りんごのエッセイ「大きくなったら何になる?」
第5章「めざせ安産−長男編-1994年冬〜1995年秋の話」

 @どこで産もう?
 A助産院での出産体験を聞く
 B助産院に行く前に
 C助産院に行く
 D診察前の“お話タイム”
 E助産院で産むために
 F“お話タイム”の利点
 G細やかな指導

2005年4月20日水曜日

@どこで産もう?

とにかく望んだ妊娠が発覚し喜んだものの、
困ったのはどこで産むかということでした。

長女の時も、あれだけ悩んで調べたのに、
結局、破水し、陣痛はこなくて、
陣痛促進剤のお世話になり、
初めて見るドクターに会陰切開はされ・・・
立会い出産の予定もふとっとび・・・
(付き添いはしたものの、肝心なところで外に出されてます)
目指したお産とは程遠いものでした。

よし、今度こそ!
・・・と思うものの、心当たりは全くありません。

仕方なく長女の時に行った病院に、
最初は行き、次の検診も行ったような気がしましたが、
そこで産む気はなく探していました。

友人に尋ねても、
フランス料理のおいしい産婦人科ぐらいしか出てきません。
エステサロンと見間違えるような豪華な産婦人科にも
扉までは行ったことがありました。
あまりにも煌びやかすぎて中には入れませんでしたけど>苦笑

今度は長女もいるので、
あまり自宅と実家から遠いのも困ります。

そんなある日、立ち寄った郵便局で、
長女を妊娠していた時に、
助産院で一度だけ会ったYさんにばったり会いました。
Yさんは高齢出産(35歳以上)の範囲に入るので、
病院ではずいぶんいろいろと心配されて・・・と話していたYさんは、
ちょうど同じぐらいの女の子を連れていました。
私はYさんがどんなお産をしたか聞きました。

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2005年4月21日木曜日
@助産院出産体験を聞く

Yさんに「こんにちは」と声をかけると、
すぐ、私に気づいてくれました。
お互いに名前も覚えてない仲でしたが、
同じマタニティママの時に、
どこかですれ違ったりしていた人というのは、
親近感が湧くものです。

私は「このお嬢さんがあの時
お腹にいた赤ちゃんだったんですね。
かわいい〜 (*^▽^*)大きくなりましたね」と言い、
お互いにその後のことを軽く確認しあいました。
普通ならそこで別れるところですが・・・

Yさんは、私がマタニティスイミングで会った
お産婆A先生の助産院で出産するらしいと
マタニティママ仲間から聞いていました。

「A助産院で出産されたのですか?」
Yさん『ええ、そうです。とてもよかったですよ』
「よかった・・・?もう少し詳しく教えていただけませんか?
実は、私、次の子を妊娠して、今どこで産もうか悩んでいるんです」
と、郵便局の外に出て立ち話をしました。

ずうずうしいとは思いながら聞かずにはいられませんでした。
だって、Yさん“よかった”という言葉以上に、
その身体全体と笑顔で“本当によかったわぁ〜”と
思っていることがじわじわ伝わってくるのです。

『何がって・・・私も初めての出産だし、
よくわからなかったけれど、なんだか楽でしたよ』
おっとりして優しいYさんは、ふわわ〜んとそう言いました。

らく?!出産が楽?!
35歳過ぎて初産で産んだのに?
私、28歳で産んでも、あんなに大変だったのに?
入院生活どこを考えても楽なことなんて
ひとつも思い出せませんでした。

根掘葉掘、必死に聞く私の質問に、
親切丁寧に全部答えてくれたYさんの話から、
会陰切開しないで生んだことまで聞き出してしまいました。

あれだけ望んで私はあっさり切られてしまい、
とにかく苦しかった会陰切開。

目の前のYさんは35歳で初産なのに切ってない!
その事実と、
Yさんのとにかく満足気な様子を見て、
私は、とにかくA助産院に言ってみようと思いながら、
Yさんにお礼を言って別れました。

[出演いただいているYさんのブラグ]

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2005年4月22日金曜日
B助産院に行く前に

Yさん出会った頃は、
週に5日パートに行っていたので、今考えても
よくあんなタイミングで会えたものだ・・・と思います。
あの日あの時に、Yさんに郵便局でばったり会っていなければ、
私は助産院に行くこともなく、
鍼灸師になっていることもなかったでしょう。。。
Yさんにはとても感謝しています。

さて、Yさんに出会って聞いた話を、
私は帰ってきた夫にすぐ話しました。
夫は別に自分は反対する理由は見当たらないけど・・・
「でも、大丈夫なの?」と言いました。
夫がそう言ったのは、
前に私が話したことを覚えていたからでした。

助産院に行く前に、気になっていたのは、
長女を産んだ時の病院の助産師さんに言われたことでした。
それは授乳室での何気ない会話の中で、
私が、マタニティスイミングでお産婆さんと出会い、
助産院での出産もちょっと考えたけれど、
この病院で産むことにしたという話をした時、
その助産師さんが私に言いました。

「そう、やっぱりその方がいいんですよ。
何もなければいいけど、ナンカあった時に、
小児科のある病院の方がやっぱり安心なんですよ」

その時は、自分を納得させるかのように
この言葉にうなずきました。

その助産院はおばあちゃん先生1人だけでした。
ナンカあったときにはどうするんだろう?

