、
私も作って楽しいし、
おっぱいをやめれば少しは楽になるに違いない。

・・・本や雑誌を読んで、
すっかり断乳計画を立てている私の目には、
目の前にいる長女の様子は見えていなかったのです。
おっぱいマッサージの先生は
「無理に1歳で断乳しなくてもいいのよ」と
アドバイスしてくれました。
でも、私は何がなんでも1歳のお誕生日直後に
やめるつもりでした。

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2005年2月23日水曜日

E3日かかった断乳

1歳のお誕生日。
なんてうれしい日だったことでしょう。
その日は楽しく過ごしました。

そしてその週末の土曜日に
断乳計画は決行されました。

一応、夫がいる日なので、
泣いたら夫が長女を抱いてなだめる役ということにして。
(夫、すごく損な役回りだ・・・)

『1歳のお誕生日が来たら断乳しましょう。
おっぱいに“へのへのもへじ”を書いて、
赤ちゃんに見せて、おっぱいはもうバイバイとちゃんと話すと、
ちゃんと赤ちゃんはわかります。
赤ちゃんはおっぱいをもう飲もうとしないものです。』

というような文章が本に
載っていたように思います。

その通りにしました。
最後のおっぱいをたっぷり飲ませて、
赤ちゃんも満足そうです。

そしてもう食事だけで満足する


・・・はずでしたが、
本の通りにはなりませんでした。

長女は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。

おっぱいが欲しいと大きな声で泣きました。

赤ちゃんが泣くのでホルモンが刺激され、
おっぱいは腫れて苦しくなります。

夫が泣いて暴れる娘を抱き、
私は、断乳のためにはおっぱいをしぼらないといけないので、
台所で絞って捨てていました。

捨てるなら、あげればいいのに。

その時は、長女はまだおっぱいを欲しがっていたんだから、
あげればよかったのに。
無理にやめる必要なんてどこにもなかったのに。

昼も何度も欲しがり、
夜はさらに欲しがり娘は泣きました。

夜は特に辛くて、
ほとほと私も根負けして、
「あげちゃおうか」とポロリと夫に言いました。
夫は、ぎょっとして
「何言ってるんだ、こんなに大変なんだから。
今、続けないで、またこれを繰り返すのか?」と言いました。

そして、その日の晩はお互いに疲れて寝ましたが、
もちろん朝まで寝られるはずもなく
夜中もおっぱい欲しくて、
長女は何度も泣きました。
その度に起きて、抱いてあやしました。
夫も私も。

朝もぐったりでした。
日曜日も、あまり状況は変わりませんでした。

やはり数時間後とに、
長女はおっぱいが欲しいと泣いて泣いて泣きました。

二人ともヘトヘトになりました。
それでも、頑なに断乳を決行しました。

そして月曜日。
夫はとてもぐったりしながら、
私の心配をして会社へ出かけました。
月曜日も、とても泣きました。

3日間、泣いてももらえなかった長女は
やっとあきらめ、
火曜日からは少し落ち着いてきました。


雑誌のモデルのような体型の人がそれほどいないように、
マニュアル本の通りに行動する
子どもの方が少ないはずなのに、
なぜ、目の前にいる自分の子どもを見ないで、
本を見て、実行しようと思うのでしょう?

本に載っているそれが
『立派で正しい子育て』に見えました。
できれば『いいお母さん』なんだと思いました。

全然、違いますよね?

いいお母さんって、
まず、自分の子どもを見ることですよね。
私は、まだ長女におっぱいをあげればよかったんです。
彼女にはまだ必要だったんだから。

こんなおバカな母親=自分の話を披露したのは、
もし、悩んでいるママがいたら、
それに気づいて欲しいなと思うからです。
ママは子どもの顔と身体を見ることが大事ですよね。

一番大事なことを間違えないようにしないと、
困るのはきっと子どもなんですよね。


長女の育児の話は「自家中毒?!」というのも
ありましたが、明日からはテーマを変えて、
時間は少し戻って「育児の先」を書きます。


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ここではあまり育児が楽しい!って書けなくてすみません。
でも、ホントは育児は楽しいのです。
子ども3人生んで最高です!!(それはまだ後の章で・・・)


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