不安がないわけではなかったものの、
長女の時も、迷って探して選んだ病院の結果が、
陣痛促進剤、会陰切開でした。

その病院が悪いというよりも、私はそこに
西洋医学の限界を感じたのです。
どうしても再びあの病院で産む気にはなれませんでした。

そして、Yさんの笑顔を見て、
私もあんな風に、「よかった」と満足できる
お産をしたいと痛切に思ったのです。
だから、助産院に行ってみることにしました。

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2005年4月23日土曜日
C助産院に行く

昨日の更新分を読んだYさんからメールをいただきました。
『実は私、出産の時、39歳と11ヶ月でした』

w(°o°)w おおっ!!
昨日の“楽だった”と、ふわわ〜んと笑ったママが、
高齢出産、しかもほぼ40歳の初産!!
それで会陰切開なし!!
・・・と、私のHPにいらっしゃるみなさんが驚いて下さるなら、
アップしてもいいとご了承いただいたので、
私の記憶をちゃんと修正して下さったYさんに
感謝してここに記載させていただきます。

そして、みなさんにも私の受けた衝撃が、
よりリアルにわかっていただけたことと思います。
(何度も聞いたのに忘れてすみません、Yさん)

さて、この翌日、さっそく助産院に電話しました。
それでいつ予約を取るか伺おうと思ったら、
なんと土曜日しかやっていませんでした。
もちろん、緊急の場合は他の曜日でもやるけれど、
普通の診察は土曜日午後1時〜しかやっていない、とのこと。

それで土曜日にドキドキしながら行きました。
時間ちょうどぐらいに行くと、既に待っている妊婦さんがいました。
先生はすぐにいらっしゃらないのですが、
狭い待合室・・・というよりは、
診察室の廊下にベンチがあって座っている感じで、
一緒に待っている妊婦さん同士は、距離が短く、
また「普通は病院なのに、どうしてここに来たの?」的会話で、
すぐ盛り上がり、なんかイイ感じだったのはよかったです。

先生がいらしたのは30分ぐらい経ってからだったように思います。
そして、いらしても待っている妊婦さんと話していて、
診察が始まったのは、2時ぐらいだったと思います。(^.^;;;
でも、この一見“無駄話”が、結構重要なポイントでもあるのでした。

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2005年4月25日月曜日
D診察前の“お話タイム”

その助産院は何事もゆっくりで、
A先生のその日の気分で進むのでした。
診察前のA先生の“お話タイム”が長いので、
一番に到着しても2時間コースといった感じでした。
先生が必要なことをさっさとやってくれれば
30分ぐらいで済むのにな・・・と思ってしまうこともありましたが。

待っている方もお子さん連れや、
ご夫婦という方も多く、妊婦さん1人の方も、
ご主人がお子さんを見ているとか、
どなたも“お話タイム”の時間は結構苦労して
確保した時間だったと思います。
・・・早くして欲しいと密かに思いながら・・・

でも、早くして欲しいと思うのは私達だけで、
A先生はその日その場にいた妊婦さんたちの顔ぶれを見て、
その妊婦さんたちに必要な話を診察前にしていると、
みんながわかっていたから、誰も何も言いませんでした。

A先生は当時、この道50年ほどの経験者でいらっしゃっり、
それなりにお年も召されています。
ですから、度々同じお話を伺うこともありました。
診察を待つみんなで“あ〜またあの話だ”と思うこともありました。

二男を産んだ時に、
一緒に入院生活となった、やはり3人目の出産の方は、
このことについて、こんな風に私に話したことがありました。
『あの長い、いつ終わるかわからない話を聞くの、
大変だったけど、あれさえ耐えれば、
ここで生ませてもらえるって思うじゃない?』

そう、おそらくはそこにいた妊婦さん達は、
みんなが『ここで産みたい』と強く思っていました。
そして“お話タイム”は、先生との信頼関係を結ぶのに必要でしたし、
助産院で産むために必要なことを、学ぶ時間でもありました。

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2005年4月26日火曜日
E助産院で産むために

助産院で産むために必要なのは、
『自分で産む』という意識なのかも・・・と思います。

私がそうだったのですが、
妊婦さんの症状でよくあるような・・・例えば
「つわりが辛いんです」「つわりで食べられないんです」
「お腹が張るんです」「むくみがあるんです」
「腰が痛いんです」「便秘なんです」・・・というような
病院に行けば、すべて
『では、お薬出しましょうか?』
と言われるこれらの症状について、
「なぜそうなるのか」を考えたことがありませんでした。

「妊娠しているからそうなんだ」としか
思っていなかったのです。

「妊娠していて○○なら、何をすれば治るのか」を
A先生は教えてくれました。

そして、まずどんなことに対しても
【冷え】というキーワードが出たように感じます。

「冷えているから」「冷やしているから」
「そんなカッコじゃ寒いでしょ」「まだ冷たいじゃない、足が」
「手だって、やだ、こんなに冷たい」
先ほどのすべての症状に対して、
まずこの言葉はすべて当てはまりました。

中には優秀な妊婦さんもちゃんといて、
夏でも靴下二重に履いて、レッグウォーマー履いて、
もこもことばっちり着ている方もいましたが、
私のようなおバカな妊婦は、
ひらひらスカートで素足にサンダルなんてカッコで、
「お腹が張るんです」なんて言うから、
『もっと着なさいよ。こんな体が冷えるかっこしてないで』と
A先生にいつも叱られていました。


今の私は全く同じことを言うようになりました(^.^;;;

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2005年4月27日水曜日
F“お話タイム”の利点

例えば「つわり」を例に考えますと、
「妊娠しているからつわりになっちゃう」と考えると、
そこで終わってしまいます。

ベテラン助産師A先生は「○○したら治る」とは、
おっしゃったことはなかったと記憶していますが、
A先生の『こんなカッコしないの』
『こんな冷たいもの飲まないの』の言葉の意味は、
そんなことしたら、つわりがひどくなっちゃいますよ、
の意味だったのだと後から気づきました。

A先生はしっかりされていましたが、
奥ゆかしいところがあり、
あまりはっきりおっしゃらないような印象があります。

それは△△で治る!というような過激な広告に慣れた私には、
ソフトすぎてそうしないといけないのか、最初はわからなかったのですが、
A先生は、体とは自然とは計算みたいにパッとわかるものではない、
という謙虚な気持ちから出た態度だったように今は思います。

そして、A先生のおっしゃったとおりにすると、
確かに症状は和らぐのでした。

また1人で先生と向き合うとよくわからなくても、
“お話タイム”で他の妊婦さんが、
「私もそうだったけど、ホントに治ったのよぉ〜」とか
「私も私も!」なんて反応があったりすると、
そうなんだ・・・と思ったりします。

そして、その場にいたみんなが、
だんだん「私が産むんだ」という認識が出てくるのかもしれません。
その助産院でのお産体験を聞くたびに、
私は「今度こそいいお産したい」という思いが
ますます募るのでした。

*この様子は妊婦の「ぷ」にも書かれています

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2005年4月28日木曜日
G細やかな指導

病院の時は、お腹が張る→「張り止めの薬」、
つわり→「薬はないので治まるまでは食べられるものを」
むくみ→「むくみ止めの薬」
などの対応は、ある程度決あり、
薬以外の対応方法を教えてもらえることはありませんでした。

ところが、A先生は「お腹が張る」と言っても人によって、
言うことが違うこともあります。
私のような見るからに冷やしていそうな妊婦には、
まず口が酸っぱくなるほど
『ソックスを履いて』
『この人みたいな靴下の長いの(レッグウォーマー)履いて』
『ズボンを履きなさい』

ズボンを履いてもまだ「お腹が張る」と言うと、
『ズボンもこんな下が開いているからなんじゃないの。
裾をひらひらさせずに体温を逃がさないようにしなきゃ』
(パンツの上からレッグウォーマーをするような形)
等々具体的指示がポンポン出ます。

着る物に気をつけている人で同じことを言う人がいると、
『冷蔵庫に冷たい麦茶入れて飲んだりしているんじゃないの?』
「麦茶は飲んでないけど、ゼリーやヨーグルトは食べています」
『そうやって冷たいものばかり採っていると
お腹も張るし、なかなか食べられない・・・』
話していると、だんだん独り言のようになったり、
誰に言っているのかわからなくなるようなこともありました。

A先生は、どんどんみんなが便利なことばかり求め、
地に足がついた生活をしていなくて、
ご自身の生活してきた様式とは、
全く違う妊婦たちに向かって、
どうやったら大事なことを伝えられるか、
もどかしい思いをしていたのかもしれない・・・
と、今振り振り返ると思います。

A先生は聞かれたことに対して、
細かい指示で、私達に身を守る方法を
教えてくださっていました。

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内腿踏みは「仮置き場」へ移行
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2005年6月7日火曜日

H内腿踏みを振り返って

「内腿踏み」夫、頑張りました。
(私はただやってもらう身分)
どのぐらい真面目にやったかを考えると、
中期70点、後期80点、最後の1ヶ月95点ぐらい。

減点分は、今日は夫が疲れているからお休みした、
うっかり忘れて寝ちゃった・・・という
やらなかった日の確率です。

この時、私は10時-4時のパートで、
長女保育園でした。
夫は送り迎え、食事作りなどは
一切関わっていませんでした。
洗濯物たたみと食器洗いはかなり担当してくれていましたが。

でも、家事って他にもたくさんあるじゃないですか。
洗濯物を干したり、お風呂を洗ったり、掃除、
(育児では長女のおむつはずしとか・・・)
そのへんはあまりやってくれませんでしたが、
その代償とばかりに、
内腿踏みはよくやってくれました。

もっとも、内腿踏みは私が痛くて嫌がるけれど、
A先生がとにかく勧めていたので、
大義名分を持ちながら私を痛がらせることができる、という
側面があったかもしれませんが。(^.^;

それでも、お腹の赤ちゃんが喜ぶ感じが
伝わってくるので、夫に感謝の気持ちを持てました。

2人目の時は、ほとんどつわりがなく楽でした。
それでも、私のお腹は時々張っていました。

そして助産院に行くたびに、
「冷やしすぎ」と言われましたが、
10月に出産でしたので、お腹の大きな8月は暑かったので、
ついつい涼しさを求めていました。

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2005年6月8日水曜日
Iつい・・・やってしまったこと

10月初めのお産でした。
お腹が大きいときに暑い夏でした。

たばこは吸いません。
お酒は一切我慢していました。

仕事へ行くときにストッキング履いて
スカートということもありました。
夏の暑いときは素足でスカートもアリでした。
お風呂の後、涼んでいました。

助産院で叱られるから、
一応パンツスタイルが多かったけれど、
ふくらはぎは結構涼しくしていました。
よく素足でいました。

手はそんなに暖かくありませんでした。
(こういうこは個人差が大きいので、
腰から下を冷やさなければ、
目安として手が暖かければ、大丈夫なようです)

クーラーも設定温度は28度ですが使っていました。
よく素足でいました。

2歳児を乗せて自転車に乗っていました。
(自宅−保育園−駅・・・片道・平坦・で5分ほど)

妊娠8ヶ月で引越ししました。
(8月の引越しは暑かったです)

妊娠9ヶ月まで仕事をしていました。
最後の1ヶ月は、目黒から車で1時間の
I市の保育園へ通い車を前の住まいの駐車場に置いて、
そこから自転車で駅へ行き、電車に乗って通勤していました。
そして予定日の1ヶ月前の月末に、
大好きだったパート先の編集プロダクションを去りました。

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2005年6月9日木曜日
Jまた、破水

それは土曜日のちょうど診察日で
助産院に行く予定の日でした。

長女の時ほど量が多くありませんでしたが、
破水から始まりました。

陣痛はありました。
よし、このまま強くなれば・・・と思ったのに、
弱まって次第になくなってしまいました。
(今思えば、ここでしっかり暖めれば
陣痛がきたかもしれなかったのにっ!)

陣痛がないのに破水。
また前回と同じパターンです。
陣痛がないと病院に搬送?!
⇒助産院で産めない??

もう、絶対それだけは嫌!
でも、その最悪ストーリーも浮かびます。

助産院に行き、いつもどおり妊婦さんと
お話しながら診察をします。
破水しているのに陣痛が来なかった私は、
一番に着いて様子を見てもらいました。

内腿踏みをあんなにちゃんとやってもダメなのか?
夫も私も、ショックを隠せません。

私の身体を見て
おかしいなぁ・・・という感じのA先生。
A先生が直接私に内腿踏みをします。
ぎゅ〜〜と踏みます。
先生ったら、軽いはずなのに結構強かったです。
でも、家を出る前も夫がちゃんとしているので、
踏まれてもそれほど痛くありません。

あれぇ?痛くないのぉ?
・・・なんで陣痛来ないのかなぁ・・・
じゃあ、こっちはぁ?

痛!!
あれ。この人ったら、こっちはこんなに痛がってる。
こっちがこんなに痛いからダメなんだ。

(゜ロ゜) はい?
「なにそれ。先生、そんなこと聞いてないよ・・・」夫と私の心の声です。

その時いた妊婦さんみんなキョトンと先生に注目。
(もともと注目していたのですが)

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2005年6月10日金曜日
K「会陰」のツボ

『あ〜ここがこんなに痛がるんじゃダメだ。』

そのA先生の言葉には、
夫も私もバタン (o_ _)o 〜〜〜 †って感じでした。

周りの妊婦さん達は、
_¢(0-0ヘ)メモメモ・・・・という状態。

「先生、内腿踏みの場所って、
あそこだけ(内腿踏みD参照)じゃなかったんですか」
と、夫がようやく食い下がるように聞きました。

マニュアル世代の私達。
マニュアル通りにやればOKだと思っています。
マニュアル通りでOKなんて甘い世界はごく一部・・・
もちろん、人体という自然に対して、
そんな甘いことはないのでした。

『う〜ん・・・そこだけでも、
大丈夫なんだけど・・・この人はダメだったのね』
周りの妊婦さんとダンナ様達は、
ウチはまだ間に合うから、さっそくやらなければ!
という雰囲気が伝わってきました。

その場所というのは、
「会陰」というツボだと言われました。

「会陰」のツボは12経絡に繋がる365穴には入らないツボです。
解剖学でいう「会陰」とも違います。
どこかというと・・・難しいです。
不快に感じる方もいらっしゃるかもしれないので、
図をこのページの一番下に置きました。見たい方はどうぞ↓

その「会陰」のツボを押して、
こんなに痛いんじゃ、さぁねぇ・・・どうしたもんかねぇ・・・

そしてその場でほぐしても、陣痛は来てくれませんでした。

会陰のツボは青い点の場所です。

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2005年6月13日月曜日
L破水の後、鍼灸治療にトライしたこと

一人目の時は破水の後すぐ病院に行きました。
病院で身体をすっかり冷やしてしまい、
陣痛は全く来ませんでした。
今なら陣痛を招く鍼灸師も知っているのですが・・・

『どうしようかねぇ〜このままここにいても陣痛は来ないよ。』
A先生のおっしゃることは、前回の時もそうだったから、
きっとそうだろうな・・・と思いました。

破水したので、感染をふせぐため抗生物質を飲むように、
とA先生が提携している病院に電話してくださり、
薬をいただきに病院に行くことになりました。

そして長女は私の実家に預けたまま、
私と夫は助産院から車で30分ほどの
夫の実家へ急遽、行くことになりました。

A先生が、
『このままじゃ、どっちにしても陣痛はこないから、
お風呂に入って暖まって、
おいしいものでも食べさせてもらって、
ゆっくりして、なんかやってもらっておいで』と
私たちを送り出したのです。

義父が定年退職後に鍼灸免許を取った話を
夫から聞いた助産師のA先生が、
鍼とか灸で、なんかやってみてもらっておいでと言ったからです。

最近少しずつ、逆子がお灸で治るということや、
安産のためにあらかじめ鍼灸治療を行うと良いことなど
(陣痛を呼ぶことができる時もある、というか人もいる、というか・・・)、
が聞こえ始めて来ましたが、
12年前には、鍼灸師でさえ(特に男性鍼灸師)、
妊婦は禁忌(やってはいけない)という考え方が多かったのです。

義父は、あんまり気が進まないようでしたが、
とにかく陣痛が来なければ、病院に送られてしまう、
あの辛かった入院生活を繰り返さないといけない、
せっかく内腿踏み頑張ったのに助産院で産めない、
・・・という危機感が目前に迫った私は、
何がなんでも助産院で産みたい一心でしたから、
熱いのも、痛いのもなんでもガマンするから、
とにかくやって下さい、とお願いしました。

その時の治療は
三陰交への鍼灸と至陰へのお灸、
腰部への遠赤外線ぐらいだったように思います。

食事をして、お風呂に入って、
治療をしてもらい、ちっとも痛くならなくて
不安になりながら私は床に着きました。

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2005年6月14日火曜日8:30

M陣痛が始まった!!

その夜は、疲れていたのですぐ寝てしまいましたが、
夜2時ごろ、鈍痛で目が覚めました。

心の中で
やったぁ〜!!!!!
これでだんだん強くさえなれば、
ちゃんとA先生のところで産めるんだ、と絶叫していました。

夜に陣痛が来て、
このままうまくいったとしても、
まだまだだからなるべく寝ておかなきゃ・・・
と思いウトウトしつつも、
ドキドキしてしまい、
そんなに寝た覚えはありません。

こんな痛さじゃまだまだなんだろうな・・・
こんな感覚じゃまだまだだな・・・
ちょっと痛くなってきたけど、A先生に連絡しないでいいかしら?
いえ、絶対に「なによ〜まだ全然じゃない」と言われそうだから、
連絡は朝になってからだわ・・・
産むところを長女に見せたかったんだけど、残念だなぁ・・・
昨日が土曜日で今日は日曜日でよかった・・・
今日産めば確実に夫は立会いが出来るんだわ・・・
それにしても隣でぐーぐー何も気づかず寝てるんだから、
男はずるいわよね・・・
絶対に赤ちゃんは産まないんだもんねぇ・・・
こっちは10ヶ月も苦しい思いして、
やっと開放される時だって、
こんなに辛いんだから・・・

赤ちゃんを産むときに気持ちいいって書いてある本もあるけど、
今度こそそんな風に感じられるといいんだけど・・・
陣痛促進剤を使った前のお産では、
とにかく無理やりガンガン子宮を収縮させられて、
体の意思とは関係なく追い出すように、
出てきたようだったし、
最後に「いきんで」と言われて、
ぐっと出た感じはあったけど・・・
自分の力という風には感じられなかったし。

ひたすら腰が痛くて、
寝ててくださいって言われて、
寒かったし、痛かったし、辛かったなぁ・・・
会陰は切られちゃうし、後は痛いし。
今度は切られずに済むんだろうか・・・
切られないといいなぁ・・・
病院の先生は切らないと傷がきたなくなるなんて言ってたけど、
どうなんだろう・・・

お願い。
赤ちゃん。
頑張って出てきて。
ママも頑張るから。
ママ、病院行きたくないの。
どうしてもA先生のところで生みたいの。

・・・などなどいろんなことをごちゃごちゃ考えながら・・・
陣痛っぽい痛みが一応は続きてくれたので
朝6時に夫を起こしたのでした。

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2005年6月15日水曜日8:30

N助産院に到着後

今まで憎らしいほどぐっすり寝ていた夫は、
「陣痛がきてるから起きて」というと飛び起きました。
眠気もいっぺんで飛んだようで、
急に緊張気味の顔になった夫を見て、
(なによ、私がずっと眠れなかった時も
ずっと寝てたくせに)としらじらしく思うあたり、
意地悪だと思うけど、
なにせ陣痛始まっていますから、なんでもアリ>笑

二人でドキドキしながら、
7時まで待って助産院に電話。

『う〜ん、まだまだだと思うけど、
それなら来てもいいよ』

お許しが出たので、いそいそと助産院へ向かいます。
車も空いていたので8時前についてしまいました。
物騒なのですが、この助産院、
ちゃんとビルなのに先生が鍵をかけてないから、
A先生がいらっしゃらなくても入れるのです。
この日まで知りませんでしたが。
夫婦揃って小心者なので、早々と到着したものの。

「どう?」と夫。
「う〜ん。ちゃんと陣痛あるよ。
でも、陣痛って不思議よね。
生理痛って、しばらくはずっと痛いんだけど、
陣痛って、同じぐらいの痛みがあるけど、
ちょっとすると、パッと痛みがなくなるんだよね。
あっ、来た。(>へ<) ←痛みを堪えて10秒ぐらい
ね。もうなんともないの(=^_^=)」
この感覚が少しずつ短くなって、
お産が近づくんだって」

ここに来れば安心と思って、二人で待っていると、
A先生が様子を見に来てくれました。

『どぉ?』
やっと、夜2時ごろ少しずつ始まって、
うとうとしながら陣痛は少しずつ強くなったこと、
20分間隔ぐらいになってから着たのだけど、
今はもう25分とか30分になっちゃったかも・・・と話をしました。

先生、聞いてくれたけど、顔を見て
『あ〜あ、こんなに早く来ちゃったって
どうせまだ生まれやしないよ。
その分じゃ、お昼ごろなんじゃないのかしらねぇ。
アンタ(夫)、何か食べたの?
どうせまだまだだから、
お腹空いているなら、食べておいた方がいいよ』
そう言って、夫をコンビニに行かせました。

『アンタ、また、そんなんじゃ冷えちゃうでしょう?
これ巻いておきなさい』と近くにあった
タオルケットを渡されました。
(今思うと、布団から出た後、体が冷えてしまったから、
少し陣痛が遠くなってしまったのだと思います)
少し、私の様子を見ていましたが、
まだまだだと思ったようで、
「これならお父ちゃん(A先生のご主人)のところに言ってるね」と
隣の建物のお家の方にいらっしゃったのでした。

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2005年6月16日木曜日9:00
O陣痛の合間に考えたこと

夫はコンビニから戻り、
袋から出して二人で食べました。
私はホカホカの肉まんを食べたのをよく覚えています。
この頃からパン焼き器で2日に1度は
パンを焼いて毎朝食べていたし、
そもそもコンビニを利用しない私たちは
「この前コンビニを利用したのはいつだったろうか?」と
二人で考えたりしていました。

たぶん、コンビニに行ったのは、
(数ヶ月前の)旅行の時に長女に「おしっこ」と言われて、
仕方なくコンビニのトイレを借りたから、
その時に何か買ったときだろうと話をしていました。

そもそもコンビニは電気を大量に消費し、
時間ごとに小まめな配送をするために、
車の渋滞を招き、排気ガスで空気も汚しているのに、
コンビニがないと生きていけないと思うほど利用している人もいるよね・・・
そして私たちだって、こういう時には利用してしまう・・・、
便利だけれども、こういう生活って
本当は自然ではないのだろうな・・・
ということを話していました。

たかだか肉まん1個で、
環境問題も気になるところは、
やっぱり自然なお産をしたいと思っているから。

そして、生まれてくる赤ちゃんが大きくなる頃の社会が
どうなるか心配であり、期待もしているから。

そして、陣痛が来るたびに、
無事に生まれてさえくれれば、
男でも女でもかまわないから。
できれば手にも足にも指が5本ずつちゃんとあって、
五体満足な赤ちゃんでありますように・・・
でも、神様。
もしそうでなくても・・・
ちゃんと私はこの子を受け入れますから・・・

でも、やっぱり本当の希望は、
絶対男の子で、しかもパパにそっくりの男の子なんです・・・
(これは私の希望で、夫はどちらでもいいと思っていました)

いろんな雑多なことを考えながら、
陣痛の間隔を見、時計と睨めっこしていました。

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2005年6月17日金曜日9:00

Pそうは言ってもやっぱり痛い

陣痛は痛みが増して来ないと
開放されないし、
赤ちゃんも頑張っているからとか、
いろいろ美しい表現もあるけど・・・

だんだん痛みの波が短くなってくると、
そりゃあ痛いものです。

・・・つい地が出てしまいました。

月経痛で痛みには慣れていると思ったけど、
一人目だって大変だったけど、
2回目だってやっぱり痛い

もう、恥も外聞もフッとぶほど苦しかった。
たとえそこに愛する夫がいても、
吼えるように痛いといい、
人間っていつもお澄まししちゃって、
生理的なことをあたかも忘れているように生活しているけれども、
人間ってやっぱり『動物』なんだと痛切に感じました。

痛いイタイ痛いイタイ痛い

時計と睨めっこしながらです。
この痛みは休憩があるんです。

ふっ、と痛みがなくなる時間があります。

そして、その合間の時間には、
あとどのぐらいか
これを我慢すれば赤ちゃんと会える
という輝かしいことを考える余裕もあるのです。

その時計の先には、赤ちゃんと会える・・・!

どうでもいいことですが、ああいう時は、
やっぱりアナログの時計がいいなぁと思いました。
時計の針があとどのぐらい進んだら・・・!
あとどのぐらい?
一分一秒があんなに長く感じたのは、
陣痛の時だけです。
まだあれから10分しか経ってないの?
まだまだじゃない・・・
デジタルだとそういう風には思えませんでした。
どちらの時計もあったけど、
時計の針ばかり見ていました。

夫も一応そこにはいてくれたし、
内腿踏みをしたり、
背中をさすったりしてくれているのですが、
この痛みの前では、そんな親切な行為もホコリみたいなもの。
アタシはこんな痛いのに、
痛くなくてパパになれるなんてずるい。
男ってずるい
どうして女ばっかり痛いの?
陣痛の波の時には、痛みで取り乱している上に

“アンタはズルイ”という睨みオーラまで出してました。
・・・冷静に考えると、あんなこんなシーンに立ち会って、
なおかつ一緒にいる夫。偉いかも。


でも、不思議とあの痛みは
忘れられる痛みなんです。
私は3回出産しましたが、
陣痛の痛みは“痛みの記憶”として覚えていません。

私個人としては、
前にも書きましたが一人目出産で会陰を縫った
数日後の縫合後の“痛みの記憶”の方がちゃんと覚えています

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2005年6月20日月曜日8:30

Qウロウロする

陣痛の間は、立ったり、椅子に座ったり、
椅子につかまってみたり、
ぶらさがり健康器(?)にぶらさがってみたり、
夫にぶらさがるようにしたり、
A先生に教えられて太極拳のポーズをしたり、
何か痛みを逃す方法はないものかと、
うろうろ、ふらふら動きました。

これは1人目の時に、
分娩監視装置につながれて、
何もできずにベッドに横にならなければならないのとは違い、
かなり楽でした。

特に穴のあいた(分娩用)の椅子に
座ると楽だったことを覚えています。

赤ちゃんはとにかく出口に向かって進みます。
だから、どうしても力が下に向かいますよね。

横に寝ていると、
その進みも遅いし、力の方向が違って苦しかったです。

例えていうなら、
キュウリをスライサーで薄く切る時に、
上からキュウリを左右にスライドさせて、
下に置いた平らなトレイに入れようと思うと大変だけれど、
スライサーをボウルの縁にかけて
上からの力をボウルで支えて、
キュウリをボウルの中に入れるのが簡単なのと同じですか。
・・・余計わかりにくい?・・・

うろうろできると、陣痛の合間に、
次の陣痛の波はどこが楽か・・・と、
考えるだけでも気が紛れました。

そして、もう、いいかな?と分娩台に自分から乗りました。

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2005年6月21日火曜日11:30(遅くなりました)

R出産の時の様子

分娩台に乗ってからも、
ずいぶんウンウンしましたが・・・
3回のお産の中では、
実はこれが一番楽なお産でした。

気持ちいいお産とまでは言えませんでしたが、
最後に赤ちゃんが出てきたときは、
あ〜よかった、とほっとしました。

「男の子だよ」先生が言った時には、
あ〜これでもう子どもは産まなくて済む、と瞬時に思いました。
(夫がとにかく女の子も男の子も欲しがっていたので)

だから、次の瞬間に夫が、
『これで3人目はどっちでもいいね』と言った時には・・・

殴りたくなりましたとも!(*`ε´*)ノ_彡☆バンバン!!

でも、赤ちゃんが泣かなかったのです。
「あれぇ、大丈夫かしら。泣かないねぇ。」

出てきたときは首に臍の緒が二重に巻かれていて、
顔色が悪く、ちょっと泣かなかったので、
A先生がお尻をたたいたように思います。
長女と違って、紫っぽく可哀相な感じで出てきました。
先生が何度かたたいて、
やっと泣いてほっとしました。


「あれぇ?見てごらん。こんなに長かったよ」
臍の緒はA先生の身長よりも長いぐらいで、
先生が腕を伸ばして持ち上げていました。
1m50cm近かったように思います。

臍の緒はすごく堅くてしっかりしていました。
これが今まで赤ちゃんに栄養を送ってきたんだな・・・と思いました。

でも、生まれて来たら、
もういらなくなっちゃうものなんですよね。
無駄にエネルギー使っているような気もしました。
もったいないから臍帯血の利用が
もっと進めばいいのになぁ〜とも思いました。

夫は赤ちゃんが出る瞬間には、
私の手を握ってくれていました。
(病院では赤ちゃんが出るところでは追い出されてます)

やっと本当に“立会い出産”が出来て、
付き添った助産婦さんは、
ずっとずっと10ヶ月指導してくださったA先生で、
とても満足でした。

・・・ところが・・・お産ってやっぱり大変です・・・

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2005年6月22日水曜日17:30(すみません(^.^; )

S止まらない出血

赤ちゃんを産み、
胎盤もするりと出て、
臍の緒を見たりして、
全部キレイに終わりました〜ってところで・・・

「? A先生、血が出てる気がするんです」
と、私に言われて、見てみたらA先生、
『あ〜ほんとだぁ〜』

本当は、自然に止まるはずの血が止まりませんでした。

A先生が上から指で大動脈を押さえました。

・・・すると、出ません。

様子を見て、指を放します。

・・・ピューと出てしまうんです。


何度もこれを繰り返しましたが止まりません。

途中、食事を作ってくださる方がいらして、
A先生のお庭で取れた韮で作った“韮卵おじや”を作ってくれました。

『食べられる?』とA先生。
そんな状態でしたが、美味しかったのでパクパク私は食べました。

この時、A先生、出血が多くて、
死んじゃったりしたらどうしようとよぎったそうですが、
こんなに食欲もあるし、食べてるから大丈夫かしら?と
思ったそうです。

数日後に、正確には測ってないけど、
致死量の半分ちかく出血しちゃっていたと思う、と言われました。

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2005年6月27日月曜日9:00

21.怒ったこと

お産が全部すんでほっとしたのは
つかの間。

大動脈から手を離すと、
ツーツーと流れる血。
自分では見ていないのですが、
感覚でもそれがはっきりわかるほどでした。

助産婦のA先生が厳しい顔つきをしていました。

「どうして止まらないんだろうねぇ。
もう。この人は欲しい男の子産んだもんだから
喜びすぎて血が止まらなくなっちゃったのかねぇ。
だめなんだよ、そんなに喜びすぎるのは」

喜んでいけないという話を聞いたのは、
この時が初めてでした。
不思議に思いました。

後に東洋医学概論で習うことになりました。
東洋医学では、
喜怒哀楽も五行に分類されています。
喜びすぎは『心』を破ると言われます。

でも、本当は喜びすぎて、ではなく、
実はこの時、私はこっそり(笑)怒っていたのです。

陣痛が辛かった、その時に、
確かにA先生と夫がそばにいてくれて、
心強くはあったし、ありがたかったのですが、
陣痛の苦しむ様子を“我慢が足りない”“だらしがない”というような
意味のことも二人から言われました。

内心、そんなこと言ったって痛いんだもん。
いくら先生が○○って言うからって、
こんな時に「いつもそうで困っているんです」なんて
私の悪口言わなくてもいいじゃない。
夫に対して怒っていました。

陣痛はやっぱり痛かったし、
こんな苦しみもなく、
10ヶ月大変な思いをしなくても、
お酒だって食べ物だって何も気にせず過ごして、
赤ちゃん抱っこできるくせに、
こんなところで私の欠点を、
そんなにA先生と話して笑わなくてもいいじゃない。
ひどいよ。

・・・夫に悪気がないのもわかっていたし、
内腿踏みも頑張ってくれて、
夫なりにかかわってくれて、
本当はやりたくなかったのに、
立ち合い出産にも同意してくれたこともわかってはいました。
だから、口には出しませんでした。

A先生が「どうしてかねぇ」と繰り返して言っていた時に、
私は思い出しました。
出血が止まらなくなる少し前に、
夫のことを怒っていて、プチッって、
なにかが切れたような感覚が自分の中で感じたことを。

東洋医学で言うと、
「怒」は「肝」に影響します。
「肝は血を蔵す」「肝は筋を主る」

本当は血液は流れ続けるのでなく自然に止まるべきでした。
ホルモンの力で血液は少しずつ固まりだし、
流れ出ないように筋肉も働くはずだったのが、
私の場合は上手く体が働いてくれませんでした。

この時、自分の気持ちが体に影響し、
本当にこんなに死んじゃうかなって思うほど、
A先生が心配するぐらい出血することがあるんだ・・・と
ひとごとのように思ったのでした。
昔はお産でたくさん女性がなくなったというのは、
こういうことで亡くなったりしたんだろうなぁ・・・
赤ちゃんが無事に出てきたのはよいけれど、
ママがお産で死んだら、
残されたパパはどんなに辛いだろう・・・と思いました。

私は意識もしっかりしていたし、
自分が痛くも辛くもなく、
A先生がついていてくれているのだし、
赤ちゃんを置いて自分が死ぬわけないと思ってました。

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2005年6月28日火曜日10:00

22.やっと出産終了

結局は、自然に出血が止まらず、
夫が先生に言われるまま、
大動脈を押さえ、A先生が注射した薬の効き目で
出血は止まりました。

*A先生は開業されて、お一人で全部行っていましたが、
今の助産師さんは、数人のチームか、
出産時には必ず二人で取り上げるそうですので、
不安に思わないで下さいね。
(母と子が分離された後、病院に搬送する場合に、
必ず助産師さんがどちらにも付き添うことができるように、
二人以上で行うそうです)

私は、青ざめる先生を見ながら、
気分も悪くなく、
(あ〜、私が怒っちゃったからこんなことになっちゃって、
先生ごめんなさい、と内心思っていました)
全く、自分は大丈夫だと思っていました。

だから、A先生がやっと落ち着いて、
分娩台からベッドに行こうとした時に、
すぐ隣の部屋なのに、
先生が車椅子を用意しようとしたのに驚きました。

「えっ?先生、大丈夫です。だってすぐそこだし」
と、起き上がろうとした時、
経験したことのない勢いで目の前が暗くなりました。

(そういえば、以前は“立ちくらみ”ってしょっちゅうなっていましたが、
最近は全然大丈夫です(=^_^=) )

「ほらごらん。やっぱり車椅子で行かなきゃ」と、
サッとすぐ先生の用意した車椅子に乗った時に、
・・・10歩ぐらいなのに歩けないって・・・( ̄□ ̄;)ガーン
夫と私は、事の重大さを認識したと思います。


病院では輸血すべき出血量だったようですが、
私は輸血もせず、順調に回復し、
その後、何も困ることはありませんでした。
輸血は数年後にその血液が
安全でなかったことがわかる場合もあるので、
私は輸血しないでラッキー♪と思っています。


これで、長くかかった長男出産編が終わりです。
でも、まだ入院中の助産院話は続きます。

明日からはエッセイは少しお休みして、
季節の話をしたいと思います。

☆Specal Thanks☆
↓から感想メッセージを度々送ってくださった
Wさん、ありがとうございました!
Wさんの登場は3人目の出産の時です。


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会陰のツボは青い点の場所です。